キース・アウト
(キースの逸脱)

2004年8月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 

2004.08.03

<小6同級生殺害>学校側の監督責任を示唆
県教委報告書


毎日新聞 8月3日]


 長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件で、県教委は2日、文部科学省へ提出した事件の報告書の内容を明らかにした。現場の小学校では、教職員が鑑定留置中の女児(11)の表情や行動などに気になる点を感じていたものの「特異」と受け止めることができなかったと指摘。「学級内の人間関係のきめ細かな観察・指導は十分になされていたとは言い難い」と学校側の監督責任を示唆した。

 文科省への報告書を基に立石暁(さとる)県教育長が説明した。報告書は、同小の全教職員と他校に移った女児の元担任、前校長の計17人からの聞き取り内容をまとめた。

 それによると、女児については「(5年生後半から)目つきが変わってきたように見えた」「若干感情的になることもあった」など“異変”に気付いていたという証言があった。これを受け、県教委は、教職員が「一般の子供でもありがちなこと」と判断したうえ、大半が、女児をまじめで努力家ととらえていたこともあり「心の屈折や心の中に起こった変化に気づくことができなかった」と結論付けた。

 インターネット上の書き込みなどが感情的な摩擦を引き起こした要因かどうかについては、具体的な事実は把握していなかった。

 また、原因の一つに挙げられている交換日記についても「(記述を巡って)事件直前にトラブルがあったようだ」という証言しかなかった。

 ただ、事件後に女児のランドセルから見つかった、事件直前の授業で書いた作文の下書きには、ホラー映画「ボイス」のセリフ「お前を殺しても殺し足りない」などの表現があり、交換日記に書いた自作の小説には「殺す」という言葉が数多く使われていたことも判明。女児が残虐な内容の多い映画や小説に影響を受けていたことをうかがわせているとしている。

 更に、県教委は昨年7月の長崎市の幼児誘拐殺人事件後の学校側の「心の教育」への対応の遅れなども指摘。「校長、教頭など管理職が生徒指導上の問題点を認識しながら、指導は担任任せでリーダーシップを発揮していなかった」と分析した。

 立石教育長は「学校の管理責任に及ぶかどうかは、まだ調査が必要だ。事件が起きた結果の重さはしっかりと受け止めたい」と語った。


結果的に犯罪を防ぎきれなかったのだから、全く落ち度がなかったとは言えないだろう。しかし
「(5年生後半から)目つきが変わってきた
ように見えた
若干感情的になることもあった
というレベルのことから、殺人や自殺といったものを思い描くことは容易ではない。
一クラス40人もの子どもの中には、そうした変化のある子どもは常に何人かはいるのだから。

だがたいていの場合、それは失恋したとか成績が下がったとか、あるいは体調が悪いとか友だちと喧嘩したとかであって、そう簡単に死に繋がるものではない。
私たちはそれよりも緊急で具体的な問題に、常につき合わされているのだ。もしその程度の変化が重大事件の前兆だったとすると、私たちは常時十数人の、重大犯罪予備軍やら自殺志願者やらを抱えていることになる。そんなはずはないだろう。

学校側の監督責任を示唆

確かに県教委としては「学校に責任はない」という談話は出しにくいに違いない。しかしそうした発表を耳にして私たちが感じるのは、なんともいえない無力感である。
私たちは県教委にも見捨てられてしまっている。
現実に可能かどうかは別として、とにかく現場教師に責任を取らせなければ気のすまない空気が、そこに感じられるからである。






 

2004.08.04

娘にたばこ売った母送検 「金取ればやめる」と

共同通信 8月3日]




 茨城県警古河署は3日、市立中2年の二女(13)にたばこを売り喫煙を放任していたとして、未成年者喫煙禁止法違反(親権者の喫煙不制止)の疑いで、古河市の母親(43)を書類送検した。母親は「注意したが直らなかったので、お金を取ればそのうちやめると思った」と供述しているという。
 調べでは、母親は4月下旬ごろから6月下旬ごろまでの間、買い置きしていたたばこを定価で二女に売り、二女が自宅で喫煙していることを知りながら、制止しなかった疑い。


