キース・アウト
(キースの逸脱)


2001年4月

by   キース・T・沢木


















2001.04.05

生きる力育成へ、新工夫が大幅増
新指導要領下の教科書

[朝日新聞4月4日]


 来年から小、中学校で使われる教科書の検定が3日終わった。学校週5日制の完全実施への対応に加え、落ちこぼれをつくらないために学ぶ内容が現行より「3割」削減された新学習指導要領に基づいて初めて編集された。知識を詰め込む学習より、子どもが自ら課題を見つけ、学び、考え、問題を解決する能力や「生きる力」を身につけることができる学習への転換を目指したとされる。だが、具体的にどこがどう変わったのか。小学校を中心に新しい教科書の工夫も目立っている。
 ○算数・数学 キャラクターで親近感 
 ○理科 イラストやカラー多用 
 ○国語 読解より表現力を重視 
 ○英語 巻末付録使い語数抑制 
 ○社会 「調べ学習」を手ほどき 
◇学校の魅力回復、教員の努力が必要に

 《解説》「授業がわからない」「学校がつまらない」。今回合格した教科書は、こんな子どもをなくす目的で生み出された。98年末に告示された新しい学習指導要領に厳密に従い、教える内容は3割削減された。

 学級崩壊、不登校、物を壊すなどの「荒れ」……。学校を取り巻く問題は山積みになっている。教える内容を大幅に減らし、「基礎・基本」を理解するまでていねいに繰り返せば、子どもたちは再び学校に魅力を感じるようになるのではないか――。こんな考えが、文部科学省にある。

 しかし、こうした「ゆとり」路線は、実は80年度以降に導入された前々回の指導要領から始まっている。当時もやはり「授業時数の削減」と「教育内容の精選」が強調された。この間20年余りが過ぎたが、「落ちこぼれ」は一向に減らず、その一方で受験競争は激しさを増した。「思惑通りにいかなかった」というのは、文科省の幹部も認めるところだ。

 そして、今回。文科省は、中途半端だった「内容精選」をより徹底することで状況の改善を目指している。教科書会社も、子どもたちの理解を助けるために様々な工夫をこらした。学習内容と実際の生活との関連を多く取り上げ、子どもたちが親しみやすい編集に腐心した。カラー写真やイラストもふんだんに使った。父母らの世代の教科書とはすっかり様変わりしている。

 新しい教科書による「3割減」の教育は来春始まる。これが行き詰まれば、「落ちこぼれ」が減らない上に全体の基礎学力も下がるという事態が起きかねない。公教育への不信がさらに広がることも考えられる。

 それを防げるかどうかは、結局は現場の教員の努力にかかっている。ていねいに授業計画を練り、教え方を研究することが今まで以上に求められるだろう。

 教員は、生徒指導など授業以外の仕事にも追われている。優れた実践例を集めて広く提供する。少人数の授業編成ができるようにする――など、現場を支えるために文科省や教育委員会がとらねばならないバックアップ策も少なくない。(教科書検定取材班)

珍しくまっとうな解説が出た。
そうだ、この40年間の文部行政は、世論(そしてそれを操作するマスメディア)の激しい突き上げよって、「落ちこぼれ」をなくし「受験戦争」を緩和することに終始したのだ。
その決め手が「授業時数の削減」と「教育内容の精選」である。
(これもメディアが激しく要求した)

ただし、一見ひとつの流れであるかのように見える「落ちこぼれ」をなくすことと「受験戦争」の緩和は、実はまったく別のものだった。
「落ちこぼれ」対策はもちろん「落ちこぼれそうだ(落ちこぼれてしまった)何とかしてくれ」という、お勉強のできない児童生徒や保護者の声を救い上げたものである。それに対して、「受験戦争」の緩和は、同じグループの人々の要求であるとともに、エリートの確保を目指す産業界の要求だったのだ。



産業界はこの40年間、ほとんどの基本特許がアメリカに握られていることに苛立っていた。
どれほど丁寧な仕事をしようとどれほど生産を上げようと、基本特許をアメリカに握られている間は常に膨大な特許料を払い続け、常にアメリカの「おこぼれ」をいただく形でいくしかない。
世界第二位の工業大国になりながら、この先果てしなくアメリカの属国であり続けなければならないという現実は、産業のみならず政治を巻き込んだ国家の汚辱だった。

