キース・アウト
(キースの逸脱)

2002年9月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。













  


2002.09.04

コラム「朗読のすすめ」

[紀伊民報 9月4日]


 

 先日、「日本語の持つよさを見直すべきではないか」といったことを書いたが、国語教育も様変わりしたのか、最近、窓から子どもたちの朗読の声を聞くことは全くない。聞こえるのはピアノやステレオぐらいのものである。

 ▽英文学者の中野好夫さんが「言葉について」の著書の中で、「私の育った小さな城下町の住宅街を歩いていると、左右の家から国語読本でしょうか、朗読の声がよく聞こえたものです。本を机の上に立てて大声で音読するわけです。最近は黙読主義とでも言うのでしょうか、完全に聞かれなくなってしまいました」と書いている。

 ▽そして音読訓練の習慣は捨て難いと主張する。「私が音読というものを捨て難いと申しますのは、これによって日本語のもつリズム感というか、調子というか、そうしたものが、知らず知らずいつの間にか理屈じゃなく身についてくると思うのです」

 ▽「私などの経験じゃ中学(旧制)へ行ってまで、この音読というか朗読を自分でもお得意の名調子でやってのけ、私たちにも巧みにそれをやらせた国語の先生がいました。おかげで、いくつかの名文のサワリを今でも覚えています」と。

 ▽そういえば筆者らの中学(旧制)時代も、徒然草や枕草子などよく暗誦(あんしょう)させられた。高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう)の「翠華揺々として西に向へば、秋風到るところ野に充てり」の「平家雑感」の一節など朗々と誦してみれば、半世紀前のことがよみがえる。

 ▽今の流れでは時代遅れの言い分かも知れないが、ひょっとすると、日本の国語教育が、アメリカの影響や受験雰囲気も加わって言語学的になりすぎたのではないかと思う。朗読などしている間がないほど知的学習化しているのではと心配にもなる。城下町田辺の裏通りで朗読の声が聞けたらすてきだなあ。


音読の重要さが指摘されて久しい。
「声に出して夜みたい日本語」が出版されて丁度一年になる。
その時期。

音読の重要さを我が発見のごとく語るのは恥ずかしくないか?

おまけに
国語教育も様変わりしたのか、最近、窓から子どもたちの朗読の声を聞くことは全くない。聞こえるのはピアノやステレオぐらいのものである
だと?
小学校の窓辺に半日立ってみるがいい。あちこちから元気のいい音読の声が聞こえてくるはぜなのに。

今の流れでは時代遅れの言い分かも知れないが
と、この言い方自体がすでに時代遅れなのであって、音読は今や最先端の学習方法なのだ。

紀伊日報コラムニストよ。破廉恥な不勉強よ。




 

 



2002.09.07

不登校容認の風潮行き過ぎ? 10年ぶりに対策点検

[朝日新聞 9月6日]


  


 文部科学省は13万人を超える不登校の問題に取り組むため、専門家らからなる調査研究協力者会議を5日、発足させた。協力者会議を設けるのは10年ぶり。不登校の子どもは10年前の倍以上になっており、学校内外の取り組みを総点検し、増加に歯止めをかける緊急策や予防策を探ることにした。

 会議は研究者のほか、小中高校長や教育委員会関係者、養護教諭、医師ら16人からなる。

 前回は89〜92年に開催。不登校の見方を特別な子の問題から「どの子にもおこりうるもの」へと転換し、学校に無理やり連れ戻すより、子どもの立場に立って指導する姿勢が大切という立場を明確にしていた。

 これに対して、この日の会議では「不登校を容認する風潮がある。『どの子にもおこりうる』というのを、起きても仕方ない、と誤解している」「子どもが動くまで待つ姿勢が強いと、復帰の時期を逃す」との意見が相次いだ。

 「不登校の具体的な対応を判断する校内のシステムづくりを」「心のケアだけでなく進路の問題として考える必要がある」といった提案のほか、「学校のシステムを根本的に変えなければ」という声もあった。

