2000.01.10

新成人諸君!!
おめでとう!



新しい世界に旅立っていく君たちに、SuperTは心よりの哀悼の意を表する。
可愛そうに君たちの多くは、新成人としての十分な力をつけてもらえることなく20歳を迎えてしまった。
それは君たちの罪ではない。

今日のニュースはどれを見ても君たちの仲間の無作法を嘆くものばかりだ。
式典に似つかわしくない服装だとかいつまでもやまない私語だとか、鳴り続ける携帯だとか……
だがそれは君たちの罪ではない。
君たちは育てられたようにしか育たなかったし、教えられたとおりにしか学ばなかった。

何よりも大切なのは自由であって、何人もそれをさえぎることはできないと、君たちは教えられてこなかったか。
人の話を聞かないのは君たちの罪ではなく、楽しい話をしない相手のせいだと教えられては来なかったか。
大人は常に君たちを型にはめようとする、だからそれに従ってはいけないと言われて来なかったか。

学校で生徒が主役であるように、成人式では君たちこそ主役なのだ。
そうである君たちが、さまざま制約を受けていいはずはない。
ステージにはマイクがありいくらでも声を大きくできるのに、こちらの小声の会話をさえぎるのはあまりに不公平だ。
せっかくかかってきた電話に出るなというのは、「人にいやな思いをさせてはいけない」という原則に違反しないか。
妙な服装にしたって、卒業式に「着ぐるみ」で出席した時は「個性的だ」と新聞でも誉めてくれたじゃないか。
その通りだ。君たちは教えられた通り生きている。

おいしい話をチラつかせた後ですべてを奪うのはサギだ。



やっと気づいたね。そうだ、サギだ。
しかしだまされた君たちに罪があるわけではない。






2000.01.13


成人の日、あちこちのTVニュースを見ているうちにいきなり切れて、こんなコンテンツをつくってしまった。
大人げないことである。しかし無用のものはいつかなくなっていくものだ、このまましばらく放っておこう。


昨年末、京都の小学校であまりにも残酷な犯罪があり、一昨日は和歌山で中学生が刺された。
マスコミは学校の無防備を非難するかと思っていたら意外とそうではなく、むしろ事件のために『開かれた学校』づくりが退歩することを心配する論調が目立った。
それはそれで論理的だ。

しかし、だったら校内の児童生徒を守ることと、『開かれた学校』づくりをどう整合させるのか。
そう思っていたら、中国新聞によい記事が出た。

和歌山県の事件では、犯人は学校の近所に住み、日ごろから挙動が不審な人物だった。
住民が知っていたこの情報を学校側はどこまでつかんでいたのか。
教師には知っていた人もいたと考えられるが、少なくとも学校全体に周知徹底してはいなかったようだ。

そうか、地域の不審人物調査こそ、われわれに欠けていた点だったのか。
今後はこうした点にも目を向け、綿密なリストづくりに励むことにしよう。
(口が裂けても地域住民のプライバシーだとか人権だとか、「学校は警察なのか」などといったふざけたことは言うなよ!!)
それはいいとして、しかし解せないのは、先の引用文の続きである。

もちろん、学校が知っていたとしても犯行が未然に防げた保証はないのだが。


だとしたら、それまでの部分はどういう意味をもつのだろう。






2000.01.18

今朝の新聞によると、中高一貫教育で中学段階の生徒に高校の教育課程を履修できるようにするという。
文部省が、『一部の私立のような進学を目的とした学校とはしない』と強調しているのに対し、
新聞は「教育課程の弾力化は、進学校への道を開くことにもなり議論を呼びそうだ。ゆとりや個性重視の実現をうたいながら、『結局は私立の進学校に対抗するものになるのでは』と懸念が強まることも予想される」と心配する。
だがキミたちの不安は杞憂だ。文部省は公立を私立に対抗させようなどと微塵も思っていない。
日本の官僚はそんなチンケな連中ではない。