成年者喫煙禁止法違反で逮捕されるという例は、私の知っているだけでも毎年1〜2件はニュースになるのだから、案外少なくないのかもしれない。
それにしても
「注意したが直らなかったので、お金を取ればそのうちやめると思った」
というのは泣かせる。
浅知恵といえば浅知恵だが、他にもう方法はなくなっていたのだろう。
親や先生の言うことを何でもハイハイと聞いているようではダメだというが、「たばこは止めなさい」ということさえ聞かせられなくなった親子関係は惨めなものだ。


ちなみに成年者喫煙禁止法というのは以下のようなものである。
第1条
 満20年にならない者は喫煙することができない。
第2条
 前条に違反した者があるときは行政処分をもって喫煙の為に所持する煙草及び器具を没収する。
第3条
 未成年者に対して親権を行う者が情を知ってその喫煙を制止しないときは1円以下の科料に処する。
 ○2 親権を行う者に代わって未成年者を監督する者も前項によって処断する。
第4条
 満20年にならない者の自分用に使われるものであることを知って煙草又は器具を販売した者は10円以下の罰金に処する。
注目すべきは、吸った本人には何のお咎めもないということである。なかなか難しい問題を含んでいるといえる。




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2004.08.05

高校教諭が自分の下半身画像を送信、生徒に出回る 熊本

朝日新聞 8月5日]


熊本県阿蘇郡内の県立高校に勤める30代の男性教諭が、カメラ付き携帯電話で自分の顔と下半身を撮影し、メールで送信していたことが分かった。画像は生徒の間に出回ったという。教諭は事実を認めているといい、学校側は教諭を5日から当分の間、自宅謹慎にしている。

 学校によると、教諭は6月下旬、20歳前後の女性と称する相手からメールを受け、2日間で約20通ずつのメールを交換した。

 その中で、相手から女性の顔写真と下半身の画像が届いて同内容の画像を返信するよう求められ、教諭も自分の顔と下半身を撮影し、送信した。その後、相手から教諭が送ったメールの内容が同校生徒の間で出回っているというメールが届き、交信をやめたという。

 男性教諭は学校側に対し「認識が甘く、軽率だった」と話しているという。校長は「教師としてあってはならないことで申し訳ない」と述べた。

 県教委は「事実関係を調べ処分を検討する」と話している。


まあそれにしても、こんなにうまく引っかかるとは、騙した方も思わなかっただろう。2日間にやり取りされたメールを見ながら、自称「20歳前後の女性」とその仲間たちが、転げまわって喜ぶ様子が目に浮かぶようである。

これだから教師をからかうのは止められない。

しかしたしかに軽率には違いないが、自宅謹慎まで追い込むのはいかがなものか。
私の感覚は「騙された方より騙した方が悪い」とつぶやく。しかし教師は世間知らずというから、その感覚の方が狂っているのかも知れない。教師が絡む場合、加害者であると被害者であるとを問わず、教師の方が罰を受けねばならない。

別の新聞によれば、校長は
「教師としてあってはならないこと。生徒らに迷惑をかけて申し訳ない。綱紀粛正を徹底したい」(読売新聞)と語ったようだ。
生徒にどういう迷惑をかけたというのだろう?

いずれにしろ、これでこの気のよいアホな教師、将来は完全になくなったはずである。







2004.08.10

義務教育改革案 「省益」絡んでいないか

沖縄タイムス 8月10日]



 戦後続いてきた義務教育の「六・三制」を変えたい、と河村建夫文部科学相が義務教育制度の抜本改革案をまとめた。
 市町村が地域の実態にあわせ「小学五年・中学四年」など独自に変更できる、というものだ。

 不登校やいじめ、学力低下など教育の課題を解決するには、地域や子どもの状況に合わせた柔軟な制度が必要、だという。
 その通りだと思う。「地方が自由に教育制度を創造」することは地方分権の趣旨にものっとる。
 だが唐突の感はぬぐえない。「三位一体改革」と絡んでいるからだ。

