キース・アウト
(キースの逸脱)

2003年12月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。













  


2003.12.02

深川東商高女子のスラックス、導入に賛否さまざま /北海道

[毎日新聞 12月2日]


 ◇「制服自体時代遅れ」の声も
 女子生徒の冬の制服が1日からスラックスとなった深川市の道立深川東商業高校。対象の1、2年生やスカートのまま卒業する3年生、男子生徒まで、思いはさまざまだ。「健康第一」か「見た目重視」か。「制服はそもそも時代遅れ」と指摘する専門家もいる。【遠藤拓】
 仲むつまじそうに一緒に登校する高3の男女。女子は「寒いけどスカートの方がいい。はかないで済んでラッキー」。スカートの中に、裾から見えないよう短パンをはいた。男子は「見慣れたスカートが好き。でも、体に悪くない方がいいよね」と理解を示す。
 たまたま同校前を通りがかった道立深川西高校1年、高木悠(はるか)さん(16)は「(スラックスは)絶対はきたくない。男子と同じ格好はいや」と言う。
 逆に、深川東商1年、宮井千明さん(16)は「暖かくてすごくいい。家族も良かったねと言ってくれます」と笑顔。11月の試行期間から愛用しているという。
 そもそものきっかけは保護者から学校に寄せられた「寒さ対策を」の一言だ。PTA会長の小田雅一さん(46)は「健康を考えると『ナマ足』は問題。保護者の反対はなく、スラックスになって良かった」。ただ、高3の長女はスラックスをうらやむ一方、高1の二女はスカート尊重派。姉妹で意見が分かれた。
 一方、苫小牧市の道立苫小牧総合経済高校は昨年冬から、防寒対策として、女子生徒の制服をスラックスとスカートの選択制にした。でも、今のところスラックスの女子生徒はいないという。道教委によると、選択制の高校は道東地方などで数校あるという。
 東京大学大学院の上野千鶴子教授(社会学)は「学校が一斉にスカートかスラックスのどちらかに決めるのは非常識なこと。選択肢がないから逆の立場を求める人が出てしまう。動きづらく、洗濯も出来ない制服はやめた方がいい」とコメントした。

かなりどうでもいい記事だが、メディアの無理解と取材不足を質すために拾った。

さて、
中央地方に限らず、マスコミに就職するような人間はかなり優秀な人たちだと思っていた。東大の大学院教授も、その立場上、当然優秀な人だと思っていたが、どうだろう。
上野千鶴子教授については、私はかなり好感を持っていたがガッカリである。

まず、北海道が寒いところだということに理解がない(北海道は寒いところである。本当に寒いところである)。

そんな場所で、
苫小牧市の道立苫小牧総合経済高校は昨年冬から、防寒対策として、女子生徒の制服をスラックスとスカートの選択制にした。でも、今のところスラックスの女子生徒はいない
という事態が起こるのはなぜか?
上野教授は選択肢がないから逆の立場を求める人が出てしまうとのたまうが、選択肢があっても同じ結果になってしまうのだ。

それはつまり
人間は本当に自由な立場からものを選ぶということはほとんどないという、至極当然な理由からだ。

多くの女生徒たちは結局、スラックスが格好悪いと感じている、つまり機能性よりもファッション性の方を選んでいる、それがよいことだと感じているのだ。
単純だが重大な選択理由であろう。

さらにそうした感覚から自由な子たちであっても、こんどは集団圧力からなかなか自由ではいられない。
健康のために(例えば)全校で3人しかいないスラックス派になるなどといったことは、普通の感覚の子にはできないことなのだ。

彼女たちはまったく自由でない。だから「学校が一斉にスラックス」と決めない限り、彼女たちは逆の選択をしてしまう、だから強制が必要なのである。子どもの健康を心配する立場からは当然考えるべきことだろう。

子どもの判断に任せればどうなるかはもう十分にわかっている。自主的に正しい判断ができない以上、保護するものが適切な処置を行うのは当然ではないか。それにもかかわらず、ありもしない子どもの自由に任せようというのは無責任である。

動きづらく、洗濯も出来ない制服はやめた方がいい
というコメントはそのまま、
健康に悪く、洗濯もできない制服はやめた方がいい
と言い換えてあげよう(制服のスカート・・・あれを洗濯機で洗う人はいないだろう?)






2003.12.03

野田市が二学期制−−来年度から全小中学校で /千葉

[毎日新聞 12月2日]

 野田市は1日、来年度から市内の全小中学校31校で、現在の「三学期制」を改め前期、後期の「二学期制」を導入する、と発表した。来年度からの二学期制完全実施を表明したのは、県内では千葉市(今年度は8小中学校で試行中)に続き2番目。昨年度から学校完全週5日制が実施されたのに伴い、授業時間と指導内容の削減による学力低下が懸念されているだけに、他市町村に広がる可能性もある。
 野田市によると、10月上旬に4日間の「秋休み」を新設し、これをはさんで前期、後期とする。年間授業日数は変わらないが、年3回の終業式を2回に、年5回の中間、期末試験を4回に減らすことなどで授業時間をひねり出す。小学校では年20時間、中学校では30時間の余裕が生まれ、市が独自に作成する算数、理科、数学の副読本授業などに充て、基礎学力を高めたいという。
 教師が行う年3回の通知表作成は2回に減り、教師が児童・生徒に接して生活指導などを行う時間も増えるという。
 二学期制移行に伴い、4月5日〜10月8日を前期(7月21日〜8月31日は夏休み)、10月13日〜3月24日を後期(12月24日〜1月5日は冬休み)とする。秋休みは、「体育の日」(10月第2週の月曜日)と直前の土曜、日曜、それに体育の日の翌日を合わせた4日間。来年度は10月9〜12日。【木下豊】



