キース・アウト
(キースの逸脱)

2003年4月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。













  


2003.04.04

新一年生

[琉球新報 4月3日]



 「ドラえもんが先生だったらいいな」。三菱電機エンジニアリングが行った、今春小学校に入学する新一年生のアンケート結果だ。二位に大差の断トツだ。ドラえもんなら誰でも学んでみたい

▼かわいい、子どもの夢だが、なぜ、ドラえもんなのか、考えると興味深い。不思議なポケットから次々飛び出してくる夢いっぱいの道具だけではないだろう。アンケート結果では「何でも相談でき、親身になって問題を解決してくれる、そんな姿を思い浮かべた結果だろう」と分析する

▼先月、本紙が主催して「いじめのシンポジウム」を開いた。小学校でいじめに遭った女性がパネリストの一人として体験を発表した

▼会場から「当時、心の相談員は学校にいなかったのか」と聞かれ、「人間不信に陥っていたので心の相談員という感覚は分からない」と相談することさえ、消えうせていた当時の状況を告白した

▼八日には県内小学校のほとんどで入学式が行われる。ちょっと大きめのランドセルに、あどけない笑顔。初々しい子どもたちが、学校を華やかにすることだろう

▼不思議なポケットはないが、先生方には授業を楽しくする知恵と知識がいっぱいだ。けっしてドラえもんにも負けてはいない。ましてやドラえもんにはない耳も二つある。子どもたちが話すことをたっぷり聞いてあげて、夢いっぱいの期待に応えてほしい。


なんて間抜けな記事だろう。
先生方には授業を楽しくする知恵と知識がいっぱいだ
などと、教師に心寄せるフリをしているが、これまで琉球新報はそれほど教師サイドの記事を書いてこなかったはずだ。
ましてや学校における1000数時間の授業時間をドラえもん以上面白さで満たすことなんかできるはずがない。
(もしかしたら、記者はドラえもんすら見たことがないのかもしれない。「ドラえもん」は「授業」よりずっと面白いぞ!)

「勉強」はそもそもが「強いて勉める」ものなのだ。そんなことはこの言葉が日本に伝わってから2000年間ほとんど変わりなかった。
「授業」は「授ける業(なりわい)」なのであって、「遊び」ではない。

子どもたちが話すことをたっぷり聞いてあげて、夢いっぱいの期待に応えてほしいはいいが、全ての子どもの期待に応えられないからといってまたそぞろ教師の指導力低下などといった話を持ち出さないでほしい。
できもしない期待をかけられて失望され、批判されるのは迷惑である。

ああ、それにしても、
けっしてドラえもんにも負けてはいない。ましてやドラえもんにはない耳も二つある。
とは!!!




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「民間人校長」

[紀伊民報 4月3日]



 子どもや親たちの関心を集めた教員異動が終わった。校長や教頭が代わると雰囲気がころっと変わったりする学校もある。

 ▽この2、3年、新しい船に乗り遅れまいと、民間人を学校長に登用する地方が増えた。「学校の閉鎖された人間関係に新しい風を吹き込むため」という。立派な理念だと思う。しかし「理念のカラ回り」になるとこわい。

 ▽しっかりした基礎研修とサポートが伴わないと、広島県尾道市のように民間人校長の自殺を招いたりする。「民間人の校長は、(企業で)修羅場を経験しているので強いという印象があった。その点を期待していたのだが…」(毎日)と尾道市の教育長は言っているが、たった2日(今は15日に延長)の研修しかしないで、なんという甘えだろう。


 ▽和歌山県も今年は5人の民間人校長を採用した。単年度の採用人数としては全国最多だ。それに女性校長は全国で初めてという。日本一、日本初、おめでたい数字で結構だが、研修期間3カ月のうち一人当たりわずか10日である。

 ▽県教委の話では予算の関係もあるというが、少なくとも1年はかけるべきだ。鳴り物入りで取り組み始めた企画ではないか。即席研修では素人校長はかわいそうだ。東京は6カ月から1年半。複数の学校で子どもとじかに触れ合い、学校の素顔を見極め、その上で新風を吹き込む。これでなければ民間人校長の意味はない。    (香)


