2000.04.09

例の5000万円恐喝の件。
取材は一歩だけすすんだ。あるいは時事通信は毎日新聞より良いということなのか。

恐喝された少年の指導を記録=教師、犯行には気付かず−名古屋の中学
[時事通信社 2000年 4月 9日 00:38 ]



 名古屋市緑区の中学校を3月に卒業した少年(15)が在校中、同級生らから約5000万円を脅し取られた事件で、担任教師が昨年夏から卒業まで被害者の少年に対する指導を記録していたことが8日、分かった。

こうした記録を取るようにという指導は常々行われているが、私などすぐに散逸してしまう。その点この教諭は立派だった。

「金のトラブル」に気付き、不登校になった少年や母親とも話し合ったが、結局、恐喝には気付かなかったという。
記録を取っていたにもかかわらず、その兆候が見えなかったということか。

 記録によると、昨年6月初めの修学旅行で同級生らが「帽子を汚した」と少年の胸をつかんだ。

その程度のことはありふれている。

7月1日、少年が同級生らと一緒に遅刻。

これもよくあることだろう。

母親に電話すると、少年が何かに約50万円も使ったことが分かり、教師は母親、少年から話を聞いた。
少年ははっきり話をしなかったが、大金であり、警察に届けることに。


担任から電話があった時、「ちょうどいい機会なので…」と、そんな感じで50万円の話が持ち出される。このような事件の場合、当の少年が日ごろから大金を使いなれていたかどうかが問題となる。ほとんどムダ遣いをしない気弱な少年が突然50万円を持ち出したのなら、恐喝は疑われてしかるべきだろう。しかし、1万〜2万という金を使いなれている子どもだったら、50万円は「ちょっと異常な、しかし見過ごすことのできない」しかしその程度でしかない金額となる。つまりその子自身が何らかの事情で使ってしまった金額であることが疑われるのだ。

いずれにしろ、担任は保護者と少年から話を聞いた。

結果的には被害者であった少年が、まったく話をしなかった。事件が事件として見えてこない。
「たぶん自分で使ったのだろう」担任はそう感じたに違いない。


このような場合、教師は何をすべきだったのだろうか。
少年ははっきり話をしなかったが、大金であり、警察に届けることに。
しかし、彼は警察でも何も話さなかったのだ。教師は何をすべきだったのだろうか。
(ちなみに、私はなんでもかんでも映像を見るようにものごとがわからないと気の済まない質だ。
したがってこのような場合徹底的に少年を追い詰める。それはあたかも教師による生徒いじめの印象となるだろうが)







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もっと楽しくゆとりある学校に
東奥日報
[2000年4月8日(土) ]


 新学期がスタートした。はつらつとした新一年生たちが加わり、学校は再び活気に包まれてきた。
 学校教育がこれから様変わりしようとしている。二〇〇二年から学校五日制が完全実施となる。二十一世紀の教育の青写真となる新学習指導要領のキーワードは「ゆとり」。今年は瀬踏みの年だ。
なるほど
 いま学校には、いじめ、不登校など問題が山積みだ。授業ができない学級崩壊もある。学校の先生たちも疲れきっている。どうしたら子供たちが楽しく伸び伸びと学習し、それぞれが個性を生かして成長できるか。
どうしたらいいのだ?

どうしても、ゆとりが学校にはほしい。
時間を与えれば勉強するということか?

 ひとつのクラスを一人の教師が担任するという制度の枠組みを打ち破ることも有効だ。子どもたちが自主的に学ぶこころを縛り付ける規制を取り払い自由で豊かな生き生きとした学びやをつくり上げたい。
ちょっと待て、規制をはずせば子どもが自主的にならざるを得ないことはわかる。しかし規制という強権がなくなると学習という辛い仕事を始めるというところが分からない。子どもはいつから自由にすると働き始めるようになったのだろう?

 学校は病んで疲れている。
そうだ。キミたちが病ませたのだ。

県内の中学校の教頭先生の半数が一日十二時間を超す勤務が常態化している、という心身の不調から定期的に病院通いしているのが大半だ。
ン?なんだこの日本語は?

