キース・アウト
(キースの逸脱)

2004年12月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 

2004.12.07

日本の学力「世界トップ水準と言えず」…OECD調査


読売新聞 12月7日]


 

 経済協力開発機構(OECD)は7日、加盟国を中心とする41か国・地域の15歳男女計約27万6000人を対象に実施した2003年国際学習到達度調査(略称PISA)の結果を世界同時発表した。

 2000年に続く2度目の調査で、日本は前回8位の「読解力」が加盟国平均に相当する14位に落ち込み、1位だった「数学的応用力」も6位に順位を下げた。文部科学省は「我が国の学力は世界トップレベルとは言えない」と初の認識を示し、来夏までに読解力を向上させる緊急プログラムを策定する。

 調査は、覚えた知識や技能を実生活でどれだけ活用できるか、を評価するのが目的。「読解力」「数学的応用力」「科学的応用力」に加え、今回は直面した問題に対処する力を測る「問題解決能力」を初めて調べた。日本では昨年7月、全国143校の高校1年生計約4700人を対象に行われた。

 その結果、文章を読みとる力を測る読解力は、加盟国平均を500点と換算すると、日本は498点。前回の522点から24点も下がり、各国中で最大の下落幅となった。1位のフィンランドとは45点もの大差がつき、特に成績最下位層の割合の高さが顕著だった。

 数学的応用力も557点から534点に下がった。これは1位の香港(550点)などと統計的には差がないとして、データを集計した国立教育政策研究所は「1位グループであることは変わりない」と説明しているが、断然トップを走っていた日本が、1位集団に吸収された格好だ。

 このほか、前回2位だった科学的応用力は、フィンランドに次いで今回も2位を維持。600点を超す上位層の生徒は各国中、最も多いという結果だった。

 また、初調査の問題解決能力は、1位の韓国とわずか3点差の4位だった。

 調査と同時に行われた生徒へのアンケートでは、通常の授業以外に、自分の勉強や宿題をする時間が週平均6・5時間で、加盟国平均の8・9時間よりかなり短いことなども判明した。

 文科省はこれまで、日本の学力を「世界トップ水準」としてきたが、今回の結果を受けて、「我が国の学力は国際的に見て上位にあるが、読解力の低下など、世界トップレベルとは言えない状況」と、初めて“陥落”を認める分析結果を公表。すでに表明している全国学力テストの実施や学習指導要領の見直しなどに加え、新たに読解力向上のためのプログラムを来夏までに策定することを明らかにした。


この問題については、
要するに勉強しなくなった 中山文科相 ― 共同通信
<OECD>「学力の低下を認識すべきだ」中山文科相 - 毎日新聞
<OECD>学習到達度 文章などの読解力で日本は14位 - 毎日新聞
高1学力、世界トップから脱落 数学6位 読解力14位 OECD調査 - 産経新聞
OECD学力調査 日本の数学 首位転落 読解力14位「トップ級といえぬ」 - 西日本新聞
日本の子ども 読解力大幅低下
--  NHK
<OECD>「学力の低下を認識すべきだ」中山文科相 - 毎日新聞

と、まるで日本の児童生徒の学力が絶望的なまでに落ちたような書きっぷりで、各紙各局賑やかである。
その中で読売はかなり冷静にも見えるが、さてどうだろうか?

もちろん
前回の522点から24点も下がり、各国中で最大の下落幅となった。1位のフィンランドとは45点もの大差がつき、特に成績最下位層の割合の高さが顕著だった。
は事実である。


しかし、
フィンランドに差をつけられてもだからどうなのかと、私は少し首を傾げたくなる。

読解力のベストテンは
@フィンランド 
A韓国 
Bカナダ 
Cオーストラリア 
Dリヒテンシュタイン 
Eニュージーランド  
Fアイルランド 
Gスウェーデン 
Hオランダ 
I香港である。


確かに韓国は脅威だが、フィンランドやリヒテンシュタインに遅れを取ったからといって、何も大騒ぎする必要はないじゃないか。

ちなみに、世界の最強国であり教育制度では常に日本が手本としている
アメリカは18位、フランスが17位、ドイツ21位、ロシアに至っては40カ国中32位である。
もしかしたら読解力は国力にまったく影響を与えないのかも知れない。



数学的応用力についてもしかりである。
1位の香港(550点)などと統計的には差がない
のなら問題ないと思うが、マスコミは何が何でも一位でなくては気が済まないようで、
断然トップを走っていた日本が、1位集団に吸収された格好だ。
とのたまう。

2年前の成績は一位日本(557点)二位韓国(547点)、三位ニュージーランド(537点)である。
どこが断然トップなのか私には分からないが、とにかく文科省を叩きたい人間にはそう見えるのだろう。


通常の授業以外に、自分の勉強や宿題をする時間が週平均6・5時間で、加盟国平均の8・9時間よりかなり短いことなども判明した。
これも考え方次第である。欧米諸外国はそもそも授業時間そのものが少ないのだ。日本の中学生も午後2時ごろに下校させれば、もう少し学習時間が増やされるだろう。とにかく日本の中学生は忙しすぎる。


私がこれらの記事で非常に面白くないのは、
初調査の問題解決能力は、1位の韓国とわずか3点差の4位だった
という部分がさっぱり評価されていない点である。


ついこの間まで、
日本人は知識は世界トップクラスであるが、問題を解決する能力に乏しいと、そればかり言われてきたではないか。それが総合的な学習施行わずか2年で世界のトップまで押し上げられたのである。

日本の教育制度と教員の優秀さがうかがえる出来事であるといえよう。しかしそれも「何でも批判しなければ気の済まない人たち」には気に食わないらしいが。


(正直言うと、私は問題解決能力世界トップクラスというのはあまり信じていない。読解力急落、と言うのも信用ならないと思っている。問題解決能力などそう簡単につくものではないし、読解力だって簡単にはつかない。そして両方ともそう簡単に下がることもないと思っている。OECDのこの調査には、どこかに誤りがあるように思えてならない)

