キース・アウト (キースの逸脱) 2004年10月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
2004.10.05
不登校 「うつ病との関連」指摘する報告
医療で対処する視点も忘れずに
[読売新聞 10月4日]
不登校に関連して、「小児・思春期うつ病」にも留意すべきだという臨床データが学会で発表された。(編集局 井上 憲司)
「学校に行かない」「行きたくても、行けない」という不登校。古くは「学校恐怖症」「登校拒否」だったが、1990年代に入って「不登校」の表現になった。
呼称の変遷は、不登校についての認識の変化と連動しており、かつては「情緒などに問題がある特別な子供にのみ起こる」という解釈だったが、今日では「どんな性格を持ち、どんな環境に育った子供にも起こりうる」というのが一般的だ。不登校を見る社会の視線はやわらかくなった。
そうしたなか、看過できない臨床データが先の日本学校メンタルヘルス学会で出た。発表したのは秋田県山本町の「長信田(ながしだ)の森心療クリニック」の児玉隆治院長(56)。前東京学芸大教授で、「治療志向の精神医療ではなく、心を育てる精神医療」を標ぼうし、引きこもりや不登校の青少年のための生活塾「自在館」も開いている。
発表によれば、開院した2001年10月から2年間で小中学生131人が受診にきたが、そのうち84人が「不登校傾向」にあった。あえて「傾向」と付けるのは、文部科学省が定義する「年間30日以上の欠席」の場合だけでなく、保健室登校や昼から学校へ行くなどの事例も含めたからだ。
診断した結果、その84人のうち、28人に小児・思春期うつ病が認められた。「不登校傾向群」の3人に1人という割合である。
子供のうつ病の特徴は、活動性が低下すること。好きなテレビゲームも楽しめない、漫画を読んでも途中で飽きてしまう、何をするのもおっくうでゴロゴロと横になっている。怠けていると見られやすいが、実は「精神運動のエネルギーが低下したから」(児玉院長)という。また、疲労感に襲われる、目覚めが早すぎる、食欲がわかないなどの身体症状も出てくる。
これら「活動性の低下」や「身体症状」が午前中に強く表れ、夕方になると楽になるという「日内変動」も特徴の一つで、児玉院長は「それが学校のある日だけでなく、休日にも表れるようなら、ほぼうつ病と診断していい」と指摘する。
子供のうつ病は、学校保健の現場で十分に認識されているとは言い難い。この臨床データは、不登校と子供のうつ病との関連性に言及した貴重な一例である。ただ、医療機関が窓口になって得られたデータなので、不登校全体にあてはめるのは性急だろう。
しかし、この夏、もう一つ注目される調査結果が出た。筑波大学の新井邦二郎教授の研究室では、首都圏などの小学4―6年生3324人を対象にして、国際標準にそった「子供用抑うつ自己評価尺度」を用いてアンケート調査を行った。
その結果、男児の10・0%、女児の13・5%が、カウンセリングや医療を必要とするほどの抑うつ症状を抱えていた。大人のうつ病が急増している現代。同じ時代状況、現実世界を生きる子供にとっても決して無縁ではない。
これらのデータを重ね合わせると、不登校と向き合う時、心理教育的アプローチだけでなく、精神病理的な視点も忘れてはならないことが見えてくる。学校保健への警鐘であろう。
「不登校にもさまざまなケースがある」それが現場の普通の考え方だった。それが当たり前だった。
しかし90年代にいたって「不登校は病気ではない。学校の管理教育と行き過ぎた受験体制に対する、健全な精神の健全な反応である」という猛烈なキャンペーンによって、多様だったものがただ一色のものとなってしまった。
不登校に関する多様な研究も学校現場から消え、ただひたすら対症療法を探すだけとなってしまった。風邪は誰でもひく、それなのに風邪をひいた子の生育暦だとか生活環境とかを問題にするのはばかげているというわけである。
ところが、学級崩壊などを通して、学校に全く管理が行き届いていないことがはっきりし、学力問題で行き過ぎた受験体制もなかったと分かるにしたがって、社会は新たな犯人探しに狂奔するようになった。
うつ病説はその重要なひとつである。
不登校と向き合う時、心理教育的アプローチだけでなく、精神病理的な視点も忘れてはならない
そんなことは十分に分かっていた。分かっていても、対処が禁じられていたのである。
そんな私たちが
学校保健への警鐘であろう。
と言われるとき、感じるのは放火犯から「や〜い、家もないヤツ」とあざ笑われる惨めな自分の姿である。
2004.10.06
「男女混合名簿」続ける?やめる 都教委通知で波紋
[朝日新聞 10月5日]