ハードワークにさらされているのは中間管理職の教頭だけでない。
一線で働く一人ひとりの教師はもっと疲れている。授業、課外活動などの指導はもちろん、学校外の活動に追いかけ回されている。へとへとになり、精神的ストレスを感じる先生が多い。教師たちから、ゆとりをなくしておいて学校がどう生まれ変わるというのだろうか。
それは、まったくその通りだ。

 県教委は一つの学級に複数の先生をおく「チームティーチング」事業を平成五年度から導入した。学級崩壊や学力低下への指導など目に見える効果が大きく、これまでに小中学校合わせて二百十一人を採用してきた。
うん。
 一人ひとりに向き合って話を聞くことができ、「子どもたちの心が安定した」「学級をちゃんと見られる」と現場の教師たちからは好評を呼んでいる。一つの学級に二人の教師がいると、子どもたちそれぞれの目線にたった、きめ細かい指導ができ、子どもたちの顔がいきいきと輝くことが期待できるのである。複数の教師が教室にいることで生まれてくる心の「ゆとり」が「学力低下」を食い止め子どもたちのこころを大きく豊かに育てていく。「チームティーチング」は「ゆとり教育」がどういうものなのかを物語っている。
これには賛成する。
しかし賛成できることを言っているときこそ曲者だ。


 学力の問題だけではない。教室は外部の目の届くことがない「密室」ともいえる。子どもたちにとっては担任の教師は、時には絶対的な権力者の姿に映ることがあるだろう。
そう。その絶対的な権力者のもとで、子どもたちが馬鹿騒ぎをしている。それが学級崩壊だ。
絶対的な権力者の、なんと力のないことか。

 教師の意にそまない子、たとえば「生意気」だったり、はっきり自己主張をする子どもは、敬遠されたり、嫌われたりすることだってないとは言えない。教師だってひとの子、さまざまである。気に入らない子どもをいじめる恐れすらないとはいえない。かつてのいじめ自殺事件で教師みずからが、いじめの片棒を担いでいたことすらあった。
「敬遠されたり嫌われたりすることだってないとは言えない」そう言われればその通りかもしれない。いじめの片棒を担いだ教師がいたことも事実だろうが、それは極めて例外だったはずだ。しかし、そうした例外を中心にものごとを考えてもいいのだろうか?

いじめ、校内暴力、学級崩壊と荒れる学校はもはや安全な場所とはいえなくなったともいえる。

あら?、そうなの?

 いまの一学級一担任制では教師と相性の悪い子どもは少なくとも一年間は黙って付き合うしかない。それに対し、一つの教室に二人以上の教師がいるとしたら、だいぶ教室の雰囲気も変わり、子どもたちが、今まで以上に伸び伸び自由に振る舞えることができるだろう。
もうこれ以上自由にやって欲しくない、そうした発想はないのだろうか?
しかも教師が2重に監視するという可能性に、まったく思いが行き届かないところも杜撰だ。

そんな点からも、この「チームティーチング」に期待したい。








2000.04.13

<5千万恐喝>12日逮捕の少年、別に250万円恐喝も

[毎日新聞4月13日]




 名古屋市緑区の15歳の少年が中学在学中に同級生らから約5000万円を脅し取られたとされる事件で、被害に遭った少年から現金19万円を恐喝した容疑で愛知県警少年課などに12日逮捕された県立定時制高校生の少年(15)が、これとは別に被害少年から250万円前後の金を脅し取っていた疑いのあることが同日、少年課などの調べで分かった。今回の逮捕容疑は約80回、5000万円にのぼる一連の恐喝事件の始まりとみられ、定時制高校生はこのうち10回の恐喝にかかわっていたという。

 調べによると、定時制高校生は今月5日逮捕された同市緑区のリーダー格の少年(15)や被害少年と同級生。昨年6月21日、現金19万円を被害少年から恐喝した容疑で12日逮捕された。この事件をきっかけに被害少年は「脅せば簡単に金を出すやつ」と評判になったという。

 その後、加害少年たちは今年2月まで暴行と恐喝を繰り返し、恐喝をエスカレート。定時制高校生も、リーダー格の少年らとともに犯行に加わり、計270万円前後を恐喝したとみられる。

 しかし、今年3月上旬、定時制高校生の親が、被害少年の母親らから「恐喝された金を返してほしい」と求められたため、同月下旬、まず約80万円を返したという。

 一連の恐喝事件で、県警少年課などは、今月5日に逮捕した3人のうち、リーダー格の少年が約2400万円、別の少年(15)が約1100万円、もう一人の少年(15)が約300万円を脅し取ったとみており、裏付けを急いでいる。

