白 雪 姫




 はい、その通りです、年が明ければ三十八になります。母の亡くなった年です。
けれどまああなた、やはり私の見こんだ方だけのことはありますこと、一国の王妃に向かって歳を訊ねるなんて‥‥‥

 嬉しく思います、そんなあけすけな質問のできる方でなければこの仕事はお願いできませんもの。何もかも、私の隠したがっていることまでも何もかも訊ね、理解し、判断できる方でなくては・・・

 でもやはり女ですね、おかしなものです、あなたが私の望み通りの方であったことを喜びながら、でも同時にあなたの不躾が何だか許せないような気もしています。


 今日、あなたに来ていただいたことには理由があります。もうおわかりと思いますが実は私の正しい伝記を書いていただきたいのです。私の、というよりは母の、と申し添えたほうがよろしいかしら、いずれにしろあの生真面目で努力家の、けれどおそろしく凡庸だったグリムの兄弟の過ちを、なんとか正してほしいのです。できれば母の命日までに。

 そうです、あなたも薄々お感じのことと思いますが、あれは私の実の母だったのです。暖かな暖炉の傍らで糸巻きをしながらやがて生まれるはずの私を想い、針に触れたその指から流れる血をそのままに、子の唇が血のように赤く、その髪が黒檀のように黒く、そしてその年初めての雪のように白い肌をもった子が生まれるようにと願ったその人と、毒の林檎で私を眠らせた人とは同じ人でした。
 グリムはその初版で正しく私たち母子の関係を記しながら、なぜかその後この事実を隠してしまいました。かえすがえすも口悔しいことです。
 彼らの物語からは、あの気高く美しく、そして聡明で心優しい母の姿は見えてきません。そして間接的に私が母を殺したという内容も・・・・・・この際訂正していただかねばなりません。

 女もこの年になれば自分のことは自然理解できるものなのです。たしかに美への執着はあります。けれど今更わが子と美しさを競って何になるのでしょう。若い娘というものは、若いというだけで十分美しいものですよ。しかしただそれだけことに過ぎません。年をとればその年になればこの年なりの美しさがあり、若い娘と比べられるのも不愉快な、それほどの自負心もあります。今の私がそうです。
そして二十年前の母も同じような気持ちであったに違いないのです。

 そもそも私を殺すつもりであれば、何も狩人に頼む必要もなかったでしょう。初めから毒林檎を私に手渡せばよかっただけのこと、あてにならない共犯者をつくることほどばかげたことはありません。

 母は彼が私を殺せないことを重々承知でした。
さらに森の奥に置き去りにすることについても、そして狩人が命じられた内容を、私に漏らすだろうことも、母は知っていました。
そうじゃありませんこと? 森に取り残された娘が願うことは家に帰る、ただそれだけです。
あの時あの善良な狩人がそれに気づかないはずはありません。
殺すことはできない、けれど何も言わなければ私は必死でもと来た道を戻ってしまう。
狩人にすれば本当の話をするしかなかったのです。
あの人はありのままを私に話し、話すことによって私を王宮から遠避けたのです。

「妃にあなたを殺すよう命じられました、あなたの美しさに嫉妬してのことです・・・・」

 けれどここに間違いがあります。たぶんそれ以外の理由が思いつかなかったのでしょう。鏡のことにしても、私が二度と王宮に戻らないようにするために作り上げた、彼の必死の創作だったと思われます。


 母のもくろみはここまでは正解でした。けれどここから私が間違いを犯します。母の予定には、私が森の中でのたうち回るほどの苦しみを味わうことしかありませんでした。それなのに私は、ご存じの通り森の生活を楽しむことになったのです。


 あの七人の小人たちは、本当に素敵な人たちでした。お話では金やダイヤモンドを採る仕事となっていますが、いえいえどうして、彼らは実は、立派な森の盗賊たちです。常に森の深さを武器として、現われては逃れ、逃れては現われるそういう人々です。

 身の危険?・・・おもしろいことに、偶然にもそれはありませんでした。
時を別にすれば「女」はあの人たちの簡単な掠奪品です。
めったに会うこともない私のようなタイプの女(これでも上流階級です。ホホ)を前にして、全員が欲望を掻き立てられ、その挙げ句にだれも手を出せない、手を出せば果てしない仲間割れの火種になってしまうことは目に見えている、そんなところにすっぽりとはまり込んでしまった・・・・・・おそらくそんなことでしょう。
だれも手を出せない、だから大切にするしかない・・・そして訳もわからず、私はその位置を楽しんだのです。

