キース・アウト
(キースの逸脱)

2007年5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 

 

2007.05.02

【解答乱麻】目標掲げない議論の愚


毎日新聞 5月2日]


 教育再生会議の第2次提言が今月出される。政策にかかわるマネジメントは(1)現状の把握(2)問題の原因の特定(3)具体的な目標の設定(4)有効な手段の選択・実施(5)結果の評価−といったプロセスで行うべきだが、再生会議の第1次報告は、政策マネジメントの教科書に反面教師として載せたいほど典型的な悪例を示してくれていた。

 第1に、「現状」を把握・分析しようとしていない。日本の子供たちの学力について、誰のどんな学力がどの程度低下しているのか、また、それは(かつて多くの人々が「文部官僚が不必要な内容を子供たちに詰め込んでいる」と言っていた「不必要な内容」ではなく)日本の子供たちにとって本当に必要なものなのか−といったことが、具体的に検証されていない。

 第2に、学力低下の「原因」を究明しようとしていない。授業時数の10%増を提言しているということは、日本の子供たちの学力がフィンランドよりも低い原因を「授業時数の不足」だと思っているのだろう。しかし実際には、フィンランドの授業時数は日本よりも少ないのである。

 第3に、子供たちが「身に付けるべきこと」について「具体的目標」を特定しようとしていない。これが最大の欠陥だ。学習指導要領はその名の通り「教師が子供たちに教えようとすべき内容の基準」であって「子供たちが卒業時点で身に付けているべきことの基準」ではない。日本にはそもそも「達成目標基準」が存在しないのである。

 さらに、目標について、他の先進諸国での教育改革論議との最大の違いは「すべての子供たちが身に付けるべきミニマム」と「それ以外のこと」の区別が論議されていないということだ。
 欧米諸国の多くでは、学力崩壊を乗り越えるため、読み書き算数などから始めて「すべての子供が義務教育修了時点で身に付けているべきこと」をゼロから具体的に特定しようという運動が行われた(「バック・ツー・ザ・ベイシックス」と呼ばれた)。これは、日本で言われているような「○○力を伸ばす」といった方向性のみのあいまいなものではなく、具体的に「卒業時点で××ができるようにする」という達成目標だ。
 この区別がずっとできていないために、かつての日本は一律に「詰め込み教育」に向かい、後に一律に「ゆとり教育」に向かった。「個性化・多様化まで一律に推進する」という一律主義はいまだに克服されておらず、現在行われつつある学力最重視も同じ過ちを繰り返そうとしている。
 いわゆる「結果平等主義」が単純に批判されているのも同じことが原因だ。基本的な計算や漢字などに関する能力は、結果平等に達成されなければならない。まずかったのは「結果平等を目指したこと」ではなく、「結果平等を目指すべき内容と、それ以外の内容を区別していなかったこと」なのだ。

 あらゆる政策は何らかの目標のために行われる。教育の目標は「卒業後の子供たちをある状態にすること」であり、それを特定しなければ建設的な論議はできない。
                   ◇
【プロフィル】岡本薫
 おかもと・かおる 文化庁著作権課長、文部科学省企画・体育課長などを歴任した後、昨年教授に転身。著書に『日本を滅ぼす教育論議』『学校情報化のマネジメント』など。



 こうした真っ当な発言をする人は政府の中枢や文部科学省、教育再生会議あるいは中央教育審議会にいないのだろうか? なぜ政府は具体的目標を掲げるのを嫌うのか。

 本当のことを言うと、
現場の教師は今でも「学力」が何なのか、「生きる力」が何なのか、まったく分かっていないのだ。
 あるとき「学力」は中学入試や高校入試で勝ち抜く力だと考えられた。しかしそんなものは学力でもなんでもない、21世紀に必要な本当の学力とは「生きる力」のことだ、ということで総合的な学習が始まった。その「生きる力」が何なのか(問題解決能力・豊かな人間性といった抽象的な話はあった)それが分からず右往左往しているうちに、「学力」とは読み書き計算のことだといわれ始め、百マス計算が流行したりもした。しかし今回の全国統一学力テストを見るとこれも違う。
 学力とは圧倒的な読解力に裏打ちされた情報分析の力なのかもしれない。
 
 そんな段階でウロウロしていると言うのに、政府もメディアも学校がやったことは見ずにやらなかったことの方ばかり見て指導力低下、指導力低下と叫び続ける・・・。
 
一度政府は目標を明らかにすればいいのだ。
 
現状分析からこの目標は達成できるものだから必ず達成せよ、その代わりこちらは不十分でいい、と教育の全体像を示せばいいのだ。
 
 あれもこれもやれと言われて、手が足りないのでとりあえずあちらをやっていると「こちらはどうした?!」と怒られ、こちらを必死で補修していると「あちらはどうなった?!」と怒られる。
「両方はできません!」と叫ぶと「指導力不足の先生には辞めていただきます」。
 不貞腐れて寝ていれば「地に落ちた教員の倫理観!!」
 ノイローゼになって倒れると「仲間を支えない冷たい教師集団」
 
 ・・・ああ!






