キース・アウト
(キースの逸脱)

2004年7月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 

2004.07.05

PTSD診断“乱発”、半分が基準満たさず
=訴訟への悪影響懸念−学会合同調査


時事通信 7月5日]


 心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された症例の約半分は診断基準を満たしていないなど、安易に診断が出される傾向のあることが5日、日本精神神経学会と日本産業精神保健学会の合同調査で分かった。PTSD診断は訴訟や補償に使われることが多く、調査グループの黒木宣夫東邦大助教授は「事実をゆがめ訴訟などに悪影響を及ぼすことになる。診断は医学的に適正に行われるべきだ」としている。


世は心理学ブームである。
どんな些細なことでも人はPTSDとなり、学校では日常のそうとうにつまらない事件に際しても「心のケア」が必要とされる。

 果たして、人間の心はそれほどに弱いものなのだろうか。そしてそれほど弱いままにしておいて良いものなのだろうか


かつて戦乱のボスニア・ヘルツェゴビナで、祖母と市場に出かけた少年が銃撃を受け、彼の横で大好きなお祖母ちゃんの頭がスイカのように砕け散るのを目撃した、その子がPTSDになるのは分かる。

しかし「お前はアホか」といった軽い言葉に対しても、人が回復不能なまでに傷ついていくとしたら、そもそも人間関係など取り結べなくなるのではないか?

いずれにしろ、いやな時代がきたものだ。











2004.07.06

<フリーター雇用>企業の3割がフリーター経験を評価せず

毎日新聞 7月5日]




 企業の3社に1社はフリーターを雇いたくない――。厚生労働省がまとめた04年雇用管理調査で、フリーター経験のある若者を厳しく評価する企業の姿が浮かび上がった。

 調査は、社員30人以上の企業5743社を対象に今年1月1日時点で実施し、4266社(74.3%)から回答を得た。フリーターを正社員として採用する場合、フリーター経験をマイナスに評価する企業は30.3%で、プラスに評価すると答えた3.6%を大幅に上回った。

 マイナス評価の理由(複数回答)は、「根気がなく、いつ辞めるか分からない」(70.7%)、「責任感がない」(51.1%)、「職業に対する意識などの教育が必要」(42.6%)、「年齢相応の技能、知識がない」(38.1%)など。逆に、プラス評価の理由は「豊富な経験を活用できる」(57.0%)、「チャレンジ精神を持っている」(45.3%)、「技能、知識がある」(44.7%)などで、職を転々とする傾向のあるフリーターに対する評価が真っ二つに分かれた。全体の61.9%は、フリーター経験は評価にほとんど影響しないと答えた。

 昨年1年間に実際にフリーターを正社員として採用した企業は11.8%にとどまり、アルバイト生活から正社員への転身の道は険しいのが現実だ。




ある意味、当然の帰結といえる。

「根気がなく、いつ辞めるか分からない」「責任感がない」

といったことには偏見だと抗議できる可能性があるが、
年齢相応の技能、知識がない」
といわれれば抵抗しようがない。


正規社員に比べてフリーターが業務の中心から外されるのは通例であり、その状態が5年続けば当然、正規職員とフリーターの間に技能・知識の差が出てくる。その5年、あるいは10年の差を埋めるのは容易ではない。

超氷河期と呼ばれた平成不況の中で、フリーター選択を余儀なくされた人々についてあれこれ言うつもりはない。ある意味、新卒でストレートに就職できるだけの実力をつけてやらなかった私たちにも罪がある。

しかし最初から意図的にフリーターの道を選んだ人々―――1970年代より連綿と続く「フリーターこそ人間らしい行き方」「未来に安全策を置かない」「束縛のない生き方こそ人間の取るべき道」といった言葉に躍らされた人々は違う。
彼らは今、自らの安易な選択の復讐を受けている。

マスメディアの人々は、今もまじめな就職など大嫌いだ

彼らは自分自身選択した生真面目な生き方に疑問を持っているのかもしれない。
今はマスコミの末端で毎日あくせくと記事を作っているが、もしかしたら自分にはもっと別な生き方があったのかもしれない。もっと自由でもっときらびやかな、本当の自分がそのままで輝ける生き方があったのかもしれない―――そう考えると、いても立ってもいられない。そして自らが果たせなかった夢を若者に仮託する。