 政府は国から地方へ三兆円の税源移譲を決定、地方には移譲に見合う国補助金の削減を求めている。
 削減の対象に公立小中学校の教職員給与などの半額を国が賄う義務教育費国庫負担金(二〇〇四年度予算で二兆五千億円)があがっている。

 一般財源化には、教育への裁量が拡大する期待と、財源確保が難しく地域間格差が広がる不安、の両面があって全国知事会でも賛否が割れている。

 文科相改革案は、地方の教育改革を財政面から支える「国の責務」と、義務教育費国庫負担制度の堅持を掲げている。改革と予算の不離一体論だ。

 改革案に、「合理性がない」という批判が教育評論家からあがっている。
 たとえば五・四制だと、体力、精神面での差の大きい小六と中学生が一緒になる、思春期を迎えて影響はどうか。中学受験が一年早まり、塾通いなど親の経済力がより反映され教育の機会均等から好ましくない(藤田英典・国際基督教大教授)という意見である。
 教室や校舎などハード面の改修や異なる制度を持つ市町村間の転校などで混乱も予想される。

 中央教育審議会でも、自主性の拡大と現場の混乱、双方の意見があって見送られてきた経緯がある。

 改革案はほかに、学力水準の確保策として「ナショナル・ミニマム」の明示、教員免許の専門職大学院修了の義務付けや免許更新制もあげている。
 文科省は学力低下の批判を受け、ゆとり教育から「発展的内容」の取り入れへ転換したばかりだ。
 教育現場の混乱や学力の格差拡大の懸念も出ている。「ナショナル・ミニマム」の中身がまず問われよう。

 教員の資質向上は必要だが、選別的手法の前に、研修制度の充実など現場の体制づくりを忘れてはならない。

 「省益」を絡めた教育改革では、原点である「子どもの姿」を見失う恐れがある。父母、教師、地方自治体を加えた論議の場を求めたい。


文科省は予算を手放したくない→だから何か国家的プロジェクトを考えなければならない→そこで6・3制の見直しを言い出した。

ああ、なるほど、この問題はこのように読み取るべきものなのか、と驚きを禁じえない。
しかしそうした流れの前に、以下のような意識はないか?

とにかく政府を非難しておかなければ記事は売れない→6・3制見直しをその観点から解釈できないか→文科省は予算を手放したくない→だから何か国家的プロジェクトを考えなければならない→そこで6・3制の見直しを言い出した・・・

まあ、それは別として・・・
文科省に記事のような省益優先の考え方があるかどうかは分からないが、現場の教員として、6・3制の見直しが議論の俎上に上ってくるのは、よく理解できる。

すでに
40名近い5・6年生を、担任教師一人で管理することには、限界があるのだ。
彼らは、もはや50年前の児童とは違う。体格的にも、さらされている情報量から見ても、非常に中学生に近くなっているのだ。


沖縄タイムス記者から見れば
体力、精神面での差の大きい小六と中学生が一緒になる、
ことは奇異なことかもしれないが、私の目には
小学校1年生と6年生が同じ学校にいることの方がよほど奇異である。
身長160cmを超える子がランドセルを背負って歩く姿は、もはや異常の感すらある。

思春期を迎えて影響はどうか。
と言えば、むしろ同じ思春期にある現在の中学生と一緒にした方が遥かにやりやすいはずである。

中学受験が一年早まり、塾通いなど親の経済力がより反映され教育の機会均等から好ましくない
というなら、そもそも個性教育に対して反対していくべきことだろう。


私は、義務教育は4・5制でいいと思っている。
小学校の5・6年生は明らかに中学生と同じ枠に入れるべきであり、9人の教科担任によって複眼的に指導していくべき対象である。
子どもにとっても、気に入らない一人の担任と暮らしていくより、どこかに救いのある教科担任制の方がいいに決まっている。学力を考える上でも、こちらの方が有利だろう。