 

 

2007.05.03

小中学校に録音機付き電話を設置へ 大津市教委、苦情に対応


京都新聞 5月2日]


 学校への電話での苦情やクレームに適切に対応するため、大津市教委は今年度、市内の小中学校計20校に、録音機付きの電話を設置する。滋賀県教委によると、この種の電話の設置は県内では珍しいという。
 市教委によると、昨年度、児童や生徒の保護者らからの相談や苦情、クレームなどの電話は、市教委に直接寄せられただけで約400件に上った。内容は、いじめなど友人関係についての相談のほか、個人攻撃などにエスカレートする不当な要求もあったという。
 市教委は、電話の内容を正しく把握し、応対の際の言葉の行き違いから誤解を招かないようにするため、設置を決めた。さらに、不審電話など緊急に対応するべき内容にも備える。
 録音は原則的に相手の了解を得るといい、相手が拒否した場合でも、不当な圧力や生命の危険につながる恐れがあると判断した場合は録音することがあるとしている。録音内容は教師間で検討や分析をする。今夏以降、設置の要望が強かった大規模校から導入する。
 市教委学校教育課などは「相談や苦情には何らかの原因があると考えられ、きちんと解釈して、学校として対処したい。信頼関係を保ちながら、問題の解決に役立てたい」としている。


この種の電話の設置は県内では珍しいという。
県内どころか全国的だって珍しい。

さて、記事を読んだ人にはこの程度でなぜ録音機つきの電話が必要なのか分からない人も多いだろう。私も分からない。

保護者からかかってきた電話を録音しておかねばならないという不信・・・。いったい何が起こっているのか、想像してみよう・・・。





 

 

2007.05.12

教員採用:来年度予定者、最低の145人
少子化影響「氷河期」続く /長崎


毎日新聞 5月11日]


 県教育庁は10日、来年度の公立学校の教員採用試験の募集要項を発表した。採用予定者数は今年度より22人少ない計145人で、記録として残っている過去20年間で最低となった。少子化などの影響で採用抑制に歯止めがかからず、倍率も今年度の12・4倍を上回る見通し。全国的に採用数が増加に転じている中、依然として教員採用の“氷河期”が続いており、県教育庁は教員志願者の県外流出を心配している。
 採用予定者数は、小学校35人▽中学校40人▽高校45人▽特別支援学校20人▽養護教諭5人――の145人。
 県教育庁によると91年度の729人採用をピークに減少傾向となった。03年度(323人採用)から減り続け、来年度採用予定者数はピーク時の5分の1となる。倍率も8・2倍だった03年度以降は上がり続け、ますます狭き門となっている。
 採用予定者数は児童生徒や教員退職者の増減で決まる。県内の児童生徒数は91年度の25万4000人から来年度には16万2200人となり、9万人以上減る見通し。教員採用が増えない大きな原因となっている。
 文部科学省によると、01年度から都道府県・政令市の教員採用者数は増加し、倍率も緩和傾向に転じている。要因は児童生徒数の減少幅が縮小したことや教員退職者の増加だという。
 だが、長崎県の場合、児童生徒数の減少幅はほとんど変わっておらず、退職者が増え始めるのは3年後の見通し。また、採用状況は全国的に大都市より地方で厳しい傾向にあり、「財政的に恵まれている大都市は少人数授業や分割授業を取り入れ、教員が必要だからでは」(県教育庁幹部)との見方もある。【宮下正己】〔長崎版〕


実は5月8日付の京都新聞に次のような記事があった。

小学教員採用、約2倍に 滋賀県教委、経験者の受験資格も緩和

 滋賀県教委は8日、2008年度に採用する公立学校教員採用試験要項を発表した。昨年の退職者増と県独自の施策である少人数学級を拡大したため、小学校教員の採用枠が昨年より倍近く増え1982年以来の大量採用になる。また即戦力の充実を狙い、教員経験者については受験資格を緩和し、一部試験を免除する。
 08年度の小学校教員採用予定数は260人で、07年度公募数140人(実採用数170人)より大幅増加した。県教委によると338人採用した1982年以来の水準で、底だった98年(20人)の13倍となった。
 昨年は退職者が166人と多く、本年度から県独自に小学3年でも35人学級を始めたことにより、不足した教員を確保する。
 さらに、中学校教員が80人(07年度50人)、高校教員は10人(同若干人)、特別支援学校教員が40人(同30人)といずれも採用枠を拡大する。養護教員は同じく5人。
 また3年以上の教員経験者は従来の40歳から45歳へと受験資格の年齢制限を緩和。さらに現職教員は一次試験の筆記試験を一部免除する。昨年は50代の教員を中心に定年前に退職するケースが目立ち、急務となったベテラン教員の補充を目指す。
 県教委は「大量退職時代を迎え、優秀な人材確保は重要。他府県も近年さまざまな施策を考えているので、滋賀県でも新たな採用法を取り入れることにした」としている。
 要項は県庁や地域振興局などで配布する。県教委のホームページからダウンロードもできる。


 この記事の中で、次の部分で引っかかりをもった人も少なくないだろう。

 3年以上の教員経験者は従来の40歳から45歳へと受験資格の年齢制限を緩和。
 さらに現職教員は一次試験の筆記試験を一部免除する。
 昨年は50代の教員を中心に定年前に退職するケースが目立ち、急務となったベテラン教員の補充を目指す。


 現職教員が教員採用試験を受けるなどということがどうして起こるのか? そしてそれと「ベテラン教員の補充」とどう繋がるのか・・・?

