キース・アウト
(キースの逸脱)

2004年5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。













  


2004.05.05

性教育は児童への個別指導を重視…文科省方針

[読売新聞 5月4日]


 文部科学省は3日、学校での性教育について、児童・生徒への個別指導を重視する方向で見直す方針を決めた。

 性の悩みには個人差が大きいうえ、学習指導要領を逸脱した行き過ぎた授業が行われたケースもあるためだ。近く性教育に関する全国調査を実施し、指導事例集を改訂する考えだ。

 これまで、文科省は性教育について「児童・生徒が健全な異性観を持ち、望ましい行動がとれる」ことを目標に掲げ、〈1〉子どもの発達・発育段階や受容能力に応じている〈2〉教育的に価値がある〈3〉保護者や地域の理解が得られる――などを基本方針としている。

 具体的には、学習指導要領で、小学校3、4年で初経や精通、中学校では受精と妊娠、高校で避妊などを取り上げるとしている。

 最近、小学校などで性交のイラストなどを教材として使い、保護者が学校に抗議するなど、行き過ぎた授業が目立っている。文科省は「個別に指導すべき事柄まで授業で一律に教えることが混乱につながっている面もある」として、学習指導要領の範囲内で個別指導を強化することにした。

 5月中に、省内に「性教育のあり方に関する調査研究協力者会議」を設置し、性教育に関する教員研修などの改善策を検討する。

 学校教育において、性教育は常に特殊な地位を占めてきた。
 本来は保健体育の授業の中で行われるべきものが(学習指導要領では保健体育の扱いとなっている:「参考」を参照のこと)担任扱いとなり、特設の時間を数時間与えられ集中的に行われてきたのである。性教育を除けば、○○月間あるいは○○旬間・週間という名で特殊な扱いを受けるのは、他に人権教育と図書館教育くらいしかない。

 なぜそこまで重視されたかというと、一部の人々が性教育こそ非行対策の一つの柱であり、そこを避けては指導ができないと考えたからである。また、別の人々はテレビ・雑誌・インターネット・口コミによってもたらされる膨大な有害情報に対抗していくには、学校が積極的に取り組んでいくしかないと考えていた。
 さらに保護者からも「家庭ではもう指導できないという」悲鳴に近い声があがっていた。
 性教育はテレビなどのマスコミでも繰り返し報道され、やれ「アメリカでは積極的な避妊教育が行われている」とか「避妊具の扱いについては早目に教えるべきだ」といった、ほんとうにそこまでやっていいのかと思うほど過激な要求が常に学校に寄せられてきた、それが学校の性教育の置かれた立場である。

 そうした外部の強い声に押されて進められた性教育だが、実は教師個人にとってかなり苦痛なものだった。特に独身の若い教師たちにとって、本来口にすべきではないとされた「性」を大声で、全体の前で語らなければならないというのは非常な苦痛を伴い、若い女性教諭などは「先生も、やってるの?」といった好奇の目に晒されることもあった。しかしそうした苦痛に耐えながら、教師たちは授業法を工夫し様々な教具を開発して今日まで続けてきたのである。

 それだけに
行き過ぎた授業が目立っていると言われるとなんとも釈然としない。何のための苦労だったのかと言う思いが募る。
 しかしそれが時流というものなのだろう。

 もはや流れは変わった。
 学校での性教育について、児童・生徒への個別指導を重視する方向で見直す方針を決めた。
となると、全体指導は極端に縮小されるだろう。
 もともと苦痛を押して行ってきた教育活動だけに「やらなくていい」となれば、潮の引く様は驚くほど速い。

 特に問題を起こさない限り、教師は性教育に積極的に手を出さなくなる。
 性の問題は家庭に任されることになる。
 そして家庭が優秀な性教育を行わない限り、実際の教育はテレビ・雑誌・インターネット・口コミが担うことになるだろう。



*付記
 ところで
学習指導要領の範囲内で個別指導を強化することにした学習指導要領の範囲内でというのはどういうことなのだろう。
 
やはり学習指導要領は最低基準ではなく、指導の上限を示すものだったのだろうか?
 疑問である。

「参考」
 学習指導要領における性教育の扱いは次のようになっている。

小学校学習指導要領(保健体育)