ただし、5・4制も4・5制も実現の可能性はほとんどないだろう。

理由は非常に簡単である。
中学校における教室数の不足。
それだけである。








2004.08.13

ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止

産経新聞 8月13日]



 男女の性差までも否定する過激な男女平等教育の背景になっているとして、東京都教育委員会は十二日、「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決めた。学校での「ジェンダーフリー思想に基づいた男女混合名簿」の作成も、禁止する方針。月内にも各都立学校に通知し、二学期からの実施を目指す。このような決定は全国で初めてで、今後、各方面に大きな影響を与えそうだ。

 「ジェンダーフリー」は、その意味や定義がさまざまで、単純な生物上の区別や「男らしさ」「女らしさ」といった観念まで否定する極端な解釈もされている状況。

 これに対し、都教委は「意味や内容が使用する人によってさまざまで、誤解や混乱が生じている」として、「都教委が目指す男女平等教育とは異なっており、今後は『ジェンダーフリー』という用語は使用しない」ことを決めた。

 通知によって、ジェンダーフリーの記述がある教科書を使う際には、社会の多様な考え方のひとつとして教育するよう配慮することになるという。

 学校の行政文書などからも、言葉が消える。

 また、都内の学校では一部の教職員や市民グループらがジェンダーフリー思想に基づき、「男子が先で女子が後は男女差別」などとして、男女を一緒にして五十音順に並べる「男女混合名簿」の導入を推進している。

 男女混合名簿については、都は平成十四年、「全校での実施を推進する」などと定めたが、都教委は「男女の性差を否定するような思想に基づき男女混合名簿を作成しようとする動きが見られる」として、作成を禁止する方向で検討している。

 ジェンダーフリーをめぐっては全国各地で混乱があり、一部では「ひな祭りや端午の節句は男女差別につながる」「服の色で男女を分けるのはおかしい」などの教育が行われているという。

     ◇
【ジェンダーフリー】社会的に形成された性別「ジェンダー」からの解放を目指すという考え。「男女共同参画社会の実現」から「画一的に男女の違いを無くし、人間の中性化を目指す」までさまざまな意味で語られている。男女混合名簿導入にも影響を与えており、東京都内では今年4月現在、小学校81%、中学校42%、全日制高校83%で、男女混合名簿が導入されている。(産経新聞)


「教育用語症辞典」にも書いたが、現場にとって混合名簿というのは非常に面倒なものである。
それにも関わらず、こうした名簿が定着しつつあったのは、ひとえに強力な行政の指導があったからにほかならない。私たちはあんなもの、少しも好きではなかったのだ。

上の記事にも
男女混合名簿については、都は平成十四年、「全校での実施を推進する」などと定めた
とあるが、とかく忙しい現場教師が、自ら進んでこんな面倒なことを始めるわかげない。

かく言う私も、混合名簿導入の当時、
「女尊男卑でもかまわん! 女子が先、男子があとで結構だから、男女別名簿のままにしくてれ!」
と叫んだものである。

しかし、その私がこの記事に腹を立てる。それは、以下の一節のためである。

都内の学校では一部の教職員や市民グループらがジェンダーフリー思想に基づき、「男子が先で女子が後は男女差別」などとして、男女を一緒にして五十音順に並べる「男女混合名簿」の導入を推進している。

なぜこのようなことが平気で言えるのか?
学校というところは、
一部の教職員や市民グループの力で、名簿やら何やらを自由に変えることのできるところだったのか?

