キース・アウト
(キースの逸脱)

2006年12月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 



2006.12.04

中教審答申より厳格化、教員免許5年更新・試用3年へ

読売新聞 12月4日]


 教員免許更新制度のあり方を検討している安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は4日、〈1〉免許の更新期間を5年間〈2〉正式任用前の「条件付き任用期間」(試用期間)を現在の1年間から3年間に延長――とする方向で最終調整に入った。

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)が答申した「更新期間10年間で研修30時間」では、不適格教員を排除するには不十分だと判断した。今月8、9日に開く分科会の合宿審議で詳細を詰める。来年1月の第1次報告に盛り込み、通常国会に関連法案を提出する方針だ。

 中教審答申よりも更新期間を短縮し、「試用期間」を延長するのは、教員免許制度の運用をより厳格化し、首相が唱える「教育現場からダメ教師を排除し、教育の質を高める」ことにつなげる狙いがある。




更新期間が5年であろうと10年であろうとそれはさほど問題ではない。
問題は、誰がどういう基準で不適格教員を認定し、排除するかということだ。
いやそもそもどんな教員が不適格教員なのか、そうした定義も聞いたことがないではないか。

例えば、2006年3月21日付北國新聞は「指導力不足、新たに4人 県教委会議、優秀教員表彰も報告」という記事を載せているが、

石川県教育委員会議は二十日開かれ、子どもと信頼関係が築けず授業が成立しないなどの理由で、新たに四人の教員を「指導力不足」と認定した。(中略)認定理由は専門的な知識や指導の意欲不足のほか、「生徒の質問を受け入れない」「一方的に教科書通りの内容を黒板書きする」などが挙げられた。

専門的な知識はペーパーテストで計れるが、指導の意欲不足や「生徒の質問を受け入れない」度合い、「一方的に教科書通りの内容を黒板書きする」程度はどのように測るのか?


私は、排除に反対しているのではない。誰がどういう基準で不適格教員を認定し、排除するかという基本を明らかにせず、「5年ごとの更新・3年の試用期間」といった枠だけを与えて「あとは学校に任せる、何とかしろ」では話にならないと言っているのだ。
 
このままでは一般職は何をどうしたらよいのか分からず、校長もまた判定を控える。

個人の主観だけで一人の大人を失職させるのではないかという恐怖に、普通の校長は耐えられない。
「自分が上司でなければこの先生ももっとよい授業ができるのかもしれない」という思いに囚われれば、書類を上げる勇気も萎んでしまう。

逆に、校長の意思に逆らう教員こそ不適格教員だと考える校長だっているのかもしれないし、授業はダメだが部活で全国大会に進めるような教員はOKという人だっているのかもしれない。

そうした様々なタイプの校長があることを前提に、それでも公正に機能するシステムをつくらなければ、こんなにいやな気分で始める免許の更新制も結局は形骸化していくほかないだろう。








 



2006.12.05

千葉・男性教諭自殺:市教委「校長の言動はパワハラ」
自殺との因果関係保留 /千葉


毎日新聞 12月5日]


 ◇市教委報告
 千葉市立中教諭の自殺問題で、市教育委員会は4日、勤務校の男性校長(58)=休職中=の言動がパワーハラスメント(地位を利用した嫌がらせ)にあたり、「叱責(しっせき)が抑うつ状態など精神疾患の一因になった」と市議会経済教育委員会で報告した。自殺との因果関係については「他の要素を含め医学的知見などが必要」との判断を示したが、議員からは調査方法に問題があるとの批判も出た。
 調査は9月に自殺した土岐文昭教務主任(当時50歳)の遺族の依頼で着手。報告書は勤務校の校長、教職員ら52人に対し書面や聞き取りで調査した。これが最終報告で今後は校長の処分を検討するという。
 報告書などによると、多くの職員が校長の言動を「叱責の際の声の大きさ、言葉遣いなどが厳しく、その理由も理不尽」と証言。特に教務主任で校長と接する時間が多い土岐さんが日常的に叱責されたという。土岐さんが教頭試験受験をめぐり、8月30日に受けた厳しい叱責が「相当の精神的負荷を与えた」と指摘している。土岐さんはその後、「抑うつ状態」などと診断され9月6日、市内で自殺した。
 ただ、調査メンバーには弁護士、医師など専門家が入っておらず、一部議員からは「専門家を入れるべきだったのではないか」などの指摘があった。
 報告について、土岐さんの妻聖子さん(48)は代理人を通じて「夫の自殺は校長の暴言などに起因していることは明らかだ」とコメントするとともに、年内にも公務災害申請する意向を示した。【神足俊輔】



これは納得できない。
子どもの自殺については滝川の事件でも福岡の事件でも客観的証言がほとんどない中で、教委・学校はいじめと自殺の関係を認めさせられた。それなのに、被害者が大人だと客観的証言がこれだけあっても認めないのか。

ただ、調査メンバーには弁護士、医師など専門家が入っておらず、一部議員からは「専門家を入れるべきだったのではないか」などの指摘があった。

滝川の自殺事件では調査委員会自体がなかったし、福岡の事件ではそれが立ち上がる前に、すでに学校は責任を認めざるを得なかった。

 私は自殺者が大人であろうと子どもであろうと、人間の死を誰かの責任に帰属させようとする以上は、詳細な調査と専門家の判断が必要だと思う。

その意味で、
自殺との因果関係については「他の要素を含め医学的知見などが必要」
という今回の判断の方が正しいと感じるのだ。

岐阜県瑞浪で亡くなった女の子は本当にいじめだけで自殺したのだろうか? それほど弱い子だったのだろうか? 本当にそれ以外に何の悩みも持っていなかったのだろうか?

あの事件では、4人の女子バスケットボール部員の女の子が、一人の女の子を殺したことになっているが、果たしてそれで良かったのだろうか?








 



2006.12.06

<北海道女児自殺>
「いじめ取り組み不足」反省
教委報告書


毎日新聞 12月6日]


 北海道滝川市立江部乙(えべおつ)小学校で昨年9月、6年生女児(当時12歳)がいじめを苦に自殺を図り、翌年1月に死亡した問題で、滝川市教委は5日、市教委や学校側の対応が不適切だったことを認める調査報告書を発表した。報告書は「耐え難いいじめ」あったことを認定。そのうえで「いじめ被害を防ぐための取り組みが不足し、正確な情報を開示しなかったため、自殺の原因がいじめと判断するまで1年以上かかった」などと記し、「調査が迅速に行われなかったことが全国的ないじめによる自殺の連鎖に影響を与えたとすれば、誠に残念」と反省している。報告書は文部科学省と道教委にも提出し、後日、市民向けの説明会も開催する。
 報告書はA4判25ページ。「自殺の原因究明」の項目では、1学期の席替えの際、多数の児童が「(女児の)隣の男子がかわいそうだ」と言ったことなど、仲間外れや言葉によるいじめが遺書の記述と密接に関連していたことを認めた。
 市教委がいじめと認める判断が遅れた理由については、(1)いじめ防止の日常的な取り組みが不足していた(2)具体的ないじめや悩みの事実の把握に固執しすぎた(3)遺族に誠意ある対応を行わず、遺書の入手に時間を要した(4)教育委員会議や市議会に遺書の内容について事実と異なる報告をするなど、正確な情報を開示しなかった――などを挙げた。
 また、校長については説明責任を十分果たさず、学校全体でいじめの可能性があるとの共通認識を持ち、計画的・組織的に調査を進めようとする意識が不十分だったと指摘した。【西端栄一郎】



 滝川の事件が今後のいじめ事件のモデルケースになるのではないかと恐れている。
(2)具体的ないじめや悩みの事実の把握に固執しすぎた
 逆に言えば、具体的ないじめや事実の把握は、ある程度のところで切り上げろ、ということである。