[第3学年及び第4学年]

1 目標
 F 保 健
 (1)(略)
 (2)体の発育・発達について理解できるようにする。

2 内容
 F 保健
ア (略)
イ 体は,思春期になると次第に大人の体に近づき,体つきが変わったり,初経,精通などが起こったりすること。また,異性への関心が芽生えること。
3 内容の取り扱い
(7)内容の「F保健」の(2)については,自分と他の人では発育・発達などに違いがあることに気付き,それらを肯定的に受け止めることが大切であることについて触れるものとする。


中学校学習指導要領(保健体育)

1 目 標
 個人生活における健康・安全に関する理解を通して、生涯を通じて自らの健康を適切に管理し、改善していく資質や能力を育てる。

2 内 容
  (1)心身の機能の発達と心の健康について理解できるようにする。
   ア (略)   
イ 思春期には、内分泌の働きによって生殖にかかわる機能が成熟すること。また、こうした変化に対応した適切な行動が必要となること。
3 内容の取扱い  
(1)内容の(1)は第1学年、内容の(2)及び(3)は第2学年、内容の(4)は第3学年で取り扱うものとする。
(2)(略)  
(3)内容の(1)のイについては、妊娠や出産が可能となるような成熟が始まるという観点から、受精・妊娠までを取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする。また、生殖にかかわる機能の成熟に伴い、性衝動が生じたり、異性への関心が高まることなどから、異性の尊重、情報への適切な対処や行動の選択が必要となることについて取り扱うものとする。






2004.05.11

生涯学習 4人に3人「学んでみたい」 熊本大が県民調査

[熊本日日新聞 5月10日]


 熊本大生涯学習教育研究センターが実施した生涯学習に関する県民調査で、県民の四人に三人が「学んでみたい」と考えていることが分かった。しかし、「時間がない」「身近に機会がない」などの理由で、実際に学習している人は二割強。講座の設け方などに工夫が求められる結果となっている。

 同大が生涯学習の本格的な調査をしたのは初めて。県生涯学習推進センターに協力を求め、一月に実施した。無作為に選んだ二十歳以上の男女九百六十二人を調査、34・8%の三百三十五人から回答を得た。

 各年代とも学習意欲は高く、「学んでみたい」人は75・0%。特に四十歳代では90・0%に上った。目的は「楽しみたい(学ぶ楽しさ)」が最も多く27・8%。年代別では、二十〜四十歳代は各年代とも「仕事に役立てる」が30%を超えた。高齢者は「老化防止」が多く、七十歳以上では49・2%を占めている。

 しかし、実際に学んでいる人は22・6%。特に二十歳代は14・7%にとどまっている。できない理由として、二十歳代は「時間がない・合わない」が44・1%。五十歳代は「時間」が30・6%、「機会や場所(が身近にない)」が29・0%でほぼ同数。六十歳代と七十歳以上は「健康上の理由」で学べない人が目立っている。

 関心の高い講座は「陶芸」14・9%、「福祉・高齢社会問題」14・2%、「野外活動・スポーツ」13・2%など。学習成果を生かしたい分野は「仕事」「仲間づくり」「家庭生活の向上」が上位を占めた。生かす場所は「地域のサークル」22・5%、「地域のまちづくり活動」17・4%が多かった。

 熊本大の上野眞也助教授は「若い世代も意欲が高く、潜在的な生涯学習のニーズがあることが分かった。成果を自己実現にとどめず、社会に還元しようという意欲がみえる」と分析。県生涯学習推進センターの三角幸三審議員は「仕事や地域・ボランティア活動に生かせる講座をさらに企画したい」と話し
ている。

メモ程度に書いておこう。

この少子高齢化の時代、次の大学の担い手は、ここに「学んでみたい」と答えた人たちである。何年か後には、大学生の半数が老人という時代が来るのかもしれない。





2004.05.14

朝食抜きが学習意欲に影響 大阪市教委の調査

[共同通信 5月13日]

