キース・アウト
(キースの逸脱)

2007年6月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 

 

2007.06.02

教育再生会議 土曜授業、9月入学など提言


毎日新聞 6月2日]


 政府の教育再生会議(野依良治座長)は1日、首相官邸で総会を開き、第2次報告「公教育再生に向けた更なる一歩と『教育新時代』のための基盤の再構築」を正式決定した。土曜授業の復活と「徳育」の新設に向け、学習指導要領の改定などを今年度中に行うよう提言。安倍晋三首相が唱える大学の9月入学も、今年度中に学校教育法施行規則を改正し「全国立大学での入学枠」を設定するよう求めた。土曜授業と9月入学は、早ければ来年度から実現する可能性があるが、拙速な報告に対する懸念の声も出ている。
 
 安倍首相は総会で「学力向上や徳育、大学改革で深い議論をいただいた。教育現場や国民の理解を得る努力をしたい」とあいさつした。第1次報告で掲げた「授業時間数10%増」を巡っては、土曜日や夏休みの活用、1日7時間授業などの案を示し、教育委員会や学校の裁量で選んで実施するよう提示。特に土曜授業は「学校週5日制を基本としつつ、総合学習などが行えるようにする」として、今年度中に学習指導要領を改定し、実現につなげるよう求めた。
 
 同時に、来年4月をめどに教員給与を一般公務員より優遇するよう定めた人材確保法を改正し、優秀な教員を優遇する給与体系の導入を明記。4月に実施された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で成績が振るわなかった学校に対しては、予算や教員配置で支援するよう提唱した。
 
 道徳教育に代わる「徳育」は点数評価の対象としない「新たな教科」と位置付けるが、「多様な教科書と副教材」を使って授業を行うこととした。「多様な教科書」について、再生会議は「文部科学省検定教科書が前提」(同会議担当室)としているが、実現する場合、検定教科書発行には数年程度かかるとみられる。
 
 第1次報告で示された「高校での奉仕活動必修化」に加え、小学校では集団宿泊体験や自然体験・農林漁業体験活動、中学校では職場体験活動を各1週間実施することも盛り込んだ。
 
 大学・大学院改革は、すべての国立大学での9月入学枠の設定を提唱し、今年度中に関係法令を改正するよう求めた。複数大学が大学院を共同設置したり、一つの国立大学法人が複数大学を設置・管理する仕組みづくりも掲げた。
 緊急提言を見送った「親学」に関しては、妊婦や子どもの検診の場を活用した子育て講座などを提唱し、家庭教育のための情報提供として「乳幼児にはテレビを長く見せない」などの「科学的知見」を紹介しているが、当初検討された「母乳による育児」の奨励は盛り込まれなかった。

 ただ再生会議の議論に対し、政府与党内でも「家族の再生を言いつつ授業時間増を言うのはつじつまが合わない」(伊吹文明文科相)との懸念の声があり、2次報告を巡って教育論争は高まりそうだ。【平元英治】
 ◆第2次報告のポイント◆
・「授業時間数10%増」確保のための土曜授業=07年度中に学習指導要領を改定
・道徳教育に代わり「徳育」を「新たな教科」として創設。「多様な教科書と副教材」で指導するが、点数評価はしない=07年度中に学習指導要領を改定
・小学校で集団体験、中学校で職場体験活動を各1週間実施=07年度中に学習指導要領を改定
・全国立大で9月入学導入=07年度中に学校教育法施行規則を改正
・全国学力テストの成績不振校に改善計画書を提出させ、予算や教員定数、人事面で支援
・テレビ視聴の抑制など「子育てにかかわる科学的知見」を情報提供」



言いたいことは山ほどある。

「授業時間数10%増」を巡っては、土曜日や夏休みの活用、1日7時間授業などの案を示し、

 学力世界一のフィンランドは言うまでもなく、シンガポールも韓国も日本より授業時数は少ない。そんなことは何度も言われ続けているのに、なぜ時数の増加で学力が高まると思うのか。

 1日6時間授業の現在であっても、秋から冬にかけての時期は子どもの帰宅が心配だというのに、7時間授業になったら一年の大半は心配し続けなくてはならなくなる。子どもの学力は子どもの安全に優先するのだろうか?
 それより何故、再生会議は「夏休みの廃止」を提案しないのだろう? 

