キース・アウト
(キースの逸脱)

2007年3月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 

 

2007.03.02

遅刻多い生徒「地獄へ直行」...中学廊下に名前掲示欄


読売新聞 3月1日]


 川崎市麻生区の市立長沢中学校(渡辺直樹校長、492人)で、2年生(4学級)の学年主任を務める男性教諭(48)が昨年9月〜12月、「イエローカード」から「地獄へ直行」まで5段階の文言を書いた模造紙を廊下に張り、遅刻回数に応じて生徒の名前を張り付けていたことが28日、分かった。

 同校によると、模造紙には、ほかに「レッドカード」「家庭にTEL」「校長先生と面談」と書かれ、生徒の名前は付せんで張られていた。

 渡辺校長は10月ごろ、掲示に気づいたが、「教諭と生徒の関係がうまくいっていた」として放置。しかし、11月上旬、文部科学省職員が視察に訪れた際には外させた。視察後、この教諭は再び模造紙を張り出し、12月末になって、他の教職員から疑問の声が強まったこともあって外された。撤去時には7、8人の名前が張られていたが、この間、「地獄へ直行」に張られた生徒はいなかったという。


 地獄へ直行などと平気で書けるのは生徒との関係がよほどうまく行っている場合だけである。
校長の、
「教諭と生徒の関係がうまくいっていた」
という感じ方は良く分かる。書いたところで本当に地獄に送り込むなどと思う人もいないはずだ。

 ちなみに
「イエローカード」から「地獄へ直行」まで5段階の文言
というのが典型的な懲罰の仕組みで、これがなかったから学校はいい加減になったのである。

 こういうことをしたらこういう目に会うという基準を示すことは懲罰の基本であり、刑法はすべてこういう書き方をされているはずだ。
 
校則に「遅刻はしてはいけない」とあって、したらいきなり教室に入れてもらえなかった、成績が1になった、アイツとオレとで扱いが違う、では生徒もたまったものではない。遅刻をした生徒は名前をさらすぞ、だって十分懲罰の範囲であるはずだ。それがいやだったら遅刻をしなければいい。

 生徒が遅刻をしても何も言わない教員がいる。授業中に寝ている生徒がいても平気で授業を進める教員もいる。一方遅刻指導に熱心な教員の中には他の生徒を自習にしてまでも熱心に一人の生徒と取り組む場合がある。いずれも間違っていると私は思う。

 しかし
「イエローカード」から「地獄へ直行」まで5段階
 
なかなかのユーモアと思うが、現代の学校では許されないのだろう。息苦しい場になってきたものだ。

 願わくば将来、「そうした学校の息苦しさが子どもを不登校や非行に追いやる」と書かないで欲しいものだ、マス・メディア。






 

 

2007.03.08

<学習意識調査>日本の小学生は中韓より「学ぶ意欲」低い


毎日新聞 3月7日]


 日本の小学生は中国や韓国の小学生よりも「学ぶ意欲」が低い――。財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長、東京都新宿区)の調査で、学習を巡る子供の意識に日中韓で大きな差があることが分かった。近年、日本の子供たちの学力低下が取りざたされているが、中韓両国に比べ「学力」以前の「意欲」の低さが浮き彫りになった形だ。
 調査は昨年10〜11月、3カ国の首都に住む小学4〜6年生計5249人を対象に通学先の学校を通じて実施、全員から回答を得た。対象は東京1576人▽北京1553人▽ソウル2120人。
 目指す人間像の一つとして「勉強のできる子になりたいか」と質問したところ、「そう思う」と答えたのは東京が43.1%だったのに対し、北京78.2%▽ソウル78.1%といずれも7割を超えた。「将来のためにも、今がんばりたい」と考える小学生も、東京48.0%▽北京74.8%▽ソウル72.1%で、日本は将来の夢に向けた学ぶ意欲が低くなっている。
 また、「先生に好かれる子になりたい」と答えたのは、北京60.0%▽ソウル47.8%に対し、日本はわずか10.4%。教師への関心や尊敬の念も薄れているようだ。
 生活習慣では「テレビを見ながら食事をする」のは東京46.0%▽北京11.8%▽ソウル11.7%。「言われなくても宿題をする」と答えたのは北京が82.7%と最も多く、東京42.1%▽ソウル37.1%と続いた。【高山純二】
 ▽佐藤学・東京大教授(教育学)の話 高度経済成長期にはリンクしていた「勉強をすれば、いい仕事に就ける」という関係が、低成長時代の今は崩れてしまった。(学ぶ意欲の低下について)約10年前から「学びからの逃走」と指摘してきたが、それが小学校段階でも表れた調査結果と言える。また、大人への信頼や権威が崩れ、大人たちが子供のモデルになっていないため、目標を見失い、さまよっているのではないか。