 朝食を取らない児童・生徒ほど学習意欲が低い−−。大阪市教育委員会が13日発表した「大阪市学力等実態調査」でこうした傾向が明らかになった。
 調査の対象は大阪市立の小学6年生と中学3年生の各約1900人。学習時間や予習・復習をするかなどの質問で、学習意欲が高いグループと低いグループに分けた。
 朝食を取る習慣についての質問で、中学生で「ときどき」と答えた16・4%では、学習意欲が高い生徒は4・2%だったのに、低い生徒は12・2%。「ほとんどない」14・4%の回答のうち、学習意欲が高い生徒は1・9%、低い生徒は同12・5%と大きな差が見られた。
 小学生への調査でも朝食を取らなくなるにつれて、学習意欲が低くなることが分かった。
 市教委は「朝食抜きは生活習慣の乱れにつながり、授業への集中力を妨げる恐れがある」としている。

こういう話を聞いたことがある。
「昔、バッタをしつけることに成功した昆虫学者がいた。
 
彼が『跳べ!』と叫ぶと、バッタは見事にジャンプする。
 
彼は、ある日バッタの足を一本取った上で『跳べ』と叫んだ。バッタは跳んだ。彼はさらにもう一本足を取ってもう一度『跳べ!』と叫んだ。今度も』バッタは跳んだ。そうやって一本一本足を取っては『とべ!』と叫んでいたが、ついに最後の一本を取るとバッタは跳べなくなった。
 
そこで彼は自らの研究論文に静かに筆を進めた。

『バッタは、足を全部取ると、耳が聞こえなくなるらしい』」

とぼけた話である。

朝食抜きは生活習慣の乱れにつながり、授業への集中力を妨げる恐れがある

違うだろ。生活習慣の乱れが朝食抜きにつながり、朝食を抜くヤツが勉強なんかするもんかという、ただそれだけのことじゃないのか?






2004.05.19

[教育ふくおか]
北九州市内の小学校保護者が作る「ひまわりの会」
 /福岡


[毎日新聞 5月18日]

 ◇「親子が向き合うきっかけに」 母親らが算数プリントを手作り
 ◇家庭生活のチェック表も−−出来たら褒める
 「子供が家で全然勉強をしない」「しつけと思っていろいろ言っても反発されるだけ」――。こんな悩みを持つ北九州市若松区の小学生の保護者グループがこのほど、1年生用の算数のプリントや生活チェック表を手作りした。狙いは、家庭での学習・生活習慣をきちんと身に着けてもらうこと。一緒に考えたり取り組むことで「親子の会話が増え、勉強への意欲もわいた」などの効果が出ているという。【古川修司】
 ◇手書きで
 「さんすう かていようプリント 1ねんせい」。こう表紙に書かれた教材は、全部で70ページの力作。JR若松駅に近い市立修多羅(すたら)小学校の保護者約15人でつくる「ひまわりの会」が半年掛かりで完成させた。
 「同じ仲間を集めて色を塗りましょう」から数字の書き方、足し算・引き算、図形などまで、教科書に沿った内容。同小の山本敏明校長らが助言したが、一番の特徴はすべて母親たちの手書きであるという点だ。
 原画は文字も図も鉛筆書きで、親しみやすい雰囲気。紙の片隅には「やったね」と笑顔を見せたり「すごいわ!やればできるじゃない」と涙を浮かべる母親のイラストも登場する。
 ◇相談から
 同会は、地元であった子育て講座の参加者が中心となって結成。3月までの代表だった松尾弥寿代さん(46)は「しかっても言うことを聞かないとか計算が苦手だが大丈夫かなどと、お互い打ち明けるようになった」と話す。
 共通するのは、子供がなかなか家で机に向かってくれないという悩み。「勉強勉強と言いたくないが、このままでは心配」という声が出た。
 そこでヒントになったのが「自分で問題を作って渡したら、おもしろがって次もとせがまれた」というあるメンバーの話だった。
 現代表の永島寿美恵さん(38)は「家でイラストを描いていると、娘が楽しそうだから自分も手伝いたいと言ってきた。子供が関心を持てる仕上がりになった」と笑顔を見せる。
 ◇触れ合い
 学力向上だけが目的なら市販教材があるが、プリントの狙いはまず低学年のうちから家で学習する意識を持ってもらうこと。押し付けるのではなく、それぞれのペースに合わせて、親子で取り組んでもらう。
 試験的に一部を会員ら10人の家庭で使ったところ、子供たちは「楽しかった」「一生懸命やった」とまずまずの反応。父母も「親子触れ合いのいい機会になった」と歓迎した。そこで、夏休み前に1年生53人全員に配って活用してもらうことにした。
 山本校長は「この10年の間に、家で勉強をする子とそうでない子の差が大きく開いた。塾任せという家庭も目立つ。この活動は学習面だけでなく、親子がきちんと向き合い、子供が親を尊敬するきっかけにもなるのでは」と期待する。
 ◇生活面も
 同会はプリントと同時に、家庭生活のチェック表を作った。
 「一人で起きる」「朝の大便」「歯を磨く」などの生活面や「やくそくを守る」などの社会性、学校での集団生活、そして「宿題をする」「自主学習をする」――。
 会でよく話題になるのは、夜更かしをして朝起きられず朝食も取らないこと。
 学習面に限らず、家庭できちんとした生活習慣を身に着けてもらうため、親子で話し合い、出来る項目から「約束」。チェック表はガミガミしかるより、出来たことを褒めようとの発想だという。背景に子供のしつけをどうしたらいいか戸惑い、指針を求める親たちの意識も見えてくる。
 開校90年近い伝統がある同小だが、児童の多くは新興住宅街に住み、親同士の付き合いも希薄。
 松尾さんは「親だって、楽しくなければ続かない。就学後は子供の学習が大きな関心事だが、なかなか人に相談できない。仲間の輪を広げ、子育てについて何でも話し合える場にしていきたい」と話した。


