キース・アウト
(キースの逸脱)

2006年1月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 

 

2006.01.01

幼稚園から義務教育、延長幅1〜2年
…政府・与党方針


読売新聞 1月1日]


 政府・与党は、小中学校の9年間と定められている義務教育に幼稚園などの幼児教育を加え、期間を10〜11年間程度に延長する方針を固めた。

 幼稚園―小学校の区分による環境の変化が学力のばらつきを招いているため、幼稚園を義務教育に含め、一貫した学習体系を構築するのが狙いだ。

 幼児教育を無償にすることで、少子化対策を強化する面もある。1月に召集される通常国会に提出する予定の教育基本法改正案で義務教育の9年間規定を削除し、2009年度以降の義務教育延長の実現を目指す。

 義務教育をめぐっては、近年、小学校低学年で、集団生活になじめない児童が騒いで授業が混乱する「小1問題」が起きている。幼稚園―小学校―中学校と進学するにつれ、指導の内容、難易度などが大きく変わり、成績格差が拡大する問題も指摘されている。

 このため、政府・与党は幼稚園などの幼児教育を含めた義務教育制度の見直し論議に入っている。

 自民党は、05年9月の衆院選の政権公約(マニフェスト)に、「幼児教育の無償化」を盛り込んだ。1月にも、政調会の下に「幼児教育小委員会」を設置し、無償化の具体策として、義務教育延長を議論する。そのうえで、延長に向けた第1段階として、教育基本法4条で定められている義務教育の9年間という期間を削除する考えだ。

 与党教育基本法検討会の議論の中で、公明党もこうした考え方を大筋で了承している。

 自民党文教制度調査会幹部は、昨今の児童・生徒の学力低下を背景に、「諸外国も義務教育期間を延ばす方向だ。日本も真剣に検討すべき時期にある」と主張している。諸外国では、例えば、英国は5歳から11年間を義務教育とし、2000年から5歳未満を対象に無償の保育学校を拡充。フランスも1989年から公立幼稚園を無償にしている。

 政府・与党は、今後、幼児教育をどういう形で義務教育に取り込むのか、調整を図ることにしている。

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、鳥居泰彦会長)では、05年1月にまとめた幼児教育に関する答申で、「幼小一貫教育の検討」を掲げた。政府・与党内には、このほか、〈1〉幼稚園の1〜2年保育を義務教育とする〈2〉義務教育の枠内で、「幼小一貫校」を創設し、普通の幼稚園か一貫校かを選べるようにする――などの案が浮上している。


義務教育を1〜2年前倒しにして5歳からにしてはどうかということは、主として学習能力の観点から、以前より指摘されていた。
それは日本語が「かな文字」というきわめて優れた文字文化を持つため、1年早く学習を始めることに何の問題もない、それどころか妙な文字を勝手に覚える前に、体系的な学習を始めるべきだというものである。
私はこの意味において、そういうことがあってもいいと思う。

しかし「小1問題」を念頭において義務教育の前倒しを考えるとなると、話は別だ。なぜなら
それは子どもの躾けに対しても、政府が責任を負うことだからである。本当にそんなことをしてもいいものか、じっくり議論をしたいところだ。


私は一方で、それは正しいことだと思う。
なぜなら子の養育という面ではまったく意欲のない、あるいは能力のない保護者が相当数いると考えるからだ。昨今の育児放棄・虐待の様子を見れば、明らかに政府の手が伸ばされなければならない。

しかし他方、子どもの養育までもが政府の手に委ねられるとなると、それはかつての社会主義国やナチスがやろうとしたことにかなり近くなってしまうのではないかという恐れもある。政府は膨大な財政支出をしながら、自由気ままな子どもを育てるほどには寛容ではない。
また、そこまで多情な制度をつくり、子育てまで外注に出すような依存的な国民を育成して、それでどうなるという想いもある。

 私はそんな甘えた社会をつくるより、教育改革国民会議が提唱したように、
小学校入学に一定の資格審査を行い、小学校の学習に耐えられない子どもは一定の就学猶予を与えた方がいいと思うがどうだろうか。その間、特別な教育機関で丁寧な指導を行い、子どもから児童(学ぶ意思と能力をもった子ども)へと育てる方がよほど経済的で、なおかつ国民の自立性を高める施策だと思うがどうだろう。