男女別でなく五十音順に名前を並べる「男女混合名簿」について8月末に東京都教育委員会が出した通知をめぐり、波紋が広がっている。02年、先進的に混合名簿の実施を行動計画に盛り込んだ都が一転、行きすぎたジェンダーフリー(社会的性差からの解放)にもとづく混合名簿の作成はあってはならない、と条件付きでクギをさしたからだ。「推進なのか、禁止なのか」。教育現場では戸惑いの声があがり、11の女性団体は先月下旬、都に通知の撤回を要請した。
◆不明確な線引きに批判
夏休み中の8月、出勤した都内の公立小学校の教員は驚いた。校長が「都教委がジェンダーフリーの混合名簿を禁止する通知を検討」との新聞のコピーを配り、「男女別名簿に戻るかもしれない」と言ったからだ。
混合名簿は90年代以降、男女平等教育のシンボルとして徐々に広がった。95年の北京女性会議のNGO(非政府組織)の会合では、男子が先の日本の名簿について「世界でも例が少なく、女性は後回しという考えを無意識に浸透させる」と指摘された。全国に先駆けてできた02年の「男女平等参画のための東京都行動計画」では、混合名簿の導入推進が明記された。
教員が勤務する地区でも昨年、混合名簿100%を達成したばかり。「推進なのか禁止なのか、どっちなんだ」と戸惑う。
都教委が8月26日に都立の学校長あてに出した通知は、「男らしさ」「女らしさ」をすべて否定するような考え方を誤りとし、そうした見地に立ったジェンダーフリーの男女混合名簿を禁じる内容だった。
都教育庁は「行きすぎたジェンダーフリーにもとづくものではなく、男女共同参画のための混合名簿は今後も推進する」と言う。だが、それが「混合名簿の否定」と受け取られたのは、これまでの都教委内のやりとりがあったからだ。
定例会の議事録によると、5月には委員の一人が、混合名簿と男女の同室での着替えなどを同列にあげ「学校に混ざった姿をつくろうとするもの」と批判。8月にも別の委員が「混合名簿がなぜ男女共同参画と結びつくのかわからない」と、混合名簿そのものを批判する発言が相次いだ。
「ジェンダーフリーの混合名簿」と「そうでない混合名簿」の線引きもあいまいだ。
教育庁は「校長の判断」という。だが「ふぇみん婦人民主クラブ」など11の女性団体が結成した「ジェンダー平等社会をめざすネットワーク」の井上輝子・和光大教授(社会学)は「ジェンダーフリーとは性差を全否定して中性化することではなく、性別役割にとらわれず個性を伸ばすこと。同室での着替えは更衣室不足の問題。そうした誤解を正さず、他の混合名簿ならいいと言っても、やめておこうという校長が増えるだけだ」と批判する。
◆「自粛ムード」を心配も
都内でもすでに導入している学校や、他の自治体では、「都教委通知の影響で名簿を戻すことはない」との姿勢が大勢を占める。
都立戸山高校は、90年代に混合名簿が広がるずっと前から男女一緒の五十音順名簿だ。卒業生(54)は「女子が少なく、男女別名簿が作りにくかったのでは。なぜ、混合名簿がヤリ玉に挙がるのかわからない」と首をかしげる。学校側も「通知が混合名簿そのものを否定したわけではないことは明らか」とクールだ。
神奈川県は、ジェンダーフリーという言葉に「男らしさ、女らしさを否定し人間の中性化を目指すもの」という誤解がある点を踏まえ、現在改定中の教師向け指導書ではジェンダーフリーの言葉は使わない方針。だが、混合名簿への対応は変わらないという。千葉県は、ジェンダーフリーを「男女共同参画の意味で使う」と定義し直し、混合名簿についての方針変更はしていない。
西東京市は今年春策定した男女平等参画推進計画に、男女混合名簿の拡充を盛りこみ、市教委に推進への協力を求めた。だが、市教委は「出席簿は校長の権限で、行政は一律に扱うよう指導していない」という。
神奈川県の小学校の50代の男性教員は、混合名簿は面倒と思っていたが、導入後、考えを変えた。「女が後」の名簿に居心地の悪さを感じていた女の子が元気になり、個人として大切にされている、と感じるようになったとの感想が複数出てきたからだ。「定着した地域は、効用が見えているから簡単には変えない。でも、普及していない地域は意味が理解できないまま、都教委通知で自粛ムードだけが高まりかねない」
【ジェンダーフリーという用語に関しての都教委見解】
「ジェンダーフリー」という用語は、意味や主張する内容は使用する人により様々で誤解や混乱が生じている。一部には「男らしさ」「女らしさ」をすべて否定するという意味で用いられることがあり、都教委が目指す男女平等教育の考え方と異なる。こうしたことから、今後は「ジェンダーフリー」という用語は使用しない。
【都教委通知】
こうした「ジェンダーフリー」の考え方に基づいて名簿を作成することは、男女共同参画の実現に向けて混合名簿を推進してきた都教委の考え方とは相いれない。したがって、「男らしさ」や「女らしさ」をすべて否定するような誤った考え方としての「ジェンダーフリー」に基づく男女混合名簿を作成することがあってはならない。
この記事の意味が分かる人はどれくらいいるだろうか?