 今後は、学校や教委など現場の人々から具体的な問題を聞きながら、実態を分析。学校の取り組みや適応指導教室、スクールカウンセラーとの連携のありかたを洗い直す。年内を目標に、短期集中で報告をまとめる。

 文科省の学校基本調査によると、昨年度に病気や経済的な理由以外で30日以上学校を休んだ小中学生は、13万9000人と過去最多を更新した。特に中学校では36人に1人とクラスにほぼ1人いる計算だ。

 これまで各地の教委は、学校復帰への足がかりとして学校外に適応指導教室を900以上開設した。文科省も昨年度は小中高校4千校余りと、スクールカウンセラーの派遣を増やしてきたが、不登校の増加には歯止めがかかっていない。




不登校の見方を特別な子の問題から「どの子にもおこりうるもの」へと転換し、学校に無理やり連れ戻すより、子どもの立場に立って指導する姿勢が大切という立場を明確にした前回の会議と、

「不登校を容認する風潮がある。『どの子にもおこりうる』というのを、起きても仕方ない、と誤解している」「子どもが動くまで待つ姿勢が強いと、復帰の時期を逃す」との意見が相次ぐ今回の会議。
その間に何が横たわっているのだろう?

十年を経て、不登校の性質が変わったというのか、
それとも
子どもを守ろうという意識が薄らぐようになったということか、
はたまた、
「どの子にも起こりうる」「動くまで待つという姿勢」が間違っていたということなのだろうか?
文部科学省にはそれを明らかにする義務があるし、マスメディアはそれを正確に伝える義務がある。

なぜなら、10年前のこの会議の結論によって、
不登校の研究はまったく動けなくなり、
学校は機能不全に陥り、
不登校は減るどころか倍増してしまったからだ。

「不登校はどの子にも起こりうる」は、主として「子どもに責任はない」「家庭に責任はない」という立場マスメディアが主張し、「専門家」を駆使してようやく文部省(当時)から引きずり出した重要な成果だ。
メディアはこのお墨付きを喉から手が出るほどほしがった。なぜならこの一言によって、

子どもの個性の問題ではない
    →したがって家庭の問題でもない
        →残るは学校だけで、したがって学校の問題である


という形で学校批判を強めることができたからである。


中でも過度の受験教育と管理教育が槍玉に挙げられた。

毎日4〜5時間もの自宅学習や塾通いを強制される小学生、
全校数百人もの生徒が一部の隙なくきちんと整列させられる全校朝会、
スカートの丈まで揃えられ、まるでロボットのように規格統一された子どもたち。


そうした報道が繰り返されるたびに、現場の私たちはキツネにつままれたような気持ちになっていた。
少なくとも
私たちの周辺には、10分の家庭学習にも5分の直立にも耐えられない子がごまんといたからである。

しかしそれにもかかわらず、不登校を中心とする学校問題は受験教育と管理教育さえなくせば劇的に解決に向かうとされ、様々な規則が改正され管理的な手法はことごとく廃された。
今回の指導要領の改訂も「勉強で子どもを苦しめるな」という明確な方向のもとで現在のような形になったはずである。

一方不登校の研究は著しく遅れた。
個人の資質を問う研究(生育暦・環境の調査、性格検査や認知パターンの調査、思考の偏りの研究など)は、いちいち「どの子にも起こりうることの研究でなぜ個性を問うのか」という本質的な部分での問いかけの前に頓挫してしまう。
「毒ガスで死んだ人々の個性を問題に知る必要はない」と同じレベルで、不登校が語られるようになってしまった。

さらにもう一つ、
学校に無理やり連れ戻すより、子どもの立場に立って指導する姿勢が大切という
という態度にお墨付きが与えられたことで、数知れぬ子どもたちが社会から見捨てられてしまった・・・・・・少なくとも私はそう考えている。

