1年生で心配しなければならないこと



小学校1年生の保護者が心配すること
、その基本は次の2点である。

  1. みんなにみんなについて行けるだろうか。
  2. いじめられないだろうか。
1についてはすでに話した。
2については言葉がない。何かを語ろうとする気になれないのだ。

確かにトラブルはありしかも絶え間ない。
何人かの子どもは一年中泣かされてそのたびに「いじめられた」と大騒ぎし、家に逃げ帰ってくるかもしれない。
しかしそんなことは全く問題ないのだ。

子どもたちは年がら年中それぞれの身勝手な自己主張をぶつかり合わせ、その中で傷つき傷つけられる中で学んでいく。
人間関係とは「互いに主張し合い、せめぎあい、そして引き合ってお互い様」(富田冨士也の言葉)そういうものであることを。

だからそこで子どもが苦しもうと、(原則的には)私はまったく苦にしない。
彼らは今、人間関係の学習中なのである。
傷ついてもわずか1日でけろっとして、またやり直すのが1年生だ。
その意味で、まるで子どもはゾンビみたいなものだ。


では、小学校1年生で心配しなければならないことは何かというと、
それは勉強のことである。


まだ勉強が楽しくてしょうがない子どもたちが、勉強嫌いとならないために「勉強が分かる」という状況をできるだけ長く引き伸ばさなければならない。

一年生では、
たし算がスラスラできなければいけない。
ひき算もできるようにならなければならない。

国語の教科書程度の文は、スラスラ読めなくてはならない。
つっかえつっかえの拾い読みなど、最低である。

作文はスラスラ書けなくてもよいが、人が言葉にしたことを正確に書写できなければならない。
「ぼくわ、がこうに いきました」
などと書くようでは、これも最低である。

なぜ最低かというと、そんなふうにしか読めなかったり、そんな文しかかけないまま2年生3年生と進むと、いつか必ず取り返しのつかない形で誰かに傷つけられてしまうからだ。
この時期から勉強が分からなくなってしまえば学校は地獄だ。
義務教育だけでもあと9年近くもあるというのに!!


非行少年の9割以上が、「勉強のできない子」である。
別に勉強のできる優秀な子を育てる必要もないが、
学校の勉強をあまりにおろそかに考えると子どもがかわいそうである。