 確かに、1年もかけてはいけないことは分かる。しかしこの「ある程度」をどこに置くかは問題だろう。意地悪な読み取りをすれば、この部分は「マスコミに非難される前に認めてしまった方が楽だ」というようにも取れる。しかしそれと引き換えに差し出されるのは、加害者とされる子どもたちなのだ。

 事態がこういう状況になれば、校長や教委などどうでもいい。彼らにはどっちみち責任を取ってもらうしかない。しかし
自殺の原因がいじめと判断するということは、同時に「いじめた子どもたちが、その子を殺した」と判定したことと同じなのだ。
 
1学期の席替えの際、多数の児童が「(女児の)隣の男子がかわいそうだ」と言ったことなど、仲間外れや言葉によるいじめが遺書の記述と密接に関連していたことを認めた。

事実と遺書の記述が一致したことは分かった。しかしこの段階でも、いじめと自殺の因果関係は決定的とは言えないはずだ。何人かの子どもを人殺しの加害者とするには、相変わらず根拠は薄弱だと思う。

 滝川教委は世論に屈するまで、繰り返し「いじめの事実は確認できない」と言っていた。世論に屈して「(本人の遺書に)書いてある以上、いじめはあった」といった奇妙な論理でいじめの事実を認めた。その上で、そのいじめと自殺の因果関係については、私の知る限り公式には発表していなかったはずだ。
 この報告書によって始めて、自殺に繋がるような十分な事実を示さないまま、
自殺の原因がいじめと判断してしまったのだ。

「いじめの事実は確認できない」と言っていた間は、滝川教委は(確認できないという)事実を語っていたに過ぎない。
しかしこの報告書によって初めて、
何人かの子を人殺しと断定することによって、自らが非難され続けなくて済むような道を歩き始めたのだ。

私は、これこそ保身であると思う。







 



2006.12.06

"いじめ" 「クラスの空気」反映 学級崩壊時5倍 集団の不満集中

産経新聞 12月6日]


 いじめの発生は学級の雰囲気に左右され、児童生徒が学校生活への不満を感じるクラスで特定の子供をはけ口にする傾向が強いことが5日、都留文科大学(山梨県)の河村茂雄教授(心理学)の調査研究で明らかになった。中学では学級崩壊の兆候が見え始めると、いじめの発生は約5倍に跳ね上がる。河村教授は「いじめは被害者と加害者という二者関係でなく、学級という集団の問題としてとらえ、対処することが重要」と指摘している。

 河村教授は平成7年度以降、約10万人の児童生徒を対象に心理テストを行い、学級でのトラブルの大小や児童生徒の意欲の高さなどから、学級の状態を(1)子供同士の人間関係が良く学級運営も正常な「満足型」(2)教師が統率するタイプの「管理型」(3)教師とも友達感覚が漂うタイプの「なれ合い型」−などに分類した。これまでの研究では、「管理型」は小学校で24%、中学校では58%、「なれあい型」は小学校で45%、中学校で16%を占める。

 このうち16年度から2年間にわたり、約1万人を対象にいじめについて調べた結果、小学生では「長い間いじめられている」「とてもつらい」と答えた児童が40人学級で1人の割合となる3・6%を占めた。中学生は2%で、8割の学級でいじめを訴えていた。

 いじめと学級状態との関係では、「満足型」の学級でのいじめ発生割合を1とした場合、「管理型」は小学校で2・5倍、中学校で1・6倍。

「なれあい型」では小学校3・6倍、中学は2・1倍で、学級崩壊の兆候が見え始めると、中学では5・1倍に急増した。

 学級内のストレスの要因をみると、全般的には「授業がわからない。興味が持てない」が多く、「管理型」ではそれに加えて、「教師が威圧的。特定の子供だけが認められている」「授業や学級生活がワンパターン。判で押した生活で刺激に乏しい」といった不満があった。

 「なれあい型」にみられるストレスには、「子供同士の陰口が多い」「ルールが守られていない」「学級に親しみが感じられない」が並んだ。

 いじめと感じている児童生徒に「誰からいじめられたか」をたずねたところ、小学生の50%弱、中学生の30%弱が「同じクラスのいろいろな人」と回答。いじめられている子供は集団生活のなかで、みんなの不満のはけ口にされている構図が浮き彫りとなった。

 河村教授は今回の調査結果について、「いじめ問題は、加害者対被害者という二者関係でとらえられがちだが、被害者はみんなから『いじめられた』と感じている。学級でいじめは埋没して見えにくく、表面化しても周囲が自覚に乏しいのはこのためだろう。特に『なれ合い型』では、実際には子供が傷ついているのに、教師が見逃したり、軽い気持ちで加担したりする危険がある」と指摘している。


クラスの状態の三つの類型
「満足型」「管理型」「なれあい型」、こう書き並べると「満足型」という養護だけが妙に浮いてくるのが分かるだろう。「管理型」「なれあい型」の二つは、主語に「教師が」を置くと馴染むのに対し、「満足型」だけは「児童・生徒が」を主語にしないと内容が分からなくなる。まさか「教師が満足する型のクラス」というわけではないだろう。

 「管理型」「なれあい型」と名づけた以上、研究者は教師のどういう姿勢が「満足型」クラスをつくったか検討し、その姿勢をもって「○○型」と名づけるべきだった。しかし、おそらくそれが分からなかったのだろう。現場に足を置かない研究者らしい錯誤であって、気の毒といえば気の毒である。

 さて、「管理型」「なれあい型」に対置でき、非常に満足度の高いクラスをつくり上げる教師の姿勢、私はそこにつけるべき名前を知っている。それは「天才型」である。

 正確に言えば「管理型」と「なれあい型」の中間に生徒の満足度の高いクラスが生まれるのだが、なれあってはいけないところでなれあって管理してはいけないところで管理をしようとすると、クラスはあっという間に崩壊してしまう。「管理」と「なれあい」を適切に使い分け、一分の狂いもなく操作のできる教師だけがこの方法に手を出すべきであって、常人は真似すべきではない。だから「天才型」なのである。

 私自身は金八先生にあこがれて「なれあい型」で始めて手痛い火傷を負い、「天才型」にあこがれながらも賢明にこれを避け、「管理型」に入った。だからスーパー・ティーチャー(調教師)にしかなれなかった。スーパー・ティーチャーとしてしてしか、この世界に生き残れなかったのである。

さて、
全般的には「授業がわからない。興味が持てない」が多く、「管理型」ではそれに加えて、「教師が威圧的。特定の子供だけが認められている」「授業や学級生活がワンパターン。判で押した生活で刺激に乏しい」といった不満があった。
 「なれあい型」にみられるストレスには、「子供同士の陰口が多い」「ルールが守られていない」「学級に親しみが感じられない」が並んだ。

いじめと学級状態との関係では、「満足型」の学級でのいじめ発生割合を1とした場合、「管理型」は小学校で2・5倍、中学校で1・6倍。
「なれあい型」では小学校3・6倍、中学は2・1倍で、学級崩壊の兆候が見え始めると、中学では5・1倍に急増した。


 こう並べて見ると分かるのは、この研究が副次的に指導力不足の教員をはっきり定義し、その数を明確に示しているということである。

「管理型」は小学校で24%、中学校では58%、「なれあい型」は小学校で45%、中学校で16%を占める。

 つまり小学校教師の69%(約288000人)、中学校教師の74%(約186000人)が、私も含めて、安倍首相の言う「ダメ教師には辞めていただく」、その人たちなのである。

 数字に現れない高校は別にして、阿部首相の提案が実現した暁には、474000人の巨大な雇用が生まれる。すばらしいことである。








 



2006.12.08

教員採用に「社会人枠」...教育再生会議が提言へ

読売新聞 12月8日]


 安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は8日、都内で合宿審議を行い、教員全体の質の向上のため、「教員採用の社会人枠」を設けるべきだという見解を、1月にまとめる第1次提言に盛り込むことで一致した。