昔の教師は夜討ち朝駆けで不登校の子の家に出かけたものである。登校を促す仲良しグループを組織したりみんなで学校に誘う手紙を書いたり、相当な努力をしてきた。
それで復帰する子どもも多かったが、10年前の発表以来、そうした努力は浅はかな教師の愚行ということになってしまった。
教師は一斉に手を引かされた。

私はこの問題を考える時、ほとんど公憤と私怨の区別がつかなくなる。
私の言いたいことは、この10年間に私が失った3人の生徒を帰してほしいというそれだけのことなのかもしれない。

私が深く関わった3人の生徒。
あの時期、私は彼らの最も近いところにいながら、彼らを学校に引き戻す決定的な手段を奪われていた。

医者が彼らを私から遠ざけ、親が「待ちましょう」と堪え性のない結論を早々に出してしまった。
あの子たちは今も苦しんでいる。





2002.09.13

髪染め直しで炎症 川西の中学

[神戸新聞 9月13日]


川西市立中学校で、赤く染めていた二年生の女子生徒(14)の髪を、教諭が市販の染髪剤で黒く染め直した結果、薬品アレルギーで全治一週間の接触性皮膚炎を発症していたことが十三日、分かった。「安全性への配慮を怠った」という保護者の抗議を受け、学校はこれまで続けてきた校内での髪染めをやめることにし、校長が生徒本人に謝罪した。

 また、保護者から相談を受けた大阪のNPO法人「子どものための民間教育委員会」は同日、同市教育委員会に、この件や過去の体罰についての情報公開を請求した。

 学校や保護者らによると、生徒の髪の色が夏休み中から変色していたため、担任教諭が新学期に向けて黒くするよう指導。生徒は、同様に髪を染めていた友人とともに学校で髪を染め直すことに同意し、担任が保護者の了解を得た上、今月三日、別の女性教諭が市販の染髪剤で染めた。

 しかし翌四日、女子生徒は顔や手足をはじめ全身に皮膚炎を発症。髪染めの当日、保護者が担任に「地肌に薬品が直接触れないように」などと手紙で注意を伝えていたが、女性教諭には知らされていなかったという。

 校長は「学校の知識不足で、生徒にかわいそうなことをした。今後、髪染めは保護者の責任でお願いする」としている。

 同校では数年前から校内で髪を黒く染め直すことを続けており、今年も二学期に入り生徒五人に髪染めしていた。


川西市というのは学校の指導が異常に見えるほど、中学生の茶髪が不思議でない土地柄なのだろうか?
茶に染めるのは良いが、黒に染めるとかかるアレルギーというものが世の中にあるのだろうか?
頭皮が炎症を起した責任はもともと学校がとるべきではく、製薬会社が取るべきものではないか?

思いは様々であるが、正直な感想を言えば、私は悲しい。

何も私たちは他人の頭髪を染めたくて教員になったわけではない。それが望みだったら美容師になればよかった。

様々な理由から私たちは中学生に茶髪が早過ぎると考え、そのための指導のを続けてきた。
染めた髪をひけらかすために子どもたちが夜の街へ出て行くことを恐れた。
町の特殊な少年たちが茶髪を目印にまっすぐ近づいてくることを恐れた。
あるいは、全校の中でただ一人の茶髪として反抗の旗手にされてしまうことを恐れた。
本来なら大切にされるべき子どもたちが、茶髪ゆえに軽軽しく扱われることを恐れた。

なぜならよほど特殊な天分の持ち主でない限り、そうした経歴はあまり得にならないことを、私たちは経験的に知っていたからだ。


今後、髪染めは保護者の責任でお願いする

と、それが可能なら最初から髪の問題などどこにもなかった。
保護者に抑え切れるなら、その子たちは黒に染め直して登校していたはずなのだから。

教員が(本来は日記読んだり授業準備したりするための)空き時間を使って髪染めをするなどという愚は、保護者にその力がないからしかたなくやってきたことだ。
それは愚かではあるが、多くの家庭と生徒にとって必要なことだった。
そして多くの家庭と生徒にとって、それは良いことだった。
それを、たかだか全治一週間のアレルギーで潰してしまった・・・。

