キースの お仕事 《中学校教師の8月》 |
夏休みは休みじゃない |
会議が3件。
無論そのための資料作りがあった。
学校にはエアコンがないので自宅研修でしのごうと思ったら、学校でできる仕事を自宅研修に当ててはいけない(自宅で仕事をしなければならない説明が必要)とのこと。面倒なので年休をとって資料作りを行った。
休みを取って仕事をするというのも気分のいいものではない。
しかし夏休みが夏休みでない最大の原因は部活である。
私はもはや正顧問にしてもらえないような老いぼれであるが、それでも副顧問の位置には名を連ねており、まったく知らん顔もできない。
さらに今年の場合は厄介な事情があり、積極的に出ないわけにはいかないのだ。
事情とはこういうことである。
学校五日制に伴い、土曜日の練習は完全にできなくなった。そのことに不安をもった保護者が独自に活動し、コーチを見つけた上で地域のクラブチームを立ち上げた。ここまではいろいろ言うことではない。これによって日曜日の部活もなくなって顧問の教員は大いに楽になる筈だからである。
だが、それがそうではなかったのである。
何しろ参加メンバーは学校の部活とまったく一緒なのだ。そのため生徒たちは(私たちも)部活と社会体育のクラブチームの区別がつかず、しょっちゅう顧問の所に質問に来る。
初めのうちはその度に保護者を通してコーチに連絡を取っていたのだがそれがいかにも面倒で、様々な試行錯誤の結果出された結論は、
顧問教員も土日の練習にも参加する
である。
何のことはない、学校五日制のおかげで、顧問の勤務日数は週7日になってしまったのだ。
社会体育だから結局、それが夏休みにも援用される。
学校の決まりにより、部活は夏休み中14日間に制限。
社会体育のチームの練習は15日。で合わせて29日間。すさまじい日数である。さらに社会体育のコーチは民間人なので練習日は土日と夜だけに限られる。
これではあまりにも顧問が気の毒だ。そこで社会体育の分はこちらがやりましょうということにして、私が出ることになったのである。
なんともはや・・・・・・・
各種研修 |
かつては自宅研修制度をつかって夏休みの殆どを家で過ごしていたが、自宅研修制度そのものが問題となってからは、夏休みも毎日出勤することが義務づけられるようになった。
自宅研修制度がなくなったわけではないが、面倒な計画書と事後は報告書を書かねばならなくなったので取るのをやめた。書くのに半日もかかってしまいそうなので、大変なのだ。面倒な報告書を出せというのは、研修制度を利用するなというのと同じである。
ならば年休ということで、校長も職員が未消化の年休をとることに積極的なのだが、「年休中」の看板を掲げるわけにも行かず、家にいれば何を言われるか分からないので(センセ―っていいわね、自宅研修なんて言いながら庭仕事してるんだから)、結局みんな学校にきてしまう。
学校に来た上で教室掃除をしたり、気の長い教材研究をしたりしている。
休み前に教頭から相談があって、
「なんかやらないとカッコウがつかないから研修、考えてよ」
というからコンピュータの講座を三つほど設けて若い職員に講師をやってもらったが、それで潰せる時間は知れたものである。
「パン作りの講習はどうでしょう」という提案もあって、ほとんど正気とも思わないでいたら教頭が真に受けて(というよりはアイデア不足で)、本当にやることになってしまった。
他に「草木染め講座」やら「しめ縄作り講座」(8月だぞ! オイ、コラ!)「お料理講座」・・・・・・
総合的な学習が始まってから、中学校にもこういうものが大量に流れ込んでくるようになった。
「構成的エンカウンター」の講座ではこの歳でフルーツバスケットをやらされて、泣いた(私の歳で、教員以外でこの遊びを知っている人が何人いるだろう?)。
おまけに教員の私的な研究機関(と言っても全県で会員は500人もいるごく真面目な研究組織)「数学研究会」の地区研修会は、伝統に則って夏休み中の土日に行うとか。
こういうものこそ自宅研修にすればよいのに、そういうわけにはいかないのだ。
かくして教員は夏休み中の土日にも働く、普通以上の人になってしまった(休みについては)。
ああ!