なぜ日本からは金になるユニークな発明が生まれないのか。・・・彼らは考えた。
そして「結局それは、激しい受験競争によってエリートたちが詰め込み学習に能力を使い果たし、創造的な能力をすり減らしてしまったためなのだ」という妙な論理にたどり着いたのである。

エリートを受験戦争から救い出し、ゆとりの中で創造的な力を伸ばしてもらわなければならない、そtれが「ゆとり教育」の真意である。

見たまえ、新指導要領を。
問題を解決する能力、創造的な力、自ら考え問題を見つけ出す力・・・、どれもこれも「21世紀を牽引していく子どもたち(つまりエリート)」に要求されるものばかりではないか。

そして彼らは心配し始めた。
「どうせ高校生の7割はもともと勉強なんか分からない、つまり日本の産業界にとっては単なる働き蜂だからどうでもいいが、こんなに学習内容を減らしてしまって、本来のエリートたちは大丈夫なのだろうか?」
それが今日の学力問題の真意である。



  



2001.04.06

少年事件、兆候あった
3タイプに分類 最高裁調査

[朝日新聞4月5日]



 単独で事件を起こした少年の3タイプ

 最高裁の家裁調査官研修所は4日、重大事件を起こした少年の成育環境や犯行状況などを検討した研究結果を公表した。単独で事件を起こした少年の多くが事件前に深い挫折感を抱いたり自殺を考えたりしていたことに着目して「追いつめられた苦しい状況を避けるために破壊的な方法しか思いつかず、事件に至っている」などと分析。事件を防ぐには「前兆」の意味を理解して適切に対応する必要があると指摘した。
 97年から3年間に各地で起きた殺人と殺人未遂、傷害致死事件の中から15事件を取り上げ、関与した13〜18歳の20人を対象にした。調査官と裁判官に精神科医や臨床心理学者らを加えた16人で昨夏から事件記録を検討。外部の識者を入れての事例研究は初めてだ。
 研究は、15件のうち単独で起こされた10件にかかわった少年を(1)幼少期から問題行動を頻発していたタイプ(2)表面上は問題を感じさせなかったタイプ(3)思春期に大きな挫折を体験したタイプ――に分けた。
 自殺は10人中7人が試みたり考えたりしていた。研究は「いきなり起こしたようにみえる事件でも、後から『そういえば何かおかしかった』と思い返されるような行動がある」と説明した。
 一方、集団で起こされた残り5件は、暴力を振るっているうちにエスカレートした事例が大半。「少年の多くはいじめられ体験といじめ体験の両方を持ち、学校生活に意欲を失っている」といった特徴を見いだした。
 家裁や児童相談所などに配るほか、6月末をめどに市販する予定だ。

朝日新聞はこの結果に対して猛然とキャンペーンを張るべきだ。
なぜなら、ここにはマスメディア各社が報じてきた厳しい受験戦争・徹底した管理教育に対する一言の言及もなく、あるのはただ、本人の性格と親のあり方だけなのだ。

いのは犯罪少年や家族ではなく、学校や社会だったはずではないか?
メディアから見れば明らかに間違っているこのような判断を、何のコメントもなく放置するとは、いったいどういうつもりなのか!?







2001.04.21

男子生徒を5カ月間別室に“隔離” 愛知の中学校

[朝日新聞4月21日]


 愛知県尾張地方の市立中学校が、3年生の男子生徒(15)が校則を守らないうえ、いたずらして他の生徒に迷惑をかける、などとして昨年3月から約5カ月間、男子生徒を別室に移して授業を受けさせなかったことが20日、わかった。他の生徒と接触しないように教師が同席し、監視もしていたという。市民団体を交えた交渉の結果、学校は行き過ぎた措置だったと認め、男子生徒は教室に戻った。

 学校側や男子生徒の説明によると、別室に移されたのは1年生だった2000年3月上旬で、1学期が終わるまでこの部屋にいた。男性教師数人が教室に来て、職員室の向かいにある「教育相談室」に男子生徒を連れて行った。

