画一化教育
子どもたちをみんな同じように育てようとする教育。
今日までの学校教育の方法全般に対して、非難の意味を込めてそう呼ぶ。ただし、次の2点については問題にしない約束になっている。
①みながキラキラと目を輝かせながら授業に取り組むという画一性
②みんなが同じものを食わせられるという給食の画一性
「みんながキラキラと目を輝かせながら取り組む場」が授業だと「すばらしい」と語り、それが新興宗教の道場の場合は「気味が悪い」と論評する、それが進歩的。
また、給食については10年ほど前、埼玉県の某地方公共団体が給食廃止を決めたところ狂乱めいた反対運動が起こり、翻弄された町長は結局死に追い込まれた。
この際、画一化反対の人々が、大挙して町長援護に駆けつけるかと思ったら,
誰も行かなかった。
この言葉が死語化したと考える根拠は次の通りである。
①基本的マナー・ルールなどが破壊され、みんなが「おはよう」と言い合ったり、きちんと座って食べるといった「型に嵌った」子どもたち少なくなった。
②「きちんと座って先生の話を聞こう」といった画一化された姿が、小学校の低学年からも消えつつある。
③中高生に至っては、みんなが勉強するといった画一性からも自由になりつつある。
こうした状況をマスメディアや評論家諸氏が喜びをもって報道しないのは不思議である。