曰く
「自分探しの旅」「夢追い人」「自分らしい生き方」

そして今日も、才能もなければ努力する力もない無辜の若者が放浪の旅に出かけ、人生の荒野は夢追い人の骸が累々と横たわるのだ。










2004.07.10

三条の小6男児切りつけ 「責任の重さを痛感している」
−−三条市教育長 /新潟


毎日新聞 7月10日]

 三条市立井栗小の小6男児傷害事件を受け、同市教育委員会は9日、「三条市子どもの問題行動等防止サポートネットワーク協議会」を開き、市内の教育関係者らと対応を協議した。
 冒頭、松永悦男・市教育長は、長崎県佐世保市の事件以降、児童の心の点検を呼びかけてきたにもかかわらず、事件を防げなかったことについて「責任の重さを痛感している」と述べた。
 会議では、「親や教師との信頼関係が十分だったか」「教師がささいな問題だと思っても、子どもはまったく別のとらえ方をしていることがある」といった指摘が出た。
 市教委は、今回の会議を参考に、子どもの問題行動防止策を検討していく予定だという。



これは7月6日に起きた次の事件に対応する記事である。

<小6男児>柳刃包丁で同級生切りつける 新潟

 6日午後1時5分ごろ、新潟県三条市西潟の市立井栗小で、同小6年の男子児童(11)が柳刃包丁で同学年の男子児童(12)に切りつけ、右腕と左手の指に全治2週間のけがを負わせた。学校から午後6時過ぎに通報を受けた三条署は同日、男子児童を傷害の非行事実で補導した。同県中央児童相談所に通告した。[毎日新聞 7月6日]



当面問題となるのは、

「教師がささいな問題だと思っても、子どもはまったく別のとらえ方をしていることがある」
という点である。
これはまったくその通りであって、それだけに始末が悪い。

たとえばそれは、

「他人に『馬鹿!』というのは万死に値する」ということだからである。

「『馬鹿!』と言われることは、殺人に比べれば大したことではない」という教師の感覚は、子どもには全く通用しないかもしれないのだ。


三条の事件では

切りつけた男児と被害者の児童は、3、4年時に同じクラスだったが、5年生の3学期ごろ、ささいなけんかから仲が悪くなり、男児は「もうぐれ」(行動が遅いことなどを意味する方言)などとからかわれていたという。〔7月7日毎日新聞〕

ということであるが、
「もうぐれ」で包丁が持ち出されるなら、「うすのろ」で何が出てくるのか?

たしかに、
「剣道の練習で片足を踏み込んだら足指を骨折する」というほどに弱くなった子どもたちのことだ、私たちが「些細なこと」と思っても相当に慎重にあたらねばならないだろう。

つまり、子どもたちのありとあらゆることに口を挟み、干渉していかなければならないということだ。


「子どもを自由に! 子どものことに口を出すな」といった自由放任の時代は終わった。社会は猛烈な管理主義を学校に要求している。

(と書きながら、「しかしそれにしても、「小さなころから容易に傷つかない強い子をつくろう」では何故いけないのか、私は未だに疑問なのである」








2004.07.12

炎天下、はだしで走らせる 大阪、中学生12人やけど

共同通信 7月12日]

 大阪市淀川区の市立東三国中学校(正木道子校長)で9日、体育担当の男性教諭(42)が授業中に炎天下の校庭で1年の男子生徒19人をはだしで走らせ、うち12人が足の裏にやけどをしていたことが12日、分かった。いずれも症状は軽く入院の必要はないという。
 同校によると、9日午前11時50分から午後零時40分までの4時限目の体育の水泳授業で、教諭が8日にあった水泳授業のクラス対抗リレーで負けた男子生徒19人に対し、「気合を入れよう」と水着姿のままはだしで1周約200メートルの土の校庭を2周走らせた。
 走り終えた生徒が「足の裏が痛い」と訴えたため、教諭は生徒の足をプールで冷やし、病院で治療を受けさせた。
 大阪管区気象台によると、9日正午の大阪市の気温は32・9度だった。