 男子生徒は当時、シャツのすそを出し、名札や校章を着けず、髪を茶色に染めたこともあった。教師たちはたびたび、指導をしていたという。

 別室は部屋が3つに仕切られ、1区画は4畳程度。定期試験もここで受けた。授業は一切受けられず、学習用プリントを渡されることもあった。

 部屋には監視役の教師もいて、近づく同級生と話をしようとすると「ほかの生徒としゃべるな」と遮ったという。

 生徒の両親は、教室に戻すよう学校に求めたが聞き入れられず、昨年7月に名古屋市の市民団体に相談。夏休みに市民団体と一緒に話し合った結果、学校は行き過ぎた措置と認め、生徒は2学期から復帰した。

 男子生徒は「校則の強制が嫌だった。先生たちは自分のことが嫌いなんだと思った」と話している。教室に戻った生徒は校則の見直しを訴えて、昨秋と今春の生徒会長選に立候補した。2回とも当選し、現在も生徒会長をしている。

 当時の教頭は「(この措置は)生徒指導担当の教師たちと決めたが、授業を受けさせなかったことは間違っており、申し訳ないことをした」と話している。

 この中学がある教育委員会の学校教育課は「行き過ぎた指導を注意した」と話している。


世間の人たちはこの記事をどう読むのだろう?
校則を守らないうえ、いたずらして他の生徒に迷惑をかける
シャツのすそを出し、名札や校章を着けず、髪を茶色に染めたこともあった
その程度の罪に対して、5ヶ月間も隔離し、授業を受けさせないとは何事か・・・
昨秋と今春の生徒会長選に立候補した。2回とも当選し、現在も生徒会長をしている
というくらいだから、さぞかし立派な少年だろう
・・・と、そういうことになるのだろうか?

しかし、教師は違う。
一人の生徒に教師が張り付きになるくらいだから、こいつは相当に悪辣なヤツに違いない。
私たちはそう考える。

まさかこの不況下、愛知県だけが潤沢に教育予算を確保し、年収数百万円の教師を一人雇って生徒に張り付かせているということもなかろう。授業の空いた教師がせっかくの空き時間を教材研究にも当てず、たった一人の生徒に張り付いているのだ。

学校は、おとなしく授業を受ける生徒を別室に置いて、そのために教師を配当するなど絶対にしない。
そんな余裕は本来はない。
にもかかわらずその子が「隔離」されたとしたら、それはこの子のために授業が成り立たず、他の生徒の学習や生活に重大な支障が生まれたからなのだ。

しかし、そうした事情はあっても、「授業を受けさせていないではないか」と言われれば引かざるを得ない。
迷惑をこうむっている他の生徒の学習権の侵害は証明されないが、別室に置かれた生徒が授業を受けられなかった事実は明らかだ。その正義の前に、学校も教育委員会も沈黙せざるをえない。

さて、いかがしたものだろうか?

答えは簡単である。
どんな悪辣なヤツでも教室を出すことは許されない。
その上で、他の生徒も気持ちよく学習できるよう、その子を指導しなければならない。
方法は?
そんなことプロなんだから教師が考えればいい。
それだけである。

それにしても・・・・・・・
こんなふざけたヤツを二度までも生徒会長に選ぶのだから、学校全体も、またまともではない。



 



2001.04.27


バイク指導  まず命の貴さを教えて

[沖縄タイムス4月26日]




 「もはや打つ手が見つからない…」。交通事故による高校生の死亡者が十人を超えた数年前に、バイク指導に熱心な教師の一人はこう嘆いた。
 一部の高校では、バイクを禁止にしないで安全教育を重視した「乗せての指導」を行っていたが、大半の学校は全面禁止だった。

 県教育庁が昨年実施したバイク指導の調査によると、全日制課程六十一校のうち、バイク免許を取らない・乗らない・買わないの「三ない運動」や全面禁止とする学校は二十校。バイクに乗るのを認めた「帰宅後自由」が三十九校となっている。