なお、調査の詳細については以下からいける。
PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2000年調査
PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2003年調査








2004.12.09

<小6同級生殺害>県教委最終報告「予測超えた事件」と見解


毎日新聞 12月9日]

 長崎県佐世保市立大久保小学校の小6同級生殺害事件で、県教委は9日、事件の最終(第3次)報告書を公表した。「通常予測できる範囲を超えた前例のない事件」とし「同小に、事件の要因に直接かかわる過失や、職務違反に該当すると思われる事実があったとは認め難い」との見解を示した。

 「予兆」については、関係教職員の聴取から「後になって振り返ると、予兆ではなかったかと思われる行動や様子が浮かび上がった」とした。しかし「発生後に改めて思い起こした内容であり、事件の予兆ととらえることは困難だった」と結論づけた。また「予見」の可能性についても「(長崎家裁の決定要旨で)交換日記やホームページをめぐるトラブルによって加害児童が被害児童に対する怒りを募らせていったことが事件の要因とされているが、学校生活の中で、このことを察知できる言動や態度は確認されていない」とした。

 「注意義務」についても、事件発生が児童の出入りが多い給食準備時間だったことから「怠ったと判断することは出来ない」とし、「今回の事件を防止することは難しかった」と総括した。

 一方で「学校運営、生徒指導体制、学級経営のあり方などに不十分な面が認められる」とも指摘。「特に、校長が生徒指導上の問題について、適切な対応や担任への指導を行っていたのかという点や、(当時の)担任の学級経営のあり方、児童への向き合いが十分であったかという点などは疑問が残る」とし、学校、市教委、県教委の結果責任を認めた。

 また再発防止策としては▽教職員間や家庭との情報の共有▽専門家と連携して問題行動の予兆を把握できるシステム作り▽子供たちを有害情報から守るインターネットなどの利用教育――などを挙げた。
 県教委はこの報告書を基に、最終的な関係者の処分を検討する。


妥当な判断であろう。
「学校運営、生徒指導体制、学級経営のあり方などに不十分な面が認められる」
「特に、校長が生徒指導上の問題について、適切な対応や担任への指導を行っていたのかという点や、(当時の)担任の学級経営のあり方、児童への向き合いが十分であったかという点などは疑問が残る」
と言う点も含めて妥当であろう。

もしそうでないとしたら、私たちが生み出すのは、教師が子どもたちの全生活を支配する警察国家だからだ。

子どものことがすべて分かるような社会は、恐ろしい社会である







2004.12.09

旧上野市地域6中学で給食実施へ 伊賀市教育委が06年度中にも


中日新聞 12月9日]


 【三重県】伊賀市教育委員会は、市内で給食を実施していない旧上野市地域の6中学校で、実施に向けた検討を始める。8日の市議会定例会に上程された本年度一般会計当初予算案に、検討委員会の設置費31万円が計上された。早ければ2006年度中に給食を始めたいという。

 旧上野市の6中学校を除いた伊賀市内の小中学校では、校内で調理する自校方式か、数校分を給食センターで作るセンター方式で給食を実施している。

 実施していない中学校の保護者が要望があることや、住民へのサービス統一の観点から、未実施校をなくすことにした。

 本年度は、該当する中学校の校長や教員代表、保護者代表、市教委などで検討委員会を設置。

 年度内に、自校方式、センター方式、専門業者に委託して配送を受ける「ランチボックス方式」のいずれの方式にするか▽給食、または家庭弁当かを生徒が選択できるようにするか−などを検討し、基本計画を策定する。来年度には、具体化のための実施計画を策定し、06年度中の実施に間に合わせたいという。

 大した記事ではない。
 しかし
給食というものは何百人もの生徒が、好き嫌いを言う自由もなく一律に同じ物を食べさせられる恐ろしい仕組みなのだ。

 子どもの自由や個性が大好きで、最高の価値だと信じるマスメディア、教育評論家、人権派弁護士諸氏よ、なぜ「反強制」「反画一化」の烽火をあげて伊賀に駆けつけないのか?







2004.12.15

振り込め詐欺1480万、ホテルで豪遊…少年5人逮捕


読売新聞 12月15日]


 振り込め詐欺(おれおれ詐欺)を繰り返して総額約1480万円をだまし取ったとして、警視庁少年事件課は15日、東京の都立高校生2人を含む少年5人を詐欺の疑いで逮捕したと発表した。

 
少年らは、だまし取った金で中古の高級外車を購入していたほか、都内の高級ホテルに宿泊したり、数万円のフランス料理を食べたりしていたという。

 逮捕されたのは、千代田区の都立高校2年生の少年(18)、江東区の無職少年(19)ら。

 調べによると、少年らは今年6月中旬、香川県内の無職女性(83)方に、息子になりすまして電話をかけ、「借金ができたが都合がつかない。お金を宅配便で送って」などとだまして、港区内の私書箱に現金50万円を宅配させるなど、
4月から6月にかけて高齢者ら計16人から、総額1484万円をだまし取った疑い。

 少年らは、電話帳で高齢の女性らしい名前を探し出しては電話をかける手口で、これまで計約2500万円をだまし取ったと供述しており、同課で裏付けを進めている。

 少年らはだまし取った金で、都内の高級ホテルに何度も宿泊。1人分が6万円もする高級フランス料理や、4万円の焼き肉料理を全員で注文するなどして豪遊していた。

 主犯格の少年(19)は「田舎のお年寄りが金をため込んで使わないからバブルがはじけた。だまし取って使えば景気は良くなる」などと供述しているという。

 少年の1人が、自分の取り分に不満を持ち、警視庁戸塚署に自首したことから犯行が発覚した。



 なんともはや現代的な事件である。

 少年の1人が、自分の取り分に不満を持ち、警視庁戸塚署に自首した

 この子は自分も逮捕され、賠償金を支払いつづけなければならない、ということを考えなかったのだろうか?(多分考えなかったのだろう)