記事を読んで思い出したのだが、大昔、中学生だった私にもそっくりな経験があった。

家に帰って話すと、母は「馬鹿じゃないの? 日陰に逃げればよかったのに」で済ませてしまった。

しかし時代は変わった。
こうした小さなミスも起こらぬよう、学校は終始気を張っていなければならないのだ。

子どもの体にも心にも、かすり傷程度の傷も与えてはいけない。

大切に大切に育て、ゆで卵の表面のようにやわらかな心と体をのまま、社会の荒波の中に放り出せばよいのだ。











2004.07.13

職員に包丁、中3逮捕=いじめ注意され「刺すぞ」−広島

時事通信 7月13日]

 授業中に障害児学級の生徒の介助に当たっていた男性職員(33)に包丁を突き付けて脅したとして、広島県警三次署は13日、暴力行為法違反の疑いで同県三次市立三次中学(友国貴視校長)の3年の男子生徒(15)を逮捕した。
 調べによると、男子生徒は7日午後2時50分ごろ、校舎2階の調理室で職員から家庭科の授業中に注意を受け、調理室にあった出刃包丁を職員の首に突き付け、「刺すぞ」と脅した疑い。
 調理室には教職員と生徒約10人がいたが、けが人はなかった。三次中は翌8日、三次署に事件を届け出た。
 男子生徒は取り調べに素直に応じ、容疑を認めているという。
 職員は障害児学級の生徒に付き添うため授業に出ていた。関係者によると、男子生徒はこの生徒に食用油や調味料を入れた湯を飲ませようとしたり、ぞうきんを投げ付けたりする悪質ないじめをしていた。男子生徒は注意されたことに腹を立て、職員を脅したという。 



家庭科の教師がいる。障害児学級の職員もいる。大勢の同級生もいる。
その中で社会の最弱者である障害児に
食用油や調味料を入れた湯を飲ませようとしたり、ぞうきんを投げ付けたりする悪質ないじめ
をする最低のくそガキ。それを注意すれば
調理室にあった出刃包丁を職員の首に突き付け、「刺すぞ」
と脅す。
人を人とも思わない、どうしようもない事件である。

しかし
こんな子は、2〜3校にひとりくらいはいるものだ。
私たちはこうした生徒まで学校に置き、日々指導しなければならない。
それが学校の現状なのである。


ところで、この事件、新聞社が変わると次のようになる。

<中3男子逮捕>教室で職員に包丁突きつけ脅迫 広島・三次

 広島県警三次署は13日、同県三次市の市立三次中学校(194人、友国貴視校長)の教室で、職員(33)に包丁を突きつけて「刺すぞ」と脅迫したとして、同校3年の男子生徒(15)を暴力行為容疑で逮捕した。

 調べでは、男子生徒は家庭科の調理実習中の7日午後2時50分ごろ、知的障害のある男子生徒にふきんを投げたり、調味料を混ぜた水を飲ませるなどのいたずらをしたことを介助員の男性職員から注意されたことに立腹。調理台の上にあった文化包丁(刃渡り17センチ)を職員の首近くに突きつけ、「刺すぞ」と脅した疑い。生徒はこの後、自分で包丁を下ろしたという。職員は無傷だった。8日に友国校長が被害届を出した。

 13日に会見した同市教委などによると、男子生徒は「切りつけるつもりはなく、面白半分でやった」と話したというが、2年生ごろから、教師に暴言をはいたり、暴力をふるうなどの問題行動があったという。

 同市教委の藤川寿・教育長は「こんな事件が起き、申し訳ない。関係機関や各家庭との連携を深め、再発防止に努めたい」と話した。【小原勝、牧野宏美】

 三次市教委の政森進・教育次長の話

 ふざけていたとしてもあってはならない行為。警察と連携してき然と対応し再発防止に努めたい。(毎日新聞)



なんだ
「切りつけるつもりはなく、面白半分でやった」
だけのことじゃないか。
投げたのも「ぞうきん」じゃなくてふわっとした「ふきん」だし、飲ませたのも調味料を混ぜた水。油が入っているからひどいと思ったけど、その調味料ももしかしたら砂糖だったかもしれない。そうだとしたらむしろ親切なくらいだ。
それに包丁を突きつけたのは「首」ではなく「
首近く」じゃないか。これを本気にするほうがおかしい。
自分で包丁を下ろしてるし職員は無傷だった
こんなの大した問題じゃないよ。