愛知県警は13日、事件の拡大を未然に防げなかったということで、マスコミに対して(だと私は思う)陳謝した

すでに学校は謝った。まだ謝ってないやつがいると思うが、それは問題ではないのだろう。

この事件、悪かったのは、ガキの癖に5000万もの金を恐喝しつづけた加害者たちではない。「金を返してくれ」と言われて80万円でケリをつけた定時高校生の親たちでもない。

もちろん、唯々諾々と湯水のように金を出し続け、単なるカツアゲから未曾有の恐喝事件へと発展させてしまった被害者でも、その母親でもない。

学校と警察にこそすべての責任がある。
ということだ。

ニュースを見ている限り、
この世から学校と警察がなくなれば、日本は本当に良い国になるだろう、
そう思わせる事件が続いている。




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中学生らが覚せい剤 使用の疑い 福岡県警が8人逮捕

[西日本新聞2000年04月13日]


 福岡県警少年課と福岡西署は十三日、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで、 福岡市西区愛宕三丁目、無職山口良則(34)と同市早良区の無職少年A(16)、同市西区の無職少年B(15)の三容疑者を逮捕、少女二人を含む少年五人を補導したと発表した。

補導された五人のうち二人は中学三年生で、逮捕された少年二人も含め、少年少女はいずれも福岡市西区内の中学校の先輩、後輩の関係だった。

 調べでは、山口容疑者は二月十一日午後四時ごろ、同市南区の元自宅で少年Aに、三月十三日午後二時ごろ、同市西区の知人宅で少年Bに、それぞれ覚せい剤を注射した疑い。

 県警によると、山口容疑者は一九九八年夏ごろから、少年たちに「シンナーよりいいものがある」などと誘惑し、覚せい剤を無料で注射。昨年六月からは一回一万円の料金で覚せい剤を注射するようになり、お金を持たない少年には高級洋酒を万引するよう指示、スナックで換金させて代金を支払わせていた。多い場合で「この二年間に五十回以上注射された」と供述している少年もいるという。

 県警では、逮捕・補導した八人以外にも覚せい剤を使用した少年がいるとみて捜査している。少年Aは今月十一日、福岡家裁で中等少年院送致の審判を受け、少年Bは観護措置で少年鑑別所に収容されているという。



悪いのは逮捕された山口某と二人の少年であって他の者ではない。
5人の少年と少女たちは、悪辣な男たちの犠牲となった子羊なのだ。ほんとうにあわれな子羊なのだ。

お金を持たない少年には高級洋酒を万引するよう指示、スナックで換金させて代金を支払わせていた。
まるで昔の人買いのような話だ。今時こんな男がいたとは。子どもたちは本当はまじめなのにドロボウにさせられてしまった。かれらは悪い子たちではない。ただ薬を買うお金がなく、万引きをさせられてしまった、つまり貧しさに負けただけの可愛そうな子たちなのだ。

本当はいやだいやだと大騒ぎし、必死の抵抗をしたのに(記事を読む限りはそうだ)
多い場合で「この二年間に五十回以上注射された」と供述している少年もいるという。
ひどい男がいたものだ。

世に「シンナーよりいいものがある」という言葉が「誘惑」にならない子も多いと思うが、メディアによればそうではないらしい。メディアはなんでも知ってる(そうだ)から、メディアのほうが正しいのだろう。

子どもたちはどんな場合も絶対に悪くない。
子どもたちは何をやっても許されるのだ。








2000.04.19

<特報・教育改革>教育改革国民会議 3分科会のテーマ決まる[毎日新聞 04月18日]


 森首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が設置する3分科会のテーマが17日、固まった。
(1)道徳心・倫理観や日本の文化・伝統など「心」の教育
(2)世界に通用する創造性の高い人材育成
(3)いじめや学級崩壊をなくし、安心して子供を託せる学校づくり
――の3テーマで、森首相の指示に基づき設定した。

注目しよう。

しかし予測のつくことはある。
この中で有効な手が打てるのは、

(2)だけだ。










<少年恐喝事件>被害相談受けた元担任 SOS見逃す無念さ語る

[毎日新聞 04月16日]




 名古屋市緑区の15歳の少年が中学在学中に約5000万円を恐喝されたとされる事件で、被害少年の担任だった元教諭の女性(43)が16日、毎日新聞の取材に応じ、
被害少年の母親から50万円がなくなっていると相談を受けながら、不登校がちだった少年への配慮から、被害の状況まで聞き出せなかった事実を明かした。


記者は何を聞いていたのだろう?
不登校がちだった少年への配慮から、被害の状況まで聞き出せなかった
の意は、「不登校にまで陥るほど心の弱った少年を、責め、脅し、その上で被害を告白を強いること、それができなかった」
ということである。しかしそれが記者の気持ちに沿わなかったらしい。

繰り返し言うが、私だったら、責め、脅し、50万円の使い道について必ず吐かせる。吐かせることに成功しなくても、吐かせる努力は続けるだろう。そうしないと私の気が済まないからだ私だったら引き下がらなかった。しかしそのような教師の対応を、メディアは喜んで迎えてくれるだろうか?