「ジェンダーフリーの混合名簿」と「そうでない混合名簿」の線引きもあいまいだ。
とのたまうが、そもそも私は二つの名簿がどのように違うのか、全く分からない。
混合名簿は、どうやってもただの男女別でなく五十音順に名前を並べる「男女混合名簿」ではないのか?
その混合名簿が始まったとき、私にはこれがなぜ「男女共同参画」に役立つのかさっぱり分からなかった。その点、東京都教育委員と同じだ。しかしさりとて行き過ぎたジェンダーフリーに繋がるとも思えない(その意味で、もしかしたらその委員は混合名簿の力を 信じているのかも知れない)。
都教委も都教委だ。
混合名簿と男女の同室での着替えなどを同列にあげは、大人のやる議論ではないだろう。
朝日も朝日だ。
混合名簿に賛成する神奈川県の小学校の50代の男性教員
もうちょっと一般的な教員を探してくることはできなかったのか?
「女が後」の名簿に居心地の悪さを感じていた女の子が元気になり、個人として大切にされている、と感じるようになったとの感想が複数出てきた
混合名簿について感想を取るのは一般的な教師ではない。もともと混合名簿に対するある種の思いがある人なのだろう。
一度でも1年生の担任をしてみれば、混合名簿がいかに大変なものかはすぐわかると聞いた(「教育用語症辞典」参照)。
もちろん1年生の担任をしない小学校教師はいくらでもいるが、1年生担任の情報が待ったく伝わっていないとしたら、この50代男性教師の校内でのあり方にも問題がありそうである。
いずれにしろこんなくだらないことで学校を振り回すのはいい加減にしてほしいのだ。
2004.10.06
今日の視角 運動会
[信濃毎日新聞 10月5日]
秋は運動会の季節だ。いろんなゲームが学年ごとにワリ振ってある。誰が考え出したのか知らないが、実によくできていた。
とりわけ小学校のころが意味深い。低学年は単純な玉入れやボールころがし。学年が上がるにつれて、棒倒しやピラミッドや騎馬戦などと複雑になった。
棒倒しでは“根っこ”にうずくまって棒をかかえこむのが重要だ。何人かがスクラムを組むようにして心棒をつくる。とびつかれ、ひっぱられ、けとばされても、かかえた棒は放さない。
ピラミッドでは、頑丈で胸板の厚いのが一段目をつくる。二段目はやや軽め、最上段は小柄で肝の太いのがいい。多少ゆれてもバランスを崩さない。
騎馬戦では三人で馬をつくる。正面役とワキ役が二人。三人がイキを合わさないと六本脚の馬にならない。騎手は気の強いタイプがいい。お尻を上げ、仁王立ちして騎乗し、敵方の帽子をはたき落とす。
クラスの誰もが、それぞれの特性に応じて役目を果たすようになっていた。体重や身長、性格によっても役まわりがきまってくる。その上で力と勇気を試される。
まわりを固めたはずなのに、あっけなく棒が倒れたのは、どこかに油断があったからだ。あるいは全員が気持ちを合わせていなかった。戦闘開始となったあと、安全第一で逃げてばかりいる馬は軽蔑された。歯をくいしばってピラミッドをやり終えたあとの爽快な満足感を、私はいまもまざまざと覚えている。
その運動会が、すっかりサマ変わりしたらしい。学校側はケガを恐れて棒倒しやピラミッドや騎馬戦をやりたがらない。親たちは、ひたすらわが子かわいさから勝手な注文をつけてくる。当日はカメラやビデオに夢中で、ところかまわず押し入ってくる。風の便りにそんなことを聞いた。
ちなみに申し添えておくと、世の親たちは幼いわが子を、きっと一度は「才能」に富んだ子供と考える。とりわけ高学歴の親たちが、この種の錯覚に陥りやすい。
信濃毎日新聞の「今日の視角」はエッセイなのだろうか?こんなところで、冗長な運動会の解説に出会うとは思わなかった。
さてそれは別として、私はこの記事からひとつの事実誤認とひとつの疑問を指摘しておきたい。
まず事実誤認であるが、それは学校側はケガを恐れて棒倒しやピラミッドや騎馬戦をやりたがらない。という部分に関してである。
学校が恐れているのはケガではない。ケガに付随する一切のトラブル、「安全への配慮は十分であったか」「十分な練習はつんでいたのか」「教師は緊張感をもって指導に当たっていたのか」といった非難、ごく少数とは言え確実に存在する裁判の可能性、殺到するマスメディア、そうしたものが怖いのである。
「なに〜? ピラミッドから落ちて骨、折ったと〜 ふざけんじゃねぇ」とわが子をしかるような親が大多数だった時期にはそんなことは考えなかった。
しかし今や、一朝事故を起こせば、普通の生活が送れないほど、学校はずたずたにされてしまう、それが怖いのだ。
「そんなことを恐れて立派な子どもが育てられるか?」
ご説ごもっとも。しかしそれはマスメディアからは言われたくない。
ところで、
ちなみに申し添えておくと、世の親たちは幼いわが子を、きっと一度は「才能」に富んだ子供と考える。とりわけ高学歴の親たちが、この種の錯覚に陥りやすい。
ほんとうか?