やはり悪いのは、この程度のことも指導できず警察に訴えた学校であって、その証拠に教育長まで謝ってるよね。
ホントにこの生徒こそ被害者といっても良いくらいだ。


子どもは子どもというだけの理由で、どんな場合も責められてはいけない。
毎日新聞は、ある意味で潔い。









2004.07.21

小6男児、同級生から恐喝被害 担任は母親らの相談放置

朝日新聞 7月20日]

東京都清瀬市立小学校6年生の男児らが、同級生の男児から現金を脅し取っていたことが、分かった。脅し取られていた児童の母親らから相談を受けた担任教諭は対応を取っていなかった。市教委は校長と担任を厳重注意した。東村山署は、恐喝事件とみて調べている。

 市教委などによると、児童らは6年生3人、5年生2人の計5人の遊び仲間。被害児童は3年生の頃から、このうちの複数の児童から「お金を持って来い」などと脅され、お金を渡したという。仲間内では、日頃から金の貸し借りをしたり、一緒にゲームソフトや釣りざおなどを買ったりしており、被害額ははっきりしないという。

 被害児童の体操着や給食袋などが教室のごみ箱に捨てられたり、宿題をやらされていたりしたこともあった。被害児童は今年2〜5月に、父親の口座からキャッシュカードで計95万円を引き出した。ふだん使っていない銀行から引き出されたことを不審に思った母親が調べると、防犯カメラに被害児童と仲間が映っていた。学校や警察に相談、調査が始まった。

 被害児童の母親が昨年12月、いじめについて担任に相談したというが、担任は「覚えていない」と話しているという。今年3月、遊び仲間の児童の母親から、被害児童が金を取られているようだと連絡があったが、担任は校長に報告などをしなかったという。

この事件のミソは
仲間内では、日頃から金の貸し借りをしたり、一緒にゲームソフトや釣りざおなどを買ったりしており、被害額ははっきりしないという。

という部分である。

 字義通り読んでいくと、わからない。

 いくら仲間内での金の貸し借りがあろうと一緒に買い物をしようと、被害者から脅し取った金が明らかにならないわけはない。なぜなら彼らの使った金の総額は、いくら貸し借りがあろうとも(全員の小遣いの総和)+(脅し取った金)だからである。つまり(脅し取った金)は(使った金)―(小遣いの総和)、それだけである。そうであるにもかかわらず「
被害額がはっきりしない」のはなぜか。それは、おそらくその「仲間」の中に、被害者も加わっていたからである。つまり親から掠め取った100万余円の一部は被害者自身が使っているということである。

 そんな馬鹿な、というのが一般の常識かもしれない。

 しかし学校の中で、それはよくあることなのだ。

 いじめられる人間は単に怯え、ひたすら耐えているだけではない。弱い立場の人間として、ゴマをすったり、歓心を買ったり、自ら擦り寄ったりと、
さまざまな手段で身を守ろうとする。いじめの加害者の仲間になってしまうことも、そのひとつである。そして仲間の一人になってしまった瞬間から、「いじめ」は周囲から見えなくなってしまう。多少の不自然はあっても、それはすべて仲間内のことと見られ、まさか深刻ないじめが起こっていようとは誰にもわからない、ということになってしまうのだ。

 さらに困ったことに、恐喝の加害者に加害意識がなくなってしまうことも起き始める。なぜなら、いじめられる者の保身術の中には「貢ぎ」というものがあるからである。

加害者の側から見ると、
さしていじめてもいないのに金やら物やらがどんどん手元に持ち込まれる。その上、持ってきた者(被害者)も一緒になって享受するとなれば、脅して掠め取ったという意識はほとんどなくなってしまうのである。

 別の報道によれば親子で強硬にいじめを否定している加害者があるという。分からない事情でもない。

さて、以上は学校の不思議について語ったつもりだ。

次は世間の不思議について尋ねる。教師は世間知らずというから、私だけが理解できないのだろう。しかし通帳から100万円もの金額が消えてもなかなか気づかない家計というもの、私たちの世界では理解できないものである。









2004.07.23

埼玉の高校生が大麻乱用 学校、生徒の薬物保管 使用放置の可能性

産経新聞 7月22日]