しばしば私たちは苦い薬を飲まされる。そしてその後、
勝手に苦い薬を飲んだのだと、また非難される。







2004.08.15

19歳少年を誤認逮捕 恐喝容疑で8日間拘束 埼玉県警

産経新聞 8月14日]



 埼玉県警川越署は十三日、同県川越市の市立中学二年の男子生徒(一三)の虚偽の被害申告に基づき、恐喝容疑で東北地方の少年(一九)を誤認逮捕したうえ、留置場に八日間拘束していたことを明らかにした。

 同署は同日までに少年を釈放し、男子生徒を軽犯罪法違反(虚偽申告)の非行事実で川越児童相談所に通告した。

 同署によると、男子生徒は昨年六月一日、映画代として受け取った三千円でゲームソフトを購入したことを隠すため、「少年ら三人に恐喝された」と父親(四一)に説明。同日、父親同伴で被害届を出した。これを受け、同署は先月二十九日に少年を逮捕したが、一貫して容疑を否認していた。

 一方、男子生徒は今月五日、捜査員から三回目の事情聴取を受けた際に虚偽申告を認めた。千葉照実署長は「供述に頼りすぎた面があった。深くおわび申し上げたい」と謝罪。「男子生徒の説明は一貫性があり、具体的で見抜けなかった」と弁明している。



警察も気の毒だが、意気込んで被害届けを出した父親も気の毒である。
本当のことを言えずに大変なことになってしまった男子生徒も気の毒だが、これは仕方ない。

13歳の少年に、父親も警察をも欺くような嘘が言えるのかということが当面話題になりそうだが、これが実に簡単なのだ(私も何度引っかかったかしれない)。

世の父親よ、注意したまえ。どんなに素晴らしく整合した息子の証言も、それ全体が嘘ということは、大いにありうることなのだ







2004.08.21

埼玉の公立小全校に「副校長」…民間人登用、10年で

読売新聞 8月20日]



 埼玉県教育局は、県内の公立小学校に副校長職を設け、民間人を登用する方針を固めた。校長以外の学校幹部で民間人を任用する制度の導入は全国で初めて。

 民間人の目で校長を補佐し、学校と家庭、地域とのパイプ役を務めてもらうのが目的で、早ければ来年度からモデル的に10校程度に配置し、10年後には県内約820の全小学校で実施する考えだ。

 同局によると、校長を補佐し、地域との窓口役になっている教頭は、教師経験が長いため、どうしても学校寄りの立場になる傾向が強いという。そこで、教職員としがらみのない民間人を学校幹部とすることで、学校の閉鎖的な体質を改善したいとしている。

 また、副校長を置くと同時に、校内に地域住民専用の部屋を確保して住民ボランティアを常駐させ、ボランティアの意見を副校長が集約して学校運営に反映させることも想定している。

 同局は、今年中に検討委員会を設置して、市町村教委と具体的な協議に入り、副校長の採用方法や処遇などを決めたいとしている。「小学校を地域の拠点と位置づけ、学校と地域の一体感を強めることで学校の再生や地域再生につなげたい」と期待している。文科省初等中等教育企画課によると、現在、公立学校の民間人校長は全国に79人いるが、教頭はいないという。同課は「学校が殻に閉じこもるのではなく、透明性を高め、地域との結びつきを深めるための手段として評価できる」と話している。



820校に年収800万円ほどの副校長を入れるとなると、それだけで
65億円ほどの大事業である。 これだけあれば毎年二つずつの学校が立替をできる、それほどの金額だ。
それを民間人校長(副校長)につぎ込むという。
ここまで本気なのかと、改めて驚かされた。

私たちが半年や一年研修したところで銀行の頭取や支店長が務まらないように、民間から突然学校に来ても校長や教頭が勤まるはずがない。
だったらいっそのこと新しいポストを用意して、そこで地域との連携、学校の体質改善という新しい仕事を専任でしてもらおう・・・・・・・予算の問題さえクリアできれば、最も現実的なアイデアといえる。

民間人校長について、現在最も深い問題は
「民間人校長だからこそできることは何か」ということである。
埼玉県の試みに注目したい。








2004.08.22

午前10時以降“登校無用”
大阪・門真四中遅刻生徒指導 市教委「学習権の侵害」


読売新聞 8月21日]


 大阪府門真市立第四中学校(勝岡義尚校長)で昨年5月以降、今年1学期末まで、遅刻が目立つ生徒4人に対し、午前10時以降に登校した場合は、授業を受けさせずに帰宅させていたことが21日、わかった。保護者からの指摘を受けた市教委は先月下旬、「生徒が学習する権利を奪うもので問題だ」と改善を指導した。