 すでにある特別免許状制度を活用するなどして、専門性が高く、意欲ある社会人の採用を促し、教員の多様化を図る狙いだ。 一般社会人が対象の特別免許状制度は、専門的な知識や経験に着目し、都道府県の教育委員会が検定や第三者による推薦で免許を付与する制度。1989年に始まったが、免許の付与は4月現在で195件にとどまっている。

 再生会議では、特に理科や英語の専門性を持つ教員の増加を狙い、「採用者全体の2割」などの数値目標を設定して特別免許の付与を進めるよう提言する。同日の審議では「目標は2割では足りない。教員の半数程度を民間人から採用すべきだ」という意見も出た。



 政府および教育再生会議の人々が、日本の教育をどんな方向に持って意向としているのか理解できない。もしかしたら小泉前首相が「自民党をぶっ潰す」と言ったように本気で日本の教育を潰すつもりなのかもしれない。
 たしかに再生会議が完全な仕事をしようとすれば、今あるものを完全に潰すことが必要なのかもしれないが・・・。

 さて、特別免許だが、これは
専門的な知識や経験に着目し、都道府県の教育委員会が検定や第三者による推薦で免許を付与する制度であり、授与条件は@学士の学位   A担当する教科の専門的知識・技能   B社会的信望,熱意と識見ということになっている。
 文部科学省のサイトによると、授与事例として、
高等学校:公民(元新聞記者),高等学校:工業(元製鉄会社職員)などが上げられているが、確かに専門性は高く、その分野では普通の教員は敵わないだろう。

しかし別の観点から見ると、
この人たちは以下のような教職科目を履修してこなかった人々である。
教職概論、教育原理、教育心理学、教育制度論、特別活動論、学習指導論、生徒指導論、教育相談・道徳教育法
(*)

中でも教育原理、教育心理学、特別活動論、生徒指導論、教育相談、道徳教育法は、いわゆる「心の教育」の理論・方法・技能に深く関わるもの、というよりその核心である。

 したがって理屈でいえば、
特別免許で教職につく教員を20%確保するということは「心の教育」を2割削る、ということである。それを50%確保するなら、「心の教育」は半減しましょう、ということになる
(実際には「心の教育」は、すべて半数に減った教員免許所有教員の負担になるから「半減」では済まないが・・・)。

 学習内容と時数を減らした現行学習指導要領が発表された時、「これで学力は大丈夫か?」という問いかけに対して、当時の文部省は「大丈夫。内容を減らしたのだから、先生たちがすべての子どもに学力をつけるようにします」と無体なことを言ったので混乱が始まった。

 学習内容と時数を減らせば学力が下がるのは当たり前なのだ。
文部省としては、「児童生徒の生活のゆとりは国民の願いです。学校の時数や学習内容が減った分、各ご家庭で豊かな時間を過ごしたり、個性的な教育を行っていただくのが目的です。もちろんこれだけ減らせば学力は落ちますが、それでよければこの案で行きます。だめなら、ゆとりを減らし学習をきつくしますが、どちらがいいですか?」とそんな聞き方をすればよかったのだ。

今回の場合も、
「専門性の高い教員を20%以上増やし、児童・生徒の学力を高め国際競争力を高めます。そのためにカウンセリングや道徳教育の特別な教育を受けた教員が減りますので、その分心の教育は大いに落ちます。それでよいでしょうか?」と説明しておかなければならない。

そうした説明がないまま制度をスタートさせ、後になって「心の教育はどうした?」「教員の質の低下だ」と叩かれても困るのだ。そんな叩かれ方をしてそれでも意欲を持っているとしたら、教員は人格的にどうかしているとしか思えない。

* 科目名はある大学の教職課程で必修とされているものである。
「教育職員免許法施行規則」では「教職の意義等に関する科目」「教育の基礎理論に関する科目」「教育課程及び指導法に関する科目」「生徒指導、教育相談及び進路指導等に関する科目」「総合演習」「教育実習」という枠で内容を示しているが、科目の名称は各養成機関独自に決めてよいことになっている。したがって大学によって同じ内容が「教育原理」「教育原論」「教職入門」「教育職の研究」などの名前で履修されている。









 



2006.12.12

<教員意識調査>会社員以上に、仕事に満足感と多忙感

毎日新聞 12月12日]


公立小中学校の教員は会社員よりも仕事に満足感を得ていると同時に、多忙感も感じる傾向にあることが11日、文部科学省の調査で分かった。また、教員自身は勤務実績などで給与に差をつけることを否定的にとらえているが、保護者は肯定的ということも分かった。
 文科省は10月、全国354校の公立小中学校教員8976人(回収数8059人)と保護者1万4160人(同6723人)を対象に意識調査を行い、平均点を算出。中央教育審議会の「教職員給与の在り方に関する作業部会」に中間報告した。
 中間報告によると、「仕事にやりがいを感じている」と答えた教員が5点満点で平均4.23点だった。一方、「仕事が忙しすぎて、ほとんど仕事だけの生活になっている」のは3.75点となり、調査会社が所有している会社員のデータと比較すると、教員は会社員よりも満足感と多忙感を同時に感じているという。
 また、「指導力不足教員らに給与などへの反映が必要」と考える教員は3.37点。保護者への同種の質問では4.41点となり、両者のかい離が際立った。【高山純二】



多忙でかつ「やりがいのない」仕事というものはあるかもしれない。しかし暇でかつ「やりがいのある」仕事というものはないだろう。
 教職はやりがいがあるからこそ忙しくなる。空いた時間を片端、その「やりがいのある仕事」に投げ込んでしまうからである。
やりがいのある仕事は、すべて忙しくなる
それだけのことである。

 さて、
「指導力不足教員らに給与などへの反映が必要」と考える教員は3.37点。保護者への同種の質問では4.41点となり、両者のかい離が際立った。

 これは結局「指導力不足教員」というものに対する考え方の差かと思う。


 私たちはたくさんの教員の生きてきた姿を見ている。

 かつて優れた学級経営をしてきた教員が膝を折るように崩れて行くのを見たり、逆に、学級で苦労してきた教員が転勤を契機に再び生き生きと働くようになったりするのを見てきた。

 新卒で死ぬほどの苦労をした教員が結局優れた教員に成長したり、一度崩れたきりもう二度と立ち上がれなかったり・・・。
 あるいは、あのクラスの担任は誰がやってもうまく行かないという場合があり、逆に、どうしてあんな楽なクラスができたのか首をかしげるような場合もある。
 しかし保護者にとって、我が子の担任は一回きりなのだ。

 その教員が将来立派な先生になろうがどうが、保護者にとってはまったく関係がない。
今のウチの子の成長を保障しない教員が指導力不足なのである。過去の業績も関係ないし、クラスにとんでもない子が一人いるから学級がうまく行かないというのも、「私と私の子」にとってはどうでもいいことである(これは皮肉ではない、そう考えるのが当然である)。

 教員は常に崖っぷちに立っている。
 明日、学級が崩壊して授業ができなくなるかもしれない、転勤を契機にとんでもない世界に入ってしまうかもしれない、めぐり合わせ悪く数人の生徒やその保護者と決定的に対立してしまうかも知れない。

それらは必ずしも教員の能力のせいではなく、単なる偶然なのだ

 いつか自分もそういう目に合うかもしれない・・・そうした状況にありながら、「指導力不足教員らに給与などへの反映が必要」と答えるとしたら、それは相当にお人よしの教員か、身のほど知らずの自信家である。








 



2006.12.12

道内の教職員:病気で長期休職、6割が「精神性疾患」

毎日新聞 12月12日]