警察に届けず「自首」求め返却
 埼玉県の高校生らが窃盗を繰り返して大麻を購入し、乱用していた事件で、元県立高校生の少年(一八)が逮捕される前、大麻吸引を教師に告白したうえで、大麻草とみられる薬物を学校側に提出していたことが二十一日、分かった。学校側は薬物を数日間保管した後で本人に返却しており、警察への届け出を怠っていた。少年は取り調べに対して、「学校内で大麻を所持しているのを先生に見つかったこともある」と供述しているという。
 警視庁少年事件課は、学校側が生徒らによる大麻使用を“放置”していた可能性があるとして、埼玉県教育委員会や学校の関係者から事情を聴くとともに、対応の不手際について、厳重注意した。
 この少年は昨年十一月、東京都新宿区内で警察官から職務質問を受け、大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕され、これが事件発覚の端緒となった。
 関係者によると、少年は逮捕される前の昨年十月、「大麻を学校内で吸った。クスリと手を切りたくなった」と学校に告白、謹慎処分を受けた。その際、教師から「大麻を持っているなら出しなさい」と求められ、大麻とみられる草の入ったビニール袋を提出した。学校側は数日間預かったが、校長や教頭が立ち会って本人と母親に謹慎処分を言い渡す際、「これを持って警察に自首してください」と、袋ごと返却したという。
 少年はその後、「大麻ではなく、合法ハーブだった」などと説明を変えたため、大麻だったかどうかは不明という。
 同校は産経新聞の取材に対して、「教師を頼って相談してきたのに、警察に引き渡すのは忍びなかった。大麻かどうかの確認はしなかった。すぐに警察に提出して大麻かどうか確認すべきだった」と話している。
 同事件では、大麻の購入資金欲しさに金庫破りなどを繰り返していたとして窃盗などの疑いで高校生ら十三人が逮捕されているほか、窃盗グループから大麻を購入し、乱用していた高校生ら十三人が補導されている。高校生が在籍していた高校は県内六校に上り、この少年がいた県立高校では、窃盗グループの中心的役割だった少年(一七)を含む計十二人が逮捕・補導されている。
     

 私立狭山ケ丘高校(埼玉県)の小川義男校長の話 「生徒が大麻吸引を告白したのであれば、学校側が付き添って自首させるべきではなかったか。私なら親も呼んで3人で警察に行くだろう。『子供のため』と言いながら今回学校側や教師がとった行動は責任回避でしかない。教師の仕事は命懸け。生徒にとって教師は保護者と同じなのだから、生徒の行動には責任を持つと覚悟を決め、生徒と一緒に最後まで泥をかぶるつもりでなければ教師は務まらない」
 テレビドラマ「三年B組金八先生」の脚本家・小山内美江子さんの話 「大麻やドラッグが低年齢層に広がっていることは、私も大変危惧(きぐ)している。大麻を持ってきた子供は、どうすればいいのか分からず、先生に助けてもらいたかったのではないか。先生はその場で『そうか、これは犯罪だ』と預かり、1人で警察に行ってきちんと事情を説明すべきだった。前後の事情は不明だが、先生に頼ってきた生徒を『自分で警察に行け』と突き放すのは、ひどいと思う」

法律論としてではなく、教師の人情として、
先生はその場で『そうか、これは犯罪だ』と預かり、1人で警察に行ってきちんと事情を説明すべきだった。
と、
教師を頼って相談してきたのに、警察に引き渡すのは忍びなかった。
と、われわれはどちらに与すべきだろう?

担任も校長も
先生に頼ってきた生徒を『自分で警察に行け』と突き放
したわけではない。

本人と母親に謹慎処分を言い渡す際、「これを持って警察に自首してください」と、袋ごと返却した

のである。


しかしもはやそういう時代ではないのかもしれない。
学校側が付き添って自首させるべきではなかったか。私なら親も呼んで3人で警察に行くだろう。
なら分かる。しかし

1人で警察に行ってきちんと事情を説明すべきだった。
となると、私の理解を超える。

かつて「冷たい」と考えられたことが、いまや温情である。生徒も保護者も信じるに足らない。本人たちの承諾のあるなしに関わらず、教師は一人で警察に行けばいいのだ。
学校側が生徒らによる大麻使用を“放置”していた
と言われないために。

それが現代の金八