シンディー ・ワーク 《小学校教師の6月》 |
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各種週間 |
給食週間 |
@身支度をしっかり
クラスの子全員が給食着を着たまま食べる給食。始めてみた人には異様な光景と映るかもしれない。
昔これに対して
「どこの家庭に給食着を着てご飯を食べるところがあります?」
と噛み付いた人がいたらしいが、担任が優秀な人だったらしく、
「どこの家庭に30数人の6歳児が一斉に食事するところがあります?」
と反撃して事なきを得たという話を聞いたことがある(何となく作り話の匂いはするが)。
給食着を気ながらの食事は奇異ではあるが、これでないと1・2年生の場合、週に一度は午後の授業を裸ン坊で受ける子どもが出てくる。それくらいよくこぼすのである。
給食週間で強く訴えることの一つはこの身支度。
マスクをきちんとすること、髪がしっかり入るように帽子をかぶりなさい、エプロンはいつも清潔なものを・・・まったく煩い限りだがさっぱり全員が揃うというわけにはいかない。
A好き嫌いなく食べましょう
これについては4月に書いた。けれど早くも私の方が根負けしそう。とにかく食べないとなると絶対に食べない。生まれながら頑張って食べるという習慣のない子は絶対に食べられないのだ。
給食の強制は馬鹿げたことだという。人権侵害だともいう。しかし私は2o角に切り取られたニンジンの一欠けらを口に入れてくれたらそれでいいと思っている。その程度の頑張りのできない子でどうするという気持ちもある。しかしなかなか受け入れてもらえない考えでもあるらしい。
B手をしっかり洗いましょう
驚くべきことだが、これだけはできるという子は少なくない。
手が汚いということについては、どこの家庭もほぼ等並に神経質になれるらしい。少し心配なくらいしつこく洗っている子がいる。
石鹸を異常なくらいたくさんつけて、いつまでも洗っている子がいる。
水泳開始 |
いよいよプール開き。
けれど梅雨の真っ最中なので開いたはいいものの、すぐにプールに入るわけには行かない。
それに一年生の場合、プールに入るまでの手順を覚えるだけでも大変なのだ。
さすがに水着の着れない子はいない。しかし後ろ前や裏返しはしょっちゅうなのである。
「さあ二人ずつ手をつないで。これをバディと言います」
「手をつなぐことは、バディ」
「違います。手をつないだ二人組みのことをバディというのです」
「ナイス、バディ」
「それも違います(私はそうだけど)。でも説明はしません。時間がありませんから」
「その、手をつないだ相手とは絶対に離れてはいけませんよ」
「先生、質問があります」
「ハイどうぞ」
「泳いでいるときもずっと手をつないでいるのですか?」
「よい質問です(ナ、ワキャネーダロ)。泳いでいる最中は手を離します」
「ハイ」
「ハイなんですか?」
「バディの人がおぼれちゃって沈んじゃったらどうすればいいんですか?」
「よい質問です。とりあえず先生に言いなさい」
「先生に言っても聞こえなかったらどうすればいいんですか?」
「大声で言いなさい」
「それでも聞こえなかったらどうするんですか?」
「もっと大きな声で叫びます。それでも聞こえなかったら
もっと
もっと
もっと
も〜〜〜〜〜〜っと
大きな声で叫べばいいのです。分かりましたか?」
子どもというものはどうしてこういった形の仮説が好きなのだろう?
子どもの「もし〜」に真面目に付き合っていくとラチが開かない。