この2、3年、新しい船に乗り遅れまいと、民間人を学校長に登用する地方が増えた。「学校の閉鎖された人間関係に新しい風を吹き込むため」という。立派な理念だと思う。しかし「理念のカラ回り」になるとこわい。
待て。
学校も教委も一度かつて民間人校長に積極的に取り組んだことはなかったはずだ。

教員の多くは「学校のことは、学校内に長く身を置いたものにしか分からない」といった誇りを持っているし、(悪意をもって推測しても)自分たちの就くべきポストを減らすことに積極的であるはずがない。
教委にしても、前年踏襲をしていてもいい時期に、敢えて冒険するほど愚かな人間で満ち満ちているわけでもないだろう。
「学校の閉鎖された人間関係に新しい風を吹き込むため」などという理念は、まったくもって教委敵でも学校的でもない。


「民間人校長」への期待はマスコミが煽り、議会も動かされた。
そこにはリストラ対象の幹部社員をどう振り向けたらよいのか、思案する役員会メンバーの思惑もあったのかもしれない。
いずれにしろどこかが始めれば全ての地方公共団体に圧力がかかる。
教委も学校も、その圧力に抗しきれない。
それを教委や学校のせいにされてもかなわない。


予算の関係もあるというが、少なくとも1年はかけるべきだ。
それこそ立派な理念というべきものだ。
しかし
1000万円近い給与を払い1年も研修させておくほど価値のある人間がどこにいるのか。いやそもそも、それほどの人材が、なぜ今の職場を離れなければならないのか?

もしかしたらそれは「東京だから」できることなのかもしれない。
ヨーロッパの小国並の予算を動かす東京と同じことを和歌山がやれば、その結果は火を見るよりも明らかだ。
しかしそうなったらそうなったで、紀伊民報はまた、
なんという甘えだろう。
と書けばいいのだから気楽なものだ。









2003.04.05

「いい子でいるのが嫌」 中3が自宅放火し出頭

[共同通信 4月4日]


 4日午前1時ごろ、埼玉県所沢市の会社員(46)宅から出火、木造2階建ての一部約40平方メートルを焼いた。会社員と妻が顔などにやけどをした。
 行方が分からなくなっていた中学3年の長男(14)が同日午後、同市内の交番に「自分が火を付けた」と出頭、所沢署が放火容疑で逮捕した。長男は「いい子でいるのが嫌になり、むしゃくしゃしてやった」と話しているという。
 調べでは、長男は2階の自室で毛布にライターで火を付けた疑い。会社員方は夫婦と長女、長男の4人家族。長女にけがはなかった。
 近所の主婦は「成績が優秀と近所でも評判で、いつも大きな声であいさつしてくれる明るい子なのに信じられない」と話した。


これについては、言うことは一つである。
「いい子」が危ないのではない。
「いい子になれないのにいい子のフリをしている『いい子モドキ」が危ない」
のである。







2003.04.06

不登校生の幸せは「学校復帰」? 公立と民間で意見相違

[朝日新聞 4月5日]


国立教育政策研究所は、教育委員会の適応指導教室や、民間のフリースクールなど不登校の子どもの学び舎(や)を初めて全国調査した。適応指導教室は、その39%が「できるだけ早く学校復帰させなければ幸せになれない」と答えるなど、学校での教育を強く意識していることがわかった。

 調査は昨年末、適応指導教室959カ所、フリースクール、フリースペースなどの民間施設947カ所を対象に郵送方式で実施。902カ所(回収率47%)から回答を得た。適応指導教室が60%強を占めた。

 結果によると、「できるだけ早く学校復帰させなければ子どもは幸せになれない」に4段階で答えを求めたところ、39%の適応指導教室が「とても」「ややそう思う」と答えた。「学校以外の学び舎に長期間いることは望ましいことではない」は66%にのぼった。

 これに対し、民間は「早く学校復帰」が4〜26%、「学校以外に長期間」も14〜26%で、際立った違いをみせた。
 逆に、「子どもが幸せになるのなら学校に行かなくてもかまわない」では、適応指導教室は34%だったが、民間は68〜87%にのぼった。

