キース・アウト
(キースの逸脱)

2002年5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。










 
  


  


2002.05.03

中学生の数学力二極分化 東京理大が調査

[朝日新聞 5月2日]




 中学生の数学の学力は、「できる子」と「できない子」の二極分化が進んでいる−−。東京理科大の澤田利夫教授(数学教育)のグループが、小学校6年から高校1年まで総計約5400人を対象にした調査の最終報告書で、こんな結論をまとめた。27年前に行われた同様の調査では、中間層に集中した成績分布で、違いが際だっている。
 昨年夏、岩手、新潟、大阪、福岡など9都府県の公立中3年と普通科公立高校1年の82学級、約2600人に、全国統一試験である国立高等専門学校の入試問題から、基礎的な問題を選び、AとBの2種類のテストをつくり解かせた。
 理科大グループは00年度、小6と中2を対象に、基礎的な問題がどれだけ解けるか調査している。これに今回の結果を加え、学年ごとの成績、過去の同種の調査データとの違いを分析した。
 まず、今回の調査データで学級ごとに、「できる子」と「できない子」の散らばり具合を示す標準偏差を調べた。この数値が最も大きかった中3について、約1300人全員の点数分布をA、Bの問題ごとにグラフにすると、全体が「二極分化」を示す、なだらかな台形の形になった。
 一方、国立教育研究所が75年度に「学習到達度と学習意欲に関する調査」を行っており、この調査で対象になった中3約1000人の得点分布は、得点の中間層が多い山なりの形となっている。

 澤田教授は「勉強をしなくなった子が予想以上に増えている。ドリルや宿題を地道に繰り返す習慣が学校でも家庭でも薄れてきたのが原因ではないか」と話している。



学力の二極分化を示すデータは何も今回が初めてではない。
 かなり大規模なものとしては、99年の河合塾があり、そこでは数学に限らない全面的な二極分化が示されていた。

 河合塾の分析が優れているのは、高校生全体の学力低下、その中でも中位の者たちの著しい低下をリアルに捉えた点にある。中位のものが分化し上位と下位に分かれたのではない、中位の者がまっすぐに落ちていき、下位の者と合流したのである。

 また上位の者も他を振り切って上昇したのではなく、中位の者に比べて落下率が少なかったに過ぎない、だから差が開いた。


 さらに下位グループだけに焦点を当ててみると、上位中位両グループが成績を下降させる中で、彼らだけが95年からほとんど成績を下げていないことも注目に値する。
 彼らががんばったのでない。95年にはすでに、これ以上落ちようのないところまで落ちていたのである。



 1995年と言えば、まだ子どもたちが過酷な受験競争に苦しんでいると言われた時代である。小学生が塾を掛け持ちにして、毎晩11時近くまで学習するという不健康を強いられていた時代でもある。

 それだけ子どもたちが学習していながら、なぜ子どもたちの一部はこれほどに成績を落としてしまったのか。

人間には学習をすればするほど成績落ちるという、自然界には存在しない逆転があるのだろうか?

そんなことはない。

答えは簡単である。昔も今も、勉強をしない子はしなかった。昔の子は多少はやったが、いまの「やらない子」は「まったくやらない子」である、というだけのことである。にもかかわらず、マスメディアは異常に勉強するほんの一部の小中学生だけを取り上げ、問題とした。一日に4〜5時間という過酷な家庭学習に耐えうるような優秀な子ばかりを追いかけた。
 なぜああも執拗に一部のエリート候補生だけが取り上げられなければならなったのか。


 1995年当時、もしかしたらマスコミは本気でエリートの育たない日本を嘆いていたのかもしれない。普通のアホな子はどうでもいい、そんな子が成績を下げるなんていっこうに構わないが、優秀な小中学生が毎晩11時まで勉強させられる状況には我慢できなかったのかもしれない。
もう詰め込み教育は十分だ。ドリル的な学習で子ども(正確に言えば頭のいい子ども、うちの息子のように優秀な子)の可能性を潰さないでほしい、それがマス・メディアに勤めるエリートたちの痛切な願いだったのかも知れない。

 



 

2002.05.08

小中学校の校庭を芝生化へ

[読売新聞 5月6日]



 文部科学相の諮問機関、中央教育審議会(中教審)のスポーツ・青少年分科会(会長・奥島孝康早稲田大学総長)は5日までに、体力低下が指摘されている子どもがもっとスポーツに親しめるよう、小中学校の校庭の芝生化を進めることを柱とした中間報告案をまとめた。

 6月にも中教審総会で中間報告が決定され、遠山文部科学相に提出される。

 同分科会は、芝生では、転んでも衝撃が和らげられることから、子どもがけがを恐れず思い切って体を動かすことができ、スポーツや外での遊びが活発になる効果に着目、芝生化を一層進める考えを示した。文科省によると、校庭が芝生化されている小中学校は少なく、1%に満たないという。芝生の植えられたスペースは、地域住民の交流の場としても期待されており、学校以外の運動場でも芝生を増やすよう提案している。

 同分科会はまた、運動する場所を確保するため、校庭や学校の体育館を地域に開放したり、遊休地の固定資産税を減免するといった措置を講じて企業や個人が所有する遊休地の活用を促進するよう求めている。

 学校の部活動については「体力向上に有効」と評価。学校外から指導者を招いたり、複数校で合同チームを作って大会に参加したりするなど、従来の枠組みにとらわれず、ニーズに応じて推進することも求めた。
個人ごとの体力を示すデータや目標を記入する「スポーツ・健康手帳」の作成も提言。テレビなどのマスメディアを活用し、五輪メダリストなど有名選手に登場してもらい、体験談を通じてスポーツの楽しさや体力向上の重要性を訴えることも強調している。
こういう記事に対して、世間の人々がどのように考えるのか、一度アンケートをとってじっくりしらべたいものだ。

