ねえ、あなた、
 あなた、お箸の持ち方、ちょっと変かもしれないね。

 お箸の持ち方というのは親が最初に直面する最も難しい躾で、放っておいても自然にできるということはない。手間もものすごくかかる。その点でトイレット・トレーニングと違うんだ。

 だって親からちゃんと躾けてもらわなかったから未だにオムツをしている大人って、会ったことないでしょ? でもお箸の持ち方の方は本人が意図して直さない限り、大人になってもずっとそのままだ。

 知ってるかい?
 お箸の持ち方の練習って、実は二段階からなってるんだ。
 ホラ、私が正しい持ち方をするから見てごらん。

 このときね、右手の薬指が下の箸を持ち上げるように支えなければならないんだけど、習い始めの子どもはそこがうまく行かないんだ。でも、子どもは薬指で支えなくてもうまく箸を動かせるんだよ。
 私は真似してもうまくできないんだけど、下の箸を小指で支えたり、そもそも支えないまま動かしたりして、親指と人差し指と中指の三本で箸が動かせるようになったら、 そこまでが第一段階。しばらくはそれで気持ちよく食べさせるようにすればいい。薬指のことは忘れてね。

 で、その食べ方に慣れたら、後で薬指を添える練習をする。
 それが第二段階で完成というわけさ。

 箸を使わせることに熱心な親御さんは自然にそういうことをやっている。いつまでもこだわって箸の持ち方を練習させていると、薬指の問題が最後になるのが自然だからね。

 さて、そうなると次に出てくるのは、
「箸をきちんと持てない子の親は、そうした丁寧で根気の必要な躾をきちんとしてこなかったのか」
という問題になるんだけど、それはおそらくその通りだろうと思う。

 私はよく知ってるのだけど、あなたのお父さんもお母さんも必死に働いてあなたのことを育ててきたよね。お父さんとは、朝も夜も一緒に食事をしたことなんてほとんどなかったんじゃない? お母さんだって、あなたが朝食を食べている時間はたいていランドセルの中身のチェックをしたり自分のお化粧をしたり、夜は夜で一刻も早く食事を終えて洗濯をしたりお風呂の用意をしたりと、あなたのお箸の持ち方を気にしている暇なんかなかった――だよね。
 わかるよ。ウチだって似たようなものだから。

 しかしね、私のようにあなたの家の事情を知っている人間ならともかく、そうでない人から見ると、お父さんやお母さんが頑張って生きてきたからお箸の指導ができなかったのか、ただの不熱心でだらしない親だったから教えなかったのか、分からないんだよ。

 だから、例えばあなたが大人になって、お嫁さんになろうとするときなんか、気をつけなくちゃいけない。相手の親御さんはついつい慎重になって、あなたの頭のてっぺんからつま先まで、言葉の使い方から箸の使い方まで、丁寧に見ているかもしれないんだ。あなたのお父さんやお母さんは、どんなふうにこの子を育てたのかってね。

 昔から「箸がきちんと使えないとお嫁にいけない」とか「親が恥をかく」と言われるのはそのためだ。もちろんよく調べもしないで疑う方が悪いと言えば悪いのだけど、第一印象って大事だよ。

「ああこの子、なんて美しい食べ方をするんでしょ。きっと丁寧できちんとした教育を受けてきたからね」
から始まる人間関係と、
「アラやだ。この子、なんて汚い食べ方しているの? 親の顔が見てみたいわ」
から始まる人間関係では、すくなくとも最初の段階ではずいぶんちがったものになるだろう。

 あなた自身の問題は修正の機会がいくらでもあるからいいけど、めったに会わない親の方はそうはいかない。ご両親がそんな誤解を受けたらいやでしょ? しかもこの手の問題は相手もめったに口にしないから、誤解されていること自体に気づかない。

 だからね、親御さんのためにも、あなた自身がその気になっていまから箸の持ち方を直しておくといいんだ。それにそもそも、「見た目だけでなく仕草も美しい」なんて言われたらあなた自身が幸せでしょ?
 だから、ね、頑張ってみようよ