2004.10.06
固定観念で予兆見落とす 小6女児事件で県教委
[共同通信 10月5日]
長崎県佐世保市の小6女児事件で、長崎県教育委員会は5日、現場の市立大久保小の教職員が加害女児(11)を「まじめで努力家」という固定観念でとらえていたことが事件の予兆を見逃す一因になったとする調査結果を県議会に報告した。
報告は8月に続き2回目。女児の少年審判の決定で長崎家裁佐世保支部は交換日記をめぐるトラブルも指摘したが、教職員は「全く認識していなかった」という。
事件前、教職員は「手のかかる子供が問題のある子」と考え、熱心に授業に取り組んでいた加害女児を「まじめで努力家」とだけとらえていた。
しかし、少年審判の決定を踏まえ報告では「自分の感情をうまく表現できず、おとなしく良い子に見える子がいる」と分析している。
事件のあったクラスが相当に経営困難であったことは最近知られてきたことである。3月までの担任も、4月からの担任にもその能力に幾つかの疑問が出されている。
しかし、それにしてもだ。
少年審判の結果は、超一流の心理のプロがさまざまな検査方法を使って70日にも渡って調べ上げた挙句、ようやくつかんだものである(当初50日とされたのが、8月にいたって一ヶ月の延長が認められた)。
それを一介の教員が
「全く認識していなかった」
としても、どれほど責められることなのか?
「自分の感情をうまく表現できず、おとなしく良い子に見える子がいる」
そんなことは知っている。しかしそうした子に限って殺人を犯す可能性が高いとは誰も言えまい。
それに対して、「手のかかる子」は「手のかかる」こと自体が問題なのだ。
なぜなら担任は他の子を脇に置いて、時間とエネルギーの大半を、その子のために費やさなくてはならないからである。
学習の落ちこぼれは他人の迷惑にはならないが、道徳の落ちこぼれは他人を巻き込むのである。
しかしそれよりも重大な問題が、熱心に授業に取り組んでいた子にあるという。
子どもというものは誰一人信用してはならない。
それが今回の事件から学ぶべきことなのだろうか?
2004.10.11
不登校は人生の旅
[山陰中央新報 10月10日]
「遠回りのようでも、その分人生を深く見つめることができるのではないですか」−。松江市内で不登校の子どもたちの相談に応じている心理カウンセラーの大西俊江さんがこんなことを言っている。大西さんは島根大学教授を退官した後今の仕事を始めた。スクールカウンセラーも兼ねながら、島根県内の不登校の実態に考え込む
県内で不登校の子どもたちが全体に占める比率は小学校で全国一位、中学校七位(いずれも対象は公立学校)−。文部科学省が明らかにした二〇〇三年度の生徒指導上の調査結果である。なぜ島根県で不登校の子どもたちの比率が高いのか
「病気による長期欠席との区別など各県で微妙に判断が違うこともある」と島根県教委は統計の読み方に幅を求める。統計上の数字は割り引いてみるにしても、県内の教育現場に不登校を生むような息苦しさがないのだろうか
県教委の調査によると、不登校となったきっかけは友達をめぐる問題が多い。この中にはいじめもかなり含まれている。転校をきっかけに子どもが学校に行かなくなったというある父親は「異質な者を排除しようという空気が教室にあるのではないか」という
異質というのは人格に置き換えれば個性であり、それぞれの個性を認め合いながら人間として成長していく。建前では個性尊重を掲げながら、そうした多様性を認め合う教育が上滑りしているのではないか。不登校はある意味でそれに対する異議申し立てとも言える
学校から離れることで見えてくるものもある。それは長い人生で貴重な体験でもある。不登校の子どもたちの立場に立った大西さんの感想である。 (前)
島根県が不登校全国一位ということは知らなかった。
かつてなら
「それじゃあ、島根県が全国一受験競争が厳しく管理主義が行き届いている県なのか」
と揶揄するところだが、もはや不登校を受験主義・管理主義との関連で語る人はほとんどいない。
学校は大量の管理主義的なものを放棄し、そのため子どもは自由に学校の内外を徘徊するようになったのに不登校は一向に減らなかった。そして言うまでもなく、島根県は厳しい中学校受験からは最も遠い県である。
そうなると不登校に関する全ての言葉は疑ってみなくてはならない。
県内の教育現場に不登校を生むような息苦しさがないのだろうか
そもそも息苦しいから不登校になる、ということだって証明はされていないのだ。
メディアは常に仮説に仮説を積み重ねて学校批判を展開してきた。
異質な者を排除しようという空気が教室にあるのではないか