教員給与を一般公務員より優遇するよう定めた人材確保法を改正し、優秀な教員を優遇する給与体系の導入を明記。

 これによって最大40%の給与差が出るという。
教員はもう互いを支えることを止めてしまうだろう。学校はこれまで、困難を抱える児童生徒については全員で情報を共有し、支えあうようにしてきた。しかし今後それはできない。優秀な教員に給与を回すには、一定のダメ教師が必要だからである。
 力のない教員を支えていては「ダメ教師」ははっきりと現れてこない。

道徳教育に代わる「徳育」は点数評価の対象としない「新たな教科」と位置付けるが、「多様な教科書と副教材」を使って授業を行うこととした。

 道徳が強化になると何が違ってくるのか? 評価はしない、道徳専門の教員が来るわけではない、違うのは「多様な教科書と副教材」を使うというだけのことだ。
これまで営々と積み上げてきた道徳の教材はもう使えない。道徳は「教科書」という極めてちっぽけな世界に封じ込められることになる。今の方がよほど豊かなはずなのに。

中学校では職場体験活動を各1週間実施することも盛り込んだ

それは結構だ。しかし生徒を1週間も預かってくれる営業所をどうやってみつけるのだ? 
現在の、たった3日の職場体験も、受け入れてくれる場所がなくて困っているというのに、法改正でもして、事業所に受け入れを強制してくれるというのだろうか?

だが・・・、
それらのことどもは今となっては本当に瑣末なことに見える。

本当にやりきれないのは、
現代の子どもの問題の一切を、政府が社会問題とは考えず、学校(特に教員)と保護者を原因とする問題だと考えている、そのことがはっきりした点だ。

 私たちは長く、子どもの難しさは社会の変化によるものだと考え、そうした社会と対抗すべく努力してきた。
 古くは、チンピラグループとどう戦うか
     テレビとどう戦うか、
     有害図書とどう戦うか、
     ビデオゲームとどう戦うか、
     ゲームセンターとどう戦うか
     深夜営業のアミューズメントとどう戦うか
最近では、インターネットどう戦うか、
     携帯電話を通してのネットワークとどう戦うか

 まとめて言えば不良文化とどう戦い、よき日本文化、ユニバーサルな文化を対置させていくかを考え、努力してきた。これら魅惑的な文化の中で、辛い勉強をさせるための方法を考えてきた。その
私たちが、問題の元凶だとは一度も考えたことはなかったのだ。

 しかし政府や社会はそうではなかった。子どもの問題のすべては、教員と親の指導力低下だけが原因だと考えていたのだ・・・今回の教育再生会議の答申が表現するのは、そういうことである。
 





 

 

2007.06.04

 [教育再生会議] 授業増で学力上がるか


南日本新聞 6月3日]


 政府の教育再生会議が第2次報告を提出した。学校週5日制の見直しや、徳育の「新たな教科」への格上げなど盛り込んだが、安倍晋三首相が教育改革に掲げる「学力向上と規範意識の育成」にどこまでつながるかは未知数で、肩透かしの感もある。

