シンディー
   ・ワーク

《小学校教師の4月》

入学式

学校にとって卒業式に続く2番目に重要な行事。
けれど卒業式に比べるとずっと簡略に進められる。

式次第はどこの学校も大体同じで、次のような順序で進められる。

  1. 新入生入場
  2. 開式の言葉
  3. 教育委員会代表の言葉
  4. 校長先生のお話
  5. 来賓の方の挨拶
  6. 祝電披露
  7. 児童代表歓迎の言葉
  8. 担任発表
  9. 歌「一年生になったら」
  10. 校歌斉唱
  11. 閉式の言葉
  12. 1年生退場

今年は予定が10分遅れた。
理由は新入生の遅刻と整列の遅れ。

年配の先生に言わせると「信じられナ〜ィ〜」である。
入学式への遅刻など昔は聞いたことがなかったそうだ。けれど最近は少しずつ増えてきて、そして今年は飛び抜けて多い、とのこと。
・・・先が思いやられる。

整列の方は・・・というと新一年生の整列が手間取ることは折込済みだったが、保護者の遅れがそこまでひどいのは計算外だった。
とにかく動こうとしない、おしゃべりに忙しくて話を聞いていない、何とかなるさとタカをくくっている。
おかげで体育館の児童たちは馬鹿みたいに立ったまま、ひたすら無言を強いられていた。




担任発表

新一年生の担任は私も含めて3人。
そのうちの一人は3月に6年生を卒業させての新1年なのだが、学年主任もやっていただくこの方の名が学級担任として呼ばれると、保護者席から歓声とともに拍手が起こった。不躾な親たちだ。

新しく転任して来られたもう一人の担任はもちろん、私の名が呼ばれても歓声も拍手もない。
私はキレた・・・。

ため息や不満の声がなかったからまだマシともいえるが、子どもたちはどう見たのだろうか? 家に帰って「1組(学年主任のクラス)はいいわねェ」などといった会話がなされた時、子どもたちは何を感じるだろうか・・・、そんなことが頭の隅をよぎった。

そして頭の「隅ではないところ」では、
「オッシ! いい根性してるじゃネーか! 鍛えてやるゼィ!」
と感じていた。




始まり始まり

一年生の一学期はとにかく躾のシーズン。
授業中、言いたいことがあれば肘を伸ばして「ハイ」と言いながら手を挙げる。
指名されたら「ハイ」と言って席を立ち、椅子を机の中に入れてすくっと立つ。そして発言。
他の子は、誰かが発言している間はしゃべってはいけません。

机の4本の足の中にあなたの二本の足をいつも入れておくようにしなさい。
授業中、机に突っ伏してはいけません。
横を向いていてはいけません。
椅子の上で正座するのは止めましょう。
ましてや両足を机の上に乗せて授業を受けるのは止めてください。

先生の指示があるまで、席を立ってはいけません。
欲しいものがあってランドセルのところに取りに行く時も、窓の外に珍しいものを見つけた時も、必ず先生に言ってからにしましょう。

行きたい時に自由にトイレに行ってはいけません。
トイレは休み時間に済ませておくもので、心配な子は行きたくなくても休み時間に行っておきなさい。

2時間目の休み時間の終了は校内放送で知らせるから、2年生以上のお兄さんお姉さんと同じようにダッシュで帰ってきなさい。
チャイムが鳴る前に手洗いとうがいをするのですよ。

・ ・・・・・・とにかく思いついたことは何でも言っておかないと禍根を残す。

こうしたことを管理主義として親の敵のように憎む「専門家」たちは、「そうしたことは上から教えるのではなく、生活の中で徐々にわからせて行くものです」などとのたまうが、学級が崩壊したような状態からどうやって「徐々に分からせていく」かは永遠のなぞだ。

「ホラね、授業中にこんなふうに立ち歩たたり騒いだりする子がいるとみんな困るでしょ?」
などと言っても馬の耳に念仏。

第一、立ち歩いている子や騒いでいる子は少しも困っていないし、おとなしくしている子の最大の問題は「私たちばかりがおとなしくしていなければならない」という極めて不公平な状態そのものなのである。

学級が崩壊して困るのは担任だけなのだ。





かわいそうな子どもたち@

最初の一週間が終わるとさすがに子どもたちの付け焼刃も剥げてきて地が見え始める。
一方でじっと穏やかに席に座り、教師の指示を待てる子がいると思うと、他方に一分と持たず動き始める子もいる。
義務教育だけでもこの先九年もあるというのに、そのスタートでこれだけ差があるんじゃどうしようもない。

もちろん心の問題もあるのだろう。
しかし実際にはじっとしている習慣がない子の方が多い。
人の話は黙って聞くものだという躾けも受けていない。
他人の話に割り込んではいけないと言われたこともない。

小学校に上がって教室でじっとしていられなかったら、先生に叱られてこの子がかわいそうだ、そういった発想は親にはなかったのだろうか?(多分なかったのだろう)


好き嫌いが多くて、給食がほとんど食べられない子も多い。
給食を強制すると不登校で対抗されるので慎重にしたいところだが、「野菜は全部ダメ」となると黙っているわけには行かなくなる。
他にも野菜嫌いの子はいくらでもいるのだから、その子の野菜嫌いを認めてしまうと、すべての子が野菜を捨てるのを黙認しなくてはいけなくなる。
*「どうして学校はそんなに画一的なんだ。野菜嫌いはその子の個性として認めてあげればいいじゃないか」なんて、私たちに言わないでね。
子どもに言ってちょうだい。
アレルギーなど特別な理由がない限り
「あの子はいいけどあなたはいけない」は
子どもに言わせると「エコヒイキ」、
マスコミに言わせると人権侵害なんだから・・・


一人に認めればみんなに認めなくてはいけない。そして全員が片っ端残すようなら、学校給食は親の要望に応えられなくなる。
お母さんたちは言う。
「家ではバランスの取れた食事を十分に、なんてわけには行かないから、せめて学校給食くらいきちんと食べさせてください!」
小学校に上がって給食が食べられなかったら、この子がかわいそうだ、そういった発想は親にはなかったのだろうか?
(さっきも似たようなことを書いたが、多分なかったのだろう)


そして思った通り、入学10日目で早くも「学校に行きたくない」という子が出た。
そりゃあそうだろう。
毎日何時間もじっと座っていなければならない、好きなときにおしゃべりをしてはいけない、何もしていない人を蹴ったら怒られた、嫌いなものでも食べなければいけない・・・。朝から晩まで(正確に言えば、今のところ朝から昼まで)ダメダメづくしではかなわないのだ。