 そうなのだ。
滋賀県教委は他県の現職教員がと中途退職をして滋賀に来るのを待っているよ、と宣言しているのである。

 考えてみると平成不況の最後10年間は全国的に教員採用が絞られ、超氷河期という時代が続いた。その間、本当に教員になりたい者たちは全国区で採用試験を受け回り、採ってくれたところで教員になっている。彼らは、地元を捨てて他県に就職できるだけの自由さを持った人々で、だからこそ同じ条件で迎えてくれるならいつでも地元に帰ってくる。
 
 こうした荒っぽい波に襲われたら長崎県などひとたまりもないだろう。
 
県教育庁は教員志願者の県外流出を心配している。などと暢気に構えている場合ではない。県外流失は教員志願者ばかりでなく、ベテラン教員にまで及んでくる。

 
 
大量退職時代を迎え、優秀な人材確保は重要。他府県も近年さまざまな施策を考えているので、滋賀県でも新たな採用法を取り入れることにした
 これはまさに、滋賀県教委の他県に対する宣戦布告である。






 

 

2007.05.13

子育て提言、仕切り直し…教育再生会議


読売新聞 5月12日]


 政府の教育再生会議(野依良治座長)は11日、子育てに関する保護者向けの緊急提言の取りまとめを見送った。
 教育再生には家庭の教育力向上が不可欠だという観点から提言を目指したが、家庭の内部に踏み込むような内容に批判が集まった。ただ、同会議では、家庭教育の必要性は変わらないとして、検討していた提言の一部を第2次報告に盛り込む考えだ。 (政治部 橋本潤也、白石洋一)

「望ましい家庭像」強要の懸念
「親学」に反発

 「決して価値観を押しつけるようなものではない」
 提言見送りの決定を受けた11日午前の記者会見で、再生会議事務局長を務める山谷えり子首相補佐官はこう訴えた。
 子供を持つ保護者に対し、赤ちゃんに母乳をあげることやPTAに父親も参加することなどを求める提言の内容が4月末に報じられると、「母乳が出ない人など、したくてもできない人への配慮が欠けている」とする批判が野党などから一斉に上がった。
 政府内でも「母乳による育児の推進は正しいが、『母乳が出ない人はどうすればいい』と聞かれると答えられない。アピールの内容が中途半端だ」と懸念が広がった。8日、提言の内容を説明するために文部科学省を訪れた山谷氏に、伊吹文科相も「人を見下した訓示のようなものをするのは、あまり適当ではない」と苦言を呈した。

 提言を扱う第2分科会では、保護者の意識向上を目指す内容から、「親学」と呼んで検討していた。しかし、文科相らの指摘を受け、母乳による育児の推奨では「母乳が出なくても抱きしめる」という内容を加え、「親学」という言葉も使わないようにした。「2日間で10回以上、文章を書き換えた」(事務局)が、11日の合同分科会では了承が得られなかった。
 合同分科会後、第2分科会の委員ではない渡辺美樹氏は、「悪いことは書いていないが、再生会議はこんなことまでする会議なのか。素朴な疑問だ」と首をかしげた。
 首相官邸でも、「予定されていた提言は家庭生活に踏み込むような印象を与え、感情的な反発をまねく危険性が高い。参院選を前に、国民から反発を受けるのは避けるべきだ」と、見送りはやむを得ないという受け止め方が出ている。


学校教育の限界
 今回の提言の構想は、4月17日の第2分科会で、山谷氏が「母性、父性を育て、社会を変えるようなメッセージを発信したらどうか」と提案したのが発端だ。委員からも「『親学』研修の義務づけなど思い切った提言をしたい」(義家弘介氏)、「せめて生後3か月は母乳で育てていただきたい。『親学』は基礎の基礎だ」(海老名香葉子氏)と賛成する声が相次いだ。
 この背景には、安倍内閣が掲げる教育再生の実現には、学校教育の改革だけでは限界があるという問題意識がある。
 文科省の調査でも、約7割の親が「家庭の教育力の低下を実感している」と答えている。何より、学校給食費の滞納総額が全国の小中学校で22億円に上るなど、親自身の規範意識の低下が厳しく指摘されている。

 第2分科会では、脳科学や家庭教育の専門家を呼んで意見を聞き、提言をまとめた。分科会で意見を述べた高橋史朗・明星大教授(親学会副会長)は、「子供の教育は、学校や教師、教育委員会に責任が転嫁される傾向が強いが、一番大事なのは家庭の教育力だ」と語る。
 再生会議でも、こうした考え方自体には同調する声が強く、月内にまとめる第2次報告で、「緊急提言をバージョンアップさせたい」(山谷氏)という意欲は失っていない。第2分科会の委員である小谷実可子氏も11日の合同分科会後、「このまま提言を出すと誤解されかねない。良い形で世間に聞いていただけるよう頑張りたい」と強調した。


検討内容の一部「第2次報告」盛り込みへ 働き方改善も議論に
授乳相談充実も検討

 第2次報告では、〈1〉子供の発達段階に応じた道徳教育〈2〉テレビ視聴を制限し、家庭での会話を増やす――などを提案する見通しだ。
 「母乳による育児の奨励」について、厚生労働省も3月に策定した「授乳・離乳の支援ガイド」で、妊娠中から退院後まで継続的に、産科医や保健師らが授乳を支援する重要性を訴えている。このため、再生会議でも、相談体制の充実など政府の支援のあり方をなお検討する方針だ。
 一方、「父性の復権」「母性の復権」の著書で知られる林道義・元東京女子大教授は、「子供の成長において家庭教育は一番の基礎だが、その前提には、親が子供に向き合う時間を確保することがある。国の労働政策や企業経営者の意識を変えることも、再生会議は同時にきちんと打ち出すべきだ」と語る。

 再生会議でも「早期職場復帰のため、母乳で育てない母親が多い。母乳での子育てを支援する制度などは検討できないか」(小谷氏)という声が上がっており、働き方自体の改善も議論の対象になると見られる。
 ただ、高橋氏が「政府によるメッセージの発信は工夫する必要がある。家庭教育への『口出し』ではなく、情報提供であるべきだ」と指摘するように、表現などに十分な配慮が必要となりそうだ。