この方針のねらいは、大都市に集中しているエリート教育を全国に広げ、結果として今の数倍のエリートを確保することなのだ。

優秀な生徒にとって中高で二重に学ぶことは大変なロスであり、6年間に学ぶことを3年〜4年で学習することは、他の勉強をするための膨大な「ゆとり」を生み出すことにつながる。
そもそも「個性重視」という以上は「勉強ができる」という個性も重視しなくてはいけないのは理の当然だった。
「ゆとり」と「個性重視」は、そう読み解くのだ。

ン?そんなこと知ってた?
そうだろう、私もキミたちが知っていることを知っていた。
知っていながらこうした記事にするからイラつくのだ。










2000.01.21

文部省は20日、新年度から学校教育法施行規則を改め、教員免許状がなくても民間人を校長や教頭に登用する道を開くことや、学校の運営に関して定期的に地域住民の意見を聞く「学校評議員制度」を導入すると発表した。
また、これまで法的本拠がなかった「職員会議」について、施行規則に「校長が主宰するもの」と初めて明記し、校長と職員会議の意見が対立しても校長の意思が優先される明確な根拠を与えた。
   (毎日新聞)

とのことだ。内容については論評しない。しかし、
今回の見直しの焦点は「職員会議」の扱い。

というのはどうだろうか。
そんな根拠を与えても、無視しようとすればできる。

「法的にこうなっているからこうします」と突っぱねれば、そのこと自体は通っても、後の学校運営は極めて難しくなるからだ。
普通の校長だったら、そんなことは怖くてとてもできない。
そうである以上「法的根拠」はさしたる問題ではない。

それよりも大変なのは「学校評議会」だろう。
これを使えば「地域の意思です」と言って、どのようなことも通せるからだ。

校運営に地域代表が参画する国は多く、イギリスでは校長、保護者代表、地域の有識者で構成する「学校理事会」が学校の予算や教員任免の権限まで持っている。
などとのんきに書いているが、
文部省は「イギリスのようにします」とは言ってはいない。

私の住む地方の地方紙はもっとのんきで、
校長が都合のいい人物を起用し、いい話だけを聞くというのでは何もならない。
 などとのたもうているが、校長が都合のいい人物を起用し、いい話だけを聞く」ためにこそ「学校評議会」はつくられるのだ。

校長の推薦で教育委員会が委嘱するという仕組みそものもが、この制度の意味を示している。
どんな場合も、任命権者が、わざわざ自分に都合の悪い人物ばかりを選ぶということはありえないのだ。

施行規則の改正は、職員会を超えて、校長の権限を強める。
しかしこれまでは心情的に教員に近い人物しか校長になれなかったから、必要に応じてこれを取りかえる。
さらに、学校評議会を通じて、校長そのものにも圧力を加える。
というものだ。

数々の教育改革に際して、いちいち骨抜きにしてきた教員に対して、文部省は今度こそ本気になって怒っているのだ。

マスコミはそんなことも分からないのか………と、書きかけて、しかし私は思う。
優秀な記者諸君がそんなことを分からないはずがない。

「開かれた学校づくり」を叫び続けた手前、今は黙っていよう。
けれど「学校評議会」が思う通り機能しなかったら(おそらくそうなるだろう)、
その時になって大キャンペーンを張ればいい。

まさに、一粒で二度おいしい世界じゃないか。






2000.01.23


ロクに協力していないので組合に文句をつけたくはないが、時々日教組がわからなくなるときがある。
今朝の朝刊を見たら「女子中学生7人に1人『先生がセクハラ』」という記事があり、またまたしょうもないアンケートかと思ったら、東京都公立学校教職員組合のものだった。

それによると、
調査では性的に不快な言動として「女らしくしなさいと言われた」など21項目を上げて経験の有無を聞いた。
大人同士なら気にしない言動でも、子どもは傷つくことも考えられるため、項目には通常セクハラとみなされない行為も含めた。
教職員からセクハラされたと感じたのは小学女子で最も多いのが「女らしく」「お茶くみ、肩もみ」がそれぞれ4%、
(あれ?日本語になってないぞ)
中学女子では「じろじろ見られた」が最も多く13%、次いで「女らしく」が12%、「お茶くみ、肩もみ」が11%と続く。「胸やおしりなどをさわられた」も7%いる。

教研集会の幾多のまともなレポートの中で、こうしたものだけがマスコミに載っていく。
都教組はそういう危険性を考えなかったのだろうか?