 札幌市を除く公立の小・中学と道立の高校、養護学校などで、05年度に病気で90日以上休職した教職員のうち、精神性疾患によるものが59・7%に上ることが分かった。この割合は95年度27・1%、99年度42・0%、02年度51・8%と年々増加。専門家は「まず多忙さがある。さらに子どもたちが荒れ、保護者、同僚、管理職との関係悪化などがあり、複合的なものが要因」と指摘する。
 11日の道議会予算特別委員会で荒島仁道議(公明党)の質問に対し、道教委が明らかにした。
 道教委教職員課によると、05年度に病気で休職した教職員は211人。このうち精神性疾患は126人に上った。95年度は42人だった精神性疾患患者は、99年度には84人となり、02年度は120人。02年度以降、休職者数は微減したが、精神性疾患患者は増えている。
 同課は「社会の変化や保護者からの期待が高まる一方で、多くの業務を抱えてストレスを感じている」と話す。道教委では昨年度、教職員のメンタルヘルス計画を策定。啓発冊子の配布やセミナー開催のほか、「心の健康相談室」を札幌市内に設置。教職員や家族が気軽に相談できるよう専門スタッフを配置した。
 市民団体「教師を支える会」代表の諸富祥彦・明大教授(教育カウンセリング)は「書類作成の雑務など無意味な多忙さをまずやめること。保護者と管理職が現場の教職員を応援する形で環境を改善し、同僚や管理職に弱音が吐ける環境を作る方が急務だ」と指摘している。【内藤陽】



「書類作成の雑務など無意味な多忙さをまずやめること。

 やめられますか?
保護者と管理職が現場の教職員を応援する形で環境を改善し
 保護者はそんなに優しいですか?
 みんながみんな優しかったら、そもそもこんなことにはならないのではないですか?
同僚や管理職に弱音が吐ける環境を作る方が急務だ
 弱音を吐けば仕事は減るのでしょうか?

 時折「教員はこれ以上抱え込まず、もうダメだと叫ばなくてはいけない」と言ったりする御仁がある。
 しかしどこでどう叫べばよいのか私たちには分からないのだ。
 職員室で叫んでいても何も変わらない。
 
組合は組織率3割を割り込み、新卒の加入率は2割を切ってしまった。それでもないよりはマシと、ここを通して叫べば「日教組のバカヤロウ」で誰も相手にしてくれない。

 そして最後に思いつく。
 上に引用したような内容がもっともっと多く記事にならなければならないのだ。
 
精神疾患による現職教員の休職がもっと増えなければならない。病気による死亡率がもっと高くならなければならない。そして教員の自殺者がもっともっと増えれば、教職の困難はようやく世に知られるようになるだろう。
 その為にも、もっと死を! ということだ。








 



2006.12.14

ネットで集団中傷され、中3男子が転校 宮城県警が捜査

朝日新聞 12月13日]


 仙台市の中学3年の男子生徒(15)が10月、インターネットの掲示板に名指しで「死ね」などと多数の書き込みをされたことで不登校になり、別の学校に転校していたことが13日分かった。投稿した側は匿名だったが複数の在校生が書いたとみられ、学校側も「いじめがあった」と認めている。
 男子生徒が通っていた中学校や仙台市教育委員会の説明によると、9月28日から10月13日にかけ、男子生徒の氏名やイニシャルを記し、「死ね」「きもい」「ウザイ」「この世から消えろ」などと中傷する内容が書き込まれた。
 さらに、5人の男子生徒から、自分たちのうち2人への中傷を掲示板に書き込んだのではないかと言いがかりをつけられ、1人に顔を殴られた。男子生徒はその後、不登校になった。
 学校側は記者会見で「やれることはやったつもりだが、学校生活を続けられるような状況を用意できなかったことが残念だ」と話した。
 また、学校側によると、被害を受けた男子生徒が他の生徒に対して「お前が書き込んだのではないか」と指摘した際、教諭が「根拠がないのにそういうことを言うべきではない」と指導。男子生徒の父親は学校に「中傷を受けたことに加え、自分が被害を受けているのにそういった対応をされたことが重なっている」と話していたという。
 仙台市教委によると、3年生のうち1人は中傷する書き込みを認めているという。男子生徒の家族から被害届を受けた仙台南署は、在校生から事情を聴くなどして侮辱罪の容疑で捜査している。




「根拠がないのにそういうことを言うべきではない」

根拠なし他人を誹謗してはならないというのは、かつては常識だった。しかし今や常識を語ることが子どもを追い詰めることになる時代だ。


不登校になった方が
「お前が書き込んだのではないか」言えば「指摘」で、
そうでない側が、
自分たちのうち2人への中傷を掲示板に書き込んだのではないか
と言えば
「言いがかり」だという不思議。それこそ言いがかりのような気がするが、まあしかし、根拠がないことでは同じでも、他に事情があったのかもしれない。

いずれにしろ、家庭におけるインターネットのやり取りにまで学校が責任を負う時代がやってきたことは間違いないようだ。
かつての親は生んで育てることに責任を持ったが、今は生むだけでこと足りるたいへんな時代だ。








 



2006.12.15

いじめ・人間関係...孤独な子供 相談1万1200件
■電話口から心の叫び


産経新聞 12月15日]


 いじめ自殺などが相次ぐなか、子供の電話相談「チャイルドライン」が11月6日から1カ月間行った集中相談で27都府県から9万件を超えるアクセスがあったことが分かった。NPO法人「チャイルドライン支援センター」(東京都港区)によると、相談内容を十分に把握できた約4000件のうち、いじめやいじめにつながる人間関係についての相談は1200件超。「死にたい」という言葉をすぐに使う子供も目立った。同センターでは「電話をしてくる子供は周りに相談する相手がいない」と分析、子供の話に耳を傾ける重要性を訴えている。

 同センターによると、無言電話などを除き、実際に相談を受けたのは1万1203件。このうち相談内容が把握できた4068件を分析すると、「いじめ」についての相談は、小学校高学年から中学生にかけて多く、男女別では女子からの相談は44%が「いじめ」や「人間関係」についてだった。「いじめ」関係以外では「性」(678件)や「恋愛・異性関係」(333件)、「心の不安」(193件)など。

 今回の電話相談で多かったのが「死にたい」という言葉をすぐ使う子供だった。自殺や自傷の相談は47件あった。小学校からいじめられていたという女子中学生は「『死ね』といわれるから死んでもいいかと思う。心で受ける傷よりリストカットは痛くない」と電話をしてきた。

 これまでには「給食をこぼしたら『死ね』といわれた。クラスのみんなが『死ね』と言い出した」(中学生)という相談もあった。「死ね」「ばい菌」「くさい」などの中傷に対する悩みが最近の典型という。

 同センターでは、相次ぐ自殺報道などの影響もあり、語彙(ごい)が少ない子供らは「つらさや苦しさを『死にたい』という言葉でしか表現できない傾向にある」と分析。「言葉に振り回されず、言葉の裏にある"思い"に寄り添うことが大切」と訴える。

 また、最近のいじめの傾向として、(1)集団で1人をいじめる(2)無視をするなど陰湿(3)いじめを受ける期間が長い−ことを上げる。携帯電話のメールで誹謗(ひぼう)中傷や無視を呼び掛けるなど陰湿ないじめも多い。

 同センターでは「電話をかけるだけでも勇気がいる。最初は何も話さなくても10分くらい待つと声が聞こえてくることもある」と"無言のメッセージ"にも気を配っている。




 言葉には魔力がある。しばしば言ったことがそのまま実現する。
 ちなみに、どうでもいい異性の名を口にし、毎日その人が好きだと100回ぐらいずつ呟いてみるといい。1ヶ月もしないうちに本当にその人が好きになっているか、少なくとも好感を持つようになっている。
 同じように
「死」も繰り返し口にしているうちに、死神は向こうから近づいてくる。

 語彙(ごい)が少ない子供らは「つらさや苦しさを『死にたい』という言葉でしか表現できない傾向にある

 この感じは分かる。

 例えば怒りを表す言葉は、
「気に障る」「癇に障る」「癪に障る」「苛立つ」「腹が立つ」「頭にくる」「いかる」「おこる」「憤る」「息巻く」「憤慨する」「激怒する」「激昂する」・・・
など、ニュアンスと度合いによって無数にある。それらの言葉の違いは重複的であって、いわばアナログ的に広がり高まるものなのだ。

 ところが子どもたちのそれは、基本的に二つしかない。「むかつく」と「キレる」だけである。デジタル的に、「平穏」か、「ムカつく」レベルか、「キレる」段階かの三つしかない。

 したがって、他人の何らかの言動によって怒りが発生するといきなり「ムカつく」レベルにヒートアップし、あるいは一気に「キレる」段階に行って取り返しがつかなくなってしまうのである。そう説明できる。


しかし、本当にそうなのだろうか?
語彙が少ないから感情のバリエーションと変化の度合いが貧しいのか? それは文学に親しみ国語を繰り返し学習することによって語彙を獲得し、その結果解消していくはずのものなのだろうか?