これは仮説である、本当にそんな空気があったかどうかは証明されていない。
異質というのは人格に置き換えれば個性であり
それも仮説である。
たとえば、一般的な常識に従わない、校則ばかりか社会的マナーにも法律にも従わない、そういった異質さは個性として認め合うことはできない。
とにかく人と変わっていればいいといった異形の風体も、私は個性として認めない。
建前では個性尊重を掲げながら、そうした多様性を認め合う教育が上滑りしているのではないか
これも仮説だ。
そもそも多様性の何でも全てを認めてしまうような意味での個性尊重を、学校が掲げるはずもない(そんなことをしたら学校は瞬く間に崩壊してしまう)。
学校から離れることで見えてくるものもある。それは長い人生で貴重な体験でもある。
それはそうかもしれない。しかし40年以上学校を離れ、人生を見つめることも、多様性としてこの人たちは認めていくのか。
答えてほしいものだ。
2004.10.18
天動説信じる小学生
[山陰中央新報 10月18日]
もう五十年近く前のことだ。小学校低学年の時、皆既日食があった。その日は快晴。だが日中なのに周囲が暗くなっていく。ろうそくのすすを付けたガラスを使って、次第に欠けていく太陽を観察した。
日原天文台(島根県日原町)のホームページに掲載された十四日の部分日食の写真を見て、子どもながらに不思議な天体ショーに酔いしれた記憶がよみがえった。当時は親もサングラスなど持っておらず、拾ってきたガラス片を加工したが、すすをむらなく、適度に付着させるのに苦労した。
小学生の天文現象に対する知識や理解度調査で、太陽が地球の周りを回っているという天動説が正しいと回答した生徒が四割もいたという。国立天文台の縣秀彦助教授らが北海道と長野、東京、福井、大阪、広島の九小学校で四−六年生七百二十人を対象に調査した。
天動説以外でも月が満ち欠けする理由を答えられたのは半数以下、太陽が沈む方角を知らない生徒も三割近くいた。学校で教えなくなったことや自然とのふれあいが減ったことが原因とみられる。今回調査では自然体験が豊富な児童ほど正解率が高かった。
子どもたちばかりではない。日原天文台長の斎藤和幸さんによると、土星と銀河はどちらが地球から遠いのか、と質問する大人もいる。教員にしたって、学校にあるはずの天体望遠鏡を組み立てたことがない先生がほとんどでは、という。
宇宙の中の地球を考えるいい機会が間もなく訪れる。二十一日午前四時ごろをピークに、南東の空でオリオン座流星群が観察できる。一時間に二十個程度の流星が出現しそうだ。早起きして親子で観察してはどうだろう。(晶)
天動説話は先月終わったはずなのに・・・よほど記事がなかったのだろう。
さらに50年前の日食まで持ち出すとは・・・・・・。
さて、
土星と銀河はどちらが地球から遠いのか、と質問する大人もいる。教員にしたって、学校にあるはずの天体望遠鏡を組み立てたことがない先生がほとんどでは、という。
もっと驚かせてあげよう。
私は、望遠鏡が組み立てるものだということも知らなかった。
しかし、教員とはそういうことも知っているべきなのかもしれない。
教員にとって 天体望遠鏡を組み立てたことがあるかどうかは、
普通の大人が、土星と銀河はどちらが地球から遠いのか
知っていることと同様に、常識的なことらしいからだ。
しかしそれにしても、私は何と情けない教員なのだろう。
家庭科を教えるべき学校職員だというのに、私は料理がほとんどできない。
クロールも平泳ぎも背泳ぎもできるが、バタフライはできない。これも教師としてあるまじき姿に違いない。
鉄棒も逆上がりがせいぜい、100m走でも長距離走でも、ほとんど全ての生徒に勝てない。
ピアノが弾けない、トランペットも吹けない、そして8年以上も学んだはずなのに英会話ができない。
もちろん私は、天体望遠鏡を組み立てたことなど一回もないのだ。
19日午前11時半ごろ、東大阪市中石切町4、無職、伊東健一容疑者(36)が近くの交番に「両親を殺した」と自首した。自宅居間で、無職の父満幸さん(66)と母良子さん(61)がネクタイで首を絞められて死亡しており、大阪府警枚岡署は伊東容疑者を殺人容疑で逮捕した。伊東容疑者は約20年間、自宅に引きこもりがちの生活を送っており、「自分に生活力がなく、家族の将来に不安を感じたので殺した」と供述しているという。
2004.10.20
<両親殺害>自首の36歳長男を逮捕 東大阪市
[毎日新聞 10月20日]