 第2分科会 教育再生会議の3分科会の一つで、規範意識や家族、地域教育の再生を中心に扱う。主査は池田守男座長代理(資生堂相談役)。5月の第2次報告に向け、〈1〉学校での奉仕活動の充実〈2〉特別支援教育やキャリア教育の推進――などを議論している。

 【検討されていた提言の主な内容】
 ▽若い時から子育てを自分のこととして考える
 ▽早寝・早起き・朝ごはんを習慣化する
 ▽保護者は子守歌を歌い、赤ちゃんの瞳を見ながら、おっぱいをあげる
 ▽母乳が出なくても抱きしめる
 ▽授乳、食事時はテレビをつけない
 ▽乳幼児期には本の読み聞かせを行う
 ▽小学生時代は今日の出来事を一緒に話す
 ▽PTAに父親も参加する
 ▽あいさつの励行
 ▽「ありがとう」「もったいない」などの言葉を大切にする

仕事や暮らしに目配りを
 今年の夏、初めて「親」になる。今は自分がいい親になれるか、不安を感じることも多い。夫婦共働きで、子供と向き合う時間が短くなりそうなのも、その理由の一つだ。
 再生会議が検討した提言は、内容自体にはうなずけるものが多い。一方で、多くの親が子供との時間を確保したいと思いながらできず、悩んでいる現実がある。再生会議には今後、子育てだけでなく仕事や生活全体にまで目配りした、より広い視野での政策提言を期待したい。(橋本)



 やはりこんなものだろう。

 母乳が出ない人など、したくてもできない人への配慮が欠けているなど、瑣末な問題である。字句や表現を変えればいいだけのことであって、何も提言全体を取り下げるほどのことではない。

安倍内閣が掲げる教育再生の実現には、学校教育の改革だけでは限界があるのは当たり前で、社会教育や家庭教育、あるいはメディアや子どもを対象とした企業のあり方や社会システム全般を網羅して初めて、教育再生は達成されるはずなのだ。しかし、教育再生達成のために、政府がこうした提言をすることは、今後、もうないだろう。

それは一も二にも、今日の「教育問題」が子どもと社会の未来に関するものでなく、政治問題だからである。

参院選を前に、国民から反発を受けるのは避けるべきだ

親や企業を叩かず、一緒になって教員と学校を叩いていれば票は伸びるだろう。政治家にとって、教育は単なる集票の道具なのだ。






 

 

2007.05.18

全国学力テスト:北広島町が「直前特訓」 教委が指示、問題集作成


毎日新聞 5月17日]


 文部科学省が先月実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の直前、広島県北広島町教委が、町内21の小中学校に個別に問題集を作成させ、指導結果を同教委に報告するよう指示していたことが分かった。

 同テストは、小学6年と中学3年を対象に先月24日に実施され、全国約233万人の児童・生徒が参加した。

 同教委によると、町内の町立17小学校と4中学校に独自の問題集作成を指示。各校の教員がそれぞれ作った問題をいったん同教委で集めて確認したうえで、3月末に配布。授業や宿題などで使用させ、結果は町教委で4月中に取りまとめられるよう各校に指示していた。

 事前対策は、調査の正確性や公平性などを損なう恐れがあるが、同教委学校教育課は「今年度の計画を立てるために、問題集の使用状況を把握する必要があった」と説明。同テストに向けた対策ではないとしている。

 文科省学力調査室は「学力調査は学習指導要領に示された内容や知識を把握するためのもので、事前の対策などは必要ない。あくまで各校が個別指導などの改善のために実態を把握してほしい」としている。【下原知広】



事前対策がなぜいけないのか分からない。
私のところではやらなかったが、今は愚かなことと反省している。

学力調査は学習指導要領に示された内容や知識を把握するためのもので、
事前の対策などは必要ない。

今回の学力調査で明らかになったことのひとつは、指導要領に従って総合的な学習などのんびりとやっていてはいけないということである。
私の学校ではかなり優秀な子が国語Bの時間に「何もできない」と言って泣いたが、教員として、毎年このような悲しい思いをする子を出してはいけないのだ。

確かに事前の対策などは必要ない。あくまで各校が個別指導などの改善のために実態を把握してほしい
それが重要なことであろう。事前特訓ではなく、1年間かけて学力テスト向けの授業をしていかなければならない。
指導要領をきちんと守っていては、とてもできないことである。








 

 

2007.05.18

現状とどう違うか説明を/道徳教育の教科化


東奥日報 5月17日]


 政府の教育再生会議が、今月末に予定している第二次報告に盛り込むことにしていた小中学校の道徳教育(徳育)の「正式教科化」を断念したようだ。
 徳育の充実が必要との立場には変わりなく、徳育を既存の教科とは異なる「新しい教科」に位置づけるという。
 だとしたら、現に小中学校で実施している「道徳の時間」のどこに問題があるのか、どう変えていこうとしているのか、具体的に国民に十分説明すべきだ。「教科にすることで、しっかりとした徳育の授業が実施される」と言うだけでは、分かりにくい。

 徳育の正式教科化を断念するのは、数値による評価、検定教科書の使用などについて、既存の教科と同様に扱うことが困難だとする意見が多数だったからだという。
 子どもたちに規範を教え、社会人として守るべき基本を徹底することは当然のことだ。社会環境が大きく変化する中で、家庭や地域、学校などでそのことが不十分だったため、教育改革が叫ばれるたびに、道徳教育の重要性が指摘されてきた。