1千500万という金額を使い切ってしまうことにためらいはなかったのだろうか』?(たぶんなかったろう)
そういう子たちである。

主犯格の少年(19)は「田舎のお年寄りが金をため込んで使わないからバブルがはじけた。だまし取って使えば景気は良くなる」などと供述しているという
彼はただツッパっているのではない。たぶん半ば以上、その論理を信じているのだ。

この子たち、たぶん、ろくな人生を送らないだろう。







2004.12.15

<金庫泥棒>高校生ら5人逮捕 1億1000万円使い果たす


毎日新聞 12月15日]


 広島市内のマンションの一室から、現金約1億1000万円入りの金庫を盗んだとして、広島県警広島東署は15日、同市中区の無職の少年(17)と同市中区と南区の16〜17歳の男子高校生4人を窃盗容疑で逮捕した。
 調べでは、5人は今年5月13日午後5時〜翌14日午後6時ごろ、同市中区のマンション2階の会社経営者(47)宅に侵入し、居間にあった現金約1億1000万円入りの家庭用金庫を盗んだ疑い。この経営者の息子は、5人と知り合いで、5人は遊びに行った時、自宅の鍵を持ち出し、留守を狙って侵入したらしい。
 盗んだ金は、東京や大阪での遊興やパチンコ、貴金属やブランド品の購入、バイクの免許取得などで使ってしまったという。少年らは「こんなにあるとは思わなかった」と供述しているという。【田中博子】


コメントなし。
上に同じ。

「こんなにあるとは思わなかった」
私たちは「こんなに使えるとは思わなかった」・・・







2004.12.15

<IEA学力調査>得意の理科も学力低下 文科省も認め


毎日新聞 12月15日]


 国際教育到達度評価学会(IEA)が03年、各国の中学2年生(46カ国・地域参加)と小学4年生(25カ国・地域)の学力を調べた国際数学・理科教育調査(TIMSS)で、世界トップレベルとされてきた日本の小4理科と中2数学の平均点が前回(小4は95年、中2は99年)から下がったことが分かった。小4理科は553点(2位)から543点(3位)へ、中2数学は579点(5位)から570点(同)へと統計的な誤差の範囲を超えて下がった。高校1年生の読解力が下がった経済協力開発機構(OECD)の03年学習到達度調査(PISA)に続き、学力低下が浮き彫りになった。
 中山成彬文部科学相は「二つの調査結果を見ると、我が国の子どもの成績には低下傾向が見られる。世界トップレベルとは言えない」と語った。文科省は国立教育政策研究所と共に両結果を分析して、授業改善策などの指導資料作りを急ぐ方針。
 各国で無作為抽出された小4計11万6951人、中2計22万4503人が参加した。得点は参加者平均が500点となるよう統計的に処理された。


 中2の数学で、日本は前回99年も前々回95年(3位)から平均点が2点落ちたが、この時は誤差の範囲内とされていた。今回、625点以上の生徒数は前回の29%から24%に減り、400〜550点の生徒が34%から38%に増えた。99年も今回も出た同一問題(79問)の正答率は上位10カ国中唯一、「代数」など全5分野で落ちた。79問の平均正答率は70%から66%へと下がった。
 高得点層の減少傾向は小4の理科にも見られ、550点以上の児童が前回の54%から49%に減り、550点以下の子が46%から51%に増えた。
 小4の算数は前回から2点減の565点で、同じ3位。中2の理科は2点増の552点で、4位から6位に下がった。文科省はこの点の増減は誤差の範囲内と見ている。どちらの教科・学年でも1位はシンガポール。03年PISAのうち2分野で1位だったフィンランドは参加していない。
 同時実施の意識調査で「勉強が楽しい」と答えた子の割合はどちらの教科・学年でも国際平均を大きく下回り、最下位レベルだった。一日の過ごし方で「宿題をする」は中2で1時間と最低、小4は0.9時間で下から4番目。「テレビやビデオを見る」は中2で2.7時間と最多だった。【千代崎聖史】
 【ことば】国際数学・理科教育調査 IEA(本部・オランダ)が1964年に始めた。00年に始まったPISAが知識や技能を実生活に活用する能力(読解力、数学的活用力など4分野)を測るのに対し、教育の到達度(基礎的な学力や知識)が測られる。各回の調査結果同士を比較できる方式になったのは95年から。


IEAの調査については前回細かな検討を行った。

 今回も細かな数字が出てから再検討するが、メディアの常として、都合のよい数字しか扱わない傾向があるので要注意である。

たとえば、
同時実施の意識調査で「勉強が楽しい」と答えた子の割合はどちらの教科・学年でも国際平均を大きく下回り、最下位レベルだった

は前回も同じで、
成績上位国は、(シンガポールを除いて)ほとんどが意欲面で最下位レベル
なのである。

世界第二位の韓国しかり、第三位の香港しかり。

ではシンガポールはどうかというと、前回は成績も意欲もトップ、実に輝かしい成果を残している。しかし果たして普通の子たちがこのテストを受けたのだろうか?そこが疑わしい。
なぜなら、シンガポールはかなり幼少の時期から選抜競争が行われ、例えば小学校の4年生の段階ですでに4つのコースに分かれ、一度しくじると再挑戦のチャンスがない、そんな国だからのである。