要するに何が何でも2学期制にするという方向らしいが・・・・。

私にはどうしてもわからないのだ。
なぜ年3回の終業式を2回に減らすと20時間もの時間がひねり出されるのか?
 千葉の学校というのはそんなに丁寧な終業式や始業式をしているのか、それが謎である。


また、テスト一回を減らしてひねり出される時間は10時間と計算されるが(中学校の30時間−終業式などの20時間)、一教科に割り当てるとわずか一時間。
テストを一回減らすほどの価値ある一時間とは、どんな授業をしているのか?

私の知らないすばらしい授業が世の中にはあるのだろう。

無知を恥じる。







2003.12.05

ユニークな教育の工夫 /福島

[毎日新聞 12月4日]



◇飯舘・飯樋小、触れ合う「教室」作り−−新地小、食生活習慣教える
 飯舘村の飯樋小学校で現在、新校舎の建築が進んでいる。職員室を設けず、児童が一人で過ごすための小部屋を置くなど、既成概念をくつがえすアイデアや工夫が随所に凝らされている。また、同村が以前から積極的に取り組んできた地域との交流や連携が全面的に進む構造だ。「21世紀の学校と言える」と、同村教育委員会の神長敬治教育長は胸を張る。
 施設の老朽化に伴う同小の改築は、民間の自由な発想を生かそうと、地域と交流・連携した教育が推進できることを条件に設けた上で、校舎設計を公募した。36の公募案の中から選んだ計画をもとに、ワークショップを開いて児童、教員、地元住民らの意見を設計に反映させた。地域の人も加えたのは、より気軽に来られる学校にしようとの狙いからだ。
 新築される校舎には、教員に児童と過ごす時間を増やしてもらうため、職員室を設けずに教室の一角に教員が休み時間などに過ごすスペースを作る。教室の脇に独立した部屋を設け、不登校気味の児童が過ごしたり、習熟度別授業に用いる。児童が一人で考え事をしたい時に使用する小部屋も。表現能力を養ってもらおうと、発表などに使う「舞台」も各所に設けた。
 また、視聴覚教室は高齢者のデイサービスにも利用する。高齢者と子供たちの交流の場にと、こたつも設けた。視聴覚教室など特別教室は、授業で使わない時は地域住民に開放し、住民にも校舎のカギを預けて管理も担ってもらう方針だ。
 地域と交流し連携することで、生きる力や人とのかかわり方を習得できる。表現力や創造力の養成、さまざまな学習形態への対応、不登校、児童とのコミュニケーション不足の教師の増加といった問題への対処など、さまざまな課題に対応できる工夫が、この校舎には凝らされている。校舎は来年3月に完成し、残りの校舎の改築は同年秋に完了する予定だ。
    ◇   ◇
 新地町の新地小では、給食時に毎日、使われている食材にまつわるエピソードを書いた「給食のひみつ」を児童らに配っている。同町の小中学校で98年から取り組んでいる食に関する教育の一環だ。地元産品を使った給食の場合は、さらにその食材と地元に対する理解が深まる趣向だ。同小ではこのほか、洋食のコース料理を食べたり、総合学習の時間に食について学習発表するといった試みが行われている。長生きの高齢者に何を食べているのか話を聞いてまとめるなど、地域の人と交流しながら食への関心を深めている。
 核家族化や共働きの増加などで、家庭での食のしつけがおろそかになっていることが背景にある。「生活習慣病と密接にかかわっている食生活習慣は、子供のうちに形成される。それを教えるのは学校という時代になってきた」(同校管理栄養士の小泉弘子さん)。国は、05年度に食の指導を行う栄養教員の制度を設けるなど、学校での食生活教育を本各化させる方針だ。
 相双地方の新時代を担う子供たちを育む、時代を先取りしたユニークな教育の取り組みが進められている。



何という愚かなことをしてしまったことか。
時代の先取りというのはつまり実験のことだ。こうしたことは大学の付属校にでも任せておけばいい(何といっても付属校の生徒たちには「そこに行かない」という選択肢がある。しかし公立学校には選択肢はない)。

公立学校の校舎というものは50年・60年、いや下手をすると80年も使われるものだ。そこで実験を行って失敗すれば、何万人という子どもたちが被害を受ける。

これまでもオープンスペースだのバッテリー方式などさまざまな校舎の試みがなされてきたが、どれひとつ定着したものはない(みな使い勝手が悪く、結局は数十年を経て大改造を余儀なくされている)。教育というものは個人にとっては取り返しのつかないものであり、したがって周囲の状況を見ながら慎重にやればいいものである。それを思慮なく実験に供してしまうとは!