 報告の目玉の一つに、1次報告で提起した授業時間数10%増の具体策として土曜授業の復活や夏休みの活用を打ち出した。実施は自治体の教育委員会や学校の裁量に委ねられるというが、負けじと土曜授業になだれを打つに違いない。
 長い論議と試行を重ねて「ゆとり教育」が始まったのは5年前にすぎない。5日制は、学校と家庭、地域が連携して子供たちの生きる力と心を育てる教育の土台だった。何がいけなかったのか、問題点の総括や反省もないままの決別では朝令暮改は否めず、混乱を招きかねない。
 5日制には、過度の学校教育への依存を解消する狙いがあったはずだ。なのに報告では、放課後子どもプランや土曜授業で子どもを学校に抱え込む方向を示す一方で、「社会総がかり」を理念に掲げているのは説得力と整合性を欠く。

 問題は授業時間を増やせば、学力が上がるという認識の甘さだ。授業時間と学力の相関関係は実証されておらず、現行学習指導要領の下でそれ以前より学力が下がったデータもない。逆に、文部科学省が行った教育課程実施状況調査の共通問題の比較では成績が上がっている。
 学力を上げるには子どもたちが失いつつある学習意欲を高めることが重要で、授業内容や先生の質の向上こそ求められる。だが、再生会議では「何をどう教えるか」という質の論議は低調だった。

 いま最大の問題になっているのは、できる子と授業についていけない子との格差だ。報告には学校選択制の拡充や、評価に基づくメリハリある教員給与も盛られた。選択と集中による競争原理を教育現場に広範囲に導入する意図だろうが、かえって格差を助長する恐れも潜む。

 こうした提言も財政的な裏付けなしには成果を期しがたい。再生会議が教員給与や定数、国立大運営費などの教育予算の拡充にどこまで踏み込むか注目されたが、財政再建路線の厚い壁は突き崩せなかった。「教育新時代」をうたう首相の援護もない中では中身の薄さは当然だ。
 教育が最重要課題というのならカネと人をかけ、腰を据えて取り組む必要がある。年末に予定される第3次報告に向け、悔いを残さぬ再生論議を期待したい。



まったくその通りだ。
何がいけなかったのか、問題点の総括や反省もないままの決別では朝令暮改は否めず、混乱を招きかねない。
教育再生会議の最大の問題点は現状分析をまったくしなかったこと
だ。

学力が下がったという数字がでれば、それは授業時数の削減と教員の質の低下が原因だと、最初から決めてかかったからこのような答申になる。
前提が間違っていれば、いくら正しい論理であっても答えには至らない。
報告では、放課後子どもプランや土曜授業で子どもを学校に抱え込む方向を示す一方で、「社会総がかり」を理念に掲げているのは説得力と整合性を欠く。

結局「社会そうがかり」で学校たたき
に走るしか方法がなくなってしまう。

 教育が最重要課題というのならカネと人をかけ、腰を据えて取り組む必要がある。
一番重要なのはこの点で、世界最低レベルの教育予算をまったくいじらずに学校たたきだけでことをなそうとすれば百年の禍根をのこすというものだ。

以上、この記事は完全に正しい。
残念なのは、再掲会議の答申の出る前にこれを書かなかったことだ。今言っても、それは単なる反対のための反対と区別がつかない。






 

 

2007.06.09

<自殺>34歳教諭 児童の個人情報流出苦に? 千葉・市原


毎日新聞 6月8日]


 千葉県市原市立小学校の児童約250人分の個人情報が流出した問題で、流出元とみられる男性教諭(34)が自殺していたことが8日、分かった。同市教委が発表した。
 市教委によると、男性教諭は6日早朝、千葉市中央区の自宅で、首をつって死亡しているのを静岡の実家から訪れた両親が発見した。両親あての遺書があったが、今回の流出には触れられていなかったという。流出が判明した1日、市教委の聴取に対し「責任を感じている」などと話していたという。
 同市教委は「流出と自殺の関連は分からない」と話している。


 この記事を読んで人はどう思うのだろう?
 まさか死ぬことはないだろうと思うのか、やったことを考えれば死んでお詫びというのも仕方ないと思うのか。

 私は後者である。毎日情報流失の記事ばかり見ていると、少なくともそういった錯覚を覚える。

 児童個人情報を流失してしまった以上、自死もやむをえないだろう。
惜しむらくは、人の命に匹敵する児童生徒の個人情報、それを無料ゲームをやりたいばかりに平気でネット上に流してしまう小中学生がいくらでもいることである。







