シンデレラ
その2



 はい、あの娘なら存じてます、お隣ですもの。かわいそうな娘です。

 子どもと遊ぶとき以外は、いつもひとりぼっちで歌っていました。それも私どもの知らない外国の、妙に悲しい歌ばかりで、その声を聞くと関係のない私たちまで、変に泣きたくなったものでした。

よく誤解されることですが、「灰かぶり」はあの娘の義母や義姉のつけたあだ名などではなく、私たち近所の者のつけた呼び名なのです。
いつもわずかな暖を求めて灰の中で眠っていましたから。
そのあまりに哀れで、けれどいじらしい様子に、私たちは心からの親愛をこめて「灰かぶり」って呼んでいたんです。

どんな確かな神経だってあの娘のような境遇にあっちゃあ支えきれるものじゃありません。あの娘が灰の中で暮らし始めたのも、心に狂いがきてのしばらくの後のことです。そう、はっきり言ってしまえば、あの娘に関するすべての話は、あの娘が狂ったのちに、あの娘自身によって語られた世迷いごとなのです。

グリムとかいう男兄弟の話も、そんなとりとめもない話のひとつだったのです。


 グリムの本には「魔法使いのお婆さん」なんて出てこないでしょ? それは別の人に聞かせた別の話。グリムにはグリムの聞いた話があります。

 二羽の小鳩があの娘の味方をして継母の無理難題を解いていく、美しい着物や靴をくれたのも二羽の小鳩と母親の墓に立つ「はしばみの木」、その助けで三日三晩の舞踏会をあの娘はやり過ごし、王子は常にあの娘を追い、父親はいつもあの娘の邪魔をしたがった。けれど結局、あの娘は王子の花嫁になり、二羽の小鳩が二人の義姉両眼を潰した・・・。
グリムの兄弟はあの娘の話した中でも、もっともつまらないものです。でもそれも、あの娘にとっては真実の一面だったのかも知れませんね。


 おや、あなたも直接話を聞いたことのあるひとりですか。
・・・え? 航海士? そう言ったのです?
 それは嘘です。父親はこのあたりでも有名な商人で、金持ちで、しかしどうしようもないぐうたらで、あの人のことを善く言う人なんてこのあたりにはひとりもいませんよ。
つまるところ、あれほど賢い母親が何であんな男を好きになったのか不思議になるような男でした。
そもそも恋と言うのがそういうものなのでしょう。まずいことに、美しすぎて賢すぎる女には、身のほど知らずの怠け者しか声をかけてくれないものです。
あの娘の母親はなにもかも完璧で、だからあんな男につかまり、だからいつもひとりぼっち淋しく暮らしていました。

 あの娘の母親が死に、父親がコブつきのどうしようもない女と再婚したとき、私ら近所の者は心から祝福したものです。
こうでなくちゃ神様はあまりにも不公平。くだらない男にはくだらない女こそふさわしい。そうであってこそ私たちの幸福はあるッてものです。


 ・・・・・いえいえ、そうですね、無理もありません。父親が航海士だなんて、
身近にいながら何もしてくれない父親より、そもそも側にいない父親の方がどれほどいいか分かりませんもの。

 「灰かぶり」は、姓名以外は何も父親から受け継がない、母親に生き写しの娘でした。
生真面目で誠実、いつも慈愛に溢れ、自分を犠牲にすることが何よりも好きな、そんな娘だったんですよ。
ウチの息子だって、あの頃まだ五つか六つでしたが、よく遊んでもらったものです。
おはじきやら縄跳びやら、ケンケンやら、暇を見つけては近所の子どもたちと遊ぶのがあの娘の楽しみのようでした。
あの娘の言動におかしなものを感じるようになっても、だれひとりあの娘を悪く言う人などいませんでした。そりゃあもうかばいましたよ、近所の者は皆あの娘のファンでしたから。


 あの娘の最期は、それは憐れなものでしたよ。
クリスマスも近いある冬の夜、大川にかかる橋の上で、カラカラと笑いながら走り回るあの娘を最初に見つけたのがウチの亭主です。
報せを聞いて近所の者が押さえに行ったのですが、暴れ回る、逃げ回る、手にするものを片はし投げつけては、私たちを罵倒し、ついにはあの娘の父親がしっかと抱き締めて押さえたのですが、やがてワアワアと泣き始め、ずいぶんと長く泣いたあとやっと静まって落ち着いたかと見えたとき、ホッと弛めた父親の手からすり抜けて、あの娘は大川に身を投げ込んだのです。

氷の浮かぶ暗い川の中で、あの娘の灰色の服は瞬く間に見えなくなってしまいました。三日もたって20キロも下流の町から送られてきたあの娘の遺体は、母親の墓の隣に静かに埋められています。土が凍りついていて、掘るのにずいぶんと難渋したそうです。

 それで全部です。

 こんな世の中ですから親に見捨てられた子どもなんて山ほどいることでしょう。それに耐え切れずに気の触れた娘だって、少ないはずはありません。

なのにシンデレラだけが驚くほど多くの尾鰭をつけた話となって世界中に広まってしまったのも、結局はあの娘の優しさと、果てしない物語癖のせいだったのかも知れませんね。

 「灰かぶり」の家族たちは、それからしばらくして町を離れ、聞けば百キロも先の町で今も健在だそうです。

それにしてもまあ可哀相なことです。継母が冷たかったのはまだしも、なぜ父親までもがああもあの娘に冷たくあたった のか。

金持ちのすることは分かりません。