 市教委などによると、始業は午前8時25分だが、昨年5月、1年生の一部生徒が昼休みごろに登校するなど、遅刻が問題化した。このため、1年生担当教諭らは、特に指導が必要と判断した3人について、帰宅させることを決めた。

 勝岡校長もこの方針を追認し、担任教諭らが本人や保護者に説明。9月からは、さらにもう1人の生徒にも適用した。
 遅刻した場合、欠席扱いとするケースもあり、当初は遅刻防止効果が見られた。しかし、欠席したり、10時に間に合うよう登校する生徒も出て、抜本的な解決にはつながらなかった。

 勝岡校長は「教育を受ける権利を奪う行為で反省している」と話している。

この場合
「生徒も保護者も何の反省もせず、学校だけが反省をして、それでいいのか」ということは問題にならないのだろうか?

いやそもそも
中学校一年生の5月の段階で、すでに昼休みに登校するといったふざけた生徒を、学校はどうしたらいいのか?

教育を受ける権利というが、この子たち、そうした権利をさっぱり重要なものと考えていないではないか。保護者だって、教育を受けさせる義務を履行できていない。

その中にあって、学校だけが反省し、陳謝し、全国に晒される。それでいいのか?


マスコミが駆けつけて「これは学習権の侵害ではないか」と問えば教委も「そうだ」と応えるしかない。それを承知で取材に出かける読売新聞は、明らかに「どんな事情があろうとも学習権は侵されてはならない」という強い信念に燃えているのだろう。彼らは、憲法の権利の濫用に関する規定を知らない。

まあいい。これで子どもたちは好きなときに出かけ、好きな時に授業に出る気楽な学習権を手に入れることができたのだから。







2004.08.31

学校では吸えません-敷地内 全面禁煙【大淀町】

奈良新聞 8月31日]

 大淀町は9月1日から、すべての町立の小中学校、幼稚園、保育所で、敷地内での全面禁煙を実施する。学校単位や校舎建物内の禁煙の例はすでに県内各地にあるが、市町村単位で公立学校がそろって敷地内全面禁煙に踏み切るのは初めて。

 禁煙を実施するのは中学校1校、小学校5校、幼稚園3園、保育所3園の計12校・園。

 町教育委員会は昨年秋から県吉野保健所と連携して、たばこ対策を推進。教職員や町連合PTAは市立五条病院の呼吸器科医師の講演会を開き、喫煙による有害性、未成年の喫煙の危険性、受動喫煙による健康被害などについて研修してきた。また、町の校長・園長会などでも禁煙を呼びかけ、生徒や児童、園児の健康増進を進めている。

 実施に当たって特に反対意見もなかったという。吉野保健所は、大淀町の例を県内に拡大していきたいとしている。

 町教委は今月27日、会議で12校の校長、園長らに必要枚数ずつ、全面禁煙の表示看板を配布。1日までに校門や通用門、フェンスなどに設置することを指導した。看板はA3判大で「学校敷地内全面禁煙にご協力お願いたします」と書かれ、赤色の禁煙マークの中に「禁煙宣言」と記されている。


この記事を見て、「もういい加減許してやれよ」と感じるのは私だけだろうか?

私はタバコを吸わないからいいようなものだが、現在も校舎の脇に小さなスモーキングスペースをつくって、そこで肩をすぼめるようにして喫煙している同僚を見ると、何ともやりきれなくなる。
彼らはもう十分自省しているではないか。これ以上いじめる必要があるのだろうかと思うのだ。

大人が大人の自覚の中で行っていることを、かくまでも咎めなければならないのか。

やるんだったら、
何故タバコの製造と販売を止めないのだ?

大淀町内全域を禁煙とし、この町に一歩踏み込んだら一切タバコを吸ってはいけないと、その方がよほど潔い。

実施に当たって特に反対意見もなかったという。
それはそうだ、正義に歯向かっていいことはない。だからといって、それが正しいこととも思わない。