 私にはなんだかそうは思えない。
 私が考えているのは、
子どもに乏しいのは語彙ではなく、そのアナログ的で豊かに深く広い感情そのものではないかという仮説である。

 感情はどのように育ってくるのか?
 言うまでもなくそれは人間関係の中から出てくる。怒りについて言えばさまざまな場面で不快を感じながら多くの人々との関係性の中で、これはこの程度の怒りでいい、ここはここまで怒りを開放していい、と一つひとつ学んでくるものである。つまらないことで怒ってしかられたり無視されたり、怒るべきところで怒らずに何かを失ったり・・・そうした経験の上に豊かな感情は生まれてくるに違いない。

 映画「Always 三丁目の夕日」の中のような風景の中で私は育ってきた。隣のおじさんはうるさく、向かいのおばあちゃんは優しかった。近所には常に7〜8人の子どもが、年代を越えて集まり、遊んでいた。好き嫌いに関係なく、否が応にも彼らと暮らしていくしかなかった。


今の子どもはいったい何人の人々とふれあい、そだってくるのだろう?








 



2006.12.17

公立教員、病気休職7017人
精神疾患も過去最高


朝日新聞 12月16日]


 昨年度中に、病気で仕事に支障が出たりして休職処分を受けた公立学校の教員は7017人で、12年連続で過去最高を更新したことが15日、文部科学省のまとめでわかった。このうち6割にあたる4178人は、うつ病やストレスによる神経症などの精神疾患と診断されており、この数値も過去最多になった。文科省は「教員を取り巻く環境が厳しくなっている」とみている。
 文科省によると、病気休職者は93年度の3364人から年々増え続け、昨年度は2倍以上になった。このうちの精神疾患も92年度の1111人から増え続けており、4倍近くとなった。
 文科省は理由について、「分析はしていないが、上司、同僚との人間関係や、保護者らとの対応など職場を取り巻く環境が厳しくなっている」としている。
 文科省はほかに、懲戒などの処分を受けた教員についてもまとめた。それによると、総数は4086人で、前年度より10%増えた。
 内訳では、交通事故関連が過去最高の2406人。うち酒酔いまたは酒気帯び運転による懲戒は119人で、28%増となった。また、各教委とも厳罰化を打ち出しており、処分はすべて減給以上だった。
 このほか、体罰での処分は6%増の447人。最も重かったのは停職で、児童・生徒を殴ったり蹴(け)ったりして、鼓膜損傷や骨折などを負わせるケースがあった。
 また、児童買春やセクハラなどのわいせつ行為は15%減って142人。全体の半数は勤務先の児童・生徒・卒業生に対するものだった。


分限処分というのは、
一般職の公務員で勤務実績が良くない場合や、心身の故障のためにその職務の遂行に支障があるなどしてその職に必要な適格性を欠く場合、その職員の意に反して行われる処分のことである。「身分保証の限界」という意味で分限処分という。
処分といっても、職場内の規律保持のために行われる懲戒処分とは異なり、懲罰的な意味はなく、したがって免職となった場合も退職手当は支給される。
これを使って指導力不足教員を排除しようという動きもあるが、現在、実際に行われるのは、ほとんどが疾病による休職か免職である(自ら申し出て職を休むいわゆる依願休職という制度はない)。

一般に、心身の病気で職を休む場合は、療養休暇(基本的にはひとつの疾病に対して90日)を利用するが、それでも職場復帰できない場合は休職処分、さらに回復の見込みのない場合は免職処分となる。
昨年度の場合、記事にある休職処分以外に、免職が17人、降格が3人いる。

 
さて、
昨年度中に、病気で仕事に支障が出たりして休職処分を受けた公立学校の教員は7017人

このうち6割にあたる4178人は、うつ病やストレスによる神経症などの精神疾患と診断されており、この数値も過去最多になった。

それは間違いないが、それ以外に、

現在療養休暇をとっている教員、五月雨出勤をしながら何とか学校に来ている教員、また、投薬治療でなんとか休まずにがんばっている教員は、この中に含まれていない。

昨年の同じ時期、精神疾患による休職処分者は3559人。今年は619人も増えた。その疾病全体に対する割合は昨年56.4%だった。今年はそれが59%である。

現在療休の教員たちが、来年この数値をまた押し上げるはずである。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2005/kieth0512b.htm#i6








 



2006.12.18

「ゆとり」原因 学力不足深刻 大学の2割で補習

朝日新聞 12月18日]


 高校の必修科目で履修漏れが次々と発覚したことについて、高校生を受け入れる大学側はどう感じているのか。関係者に尋ねたところ、学生の知識水準の低さへの危機感は強く、履修漏れ問題の前に「小・中学校を含む『ゆとり教育』」をやり玉にあげる声が相次いだ。国公私立合わせて大学全体の2割にあたる159校が、高校レベルの知識を補うために補習をしている。
■「せめて必修は学んで」
 取材で聞いた学力不足の例は表の通り。教授らが実際に体験したことばかりだ。
 「学生の知識不足は、ゆとり教育が本格導入された約20年前に始まった」。東北大学の荒井克弘副学長は言う。「能力が低下したのではなく、小中高での学習範囲が狭まったせいだ。大学の授業にうまく接続できず、困っている」
 「小学校で教えるべきことが中学校に回され、中学校で教えるべきことが高校に回されている。週5日制という限られた時間の中で、高校の先生は(科目の)選択と集中をせざるを得なかったのではないか」。こう同情するのは東京農工大の佐藤勝昭副学長だ。
 こうした高校までの事情に、大学側の都合が重なる。入試科目を絞って受験の負担を軽くし、特色を出して学生を集めようとする取り組みが私立大を中心に急速に広がった。推薦入試やAO(アドミッション・オフィス)入試など一般入試以外での入学者は、私立では全体の49%(06年度)に達する。数学の一部を学んでいない経済学部生、物理を履修していない理学部生が珍しくない。
 大阪大は来年度から、高校の教科書を使って、「市民のための」と名づけた世界史の授業を始める。正規の科目として単位も認められる。学内で案が出たのは今年9月で、履修漏れ問題が明らかになる前のことだ。
 琉球大の理系学部は数学と物理、化学について、通常の授業のほかに高校レベルを含む入門クラスを用意。私立の関東学院大の工学部は、数学などの基礎科目を重視したカリキュラムをつくり、「学生支援室」も置いた。「補習の時間は設けていなくても、日々の授業で高校の学習内容を補わざるを得ない」との声も多い。
 「ゆとり教育が本当に意義のあることか、見直す必要がある」(長崎大)、「記述式の問題を増やすなど、幅広い知識がないと乗り切れない入試にすべきだ」(京都大)といった声があふれる。教員養成系の大学・学部では、「先生の卵が知識不足では学力低下が拡大する」(埼玉大の渋谷治美・教育学部長)と切実だ。
 履修漏れについては、「ゆとり教育から派生した問題」とのとらえ方が一般的だ。「せめて必修の科目はもれなく学んでほしい」(京都大)、「国立大は入試の5教科7科目を守るべきだ」(埼玉大)との声もあるが、「現実」をにらんだ要望も目立つ。
 多いのは、必修科目の見直しを求める意見だ。「芸術は外せ」「日本史を加えるべきだ」など様々な取捨選択案のほか、理科基礎と理科総合A、理科総合Bなどと細かく分かれた科目の統合を求める声もある。東北大の荒井副学長は「小中の延長として高校教育を考えがちだが、社会で働くには、大学で学ぶには、といった逆からの発想も取り入れて見直す必要がある」と提唱する。
 また、授業の時間数やカリキュラムについても、「週5日制を見直し、せめて月2回ぐらい土曜授業を復活させては」(京都大)、「5日制を変えられないなら、各教科に充てる時間を柔軟にするなど学習指導要領を弾力化してはどうか」(東京学芸大)といった意見が出ている。
■「なぜ必要か」学生に示せ
 大学の授業が理解できる学力をつけさせようと昨春発足した日本リメディアル教育学会の小野博会長の話
 学力不足の学生が多数在籍する悩みと無縁な大学はわずかだろう。同じ大学の同じ学部でも、学生間で学力に大きな差が出てきたのが現状だ。AO入試など入り口が多様化した結果、履修漏れと同じ発想で「入試に必要ないから勉強しなかった」という学生が目立つ。少子化の影響で、以前なら大学に入れなかった学力の層が入学していることも否定できない。
 ただ、そうした学生を「切り捨て」ては大学運営は成り立たない。入学させた以上、リメディアル(補習)教育は大学の使命でもある。取り組む大学は年々増えているが、補習を必要としない優秀な学生だけが熱心に聴いていたり、中高の6年分を1年で済ませたりする大学では成果が出ていない。「なぜ必要か」を学生に示しながら丁寧に教えるべきだ。
●大学教授らが直面した学力不足の例
〈歴史〉
・第1次、第2次世界大戦の時期がわからない
・坂本龍馬やゲーテを知らない
・ユーロを知らず、EC(欧州共同体)とEU(欧州連合)の区別もつかない
〈地理〉
・ベトナムやコロンビアの場所がわからない
〈数学〉
・分数の足し算の仕方(通分)を忘れている
〈英語〉
・「三単現(三人称単数現在形)のs」を頻繁につけ忘れる
・英検3級がとれない
〈国語〉
語彙(ごい)力が中学生以下で論文を読めない