日本の教育施策は常に国民に甘いものを与え、その結果さまざまなものをダメにしてきた。痛みを伴う構造改革は、教育の面でも果たしてもらいたいものである。







 

 

2006.01.06

不審者情報、保護者にメール送信…富山で2月開始


読売新聞 1月5日]


 全国で子どもを巻き込んだ事件が相次いでいることを受け、富山県教委は、不審者情報などを保護者らの携帯電話やパソコンに一斉メール送信するシステムを開発した。

 公立のほか国立や私立も含めた同県内の全小中高校、養護学校など372校が対象で、2月1日から運用を開始する。

 県教委によると、不審者情報のメール送信を学校が個別に行っている例はあるが、県内の全学校が同じ方法で送信できるシステムの導入は全国で初めて。

 学校は、県総合教育センターがインターネット上に設けたサイトにパスワードを入力し接続。「不審者が校区内にいる」などの情報を書き込むと、事前登録した保護者や自治会役員らにメールを自動送信する。情報によっては、送信先を防犯パトロール隊員だけに限定することもでき、個別の事例ごとに各校の校長と教頭が判断する。

 従来、不審者情報のメール送信は、民間のプロバイダーを利用してアドレスを登録する必要があり、プライバシー保護や費用などの点から普及していなかった。同県教委は「情報をできるだけ早く地域や家庭に提供することで、地域一体となって子どもを守る体制、学校と地域の協力体制が充実することを期待したい」と話している。


事件があって、後で調査すると「そう言えば1週間ほど前から白い車がたびたび停まっていた」とか「見知らぬ人がウロウロしていた」といった話が続々と出てくる。だったらなぜその情報を早く出してくれなかったのか・・・当然そういうことになる。

しかし逆に「たびたび(2〜3回か?)停まっている車がいたら警察に知らせるように」あるいは「見知らぬ人がウロウロしていたら通報するように」といった方針が警察あたりから出されたら何が起こるのか、少し考えてみるといい。
実は警察に寄せられる不審者情報の大半がそうしたものなのである。

私の住む田舎の町でも、警察署が受ける不審者情報は1日1件以上、しかし事件性のありそうなものはほとんどない。
カメラを持ってフラフラしている人がいるとの通報で調べてみると、警察が行った時点でもまだフラフラとあちこちの桜を撮影していた
見知らぬお爺さんから声を掛けられたというので調べてみると、通報した子どもの10倍近くもそこに住む古老(ただ子どもは知らなかった)だった
大声を上げながら子どもを追いかけていたおばさんは、落し物を渡そうと必死に走った善意の人だった・・・・・・・。

しかしそうした情報に蓋をしてしまうと肝心の情報も出なくなるので、警察は常に誠実に対応してくれる。


さて、富山県で記事のような取り組みを始めたとなると、他の都道府県でも同じことをして欲しいという要望は当然出てくる。そして多くの地方公共団体が要請に応えざるをえなくなる。
要望に応える県教委は多少の資金やメーリングリストのノウハウ、あるいは一斉発信のシステムを提供すればいいだけだから良いが、それを使って不審者情報を発信する
学校(制度上「学校」という場合は「校長」またはその代理者である「教頭」と読み替えると意味が通る)は大変である。情報を発信する以上は、その真偽、発信することの功罪を常に的確に判断しなければならないからである。

むやみに垂れ流せば、桜好きの無実のカメラマンが住民に取り囲まれる心配がある。
村の古老は当然大人たちには顔見知りだから、訴えられた本人が最初から除外され、存在しない「見知らぬお爺さん」を探して人々が走り回ることになる。
メールを見た保護者の一部が会社を休んで子どもを守りに帰宅することになる。メールが届くたびに会社を早退しなければならない一部の母親は苛立ち、別の一部は不審者情報に鈍感になっていく。
「ナンデ俺が不審者なんじゃあ!」と学校に捻り込む人がいる。
こんなに不審者情報があるのになぜ学校は職員全員のパトロールをしてくれないのかと無茶な要望を出す保護者が出てくる。