SOSは「助けてくれ」という信号である。しかしこの事件の被害者は、徹底的にSOSを発することを拒んだ。警察の追求にさえも彼はしゃべらなかった。

それにもかかわらず、見出しがSOS見逃す無念さ語るとなるのは、なんとも不思議なことである。






2000.04.21


エイズ予防に性教育を 民間団体 県教委に充実申し入れ

[西日本新聞2000年04月20日]



 「県内小中学校の性教育はエイズ予防の観点からは不十分」として、民間団体「HIVかごしま情報局」(吉原則子代表)は十八日、県教委に性教育の充実を求める申し入れをした。同局が昨年、県内の小中学校二百八校を対象に行ったアンケートで「性教育をほとんど実施していない」学校が約一割あることなどが分かり、改善を求めた。

アンケートは昨年夏、養護教諭を通じて実施。性教育の実施状況は「ほとんど実施していない」が一二パーセント(二十四校)を占めた。さらに性教育を行っている学校でも「エイズと関連づけて教えていない」と答えたところが三十九校に達した。

 性教育を実施する上での問題点としては「資料・情報、研修の不足」が五九パーセント、「時間不足」が二八パーセントあり、学校側からも教員研修の講師派遣や資料、情報提供を求める声が多かったという。

 このため、HIVかごしま情報局は
「すべての学校で性教育を実施し、性感染症としてエイズを学ぶ」
「年一回の職員研修実施」
「二〇〇三年からの高校の総合学習に、性感染症としてのエイズ教育を取り入れる」
の三項目を求める申し入れを行った。

 同情報局は毎年、36時間エイズ電話相談を開設しており「最近、若者の相談のなかに『きちんと性教育を受けたのか』と思えるものがある理由が納得できた。エイズの主感染経路は性的接触であり、的確な性教育が求められる」としている。

 県教委は「現在、性教育について時間数やどこまで踏み込むかなどについての規定はない。指摘された部分について、対応を協議して回答したい」と話している。

言いたいことは三つ。
@エイズ教育は大切だ。同じようにカード教育も、コンピュータ教育も、環境教育も、福祉教育も……そして下に出てくるように保育の勉強も大切だ。
しかしその前に、学校から算数や国語をまずなくしてもらいたい。そうしないとさまざまな冠教育(「教育用語症辞典」参照)の可能性は生まれてこない。

A「最近、若者の相談のなかに『きちんと性教育を受けたのか』と思えるものがある理由が納得できた」
なるほど。今の40代以上の人々、あるいは60代70代のお爺ちゃんお婆ちゃんたちは、豊かな性教育を受けてきたのだろうなあ。

B「エイズの主感染経路は性的接触であり、的確な性教育が求められる」
その通りだ。しかし言う以上は何が的確か示していただけるとありがたい。小学校で性的接触について教育したとき、「習った以上試してみよう」という好奇心旺盛な子どもたちを、どう押さえて行けばいいのか。「そんなこと、プロなんだからオマエたちが考えろ」などとは絶対に言うなよ。




<中教審>「少子化と教育」 初めての報告書
[毎日新聞4月17日]



 文相の諮問機関・中央教育審議会(会長、根本二郎・日本郵船会長)は17日、「少子化と教育について」と題する初めての報告書を河村健夫・文部総括政務次官に提出した。
(略)
 報告書は、少子化の要因として女性の未婚化や晩婚化を挙げ、「社会に子供や親子連れに対する寛容さがなくなった」ことなどから子供を産みにくい状況があると指摘した。少子化の影響として、子供同士の切磋琢磨(せっさたくま)の機会が減少していることや親の過保護・過干渉、子育て経験の知恵が共有しにくくなる、などを挙げた。そのうえで家庭、学校、地域社会の果たすべき役割を明示した。

 具体的には
(1)子供を産み育てることの不安や負担を解消するために、幼稚園の預かり保育や幼児教育相談を充実させ、保育園・幼稚園・小学校の連携を図る「幼児教育プログラム」を作る
(2)乳幼児を持つ人を招くなどして、すべての高校で「保育体験学習」を進める
(3)PTA活動をさらに幅広くする――などの方策を提言した。