私にはニンマリと笑う少女たちの顔が目に浮かぶ。
しかし今笑った少女たちは、その瞬間大切なものを失ったことに気づいていない。
そして多くの仲間と後輩たちは、一緒に引きずり込んでしまったことにも、その子はまったく気づいていないのだ。

今後、髪染めは保護者の責任でお願いする
と、それは今後川西市においては中学生が茶髪であっても、学校は最終的に「お願い」以上の指導をしないということである。

子どもたちの勝利だ。







2002.09.23

算数の学力、20年で大幅ダウン 
小学生6200人調査

[朝日新聞 9月23日]



東京大学学校臨床総合教育研究センターが、関東地方の小学生約6200人に実施した算数の学力テストで、まったく同じ問題を使った20年前の調査結果と比べ、正答率が10.7ポイント落ちていることがわかった。3年生の落ち込みがもっとも大きく、5年、6年も開きが目立つ。正答率が低い「理解の遅い子」の割合も増えている。

 この調査は学習指導要領の内容削減や教科書の説明の簡素化などの変化が、学力にどう影響したかを初めて調べたのが特徴だ。

 テストは今年2月から3月、関東1都3県の12市の公立小学校17校で1年から6年まで6228人に実施。設問は、82年に国立教育研究所(当時)が同じ地方の17市30校の5082人に実施したテストと同じで、今回対象とした17校は、この30校に含まれる。

 設問は計算、量と測定、図形、数量関係の各領域の基本的な129問。どの学年の子も、1年から6年までの内容を網羅した同じ問題を、できるところまで解く。すでに学習した内容や、これから学ぶ中身をどこまで解けるかがわかる。

 東大からの呼びかけに応じて、データを分析したお茶の水女子大学の耳塚寛明教授らのチームによると、129問のうち109問で正答率が下落した。

 各学年で習う内容に対応するのは1年16問、2年22問、3年21問、4年27問、5年20問、6年23問。学年ごとの問題を対象にした、その学年の正答率で82年と比べ、もっとも下がったのは3年生で17ポイント(正答率60.9%)を超えた。5年生や6年生も落ち込みが大きかった。

 学年別の正答率を平均すると、64.5%で82年より10.7ポイント落ちた。その学年までに習った内容の問題に限ると正答率は77%(7ポイント減)だった。

 20年間で学習指導要領が変わっているため、129問には、いまの小学生が学習しない事柄や、教科書の説明が簡素化された内容も含まれる。しかし、98問は指導要領で位置づけが変わらず、教科書の扱いも同じだ。この98問に限っても正答率は67.2%と8ポイント下がった。

 チームは学力の格差についても、ある学年の児童が、1学年上と1学年下の児童の、それぞれの平均点を上回った率、下回った率を算出する方法で分析した。

 上回った方を「理解の早い子の層」、下回った方を「理解の遅い子の層」として82年のデータと比較。「理解の早い子の層」は学年によって、増減があったが、「理解の遅い子の層」は、5年生で13.1%が20.0%になるなど全学年で82年より率が上がった。

 結果について、耳塚教授は「学力低下が改めて裏付けられた。学力の水準が下がっているだけでなく、格差が開いていることに注目し、できない子やその家庭を支援する方策を考えるべきだ」と話している。




この20年間の大部分は子どもの学習過剰が心配された年月であった。首を傾げる私たちを尻目に、メディアは受験競争の過熱、一日4時間を越える家庭学習に苦しむ小学生たちを追い続けた。

私の周辺の子どもたちはほとんど勉強していなかったが、大都市圏の子どもたちはそうだったのだろう。あれほど勉強しながら成績が下がったのはなぜか、それを明らかにするのはメディアの責任である。
そして学力低下が叫ばれる今、都会の小学生はあと何時間の家庭学習に苦しめばよいのか。
4時間の家庭学習の上にどれほどの時間を重ねればよいのか、教えてほしいものだ。