スポーツ振興のために良いことだと喜ぶ人がどれほどいるのか。
過保護なことだとあきれる人がどれだけいるのか。

農薬のことを考える人がどれほどいるのか。
維持管理費はどうするのかと考える人はどれくらいいるのか。

どこかの公園にあった「芝生の保護のため、中に入ることを禁ず」という看板を思い出した人がどれだけいるのか。

高い金を使いながら、結局潰れてしまった芝生公園のことを思い出した人がどれだけいるのか。




さて、私が考えたのは次の点である。

子どもたちが授業を潰して草取りをすること
芝刈りサボってると抗議の電話が入ること。
「少しは芝刈りしろ!」
芝刈りにがんばってると抗議の電話が来ること。
「少しは勉強させろ!」


確実に芝生の恩恵を受けるのは早起き野球やナイターサッカーでグランド使う大人たちだろうということ。
さらにアマチュアゴルファーたちの格好の練習場になっていくに違いないということ。。

月曜日に学校に来たら、あちこちに直径10cmの穴が掘られているといった可能性のこと。


等々。



 


2002.05.09

生徒を犯人扱い「校内に泥棒」 亀岡恋高でプリント配布

京都新聞5月8日]



 亀岡高(京都府亀岡市横町、千百八十五人)が全校生徒に配布している生徒指導部通信のプリントで、「亀岡高校にも泥棒がいる」との表現で盗難への注意を呼びかけていることが七日、分かった。

 生徒指導部が不定期に発行している通信の先月十二日号。「盗難に注意」のタイトルで、無人の教室や体育館更衣室で財布から現金が抜きとられるという被害状況を示した後、「世の中に泥棒がいるように、亀岡高校にも泥棒がいるということです」と指摘。「残念ながら各自で自己防衛をしてください」と呼びかけている。

 また、「盗難などの事件が発生した時間帯に遅刻や欠席をしている人には追跡調査をしています」とし、「十五歳以上の犯罪は警察の扱いになります。つまり、犯人の犯罪歴として一生残っていく」と記している。

 亀岡高によると、昨年度に生徒から報告があった現金や携帯電話などの盗難は九十件。学校の調査で、昨年四月から十一月までに、生徒十四人を自宅謹慎などにしたという。

 盗難を防ぐため同高は、貴重品を学校に持ってこないよう指導するほか、財布などを貴重品袋に入れて教職員に預けるよう呼びかけている。

 山内彰校長は「今年四月以降は被害の報告はない。必ずしも適切な表現ではなかったが、昨年度は盗難の被害が多く、注意を呼びかける必要があると判断した」と説明している。

 塩見均・府教委高校教育課長は「盗難に対する注意を促す主旨は理解できるが、『亀岡高校に泥棒がいる』という表現は、生徒に不信感を抱かせる可能性があり、言葉足らずだ。きちんと真意を伝え、校内での盗難がなくなるような指導を求めていく」と話している。



何が問題なのだろう?

繰り返される盗難の中で、丸岡高校は犯人が外部の人間ではなく、内部であることを確信した。
したがって、全員が内部に注意しなくてはならない。少なくとも貴重品を学校に持ってこない程度の配慮はしなければならない。
同級生の中には盗むやつはいないとタカをくくってはいけない、その意味では友だちに対しても不信感をもたなければならない。

と、そういうことであったはずだ。
それがいけないという。

さて、どういうことだろう。

私たちは家の中で金がなくなり、しかも外部から進入された形跡がない場合はまず家族を疑う。それが常識だと教えられてきた。

しかし今や時代は変わったのだ。
家族を疑う前にまず隣家の息子を疑わなくてはならない。

さあみんなで隣の家に行って、一言いおう。

「ウチの中で金がなくなった。お前の家の息子が怪しい。
  金を返せ!
    ウチはお前のところみたいな変なヤツはいないんだから」

今回の事件はそのことを生徒に教えた事件である。





 


2002.05.10

教諭の前で着替え スカート丈注意の生徒 学校側が謝罪

西日本新聞5月9日]


 佐賀市内の県立高校の女子生徒が今年三月、生徒指導室でスカート丈の短さを注意され、教諭二人がいる前で別のスカートを重ね着する形で着替えさせられていたことが八日、分かった。学校側は「生徒は傷ついており、指導に配慮が足りなかった」として生徒と親に謝罪した。

 同校によると、三月六日午後、当時二年生の女子生徒のスカート丈が短かったため、男性教諭が長さを元に戻すよう注意。しかし、生徒はスカート丈を短く切っていたため、生徒指導室にいた女性教諭とともに、見本として保管してあった正規のスカートと取り換えるよう指示した。

 生徒は室内で、短いスカートの上にスカートを重ねてはき、着替えた。生徒はその際「ここでですか」と不満を告げたとしているが、教諭二人は「聞いていない。素直に従ったと思っていた」と話しているという。

 生徒の親からの抗議を受け、学校側は三月三十日に生徒宅を訪ねて謝罪。校長は「思春期の女子生徒の気持ちに対する配慮が足りなかった」と話している。



短いスカートの上に長いスカートを被せ、その下から短いスカートを引き抜く。
それはとてつもなく恥ずかしい行為であり、男性教師に見られたことで女生徒は深く傷ついた。

よく分かる話である。


ただし分からないことがひとつ。
その女生徒は、短いスカート自体は恥ずかしくなかったのか。

いつ下着が見えても不思議のないような短いスカートの女子高校生が闊歩する昨今、
私には深く傷ついた恥ずかしがりやの女子高生より、してやったりと大笑いで新聞記事を振り回す女子高生を思い浮かべる方が、はるかに容易だが・・・。