キースの
   お仕事

《中学校教師の6月》


市内大会壮行会

部活はいよいよ市内大会に入る。
ここを勝ち抜くと県内を5ブロックに分けた地区大会への出場が決まり、さらにそこを勝ち抜いて県大会、次が九州・四国といった地方大会、最後が全国大会という運びになる。

しかし部活の顧問である普通の学校の普通の教師は、全国大会はおろか地方大会ですら見たこともないという者ばかりなので、とにかく地区大会出場くらいが目標となる。
しかしそれが驚くほど大変なのだ。


私は若い頃、女子バレー部の顧問をやっていたが(水泳部は3年で辞めた)、私が顧問になりたての頃はまったくどうしようもないほど弱いチームだった。
試合に出かけても15対3だの15対2などと、1セットも取れないまま敗退してしまう。

0点ならかわいそうだが、2〜3点も取れればいいじゃないか、などと言ってはいけない。
野球ではないのだ。
バレーボールの場合、相手が相手なら保育園児を6人入れたってそのくらいは取れるものなのである(相手の自滅)。
つまり2〜3点しか取れないということは、試合中ほとんどなぶり者状態になっているということだ。

手も足も出ない。表現としてではなく、ボールが自分の方に飛んでくるのに、本当に手も足も出ない。
ただボールが床に突き刺さるのを見ているに過ぎない。

同じ中学三年生、
内容に濃い薄いはあっても、あるいは流した汗や涙の量に差があるにしても、
同じ中学3年生なのにこんな惨めな思いをしている。

私は、それではいけないと思った。
そして少なくとも市内については、どことあたっても8点は取れるチームにだけはしておこうと誓った。
ところが、これが大変な目標だったのだ。


市内の優勝校からも8点以上もぎ取れるチームは、少なくともベスト4に入っていなければならないそのくらいの実力がないと、風向きが悪いときには4〜5点取っただけであっという間に勝ちを持っていかれてしまう、それが中学校のバレーなのだ。

結局、私は鬼のコーチと化して10年間夢中になってバレーボールの道を突き進んだ(その頃の私は、きっと中山仁のように格好よかったに違いない)。


そして突然辞めた。
そこそこ強くなって県レベルにも知り合いが多くなると、地区大会・全国大会といったものが何であるのか、ようやく見えてきたからである。
私はそれについていけなかった。

「まずね、女の子は基礎体力づくりの中で生理を止めなくちゃいけない。女の子が女の子である間は絶対に勝てない。生理を止めて女の子を男の子の体に戻したところから、初めて県大会以上が見えてくる」

しかし幸いにしてキミたちはそこまでのレベルにない、と私は壮行会壇上の生徒を見ながら思う。マア、精一杯やって楽しんでくることだ。




読書週間

フレデリック・G・高岡は言う。
「社会科なんて何も分からなくていい。
源義経と織田信長と西郷隆盛が手を繋いでくるような頭の持ち主でもいい。

小学校はとにかく本の読める子さえよこしてくれれば、あとは何とでもしてやる」


私は数学だから「本が読める」だけでは困るが、実に一理あるところと思う。

子どもの学力の衰えはまさに国語力の衰えを中心に進行してきた。かつての同僚の一人は国語と社会科の両方を教えていたが、国語はまだしも社会科の教科書の読めないことには本当にあきれると嘆いていた。社会科の教科書は国語の教科書と異なり、表現や内容に国語的注意が払われていないのである。理科も然り、数学だって同じようなものである。

学校は文字文化の牙城である.
情報は文字のかたちでインプットされ、文字のかたちで吐き出される。
世の中には聞き取りに優れた子もおしゃべりに才能ある子もたくさんいるが、彼らの能力はさほど重要視されない。とにかく文字の読める子書ける子が圧倒的なのである。
そこで教師は読書指導に奔走する。


ところでここ数年、中学校を取り巻く読書環境は急激に変化している。
かつてのように本の紹介、読書感想と言った高尚な学習に、音読・読み聞かせといった小学校低学年並みの活動が入り込んで来たのである。
これは一つには生徒の読解力の低下が理由であるが、より重要な要因として、リズムとしての国語の修行というものが見直されてきたことにもよる。
とにかく大量のよき日本語を耳から入れなければ子どもの表現力は高まらない、と考えたのである。

かくして中学生にも読み聞かせを行う時代が来た。
その年齢にふさわしいものとなるとかなりの長編になってしまうこともあるのだが、キース・T・沢木の七色の声の朗読が、遠慮会釈なく校内に響くことになるのだ。




職場体験(2年生)


たった一日ではあるが実際の職場に入れてもらい仕事の楽しさ大変さを味わってもらおうという試みはここ10年ほどブームである。

昔は単なる見学だけだったが、工場の生産ラインに一日座っている先輩の姿を眺めて来るとそれだけですっかり働く意欲を失ってしまい「今を楽しまなくちゃ損だ」といった妙な学習をしてしまう子が増えたために、教師サイドも知恵を絞った。
それが職場体験である。

確かに緒に働いてみると働くこと自体の面白さ、人間関係の面白さが分かって良かったといった感想を持つ者も多く、まずは一定の成果を挙げているといって良い。
しかしそのセッティングは容易ではない。

何しろこちらにはあらゆる職場で1日も持ちそうにない子がウジャウジャいるのだ。
これが面接試験なら3秒で退場願うような子を、一日お子守りしてくれというのだから、ある意味ずうずうしいお願いでもある。
絶対に刃物なんか持たせたくない子が調理場に希望したり、

第3セクターのケーブルビジョンにあわよくばタレントとしてスカウトしてもらおうといったお門違いの願いを持って希望する子がいたり、

うっかりすると去年万引きで謝りに行ったはずの店に希望を出しているといったトボケた子
もいる

ので油断ができない。

それでも経営者からすれば企業人として背負うべき社会活動の意味もあるし、運良くいい子にめぐり合えば青田買いの候補にもできる。悪くても顧客名簿に2〜3人載せられるという思惑もあるのだろう(そこまではないのかもしれない、申し訳ない)、仕事に差し支えない限り、快く引き受けてくれるところも多い。

さて今年だが、昨年の担当者ががんばってくれたこともあり、相当にうまくことは運んだ。
今年の担当である私としても良い仕事ができたと思う。
何しろ日ごろから教師にタテばかりついてまっとうな生き方をしないヤツを、うまく騙してデイサービスセンターに送り込むことに成功したからだ。
ちったあ人生を考えてきてほしいものだ。