 違いは子ども観や保護者観にも表れた。
 「親はもっと責任をもって子どもをしつけてほしい」も適応指導教室で90%を超えたが、フリースクールは約70%、フリースペースは約40%。
 適応指導教室は90年代から増え始め、全国の30%近い市町村に約990ある。代表者の半数が元校長。町村部は学び舎の種類が少なく、「子どもの息苦しさは一層深刻になりがちだ」と調査報告書は指摘した。

 研究グループの一人の吉田敦彦・大阪女子大助教授は「教室が学校復帰にこだわると、民間の選択肢のない子どもは生きづらい。まず学校復帰の原則ありきではなく、学ぶ機会を与えることを第一に、もっと柔らかな姿勢が必要だ」と話している。


適応指導教室など大半の公的機関は現職あるいは元教員によって構成されているのに対し、「民間」はさまざまな人々によって運営されているためにこういう結果になるのだろう。
それはいい。

分からないのは吉田敦彦・大阪女子大助教授のものとされる言葉だ。
教室が学校復帰にこだわると、民間の選択肢のない子どもは生きづらい。
では民間の選択肢のある子どもの場合はどうなのか?
その場合は、学校復帰にこだわってもよいということなのか?

さらに
学ぶ機会を与えることを第一に、もっと柔らかな姿勢が必要だ。
というのも、国語・社会といった教科学習ならいつでもどこでも学べるが、人間関係といった徳育の部分についてはどうなるのか?

私たちはが学校にこだわるのは、そこが教科学習のもっともふさわしい場だからではない。
学校というまさに、種々雑多な人間がいて喧嘩があり嫉妬があり、和解や共同がある、そうした学習の場が、今のところ「学校以外にない」からなのだ。

もちろん学校でなくてもよい。
けれど難しい人間関係の学びの場を、社会はどう提供できるのか?
具体的な学習の場を示してほしい。



しかしそれにしても、

「子ども学校で生き生きと生活すること」は、
目的としてどう不適切なのだろう?









2003.04.12

不登校対策、「待つ」から「働きかけ」へ 文科省会議

[朝日新聞 4月11日]



 文部科学省の「不登校問題に関する調査研究協力者会議」は11日、最終報告をまとめた。子どもを見守る姿勢を打ち出した前回報告(92年)から軸足を移し、「自分の力で立ち直るのをただ待つだけでは改善にならない」と働きかけの大切さを訴えた。教育委員会が学校復帰を目指して設けている適応指導教室の充実や、実績のある民間施設との連携も提言した。

 報告は今後の不登校施策の指針となる。文科省は同教室を地域の核として、学校や児童相談所などとネットワークをつくる事業をさらに進める。年度内に学校用の指導の手引をつくる計画だ。

 92年の報告は「登校への促しは状況を悪化させてしまうこともある」などと述べていた。今回の報告はその記述に触れ、「誤った理解をし、働きかけを一切せずに時機を失ってしまう場合がある」と指摘した.

 具体策としては、同教室の指導員の約8割が非常勤である点を指摘、常勤を配置するよう提言した。また、同教室や学校が、フリースクールなど民間施設に関する情報を子どもたちに提供したり、民間と共同で指導計画をつくったりするよう促した。

 適応指導教室の「適応」という言葉が、学校への適応ばかり求めるかのような誤解を生むとして、「教育支援センター」と呼ぶことも提案。通えない子には、教育学を学ぶ大学生らが訪問することも提言した。

 学校に対しては、担任が一人で抱え込まないよう管理職や養護教諭らも含めたチームをつくり、かなめの担当教員を決めることや、個別の指導記録をつくることを求めた。

    ◇

【不登校の現状】個々の要因や背景が多様化・複雑化している

【基本的な考え方】不登校は「心の問題」のみならず、「進路の問題」でもある▽ただ待つだけでは改善しないとの認識が必要

【学校の取り組み】学校内外のコーディネーター役を果たす「不登校対応担当」教員の明確化▽情報共有のための個別指導記録の作成▽学校外の学習状況の把握と評価の工夫▽柔軟なクラス替えや転学

【関係機関との連携】適応指導教室の整備▽「教育支援センター」の名称の併用▽教育センターや適応指導教室を核とした地域ぐるみの支援体制の整備▽公的機関と、民間施設やNPO(非営利組織)との連携▽運営や指導のありかたを定めた民間施設ガイドラインの改訂▽訪問型支援の推進 【中学卒業後の課題】高校の長期欠席・中途退学への取り組みの充実▽進路相談の窓口や自立支援の受け皿が必要