他方、「むやみに出さない」方向で不審者情報の出し惜しみをすれば、実際の事件がおきたとき、情報を出さなかった責任はハンパではない。

県教委はシステムを提供するが判断は学校が・・・というこの記事、一番大切な点はそこである。
県は県民の要望に応える、責任は学校が取る。
そういうことである。






 

 

2006.01.11

社説 〔制服の乱れ〕まず家庭で話し合いを


沖縄タイムス 1月11日]


 女子生徒のミニスカート、男子生徒のシャツ出しや腰でズボンをはく「腰パン」など高校生の制服の乱れが問題になっている。保護者は家庭で躾けるべきと考えながら、子どもと話し合ったことがない実態が県高校PTA連合会調査広報委員会が昨年十月に実施したアンケートで明らかになった。

 県立八校、私立二校の生徒九百四十五人と、PTA研修に参加した保護者五百三十五人から回答があった。

 保護者は、73%が家庭で躾けるべきと考えながら、83%が子どもと話し合いをしたことがない。現在の親子関係の一端を映し出しているようで、びっくりする数字だ。

 県PTA連合会の西銘生弘会長は「いざ自分の子どもと話をしようとすると、尻込みする保護者が多いようだ」と指摘、母親だけでなく父親も交えた話し合いを提案している。

 保護者と生徒の意識のギャップもある。制服を崩した格好で通学するのは、保護者は64%がだらしないと思っている。一方、生徒は、流行だから、自分とは関係ないからを合わせると、52%が良いと回答している。

 ただ当事者の生徒の中でも、「制服の乱れ」が必ずしも支持されているわけではないようだ。

 生徒たちは、男子生徒のシャツ出しを暑いから、流行だからと半数以上が肯定しているものの、女子生徒は、ミニスカートの仲間を見て半数以上が恥ずかしいと感じている。

 ミニスカートをはいている当の女子生徒の理由は、他人に迷惑を掛けていないから、流行だから、格好いいからの順に多い。

 校則や制服の在り方は古くて新しい問題だ。生徒たちには、何でもしゃくし定規に決めようとする校則に反発する気持ちもあろう。流行を追いたいのも当然かもしれない。

 すぐに結論は出ないかもしれないが、親子がまず家庭の中で、そして学校で、高校生らしさや制服そのものの是非を含め、話し合うことを始めてもいいのではないだろうか。



これはどういう文なのだろう?
生徒たちには、何でもしゃくし定規に決めようとする校則に反発する気持ちもあろう。流行を追いたいのも当然かもしれない。
そうか、校則に反発する気持ちも大切だし、流行を追いたいのも当然なのだ。だがそうなると、
すぐに結論は出ないかもしれないが、親子がまず家庭の中で、そして学校で、高校生らしさや制服そのものの是非を含め、話し合うことを始めてもいいのではないだろうか。
というのは何なのか? 何を話し合えばいいのか?

「制服の是非」はテーマにならない。
なぜなら
子どもは制服が大好きだからだ。制服を着用した上で着崩す、それが昨今の高校生のやりかただ。彼らは制服なしではやっていけない
そしてもちろん、親は経済的理由から制服に軍配を上げる。

「高校生らしさ」もテーマにならない。
昨今の高校生は「高校生が高校生らしくしていなければならない理由」が分からない。
女が女らしく、男が男らしくしていなければならないことも分からない。そのそも人間が人間らしくしていなければならないことも分からないのかもしれない。

なぜなら、マスコミや教育の専門家たちが、
何でもしゃくし定規に決めようとする校則に反発する気持ちもあろう。
と、彼らの生き方を認めてくれるからだ。
女は女らしく、男は男らしく、高校生は高校生らしく、これらはまさに「存在を生き方」に、しゃくし定規に反映させようとする考え方だ。
そんなものが正しい訳はない。

服装の良し悪しは話し合うことではない。
それはモーツァルトの曲が美しいかどうか、話し合うのと同じように愚かなことだ。
モナ・リザが美しいかどうか話し合うのと同じようにくだらないことだ。

それらは情操として学ぶしかないことだからだ。







 

 

2006.01.25

村独自に小中教員募集 青森・東通「先生特区」


河北新報 1月25日]


 青森県東通村は、国の構造改革特区認定を受け、4月から村独自で小中学校教員を採用する。教員の増員によって、手厚い学習指導を進めるのが狙い。現在、県内外から募集中で、村教委は「熱意のある人材に来てもらいたい」と呼び掛けている。

