キースの お仕事 《中学校教師の5月》 |
ゴールデンウィーク |
ゴールデンウィークというのは私たちにとって特別の意味を持つ。
ここまでがひと勝負なのだ。
学校基本調査などの報告は多くが5月1日の状況を記入し提出することになっている。
したがってこの日に向けて多くの書類が調えられる。
4月以来、私たちが作った書類一式は以下の通り。
ざっと思いついただけでもこれだけある。
その他、一年生の担任は健康診断表、歯牙検査表、指導要録の作成などが加わり、部活希望調査とその調整も行わなくてはならない。
それが新任や転任してきたばかり教員であれば、通勤調査やら各種研究会参加調査、家族調査やらが加わる。
5月になっても続き、学級目標の掲示、学級経営案の作成、教育センターへの研修受講申し込み書・・・と果てしなく続くのだが、とりあえずゴールデンウィーク明けの締め切りに間に合わせる書類さえ整えば、ふっと息がつけるのである。
部活本格スタート |
短くて長い部活のロングレースが始まる。
6月に行われる地区予選に向けて、練習試合を重ねながらシード校を決定していくのだ。
バスケットボールやバレーボールのように一日に何試合も消化できるものはよいが、野球・サッカーとなると一日に行える試合数はせいぜいが二つ。そのため必然的に日数が増えていく。
バスケ・バレーなら3日でできる総当りが、延々と続くのである。
部活と言うものに対する考え方は教師仲間でも様々である。
ある教師は
「部活でしか救われていない子はたくさんいる。彼らはそこでしか活躍できない。けれどそこで活躍できることが彼を輝かせている」
と言い、別のある教師は、
「それは本末転倒だ。部活に当てる時間を教材研究にあて、教師は授業の中でこそ生徒を輝かせてやるべきだ」
という。しかし先の教師は、
「部活をなくして浮いた時間を、教師は本当に教材研究に当てるのだろうか?」
と、(当たっているだけに)ミもフタもないことを言い出す。
こうした議論はいくらでも続きが書けるのだが、書いたところであまり意味はなさそうなのでこのへんにしておく。
さて、私はと言えば、基本的に部活は社会体育か民間の事業に任せるべきだと思っている。
日本の水泳はスイミングスクールの興隆があって初めて実力を高めた。
これからは新体操も有望株だ。
サッカーだって野球だって、子どもたちに暇さえできればすぐにでもビジネスの枠の中に入ってくるだろう。
親は子どもに期待を寄せる。
そこまでの子でなくても、とりあえず家でウロウロしているのは困るから野球教室やサッカー教室へ入れてしまおう、そういうことはいかにもありそうなことである。
一方、今のまま中学校の部活に任せていたら、よほど運の良い子でない限りその実力を伸ばすことはできない。
何しろ部活顧問の大半はその種目のド素人なのだ。
私がはじめて教師になったとき持たされたのは水泳部だった。
指導法など何も分からないので本当に困ったが、その私を同期の体操部顧問が羨ましがった。
「キースはいいよな。まさか水泳部員がプールで溺れ死ぬことはないだろう。だけど体操は死ぬよ。ろくに筋肉のないヤツが大車輪やりたがるんだから・・・」
だそうである。
他に発表の機会がないのでということで体育祭のエキジビションとして体操部の演技を見る機会が設けられた。そこでグランドに集まった1000人近い観衆が一斉に息を呑む場面があった。
女子の平均台である。
格好のいいレオタードで現れた3年生が、あの細い平均台の上で、180度回転して見せたのだ。
上下ではない。180度くるっと回って後ろ向きになった、ただそれだけである。
聞くところによるとそれすらも素人にはできないすごい技なのだそうだが、テレビでオリンピックなどを見慣れた目には人をオチョクッた演技としか思えないものだった。
観衆の目が一斉にテンになり、遠くから見ると点線になって繋がった・・・。
(対戦校がないので)地区予選なしの一発県大会だが、もちろん勝負できるレベルではない。
県大会から帰ってきた友人がボヤく。
「何もかも、特に平行棒が段違い・・・」
ナルホド。
参観日 |
私の勤務校の参観日はすべて全日フリー参観だ。
つまり朝から夕方までいつ来てもいいということになっている。
これも学校開放事業の一環だが、若い教師の中には相当なストレスを感じる者もいるらしい。
私はと言えば「教壇はステージだ」くらいにしか思っていないので、観衆は多ければ多いほど燃える。
若い頃、100人を越える参観者の中で研究授業を行ったことがあるが、今この年齢でもう一度やってもいいという気持ちさえある。
今回のフリー参観で話題になったのは、生徒と一緒に登校してくる親がいたこと。
昔は祖父母参観日となると朝からじっと床に座っているお婆ちゃんなんかがいて、そういう人が来ると妙にうれしく、わざわざ椅子を運んできて座りなおしていただいたりもした。
(ホントの参観授業は午後だけど、バアちゃんはいいからね、ゆっくりしていきなよ)。
しかしいくらフリー参観だからといって、7時半からの参観というのもすさまじい。学校批判のネタ探しにでも来たのかと疑いの目で見たくもなるのだが、これがけっこう楽しんでいる様子。息子の姿がうれしくてしょうがないといった印象なのだ。
しかし私が呆れるのは、そうした母親がいることではない。
そうした母親がべったりとくっついているのに、サッパリ迷惑とも思わず、嬉々として活動している息子がいるということである。
オイ、オイ、一年生とはいえ、一応中学生ダロ、ちったあ迷惑そうな顔しないと、友だちにバカにされんか?
しかし彼は嬉々として一日を過ごす。それこそ精神の危機だ。