この記事に関するコメントはひとつだけである。


こういう親も世の中にいることを知り、おそれなさい。







2004.05.21

家庭学習手引きや問題集ソフト作成 家庭や学校に配布
−−宮崎市教委/宮崎


[毎日新聞 5月20日]


 ◇小中学生、学力向上の一助に
 延岡市教委は小中学生の学力向上の一助にと家庭用パンフレット「家庭学習の手引き」と算数・数学問題集のパソコン用ソフト「パワーアッププリント」を作成、保護者や学校に配布した。【椎葉昭夫】
 手引きとソフトは小中学校の指導者22人で構成する常任研究員会がまとめた。児童、生徒へのアンケートやこれまでの経験、調査を元に、学力低下は「ゲームの普及などによる家での学習不足が原因」と判断した。
 手引きはA4判10ページ。子どもたちが家庭で自発的に机に向かうためには、勉強を強いるだけでなく▽早寝早起きの励行▽あいさつ▽家の手伝いなどの基本的な生活習慣、規則正しい生活リズムづくり――を呼びかけている。小学生については低、中、高学年ごとに保護者らの気配り方法も示した。
 また「パワーアッププリント」は、学年ごとに計算力の向上に欠かせない基礎を重点に置き、ミスを犯しやすい個所は復習ができるようにした。複製して利用することもできる。
 市教委は「学校の勉強だけで学力はつかない。家庭でも保護者が子どもといっしょに勉強する雰囲気づくりが欠かせない」と話している。


映画「マトリックス」の主人公モーフィアスは「道を知っていることと歩くことは違う」と言ったが、学習も同じで「わかることと、できることは違う」のだ。

掛け算九九の原理を知っても、それで九九ができるようになるわけではなく、漢字の「へん」や「つくり」の意味を理解したところでそれですべての漢字が書けるようになるわけではない。

学習の定着の最後の砦は、ドリル的学習である。したがって基礎基本を強調すればするほど、学習の時間は延長されなければならない。
そして学校が求めに応じて「ゆとり」を強調し、十分な時間を保証しなくなった今、ドリル的学習は次第に家庭が中心になっていく。それも当然である。さらに重要なことを付け加えれば、そうやって下駄を預けられた家庭の教育力には非常な差があることも忘れてはならない。


