長引く不登校に
学校にまったく行けない完全不登校の状況が2年3年と続くと学校にできることはほとんどなくなってしまいます。子どもの側にしても今さら帰るところはないわけですから、登校刺激を与えられても困惑するだけです。一般的な意味での「学校へ行け」は何の意味もありません。
しかし人間関係不全は人間の中でしか治していくことはできませんから、ふれあい刺激とでも呼ぶべきことは、その子の状況に合わせて繰り返し与えていかなければなりません。人間がまったくだめなら、まず見知らぬ群集になれさせること、続いて利害関係のない知り合いになれさせること、大人から始めて次第に同世代に近づけていくこと、そんなふうにスモールステップで人間に近づけていきます。
私はもうひとつ、人間の身体性というものにも注目しています。
健康な肉体に健康な精神が宿るとは思いませんが、体を動かし、スポーツをしたり働いたりすることは、この分野でもかなり確かな効果があると感じているのです。
その他、昼夜転倒した生活は正さなければいけないとか、やはりある程度勉強しておかないと完全に社会に出て行くことは難しいとか、エレキギターが弾けるとか短歌が詠めるとか素晴らしい絵を描けるとかいった誰にも負けない特技を持つことが非常に有効だとか、様々に言えること考えられることがあります。
しかしそれらは非常に個別的な問題であって、専門家の意見を聞きながら進めていくべきことです。
長引いた不登校の子どもは世界から見捨てられています。現実にはそうでなくても本人はそう感じています。その子と社会を繋ぐ仕事は、親にしかできません。
親は様々な野心や欲望を捨て、その子が生まれた日の自分を取り戻して「その子と共に在る」ことを喜びとしなくてはなりません。親子で二人三脚、三人五脚の旅を始め、ともに働きともに、ともに汗を流さなくてはなりません。それと同時に、親自身が社会としっかり繋がり、子どもと社会の橋渡しをしていなければならないのです。
そうした家族のもとに、ある日突然「奇跡」が訪れる、そう私は考えます。