職員が日常的に情報交換を行う場のない学校が「いい学校」であるはずはない。

結局は村長の記念碑的モニュメントとして村内に屹立するだけになってしまうだろう。
気の毒に、この人、数十年に渡って長く悪評を受けることになるしかない。








2003.12.08

学級崩壊防止には…生徒「楽しい授業」先生「いい関係」

[朝日新聞 12月7日]


先生は「授業より、子どもとの関係がよければ学級崩壊が起こらない」と考えるが、子どもは「授業が楽しければ崩壊が起こらない」と思う。そんな結果が大阪大学の秦政春教授らの調査でわかった。先生と子どもの、このずれは「先生の自信のなさが関係しているのではないか」と秦教授はみている

 調査は、先生については00年夏、福岡県の小中学校の1141人が回答。子どもは03年夏、福岡、熊本県の小学5、6年生と中学生の計722人が答えた。


 先生には、「教師と子どもたちとの関係がよければ崩壊は起こらない」と思うかどうかを4段階で尋ねた。その結果、「とてもそう思う」「やや思う」が計9割を占めた。「いい授業をしていれば崩壊は起こらない」かどうかでは、肯定的な回答は5割を上回る程度だった。

 さらに03年、崩壊が起こらないために「関係」と「授業」のどちらが重要かについて、00年の回答者のうち200人に質問。107人からの回答によると、「関係」「どちらかといえば関係」が計7割。「授業」「どちらかといえば授業」の合計の3割を大きく超え、「関係派」が多かった。

 一方、子どもの場合、先生との関係を問う「先生が好きだったら、授業をじゃましたり妨害したりする子はいない」と思うかどうかでは、「とても」「やや思う」が計6割だった。「授業が楽しかったら」じゃまや妨害する子はいないという回答は計7割を超え、「授業派」が上回った。

 先生が「関係」を、子どもは「授業」を重視する結果について、秦教授は先生側の問題が背景にあるとみる。

 秦教授らの00年の先生調査では、授業がうまいと「あまり思わない」「まったく思わない」という先生が6割を超えた。授業を苦痛に思うことが「よく」「ときどきある」という先生も約6割を占めている。03年調査では、忙しくておろそかになっている仕事の1位は教材研究(39%)だった。

 これらのデータからは、忙しさから授業に十分打ち込めず、自信をなくす状況がうかがえる。

 秦教授は「授業さえ、きちんとしていれば子どもはついてくるものだという自信が教師になくなったことが、学級崩壊についてのデータに反映されていると思う。全国的にも同様の傾向があるのではないか」と話している。 (12/07)

大人はこう思っているが子どもに聞いてみたらこんなことを言っていた。だから大人は考えを改めよ。
そうした論評は驚くほど多い。
何年も教員をやってきて問題に対してさまざまに考えてきた教員より、子どもの感想を優先する、それでいいのだろうか?

「授業が楽しかったら」じゃまや妨害する子はいないという回答は計7割を超え、「授業派」が上回った。
それはそうだろう。授業がドラえもん並に楽しかったら、授業を邪魔する子どもは極端に少なくなるだろう。しかしドラえもんに勝てる授業を1000時間も用意できる教師はひとりもいない。
そもそも勉強など最初から楽しいものではないのだ。

さらに「授業が楽しかったら」じゃまや妨害する子はいないを認めてしまうと、
「講師の話が楽しかったら」成人式のじゃまや妨害をする人はいない、という考えもまた認めなければならない。
「お父さんの説教がもっと楽しければ、ボクも真剣に聞くのに」
「お母さんの対応がもっといいものなら、ボクも学校の話をいっぱいしてやるのに」
ほんとうにそれでいいのだろうか。
子どもはいったい何様なのだ?

授業さえ、きちんとしていれば子どもはついてくるものだ
この程度の調査と分析でメシが食えるなら、大学教授とは楽な仕事である。
子どもはそんな甘いものではない。








2003.12.08

部活やるほど学力定着

[中国新聞 12月7日]




児童は適切な睡眠重要

 クラブ活動に打ち込む中学生ほど、基礎学力が定着している―。広島県教委がまとめた学力と生活学習の意識・実態調査で、こんなが結果が出た。クラブ活動に励む生徒と、そうでない生徒では、学力調査で問題を正しく解いた正答率は、最大で約13ポイントの開きがあった。小学生では、適切な睡眠時間を保つ児童ほど正答率が高いことも分かった。

 県教委は六月、県内の公立中学二年生と小学五年生全員を対象に基礎学力の定着度を試すテストを実施した。その際、家庭や学校での生活実態について、全員にアンケート形式で尋ねた。県教委は、学力調査の正答率とアンケート結果の関連性を分析した。

 中学二年の国語、数学、英語の三教科の正答率は「クラブ活動に一生懸命取り組む」という設問に「よくあてはまる」と答えた生徒で67・2―77・5%。一方「まったくあてはまらない」は54・1―68・8%だった。数学の正答率は、クラブ活動に励む生徒の67・2%に対し、そうでない生徒は54・1%で、その差が13・1ポイントだった。