 中央教育審議会は一九九八年に「幼児期からの心の教育の在り方について」答申している。大人たちの危機感が伝わってくる内容になっている。
 「心の教育」は、道徳教育を含んだ包括的な概念という。答申の中で、子どもたちが身につけるべき「生きる力」の核となる豊かな人間性について、具体的に示している。
 正義感や公正さを重んじる心、生命を大切にし人権を尊重する心などの基本的な倫理観、他人を思いやる心や社会貢献の精神−などだ。
 「社会全体のモラルの低下を問い直そう」と呼び掛け、「一見ごく当たり前のことと受けとられるかもしれないが、実行するには相当の努力が必要」と付け加えている。家庭教育、地域社会や学校の役割の大切さを強調している。

 現在、小中学校で行われている教科外活動の「道徳の時間」は、年間で三十五時間設定されている。道徳教育は、学校の教育活動全体を通じて行うものとも位置づけられている。
 小学校学習指導要領には道徳教育の内容について、具体的に教えるべきことを学年ごとに示している。
 例えば一、二年生だと「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行う」「友達と仲よくし、助け合う」「生きることを喜び、生命を大切にする心を持つ」「みんなが使うものを大切にし、約束や決まりを守る」−などだ。
 少年事件の多発などを背景に、文科省は二〇〇二年度から全国のすべての小中学生に道徳の副教材「心のノート」を配布している。

 中教審が約十年前に相当の危機感を持って答申した「心の教育」、学習指導要領に盛り込まれた道徳教育の内容などに問題があるから、徳育として教科にすると考えたのだろうか。
 再生会議が道徳教育の現状を分析・検証した上で提言しようとしているとは、思えない。課題を問いかけるのはいいとしても、説明が足りなすぎる。



徳育の正式教科化を断念するのは、数値による評価、検定教科書の使用などについて、既存の教科と同様に扱うことが困難だとする意見が多数だったからだという。
学校の活動の中で、教科とそれ以外のもの(学級活動・クラブ活動・部活動・委員会活動・道徳。総合的な学習など)を比較して、違っているのは数値による評価、検定教科書の使用だけだろうか? 良く考えてもらいたい。
そうだ、もうひとつある。

それは「教科には専門の教員がいる」ということである。
国語にも数学にも理科にも社会にも体育にも美術にもすべて専門の教員がいて、普通の人々より一歩レベルの高い教育活動をしているのである。
小中学校の道徳教育(徳育)の「正式教科化」
と聞いた時、私がまず最初に考えたことが、「あ、道徳の先生が配属されてくるんだな」ということである。

もともと英語が堪能だという理由で教員になった人が、道徳的に優れているわけでもないの道徳を教えていること、それ自体がおかしいのだ。
それが許されるなら、数学の担任が社会や美術を教えたって一向に構わないはずである。今のように面倒な採用をせず、教員なりたい人は全員「教員」という枠で採用し、後は適当に割り振ればいいようなものである。
そうではない、
 子どもたちに規範を教え、社会人として守るべき基本を徹底することは当然のことだ。社会環境が大きく変化する中で、家庭や地域、学校などでそのことが不十分だったため、教育改革が叫ばれるたびに、道徳教育の重要性が指摘されてきた。ということなら、英語や数学並みに、専門家に指導させるとういうのが筋ではないか。

しかし、道徳を大切にすると言いながら
道徳を教科にし専門の教員を置くなどという金のかかることは絶対に実現しない。
そための増税なんて国民は大嫌いだし、政府与党は(野党だって)国民に負担をかけて票を減らすなんて大嫌いだからだ。








 

 

2007.05.19

教育改革3法案/管理強化に危うさ


毎日新聞 5月18日]


 安倍晋三首相が今国会の最重要課題に掲げる教育改革関連三法案が、衆院教育再生特別委員会で可決された。きょうの衆院本会議で可決、参院に送られる。

 教育の憲法である教育基本法が改正された昨年十二月は、五十五時間の審議時間で採決された。今回は六十時間になり、与党は「審議は尽くされた」とし採決に踏み切った。
 しかし、審議が尽くされたわけではない。きのうの総括質疑で、自民党議員から、個別的な議論がまだ足りないとの発言も聞かれた。
 審議で、政府からは今の教育でなぜ解決できないのか、どこが問題点なのか、十分な説明はなかった。夏の参院選を控えて、安倍首相が掲げる「戦後体制からの脱却」の実績づくりを急いだとの指摘もある。

 教育は、国家百年の大計である。子どもの人格や学力、能力を伸ばし、手助けしていくのが目的だ。そのための施策には、丁寧な議論が求められる。
 特別委で可決された三法案は、学校教育法、地方教育行政法、教員免許法および教育公務員特例法のそれぞれ改正案だ。国の介入、管理色を強く打ち出したのが特徴となっている。

 福島県での高校生の母親殺害、いじめによる自殺など、衝撃的な事件が後を絶たない。それらの原因は学校、家庭、地域社会の教育力の低下だと指摘される。こうした事件を防ぐために、子どもたちを取り巻く環境を見直す必要があると、多くの国民が感じている。

 だが、国の統制を強めることで、解決しようとするのには危うさがある。改革三法は教育委員会や教員、児童・生徒たち、保護者に大きな影響を与えるからだ。
 学校教育法の改正では「副校長、主幹教諭、指導教諭」を置くことができると定めている。「学校における組織運営、指導体制の確立を図るため」としているが、管理職員を増やせば学校現場がよくなるとはかぎらない。管理強化が進めば、かえって風通しが悪くなり、現場教員の不安が増す一面も否定できない。