 さらに、
▽地域のボランティアによる子育て相談体制の充実
▽子供に手がかからなくなった女性の就職などを容易にするためにインターネットを使った教育や専修学校などでキャリア開発を進める
▽子供が自立しやすくするために奨学金制度を充実させる――などを盛り込んだ。
また「女性は子育て」との固定的な性別役割意識を改め、職場優先の企業風土の是正や企業内託児所の設置推進も呼び掛けている。

一方、過保護・過干渉の象徴ともいわれる『お受験』について、大学の付属幼稚園や小学校の入学者決定方法の検討も提言した。
婚外出生が少なく、未婚化の進行が少子化に直接結び付いていると分析し、委員のメッセージでは差別や偏見の解消を求める意見も寄せられた。
 【澤 圭一郎】


央教育審議会は何か完本的な勘違いをしているのかもしれない(あるいは毎日新聞の澤記者が、アホなまとめ方をしているのだろうか)。

女性が晩婚化し未婚化する原因を、
『社会に子供や親子連れに対する寛容さがなくなった』ことなどから子供を産みにくい状況がある
などと本気で考える日本人が一体何人いるのだろうか?
 子どもが問題なら、結婚しても産まなければいいだけのことなのに。

なぜ、女性は結婚を遅らせたりしなくなったりするのだろう?という問いかけはに、「結婚によるデメリットがメリットを上回ったから」と考えるのが普通だろう。今の若者は(昔の若者もそうだったが)、規制や管理が嫌いなのだ。それはここ数十年、メディアがこぞって支持してきた内容ではないか。

結婚すれば夫により、出産すれば子どもによって、女性はすさまじい制約を受ける。男たちはもともとサッサと撤退して自由を満喫しているからいいが、押しつけられた女性の方はかなわない。授乳・夜泣き・オムツ替え………それらは徹底的に女性の自由を奪う。

「人間はいかなる規制からも自由でなければならない」
それはメディアの合言葉であったはずだ。未婚・晩婚によって女性が非難される理由はない。社会も「子供や親子連れに対する寛容さがなくなった」などとイチャモンをつけられる筋合いはないのだ。

「『お受験』について、大学の付属幼稚園や小学校の入学者決定方法の検討も提言した」
少子化の進展が有名幼稚園や・私立小学校の密集する都会だけの現象だというならいざ知らず、全国的に見た場合、お受験が何ほどの問題なのだろう?
そして「婚外出生が少なく、未婚化の進行が少子化に直接結び付いていると分析し、委員のメッセージでは差別や偏見の解消を求める意見も寄せられた」
つまり、これからの時代、「婚外出生」は大いに勧められなければならないということなのだろうか? しかしそれもよし。そうなったとき、「家庭教育の大切さ」は「母親の教育の大切さ」に置きかえられ、女性の責任ばかりが追及されることになる。そして教師にとっては、生徒の妊娠・出産を否定できない日がくるというだけだ。






2000.04.22

<差別発言>薬物乱用の講演で鳥取県警警部補 学校側抗議  [毎日新聞 04月21日]


鳥取県警本部が県教委を通じて県内の学校で開いている「薬物乱用防止教室」で、同県警智頭署の生活安全刑事課係長の警部補(47)が「高校中退者はろくな仕事につけない。土方とか土木作業員とか」などと差別発言を繰り返していたことが21日、分かった。学校側は同署に抗議、西尾良幸署長は謝罪している。


土方とか土木作業員とかろくな仕事につけない
例としてあげてはまずいだろう。しかしこの記事を取り上げたのは、その差別発言が故ではない。

県教委を通じて、いわばお客さんとして来た刑事係長の発言を、あえて学校が問題視し抗議までしたのはなぜかということである。どのような圧力によって警察との対立の道を選んだのか。ここにはきっと裏がある。




<教員不祥事>勤務時間内に飲酒 茨城・取手市の小学校長[毎日新聞4月21日]  



 校長室で勤務時間内に飲酒していた茨城県取手市の小学校長に対し、同県教育委員会は21日までに、22日付で教諭に降任するとともに、停職3カ月の懲戒処分とすることを決めた。

 県義務教育課によると、校長は取手市立小の校長(57)。2〜3月の間に数回、勤務時間内に校長室で1人でワインを飲み、約70キロ離れた同県那珂町内の自宅まで乗用車を運転して帰宅していた。