調べでは、伊東容疑者は18日夕、両親の首をネクタイで絞めて殺した疑い。伊東容疑者は満幸さんから就職するよう言われて不安を抱いていたという情報もあり、自分と両親の将来を悲観した可能性もあるとみている。
伊東容疑者は長男で、両親と3人暮らし。良子さんは7〜8年前から寝たきりで、収入は元トラック運転手の満幸さんの年金だけだった。伊東容疑者は東大阪市内の府立高校を中退後、定職に就いたことがなく、昼間はほとんど家の中で生活、夜に出歩くことがあったという。伊東容疑者は「顔に水ぼうそうができて、外に出るのが嫌になった」と引きこもりのきっかけを述べているという。
近所の人によると、満幸さんが知人らに「電気代を払えない」と500〜4万円の借金を申し込むなど生活はかなり苦しかったという。満幸さんは最近、伊東容疑者の就職先を探すために求人誌などを見ていたが、伊東容疑者は働くことに不安を抱いていたという。
犯人を非難するのはたやすい。
しかしこの男の20年、殺人にいたる数日を想うと同情を禁じえない。
誰にとっても豊かな16歳からの20年間を、この男は無為に過ごしてしまったのだ。そして取り戻しようもない。
20年前といえばまだ私たちは戦っていた。
しかしそれ以後、子どもを学校に帰すための戦いは閉じられてしまった。その子のエネルギーの回復をじっくりと待つ時代が来たからである。不登校も引きこもりも、その日から捨てられた。
ただし彼の場合はもっと早くから捨てられていた。
彼は学校や児童相談所が相手にするには、年を取りすぎていたからだ。
20歳、まだ間に合ったかもしれない。
25歳、同い年の人間と互角に戦うには、すでに間に合わなくなっている。
30歳、就職するにしても履歴書の空白をどうごまかしたらいいのかわからない。
35歳、両親も年を取り、あと何年かしたら一人取り残されることも考えなければならない。
いまさら就ける職もない。いずれホームレスになるしかないが、それも外で生きることだ。そんなことができる自信もない。
寝たきりの妻、まったく働かない息子。わずかな年金を三人で食いつぶす生活・・・ 父親の悲劇もまた、胸を突く。
4万円ならまだしも、500円の借金に向かう老父の気持ちはいかばかりだったろう。
誰かが救いに行かなければならなかった。
しかし
みんなが優しく、彼のエネルギーの溜まるのを待っていた。
2004.10.24
新生面 「震度6」続発 新幹線安全神話に崩れ
[熊本日日新聞 10月24日]
わが国が先端技術と運行の正確さを世界に誇る新幹線システム。東海道新幹線が開業してちょうど四十年を迎えたが、この間、脱線など大きな事故は一度もなかった
▼ただ、心配されるのは大地震。JR技術陣が一秒でも早く地震を検知、列車を止めるシステムの開発に努力してきた。時速二百キロを超すだけに、どれだけ素速く減速できるかがポイント。阪神大震災の際は発生が始発前だったため被害はなかった
▼甲信越地方がぐらりと揺れ、特に新潟県では三回も震度6強に見舞われた。はわないと動くことができないほどの烈震だ。「新幹線が脱線」との一報に惨事の光景が頭をよぎった。脱線したのは上越新幹線の「とき325号」で、車両が傾いた。転覆せず死傷者が出なかったのは奇跡的である
▼東海道新幹線などに採用されている早期検知警報システム「ユレダス」は、揺れ初めの微震動をキャッチして三秒以内に地震規模をはじき出し、危険地域を特定、列車を減速・停止させる仕組みだ。上越新幹線の検知システムもこれと同レベルの能力があるとか
▼しかし、震源が遠いプレート型地震を想定したもので、今回のような直下型地震では役に立たないとも言われていた。やはり指摘通りだったようだ。大惨事は免れたものの、新幹線の安全神話は崩れ始めている
▼各地で家屋倒壊、土砂崩れ、道路陥没などが起き、犠牲者や負傷者が続出した。列島は台風23号に襲われたばかりで地盤が緩んでいるところも多い。これ以上、被害が広がらなければいいが…。なぜこんなに災害が続くのか、ついつい不安に思ってしまう。
きわめて厳しく教育に限定してきたはずのこのページに、初めてそれ以外のネタを載せる。
私は非常に怒っているのだ。
転覆せず死傷者が出なかったのは奇跡的である
たしかにそうだ。
しかしそれが「奇跡」であったか「奇跡的」な日本の技術力のおかげであったかは、議論の余地があるだろう。
私が言いたいのはこういうことだ。
なぜ誉めてやれないのか。
時速200kmで走行中の列車が震度6強の直下型地震に見舞われてもなお、一人のけが人も出さなかったのだ。そこに奇跡に近い要素があったにしても40年間一度も脱線事故を起こさなかったという高い技術力があってこそ初めてできたことではないか?