 何を今更と言うような話である。
高度経済成長期にはリンクしていた「勉強をすれば、いい仕事に就ける」という関係が、低成長時代の今は崩れてしまった。
 そんなことはない。私は非常に熱心なマスコミ・ウォッチャーだが、もう30年も前の1975年前後ですら、
「いい高校を出て、いい大学に入り、いい企業に就職するのはダメな人間である」といった論調を「いい企業」の代表である新聞社や放送局が繰り返し流していた。
 それで勉強のできる子になりたいというような子どもが増えるわけはない。

 何でも先生の言うとおりにしているようではダメだと言われ、新聞を見れば教師の不祥事の話ばかり、ついには政府によって学校は死んだ(だから教育再生)と烙印を押された教師に対して「先生に好かれる子になりたい」と答える子どもがいるはずもない。

「将来のためにも、今がんばりたい」と考える小学生48.0%しかいない、そして
「テレビを見ながら食事をする」46.0%もいて「言われなくても宿題をする」と答えた子が42.1%しかいない、そんな子どもを持つ日本が、世界トップクラスの成績を保っているのだから、日本の教員恐るべし・・・と考える人は、外国にしかいない。

ああ。






 

 

2007.03.15

「ゆとり教育」見直し素案 春・夏休み短縮など


毎日新聞 3月14日]


 政府の教育再生会議で学校教育を話し合う第1分科会が14日開かれ、第1次報告の柱である「授業時間10%増」を具体化するため、▽小中学校で1日7コマの授業を実施▽夏休みや春休みを1週間程度短縮▽早朝の10分間授業▽土曜日の補充学習−−などを盛り込んだ素案を了承した。5月の第2次報告に盛り込み、文部科学相の諮問機関、中央教育審議会による学習指導要領の改訂作業などに反映するよう働きかける。

 7コマ授業に当たっては、授業時間を小学校(現行1コマ45分)、中学校(同50分)で5分短縮するなど、各学校の弾力的な取り組みを促す。国語、算数(数学)、理科、社会、英語(外国語)を「基本的教科」と位置づけ、重点的に授業時間の確保を図る。

 また、学習指導要領を「授業実施の最低基準」と明確化し、それを上回る部分は各学校の裁量で教育課程(カリキュラム)に組み込むよう弾力化。各学年ごとに到達目標を定め、子どもの学力の定着を図る方向性を明記した。小学校段階での英語教育の充実も検討する。【竹島一登】




小中学校での7時間目授業の導入
7コマ授業に当たっては、授業時間を小学校(現行1コマ45分)、中学校(同50分)で5分短縮するなど、各学校の弾力的な取り組みを促す

6時間の授業から5分ずつ減らすと計−30分。7時間目が45分授業となるので総計+15分である。たかが15分であるが年間200日の登校、うち行事や会議のためにかとされる日数を40日程度と考えると、さしひき160日で40時間である。これを
国・社・数・理・英で割り振ると各8時間の増加となる。大した増加量と考えるか、たかが8時間と考えるかはそれぞれだろう。

ところで、ふと思うのだが再生会議のメンバーは11月末の午前6時半あるいは午後5時の田舎町の風景をご存知だろうか?
朝6時半の薄暗い町の中をたくさんの中学生が部活のために亡霊のような姿で登校していることを、夕方5時の真っ暗な国道をたくさんの自転車が各地に向かって走っていることを、そして彼らはやがてどこかで一人ぼっちとなり、田舎道をたった一人で走るのだということを知っているのだろうか?
それを朝さらに10分早く登校させ、夕方さらに15分遅く下校させようというのだ。

