「言葉の海 -Otto」開設の経緯


「言葉の海」第3巻掲載に際して、若干のトラブルがあった。その結果「言葉の海ーOtto」と題する付録をつけることとなった。以下、その経緯を記す。



「言葉の海」第3巻については12月中旬の発刊を予定していたが、その後ディープ・パープル女史のご主人から厳重な抗議を受けた。(抗議文を読む)
この件に関して女史に相談したところ、女史からは丁寧ながら極めて厳重な態度で、次のような要望を受けた。

@一旦公開したものについては、削除を許可しない。
Aすでに発送してある第3巻についても、すみやかにアップロードすることを望む。
Bオットーも言っているように、これはすぐれて家庭内の問題であるから、スーパーティーチャーズは心を痛める必要がない。

@についてはご夫妻の意見が一致しているので問題はないと思う。Bも両者の意見の一致が見られるため、「心を痛めない」ようにしよう(オットー氏の言う『人権意識』については会員内部でで相談する)。ただしAについては、今回の問題が家庭内で落ち着くまで、しばらく公開を見あわせることにした。したがって、第3巻の発刊は大幅に遅れる見込みである。ご了承願いたい。

(1999.12.12)



 その後、12月15日付けでディープ・パープル女史より書面での連絡を受けた。(ディープ・パープル女史の手紙を読む)
 問題はさほど進展していないように見える。                 
 したがってスーパーティーチャーズの見解にも変わりはない。                   

(1999.12.16)




12月17日、ディープ・パープル女史より電話をいただき、万事解決したという報告を受けた。その際、Otto D.P.氏の不興の理由もうけたまわったが、それはスーパーティーチャーズの予想をはるかに越えたものだった。

「自分も出してもらいたい」のだそうである。

驚くべき展開に、急いで電話を代わってもらったが、本人の口からも同じ内容が語られた。まことに信念のない話である。
また、このときOtto氏は話の脈絡をはずれてしきりに空腹を訴えていたが、どういうことであろう?

そこでSTとしては協議の上、Otto氏の申し出を受け、彼のために1ページを割くことにしてその旨連絡した。

かくして「言葉の海」第3巻はようやく発刊の運びとなった。

さらに当方がシブシブ承諾したOtto氏の原稿も、あっという間に届いてしまった。どうやら、すでに原稿の用意までしてしあったようである。これにもあきれた。

なお、ここに掲載した一連の経過は、しばらくこのまま放置する。この点についてもOtto氏の許可を取ってある。
本人の弁
「それが条件ならしかたないでしょう」
これも、まことに信念に欠けるセリフではあった。

(1999.12.19)