 

 

2007.06.10

日本の先生、忙しい 部活や生徒会指導など11業務…日教組調べ


読売新聞 6月9日]


 授業以外に多様な仕事がある日本、補習や家庭との関係強化に特化したフィンランド、授業以外の仕事がほとんどないフランス――。日本教職員組合(日教組)の調査で、各国のこんな教師像が浮かび上がった。日教組は「教師の仕事のあり方を広く考えてもらうきっかけにしたい」としている。

 調査は、昨年10月から今年2月、日、韓、米、英、仏、独、フィンランドの計7か国で、教職員組合を通じて、公立小学校〜高校の教員各200人程度を対象に実施された。回収率は23%〜54・5%。
 部活動など授業以外の18業務について、各国の教師がどれくらい担当しているかを尋ねたところ、平均の担当業務数は、日本が11・1で最多。以下、韓(9・3)、独(7・8)、英(6・3)、米(5・0)、フィンランド(4・9)、仏(3・4)の順だった。
 国別に見ると、日本は「部活動やクラブ活動」(65・1%)、「生徒会や委員会の指導」(73・4%)、「地域行事」(58・7%)、「食習慣の指導」(67・9%)など11業務で、かかわっていると答えた教師が7か国中最も多かった。
 学力水準が高いことで知られるフィンランドは、「補習」(70・4%)と「保護者との電話連絡・保護者会」(87・3%)で7か国中トップで、学力向上や家庭との関係を重視していることがうかがえる。
 韓国も日本と同様、多様な仕事を担っていたが、「進路指導」(69・0%)はトップ。ドイツは授業以外の仕事は少ない中で「職業観育成の教育」が40・3%でトップ、「進路指導」が45・2%で2番目に多かった。


 これについて何かコメントする必要があるだろうか?

 日本の教員はいわば十種競技のプレーヤーなのだ。それを5種競技で戦って勝てないからといって無能扱いされてもかなわない。

私たちの仕事を減らせとは言わない。その代わり
フィンランドやフランスの教員に部活動や給食指導や、生徒会や地域活動を行うよう、なんとか彼の国の制度を変えて欲しいものだ。






 

 

2007.06.11

教育制度:フィンランド、子どもの学力が世界トップクラス
自慢の教育法、HPで


毎日新聞 6月10日]


 子どもの学力が世界トップクラスとして知られるフィンランド。その教育制度が注目を集めている。駐日フィンランド大使館は5月末、インターネット上のホームページ(HP)「プロジェクト・フィンランド」を立ち上げ、教育制度や自国の紹介を始めた。HPをのぞくとフィンランド流「学力の育て方」が垣間見える。【望月麻紀】

 ◇駐日大使館、11〜15歳向けに
 フィンランドの教育が注目されたのは、経済協力開発機構(OECD)が発表した03年の学習到達度調査(PISA)で総合1位に輝いたのがきっかけだ。
 PISAは、参加41カ国・地域の15歳が対象。数学的活用力、読解力、科学的活用力、問題解決力の4分野で、知識や技能の実生活での応用力を評価する。日本は読解力以外はフィンランドと同程度の最上位グループだった。だが、読解力は14位で、1位のフィンランドとは差がついた。
 以来、大使館には教育制度に関する問い合わせが相次いでいる。そのため、4年前に駐米大使館が立ち上げたHPを日本向けに改編した。
 対象年齢は11〜15歳。(1)フィンランドの学校と仕事(2)美しい環境を守るために(3)世界の中のフィンランド−−の3テーマについての解説を日本語で掲載。同国の作家、トーベ・ヤンソンさんの作品に登場する「ムーミン」が案内役で、内容の理解を確認するクイズもある。
 フィンランドの紹介だけでなく、日本の子どもがフィンランドと比較しながら自国についても学べるような工夫が凝らされているのが特徴だ。例えば「フィンランドにある木の種類は約20種。日本には何種類の木が生えていますか」と問い、環境省や林野庁の子ども向けHPも紹介している。
 ヨルマ・ユリーン大使は「フィンランドでは、自発的な学びが大事だと考えられている」と言う。リーサ・カルビネン参事官は「分からない言葉は辞書で調べる。難しさがある方が学習効果がある」と、対象年齢最年少の小5では未修の漢字もHPに含まれている理由を説明する。
 プロジェクト・フィンランドはhttp://projectfinland.jp/

