子を見よ



今の親たちの不幸の一つは、たくさんの子どもたちを目にする機会のないことだ。

昔、近所に子どもたちがたむろしていた時代、その周辺には子の姿を見る親たちがいた。

その頃の母親は実に多くの子どもたちを見ていた。
わが子の欠けたるが何かをよく知っていた。

そしてまた、父親たちもよく子どもたちを見ていた。
農家は農家なりに、職人は職人なりに、仕事の手を休め体を伸ばせば、そこに子どもの遊ぶ姿を見ることができた。
今から100年も前の話だが。

しかし、それが今はない。


子を見よ。

他の子と比べてはならないというが、
それは「他の子と比べてわが子を責めるな」という意味であって
わが子だけを見ていればいいという意味ではない。


せめて一度、親子遠足にでも出かけ、我が子を比べる目で子どもたちを見てみるがいい。

他の子はあんなに自由に外を駆け回り、高い所も少々危険なところも平気で飛び回っているというのに、あなたの子どもはもじもじと恐れ、尻込みをしている。

他の子は何でもおいしそうに食べ、清々しいほどの食欲を見せている。
なのに、あなたの子どもはほとんど何も食べられない。
幼稚園で出される食べ物に、食べられるものはほとんどないのだ。

他の子は物怖じせずあなたに話しかけ挨拶もできるというのに、あなたの子はいつまでもあなたのそばにしかいない。

そんな惨めな子にしてしまったのは子ども自身の責任だろうか? 

養育の面倒を見ている妻の責任だろうか? 

子を妻に任せきりにしたあなたの責任だろうか?


「他の子と比べ、わが身を責めよ」