たかが15分、されど15分である。
私たちはそれをとても恐ろしいことだと考える。けれど
再生委員会のメンバーには、1教科8時間の授業確保のためには我慢しうる程度の危険でしかない、そういうことなのだろう。






 

 

2007.03.18

勤務実態調査:小学校の先生、忙しい 
県公立校教員「毎日仕事持ち帰る」4割 /静岡


毎日新聞 3月18日]


 ◇県教委調べ
 小学校の先生の2人に1人は毎日仕事を家に持ち帰っている――。県教育委員会はこのほど、県内の公立学校教員を対象に実施した勤務実態調査結果を発表した。小学校の4割以上、中学の約3割の教員が週5日以上仕事を自宅に持ち帰るなど平日の居残りだけでは足りない多忙な教員の実態が浮き彫りになった。
 調査は「教員の勤務状況に関する調査結果」。教員の教育活動に専念する環境整備と健康保持を目的に県教委が05年9月〜06年6月の計3回、県内全小中高養護学校の教員延べ4万625人を対象に実施。▽自宅に仕事を持ち帰る日数▽勤務時間終了後の在校時間など5項目について調べた。
 その結果、平日に3時間以上「居残り勤務」をしているのは中学で41・2%(全体平均24・78%)に上った。さらに小学校の42・1%、中学の29・2%は週5日以上自宅に仕事を持ち帰っていた。仕事内容は「学習活動」(50・4%)が最も多く、「学習計画など校内担当業務」(20・2%)、「学級経営」(19・6%)と続いた。
 県教委は「小学校では勤務時間中は児童につきっきりで、翌日の授業などの準備をする余裕がないのではないか」と分析している。




失礼だが、静岡県の教員は比較的楽なんだなあ、というのが感想である。
私の地域でではおそらく8割以上が3時間以上の仕事を時間外にしていると思う。個人差は、その3時間をどこで確保するかだけである。
私の場合、
自宅から通っていた時期は放課後1時間程度の時間外勤務をするだけでさっさと家に帰り、朝は3時に起きて6時まで仕事をする。そうした生活を20年以上続けてきた。今は単身赴任なので持ち帰り仕事はしない。その代わり、午前6時から夜の9時まで、学校にいて仕事をしている。私の仕事に賭ける時間はおそらく多い方だと思うが、トップクラスでもない。他にもっと仕事をしている同僚がたくさんいいる。そうしないと普通の仕事が回っていかないからだ。
そうなるとでは、教員はそんなに時間をかけて何をしているのかということになるのだが・・・

学校の仕事というのは大きく分けると実際の教育活動と校務に分けられる。
「実際の教育活動」というのは、生徒の前で授業をしたり空き時間に日記を読んでコメントを入れたり、給食や清掃の指導をしたり部活の指導をしたりといった、生徒とともに過ごす時間の活動のことである。
 校務はそうした「実際の教育活動」を支えるための事務一切のことであり、比較的時数のかかるものから具体的に言うと、学級・学年通信の作成、教材の作成、教室環境の整備(掲示物を作ったり貼ったり)、旅行宿泊学習の計画・体験学習の計画・○○週間といった行事の企画計画等である。これらは生徒が学校にいる時間、つまり午前8時から午後6時30分(夏場。冬場は午後5時)までの時間帯には行えない仕事である。それがそっくり時間外の仕事となる。

デパートで言えば販売部と営業企画部に同時に所属し、お客様の来る時間帯には営業企画部の仕事をしてはいけないと言われているようなものである。企業なら当然分けられるべき二つ以上の仕事に同時に属している。それが学校組織の最大の特徴なのだ。
しかも企業なら時間外労働については手当が出るが、教員の場合、最初から本給4%の調整手当てが出ているので、あとは一切収入にならない。本給の4%といえば、月収30万円の教員で1万2000円である。時間外労働が1日3時間の月20日と考え、実際にはありえないが土日に一切仕事をしないと考えても、自給200円にしかならない。