 地教行法改正では「教育委員会に法令違反や怠りがあった場合、文部科学大臣が改善の指示、是正の要求ができる」とした。いじめによる自殺、全国の高校で必修科目の未履修が相次いで明らかになったことなどから、国の関与を盛り込んだ。
 これまで地方教育は、都道府県教委の運営に任せてきた。問題が起きた際に国が乗り出すより、地教委がきちんとした仕事ができるように一層の権限を持たせ、仕組みを強化すべきだ。国の管理強化は、地方分権に逆行することにならないか。

 教員免許法などの改正は、終身制の教員免許を二〇〇九年度から十年間の更新制とし、更新の前に三十時間以上の講習を義務付けた。講習終了が確認できなければ免許は失効し、教職資格を失う。
 学習・生活指導力を疑問視される教員も一部にはいる。しかし、ほとんどの教員は学校現場で懸命に取り組んでいる。少子化で教員が削減され、各種研修などの担当が増えているのも事実だ。学校現場からは「多忙になり、子どもと向き合う時間が減っている。人を増やしてほしい」という声が大きい。こうした現実の上に、三十時間の研修を加えることで、教員の資質、指導力の向上が保障されるのか、疑問が残る。

 今後、参院審議や学習指導要領への反映など、議論の余地は残っている。最善の制度を目指すべきだ。



言っていることは間違いないと思うが、分からないのは、なぜ今頃になってこうした本質的な問題提起をするのかということである。

管理職員を増やせば学校現場がよくなるとはかぎらない。
国の管理強化は、地方分権に逆行することにならないか。
学校現場からは「多忙になり、子どもと向き合う時間が減っている。人を増やしてほしい」という声が大きい。こうした現実の上に、三十時間の研修を加えることで、教員の資質、指導力の向上が保障されるのか
こうしたことは、もっと以前に話し合われるべきことだったはずだ。

また、
福島県での高校生の母親殺害、いじめによる自殺など、衝撃的な事件が後を絶たない。それらの原因は学校、家庭、地域社会の教育力の低下だと指摘される。こうした事件を防ぐために、子どもたちを取り巻く環境を見直す必要があると、多くの国民が感じている。
だとしたら、家庭と地域社会の教育力低下についても何らかの施策が講じられなければならないはずだが、政府は何もしようとしないし、マスメディアも追及しようとしない。

結局、日本の教育は学校と教員が悪くなったからであって、そこさえ何とかすればすべてがよくなる、それが政府与党及び野党、マスメディアの一致した結論なのだろう。とにかく学校以外は問題にしない(問題にしても何もしない)のだから。






 

 

2007.05.26

都教委:中間管理職ポスト「主幹」見直し 希望者少なく


毎日新聞 5月25日]


 東京都が全国に先駆け03年度から公立学校に導入した教員公募型の中間管理職ポスト「主幹」について、東京都教育委員会は24日、受験資格の年齢を引き下げるなど選考や配置の基準の見直しを決めた。主幹をめぐっては、「仕事の負担が重いにもかかわらず待遇が不十分だ」などの理由から応募者が減り、優秀な人材を確保することが困難になっていた。
 都教委の当初計画では、小中高校と特別支援学校に09年度までに計6103人の主幹を配置することになっていた。しかし、今年度までの配置人数は4231人。希望者が少なく、昨年度の受験倍率は1・1倍で、ほぼ全員が合格した。希望者が少ない背景には、上司や部下から任される仕事が山積する割には、年収が一般教員に比べて約25万円しか増えないことがあるとみられている。
 都教委は、受験資格年齢を現行の38歳以上から36歳以上に引き下げる。また、配置人数も小学校2人、中学校3人の原則を見直し、学級数に応じて減らせるように弾力的運用を図る。また、管理職と主幹、一般教員の仕事の分担を明確化したり、給料の改善も都人事委員会に求める方針だ。
 主幹は、参院で審議中の教育関連3法案にも創設が盛り込まれており、都の改善策の効果が注目されそうだ。【木村健二】



 
希望者が少なく、昨年度の受験倍率は1・1倍で、ほぼ全員が合格した。
 間違いではないが正確でもない。

 この1・1倍、実は
800人の募集に対して660人しか受けに来なかったので、まさか全員を合格させるわけにも行かず60人だけ落とした、だから1・1倍になった、というような1・1倍である。実際には大きく定員を割っているのだ。


 希望者が少ない背景には、上司や部下から任される仕事が山積する割には、年収が一般教員に比べて約25万円しか増えないことがあるとみられている。

 これにも追加の説明が必要だろう。

 副校長―主幹制度というのは一般が考えるような教頭―教務主任制度の変更といった生易しいものではない。これは教員の世界の根本的な変革なのだ。
副校長―主幹制度の下では、これまで学校の根幹を方向づけていた職員会議というものが機能を失い、一切が校長―副校長―主幹の三者によって決められる。

 これまで学校という場所は、職員会議(全職員が集まり学校のすべての問題に意見を出し合い、すべてを決めていく)を中心に動いていた。制度上は校長の諮問機関とされる職員会議だが、実質的な力を持っている。
 民間企業になぞらえれば、営業も経理も製造も企画も、組織内の全員が集まり、あらゆることを聞いた上であらゆることに口を出すのだからとにかく時間がかかった。しかしいったん決まると、全員がそれを熟知しているのだから、その後の動きは驚くほど早く統一的だったとも言える。どんな若造の意見でも一応は聞いてくれるのだから、意欲も高まった。不登校や非行などは全員が情報を共有しているから、さまざまな人からの支援が期待できたし一致した対応もできた。
 だが、
そうした意欲の高い組織は、往々にして上の言うことを聞かない。それが副校長―主幹制度を生み出したのである。