 このクラブ活動の取り組みを尋ねる設問では、中学二年の半数を超える57・3%が「よくあてはまる」と回答。「まったくあてはまらない」と答えた生徒は9・0%と、一割に満たなかった。

 県教委指導第一課は「分析途中だが、目標を持って物事をやり遂げる姿勢が、学力にも好影響を及ぼしているのではないか」とみている。

 小学五年に睡眠時間を尋ねた質問では、八時間以上九時間未満の児童の正答率(国語、算数)が最も高く70・8―74・1%だった。一方、五時間未満と答えた児童の正答率は51・9―53・9%で、20ポイント前後の開きが生じた。

 今回の調査では、朝食をきちんと食べている児童・生徒ほど正答率が高いという、昨年度と同じ結果も出た。規則正しい生活習慣と、学力定着には強い相関関係があることがあらためて浮き彫りとなった


上の朝日新聞と同じ日付の記事だがこちらの方がよほど科学的だし私たちの実感にも適う。
調査研究とはこのようにしてもらいたいものだ。








2003.12.11

大分県日出町 来春から2学期制 小中学校で県内初

[西日本新聞 12月10日]



 大分県日出(ひじ)町は九日、町内の小中学校で、同県では初となる二学期制を来年四月一日から実施する方針を明らかにした。同町などによると、二学期制を実施しているのは仙台市などで、九州では宮崎市や福岡県内の自治体の一部で試行しているという。同日開会した町議会の全員協議会で方針を説明した。

 町教委によると、町内の公立学校は小学校が六校、中学校が三校。秋の教育委員会で「週五日制導入で平日の授業時間が増えて生徒の負担が重くなったため、軽減を図る」として、二学期制の実施を決定した。具体的な授業期間や休暇期間、実施校などは未定という。同町の小中学校長が今後、全国で既に実施している自治体の状況を視察し、来年一月にも具体的な内容を決める。

 矢野久士教育長は「実施することは決定したが、どのような形となるかは決まっていない。中身は今後詰めていきたい」としている。



実施することは決定したが、どのような形となるかは決まっていない。


すごいニュース、ではある。
何しろ決めてから考えるというのだから。

可能かどうかも分からない、効果があるのかどうかも分からない、価値があるのかさえもわからない、
なのに行うという二学期制へのこの情熱、いったいどこから生まれてくるのだろう?
そしてこれほど分からないものを論評抜きで報道するメディアの姿勢も理解できない。満を侍して批判するということだろうか?








2003.12.14

「弁当作るのが母親の責任」 学校給食不採択 寒河江市議会

[河北新報 12月13日]


 山形県寒河江市の市民団体が提出した中学校の給食実施を求める請願について、同市議会は12日、文教厚生常任委員会を開いて審査した。委員の間で激しい意見の応酬があったが、結局、請願は賛成少数で請願を不採択となった。

 反対派の委員は「食はまず家庭で。朝一緒に食事し、弁当を作れば親子のきずなが強まる」と“持論”を展開。別の委員も「弁当を一緒に作って学校に送り出すことが母親の責任だ」と述べた。
 ある委員は「今の母親の9割は食についての知識がない。勉強もせずに行政にお願いするのは単なる甘えだ」と言った。

 この発言には、賛成派の委員が「親の知識不足が弁当作りで解決するわけではない」と応酬。別の委員も「不況で家庭の置かれた状況は厳しくなっている。介護を社会でやるという流れもあり、中学校の給食を社会に任せてもいいのではないか」と述べた。
 請願を提出した市民団体「中学校給食をすすめる会」(太田陽子代表)の会員ら10人が委員会を傍聴。太田代表は「給食の導入が母親の役割放棄と思われてしまい残念。弁当を作る側の声をもっとくんでほしかった」と話した。



朝一緒に食事し、弁当を作れば親子のきずなが強まる
弁当を一緒に作って学校に送り出すことが母親の責任だ
勉強もせずに行政にお願いするのは単なる甘えだ

いずれももっともな意見である。しかしそこには現実性という視点がまるでない。

現実の保護者はすべてがそうした考えに応じられるほど、優秀でも前向きでも、自立的でもない。
日々のニュースの社会面を見れば「オマエそれでも人間か?」と問いたくなるような事件が目白押しだが、そうした事件の加害者の多くが、同時に親だったり将来親になるかもしれない人間なのだ。そして事件の主人公にならない程度に社会に順応しているが、それでも「人間か?」と問いたくなるような親は世の中にいくらでもいる。

朝一緒に食事し、弁当を作れば親子のきずなが強まる―だが親子のきずななどまったく意に介さない親がいる。
弁当を一緒に作って学校に送り出すことが母親の責任だ―だが責任など一切おかまいなしの親だっている。
勉強もせずに行政にお願いするのは単なる甘えだ―だが、勉強なんか大嫌いだという親だって少なからずいる。
そう考えてみると、一瞬空恐ろしくならないか?
結局そうした親を持った不幸な子どもたちは、惨めなくらい粗末な弁当や移し替えただけのコンビに弁当を持って学校にくるのだ。