 3月下旬、「校長が校内で酒を飲んでいる」という匿名の電話が同課にあり、調べたところ、校長が飲酒を認めた。飲酒量はグラスに一杯程度で、飲酒直後に運転したこともあったという。校長は「学校運営や長距離通勤で、公私ともに疲れていた」などと話しているという。
 同課は「あってはならないことで残念だ」と話している。 

弁護の余地はない。多分。
しかし釈然としない。
同じことを民間企業の社長がしても、職を追われることはないだろう。公務員には高い倫理性が求められるにしても、それにしても………だ。





学校微収金改善の手引 長期契約禁止 保護者に説明 監査対象にも

[西日本新聞2000年04月20日]



 修学旅行の積立金や学校指定用品の購入費など「学校徴収金」が高額化して家計負担になっていることから、東京都教委は、納入業者の公正な選定や無駄のない徴収方法を示した「会計事務マニュアル」を三月末に作成。九州など全国から問い合わせが殺到している。割高価格の“元凶”とされる一社独占や長期契約を禁じ、業者選定の明確化や保護者への説明責任、定例監査の導入を盛り込んだ。「これにより二割程度の負担軽減ができる」。

都教委が胸を張るその中身は―。

〔過去教訓に〕

 「徴収金のグレー部分を無くすことに努めた」「学校現場から見ればがんじがらめの中身だが、不正が起きたときに学校が負う傷を考えればやむをえません」。東京都教委学務部の担当者はそう強調した。

 都立学校では一九九七、九八年と複数の学校で学校徴収金をめぐる横領事件が発覚。九八年には都立高校の制服業者が独占状態にあるとして、公正取引委員会が調査に乗り出す騒ぎも起きた。

 学校徴収金は公金ではなく「私費」に当たり、会計処理や業者選定に明確な規定がない。このため「不正の背景にはずさんな管理・運用がある」として、都教委は九八年末に事務長らによる「私費問題検討委員会」を設置。一年間をかけてまとまった報告書をもとにマニュアルを作った。



〔違反は処分 〕

 マニュアルの対象は、積立金(修学旅行費や教材費)や給食費、制服や体操服などの学校指定品など。保護者負担の軽減を目的に「公費に準じた会計処理の適用」と「入札制度の積極的な活用」を明示した。

 具体的には
(1)修学旅行や制服など高額契約は校長、教頭、事務長、教員らでつくる選定委員会で業者を決定

(2)制服の業者選定は一社による長期契約を禁止
(3)学校指定用品は特殊な仕様品を指定せず、安価な「既製品」の使用に努める―などを学校現場に求めた。

 さらに、学校徴収金を公費に準じ「定例監査」の対象にし、保護者らへの「説明責任」を義務づけ。新年度から二百七十四の全都立学校に配った。

 都教委の担当者は「修学旅行など高額契約は入札が原則で、できない場合は明確な理由を示すことが必要」と説明。「マニュアルは事実上の職務命令。違反があれば処分の対象にもなる」と話した。


〔点検も必要 〕

 都立高校の授業料以外の学校徴収金は生徒一人あたり月平均で五千四百円。マニュアルの実行でいくら節約できるのか。三月末の都議会で中島元彦教育長は「一割から二割程度の軽減が可能ではないか」と説明した。

 マニュアルには福岡、大分、鹿児島県を含む四十を超える自治体の教育委員会から資料請求や問い合わせがあったという。学校徴収金をめぐる全国の教委の指導は「適正に」「十分検討して」など抽象的なものがほとんど。「具体的な方法論に踏み込んだ点が注目されたのでは」と都教委の担当者はいう。

 ただ「万全ではない」という声もある。都議会で質問した石川芳昭都議は「長年の業者任せで、学校には高コスト体質が染み付いている。一歩前進だが効果の点検が必要」と指摘している


一般に公務員を批判する記事の内容はいちいちごもっともで反論のしようがない。
しかし
長年の業者任せで、学校には高コスト体質が染み付いている。
ことにはそれなりの理由があるのだ。そのことを問題視しない対策は、いたずらに教育現場を混乱に陥れるだけだ。

簡単に言えば、一社独占や指定業者制は教師の負担を大幅に軽減させている、ということである。いわば保護者の金を使って、手間や面倒、そして時間や労力を買っていたのである。