「小学校では勤務時間中は児童につきっきりで、翌日の授業などの準備をする余裕がないのではないか」
のんきなものだ。中学校の教員は潤沢に空き時間があると思っているのだろうか?(私の場合は、週5日のうち1時時間しか空きのない日が3日、2時間空きが2日である)

それにしても静岡県の教員、毎日の仕事は本当にこの程度なのだろうか?
平日に3時間以上「居残り勤務」をしているのは中学で41・2%(中略)に上った。さらに(中略)中学の29・2%は週5日以上自宅に仕事を持ち帰っていた。
居残りと持ち帰りで合わせ74.4%が3時間以上の時間外労働をしているということならまだ分かるが。







 

 

2007.03.19

学校と私:先生との触れ合い多かった
=文部科学相・伊吹文明さん


毎日新聞 3月19日]


 小中時代は良家のボン(坊や)という感じで、目立たない子だったんじゃないかなあ。江戸時代から続く繊維問屋を継いだ父(良太郎)は厳格で、母(直子)は教育ママ。幼稚園を2度ほど変えられて、小3ごろにはピアノを習わせられた。習いに行くと、女の子ばっかりなんですよ。今なら楽しいかも分からないけど、当時はイヤでね。

 地域社会がしっかりしていたから、いじめなんてありませんでした。中学に入ると、母が背広を手作りしてくれてね。それを着せて、中学校に行かされるんです。背広なんて着ている子はいなかったから、みんなにからかわれたことはありましたけどね。

 父には、言いつけに従わないとかでよく殴られました。でも、義務教育が終わったら殴られなくなった。だからというわけではありませんが、高3のころはお酒をたしなんだり、たばこをのむマネもしていた。友達の家のお寺で庭を眺めながらビールを飲んだりね。夜1時に帰っても何も言われなかったですね。

 ただ、父には「公に尽くす心を持て」「妙な金もうけをしてはいかん」と言われました。今の自分があるのは、親のしつけが一番大きいのかなあ。古今東西の本を買ってきてくれて、読書癖もついた。僕は親に恵まれていたが、恵まれているからきちんと育つわけでもない。大きな分限を持っていてもあんまり役割を果たさない人より、小さな分限でも一生懸命頑張る人の方が人間として値打ちがある。おのおのの分限の中で、子どもにできるだけよくしてあげることが大切だと思います。

 今の学校には、かつて家庭や地域社会がやっていたことがほとんど機能しないまま、いろんなことが集中している。先生は忙しすぎて気の毒ですよ。例えば、僕らは担任の先生に散歩しながら歌を教えてもらったり、魚取りや泳ぎに行った。卒業すると、先生の家を訪ねて、一緒にお酒を飲んだりね。本当は飲んじゃいけないんだけど、そういう時代でした。先生との人間の触れ合いがとてもあったと思います。今は忙しすぎてできないんでしょうね。<聞き手・高山純二>


今の学校には、かつて家庭や地域社会がやっていたことがほとんど機能しないまま、いろんなことが集中している。先生は忙しすぎて気の毒ですよ。
先生との人間の触れ合いがとてもあったと思います。今は忙しすぎてできないんでしょうね。


なあ伊吹大臣、
分かっているじゃないか。
なのになぜ、教員を増やして時間を生み出すと考えず、教員評価と免許の更新制でさらに教員を忙しくさせようとするのだ?







 

 

2007.03.24

民間校長:素晴らしき4年“卒業”
津市立南が丘小・遠藤正芳さん定年


毎日新聞 3月23日]


 ◇「寂しい」けれど経験生かし、東南アジア支援へ再出発

 津市教育委員会が民間から公募した、市立南が丘小(津市垂水)の遠藤正芳校長(60)=東京都出身=が定年退職を迎え、23日の修了式で子どもたちと最後の別れをした。遠藤さんは校長を務めた4年間を「本当に素晴らしい経験だった」と振り返り、「この経験を生かして、東南アジアの貧しい子供たちを支援したい」と、再出発に張り切っている。【丸林康樹】