ところで、子どもたちが初めて「給食」というものに出会うのはいつだろうか。
幼稚園や保育園に給食のある場合はその時、また小学校1年生で初めて給食を食べる子も少なくないはずである。
給食実施反対派の委員たちは、一度そうした教室の昼の時間に訪ねてみるといい。どれほど多くの子どもたちが自分たちの好き嫌いに苦しんでいるか、そして保母や教師たちがどれほど苦労してバランスのよい食事をさせようとしているか。
その子たちがすべて、親に任せれば数年に渡って偏った弁当を食べ続けることになるのだ。もちろんその後、子どもたちが自ら自覚してバランスのよい食事に心がける可能性はほとんどない。

文明というものは自分がしてきたことを他人に任せるシステムである。したがって必然的に人間の依存心を高める。
もはや私たちに、それを押し戻す力はないのかもしれない。








2003.12.18

<刃物男>小学校に乱入、児童2人けが 京都・宇治

[毎日新聞 12月18日]


 18日午後0時半ごろ、京都府宇治市五ケ庄三番割の市立宇治小学校(小松美恵子校長、835人)に、包丁を持った30〜40歳くらいの男1人が乱入、2階にある1年1組の教室内で1年生の男子児童2人の頭に切りつけた。児童らは頭に長さ5センチと3センチの切り傷を負って病院に運ばれたが、命に別条はないという。

 同市教委などによると、男は教室を飛び出したところを、駆けつけた教頭と教務主任の教諭の2人に隣の教室で取り押さえられた。学校が午後0時40分ごろ、110番し、京都府警の警察官が身柄を確保、傷害の容疑で現行犯逮捕した。宇治署の調べに対し、男は意味のわからないことを話しているという。男はコートを着ていた。

 当時、同小は直前まで4時間目の授業が行われ、給食の時間に入ったところだった。

 近所の人の話では、約1週間前から子どもたちが不審な男に殴られるなどの情報があり、注意を呼び掛けていたという。

 現場はJR奈良線黄檗(おうばく)駅の北約100メートルの住宅街。

また不幸な事件が起こった。
メディアはどう反応するのだろう。











2003.12.20

小6女児、殴られ軽傷=休憩時間鬼ごっこ中−侵入の男追う・兵庫

[時事通信 12月19日]


 19日午前10時40分ごろ、兵庫県伊丹市中野西の市立桜台小学校内で6年生の女児(12)が男に額を棒のようなもので殴打され、軽傷を負った。伊丹署は傷害事件として逃げた男の行方を追っている。
 調べによると、女児が襲われたのは、2時間目と3時間目の間の休憩時間。同級生と鬼ごっこをしていて、同小北門から約20メートル離れた家庭科用の建物横に1人で隠れていた。棒は長さ70センチぐらいだった。女児に出血はなく、打撲の程度は軽傷で同市内の病院で治療を受けている。
 同小には6カ所の門があるが、北門1カ所と南門2カ所は施錠されていた。東門3カ所は閉まっていたが、このが日が親子共同作業日だったため施錠はされていなかった。
 調べによると、男は黒色サングラスに黒色の上下服で、ロングコートを着ていた。 


事件の第一報であるから事実のみで論評はない。それはいい。
この記事を読んで最初に思うことは、親子共同作業のために校門のカギがはずされているという状況が、果たして問題になるかどうかという点である。
保護者は時間きっかりに学校に来てくれるわけではない。だとしたら施錠せずにおいたのは当然の処置と思うがそのあたりはどうなのだろう。
メディアの判断を待ちたいところである。









宇治小・乱入事件 安全対策生かされず 監視カメラ「誰か見る」 /京都

[毎日新聞 12月19日]


 学校現場に気の緩みはなかったのか――。宇治市立宇治小(小松美恵子校長)の教室内に侵入した男に1年生の男児2人が包丁で切り付けられけがを負った事件は、学校関係者や保護者らに大きな波紋を広げた。01年の大阪教育大付属池田小乱入殺傷事件の他、府内では99年に伏見区の市立日野小で児童殺傷事件が起きている。教育委員会を中心に講じられた安全対策が十分に生かされていないことが証明された今回の事件。学校現場は再び課題を突き付けられた。 【山崎明子、林由紀子】

 池田小事件の後、宇治小の三つの門のうち二つに取り付けられた監視カメラ。宇治市教委の説明では「担当者がいたわけではなく、センサーに反応してチャイムが鳴っても『誰かが見る』という感じだった。事件直前も侵入者は把握していなかった」という。更に学校側の会見で、人や車が通ると職員室で音が鳴るセンサーの音が切られていたことも明らかになった。

 01年7月に府教委が作成した「幼児児童生徒を凶悪な事件から守るための手引き」では、来訪者の確認体制として「来校者は事務室等で受付するようにしている」「事務室・職員室から来校者がわかるように工夫している」などの点検項目例を示している。しかし、実際はこれらの点検項目も何ら機能していなかったことになる。

