雑草のようにたくましい子


「踏まれても踏まれても立ちあがる雑草のようにたくましい子」という使い方をし、子どもの理想的な姿として捉えられた。
ずいぶん歴史のある言葉だと思うが、意味は現代の「生きる力」と、ほぼ同じである。

「たくましい子」を雑草に喩えた原作者は、おそらく農業体験がなかったに違いない。
一度でも農業に手を染めた人間なら、子どもが「雑草のように」育つことを願うはずはないからだ。

しかし子どもたちは「雑草のように」育ってしまった。

やたら強い、役に立たない、はびこる。

したがってもうだれも理想としない。