 遠藤さんは「子どもが何を考えているのか知りたかった」と校長に応募し、03年春に新日鉄部長から一転、教育の世界に飛び込んだ。

 子どもたちと早くうち解けようと、校長室を開放、毎朝校門に立ったりした。今の子どもたちを「生きた知識がない。経験してないから自信もない」と感じ、地域住民を講師に招く「コミュニティースクール」にも取り組んだ。水墨画や琴、茶道などの体験授業を通じ「子どもたちは才能を発揮し、すごく喜んだ」と振り返る。一方、学校運営では、いつも長引く職員会議を「時間がもったいない。その時間を子どものために使おう」と1時間半以内に短縮した。

目指したのは、地域の核となる学校づくり。「卒業生たちが中学、高校、大学に進学し、結婚後にまた地域に戻った時、学校を中心にしたコミュニティーができる」と話す。

 修了式で遠藤校長は「また、いつかみんなの顔を見に戻ってきます。その時は、大きくなっているだろうね。(別れるのは)少し寂しいです」と語り、最後に子どもたちに「ありがとう」と「さようなら」の言葉を贈った。今後は東南アジアを拠点に活動しているNPO(非営利組織)に参加を予定している。


 遠藤校長にとってこの4年間が
「本当に素晴らしい経験だった」のは分かった。民間人に戻った彼が「この経験を生かして、東南アジアの貧しい子供たちを支援したい」と思う気持ちも大切だ。
 しかし津市は、遠藤正芳さんを教育家として育てるために南が丘小に送り込んだわけではないだろう。
校長室を開放、毎朝校門に立ったりした
地域住民を講師に招く「コミュニティースクール」にも取り組んだ
職員会議を「時間がもったいない。その時間を子どものために使おう」と1時間半以内に短縮した。

 どれもこれ民間人でなければ思いつかないこと、というわけではないだろう。

 大した目算もなく行政のパフォーマンスとして始めた民間人校長。そろそろ功罪を明らかにし、一度総決算してみたらどうだろうか? 





 

 

2007.03.25

「執行猶予中」、問題があれば即、「実刑」 生徒指導で


朝日新聞 3月24日]


 福島市の市立中学校で生徒指導を巡り、学年主任の男性教諭が「執行猶予中」「実刑」などの言葉を使って、生徒を揶揄(やゆ)するような連絡文書を教師の間に配布したことが24日までに分かった。
 市教委によると、男性教諭が2月中旬、教科担当の教諭らに配った連絡用のプリントで、「○○(生徒の名字)執行猶予中。迷惑をかける行動があれば即刻実刑に入りますので担任にご連絡ください」などと書かれていた。

 ある生徒の行動が原因で授業に支障をきたしていたが、現在は「執行猶予中」とし、今後も授業に影響がある場合、教育専門機関に相談することを校内で決めており、これを「実刑」と表現していた。
 男性教諭も学校側に事実を認めた。学校側は「あってはならない言動で、厳しく指導していく」としている。



 何が問題なのだろう?
  
ある生徒の行動が原因で授業に支障をきたしていた、しかしとりあえず経過観察ということで様子を見るが、今後も授業に影響がある場合、教育専門機関に相談するから、迷惑をかける行動があれば(中略)担任にご連絡ください
 内容的には揶揄しているとも思えない。

 そうなると問題は表現のしかた
、ということになると思うが、教師が生徒を揶揄することは、いつから「あってはならない言動で、厳しく指導していく」としているというほどの倫理違反になったのだろうか?

 昔は、弟子が師をからかったり揶揄することは大きな倫理違反だった。しかし今は違う。
 生徒が教師をからかってもニュースにならないが、
教師が生徒をからかうと、あってはならない大問題になるのである。

 教師であろうと生徒であろうと、人をからかうのは絶対にいけないという倫理でもいい。いや両方とも程度問題で、それほど目くじらを立てることもない、というのも理解できる。もちろん、昔かたぎの人が「先生は敬え!」というのも分かる。しかし教師が生徒をからかうことだけを処罰するというのは、私には納得できない。