夜泳ぐ人@ |
三日前のことだ。
登校すると若い体育科主任が済まなそうに私に近寄ってきて、
「済みません。先生が一昨年卒業させた生徒たちのことなんですが・・」
こういう時はろくなことがない。
私が2年前に卒業させた学年のメンバーのうち、地域のナイターサッカーに参加している高校生たちが夜の学校に来て、プールでひとしきり泳いで帰った。サッカーの練習の汗を流しに来たらしい。
たまたま忘れ物を取りに来た体育科主任が発見し一応注意したが、ちゃんと水着を持ってきており、確信犯というよりは常習犯の臭いがする。明後日も練習があるはずだから先生からも一言お願いします、と。
もういい加減にしてくれ、と私は思った。
2年前のサッカー部の連中といえば、本校始まって以来のワル(と言ってもたいしたことはない)で、3年間ウンザリするほどつき合わされた子たちなのだ。
卒業したあとまで面倒を見たくない。
しかし、アフターサービスもしくはアフターメンテナンスはまったくしない、というのも言いにくい。
そこで昨夜は晩酌もせず、湯上りの体に汗をかきながら、ナイターサッカーが行われている市営グランドに行き、彼らの練習試合が終わるのを待って、全員に喝を入れたのだった。
その2時間あまり後・・・。
夜泳ぐ人A |
今度は教頭から連絡が入った。
「今、A先生から電話があって、プールで誰か騒いでいるらしい。オレは今実家(遠隔地)ですぐにいけないから、キース先生、A先生と一緒に様子を見てきてほしい」
・・・・・・私はキレた。
まさかとは思ったが、2時間半前に指導したアイツらだったら絶対に許さんと、米噛みに青筋が立った。
その様子に妻がすぐに反応する。
私はすでに酒を飲んでいたの運転はできない。
妻はそう判断してパジャマの上に薄いサマーカーデガンを羽織っただけで車に走り、エンジンをかけた。そうしないと私が自分で運転していってしまうと思ったらしい。
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学校のプールは門へ向かう坂の途中にある。
すぐ近くで車を止めて逃げられてもいけないと思い、少し行き過ぎたところで車を降り、私は坂の中腹からプールサイドへ滑り降りた。
(後で調べると私は一番高いところから降りてしまっていた。そしてその瞬間、サンダルの片方を暗闇の中に見失っていた)
その時になって私は、眼鏡まで忘れてきてしまっていたことに気がついた。
よく見えないので、慎重にあたりを見回し声を頼りに、ヒタヒタと音を忍ばせて近づくと、人影は4人。
男女それぞれ二人ずつ。
そこまで慎重にやっておいてから、やおら叫んだ。
「テメーら、どうーいうつもりよ。学校のプールだぞここは〜!」
と、ここまでは覚えている。しかし酒は飲んでいる頭は切れている、で途中の経過は分からない。
とにかく、「セ、センセーですか」と怯えた声で反応する男の子がいたのでそれを血祭りに上げることにした。
相手は立ちもせず不自然に座ったままこちらを見上げている。缶ビールの缶とワインか何かの酒瓶。
「あたぼうよ(コレ、私の地方では絶対に使わない言葉)! 教師以外がなんでこんなところに来るんだ! てめーこそ誰だ、担任は誰だった担任の名前は!」
「た、たぶん知らないと思います」
「知らなくても言え! 名前言ってみろ!!」
「○○先生です!」
(ここで絶句。本当にその人の名は知らなかった)
「いったいお前らいくつだ?」
「に、21です」
6年前の卒業生では知らないわけだ。
しかしここで怒りを失速させたら落ち着きどころが悪い。もう一度気合を入れて仕切りなおす。
しかし気合を入れると普段でも評判の悪い早口がいっそう速くなって、速射砲みたいになる。
「あのナ、お前たちそんな年になっても分からんのか? え〜? 何とか言ってみろ、酒飲んで泳いでここで死なれたら俺たちは困るんだよ!お前らの死体が浮かんだら、水かえるだけで18万だぞ。18万! お前らここで死んだら家族に18万請求するからな」
水道代18万は定かでない。あとで考えたらひと夏の水道代かもしれんという気がしてきたがそのときは勢いがあってしかたなかった。
もっともさらに遡って、プールに水死体が浮かんだら、水道代どころではないだろうということも、あとになって考えはした。
その時、
「キミたち、ずいぶん前から騒いでいたようだね」
ふと気づくとプールのフェンスの外にA先生が立っていた。その後ろにいるのは体型から一緒に来たO先生らしい。
「す、すみません。すぐ帰ります」
私がターゲットにした男の子があわてて立ち上がり、ズボンをはき始める。
どうも様子がへんだ。
(ン? お前、黒いビキニパンツか? それ、脱がないでズボンはくつもり?)
その時A先生が懐中電灯のスイッチを入れこちらに向けた。
一人の女の子が「止めてください」といいもう一人が「懐中電灯で照らさないでください」と言った。
そしてその時になって初めて私は知った。
こいつら、全裸だ!!
そう気づいてしまったからには女の子の方に目をやるわけには行かない。
彼女たちが服を抱えて更衣室の陰へこそこそと行くのを背中に感じながら、目は天を仰いでいた。
「やあ、キース先生、早かったですね」
と、A先生。
「教頭先生に電話してからすぐ家を出ようと思ったんですけど、騒いでいるの、どんな人か分からないでしょ。だからO先生にもお願いして、今、車のナンバー控えてきたところです。ヤクザだったりしたら大変ですからね」
慎重な人だ。
それに比べて私ときたら、寝巻きに裸足、眼鏡は忘れるわ言葉は忘れるわ・・・ロクなものではない。
指導というのは慎重に行わなければならない。
今度同じことがあったら陰からじっくり観察してから行動に移そうと、心から反省した。
*なお、プールには三日後、サーチライト式の明かりがついてしまった。
私は今、それを石で割ってしまう誘惑に駆られている。