「失われた10年」は流行語である。
しかしこの10年、不登校に関して教育界が何かを失ったわけではない。
文部科学省も何も失わなかった。
ましてや、メディアは失わなかったどころか、学校を叩くことで多くの国民の歓心を獲得し、購読者数を増やし視聴率を上げた。

10年の年月を失ったのは、この10年間の不登校児童生徒とその家族である。
10年、彼らは社会から締め出され放っておかれた。
そのことに痛みを持たないとしたら、人間ではない。


不登校は病気ではない。
不登校は閉塞的な学校の管理と受験体制への当然の反応である。
不登校児の中にこそ感性の豊かな子がいる。
学校に行かない勇気こそ真の勇気である。
教師のいたずらな登校刺激が問題を複雑にし、二次反応としてのひきこもりを発生させている。

一部を除き、ほとんどの保護者はこうした言葉に違和感を持っていた。
しかし「そうすれば悪化する」と脅迫されれば、「信じて待つ」以外に選択の余地はなかったのだ。
そのことに痛みはないか?


「失われた10年」の償いを、誰にしてもらおう?








2003.04.18

学校週5日制「することがない」3人に1人が回答

[読売新聞 4月17日]



 昨年春からの完全学校週5日制で、休日が増えたことを小中高生の7割が喜んでいる一方、3人に1人は、「することがなくてつまらない」と思っていることが17日、文部科学省の調査で分かった。

 調査は、「子どもの体験活動研究会」(代表=平野吉直・信州大教授)に委託して、昨年10―11月に行った。対象は、全国の公立の小3―高2生と小学生の保護者、それぞれ約7万5000人ずつで、79%の約11万8000人が回答した。

 毎週土曜日が休みになったことを「よかった」と答えた児童生徒は、各学年で半数を超え、「まあよかった」も合わせると、7割を超えていた。

 土日の過ごし方は、高校生を除くと、「家でテレビやビデオを見る」が6割を占めた。しかし、一昨年の調査と比較して、「家の近所や学校の回りで遊ぶ」と答えた小3が19ポイント増えて70%に達し、「部活動をする」という小5も18ポイント増えて36%になるなど、屋外で活動する児童の増加も見られた。

 一方、「することがなくてつまらない」ことが「よくある」「時々ある」子は、32―37%で、「学校や家ではできない体験をもっとしてみたい」と思う子は「時々」も入れて42―62%に上り、充実感を得られない子も多いことが分かった。

 親の意識変化では、「子どもの教育全般について、より関心を持つようになった」と考える人が36―45%に上った。しかし、「子どもは充実した休日を過ごしている」と考える人は、5日制実施前より1割減って5割程度になった。

 文科省では、「休日に配慮している親ほど、子どもの充実度は高い。つまらない思いをしている子も、体験活動をさせてやれば減る」(生涯学習推進課)と分析。来月、「週5日制事例集」を市町村教委に配布するほか、週末の学校開放を進め、情報提供に力を入れる。


学校五日制を生み出したのは「ゆとり教育」ではない。
かつてもそうだったし、今もそうではない。
もし「ゆとり教育」が五日制の母親なら、「家でテレビやビデオを見る」や「家の近所や学校の回りで遊ぶ」はむしろ喜ばれるべきものだ。しかし子ども自身以外、だれもそんなことは考えていない。


学校五日制の母親は、実は「個性教育」である。
政財界は文部科学省を通じて20年間、多様な価値をもつ多様な才能の育成を図ったが結局無駄だった。学校というところは、そうした多様性を生み出すことはできなかったのだ。
30〜40人もの子どもを抱えた学校は、どうしても才能を一元化の方向へ持っていってしまう・・・だったら、その「学校の影響を減らすこと」こそ多様化への第一歩ではないか、そう考えたアイデアマンがどこかにいた。

