なぜ、あなたは平気でいられるのか



1988年(昭和63年) 2月 名古屋アベック殺人事件 
1989年(平成元年) 1月 女子高生コンクリート詰め殺人事件
1989年(平成元年) 7月 宮ア勤幼女連続殺人事件
1998年(平成10年) 1月 黒磯市女教師殺人事件
2000年(平成11年) 5月 高3男子主婦刺殺事件
2000年(平成11年) 5月 西鉄バス乗っ取り事件
2000年(平成11年) 6月 岡山バット母親殺害事件
2000年(平成11年) 8月 大分一家六人殺傷事件
2000年(平成11年) 2月 新宿ビデオ店爆破事件
2000年(平成11年)12月 渋谷金属バット殴打事件

必要ならもっともっと書いてもいい。
ここ十数年間に起きた少年事件のうち、少しでも記憶の隅にあるだろうと思われるものだけを並べてみた。
それでもこれだけの量なのである。
それ以外に人々に忘れ去られた少年事件は枚挙にいとまない。
それなのにあなたはのん気に日々を過ごしている。
その自信はどこから来るのか?


猫の子は犬に育てられても猫にしかならない。
猿の子は人間に育てられても結局はサルだ。

しかし人間は違う。


昔のインドの狼に育てられた子、アマラとカマラの例を見るまでもなく、人間は羊にも狼にもなれる恐ろしい生き物なのだ。
今、あなたが家で育てているものが、狼にならないと、なぜ高をくくっていられるのだろう?

あなたが育てているものが狼となり、その牙を世間に向けて剥いたとしたら、
あなたは大切にしているものの一切を失う。
職を失う、友人を失う、社会的信用を失う。
家族を失う、親戚を失う、趣味や楽しみを失い、希望を失う。

莫大な賠償金を背負いながら、しかしあなたは二度と普通の仕事につくことはできない。
町を離れなければならない。けれど苦労して手に入れた家には買い手もつかない。借金と税だけが無駄に食われる。

いやそんなことはない。ウチの子がそんな大それたことをするはずがない・・・。

・・・そうかもしれない。

けれどそこまで大きな事件ではなかったにしても、
子が警察に検挙されてもあなたは傷つかないだけの覚悟はあるのか。

子の如何に関わらず、人々に必要とされるだけの信用を持っているのか。
子があられもない姿で町を闊歩しても、それで軽く見られないだけの力を保持しているのか。

今、あなたは確かに忙しいかもしれない。
たまの休みを心身の休養に当てたい気持ちも分からないではない。
けれど

今、
あなたが平然と見放しているものによって、
あなたの大切なものの一切が奪われる。
それは一瞬のことなのだ。