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懇談会 |
3年生の担任にとっては正念場。膨大な資料をもとに(その大半は見せず)、高校を決定して行く。
絶対無理だと言うことも絶対に安全だということができないこの世界。
要は担任の言葉ひとつということである。
言いかたを誤るとほとんど確実な子も避けてしまい、可能性は限りなくゼロに近い子たちが決死隊を組織してしまう。
昔、観光地に行くと
「必勝」とか「特攻」とかいった鉢巻が売られていたが、大量に買いこんで黙ってアレを渡すのはどうかといった話が、半ば本気で出まわるのもこの頃である。
そこに行くと1・2年生の担任は気楽なもの。2年生くらいだと話す内容に困る生徒もいたりする。
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通知票を書く |
懇談会の時期までに通知票を書き上げ、それをもとに話ができればベストなのだがそうはいかない。
特に美術や技術家庭科などは時数が少ないためなかなか作品が完成せず、教科担任がぎりぎりまで評定を出すのをいやがるからだ。
したがって、本当に極限の技となる。
絶対評価については7月に書いたので、ここでは通知票の形式について書く。
中学校の通知票は、私の知る限り3つの形式がある。
- 1枚集約型形式
- 1枚たらい回し型形式
- カード形式
1の「1枚集約型形式」は各教科担任が書いた通知票の評定と所見を担任がすべて引き写す方式なのだが、必然的に教員の不公平感を誘う。
なにしろ担任を持たない教師は自分の教科の評定を終えると清々した顔をしていられるのに、教科担任としての評定を書き終えたばかりの担任持ち教師たちは、そこから地獄が始まるのだから。
2の「1枚たらい回し形式」は1枚の通知票を、期限を定めてたらい回しにする方法で、これだと学級担任の負担は減る。しかしたいていの場合、日数は平等に振り分けられるので、これが一部の教科担任にとっては不公平となる。
技術家庭科や美術・音楽といった時数の少ない教科担任はその分担任するクラス数(=生徒数)が多く、場合によっては250人分以上を2日で書き上げるという荒業を果たさなければならない場合があるのだ。
昨年、学校帰りに300人分の通知票を盗まれた家庭科の教師がいたが、彼女がそれを持ちかえらなければならなかった事情はそういうところにある。きっと徹夜仕事を覚悟していたのだろう。
3の形式を私は1番気に入っている。今勤めている学校がこの方式で、だからなかなか転勤を希望しない、実はそういう事情もあるのだ。
これはすべての教科と学級担任所見が別々のカードになっており、終業式の前日、担任がカードを集めてリングで留めることになっている。
長所は、とにかく終業式前日に間に合わせれば誰も文句は言わないこと。そして(人によては)とにかく所見欄がたっぷりあるから、点数を悪くつけた生徒のフォローがしやすいということもある。
短所は・・・・・・、あまりないと思うが、とにかく見栄えが悪い。
袋詰めの通知票など何となくありがたみが薄い、そう考える人もいるということだ。
しかしホント。「通知票」があって幸せな人がどれくらいいるのだろう?
毎回そう思いながら書いている。
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さてと終業式 |
終業式の朝はたいていの職員がボーとした顔をしている。学級持ちの教師の大半が朝方まで通知票を書いていたからだ。
終業式はどこの学校も、
- 開式の辞
- 学年の発表(それぞれの学年の代表者が作文を読む。この指導も結構大変)
- 校長先生のお話
- 校歌斉唱(または合唱)
- 閉式の辞
で終わりだから都合30分くらいで簡単に終わってしまう。
清掃を終え、通知票をもらうと、生徒は脱兎のごとく学校をあとにする。
職員の方はそれから残務を整理し、夕方からの忘年会に備えるというわけである。自家用車を家に置きに行かなくてはいけないからね。
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忘年会 |
教師というのはどこまでいっても教師だ。
飲んだときぐらいスケベな話でもしていればいいのに、何時間たっても生徒の話を続けている。
世間が狭いと言えばそれまでだが、なかなか奇特な人々なのだ。
年末になると連日学年会を召集し、何やら難しい話をしているかと思ったら実は忘年会の準備だった・・・・・・・十年ほど前まではそういうこともあったが、今は少なくなった。
教師は泥酔しても教師だ、特に校長は30m以上まっすぐ歩ける状態で帰宅すること、といったアホなお達しが出まわる時代、そんな悠長なことはしていられない。もう数年もすると、忘年会自体がなくなってしまうのかもしれない。
忘年会の呼び物と言えば学年の出し物、プレゼント抽選、ゲームコーナーと盛りだくさんだった昔が懐かしい気もする。
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そして冬休み |