 バイク通学まで認めているのが二校。定時制課程の十一校はすべて車両通学が可能だ。

 乗せての指導が増えた背景には、生徒のバイクへの興味や関心を抑えるだけでは事故防止につながらない、学校や家庭できちんと指導した方が効果も望める、との発想があろう。

 単に運転技量の向上や交通マナーの指導にとどまらない。安全教育を推進しようとの意気込みが見える。

 しかし、全面禁止や三ない運動の学校が約三割を占める。学校現場では依然としてバイク指導で模索している様子がうかがえる。

 この十年、増減を繰り返しながら、高校生の交通死亡者は少なくなりつつある。乗せての指導の効果と、とらえられなくもない。

 とはいえ、バイク指導に「特効薬」がないのは、指導に当たっている教師が一番身に染みて感じているはずだ。

 学校が、PTAや地域との連携、授業での安全教育など日ごろの活動を怠れば、乗せての指導は逆に事故の増大につながりかねない。

 父母の責任も問われる。

 子どもが欲しがるままにバイクを買い与えたり、自分でバイトして買うのならと放任したのでは、かえって逆効果を招くことになる。親子で話し合ってルールを決めるのも一つの手だ。

 学校では、命の貴さなど安全教育を徹底して教えてほしい。


恥ずかしくはないか? 沖縄タイムス
このような記事を載せて


「乗せての指導が増えた背景には、生徒のバイクへの興味や関心を抑えるだけでは事故防止につながらない、学校や家庭できちんと指導した方が効果も望める、との発想」はもともとメディアのものだった。
「学校が、PTAや地域との連携、授業での安全教育など日ごろの活動を怠れば、乗せての指導は逆に事故の増大につながりかねない」なんて百も承知だから、現場教師はそんな面倒なことは大嫌いだった。

しかし規制のこちらは大嫌いなメディアが常に『全面禁止や三ない運動」攻撃の標的にしてきた。
学校はその攻撃の前に大きな譲歩をし続けてきただけなのだ。

無茶な要求をして、その要求が通るとそれが無茶であることを攻撃する、それがメディアの常套手段だ。
学校は放火魔に消火の仕方を責められる消防士のような気持ちでいる。


バイク指導に「特効薬」がないのは、指導に当たっている教師が一番身に染みて感じている
その通りだ。
だからこそ、三ない運動でしか子どもの命は守れないと学校は考えてきた。

しかしキミたちはそんなことよりも自由の方が大切だと今も言い続ける。
子どもの勝手にさせておきながらその命を守れと言い張る。
挙句の果てに、
子どもが欲しがるままにバイクを買い与えたり、自分でバイトして買うのならと放任したのでは、かえって逆効果を招くことになる。親子で話し合ってルールを決めるのも一つの手だ・・・・・・・

親子で話し合ってルールを決める、そんなことこれまで幾百万の家庭がやってきたことじゃないか。
しかし警察という国家機構ですら守らせることのできないルールを、どうやって一家庭が守らせることができるのだ?

さらに、
学校では、命の貴さなど安全教育を徹底して教えてほしい。

なあ沖縄タイムスよ、
毎日数百・数十万の読者に記事を送りながら、キミたちはどれほどの犯罪や事故を減らすことに成功してきた?
キミたちと同じように、命の大切さなんて学校教師には教えられんのだよ。
学校教師ばかりでなく、スピード狂のガキが全員、安全運転に心がけようとするような「命の教育」なんて、この世には存在しないのだ。
しかしキミたちは、学校を非難したいという欲望を抑えきれない。

マスメディアという公器を使っても、声高に不満を叫び続けなければ気がすまない貧しい品性が、君たちの中には常にウズ巻いている、そうじゃないかい?