 村が認定を受けたのは「わが村の先生制度特区」。通常は都道府県が任用する常勤教員を村費負担で採用する。昨年10月に内閣府へ申請、翌11月に認められた。
 計画では「常勤講師」として若干名を採用。一部の小学校で教科担任制を実施するほか、中学校では複数教員によるチームティーチングなどの少人数指導を導入し、児童・生徒の学習意欲と学力の向上を図る。17日に募集を開始したところ、既に30―40件の問い合わせがあり、うち半数ほどが県外からという。

 本州最北の下北半島に位置する人口約8000人の同村は昨年、学力向上と人材育成を目指す総合教育プランを策定し、村立学習塾を設置するなど教育環境の充実に力を注いでいる。村教委の加藤浩二教育政策室長は「東通村は、地理的にも恵まれた土地ではないが、一緒に情熱を持って教育に取り組んでくれる人に来てほしい」と話している。

 採用期間は4月1日から来年3月30日まで。受験資格は小学校、中学校の教員免許を取得、または今年3月末までに取得見込みの人で、年齢や性別、現在の居住地は問わない。申し込み書類は村教委教育政策室で配布するほか、郵送にも応じる。1次試験(2月7日)は論文と面接、2次試験(同17日)は模擬授業と面接を行う。
 申し込み締め切りは31日(必着)。連絡先は、東通村教委教育政策室教員公募担当0175(27)2111(内線345)。


 この記事からわずか1行を除くだけで、とんでもない内容になる。逆に言えばその1行があるばかりに、この記事は比較的穏やかなものとなっている。それは何か。
採用期間は4月1日から来年3月30日まで。
答えはこれである。

 現在、一部の例外を除いて公立学校の職員は都道府県単位で採用されている。例外と書いたのは、神奈川県と横浜市・川崎市といった場合だが、それとて同じ神奈川県内の海老名市や藤沢市が独自に採用できるわけではない。それがもし、都道府県と同じレベルで教員採用ができるとしたら、そこから始まるのは猛烈な都道府県教員の引き抜できある。
別にたいそうな条件を出す必要はない。「県と同じ条件で採用しますよ」と言えば転勤を嫌う教員(そして転勤や単身赴任よる支出増に敏感な教員)は一斉に市町村になびき始める。その結果、市町村は実績ある教員を自由に手に入れるようになり、
優秀な教員は市町村に、そうでない教員は都道府県にという棲み分けが始まる。
もちろん財政基盤のしっかりした市町村はそれでいいだろう。しかしそうでない市町村には選ばれなかった教員が押し付けられる。

青森県東通村の実験は
採用期間は4月1日から来年3月30日までという一行があるために単なる教員増にしかならない(それとて教育条件の不公平には違いないが)。いくら地元の学校に移りたいと願っていても、敢えて1年更新の教員になろうという者はいないだろう。

しかしこの実験の影で行われているのはまさに、強い市町村は生き残れ、そうでないところは合併によって危機を免れるか教育の低下に甘んじるかという二者択一なのである。
注目しよう。







 

 

2006.01.27

公立小、英語を正式科目に
…自治体判断で08年度から


読売新聞 1月26日]


 政府の構造改革特区推進本部(本部長・小泉首相)の評価委員会は26日午前の会合で、公立の小学校で英語を正式な科目として教えられるようにするなど、自治体の判断でカリキュラムを柔軟に変更できる仕組みを設けることを決めた。2008年度から実施する。

 学習指導要領は小中学校で教える科目を定めており、小学校では教科書を使わず、成績もつけない「総合学習」の一環として英語を教えることはできても、正式な科目としては認めていない。

 しかし、政府は03年から、地域を限って規制緩和する特区で「研究開発学校設置事業」を始め、金沢市など67の自治体に、小学校で英語を正式な科目として教えることを認めている。認定された自治体では、「小学校段階から英語の能力・関心が向上した」「教員の教える意欲も高まった」などの声が出ているため、全国展開を認めることにした。