 教育はあらゆる場面で語られる万民共通の話題である。上は政府の教育再生会議、大学の教育学研究から、下は近所のおじさんおばさんの四方山話まで、様々なレベルがあるが、その影響力は同じではない。
 教育再生会議や大学の研究者、マスコミの担当者たちは自らの影響力を鑑み、それにふさわしい分析や提案をしてほしいものである。

 さて、
・第1次、第2次世界大戦の時期がわからない
・坂本龍馬やゲーテを知らない
・分数の足し算の仕方(通分)を忘れている
・語彙(ごい)力が中学生以下で論文を読めない

 そういう学生はいるにしても、本当に学力が落ちたかどうかは、大いに検証の必要なところだろう。

 さらに、
学力が落ちたとしても、その原因がゆとり教育かどうかは、これも改めて検証する必要がある。

 私自身は、学力の低下には賛成できるものの、それを「ゆとり教育」のせいにするのは間違いだと思う。「ゆとり教育」は学力低下の原因ではなく、結果だからだ。

 そもそも「七五三」(学校の学習を分かっている子が、小学生で7割、中学生で5割、高校では3割しかいない)といわれるほど惨憺たる学習状況があり、それを解消しようとしたのが「ゆとり教育」だった。学習内容を減らし、不必要なものをなくす代わりに基礎基本はしっかり学習させようというのが、そのねらいだったはずだ。
 私は基本的にそのねらいは達成されたと思っている。「落ちこぼれ」という言葉が私語になり、世の中が「学力低下」「学力低下」と叫ぶ割には、子どもたちは困っていないからである。

「第一次、第2次世界大戦の時期がわからない」からといって何ほどことか、「坂本龍馬やゲーテ」を知らなくてもまったく困らない。「分数の足し算の仕方(通分)」を平気で忘れていられるのは、結局それが生活の場で必要ないから忘れられるのである。

 子どもたちの学力が低下して困るのは結局国家なのであって、全体のレベルが下がってくれるなら、自分が下がってもまったく問題はない。

 かつて教育は天下国家のためのものであった。しかし戦後長い時間をかけて、私たちは教育を個人消費の問題にしてしまった。そのツケがきているだけのことなのだ。
 教育が個人消費なら、消費者は必要なものしか買わない。それは至極当然なことだ。

 教育は死んだ。私たちが殺してしまったのだ。








 



2006.12.19

教員給与減、1年遅らせ08年度から 「教育再生」配慮

朝日新聞 12月18日]


 伊吹文部科学相と尾身財務相は18日、一般の公務員より優遇されている教員給与の一部削減について、08年度から実施することを決めた。財務省は07年度からの実施を主張していたが、安倍内閣が「教育再生」を最重要課題として掲げたことを踏まえ、1年遅らせた。この日あった来年度の予算編成に関する両大臣の事前協議で決まった。
 教員給与の優遇については74年施行の人材確保法で定められていたが、政府・与党は今年6月、優遇分のうち2.76%を削除することで合意。ただし、「骨太2006」では実施時期が明記されていなかった。
 伊吹文科相は会見で、「政府も変わった。教育再生のために立派な教師を確保しないといけない」と説明。教員免許更新制の導入などを念頭に「ムチみたいなことばかりでは、いい教師は集まらない」と述べた。


教育再生のために立派な教師を確保しないといけない

だったら給与を大幅に引き上げる、というものではないか? 
私の言っていることが常識でないとすると、私には世界が分からなくなる。

ムチみたいなことばかりでは、いい教師は集まらない
ムチみたいなことばかりでは、いい教師どころか普通の教師も集まらない、そういうものではないか?
私の言っていることが常識でないとすると、私には世界が分からなくなる。

いったい政府は真面目に教育のことを考えようとしているのだろうか?








 



2006.12.19

教員採用試験:7年ぶりに受験者数減少

毎日新聞 12月18日]


 06年度の公立学校教員採用試験の受験者数が00年度以来7年ぶりに減少したことが18日、文部科学省の調査で分かった。採用者数は01年度から増えており、競争倍率は前年度比0.4ポイント減の7.2倍となり、過去10年間で最低だった。都道府県別では、千葉県が3.9倍、政令指定都市では大阪市が2.9倍で最も低い倍率だった。
 受験者数は前年度比2950人減(1.8%減)の16万1443人で、採用者数は同931人増(4.3%増)の2万2537人だった。競争倍率は過去10年間で最も高倍率だった00年度の13.3倍に比べ、6.1ポイント減少。特に小学校は4.2倍で、00年度の12.5倍から大幅に減少した。
 受験者数と倍率の低下について、文科省は「民間の景気がよくなってきており、民間へ流れたのではないか。また、団塊世代の大量退職のため、都市部を中心に採用者数が増加していることも倍率低下の原因ではないか」と話している。
 各都道府県別の倍率は低い順に、千葉県3.9倍、東京都4.5倍、神奈川県5.0倍で、高倍率は、高知県31.1倍、愛媛県19.5倍、香川県17.9倍で、都市部と地方での差が大きくなっている。【高山純二】



 競争率が13倍もある必要はないが、2倍を切ると苦しくなる。どんな試験も冷やかし半分の受験生が半分くらいはいるものだ。競争率が2倍以下になると、一応真面目に受けている者全員が合格してしまう。
 質も何もあったものではない。

 今や東大生の間にも官僚離れが進行しているという。
 高校生の話を聞けば、「公務員? あんなたいへんな仕事、何が悲しくてやらにゃならんの?」ということである。

 もう20年以上に渡って学校は叩かれてきた。
教員であることに誇りの持てない時代がずっと続いてきたが、それでも平成不況がかろうじて人材を教職にとどめてくれた。

 しかし、それももうすぐ終わる。
 加えて今後都会では大量の退職が始まる。

 教員の質など言っていられない時代が、目の前に来ているのかもしれないのだ。









 



2006.12.21

教育再生会議:社会人、教員に積極登用…1月の第1次報告

毎日新聞 12月21日]


