キース・アウト
(キースの逸脱)

2001年11月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。










 
  




2001.11.03


冬は制服スカート禁止 岡谷の中学「健康考え」義務化[信濃毎日新聞11月2日]

 冬場は制服のスカート禁止―。
岡谷市の岡谷北部中学校(伊藤敏夫校長・約四百四十人)は今年から冬を中心にした五カ月間、女子生徒に制服のスラックス着用を義務づけ、初日の一日は登校した全員が紺のスラックス姿だった。同校は「冬は寒さで不調を訴える生徒も増える」と、生徒の健康を第一に考えたことを強調している。ただ、スカートを短くしてはく流行が高校生から中学生へ波及していることも背景にあるようだ。「強制的」と受け止める生徒もおり、子どもの権利の面から問題を指摘する声もある。


 同校は、入学時にスカートとスラックスの両方の購入をあっせんしている。購入と着用の選択は生徒に任せてきたが、スカート派がほとんどで、ひざ下までのスカートをミニにしてはく生徒もいた。こうした中、同校PTAが昨年末「子どもの健康を守るため」と、冬期間のスラックス着用を学校側に要望。職員会議で検討の結果、諏訪地方の厳しい寒さと、全国的に児童や生徒が被害者となる性犯罪が目立っていることから義務化を決めた。

 本年度の生徒手帳には「女子生徒は冬期間スラックスを着用する」との文言も加え、スラックスを持たない生徒には十月に購入をあっせんした。
 征矢野達彦教頭は「子どもには(導入について意見を)聞いていない。生徒の自主性を尊重するべきだという意見もあるが、生徒の健康や安全を守るのは大人の責任」と強調。「十二月から二月にかけては、不調を訴えて保健室を訪れる女子生徒数がほかの時期の二倍近い一日平均七、八人にもなる」と説明する。

 これに対し、子どもの人権問題に詳しい石井小夜子弁護士は「一番問題なのは、子どもの意見を無視して決めたこと。服装は表現の自由やプライバシーに関係があり、強制することはできない」と指摘する。
 当事者の生徒の受け止め方はさまざま。初めてスラックスを着用した三年生は「スカートの方がいいけれど、今日スラックスをはいてこないと帰すと先生に言われた」。「スラックスはダサイ」との声も。一方、昨冬もスラックスだったという生徒は「目立たなくなって残念」と話していた。
 諏訪地方のほかの中学では、ストッキングやスラックス着用を指導している学校もあるが、義務化はしていない。
親が指導すべきことを、親ができないので学校に委託し、それに応えたために学校が非難される典型的なパターン
かと言って、保護者の意向を無視しても学校がほめられることはない。

石井小夜子は「一番問題なのは、子どもの意見を無視して決めたこと。服装は表現の自由やプライバシーに関係があり、強制することはできない」とのたまうが、
個人の自由やプライバシーに関わることは全て強制できないとすれば、
身長や体重を明らかにし学校ばかりでなく同級生にまで知られてしまう身体測定など、人権侵害の最たるものとなろう。
子どもの意見を聞けば確実に身体測定はなくなってしまう。

表現の自由は言うまでもなく表現しない自由も含むが、テストという形で学力を表現することを強制されている現状をどう考えるのか。
そもそも行きたくもない学校で勉強を強制されている状況についても意見を求めたい。

石井小夜子よ。
もうマスコミとは縁を切りなさい。このままではただのアホ弁護士じゃないか。


 


2001.11.21


考えるより、暗記する勉強が好き
 中学生対象に調査
[朝日新聞11月20日]

暗記する勉強が好きという生徒は、考える勉強が好きという生徒の2倍――。通信教育大手のベネッセコーポレーション(本社・岡山市)が全国の中学生を対象にしたアンケート結果で、こんな姿が見えてきた。
公立中では来春から生徒の自主性を重視した「総合的な学習の時間」が本格的に始まるが、長年続いてきた「勉強=暗記」という意識はそう簡単に変わりそうにない?

今年5〜6月、全国の公立中学生約2500人を対象に調査した。
勉強方法を二分し、どちらに当てはまるかを尋ねると「暗記しようとする」との回答が67%で、「出来るだけ考えようとする」(30%)の2倍以上だった。
「分からないところはどうするか」には、「友達に聞く」が64%に上り「自分で考える」(34%)を大きく引き離した。具体的な勉強方法では「分からない時には辞書を引く」は3人に1人。「図鑑や辞典で調べる」は10人に1人だけだった。
公立小中学校で来年度から本格的に始まる「総合的な学習の時間」は、数字による成績評価もなく、従来の教科ではカバーしきれなかった「自ら学び、考え、主体的に判断する能力」(文部科学省)を育てるのが目標だ。多くの学校ではすでにカリキュラムに組み込み、実施している。
しかし、同社は「効率を追求する受験勉強の意識が根強く残っている」と分析。「自分で考えようとする姿勢が子どもの間に根付くには、当分かかるのではないか」とみている。