府教委、京都市教委 安全確保徹底図る

 府教委はこうした実態について「マニュアルやハードの整備があっても100%とは言えないが、マニュアルを作っていたにもかかわらず、守っていなかったのならば問題だ。よく調査して、そういう実態があれば、指導を再徹底したい」と話した。

 府教委は事件直後の午後1時半から緊急安全対策会議を開催。池田小事件を受けて作成した「手引き」を再確認するよう各府立学校や市町村教委に指示した。武田暹(すすむ)教育長は「不審者による校内侵入等に対する安全確保・安全管理対策について具体策を講じるよう機会あるごとに徹底してきた。学校、家庭、地域社会が一体となって、学校の安全管理に更なる万全を期したい」とコメントを発表した。

 京都市教委も緊急課長会を開き、不審者侵入対策などについて協議。全ての学校・幼稚園に安全確保の徹底を図るための緊急通知を出した。

 府文教課も私立学校や外国人学校に通知を出し、安全確保と安全管理の徹底を呼び掛けた。

伏見日野小「4年前思い出す」
 99年12月に校庭に侵入した男に2年生の男児が殺害される事件があった伏見区の市立日野小では、テレビで速報を見た保護者から問い合わせの電話が次々と掛かった。同小では緊急職員会議を開いて事件の概要を報告。児童らには、動揺させないよう事件の説明はしなかったが、放課後の部活動などは中止し、教職員が門まで見送って早めに帰宅させた。

 同小から今回事件のあった宇治小までは約3キロの距離。報道関係のヘリコプターが旋回する音が聞こえ、「4年前の事件を思い出す」と話す保護者もいたという。坂野治利校長は「非常に驚いた。宇治小から問い合わせがあれば、なんらかの協力ができるかもしれない」と話していた。

誠に遺憾 久保田宇治市長
 事件について、久保田勇・宇治市長は「このような痛ましい事故が起こったことは誠に遺憾。被害児童、保護者に心からお見舞い申し上げ、今後、かかる事故の再発防止に全力を期す所存です」とのコメントを発表した。


学校現場に気の緩みはなかったのか
――と問われれば当然気の緩みはあった。
もし職員に危機意識が高く4時間目終了とともに給食指導など行わず、校内に分散して警備していればこんなことにはならなかった。しかし全国にある3万5000もの小中学校がすべて「今日、この学校が襲われるかもしれない」という危機感をもって日々を送ることなどできることなのだろうか?

「来校者は事務室等で受付するようにしている」「事務室・職員室から来校者がわかるように工夫している」などの点検項目例を示している。しかし、実際はこれらの点検項目も何ら機能していなかったことになる。


事実はその通りだったにしても、児童を殺す目的をもって侵入する者に受付を通ってもらうことなど果たしてできるのか。

監視カメラにしても
担当者がいたわけではなく、センサーに反応してチャイムが鳴っても『誰かが見る』という感じだった
という状態が、果たして異常といえることなのか?
私にははなはだ疑問である。







幼稚園“要さい化” 相次ぐ凶悪事件契機 仙台

[河北新報 12月13日]


 子供が狙われる凶悪事件が増え、仙台市内の幼稚園が防犯体制を強めている。園内を防犯カメラだらけにした「要さい型」元自衛官に巡回してもらう「人海戦術型」GPS(衛星利用即位システム)を常備した「IT(情報技術)活用型」。安全が売りになる時代ではあるが、どこの園も「社会がまともなら、こんなことまでしなくていいのに」と複雑な表情だ。

<「死角はない」>
 泉区高森の閑静な住宅地にある高森明泉幼稚園(フィリップ・ブローマン園長)。外見は普通の幼稚園だが、園内に入ると建物の軒下などにびっしりと防犯カメラが設置されているのに気付く。

 カメラの数、実に70台。敷地が約2万平方メートルと広く、不審者侵入を防ぐ備えは欠かせない。理事の部屋で常時、カメラ映像を監視でき、30日間は過去の映像を再生して見られる。
 「24の教室すべてにカメラと通報用の電話がある。カメラに映らない死角はない」。太田仁一理事は自信満々だ。

 学校法人宮城明泉学園(後藤義信理事長)は3年前、泉区で運営する明泉幼稚園と高森明泉幼稚園に防犯カメラを導入した。大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件が起きる1年前。海外で子供が狙われる凶悪事件が相次いだのがきっかけだった。

 予算は2000万円を超え、負担は重かった。それでも理事会では「広い園内には死角が多く、合わせて1300人を超す園児を守れるのか」といった意見が相次ぎ、理事全員の賛成で設置が決まった。現在は防犯ベルを持った保育士さん2人が園内を巡視し、外部からの訪問者には全員「GUEST」と書かれたシールを張ってもらう徹底ぶりだ。

 泉区寺岡のこどもの国幼稚園(高橋正顯園長)では、元自衛官の職員3人が交代で1時間ごとに園内を巡回している。もともとは送迎バスの運転手として雇ったが、2年前から不審者対策の仕事も依頼した。