 政府の教育再生会議が来年1月の第1次(中間)報告で、社会人の教員への中途採用や、企業人による課外授業への組織的な参加など、教育現場での社会人の登用・活用を打ち出すことが20日分かった。多様な人材の参画で教員の質の向上を図り、地域や企業も子育ての責任を分担する体制作りを目指す。
 21日の全体会議で正式に協議するほか、「社会総がかりで教育再生を」と名づけた素案に盛り込んだ。
 全国の国公私立の小中学校の教員は3月末で約56万4500人。団塊ジュニア(71〜74年生まれ)の人口増に合わせた採用で、年齢層は50歳前後に偏っている。2013年度以降に毎年2万人台の大量退職が控えており、社会人の中途採用で年齢構成の適正化を図る。
 また、社会人には「会社人間から社会人間への脱皮」を提唱。経営者にも、育児や教育に活用できる有給休暇制度の充実を促し、社会人が学校教育に参加しやすい環境の整備を図る。来年4月に行う全国学力テストを機に、教員OBや学生ボランティア、地域住民にも、補習授業などの学校活動に協力を求める考えを打ち出す。【平元英治】



2013年度以降に毎年2万人台の大量退職が控えており、社会人の中途採用で年齢構成の適正化を図る。

結局この問題なのだ。
 大量退職の穴埋めを新卒だけで行えば、また年齢構成のアンバランスが生まれる。そこで中途採用で年齢構成をそろえるという、いわば数合わせなのである。

 多様な人材の参画で教員の質の向上を図り
 社会総がかりで教育再生を
 会社人間から社会人間への脱皮


 そんな言い方をせず、
「スマン、うまく行かなかった。このままだと10年後は、40歳前の校長までつくらなければならなくなる。それではとても不安なのだ。外部から教育のド素人を大量に入れるがよろしく頼む。素人であっても社会で活躍し、教育に情熱を持った人間を政府は責任をもって選ぶ。だから忍んでくれ」
そう素直に言ってくれればわれわれも何とかするのに・・・。

 2005年の夏、郵政選挙と呼ばれた総選挙で自民党が大勝したのは、一も二もなく当時の小泉首相が「国民に聞いてみたい」と問うたからだ。それが演技だった真実だったかは分からない。しかし国民の多くが真剣に問いかけられたと信じたから、真剣に(小泉寄りに)答えた。繰り返すが、それが演技や策略だったとしても、話の持って行きかたとしては誠実だったということだ。

 お前らがダメだから日本の教育はダメになった。もうお前らには任せられない。社会が総がかりで助けてやるからありがたく思え。
これでは、素直になれるものもなれなくなる。


個人的には、
会社人間から社会人間への脱皮をするなら、まず家に帰って自分の子を何とかしてもらいたいと思うのだが・・・。








 



2006.12.25

「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調

毎日新聞 12月23日]


 政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞受賞者)が8日に開かれた「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)で、「塾の禁止」を繰り返し主張していることが、同会議のホームページに掲載された議事要旨でわかった。しかし、再生会議が21日にまとめた第1次報告の原案には「塾の禁止」は盛り込まれていない。
 議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。
 JR東海会長の葛西敬之氏は「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」と反論したものの、事務局側は「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」と同調、国際教養大学長の中嶋嶺雄氏も「野依座長のおっしゃったように塾禁止ぐらいの大きな提言をやらないと」と野依氏に賛同するなどひとしきりの盛り上がりを見せた。



 本当に分かっていないんだ・・・。



昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。

昔できたことが今できないのには理由がある。昔と今とでは様々なことが違うからだ。
塾の禁止もいいが、だったら
昔なかったが今はあるものについて禁止し、
昔はあったが今ないもについても復活してほしい。

[日本の子どもの学力を上げるために禁止してほしいもの]
・テレビ  ・テレビゲーム  ・パーソナルコンピュータ  ・インターネット
・携帯電話   ・各種子ども向け週刊誌  ・多すぎる玩具   
・ すぐ好きな友達のところへ行ってしまうための自転車   
・ 遊びのための保護者の送迎   

[日本の子どもの学力を上げるために復活してほしいもの]
・ お手伝いの習慣(特に、体がボロボロになるほどの農業体験)  
・ 鬱陶しいほどの近所づきあい   ・地域子ども社会 
・ 地域に集う大量の子ども   
・ 教師のいうことは多少間違っていても聞く、というほどの権威。
・ できれば教師以外に、大学卒業がほとんどいない学区づくり
・ 村長(市長)と警察署長と校長の給与が同じ、というほどの校長の権威。
・ その他

 これだけそろえてもらえば、昔できたことが今もできるはずである。








 



2006.12.27

学生さん、千葉で先生にならないか
大学に推薦依頼


朝日新聞 12月26日]


全国の優秀な学生に千葉県内の先生になってもらおうと、千葉県教委と千葉市教委は08年度の採用試験から、小学校教諭一種免許を取得できる全国95大学に、学生を推薦してもらう方針を決めた。

 県・市教委は07年4月にも、各大学に推薦を依頼する。人間性豊かで教育愛と使命感に満ち、児童の悩みや思いを受け止め支援できる――など県内で求める教諭像を各大学に示す。

 推薦依頼人数は各大学1人。推薦者が県・市教委の採用試験を受ける場合、1次選考は小論文だけで、専門教科や一般・教職教養、専門教科の筆記試験を免除する。

 一方、県・市教委は07年度から、県内で公立小学校の先生を目指している大学3、4年生と大学院生を対象に、現場で実践研修する「教職インターンシップ制度」も始める方針だ。

 実際の授業や学校行事、生徒指導・教育相談、部活動などを30日以上研修してもらう制度で、学生のうちから実践力を身につけてもらうと同時に、教諭の適性を早めに自覚させる意図もあるという。

 県内の小学校教諭の志願倍率は近年、下がる傾向にある。99年度に29.1倍だった採用試験の倍率は、07年度は約2.9倍だった。



学生さん、千葉で先生にならないか
給与は下がるよ、試用期間も3年に延びるよ、免許の更新制も始まるよ。
重労働は変わりないよ、親や世間から責められるよ、
がんばっても誉められることはないよ
学生さん、千葉で先生にならないか

しかしわずか8年間で29倍の競争率が2.9倍とは・・・

これで給与の引き下げやら免許の更新制やらを実施して、それでも教員の質を上げ得ると・・・
政府はどんな秘策を隠しているのだろうか?








 



2006.12.30

いじめ最大の要因 学校の責任指摘
筑前・中2自殺最終報告


西日本新聞 12月29日]


 福岡県筑前町の三輪中2年の男子生徒=当時(13)=が自殺した問題で、町教委が設置した調査委員会(委員長・高田清福岡教育大教授)は28日、最終報告をまとめ、生徒が自殺にいたった精神的苦痛の最大要因が「長期に蓄積したからかいや冷やかしなどいじめに相当するものだった」と結論づけた。さらに、長期間のいじめに気付かなかった学校側の責任は重いとした内容を盛り込み、柿原紀也町教育委員長に手渡した。

 最終報告では、12日に行った中間報告とその後の調査も踏まえ内容を精査。その結果、自殺した生徒は中学入学時から複数の生徒から「からかい」や「冷やかし」を受け、それが蓄積した結果「非常に強い精神的苦痛を受けていた」と分析。そうしたからかいや冷やかしは「いじめに相当する」と判断した上で、「自殺にいたる精神的苦痛の最大要因の1つと推測される」と指摘した。

 同調査委は中間報告で(1)中学入学時から断続的に「うざい」「死ね」「うそつき」などの言葉を複数の生徒から投げかけられていた(2)自殺当日にズボンを脱がされそうになる「屈辱的な行為」を受けた‐などの事実を認定。それらを「いじめに類する行為」という表現にとどめていたが「意味が十分に伝わらない」と判断。一連の言動を総じて「いじめ」と認めた。