しかも教科が著しく理数科と英語に傾斜しており、IEAのテストに非常に馴染む。
http://www.hiwave.or.jp/HAPEE/sing_report/26.html

つまり、このテストを受ける段階で、すでに選抜が済んでおり、理数科が得意で好きな者だけが受験している可能性があるのだ。

メディアは日本の学力の低下を嘆きながら、「シンガポールに学べ」といわない秘密
がここにある。

韓国にも香港にも学ぼうとしないのは、やはりその苛烈な受験地獄を日本に呼び込もうと考えないからであろう(最近知ったのだが、香港では中学校が入試によって振り分けられるという)。

IEA、細かいデータの出るのが楽しみである。








2004.12.15

文科省「ゆとり」転換、授業時間増を検討


読売新聞 12月15日]



 文部科学省は14日、小中学校などの授業時間を増やすため、標準授業時間の見直しの検討に着手した。高校1年の読解力低下を示す今月7日の国際調査結果に続き、小中学生の学力低下傾向を示す結果が出たのを受けての措置。

 実現すれば1977年から減り続けていた授業時間が約30年ぶりに増加に転じることになり、文科省が推進してきた「ゆとり教育」の方針を、事実上、転換することになる。省内には異論もあり、慎重に検討を進めている。

 検討されているのは、平均的な基準だった標準授業時間を「最低限度」と位置づけを改め、各学校にそれを上回る授業時間を確保してもらうよう促す案や、標準授業時間そのものを引き上げる案など。学校現場に学力向上への意識を高めてもらう一方、近年の学力低下論の噴出で高まる公教育への不信感をぬぐいたいという狙いがある。見直しの方向性がまとまり次第、文科省では年明けにも中央教育審議会に具体的な導入方法や時期などを審議するよう要請する。

 標準授業時間は現在、小学校が6年間で計5367時間、中学校が3年間で計2940時間。高校も必要な単位数を取得するための時間数を規定している。標準授業時間が最長だったのは、1968年の学習指導要領改訂後の一定期間。「教育の現代化」に向けて各教科で新しい内容が盛り込まれ、中学校では3360時間から3535時間に拡大。小学校の授業も当時は5821時間という長さだった。

 ところが授業についていけない子が問題になり、その反省から77年の改訂で、小中学校とも授業時間を削減。その後も、「ゆとり教育」や学校週5日制の実施で、標準授業時間は削られ続けてきた経緯がある。

 小
中学校では中3の受験期などを除き、標準を上回る授業時間を確保しているのが実態だが、今後、授業時間を拡大する場合、長期休暇の一部や放課後を授業に充てるケースなども想定され、学校現場にも大きな影響が出そうだ。


 2つの国際調査で相次いで学力低下の傾向が示されたことについて、中山文科相は「学校週5日制や学習指導要領の削減が、必ずしも望ましい結果になっていないと思う。その点を率直に認め、対策を講じる必要がある」と述べた。



結局、指導要領改定の時

「内容を削減したのだから当然学力は下がります。その代わり子どもたちは家でゆっくりしてもらいます
.
それがゆとり教育です」といわなかったツ
が回ってきただけである。


 70年代から90年代までのメディアの論調は「もう学力は十分だ。子どもにゆとりを、ユニークな問題解決能力を!」で一色だった。

 
授業についていけない子が問題になり、その反省から77年の改訂で、小中学校とも授業時間を削減

たしかにそういう面もあったが、しかしもっと強く叫ばれたのは日本の優秀な少年たちが詰め込み教育の中で個性を失ってしまう、日本のエジソンが点取り競争の中で普通の秀才になってしまうということであった。

「重厚長大の時代はそれでもいいが、21世紀にあっては知識だけでは日本は生き残れない」
そんな話を何度聞かされたことか!

 だからこれほどに大胆な改革をしたのに、新指導要領は生まれると同時に殺される鬼っ子である。しかも殺すのはその子を生み出した実の父親なのだ。

個人的には授業時数が増えることはよいことだと思っている。どうせ勤務があるのだから、夏休みも半分以下に減らしていい(ただし健康の問題があるから、校舎は全館冷房を入れてもらわなければならない)。

 真のゆとり教育とは、たっぷり時間をとって少ない内容を教えることである。ただし、家庭でたっぷり甘やかされた子たちが、その長時間学習に絶えられるかどうか・・・。経過を見よう。








2004.12.17

国際教育動向調査 中2理科6位に転落 小4平均もダウン


産経新聞 12月15日]



 「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)は数学(算数)・理科の基礎的な学力を測る国際調査。小学四年と中学二年生が対象となる。中学校は九九年、小学校は九五年以来。
 参加した国・地域の平均が五百点になるよう得点を算出する。日本の平均得点は「小学・理科」が前回比で十点減の五四三点、「中学・数学」は九点減の五七〇点と低下。「小学・算数」も二点減の五六五点。「中学・理科」は二点増の五五二点となった。
 文部科学省は「小学・算数」と「中学・理科」の平均得点は前回と同程度としているが、前回との共通問題だけをみると、両科目とも正答率が下がっており、学力の低下が現れた形となった。
 順位でみると「小学・理科」は二位から三位、「中学・理科」は四位から六位に転落した。「小学・算数」(三位)と「中学・数学」(五位)は前回と同じだった。
 国・地域別では、シンガポールが全四科目でトップに。日本は韓国が参加しなかった小学校の分野で、算数が香港、理科が台湾に続いてともに三位。韓国が参加した中学校では数学・理科ともシンガポール、韓国、台湾、香港の四カ国・地域を下回り、東アジアの先進国・地域で最下位だった。
 日本は同調査で七〇年に中学理科、小学理科が一位、八一年に中学数学が一位になるなど最上位だったが、以降は低下傾向にあり、今回も順位の下落に歯止めがかからなかった。
 「数学・理科に自信があるか」とのアンケート調査でも「ある」と答えた中学生の割合が最低となり、「数学、理科嫌い」にも一層、拍車がかかった。
 「理数嫌い」は九九年の前回調査でも問題となり、文部省(当時)は「新学習指導要領で数学嫌いは減る」としていたが、新指導要領施行後初の調査となった今回の調査で、さらに悪化していることが明らかになった。
     ◇
 国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2003) 国際教育到達度評価学会(本部・オランダ)が1964年から行っている算数・数学、理科の到達度を測る国際調査。今回は小学生が25カ国・地域、中学生は46カ国・地域が参加し、日本では小中計296校、9391人の児童生徒が受験した。実生活への応用力を重視した経済協力開発機構(OECD)の学力調査(PISA)に対し、TIMSSは基礎知識が対象。



