キースの
   お仕事

《中学校教師の9月》


新学期

新学期が始まる。

毎年思うことだが、夏休みを経るとようやく1年生は中学生らしくなり、幼さを失う。
そしてもう一つ、3年生の女の子たちが突然、女性めいてきて、体が重くなる。
妙に艶かしい娘も出てきて、若い男性教師の中にはたじろぐ者もいる。しかし私にとって、男女を問わず30歳未満は全て指導の対象でしかない。そんなものだ。

夏休み中学習が思うように進んだ極々少数の者を除いて、そろそろ勉強に限界を感じるのもこの時期である。
勉強が分からないというのではない、なかなか覚えきれないということでもない。とにかくまず、数時間、机に向かっていることが苦痛で仕方がない、そういう「自分」が発見されるのである。

「さあ、勉強をするぞ!」と、張り切って始めてから
15分で他のことが気になる。
まず机の整理をしてからと考えて始めてみると案外時間がかかり、30分40分はあっという間。

机が片付いて「さあ今度こそ」と思うのだが、しばらくして気がつくのは「机の片付けの疲労が溜まっている」ということ。そこで休憩。

それが終わってまた、
「さあ、もう一度」

しかしやっと始めた数学の間に英語が気になり、英語に切り替えてしばらくすると、理科にやるべきことのあったことを思い出す。
あちこち生齧りのまま何の成果もなく悪戯に時が過ぎ、
「ああ、ダメだ。計画がメチャクチャでやる気、なくなった・・・」

多くの人に覚えがあるだろう。
かわいそうだが学習習慣がない。
そんなふうにゆっくりとダメな自分を認識していく…。




防災訓練
防災の日は9月1日だが、始業式と重なるため大抵は週遅れの訓練となる。
早い話が震災を想定して逃げるだけのことなのだが、それができない。
まず黙れない。
整列できない、
落ち着いていられない。


たまにうまく行った時などは校長が喜んで、
「あってはならないことだが、本番の時も今日の練習のように…」
とおっしゃるが、冗談じゃない。

本当の火災・震災の際に、練習のように落ち着いてできるようなヤツは子どもじゃない。
大人だって落ち着いている人は稀だ。だからこそ、うろたえても避難できるほどに、訓練は完璧ではくてはならないのだ。

昨年からは年4回の防災訓練に加えて、不審者対策の避難訓練というのも行われるようになった。
市からは不審者用の警報ベルが支給されたが、ボタンを押してもその教室の周辺にしか響かないので、ほとんどの生徒は音と無関係に行動を続けるか、悪ければ物見遊山で発報場所まで走っていきかねない。そこで結局、避難は火災報知と同じによるよることとした。

しかし今度は、火災報知があると整列するいうシキタリがあるため、不審者が刃物を振り回している状況で生徒が整列して逃げる、という不思議な事態が発生してしまう。
生徒の方も気の効いたのは質問に来る。
「先生よォ。悪いヤツが刃物振り回してこっちに来る時も並んで逃げなきゃいけんワケ?」
「その通り」
「だけどそんなことしてたら、一人ひとり切られちゃうんじゃない?」
「それもしかたない」
「先生だって危ないじゃん」
「いや、列を先導しているから、私は一番前だ。切られるのはきっと最後だ」
「じゃあ、オレたちに先生の盾になれってこと?」
「そんなこと言っちゃあおらんだろ。自分の身は自分で守れ! というこだ」
「そんなァ〜」
「ガンバレ! 生徒ぉ防衛と言うじゃないか!」

「逃げろ!」と言われてバラバラに避難して無事に済むのは小学生まで。
キミたちにそんなことをさせたら訓練のたびに何人のけが人が出ることやら……
そういうもんだ。




体育祭


体育祭というものも年々なるくなってきて最近はほとんど小学校の運動会みたいになってきている。
かつては純粋に陸上競技会のようなものだったが、最近の子はそれにたえられない。

数年前勤務していた学校では、およそ忍耐力に欠ける女の子たちが全員長距離走にエントリーし、当日こぞって棄権するという椿事があり担任たちを激怒させた。
しかし激怒したところで走らんと言う者を走らせることもできず、体育祭は散々な後味を残して終了することとなった。
言うまでもなく翌年は念に念を入れて準備をしたが、今度は体力的に耐えられそうにない子たちが長距離に「自発的に」エントリーし始め、イジメの臭いがあたりに充満するといったありさまで、結局長距離走は中止になってしまった。

その学校では現在、ムカデ競争やら借り物競争やらがメインのスポーツになったらしいが、そんなことまでしてやらなければならない理由も定かではなくなった。

現在勤めている学校はそれよりはずいぶんマシである。
しかし必死に戦っている者の横で、一人だけ恥をかかないようにと示し合わせてジョギングする生徒たちを眺めていると、マ、世も末だという感が深くなってくる