なぜ日本の技術はすばらしい、これこそ日本の技術力だと高らかに宣言しないのか。
何故自国の技術を誇れないのか!
これほどうまくやっても非難されるのでは、技術者がかわいそうではないか。
これほどの新幹線をつくりながらなお不満を言われる鉄道事業。
誰が好んで技術者になどなるものか。
これで深刻な理科離れなどとは絶対に言わせない!
これで大惨事は免れたものの、新幹線の安全神話は崩れ始めている
というなら、メディアはどんな新幹線を提案するのか?
震度7でも走りつづける列車か? 至近距離でヒロシマ型原爆を起爆されてもびくともしない新幹線か?
そこまでの安全を確保しなければ誉めてもらえないのか?
2004.10.25
発達障害の子との接し方模索 ADHD対策キャンプも
[朝日新聞 10月25日]
教育の現場で、「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」という言葉を聞く機会が増えてきた。文部科学省の調査によると、ADHDや学習障害(LD)、高機能自閉症など発達障害の可能性がある子どもは全体の6.3%にのぼる。各クラスに1人か2人はいる計算だ。発達障害の子どもとどう接したらいいのか、模索が続いている。
●楽しさ・癒やしに注目
岡山県倉敷市立短大の平山諭教授(48)はADHDなど発達障害の子どもたちを対象に、2泊3日のキャンプを開いている。年に約2回の割合で、今夏21回目になった。口コミで30家族が集まり、学生ら70人のスタッフが指導にあたる。
そのキャンプ1日目の「踊り」の時間。半分以上の子が音楽に合わせて踊る中で、ADHDとみられる男の子は指導役の男子学生にまとわりついた。男子学生は、その男の子に踊りを強制しない。跳びげりをしてきたときも、笑顔で抱いた。
3日目になると、男の子が音楽に合わせて踊り、上げ下げする手もピンと伸ばしていた。
平山教授は「指導法が固まったのは4年ほど前のことです」と言う。
キャンプは12年前、不登校の子どもを対象に始めた。95年、米国の調査でADHDの診断法が報告された。薬はある程度効果があったが、食欲不振などの副作用があった。薬に頼らない治療法の研究が始まった。
キャンプでADHDの子どもに「楽しさ」「癒やし」の感情で接すると、症状が緩和するのに気づいた。脳神経の伝達物質がスムーズに流れないのが原因だと仮説を立てた。楽しさ、癒やしの感情が脳内物質の分泌を促すため、学問上も説明は成り立つと考えた。
平山教授は「関心を向けられなかったり、自尊心を傷つけられるようにしかられたりすると、症状が悪化する。だから、キャンプでは逆をやっている」。保護者と指導役の学生が「やさしく見つめる」「ほほ笑む」「話しかける」「ほめる」「触る」の5つを徹底して子どもと接している。
ADHDなどの発達障害は原因や対処法が研究者の間でも確立していない。しかし、最近、少年事件の審判理由で、発達障害が原因だと読まれかねない裁判所の判断が続いている。
和歌山県教委は「手をこまぬいてはいられない」と平山教授を教員向け講師として招いている。今年の講演会は30〜40回になる予定だ。
平山教授は「障害と事件に因果関係はない。子どもを追いつめた環境が事件の原因だろう。いたずらに恐怖心をあおり、ADHDの子を隔離するような社会をつくってはいけない」と話した。
●「特別支援」、文科省が07年度までに具体化
文部科学省はADHDや学習障害(LD)、高機能自閉症の児童生徒らを対象にした「特別支援教育」の仕組みを07年度までに具体化しようとしている。
今年1月にまとめた指針で、(1)専門的な知識を持つ巡回相談員(2)心理学の専門家や医師らでつくる専門家チーム(3)先生たちが連絡を取り合うための校内委員会、の設置を決めた。モデル事業を昨年度から始めている。
特別支援教育課の柘植雅義調査官は、ADHDの子どもを支援する先生の意識を日米比較したことがある。日本の先生が悩みや問題を抱え込むのに対し、米国は専門家や同僚の先生たちと一緒に問題を解決しようとしていた。モデル事業について「1人で難題を抱えていた先生を巡回相談員らの3層構造で支えることで、一人ひとりのニーズに応じた教育ができると考えた」と話す。
埼玉県は、ADHDやLDの子どもが養護学級や養護学校で学べるようにする試みを一部の地域で年度内に始める。