<木刀など常備>
 宮城野区清水沼の清水幼稚園(小野和子園長)は来年4月から、園児の送迎バス3台にGPSを常備し、保護者の携帯電話に送迎バスの現在位置を知らせるサービスを導入する。携帯の画面に、送迎バスが通過した停留所を刻々と知らせる。
 送迎バスを待つ時間を短縮するだけでなく、子供の居場所をリアルタイムに知らせ安心感を持ってもらうのが狙い。

 同園はすでに防犯カメラを取り付け、職員室には木刀、催涙スプレーも常備している。30年ぐらい前から幼稚園を経営してきた小野栄助理事長は「本当はこんな防備はしたくはない。日本はいつから日本こんな社会になってしまったのか」と嘆いている。



結論から言えば、児童・生徒の安全を完璧に確保しようとすればここまでやらなければならないだろう。
監視カメラもセンサーもそれに専従する人間がいなければほとんど役に立たない。したがって専門のガードマンも雇わなければならない。

この記事の幼稚園は70台の監視カメラを取り付けて2000万円だそうだが、大阪教育大学付属池田小学校では防犯設備に2800万円かけたという。ガードマンを雇えば、少なく見積もっても毎年数百万円の費用が必要となる。
全国3万5000あまりの小中学校、高校を合わせると4万を越える学校のすべてにこれを適用すれば設備費用だけでも1兆2000億円。大変な金額だ。
これだけ払えば子どもの安全はほぼ完全に保障され、金額を落とせば落とすだけ危険は高まるということである。
さて、どうするか。

結論から言うと、私はどちらでもいいと思っている。
私自身も親だが、自分の子が学校で暴漢に刺されてもそれを学校のせいにしようとは思わないし、交通事故でひき殺されても特別に何か事情がない限り行政を追及しようとも思っていない。そうなればそうなったで、それがこの子の運命だと思うしかないと思っている。

ただ願わくば、金は出さないがその分教師の自覚と努力で何とかしろと言われるのは困る。自覚と努力といっても、1時間にひとり来るかどうかも分からない来校者のために監視カメラのモニターの前に常時誰かが座り続けることなど不可のだからだ。

私の勤務するような田舎の学校では5日ぶっ続けの参観週間などではのべ数百人が入れ替わり立ち代り校舎内に入り込んでいる。そうした状況にあって意図的な殺人者の侵入を防ぐなどどだい無理な話である。
学校の開放は学校の危機管理と矛盾する側面を持つ、そのことを承知の上で学校を開放せよと叫び続けたマスメディアは、今こそ態度を明らかにすべきである。






2003.12.24

わいせつ行為で懲戒の教員、過去最多148人 02年度

[朝日新聞 12月22日]


 児童や生徒の体に触ったりビデオカメラで様子を隠し撮りしたりする「わいせつ行為等」で02年度に懲戒処分を受けた公立学校教員が148人にのぼったことが、文部科学省が22日に公表した調査結果でわかった。前年度の100人の約1.5倍で過去最多となった。

 内訳は免職97人(前年度53人)▽停職39人(同31人)▽減給8人(同10人)▽戒告4人(同6人)で、免職が大幅に増えた。事案の増加に加え、同省が01年9月にわいせつ行為での処分は、原則として最も厳しい免職で臨むよう教育委員会に指導したことも影響した。
 わいせつ行為の相手が自校の児童生徒だった教員は78人で最多。18歳未満の他校生28人、教職員21人、18歳以上の一般人16人、卒業生5人と続いている。都道府県別にみると、北海道12人(うち札幌市2人)、千葉県11人(うち千葉市2人)、東京都11人、兵庫県9人(うち神戸市1人)、埼玉県7人、静岡県7人となっている。

 93年度は18人で、ここ10年で8倍以上に増えている。同じ理由で法律に基づかない処分である訓告や諭旨免職となった教員を加えると175人となり、前年度より53人多い。

 文科省は「人数の増加は各教委が厳しく対応する方向にシフトしていることの表れだ。ともすれば教育的配慮という名のもとに公にされてこなかった面もあるが、学校の説明責任が果たされつつある」と分析している。

 一方、朝日新聞社が今年4月以降の状況を調べたところ、現在までの約8カ月余で少なくとも107人がわいせつ行為を理由に何らかの処分を受けており、今年度も高い水準になりそうだ。

 わいせつ行為を含め、02年度に懲戒処分となった教員の総数は1213人で、前年度より120人増えた。

 わいせつ行為以外の内訳は、交通事故619人(前年度比22人増)▽争議行為31人(同11人増)▽体罰137人(同12人増)▽公費の不正執行や手当の不正受給16人(同3人減)▽国旗掲揚・国歌斉唱にかかわる処分26人(同68人減)▽無断欠勤などその他の処分236人(同98人増)。訓告や諭旨免職を含めた処分者の総数は3545人で、前年度より439人減った。

 このほか、うつ病やストレスによる神経症など、「心の病」で02年度に休職した公立学校教員は2687人。前年度より184人増えて過去最多を更新した。93年度(1113人)からの10年間で2.4倍の増加。教員全体の0.29%、345人に1人いる計算だ。