これからの時代は、どこの学校を卒業したかではなく、誰の家に生まれたかが人生の重要なファクターとなる。

さて、家庭学習を強調しそれに援助の手を差し伸べた延岡市教委のセンスはたいしたものだ。しかしこれをもって家庭の教育力の差を生めることはできないだろう。優秀な親はこうした援助がなくてもすべきことをするだろう。そして無関心な親にとって、このような援助は何の意味も持たない・・・まさに「バカの壁」である。





2004.05.23

体罰は懲戒免も…教師の処分上限、都が引き上げへ

[読売新聞 5月22日]


 生徒への体罰やわいせつ行為など教職員の不祥事が多発しているため、東京都教育庁は21日、懲戒処分の基準を見直し、体罰については上限を停職から免職に引き上げる方針を固めた。

 また、教職員の意識改革を促そうと、最近の不祥事を「事例集」にまとめ、研修用として都内の公立小中学校と都立高などに配る異例の対策に乗り出した。

 同庁によると、都内の公立小中学校、都立高などで昨年度、体罰で処分された教職員は過去最高の75人に上った。前年度(34人)の2・2倍に増えた。わいせつ行為も36人で、過去2番目。

 体罰への懲戒処分は明文上は停職が最も厳しいが、目に余るケースでは自主退職を促してきた。しかし、近年、生徒をトイレに連れ込んで殴るなど、従来の体罰の概念を超えた暴力行為が起きており、退職金が出ない懲戒免職を適用する必要があると判断した。

 また、教師が学校のパソコンでインターネットのわいせつ画像を見るケースがあるため、その場合は最高で停職とするよう処分基準を追加した。

 事例集は61ページで、14の実例を挙げた。男児の顔を殴り、大けがをさせたケースでは「日ごろ続いていた体罰が見過ごされた」と学校全体の問題点を指摘。教え子の女子高生と関係が深まり、ホテルに入った事例では「合意があっても、生徒と性的関係を結べば教壇に立てなくなることを認識させる」などと対応策を記している。

「罰では子どもはよくならない。誉めて育ててこそ、子どもは健全に育つものだ」
私たちの現場ではよく言われることである。にもかかわらず、同じ教育の現場にいる教員ついては、厳罰をもってするしか対処の方法を考えつかない。


大いなる矛盾である。

体罰を行えばどうなるかということを知らない教員はいない。それにもかかわらず現場からなくならないのはなぜか、私たちはまずそこから考えてみる必要がある。それは理の当然だろう。
しかしこの問題を理論的に考えようという雰囲気は一向に生まれてこない。


体罰は教員の資質というきわめて個人的な問題に集約され、厳罰主義をもって対処しようとする。だから体罰はいつまでたってもなくならないのだ。

なぜ教師たちは自らの職と生活を賭けて体罰に走るのか。それは要するに体罰をもってしか子どもをコントロールできないと、感じているからである。言うまでもなく有能な教員は体罰など必要としない。しかし誰もがそこまで有能なわけではなく、有能な教員だけで需要をまかなうことなどできはしない。だったら体罰をしないですむように 体罰に代わる罰を整備すればよいだけのことである。

授業を荒らす児童生徒には家庭謹慎。それでも改めなければ退学。親は親の責任でどんなに遠くとも別の学校を探し、毎日送り迎えしなければならない、そうしなければ今度は保護者に大きな罰金刑が課せられる、そう、決めただけでも、学校はずいぶんと変わるはずである。

また、そこまでしなくても、「宿題忘れは3回で1ペナルティ家庭連絡の上、保護者が学校で指導を受ける」その程度であっても、怒りに震える教員の数はずっと少なくなる。

あるいは、暴力の巣窟である部活は学校から切り離し社会体育にしてしまう。そうすればコーチの体罰は残っても、部活における教師の暴力は一夜にしてなくなってしまうはずである。

現在の学校は正座もいけない立たせるのもいけない、さまざまなチェック表もつくってはいけない、家庭連絡をすれば逆に食ってかかられる、そういう世界である。そういう中でいくら体罰禁止を叫んでも、切羽詰って体罰に走る教師を撲滅することはできないのだ。