暗記型学習は「やりがいのある学習」である。
なぜなら努力の成果が目に見えるからである。頑張れば頑張るだけの(記憶力に優れたものは膨大な、記憶力に劣るものはそれなりの)成果を見ることができるからである。

暗記型学習は「やりやすい学習」である。
できるかどうかは別として、とにかくどこまでやればよいのかがよく見える。暗記項目が1000あるとしたら1000覚えれば勝ちで、500だったら負けである。したがって分かりやすい学習ともいえる。

暗記学習はある意味で面倒がない。
教師の長ったらしい説明をいちいち聞いている必要がない。分かりきったことを実験で確認する必要もない。とにかく「やりゃあいい」ということがはっきりしている。

暗記学習は自信をもって向かい合うことのできる学習でもある。
とにかく「考える学習」の困ったところは、自分の考えていることが真っ向から否定されてしまわないかという恐怖と戦わなければならないことである。
その点暗記学習は気がらくだ。
「あれ〜? オマエ忘れちゃったの?」「ごめ〜ん」
それでいい。白黒は最初からはっきりしている。

最後に、何より暗記学習は努力家が報いられる学習である。
「考える学習」は努力よりもセンスがものを言う。コツコツやるやつよりも「頭のいいやつ」に軍配が上がる。

だから暗記学習の方がいいというわけではない。
ハードウェア中心からソフトウェア中心への転換をはかる将来の産業界を考えると、コツコツ型より天才型の人材をより大切にしなければならないからだ(と産業界は考えている)。

私が言いたいことは次の一言だ。
考える学習より暗記学習の方が好きだという子どもたちの気持ち、
なぜそんな簡単なことがわからないのだろう






2001.11.22


学校5日制、保護者の6割「不安」
 押水町教委、受け皿作りへ研究会
[北国新聞11月21日]


来年度から学校週五日制が完全実施されることに備え、押水町教委は休日の子供の受け皿作りを検討する町民参加の研究委員会を発足させた。同教委の調査で保護者の約六割が不安を抱えていることが明らかになったためで、今後、公民館や図書館の活用など具体策を話し合う。

押水町中央公民館で十九日夜、小中学校やPTA、公民館、図書館長ら委員十八人が出席して初会合が開かれた。


同町教委では、今年七月、学校週五日制について町内の三小学校の高学年児童二百四十三人(回収率96%)と保護者三百四十七人(同89%)を対象にアンケート調査を実施した。

保護者からは「どちらかと言えば反対」も含めると反対が61%を占めた。「親が仕事で面倒をみれない」「学力低下や生活の不規則化が心配」などが理由として上がった。

「どんな行事があったらいいか」の問いに児童は、パソコン教室(91人)料理教室(77人)スポーツ教室(58人)の順で、保護者も子供向け行事やスポーツ、文化活動の充実を求める意見が多かった。

初会合では、図書館や中央公民館などの公共施設が相見小校区に集中しているという意見が出された。地域間格差を解消するため▽送迎の巡回バスの導入▽図書館の分館設置▽ 公民館の出前講座などの検討を進めていくことを申し合わせた。


「親が仕事で面倒をみれない」
「学力低下や生活の不規則化が心配」

殴りたくなるようなコメントだ。

仕事で面度を見切れないなら何らかの方策を考えればいい。

「学力低下」が心配なら、休日に勉強を見てやればいい。

「生活の規則化」はそもそもが親の重要な仕事ではなかったか。

これ以上しゃべり続けるとただでは済まないので、ここでやめる。






2001.11.22


<校内禁煙>公立学校を全面禁煙へ
 来年度から和歌山県教委
[毎日新聞11月21日]

和歌山県教委は20日、来年度から県内すべての公立学校の敷地内を全面禁煙にすると正式に発表した。児童・生徒に教職員の喫煙を見せないことで喫煙防止教育の徹底を図るのが主な目的。

しかし、毎日新聞が、県立高の教職員と生徒に行ったアンケートでは、喫煙している人の禁煙指導を8割の教職員が肯定するなどの実態が明らかになり、「禁煙教育は教職員の意識改革から」とする県教委の考えとの隔たりが浮き彫りになった。
 県教委によると、対象は計514校で同日、県立学校長と小、中学校を管轄する市町村教委などに対して協力を求める通知を送った。全面禁煙方針について小関洋治・県教育長は「喫煙室から煙が漏れることもあり、分煙は必ず不十分さを伴うため」としている。また学校だけの「エリア規制」で、喫煙自体を制限するのではないことを強調したが、希望する喫煙者には、禁煙外来などを行う医療機関などを紹介する予定。

 毎日新聞は、県教委の方針決定を受け、県内の県立高3校の教職員211人(回収率64%)と生徒104人(同100%)にアンケートを実施した。
 教職員の回答では、喫煙教職員の禁煙指導を、「おかしくない」と考えるのが110人(82%)と圧倒的多数で、「おかしい」は16人(12%)に過ぎなかった。また、教職員が学校で喫煙することについて(複数回答)は、「分煙ならいい」が73人(55%)で他を大きく引き離した。