 報告では自殺を防げなかった要因として生徒や学校、教育委員会の問題点を分析。「死にたい」という生徒の発言を「冗談」としてしかとらえなかった周囲の生徒を「生と死のイメージが希薄であり、死の問題を軽くとらえていた」とした。その上で適切な対応が求められる学校や町教委の責任を指弾し、1年時の学級担任については「不適切な言動」が「からかいにつながる要因となった」と批判。2年時の学級担任を含めその他教師も「深刻な状況を把握できてなかった」。管理職は町教委によるいじめの定例調査で「ゼロ報告」したことなどをあげ、学校全体として「いじめに対する注意が希薄だった」と批判した。

 その上で再発防止への提言として「学校が子ども同士のトラブルを話し合いで解決できるよう指導すること」‐などの必要性を訴えた。

■「見えぬいじめ」を直視

 【解説】なぜ男子生徒は命を絶たねばならなかったのか‐。福岡県筑前町の調査委員会が最終報告で、事件の背景に同級生らによる否定し難い「いじめ」があったことを認めたのは、生徒が残した遺書以外に"物証"が乏しいなか、より被害者の立場に立った結果だ。それが、いじめと死との因果関係も「可能性がある」としていた中間報告(12日)から「大きな要因の1つとなった」と関連を認める踏み込んだ判断につながった。

 調査委は校長ら関係教師、遺族から聞き取りをし、2年生全生徒や全教職員にアンケートを実施した。しかし、「犯人捜しと受け取られ、逆に生徒を追い詰める恐れがある」として、実際を知る生徒からの聞き取りは控えた。そうした限界のなかで、最優先課題としていた「真相究明」に向けた努力は評価したい。

 最終報告が因果関係に言及した意味は、小さくない。三輪中では、自殺した生徒は入学当初から長期間、いじめられていた。だが、学校としてのいじめ対策は不十分で、教職員はそのことに気づいていなかった。調査委のこうした指摘は、いじめ自殺を防げなかった学校側の責任をあらためて問うことになる。

 近年、いじめはますます見えにくくなったといわれる。今回も教師側が気づかなかっただけでなく、からかいや冷やかしを続けた加害者側も、その周りの生徒もいじめと認識していなかった、と最終報告は分析する。「見えないいじめ」のもう1つの現実だろう。

 いじめにどう対処すべきか。現場教師ら教育関係者はもちろん、保護者や地域にも投げ掛けられた重たい課題だ。(社会部・吉良治、朝倉支局・吉田修平)

■福岡県筑前町・中2自殺

 10月11日、福岡県筑前町立三輪中2年の男子生徒=当時(13)=が「いじめられて、もういきていけない」などと書いた4通の遺書を残し、自宅倉庫で首をつって自殺した。その後、生徒が1年の時から「死ね」「うざい」「消えろ」などと同級生らにののしられたり、自殺当日にズボンを脱がされそうになったりする「いじめ」を受けていたことが判明。さらに1年時の担任が生徒の母親から受けた相談内容を教室で暴露するなど、いじめを誘発する言動をしたことも発覚した。事件を受け、政府の教育再生会議のメンバーなどが現地を視察。町教委は11月に第三者機関の調査委員会を設置し、原因究明を続けてきた。

■学校再生に役立てる 柿原紀也・筑前町教育委員長の話

 この報告を真摯(しんし)に受け止め、学校再生に役立てていきたい。



 落ち着かせ方としてはこのあたりか。
「いじめ」があったことを認めたのは、(中略)より被害者の立場に立った結果だ。それが、いじめと死との因果関係も「可能性がある」としていた中間報告(12日)から「大きな要因の1つとなった」と関連を認める踏み込んだ判断につながった。

 要するに調査の結果何かの新しい事実がわかったわけではない、何かが解明されたわけでもない。
立場を被害者よりに移したので、判断が変わったという意味である。しかし誰もそこまで吟味してものを言う人はいまい。権力が非を認めるのは楽しいことだ。それ以上のことはどうでもいい。これで筑前事件にも幕が下ろされる。

 筑前町調査委が偉かったのは、
「犯人捜しと受け取られ、逆に生徒を追い詰める恐れがある」として、実際を知る生徒からの聞き取りは控えた。
点である。これによって誰がいじめたのかは、本人にもわからなくなった。人殺しの十字架を背負って生涯を過ごす子どもは、これでいなくなった。(これと対照的なのは岐阜県の瑞浪市の事件である。こちらは早い段階から犯人が特定されてしまった。バスケ部の4人が被害者少女を殺したのだ。人殺しの重荷はこの4人が生涯背負っていく。)

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 さて、ここからは一般論。
 こうした事件のたびに引き合いに出される
二つのいじめ自殺事件(20年前の鹿川君の事件、12年前の大河内君の事件)は、なぜあのようなすさまじいいじめが可能だったかという点が最大の謎だった。

 鹿川くんの「葬式ごっこ」に参加したのは、孤立した女子の小グループを除くクラスの全員そして他のクラスの数人。自殺の直前にはさまざまな生徒から繰り返し暴力を受けている。
 大河内君の場合は、同一グループからのリンチであったが、川で何度も溺れさせられるなど暴力は執拗を極めた。しかも金を取られ続け(遺書によると100万円以上)、最終的に金の工面ができなくなったことが、自殺の直接の原因となった。

 繰り返すが、
20年前、12年前の事件の際に問題となったのは、まだ子どもである加害者たちになぜこんな残酷なことができたのかということであり、これだけひどい目にあえばやはり自殺せざるを得ないなという点では誰も疑問を感じなかったのである。

 ところが今回の一連の事件は違う。滝川市も筑前町も言を左右にしながら必死に探していたのは、自殺を納得するだけの、十分ないじめの事実なのである。

生徒が1年の時から「死ね」「うざい」「消えろ」などと同級生らにののしられたり、自殺当日にズボンを脱がされそうになったりする「いじめ」を受けていたことが判明。
(福岡事件最終報告)

1学期の席替えの際、多数の児童が「(女児の)隣の男子がかわいそうだ」と言ったことなど、仲間外れや言葉によるいじめが遺書の記述と密接に関連していたこと(滝川事件最終報告)

「汗をかいた女子生徒の腕が他の部員当たると、『嫌やね』と言われていた」「プレー中、女子生徒にわざとぶつかっていた」「女子生徒にだけ、失敗するとすぐに怒った」などの事例を確認。こうした事例は少なくとも今年5月以降続いていた。(瑞浪事件最終報告)

 確かにいじめには違いないが、これで人間が自殺に追い込まれるということが、どうしても納得できない、この程度のことでいじめの加害者を自殺の原因と極めつけ、生涯十字架を背負わせることはできない、そう考えた人が多かったのではないか(ただし瑞浪市の場合は結果的にそれをした)。

 近年、いじめはますます見えにくくなったといわれる。今回も教師側が気づかなかっただけでなく、からかいや冷やかしを続けた加害者側も、その周りの生徒もいじめと認識していなかった
 教師も周囲の子どもも、そればかりかからかいや冷やかしの加害者ですら認識できないいじめで子どもは自殺する、それが今回の教訓である。

 いじめにどう対処すべきか。現場教師ら教育関係者はもちろん、保護者や地域にも投げ掛けられた重たい課題だ。

 現場教師、教育関係者、保護者、地域・・・まだ足りないだろう。いじめ自殺事件に深く関与し発言してきたマス・メディアにもこの課題は投げかけられている。

 教師は子どもと一緒になって気安く軽口を叩いてはいけない。人が傷つく可能性のあるどんな些細な言葉も態度も、一切は禁止する。言葉の端々にまで気を使い、人としゃべるときはよく言葉を吟味し、一言ひと言最大限の注意を払って口にしなければならない・・・と、そういうことではないだろう。もしそんなことをすれば学校は息の詰まる監獄になってしまう。ではどうしたらよいのか。

 学校問題に関しては常に正しい発言をしてきたマスメディア諸氏の判断を問う。