「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2003)と再三話題になっている「国際教育到達度評価学会(IEA)の調査」とは同じものである。日本語の発表はまだないと思っていたら私がうかつであった。
文部科学省のサイトのトップから入ると、15日付けですでに発表がなされていた。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/12/04121301.htm

以下それにしたがって産経新聞の記事を検証してみよう。

韓国が参加した中学校では数学・理科ともシンガポール、韓国、台湾、香港の四カ国・地域を下回り、東アジアの先進国・地域で最下位だった。
もちろん、ウソではない。
「東アジアで最下位なら、世界ランキングではかなりヤバいだろうな」と、そんな気になる文である。
印象を持つのではないか。


しかし事実は異なる。TIMSS2003の世界ランキング上位は、こうである。
1位 シンガポール 605点
2位 韓 国     589点
3位 香 港     586点
4位 台 湾     585点
5位 日 本     570点
6位 ベルギー   537点
7位 オランダ    536点

 つまり東アジアの先進国・地域で最下位(5位)」は、同時に「世界の5位」でもあり、東アジア5カ国はブッチ切りで世界のトップを駆け抜けているのである。

 それにもかかわらずなぜ、あえて「東アジアの先進国・地域で最下位」と言わねばならないのか。
 もしかしたら(シンガポール、韓国、台湾いった)旧植民地に負けたのがイカン!」とそう言っているのかと、勘ぐりたくなるところである。

 「数学・理科に自信があるか」とのアンケート調査でも「ある」と答えた中学生の割合が最低となり、「数学、理科嫌い」にも一層、拍車がかかった。
これも事実である。
しかし話は単純ではない。


「数学・算数に自信があるか」の中学校2年生は45カ国中、
日本が45位
台湾が44位
香港は41位、そして
韓国は38位である。
最も成績のよいシンガポールですら28位でしかない。

小学校4年生の場合は、25か国中、
日本が24位、
香港が23位、
台湾22位、
シンガポール19位
(韓国は不参加)。

いずれにしろ
成績のよい国の子はこぞって「数学・算数に自信がない

のだ。

この傾向は理科でも変わりない。


「理科に自信があるか」の中学校2年生。26か国中、
日本26位、韓国(同点の)26位
台湾24位
香港23位
シンガポール18位。

小学校4年生。25か国中、
シンガポール25位

日本23位
台湾22位
香港12位
(韓国は不参加)。


理数嫌いに関してはどうだろうか?
これは「数学・算数(理科)は楽しい」という質問に、「そう思わない」「まったくそう思わない」と回答した児童生徒の数で示すが、結論から言えば、これも同じ。
ギンギンに絞られて成績を上げてる国の子は、決してその教科が好きではない
のである。


「数学算数は楽しいと思わない・まったく思わない」の中学校2年生、45か国中
日本3位
台湾4位
韓国5位
香港19位
ただしシンガポールはこの点がうまくいっているらしく、32位(楽しいと思わない子の少ない方から14位)という好成績である。

同じ質問の小学校4年生、25か国中

日本1位
台湾3位
香港5位
(韓国は不参加)
シンガポールは小学校4年生でもかなり成績がよく21位。つまり少ない方から5番目である。


理科についても書いておこう。

「理科は楽しいと思わない・まったく思わない」の中学校2年生、26か国中
韓国1位
台湾2位
日本3位
香港6位
シンガポール13位

同じ質問の小学校4年生、25か国中
シンガポール5位、台湾(同点の)5位
日本9位
香港16位(少ない方から10位)
(韓国は不参加)

 こう見てくると逆に、成績はさっぱり良くないのに、「数学・算数が楽しく」て「自信をもっている」という国がありそうなものだが・・・・・・と、そう思って調べるとやはりゾロゾロと出てくる。

書き始めるときりがないので、各項目のベスト3の成績を( )内に示してみる。

「数学に自信がある」 の中学校2年生  (  )内の成績順位は45か国中、
1位イスラエル(19位)  
2位エジプト(37位)  
3位スコットランド(18位)


「数学が楽しい」 中学校2年生 (  )内の成績順位は45か国中、
1位ボツワナ(43位)  
2位エジプト(37位)  
3位モロッコ(41位)


「算数に自信がある」
小学校4年生  (  )内の成績順位は25か国中
1位スロベニア(19位)  
2位キプロス(13位)  
3位オランダ(6位)


「算数は楽しい」
小学校4年生  ( )内の成績順位は25か国中
1位イラン(22位)  
2位アルメニア
(20位)  
3位モロッコ(24位)


「理科に自信がある」
の中学校2年生 ( )内の成績順位は45か国中
1位チュニジア(38位) 
2位エジプト(35位)  
3位ノルウェー(21位)


「理科が楽しい」
の中学校2年生  ( )内の成績順位は45か国中
1位ボツワナ(43位)  
2位エジプト(35位)  
3位チュニジア(38位)