 一方、生徒の回答は、「喫煙する先生が禁煙指導することをおかしいと思うか」について、「はい」の41人(39%)に対し、「いいえ」は62人(60%)だった。 【小山内恵美子】


こういう方針を出してマスメディアから批判されるとは和歌山教委も思わなかったろう。

だが覚えておくがいい。メディアはとにかく「お上」のやることは何でも嫌いなのだ、お上を批判するためなら悪魔とも手を結ぶし、教員の味方にもなる。

さて、その上で禁煙問題に対する私の考えだが、
教師が率先して範を見せるということは大切なことであり、公立学校では当然喫煙は全面禁止にすべきである。つまり和歌山県教委に賛成する。

と同時に、
生徒の性の問題に手を入れようとする以上、教員もまたこの問題から厳しく自己を遠ざけるべきである。

生徒を東大に送り込もうとする教員は全員東大を出ているべきであり、プロ野球選手に送り出そうとする教員は全てプロ野球の経験者でなくてはならない。

生徒にバイク通学を禁止しておきながら自らは自動車で通勤するなどは、もってのほかである。

自分にできないことを生徒に求めるのはやはり間違っていると言うしかないだろう。





2001.11.25


体罰調査
学校にもっとゆとりを
[沖縄タイムス 11月24日]

体罰を加えないと言うことを聞かない児童・生徒がいる。
県教育委員会が県内の全教師を対象に実施した「体罰(暴力)に関する調査」で、そう考えている教師が七割もいることが分かった。
性別、校種別、教員経験年数別、年代別に見てもほとんど差はない。

学校教育法は体罰を禁止している。しかし、県内でも教師による児童・生徒への体罰や暴力が多発している。教育庁は「体罰によらない生徒指導」を重視し、昨年「教職員の体罰等服務規律違反行為に対する懲戒処分等の基準」を定め、学校現場に通知した。

「児童・生徒の基本的人権を侵害し、人間としての尊厳や自尊心を傷つける体罰は、児童・生徒のみならず、地域や保護者の学校や教師に対する信頼を失わせる」という認識に基づいている。今回の調査票にも、体罰は学校教育法で禁止されていることを明記、前提にして聞いていることに注目しなければならない。
体罰を加えないと言うことを聞かないと考えている七割の教師は、体罰のほかに対処の方法を知らないか、ないと考えていることにもなるからだ。

その教師たちは、知識としては体罰禁止を知っている。それに代わる方法が分からないのである。県教育委員会発行の「人権ガイドブック」にも具体的な方法は書かれていないという。

問われるのは、教師同士の関係のありようではないだろうか。お互いに言いたいことを言い、支え合う関係を築けるか、そんな雰囲気のある学校か、は極めて重要なことだと思う。

体罰問題に詳しい琉球大学の照本祥敬助教授は、調査結果を「多忙さの中で、精神的に追い詰められた教師が体罰を行い、児童との信頼関係を失う悪循環に陥っている」と分析している。

調査では、体罰の原因の一つとして挙げた「体罰を容認する風潮がある」との項目にも「特にそう思う」「少し思う」が三割近くを占めている。
考察で指摘しているように、「体罰に頼る指導観、体罰を容認する風潮がその背景にうかがえる」としたら、行政や学校現場は、事態を深刻に受け止めなければならない。

照本助教授は「教師が指導方法について研修し、同僚と話し合える時間の保障が行政に求められる」とも指摘している。
いじめや不登校、学級崩壊など学校が抱える問題は多い。お互いの人権を大切にすることが、体罰禁止と根っこの部分で共通していることを忘れてはならない。

今月最も注目すべき記事である。
なぜならここには、こう書かれているからだ。


今回の調査票にも、体罰は学校教育法で禁止されていることを明記、前提にして聞いていることに注目しなければならない。

体罰を加えないと言うことを聞かないと考えている七割の教師は、
体罰のほかに対処の方法を知らないか、ないと考えている
ことにもなるからだ。


体罰が禁止されているなんて重々承知だが、現実に体罰を加えなければ言うことをきかない子がいるじゃないか。体罰がダメだと言うなら、それ以外に何をしたらいいのか教えてくれ!
それが率直な教員の気持ちである。
そこを記事にしようとした沖縄タイムスは実に優れている。

しかしそこまでだ。

罰がダメなら他の罰を用意するしかない。
それが当然の論理的帰結である。

しかしメディアはとにかく罰は嫌いだ。
当たり前の結論が目の前に見えたところで沖縄タイムスもきびすを返す。

問われるのは、教師同士の関係のありようではないだろうか。
なぜそうしたところへ持っていかねばならないのか。

結局教員と教員社会を批判し、さらに学校の状況を悪化させてメシの種にする。

メディアの骨の芯にまで沁みついた悪しき性質。