2001.04.30

長時間保育で攻撃的に? 米国の研究所が発表

[
朝日新聞4月29日]




 保育施設に預けられる時間が長いほど子供は攻撃的な性格になる。そんな調査結果が米国で発表され、母親たちを不安にさせている。

 米国立衛生研究所が研究費用を拠出し、米10都市の乳幼児1364人の育っていく過程を10年間にわたって追跡調査した。公的な保育調査としては最大規模だった。

 生後3カ月から4歳半までの時期に、保育園などに週30時間以上預けられた子供の17%は、幼稚園でほかの子に乱暴に振る舞ったり、先生に反抗したりする傾向が強かった。週10時間以下の子供が幼稚園で問題行動に走るケースは6%以下だった。

 対象となった子供の託児時間は平均で週26時間。預ける先が保育園でも託児所でも、自宅でベビーシッターに見てもらった場合でも結果は同じ。子供の性別や家計も結論に影響しなかった。

 研究を率いた英ロンドン大のジェイ・ベルスキー博士(48)は「週何時間までなら大丈夫という線引きはだれにもできない。ただ託児時間をなるべく短くした方が子供によい結果を生むとは言える」と学会で発表した。

 米国では6歳以下の子供を持つ母親の65%、父親の96%が職を持っている。

これ、マジ?
要するに、週10時間保育園に預けられた子どもと比べると、その3倍の30時間預けられた子は保育園で3倍暴力的だったという研究結果である。

そんなの当たり前じゃないか?

むしろ3倍も預けられながら、たかだか一日2時間程度の集団生活しか送らない子どもたちと同じ程度にしか暴力事件を起こしていない長時間保育児の方が立派というべきだろう。なぜなら、集団ストレスは集団とともにすごす時間が長くなればなるほど昂じるもの考えるのが常識的だからだ。

研究者というのは、この程度のアホな研究しかしていないのだろうか?

そしてこんなアホ研究をことさら取り上げようと考えた朝日新聞の頭の程度も知れたものである。


さて、同じ日の信濃毎日新聞にはもう少しマシな記事が載っている。


 

3歳未満児の母親―外で働いていても 子の発達 影響なし

[信濃毎日新聞4月29日]


子どもが三歳になるまでに母親が家の外へ働きに出ても、子の発達に悪い影響を与えないことを、国立精神 神経センター精神保健研究所(千葉県市川市)の菅原ますみ室長らが十六年の追跡調査て確かめた。

 「母親が幼児期に働いたから、子どもに非行など問題行動が表れる」とする説を否定し、働きながら子を育てる女性たちを励ますデータだ。「三歳までは母の責任て子育てすぺき」とする三歳児神話をあらためて覆した。同様の結果は欧米の調査で示されているが、国内で母の就労と子の発達をこれほど長期間調ベた研究は初めてという。

 菅原室長らは、一九八四年八月―八六年二月に神奈川県内の公立病院で受診した千二百六十人の妊婦を登録し、子どもが胎児から十四歳に成長するまで問題行動などを郵送や面接て調ぺた。十四歳まで調査できたのは二百七十世帯あった。

 子どもの問題行動は「騒がしい」「ののしり」「かんしゃく」なと二十一項目を母親に聞いて判定した 調査票には、国際的に認められている尺度を使った。

 母親の四人に一人は、子が三歳未満に仕事に戻っていた。子の問題行動について、幼児期に母親が働きに出なかった場合と比べた。

 この「キレる系」といわれる衝動的・攻撃的な問題行動は五歳までなら、幼児期に母親が働いていた方が少なかった。八、十、十四歳になると 差がなかった。

 子への愛着や、十歳のとき子から見た母子関係の良好さにも違いはなかった。
 幼児期に母の就労が子の問題行動をむしろ抑えるよう作用するのは「子育てに多くの人がかかわる『開かれた育児』が、ルールを学ふ機会を子どもに与えているのではないか」という。

 菅原さんは「母親が働くことで、子ともの人格がゆがむことはない。子育ては社会全体で支援することが大事だ」と提言している。



 父は育児に参加を
 正高信男 京大霊長類研究所助教授(行動学)の話

 日本で独自に初めて長期間、追跡した重要な実証的研究だ。母親が一人で抱え込んて子育てするとかえって悪い。幼児期の母の就労は問題ない。ときには子をしかることも必要で、それには父親が向いている。父親が育児の傍観者にならないことが、キレる子を出さないためにも望ましい。



同じ内容について異なる研究成果があるときどちらを採用するか。
それがメディアの立場である。

いうまでもなく、今回は信濃毎日新聞の勝ちだ。