由々しき事態である。
ただしわいせつ教員については、今後しばらく増加あるいは横ばいの状態で推移し、やがて減少に転じる。
人数の増加は各教委が厳しく対応する方向にシフトしていることの表れ
というのはまず確実な分析で、これまで見逃されてきた行為が次々と摘発される中で、そうした性向を持った教員は徐々に排除され、二度と教職に戻らなくなる。したがって「横ばいから減少」はまず間違いない。

わいせつ行為以外の懲戒処分については不明である。
交通事故についていえば減る要素も増える要素もない。
生徒に対する懲罰規定がほとんどなくなってしまった現在、生徒指導に手がなくなって一気に体罰に走る教員は今後も出そうだから、体罰は減らない。
国旗掲揚・国歌斉唱にかかわる処分はもう増えようがなく減少。争議行為については確信的な人々の行うことであるから減らないだろう。

そして「心の病」で休職する教員だけは、今後も確実に増え続ける。
その数2687人は、基準が変わって増加したわいせつ教員148名よりはるかに深刻だと思うが、世間の目はそうではない。そうした教員のもとで授業を受けていた児童・生徒の心の問題も、現在病気を抱えながらも休職せずに教室に留まる教員のもとにいる児童・生徒のことも問題にはならない。

もう一ついえば、刑事処分を受けるような犯罪を起こした教員の中にも「心の病」と無関係とは思えない事例がたくさんあるが、それもまたわいせつ行為148名に比べたら本当に些細な問題ということなのだろう。

そのせいか、同じ文部科学省の発表を受けても
「心の病」で02年度に休職した公立学校教員は2687人については報道しなかったメディアがかなりあった。







2003.12.26

[記者有情]’03ワイド 生きる力 /北九州

[毎日新聞 12月25日]


 ◇弾む声ににじむもの
 「生きる力」とは何だろう。そのテーマで2年前に取材した「彼」が先週、久しぶりに電話をくれて以来、考えている。
 22歳。5年前、集団同士のけんかで少年1人を刺して死なせる事件を起こした。家裁の審判では「短絡的で将来への意欲が希薄」とされ、特別少年院送致に。その後、損害賠償で4000万円の債務を負った。かかわった弁護士は「事件当時の彼は『生きる力』を欠いていた例といえるかも」と話した。
 相手は母子家庭。母親は火葬場で一人息子の棺に一緒に入ろうとしたと聞き、彼は激しく後悔した、という。
 彼も同様の境遇だ。親の虐待や学校でのいじめ、不登校や教師の暴力が非行へ走るきっかけになった。「強そうに見せれば殴られない」と。
 「生きる力」の育成をうたう文部科学省によれば、それは自ら学び、考え、よりよく問題を解決する資質や能力、という。皮肉にも昨年度、体罰で懲戒処分を受けた教諭は全国で過去最悪の137人。教師の側にも「生きる力」の欠如が表れているかのようだ。
 近況を伝える彼の電話が、そんなことを考えるきっかけになる。
 中学も満足に行かなかった彼が夜学に通い、2年前から建設現場で仕事を任されるようになった。先日の電話では年末年始もほとんど休みなしという。
 「きついけど、自分がしなきゃいけない仕事だから」と話す声が、どこか弾んで聞こえた。


火葬場で一人息子の棺に一緒に入ろうとした被害者の母親の心情を想ってもなお、加害少年には同情の余地がある。親の虐待や学校でのいじめ、不登校や教師の暴力そうした原因を考えるとき、むしろ問題は周囲の方にあったのではないか。
実際
昨年度、体罰で懲戒処分を受けた教諭は全国で過去最悪の137人。これでは少年が非行に走るのは無理ないともいえる。不幸にも加害者となってしまったこの少年の行く末を、読者と一緒に見ていこう。
それが「記者有情」の意味だろう。しかし……

こうした記事を見るときいつも思うことは、
親の虐待や学校でのいじめ、不登校や教師の暴力の内容を記者がどれだけ調べたかということである。
親の虐待や教師の暴力も「普通の親の通常の指導」と言っていい範囲にあるものだったかもしれない、学校でのいじめも子ども同士のありふれたトラブルだったのかもしれないし、不登校も本人の意志によるものだったのかもしれない、そうした恐れを持たず、加害少年の言葉をそのまま信じることのできる記者の有情とはどういうものなのか。

私は必ずしも少年がウソを言っているとは思わない。しかし子どもというものは、そもそもが相当に主観的な存在なのだ。彼の目にすべてが彼を傷つける行為だったとしても、それが客観的事実だとは限らないのだ。
だとしたら事実は相当に調べられなければならないし、厳しく検証され初めて、加害少年に心を寄せるという態度が生まれてくる。そうでなければ被害者もその家族もまったく浮かばれないではないか。


しかし、
体罰で懲戒処分を受けた教諭は全国で過去最悪の137人。教師の側にも「生きる力」の欠如が表れているかのようだ。と平気で書くようなこの記者に、ジャーナリストとしての調査能力や高い見識を求めることは無理だろう。

137人は全国の教師の0.015%、つまり1万人に一人乃至2人という人数である。生徒の被害を考えるとそれが多いか少ないかは判断の分かれるところだが、
0.015%をもって全体の傾向とするのはやはり間違いだと思う。