 主幹制度の下では、一般職員が話し合うことはない。起案し、決済を仰ぐだけ、話し合って決めるのは校長・副校長・主幹の三者でつくる学校運営委員会だけである。
 だから忙しい。
 セブンイ・レブン(朝7時に出勤して夜11時に退勤する)という過酷な労働を強いられるのはそのためである。

 希望者が少ない背景には、上司や部下から任される仕事が山積する割には、年収が一般教員に比べて約25万円しか増えないことがあるとみられている。

 では、年収で200万円ほどの差がついたとした主幹希望者増えるだろうか?
・・・たぶん増えるはずだ。私たちの世界にだって、教育よりも金の好きな人はけっこういるのだから。

 しかしそれにしても、
 
東京都の主幹制度だのイギリスの教育制度だの、政府は今あるものを捨てて、うまくいっていない別の制度を何故あてにしたがるのか。

 なぜ日本の教育を死に追いやろうとするのか? そこが分からない。







 

 

2007.05.27

教師の事務、外部委託 再生会議2次報告案、教育専念へ負担軽減


産経新聞 5月27日]


 政府の教育再生会議(野依良治座長)は第2次報告案に、教師の事務作業の外部委託や報告書類の簡素化を盛り込むことが26日、分かった。教師の負担を軽減し、学習指導や生活指導など「本来業務」に専念してもらうのが狙い。

 第2次報告案では、授業時間10%増加のため土曜授業の実施や長期休暇の短縮▽「モンスターペアレント」(問題保護者)への対応策として「学校問題解決支援チーム」の設置−などが盛り込まれる。
 こうした提言には教師の負担増が予測される。このため「子供の教育に専念できるよう」に、教師の多忙化の一因となっている事務書類の作成を外部に委託したり、学校事務の共同化、文部科学省や教育委員会などへ提出する書類を簡素化するなど負担軽減をセットにして提言する。
 また、教育現場のIT(情報技術)環境を整備したり、校内LAN(構内情報通信網)を充実させるよう提言し、授業準備などが容易にできるようにする。
 文部科学省が行った昨年7〜12月の公立学校教員の勤務実態調査では、残業時間は小学校が月平均約33時間、中学校は約44時間に達している。また、約7割が「授業の準備時間が足りない」としており、特に授業以外の仕事が増えたことを指摘する声が強くなっている。
 一方、家庭教育に踏み込むとして批判があった「親学」「子育て提言」については触れず、「親の学びと子育てを応援する社会」の形成を求めるにとどまった。
 第2次報告は6月1日に提出される予定。




 この記事を読んで私は絶望的になった。
 メンバーをもう一度見てみよう。
浅利慶太(劇団四季代表・演出家)、池田守男(株式会社資生堂相談役)、海老名香葉子(エッセイスト)、小野元之(独立行政法人日本学術振興会理事長)、 陰山英男(立命館大学大学教育開発・支援センター教授、立命館小学校副校長)、 葛西敬之(東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長)、 門川大作(京都市教育委員会教育長)、 川勝平太(国際日本文化研究センター教授 )、小谷実可子(スポーツコメンテーター )、小宮山 宏(東京大学総長) 、品川裕香(教育ジャーナリスト )、白石真澄(東洋大学経済学部教授)、張 富士夫(トヨタ自動車株式会社会長)、中嶋嶺雄(国際教養大学理事長・学長)、 野依良治(独立行政法人理化学研究所理事長)、義家弘介(横浜市教育委員会教育委員、東北福祉大学特任講師) 、渡邉美樹(ワタミ株式会社代表取締役社長・CEO、学校法人郁文館夢学園理事長)
この中で、公立の義務教育の現場にいたのはおそらく景山英男氏一人だろう。他は誰も普通の学校の教育現場を知らない。

さて、私を絶望させたのは次の一行である。

政府の教育再生会議(野依良治座長)は第2次報告案に、教師の事務作業の外部委託や報告書類の簡素化を盛り込むことが26日、分かった。教師の負担を軽減し、学習指導や生活指導など「本来業務」に専念してもらうのが狙い。

私たちがやっている事務の仕事というものが完全にわかっていない。
例えば中学校の教員が4〜5月に作った書類(事務仕事)は以下のようなものである。

【A群】 【B群】 【C群】
各係年間計画
(ひとり4〜6程度の係を
兼任しているのでその数ぶん)
学級経営案
生徒指導計画
時間割
個人調査表の集計表
学級総合名簿
学級連絡網
指導用写真名票
在籍児童一覧表の記入
地区別在籍児童数の集計
家庭数の調査
出席簿
保健簿
健康観察表
クラス名簿
集金袋の配布
部活調査
要保護家庭調査
通塾調査
留守家庭調査
健康調査
アレルギー調査
自転車通学希望カード
家庭訪問 計画
自転車点検カード
安全点検カードの記入


この中でA群としてまとめたものは年間の計画に属するものである。
「各係年間計画」というのは防災係や行事係、進路指導係や数学係といった係の一年間の計画で、学校運営をどう行っていこうかというものである。「学級経営案」は、「ウチのクラスにはこういう長所とこういう問題点があるから、こういうことに留意しながらこういった点に力を入れて運営していこう」という計画書、「生徒指導計画」は指導の困難な生徒や援助の必要な生徒の現状と指導の方向を書き込んだいわばカルテのようなものである。
 これを外注に出せるのか?
 自分のクラスをどうするかという計画を他人に立ててもらうのか? この子は盗癖があります、この子は発達障害があります、家庭が大変ですといった話を外に持ち出し、指導の計画を誰かに立ててもらうことが、果たして可能なものなのか?