「理科に自信がある」
の小学校4年生  ( )内の成績順位は25か国中
1位スロベニア(18位)  
2位オランダ(10位)  
3位キプロス(19位)


「理科が楽しい」の小学校4年生  ( )内の成績順位は25か国中
1位イラン(22位)  
2位アルメニア(21位)  
3位チュニジア(24位)


たとえば中学校2年生のエジプト。
 数学が楽しくて楽しくてしかたない(何しろ世界第2位だ)、そして数学に自信もある()これも世界第2位)、だけど成績は45か国中37位。

 なんだか気の毒になったりもする。


 
またこの結果は、「子どもたちの興味関心を高めれば、彼らは自動的に勉強をよくやるようになり、必然的に成績は上がる(はずだ)」という教育の専門家の言葉を完全に裏切るものである。

 さて、残念なことに、少なくとも理数について言えば「成績」と「自信」「楽しさ」は逆比例する。

 産経新聞をはじめマスメディア諸氏の言うように三つとも実現せよといってもとても無理な話である。

「いや、すべてを良くしろとは言わないが、せめてシンガポール並みに高い学力を持ちながら「数学が好き」という子どもを増やしてほしい・・・・・・・・・・。
よろしい。そのためには日本にシンガポール的競争原理を持ち込むのが手っ取り早いだろう。


 小学校からのコース別学習だ。そして過酷な受験体制!!!







2004.12.19

<斜面>教育のせいとするのは性急に過ぎる


信濃毎日新聞 12月17日]


「ゆとり教育」という言葉そのものに、子供を甘やかすかの響きがあるのだろうか。学力低下問題と絡め、目の敵のような扱いがされる。本当にそうなのか性急な結論に走るのでは心もとない

   ◆

就任間もなく中山成彬文部科学相が、ゆとり路線の転換を打ち出している。「世界一の学力」を掲げ、全国学力テストの復活などを提唱した。学力のレベルを国際比較する調査結果も相次ぎ出て、ゆとり教育見直しの流れを加速する気配が濃い。問題の一つは確かな因果関係である

   ◆

総じて日本の子供たちは、国際比較で低下傾向を見せた。幅広く原因の分析が必要だとしても、ただちにゆとり教育のせいとするのは性急に過ぎる。週五日制、教える内容は基礎基本の徹底に重きを置いた。「生きる力、考える力」を狙ってのことだ。小中学校は二〇〇二年度から完全実施されている

   ◆

まだ二年足らずである。それまでの移行期間の存在を考慮するとしても、そんなに短期間で学力に影響が及ぶものなのか。じっくり見極めないと、子供に競争意識を持たせるなどの新たな対応策が、適切かどうかの判断もしようがあるまい。右往左往させられる先生も子供もたまらない

   ◆

しっかり基礎学力を学び取り、自らの頭で考える力を身に付けることは本来、楽なことではない。甘やかしとも違う。むしろ反復練習、じっくり打ち込む粘り強さを必要とする。ゆとりと学力を対立した関係でとらえる限り、堂々巡りを抜け出せそうにない。


言っていることにはほぼ全面的に賛成である。

まだ二年足らずである。それまでの移行期間の存在を考慮するとしても、そんなに短期間で学力に影響が及ぶものなのか。
まったくその通りだ。

しかしそれを今のこの時期に言い出すのが気に入らない。


文部科学省は「ゆとり教育」の見直しを指示した。
そこで信濃毎日新聞は、そろそろ「ゆとり教育」見直し反対に鞍替えした方が良さそうだと目星をつけたのだろう。
さあ次は「詰め込み教育反対!」「子どもたちにゆとりを!」の大合唱だ!








2004.12.26

授業改善徹底へ全国実情調査 文科省、教育長会議で示す


朝日新聞 12月24日]


 日本の子供の学力低下傾向が国際的な調査で示されたことなどを受けて文部科学省は24日、47都道府県と13指定都市の教育長会議を開いた。中山文科相は「地方が競い合って教育水準の向上に努める時代になる」と述べ、授業の改善を徹底させるために全都道府県の実情調査を来年から行う考えを示した。

 会議では学力向上の具体策として、全国学力調査の実施、学習指導要領全体の見直しが示された。さらに授業改善の徹底のために視学官らを全都道府県に派遣して指導方法を調査することを明らかにした。文科省は各自治体の取り組みを評価して公表することも検討している。

 東京都の横山洋吉教育長は「土曜授業の実施に弾力的に対応してほしい」と要望し、銭谷真美・初等中等教育局長は「学校5日制の見直しは現時点では考えていないが、授業時間数の問題と関連して中教審で話し合われることはあり得る。補習などについて実態を把握したい」と答えた。



クリスマスイブにありがたいお話があった。

国際的な調査で日本の子供たちの学力が下がったことが明らかになったことで、日本の教育全体を見直す。
それはいい。

しかし、学力向上を指導要領の見直しと授業時数の増加、そして授業改善(教師の努力)によって解決しようというのはいかがなものか。これでは学力低下の原因を最初から、指導要領と時数と教師の質のせいだと決め付けているのと同じではないか。

この点に関してやや冷静な見方をしたのは12月7日付けの読売新聞である。


成績上位はどんな教育  
教員は修士限定(フィンランド) 「塾で学習」突出(韓国)


 成績上位の国・地域はどのような教育を実践しているのだろうか。文部科学省や専門家らによると、「読解力」と「科学的応用力」が1位だったフィンランドは、1990年代半ばに大きな教育改革を行った。

 94年に国が策定する教育カリキュラムをスリム化し、教科ごとの授業時間などは地域や学校が決定できるようにした。こうした教育の地方分権に加え、翌年には教員免許を取得できる対象を「修士」に限定し、現職教員についても研修でレベルアップを図った。

