学力問題

1995年ごろには過激な受験戦争、塾通いを中心課題とする児童の学習過剰が大問題だったのに、新指導要領が発表されるや否や噴出した、「日本人の学力は大丈夫なのか」という大問題。

「子どもたちが勉強で殺される」「塾を三つも四つも掛け持ちし、深夜まで締め付けられるかわいそうな子たち」と叫び「もうこれ以上の勉強はいらない」「勉強だけが人生ではない」と訴え続けたマスコミが、指導要領発表とともに手のひらを返して世論を誘導した。


そもそも子どもたちの学力は下がっているのか、といったところから議論は始まるが、私たちの結論は最初から一致している。
子どもたちの学力はここ10年ほど、まったく下がっていない。
塾通いで有名だった都会の一部の子を除くと、すでに90年代初頭には下がりようのないほどに下がってしまっていたからである。



しかし誘導されたにしても、全国の保護者が学力問題を心配し、「この学校は大丈夫でしょうか」と詰め寄るようになったのはどうしたことか?
日本の子どもたちが必死に学習した時代にトップに立つのは容易なことではないが、全国の子どもたちが学力を下げるとなるとわずかな努力でもトップが見えてくるというのに。

本来、日本の子どもたちの学力を心配するのは天下国家を心配する財界人や政治家の仕事であった。しかし、わが子がトップに立てるかもしれない千載一遇のチャンスを捨ててまでも日本全体の学力をあげて欲しいと親たちが願うようになった、そういう意味ではすばらしい事件である

政治の季節と呼ばれた1960年、1970年前後の安保闘争は学生の主導したが、さすが21世紀である。いまや一般の保護者たちが天下を憂えるようになった(とマスコミは言っている)。