 英語以外にも、中学で教える内容の一部を小学校で教えることも可能になる。数学などが中学進学時に急に難しくなり、ついていけなくなる子供が出るのを防ぐためだ。このほか、ある科目の授業時間を削り、力を入れたいほかの科目に振り向けることもできるようになる。

 実施されれば、自治体は内閣府への特区申請が不要になり、文部科学省の審査だけで認定が受けられるようになる。


 総合的な学習で英語をやるのと教科として行うのとでは何が違うのか。一般の人には分からないだろう。
 簡単に言ってしまうと、それは
教科として行う英語では「◎○△」とか「1・2・3」とかいった形ではっきりと成績がつく、ということである。
親しめばよいという英語から、明確なカリキュラムによって系統的な学習を行い、その能力が計られる、ということだ。

 別な観点からすれば、教科としての英語をみっちりやってきた子とそうでない子では、中学に入った段階から決定的な差がついている。
 したがって遅かれ早かれ
すべての小学校が小学英語の波に巻き込まれざるを得ないということでもある。

 さて、思い出してもらいたい。かつて自分たちが中学校3年間、高校3年間、合わせて6年間に英語でどれだけ差を広げられてしまったかを。

6年間であれだけ差がつくことを思えば、小中高合わせて12年間ではどの程度の差になるのか
は容易に想像できよう。

 むろん勝組に入るなら問題はない。しかし人数としては常に負け組の方が多いはずである。
 小学校英語、あなたの子どもにとってはチャンスなのか不幸なのか、ようく考えてことにあたりたい。
 
 







 

 

2006.01.29

40年ぶり、教員の勤務実態調査へ


読売新聞 1月28日]


 文部科学省は28日、小中高校などの教員の労働時間や超過勤務の状況について全国調査を行う方針を固めた。国がこの種の調査を行うのは1966年以来40年ぶり。

 高過ぎるという指摘のある教員の給与水準が適正かどうかを判断する資料にする目的で、今秋の調査結果とりまとめを目指す。

 調査は全国の公立小中高校や養護学校などに勤務する教員約90万人から抽出した十数万人規模で行う見通しだ。具体的な項目は年度内に詰めるが、〈1〉通常の勤務時間〈2〉超過勤務時間〈3〉超過勤務の理由(放課後指導、教材研究、部活動指導、会議など)――を中心に調査する方針だ。テストの採点を自宅で行うといった「持ち帰り残業」の実態についても調べる方向だ。

 また、「先生たちも夏休みの間は休んでいる」との誤解も多いことから、夏休み中の勤務状況についても初めて調査する。

 教員の勤務実態調査が40年間も行われなかった背景には、日教組が「管理強化につながる」などとして強く反対してきた経緯がある。しかし、組合員から「教育現場で過重な負担が教職員にかかっている実態を明らかにする必要がある」などの声が上がったことから、日教組自身が93年からほぼ2年に1度、実態調査を実施している。2004年調査では時間外勤務の合計は1日平均2時間9分、1か月換算で約43時間と、厚生労働省調べによる同年の全産業平均(10・3時間)の約4倍となっている。

 教員給与は一般行政職より優遇されていることから批判され、公務員の総人件費改革の一環として来年度、見直しを検討することになっている。文科省や自民党の文教族は見直しに反対しており、調査の実施には「基本的に残業手当が付かない教員の給与が、勤務実態と比べて高いのか低いのかを示して国民の理解を得たい」(文科省幹部)との思惑もあるようだ。




私は非常な驚きをもってこの記事を読んだ。
まず、

教員の勤務実態調査が40年間も行われなかったということ、
それが

日教組が「管理強化につながる」などとして強く反対してきたからだということ、
そしてその日教組の調査で
時間外勤務の合計は1日平均2時間9分、1か月換算で約43時間にしかならないこと、
さらにそれでも
全産業平均(10・3時間)の約4倍となっているということ、
などである。

私自身は月に100時間程度の超過労働をしているがこれは多い方だろう。しかし俗に「セブン・イレブン」と呼ばれる学校の現状を考えると、時間外勤務が2時間9分というのはまったく解せないことだ。
労働組合が時間外勤務を過小に訴えるということはなさそうだから、考えられることはひとつ。

小中高校や養護学校などの種別、あるいは都道府県によって著しい
労働環境の差がある
という可能性である。

調査の結果を見守りたい。