その意味で、
学校五日制は親の教育力の差をモロに反映しようというものでもある。

文科省では、「休日に配慮している親ほど、子どもの充実度は高い。つまらない思いをしている子も、体験活動をさせてやれば減る」(生涯学習推進課)と分析。

教育に関する目論見と施策が当たることは稀だが、この問題に関しては的を得た。

来月、「週5日制事例集」を市町村教委に配布するほか、週末の学校開放を進め、情報提供に力を入れる。

力のない家庭はこうしたお仕着せの体験学習でお茶を濁され、教育力のある家庭の子の後塵を拝することになる。
週末の学校開放を進めというからには、私たちがそのお手伝いをするのだ。






2003.04.30

<不登校>原因は「自分」42% 教員は「学校」と回答 大阪府

[毎日新聞 4月29日]




 不登校の中学生が全国で最も多い(01年度で9909人)大阪府で、不登校生420人に府教委が聞き取り調査したところ、約42%が原因として、「本人(自分)の問題」を挙げ1位だった。一方、教員に聞いた別の調査では、いじめや教員とのトラブルなど「学校生活」が最多の約42%。不登校生と教員で、原因の認識が大きく異なっていることが浮かび上がった。府教委によると、不登校生本人への調査では、全国でも異例の大規模調査という。

 生徒指導主事の教員や適応指導教室の担当者が、生徒に面接して聞き取った。不登校のタイプを、「非行」「無気力」「情緒的混乱」――にあらかじめ分け、調査対象の生徒がほぼ同じ割合になるようにした。そして、学校報告を記録した文部科学省の「学校基本調査」(02年度版)における教員の調査と比較した。

 「不登校のきっかけ」では、生活習慣の乱れや、学業への意欲など「本人に起因(原因)」が最多。学校生活28%、家庭の問題21%と続いた。

 こうした自分を原因と考える生徒は「無気力タイプ」で52%、「非行タイプ」が48%あり、いずれもトップ。悩みや不安などを抱えた「情緒的混乱タイプ」だけが26%と低く、「学校生活が原因」を下回った。

 一方、教員の調査では、不登校の原因は「学校生活」(42%)▽「本人」32%▽「家庭」17%――の順だった。 【宇城昇】

 臨床心理士の野田正人・立命館大教授の話 調査は対象者が多く、不登校対策を考える上で貴重な資料だ。思春期には、責任を過度に自分に負わせがちなため、こうした結果になったのだと思う。子どもが今後、自分を追い詰めないような働きかけが必要だ。一方、多くの教員が、不登校を学校が原因と認識しているのだから、不登校は担任など一部の教員に任せず、学校全体で対応に当たる意識が必要だろう。



不登校の児童生徒本人に原因を問うアンケートというものは今までほとんどなかったと思う。その意味で貴重な資料であることには間違いない。

さらに、
教員が
別の調査では、いじめや教員とのトラブルなど「学校生活」が最多の約42%
と答えているのに対し、
子どもの方は
「不登校のきっかけ」では、生活習慣の乱れや、学業への意欲など「本人に起因(原因)」が最多
つまりいじめや教員とのトラブルが主因ではないと言っている
のだ。その意味でも画期的と言える。

これまで、この種のアンケートでは保護者や本人が「学校生活」を原因とし、教員は「本人や家庭」の問題とする罪のなすりあいで、メディアは常に保護者の側に立って学校を批判してきた。
学校が原因だと本人が言ってのだから間違いない、それを家庭や本人のせいにするのは何事だ、
という姿勢である。
ところがこのアンケートでは、結果が逆転している。
そうである以上、不登校の児童生徒本人の資質を問うべきだと、(私がそう思うかどうかは別にして)理屈上はそうなってしかるべきだろう。

しかし、驚くべきことに、アンケート結果が逆転しても結論は変わらない。
今度は、
多くの教員が、不登校を学校が原因と認識しているのだから、
と、突然学校側の言い分をきくようになる。
原因はやっぱり「学校生活」なのである。
結論はアンケート結果と何の関わりもなく存在する。


不登校が問題となり始めて四半世紀にもなろうとするのに、未だに明快な説明も対応策も解明されていない原因のひとつはここにある。
アンケートであれなんであれ、どんな科学的分析も結論も許さない。
とにかく学校が反省をし、有効な対応策を練ればいい・・・。

不登校は病理の問題でも制度の問題でもない、きわめて単純な政治問題だということである。