ADHDなどがもとで情緒障害を発症している子どもが通常学級以外で学ぶ例はあるが、文科省の省令では、ADHDやLDの子どもたちは通常学級で学ぶ。現在、中央教育審議会では、発達障害の子どもたちを支援する特別支援教室のあり方も検討されている。
埼玉県教育局は医師や臨床心理士らの専門家チームが症状の程度を判定し、特別な手だてが必要だと思われる子どもを週1〜3時間程度、養護学校などで学ばせる案を検討している。特別支援教育課は「通常学級から発達障害の子どもを排除する考えではない。むしろ、ADHD児の保護者は『適切な支援がない』と学校に不満を持っている人が多いので、国の施策は決まっていないが先行して試行することにした」と話している。
◇ 〈文部科学省が定義している発達障害〉
【注意欠陥・多動性障害(ADHD)】 注意力不足(集中力がないなど)、衝動性(順番を待てないなど)、多動性(じっとしていられないなど)を特徴とする行動の障害。7歳以前に現れ、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定されている。文科省が担任教員を通じて実施した調査では、2.5%の子どもがADHDの可能性があるという。
【学習障害(LD)】 知的発達に遅れはないが、聞く・読む・話す・書く・計算する・推論する、のうち、特定の能力の習得や使用が著しく困難な状態。中枢神経系に何らかの機能障害があるとみられている。文科省の調査では可能性がある子の割合は4.5%。
【高機能自閉症】 「他人と社会的関係をつくるのが難しい」「言葉の発達が遅れる」「興味や関心の領域が狭く特定のものにこだわる」のが特徴で、知的発達の遅れはない。文科省の調査では可能性のある子は0.8%。このうち、言葉の発達の遅れを伴わない場合はアスペルガー症候群と呼ぶことがある。
担任を 校内委員会が支え、それを心理学の専門家や医師らでつくる専門家チームが支え、さらに専門的な知識を持つ巡回相談員が支える。それが
1人で難題を抱えていた先生を巡回相談員らの3層構造で支えることで、一人ひとりのニーズに応じた教育ができると考えた
の意味である。
そこまで手厚いケアをすれば、記事の最初にあるような、岡山県倉敷市立短大の平山諭教授のキャンプのような学校ができるはずだ。
記事を読む限りそういうことになろう。
それだけのことをしながらADHD等の子たちを救えないとしたら、それこそ教師の指導力の問題である。
だが、しかし待て。
その校内委員会、誰がメンバーだと思う?
一般的な構成で言えばそれは「担任」「生徒指導主事」「養護教諭」「特別支援学級担任」「教頭もしくは校長」「特別支援コーディネーター(という名前の教員)」ということになる。いずれも校内で別に仕事を持っており、今でも「忙しい」「忙しい」とアップアップしている連中である。それが新たに支援チームという組織をつくり、残ってもいない時間の間隙を縫ってチーム会議をすることになる。
さらに困ったことに、このチームは障害を持つ生徒一人につき1チーム作ることになっているから、記事の通りの割合で考えると各学年4クラス、全校12クラスの学校では12〜24チームほどになってしまう。それがいちいち支援チーム会議を開くのだ。しかも基本的には心理専門家はほとんどいないから、集まったところで何か名案が出てくるわけではない。
では心理学の専門家や医師らでつくる専門家チームはどうか、巡回相談員はどうか?
もちろん彼らが毎週1回程度学校に来て私たちの指導にあたってくれれば問題はない。しかし予算的に考えて、そんなことはできないだろう。カウンセリングの相場は1時間5000円から1万円ほど。そのチームに毎週来てもらうとなるととんでもない金額になってしまうのだ。
現在、私の県には不登校担当の巡回員という制度がある。私の学校の担当者はきわめて優秀な人であるから、教育庁は彼を雇うために年間一千万円近い金を払っているはずである。そんな人を何十人も用意することはできない。そのために彼の担当は一人で数十校にもなり、私の学校を訪れるのは、年2回だけである。それがこれまでの巡回員制度である。
特別支援の専門家チームもそうならなければいいのだが。
平山諭教授のキャンプは非常にうまく行った試みかもしれない。
しかし思い出してほしい、口コミで集まった30家族に70人のスタッフである。
別な言いかたをすれば30人の子どもに100人の大人が取り付いて完成させたキャンプなのだ。そこでうまくいた方法を、40人近い子どもと過ごす一人ぼっちの担任がどう生かせばいいのか?
私はもっと現実的な話がしたい。