 
 「教師」は生徒のあこがれの職業で、読書文化が浸透している。国民1人当たりの国内総生産(GDP)は日本とほぼ同程度と、産業力も高い。

 「問題解決能力」が1位の韓国と「数学的応用力」が1位の香港は、いずれも学歴意識が高く、受験競争も激しい点が特徴。

 韓国の教育制度は日本によく似ており、「6・3・3制」を導入している。2000年には「英才教育振興法」が施行され、英才児を対象に特別メニューの教育を行うほか、近年はコンピューター教育にも力を入れている。

 受験の厳しさは有名で、今回のOECD調査でも、「塾や予備校での授業」が週平均3・8時間、「家庭教師がついての勉強」が1・25時間と、数値が主要国で突出して高かった。

 香港は「中等学校」の教育が終わる17歳段階で統一修了試験があり、19歳でも大学入試資格試験が行われる。これらの資格は「就職にも直結する」(文科省)ことから、教育熱は高い。

 韓国、香港ともカリキュラムの大枠を国・地域が定めている点は日本と同じで、国立教育政策研究所は「韓国、香港とも教師の質が高い」と話している。
      (2004年12月7日  読売新聞  )








































しかしこれも煎じ詰めれば、「韓国、香港とも教師の質が高い」というような話になってしまうから、かなわない。
それを言えば
日本だって教師の質は高いはずだと私は思うが、それを証明する資料は持ち合わせていない。

もし日本の教師の質が悪いとしたら、組織力や取材力のある文科省・マスメディア諸氏は、
まずフィンランドや韓国・香港の教師に対して、日本の教師の質の悪さとその原因を明らかにすべきだろう。

また、もし学力と教師の質が直接的にリンクしているとしたら、子どもの学力が世界一を誇っていた1960年〜1970年代にかけて、日本は世界最高級の人間が教師をしていたわけで、それが失われた原因も探ってみなければならない。


教育は百年の大計である。ここで判断を誤れば取り返しのつかない禍根を残すことになるだろう。



さて、
私は学力低下の原因を指導要領のせいだとも、時数のせいだとも、教師の質の低下のためだとも思っていない。そんなところをいくらいじっても、大して成果は上がらないし、上がったとしても一時的なものだと思っている。


なぜなら、OECDの調査にしてもIEAの調査にしても、指導要領の改訂に関わらず、ずっと以前から長期低落傾向にあったからだ。

なぜ学力は低下し続けているかというと、これは簡単で、単に子どもが勉強しなくなたからである。
1980年後半から90年代にかけて、中学受験を中心とし学習過剰がマスコミの話題となり、「こどもが勉強・勉強で押しつぶされていく」といった話が盛んに話題になったが、その間も全体として学習時間は下がり続けていた(ベネッセ研究所)。

その不勉強に危機感を持った一部の親と子どもが過酷な中学受験を生み出したのであって、地方では子が中学校三年生になるまでは、一貫して
「勉強なんかできなくても、健康で心豊かな子に育てなくちゃあねぇ〜」が母親たちの中心思想であった(勉強すれば不健康で心貧しい人間が育つというのは一種の信仰である)。


では、なぜ子どもが勉強しなくなったかというとこれも簡単で、要するに「勉強する必要がなくなった」からである。

1950年代後半から70年代前半の高度成長期は「親と同レベルの生活をしたければ、親の学歴を超えなければならない」そういう時代であった。「
良い高校から良い大学へ、そして良い企業へ」進めば(幸せになれるかどうかは別として)金銭的にはより高いものが求められる時代であった。
だからみんなが勉強をした。五当六落(5時間睡眠なら合格するが6時間寝ているようだと不合格になる)といった過酷な受験戦争にも耐えた。


現在の韓国・台湾・香港そしてシンガポールと同じである。

そういった社会をもう一度日本に生み出せば、否が応にも子どもたちは勉強する。



もうひとつの可能性としては、国家戦略として教育制度を整えなおすこと、たとえばフィンランドのような方法である。

 94年に国が策定する教育カリキュラムをスリム化し、教科ごとの授業時間などは地域や学校が決定できるようにした。こうした教育の地方分権に加え、翌年には教員免許を取得できる対象を「修士」に限定し、現職教員についても研修でレベルアップを図った。

読売新聞は、指導要領・時数・教師の質という日本の改革の三点セットでしか見ようとしないが、どっこいフィンランドの教育の特徴はこれだけではないし、これが最大のものでもない。


たとえばフィンランド教育相に言わせれば、

「特にこの国の成功の鍵は7歳から16歳まで同じ学校で過ごす(初等教育と中等教育を分けないで)という”統合された”学校だということが大きな要因であるのです。」

ということになる。つまり基本的にフィンランドの学校は小中一貫であって、それが最大の武器なのだと教育相自身が言っているのである。

しかもこの統合学校、規模が極端に小さく、
生徒数50人以下の学校が40%にものぼり、生徒数500人以上の学校はわずか3%しかない。

しかもその小さな学校に多様な職員を配置し、校長、教員、専門科目教員の他に、看護士、学校心理学士、特殊教員(授業中の生徒を観察し、教員に助言したり、自分が別個に授業についていけない生徒やグループの面倒をみる)、学校アシスタント(生徒数が大きい学級にアシスタントを入れる)など、二重三重に子どもを見るシステムが確立している。

さらに、日本の学校では一人の教員が休むとその補充を同じ学校の、授業のあいている教員がプリント学習など行っている(だから教員はほとんど休みが取れない)のに対し、フィンランドでは学校設立母体が十分な補充教員をもち、教員が病欠した場合にはすぐに代理授業ができるため、授業の欠落が大幅に減少する、そういう仕組みになっているのである。