東京都では今後マニュアルに従った徴収金制度が始まる。具体的には、
(1)修学旅行や制服など高額契約は校長、教頭、事務長、教員らでつくる選定委員会で業者を決定
となれば、担任はそれなりの書類を用意しなければならなくなる。授業の合間を縫って、数社の担当者の説明を受けねばならないだろうその見積もりのチェックも、素人である教師が行わなければならない。



私はかつて、完璧にそれをやり遂げたことがある。そのために夏休みを使って二泊三日の奈良・京都旅行をしたのだ。見積もりなどとったところで、実際のことなど分からない。特に一級の観光地には多くの宿泊施設があり、 業者が毎年同じ旅館を用意できるとは限らない(普通は毎年異なる)。そうである以上、安かろう悪かろうにならないためには、実際に行って見てみるしかないのだ。もちろんそのための費用は自腹で5万円ほど切った。しかし、それは私がまだ若く、独身で面白がっていたからできたことなのだ。



都教委は本気で、素人の教師が手練手管の業者を相手に正確な判断をなしうると考えているのだろうか?


(2)制服の業者選定は一社による長期契約を禁止
一社による独占的な契約であるからこそ、業者は安心して供給してくれる。

(3)学校指定用品は特殊な仕様品を指定せず、安価な「既製品」の使用に努める―などを学校現場に求めた。

以上二つが意味すること。
それは公立学校の制服や運動着がかつてのようなダサイ既製品に移行していく、ということである。そしてまた、私立の集客力が高まる。

一方、公立学校の教師たちは、いっそうのコストダウンに励み、授業や生徒指導はさらにおろそかにされる。たかが数千円のために。

しかしそれが正義だ。







2000.04.25

「教育をやめてはどうか」 筑紫哲也さんらが京都で討論

 
[京都新聞 2000年4月24日]



 「若人の未来を考える」と題した公開討論会が二十三日、京都市左京区の国立京都国際会館で開かれ、ニュースキャスターの筑紫哲也さんらが、二十一世紀にふさわしい教育のあり方について話し合った。

 学級崩壊や多発する少年事件など、子供の教育が問題となっていることから、よりよい学習方法などを考えるのが狙い。国際ロータリー第2650地区大会の一環として企画された。

 討論には大塚義孝・佛教大教授と堀場雅夫・堀場製作所会長、寺脇研・文部省大臣官房政策課長が参加した。筑紫さんは刺激的な表現を使えば、教育をやめてみてはどうかと問題提起、「教育の機能が学校だけに集中し、知識を押しつけている。本来は、教育よりも子供たちが自分で学び、考える学習こそが大切だと訴えた。」話題は学校教育や親子関係などにも及び、参加者らは活発な議論を交わした。

私はこういうものの言い方が嫌いだ。言い方が刺激的なだけで中身は薄く古い。こういうのをセンセーショナリズムという。
本来は、教育よりも子供たちが自分で学び、考える学習こそが大切だ
それはいい。で、どのようにそれを果たすのか?
答えたまえ、筑紫哲也。







2000.04.26

<国旗国歌法>国歌の斉唱率が1ケタ台から90%近くに急増
[毎日新聞 04月26日]



 国旗・国歌法が成立して初めて行われた今年3、4月の都立高校の卒業式・入学式で、国歌の斉唱率が前年までの1ケタ台から90%近くまで急増したことが26日に開かれた都教育委員会定例会で報告された。卒業式で国歌斉唱を行った都立高は208校中184校と88・5%に上り、前年の7・2%に比べて大幅に増加した。

「国旗・国歌」「日の丸・君が代」については、語りたくない。今ここで言いたいことは以下のことだ。

「昨年まで7・2%だった斉唱率が88・5%、すなわち12.3倍にも跳ね上がった背景には、凄まじい強制があっただろうと、誰もが想像できること」にもかかわらず「メディアはそれを取材し、記事にする意志をまったく持っていないということ」異常である。

(「以上である」と打ったら変換ミスで上記の通りとなった。しかしこの方がニュアンスとして正しいので、このままにしておく)。









2000.04.27

指導要録全面開示 上田市教委、個人情報保護条例で
[信濃毎日新聞 2000年4月27日]



 上田市教育委員会は二十七日までに、市個人情報保護条例に基づく開示請求に応じて、市立小学校児童の「指導要録」を全面開示した。

県教委などによると、県内ではこれまで、各教科を段階別に数字で記載した「評定欄」だけの開示が通常で、学習態度の特徴などを記述した「所見欄」まで含めて、制度として全面開示の方針を示したのは初めて。市教委は、内申書についても原則として全面開示する方針。全国的にも全面開示する自治体が出ており、県内の他の市町村にも影響を与えそうだ。