 B群はすべて名簿に属するものである。したがって他人の手に委ねやすい。
 しかしこれだけ個人情報保護にうるさい持代にあって
、保護者の氏名・年齢・住所・携帯電話番号・兄弟関係の書き込まれた書類が、学校の外部に出て行くことに理解を示す保護者がどれくらいいるだろう? 
 さらに原則的なことを言えば、そもそもそういうものを外注に出していいものだろうか?

 C群は調査である。ここも個人情報の塊であり、要保護家庭調査(修学援助―学業を続けるための公的資金援助―を希望するかどうかという調査)などとても外に出せたものではない。しかし差しさわりのない部活希望調査だの自転車通学希望調査などは他人の手に任せてもいいだろう。だがそうなると、これを外注に出すという意味が分からなくなる。
 外部の人間が教室にやってきて生徒に挙手させたりアンケートを配り回収してくれるということなのだろうか? 部活の人数調整が難しいときは生徒一人ひとりを呼んで台に希望・第三希望に変更するための説得をしてくれるのだろうか? 家庭訪問の希望日が重なったら、一軒一軒電話して調整してくれるというのだろうか? 
 
 
教育再生会議は、私が想像していた以上にとんでもないド素人の集まりらしい。彼らはPTAの役員さえやったことがないのかもしれない。もっともPTA役員などやっていたらノーベル賞など取れなかったのかもしれないが・・・。







 

 

2007.05.31

障害児、希望校に全入へ…埼玉・東松山市が来年度から


読売新聞 5月31日]


 埼玉県東松山市は30日、心身にハンデを持つ子どもたちの入学校や進路について指導するため教育委員会に設置されている「就学支援(指導)委員会」を廃止し、2008年度から本人や保護者が希望する学校へ全員入学させる方針を決めた。

 31日の市教委の議決を経て6月の定例市議会で正式決定する。支援委は、各都道府県教委と市町村教委が文部科学省の局長通知などに従って設置しており、廃止は全国で初めて。

 東松山市は、保護者らの要望を受け、「障害の程度で入学校を振り分けるのは問題がある」と判断。支援委を撤廃し、希望を最優先することにした。7月にも保護者と有識者による「就学相談調整会議」(仮称)を新設。同会議は子どもや保護者らに専門的な立場から助言する。市は、介助員の雇用や施設整備のための予算措置も進める。



この記事を読むと、普通の人々は、「東松山市は市民
優しい地方公共団体だ」と思うのだろうか?

私たち教員や行政当局は「東松山市は市民
優しい地方公共団体だ」と思う。そして「金があるんだなあ」と思う。うらやましい限りである。

 市民の希望をかなえてあげたいと思うのは、どこの役所の人間だって同じだ。希望をかなえ、感謝され、それで給料がもらえるなら、公務員ほど幸せな仕事はない。
 そんな素晴しいことを他の市町村は何故やらないのか? 就学指導委員会を堅持して、児童生徒を特別支援学校だの特別支援学級だの、あるいは普通学級だのと振り分けるのは、面子を守るためなのか?
 そうではない。
それをしないのは一も二もなく、金がないからだ。


 普通の市町村で就学指導委員会をなくせば何が起こるか?

 まず、従来なら特別支援学校(以下《学校》と略す)相当と判定された児童生徒が、普通学校の特別支援学級(以下《学級》と略す)に入るようになる。
 《学級》の定員は各地方公共団体によってまちまちだが、仮に8人とした場合、9人目が入級した時点で新たな学級をつくらなければならなくなる。年収400万〜500万円の教員一人を新たに雇うのは大したことではないが(ひとりだったら)、場合によっては教室そのものを新設しなければならなくなる。少子化で教室が余っていると思われがちだが、少人数学習などでたいていの学校は満杯である。そうなると半端な予算ではすまなくなる。

 しかし、現実問題として定数ぎりぎりまで児童生徒数が増えるのは稀だろう。なぜなら《学級》が定員に達する以前に、学校側が自己抑制を計るからである。

 考えてみるといい。学年の異なる8人の子どもが、一斉に「分かりません」と叫ぶのである。知的障害学級ではまともな指導にならず、情緒障害学級ではあっという間に大混乱となる。そしてそこに、今度は《学校》相当の子どもが入ってくるのである。
 もともとが
教師一人に対して児童生徒が2〜3人という《学校》の手厚い介助が必要と判定された子どもである。《学級》はその負担に耐えられない。したがって必然的に比較的軽度の子が《学級》から追い出される。彼らは普通学級に戻されるか、そもそも最初から入れてもらえない。

 もちろんそれにも解決策はある。《学校》相当の児童生徒を《学級》入れる際、それぞれに「介助員」と呼ばれる専門の担当者をつければいいのだ。
市は、介助員の雇用や施設整備のための予算措置も進める。
 という記事の一行は、こうして光り輝いてくる。

そうなのだ。東松山市は、それをやろうとし、それができるというのだ。介助員は当該の子どもが学校に居る間だけつけばいいのだからパートで足りる(相場で200万〜300万円というところだろう)。対象者が20人とすると総計で年間4000万〜6000万円。
「金があるんだなあ」という感慨はここから生まれる。

また、敢てそこに税金を投入することを認めようという東松山市民。かれらこそこの問題のヒーローである。他の市町村には無理解な市民が多すぎる。
 東松山は市民が優しい地方公共団体なのだ。