だいぶ前のことだが一人の生徒が私のところに来て、「なんで先生は私のことばかりジロジロ見るんですか?」と非難めいた口調で聞いてきた。
前の授業で手紙のやり取りをしているのに気がついたので、目でサインを送ったつもりだった。
その日は授業中何回か指導したあとだったので、私としても、もう名指しで怒るのに疲れていた。
だから目で合図したのだが、それがいけなかった。

今から思うと、彼女は傷ついていたのだ。目でサインなどというロマンチックなことをしていてはいけないんだと、今ごろ気がついた。
これからは授業を何十回中断しても、口頭で怒りつづけよう。
ン? それでも子どもは傷つくって?
そうだね、やはりこういうときは黙っていなくては………。
(でも、みんなが勝手にしゃべったり騒いでいたりしても、学級崩壊だ、授業崩壊だなどと騒がないで下さいね)

今日は組合のアンケートをもとにしているので、少々気弱になっている。









2000.01.26




「生徒に『死ね』、中学教諭を脅迫容疑で書類送検 警視庁」
という記事があった.(朝日新聞)内容は次の通りだ。

 東京都江戸川区の区立中学男性教諭(36)が授業中、1年の男子生徒(13)に「死ね」などと暴言を吐いたとして、警視庁小岩署は25日、この教諭を脅迫容疑で書類送検した。生徒への注意にしては度を過ぎた表現を使っているうえ、生徒が半年以上悩むほどの衝撃を受けたことを重視し、同容疑での立件に踏み切ったという。
 調べでは、この教諭は昨年5月20日午前、理科の授業で中間試験の答を解説中、この生徒を「何ボケッとしているんだ。ふざけるな」「殺すぞ、死ね」などと脅した疑い。教諭は調べに対し「かっとなって言ってしまった。申し訳ない」と話しているという。

 生徒は、中学進学後間もない出来事に衝撃を受け、「先生に嫌われた」と悩み、「学校に行きたくない、死にたい」と両親に相談。父親が12月下旬、同署に届けた。同区教委は「教員として不適切な表現。事実を確認し、都教委に報告した」と話している。

この記事を読んで普通の教師はたいていビビる。「死ね」までは言わないにしても、それに近いことは多かれ少なかれ身に覚えがあるからだ。「こんなことで送検されちゃあ、かなわん」、普通はそう思うだろう。
それはその通りだ。他人のお子様の不勉強と、自分を含む家族の生活や未来が秤にかけられるなんて、たまったものじゃない。児童生徒の命に関わることならまだしも、たかが勉強してくれるかどうかといったそれだけのことだ。

このニュース一本で、全国の教師の何%かが、子どもとのぶつかり合いを回避しはじめるだろう。極端に言えば「他人のお子様がどうなろうとかまわない」ということである。

ところで、この報道は事実なのだろうか?
大朝日新聞に楯突いて申し訳ないが、私は「正確に報道しない」という意味で、80%くらいはうそだと思う。

普通、教師は「ボケッとしていた」くらいでは「殺すぞ、死ね」とは言わないし、普通の生徒だったら、この程度で登校を拒否したりしない。普通の親だったら、こんなことで警察に被害届を出したりしないし、普通の警察だったらこの程度では捜査もしないだろう。ましてや5月に起きた事件を7ヶ月も放ったらかしにしておいて、突然思い出して被害届だ、書類送検だなどとは、正気の沙汰ではない。

実際に両親や警察が狂っていたというつもりはない。言いたいのは、この7ヶ月間にきっと何かがあったはずだ、ということである

しかし細かいことは何も分からず、結局記事は、普通の授業の普通の状態で、本来的に異常な集団である教師のひとりが、突然信じられないことを言い出して、それに衝撃を受けた普通の子が、自殺に追い込まれそうになった、という極めてショッキングなものになってしまっている。

このニュースの収穫は多い。
まず、やはり教師たちは異常だということ。
学校で子どもたちは教師によって殺されかかっているということ、教師は極力信じない方が良いということ、

そして、教師には、うっかり子どもを注意して、職を失わないよう、基本的には逃げていなさい……ということである。

ありがたいことだ。