 市内の小学校に通う児童の保護者から十八日、今月から施行した市個人情報保護条例に基づいて開示請求があった。市教委は十九日に臨時会を開催。判例や他市の状況などを参考にしたうえで、委員五人の全員一致で全面開示と決め、二十五日に開示した。

 県教委によると、これまで評定などは部分開示するが、教師の所見欄は「教師と児童、生徒の信頼関係を損ねる」として非公開としてきた。市町村教委もほぼ同様の対応。特例として県立高校と松本市の中学校で、全面開示した例が一件ずつある程度という。

 臨時会では、「全面開示によって信頼感を損ねないか」との点について、「事実の記録で、情報の共有はかえってきずなを深める」「日ごろから信頼関係を築くことこそ教育の原点であり、教師の責務だ」などの意見が出た。今後の指導要録への影響についても「個性を伸ばすために長所を取り上げるのが基本で、形がい化はあり得ない」など、いずれも全面開示に積極的な意見だったという。

 また、指導要録の記入には客観性や正確さを期すよう配慮することなども確認した。我妻忠夫教育長は「情報を隠そうとする考え方は教育の信頼関係にはつながらない」と話している。

市教委のメンバーはどのような構成だったのか・・・・・・。
いずれにしろ、
「事実の記録で、情報の共有はかえってきずなを深める」「日ごろから信頼関係を築くことこそ教育の原点であり、教師の責務だ」「個性を伸ばすために長所を取り上げるのが基本で、形がい化はあり得ない」
などという考え方は、指導要録を書いたことのある人間の発想ではない。

指導要録の記入に」「客観性や正確さを期すよう配慮」すればするほど、本人にとっては聞きたくないことも語られるようになる。しかし「個性を伸ばすために長所を取り上げるのが基本」ということになると、客観的でも正確でもなくなる。例としてあまりいいとも思わないが、例えば神戸事件の少年Aの、長所だけで書かれた記述を、客観で正確だとは誰も言わないだろう。


そもそも特定の人間について何かを書き、まったく文句をつけられないとしたら、それは美辞麗句に終始する場合だけだ。委員たちは、視点の置き方によって多くの「事実」が生まれるということ、「事実」がそういうものだということを知らない。書き手にとって欲求不満の募る、美辞麗句によって彩られた偽文書によってつくられる「きずな」に、何の意味があるのだろう。


ただし、この記事にも一片の正しさはある。 指導要録の形骸化はもちろんありえない。 長所のみによって書かれた指導要録は、すでに形骸化しているからだ。



しかし、それにしても、だ。こうして形骸化してしまった指導要録。実のところ誰が見るのだろう?要録の写しは小学校から中学校へ、また中学校のものは高校へとそれぞれ送られるものだが、私は小学校から受け取った写しについて、氏名や住所を確認するだけで、書かれた内容についてはまったく見たことがない。徹底した偽文書だから見る価値がないのである。


もちろん学校の管理の監督者である教育委員会の主事は義務として内容を吟味するが、それを子どもに役立てるわけではない。

私はこれまで指導要録という何の益もない仕事が嫌いだった。けれど今後は少しは好きになるだろう。

開示請求者だけがそれを役立ててくれるからだ。たぶん裁判か何かで。





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生徒が教師を包丁で刺す 広島の高校


[朝日新聞 2000年4月27日]



 28日午後7時50分ごろ、広島市南区東本浦町の市立広島工業高校から「生徒が授業中に教師を包丁で刺した」と110番通報があった。駆けつけた広島南署員が同高2年生の男子生徒(16)を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。守田健教諭(30)は左腕を深く切られ大けが。
 調べによると、この生徒は、定時制の数学の授業中にガムをかんだり机の上に教科書を出さなかったりした態度を守田教諭から注意されたことに腹を立て、廊下にある自分のロッカーの中から刃渡り約15センチの出刃包丁を取り出し、守田教諭を廊下に呼び出して「殺してやる」などと言って切りかかったという。

2年前の黒磯市の女性教諭刺殺事件のときのように「注意のしかたに問題はなかっただろうか」などといったふざけた社説が出ないことを祈る。

ただし、
他人に迷惑をかけているわけでもなし、授業中にガムを噛んだり机の上に教科書を出さない程度で注意をする教師の管理的態度の方が問題だ、というなら歓迎だ。

対決しよう。