 陽のあるうちは鳥や獣と戯れ、夜は夜で盗賊の宴につきあう、世間知らずの娘にとって、これほど楽しい経験はありません。けれどそれは母の完全な計算違いでした。

 母はそこで新たな行動を起こさねばならなくなりました。
老婆に化けてコルセットの紐をいっぱいに絞って私の呼吸を止めること、毒のついた櫛を髪につけること、そして最後には毒入りの林檎で私の息の根を止めること・・・しかしそのいずれにも、母は失敗していきます。

 夫との結婚の宴の日、
 ご存じの通り、母は真っ赤に焼けた金属の靴を履かされて、その熱さに踊り狂って死にました。カタカタと不気味な音を立てながら、母が舞踏の輪の中央に踊り出た時、私は周囲の人と同じようにその滑稽な姿を笑いました。自分を殺そうとした人が死んでいく姿を見るほど小気味いいものはありません。そして母が息絶えたとき、その虚ろな目のなかにすべてを発見したのです。

 あなた・・・・・・・?
その頃の私のどこに不備がありました? あなただから分かっていただけると信じて申し上げます。どの時代においても私ほど美しく、私ほど教養にあふれ、そして私ほど優しい18歳の娘はいなかったはずです、私はすべてを備えていました。この国にあって私ほど完璧な女はあとにも先にも私ひとりだけです。私だけが完全、私ほどすばらしい女はいなかった。私だけが完成された女。
 ただし普通の女としては・・・・

 それが全てです。私が普通の女であれば何の問題もなかったのです。
けれど言うまでもなく私は普通の女ではありませんでした。そこが悲劇です。

 私は王女です。時あれば女王となり、そうでなくとも王妃になるべく運命づけられたものです。このような立場のものとして、私の美徳はほとんど致命的な欠点、優しさや素直さは癒しがたい悪徳に他ならないのです。
母はそのことに気づいたのです。

 ダモクレスの剣をご存じ? そう、シチリアの王ダモクレスは彼の栄光を讃える大臣を玉座に座らせ、王であることの意味を知らせたというあの話です。玉座の上には、馬の尾に結ばれた剣が吊されていた、そのことによって王座のいかに危ういかを大臣に知らせた、というあの話です。

 王女の美徳の第一は、まず自らが生き続けること、続いて世継をつくること、端的に言ってそれは「王家を安泰に保持すること」です。それが全てといって差し支えありません。
聡明であることも美貌であることも、こうした事実の前には色褪せてきます。国家の安泰こそ、人民の幸福の基礎にほかなりません。

 なのに私はあまりにもうかつでした。人を疑うということへの無知、身を守ることに対する不熱心、自分の存在そのものが国民の幸福の元であることへのあまりの無関心・・・・。もうお分りですね。


 母は、最愛の実母さえも疑ってかかる強い精神を私に求めたのです。
それは明らかに教育のやり直しです。けれどそれはどうしても行なわなければならないことでした。
最愛の娘を生き延びさせるためには・・・そしてこの王国の平和と国民を守るためには。

 あのコルセットも櫛も林檎も、全てはまやかしです。毒入りの林檎を食べた私がなぜ蘇生したか、グリムはこれに関しては正確に書いています。

「ガラスの棺を動かそうとしたとき、喉につまった林檎が偶然吐き出され・・・」

 そうです、たとえ林檎をすべて食べたとしても、人の自然の解毒作用はあの程度の毒をはねかえすだけの力があったのです。毒は、林檎に含まれた毒は、ジクジクと私を仮死状態にしながら、決して殺すことはなかったのです。

「死ぬような目に会わせながら、決して死んではいけない」「母娘としてむかい合えば出す手も鈍る、だから十分な変装をしなければならない。しかしそうなると、今度は犯人が自分だと分からなくなってしまう」
 そんな複雑な問題に母はどれほど苦しんだことでしょう。 実のところ、母に殺されようとしていると感じたとき、私も苦しみました。けれどその程度の苦しみが、果たして苦しみといえますか? 何も知らずただ殺されようとしている私と、実の娘を再三再四殺そうとする母と、いったいどちらが本当に苦しんだことか・・・・

 結婚式の夜、夫の下臣に焼けた靴を用意した者は一人もおりません。思うに母は、自分で靴を作り、自分で焼けた靴に足を差し入れたのです。最後の瞬間、おそらく母は・・・・・・
母は気が触れていました。熱い靴に不気味な音を響かせながら、踊る母の目は私すらも見てはいません。ただ、一国の王妃が惨めな姿で滅びていく様子を最愛の娘に見せたかった、それだけのことです。

 踊りではありませんよ。虚ろな目を天井に向け、惨めな姿で踊りとも言えぬ踊りを続けた母・・・・あの方が望んだのは、母に対しても容赦なく与えられる猜疑心、そして身を守る術・・・・、母がやり残した教育の全て、それが今ここに成就したのです。


ああ、母上!!・・・・・・