2004.05.26

絶対評価>「5」にばらつき 学校間格差、最大45倍

[毎日新聞 5月25日]

絶対評価>「5」にばらつき 学校間格差、最大45倍

 横浜市内の公立中学校を今春卒業した生徒の「絶対評価」に基づく教科ごとの成績評価で、5段階評定の「5」の割合に最大45倍の学校間格差があることが分かった。高校入試の調査書に影響する成績評価が、絶対評価の導入で甘くなる「バブル」の一端が浮かび上がった。評価基準の客観性が問われそうだ。

 毎日新聞社が学校別の評定一覧を情報公開請求し、同市教委が公開した。全校分の公開は政令市で初めて。

 学校名と成績が公開されたのは、同市内の公立中145校を今春卒業した生徒の2年修了時と3年2学期の分。学校別に全9教科で1〜5の生徒数が記載されている。調査書はこの時期の成績に基づいて作成される。

 1学年の生徒数が40人以上の学校(144校)で、「5」の生徒数の割合に最も差がついたのは2年生の英語。80人中44人(55%)と82人中1人(1.2%)の学校の格差が45.8倍あった。全校の「5」評価数の平均は、以前の「相対評価」で定められていた7%の2倍を超える17.7%。30%以上も9校あった。

 3年生の保健体育では、「5」が56.4%(335人中189人)と高率の学校がある一方、0%(14人中0人)の学校もあった。

 
ある学校では全9教科で「5」評価数の平均が4割を超え、評定平均は2年生が3.79、3年生が4.02だった。相対評価の場合は3.00になるが、同校の校長は「興味や関心を持ち、意欲的に学習する生徒が多いから」と他校より高い原因を説明。同市教委も「突出する学校は気になるが、問題ではない。絶対評価ではあり得ること」と静観する。

 
しかし同市立中の40歳代の男性教諭は「学校現場の実態からは想像できない高値。入試での土俵が違ってしまい、受験生に不公平感をもたらす。絶対評価の調査書を入試の選抜資料に用いるのは疑問」と首をかしげる。

 神奈川県の公立高入試では調査書の比重が大きく、今春から絶対評価の調査書が合否判定に使われている。【渡辺創】

 ■ことば(絶対評価) 新学習指導要領に合わせ、02年度から全国の小中学校で導入された。5段階評定で最高の「5」は7%などと各評定の割合があらかじめ定められた相対評価と異なり、学習目標をどこまで達成できたかを評価する。理論上は全員が「5」もあり得る。



それは最初からわかっていた話ではないか、と言ってはいけないか?

絶対評価は最初から「努力すれば(本当はそうではなく完璧に学習を終えれば)誰でも何人でも『5』がもらえる夢の評価」、つまり順位のわからない評価としてメディア諸氏にもてはやされ、登場したものである。それがその通りになったからといって批判をするのは筋違いだろう。
市教委が
「突出する学校は気になるが、問題ではない。絶対評価ではあり得ること」と静観する。
のは当然である。

さらに
る学校では全9教科で「5」評価数の平均が4割を超え、評定平均は2年生が3.79、3年生が4.02だった。相対評価の場合は3.00になるが・・・
とあるが、絶対評価の平均が3を大きく上回るのは当然であるし、またそうでなくてはならないことも、メディはの人々は知っているはずだ。

現在の絶対評価では「3」は最低点でなければならない。

なぜなら元文部省審議官の寺脇研が「指導要領は児童・生徒がクリアする最適基準です」と強く主張したからである。

「クリアできない場合は、先生が補充問題をつくったりして、必ずクリアさせます」そうなるとごく少数の特別なお子さんを除いて、すべての子が指導要領の基準を超えることになる。つまりほぼ全員が「3」以上となるということである。「ある学校」の平均3.7〜4.2という数字は、実にきちんとした数字なのだ。

私たちはこんな面倒くさい評価方法は大嫌いだった。しかし世論はこれを支持し、私たちは大変な思いをしながら各校分厚い「評価規準表」を用意したのだ。いまさらこれを非難しないでほしい。