これだけ手厚いことをするとなると当然金がいる。

読売新聞によると
国民1人当たりの国内総生産(GDP)は日本とほぼ同程度と、産業力も高い。
のだそうだが、その
「ほぼ同程度」のGDPのうち、日本は3.5%を教育機関への公的支出に使っているのに対し、フィンランドの場合は5.7%。実に日本の1.63倍、63%も多いのである。
当然、福祉国家の常として、税金も尋常ではない。

こうした事実を目にすると、「教員免許は大学院の修士課程を出たものにしか与えられない。だからフィンランドの子どもの成績は高いのだ」といった話はフィンランドの本質の、ほんの一部でしかないことがわかるだろう。


最後に

学力問題で教師の質が最大の問題になることに私が抵抗するのは、何も「これ以上苦しい思いをするのはいやだ」ということではない。それが的外れだからである。

教師の質を問題にして教師を叩けば学力が上がるかというとそうはならないだろう。私が恐れるのはそのことによって逆に教師たちの意欲が著しく低下することである。

できもしないこと(教員の努力だけで、子どもたちが楽しく生き生きと学ぶ方法を編み出し、国際比較でトップの学力を獲得せよ)を要求され、それができなければ教員の質が低下したといわれる、それでもなおやる気を持って頑張れと言われても無理だろう。

先のフィンランド教育相はこういうことも言っている。

(フィンランドでは)家族に責任があるのです。読み書きが良くできるのは家庭教育に負うところが非常に高いのです。

また、読売新聞もこう書いた。

 「教師」は生徒のあこがれの職業で、読書文化が浸透している。


教員の質を高める諸政策が教員の意欲を殺ぐものでないことを祈る。








2004.12.27

<国語教諭>相田みつをの詩知らず、女子生徒けなす


毎日新聞 12月25日]


 書き初めの宿題に書家、詩人として著名な相田みつをの詩を書いたところ、中学の男性国語教諭(53)に「やくざの書くような言葉だ」などとばかにされ、これが原因で卒業文集にもほおに傷のある似顔絵を描かれたとして、横浜市立中学の元女子生徒が市に慰謝料など350万円の支払いを求めた訴訟で、横浜地裁の河辺義典裁判長は24日、教諭らの責任を認め、市に計25万円の支払いを命じた。元生徒は別の男性教諭(46)から部活動中に腰をけられており、支払額はこの賠償5万円を含む。

 判決によると、元生徒は3年生だった01年1月、「花はたださく ただひたすらに」と書いた書き初めを、国語の授業に提出した。書家で詩人だった相田みつをの詩だが、国語教諭はこの詩を知らず、ほおに指を当てて(傷跡を)なぞる仕草をして「こういう人たちが書くような言葉だね」と発言した。同級生は笑い、元生徒は「やくざ」などとからかわれるようになった。
 その後、生徒たちが卒業文集で互いの10年後を想像した似顔絵を描き合った際、元生徒は、ほおに傷がある絵を描かれた。担任の女性教諭(38)は、絵を見ていながら修正せずに文集を配った。

 学校はその後、元生徒の母親の抗議で文集を回収し、印刷し直した文集を配り直した。
 判決は教諭の発言を「(発言で)嫌がらせを受けるのは当然予想され、不適切で軽率」と批判。似顔絵についても「(担任が)訂正の必要性を認識すべきだった」とした。



はっきり言って、私は相田みつをの詩が嫌いである。

その俗っぽさと説教臭さ、過剰な感情吐露がかなわないからだが、意外と中学生には受けがいい。それどころかかなり有効だといってもいい。

そこで中学校の担任の中に相田みつをが大好きで、教室中が「みつを」になってしまっている人さえいる。
しかし高校生にはどうだろうか?


さて、相田みつをは詩人としてどれだけ世間に知られている人なのか私は知らない。
朔太郎や啄木と同じくらい有名な人なのか、その作品はどれほど知れ渡っているのか、わからないのである

しかし「花はたださく ただひたすらに」は、たぶん一般的ではないし、国語教師とは言え知らなければならない教養の一つでもないだろう。
単純にこの詩を見て、「こういう人たち(ヤクザ)が書くような言葉だね」と言ったって、無理ないといえば無理のない気もする。こうした単純な正義は、そちらの筋の方は大好きなはずだ(少なくともヤクザ映画の中ではそうだった)。


問題はその後である。

なぜその生徒は「先生、ヤダ〜、相田みつをの詩だよ」と言わなかったのだろう?
その場で言わないまでも、友達同士の中でぼそっと呟けば、からかいの矛先は国語科教師の方に全部行ったはずだ。
友だちのヤクザ話を笑うより、教師の無教養を嘲笑う方がどれほど楽しいか知れない。


さらに言えば、何故この程度のことでこの子は
「やくざ」などとからかわれるようになった。
のか?


普通はその程度のこと、一過性のこととして通りすぎてしまうものだ。


担任の女性教諭(38)は、絵を見ていながら修正せずに文集を配った。
これは明かに落ち度である。
しかしなぜこんなミスが発生したのか、私は他の子たちがどんな描かれ方をしていたのか見てみたい気がする。もしかしたらその他の生徒の絵だって似たり寄ったりだったのかもしれないからだ。


学校はその後、元生徒の母親の抗議で文集を回収し、印刷し直した文集を配り直した。
当然である。しかしそれにも関わらず、裁判にまで縺れ込んだのは何故だろう?
そこには記事からは計り知れない何かがあったとしか思えない。

最後に

判決は教諭の発言を「(発言で)嫌がらせを受けるのは当然予想され、不適切で軽率」と批判。

当然か?
少なくとも私にはそんなことは予見できない。


しかし教訓として得たこともある。
それはこういうことだ。
唇寒し!
裁判が怖かったら、教師たるもの子どもの前で冗談めいた話などしてはいけない。