 ◇少人数でのびのび/「なぜ」ぶつけ合い/自発的な学び尊重
 フィンランドの義務教育は日本と同じ9年間。1学級25人以下で、低学年の場合、10人以下での授業もあり、教師も子ども同士も「なぜ」「どうして」をぶつけ合いながら学ぶ。余裕があるのは、1992年に教科書検定を廃止し、94年には国が定める学習内容を10分の1に減らしたためで、具体的な学習内容は学校や自治体が独自に決める。
 フィンランドの教育に詳しい福田誠治・都留文科大教授は「子どもによって疑問に思う点や、学びのペースは異なる。国が定める学習内容が少なく、小学6年間は担任教師も代わらないため、フィンランドでは長期的視野で育てられ、落ちこぼれを作らない仕組みになっている。『なぜ』という問い掛けを繰り返すことで、自発的な学習が進むのだろう」と解説する。
 教師は修士課程を修了し、社会的地位も高い。クラブ活動の指導はせず、放課後は授業準備などにあてる。教育費は大学まで公費でまかなわれる。義務教育では教科書のみならず、文具も公費負担で家計の負担は少ない。

 日本と比べ、読書時間は多い。00年のPISA調査では、1日30分以上の読書をする子の割合は、日本の3割に対し、フィンランドは5割。日本は5割超が0分だった。この読書傾向が読解力の差に影響しているという分析もある。



学力が下がった下がったといいながら、政府は学力先進国からは絶対に学びたくないらしい。
小学校4年生で将来を分けてしまうシンガポールにも、名うての受験大国台湾にも香港にも韓国にも学ばない。お手本にするのは格下のアメリカやイギリスだ。

 さて、そこでフィンランド。
日本は読解力以外はフィンランドと同程度の最上位グループだった。だが、読解力は14位で、1位のフィンランドとは差がついた。
なるほど。

  • 1学級25人以下で、低学年の場合、10人以下での授業も
  • 1992年に教科書検定を廃止し、94年には国が定める学習内容を10分の1に減らしたためで、具体的な学習内容は学校や自治体が独自に決める。
  • 教師は修士課程を修了し、社会的地位も高い。クラブ活動の指導はせず、放課後は授業準備などにあてる。
  • 教育費は大学まで公費でまかなわれる。
  • 義務教育では教科書のみならず、文具も公費負担で家計の負担は少ない。
  • 日本と比べ、読書時間は多い。00年のPISA調査では、1日30分以上の読書をする子の割合は、日本の3割に対し、フィンランドは5割。日本は5割超が0分だった。


確かに、これでは真似したくないわけだ。

日本の教員は、自国の学習法を捨て、より頭の悪いやつの学習法を強制された上で、より頭のよいやつに勝たねばならないという、極めて無体な要求をされている。






 

 

2007.06.15

主任・部活指導は増額
教員“残業手当”を見直し 文科省方針


産経新聞 6月14日]


 文部科学省は公立小中学校の教員給与のうち、残業手当の代わりに一律支給されている教職調整額について、教務などの負担に応じて配分する方針を固めた。「主任」や「部活動指導」を担当する忙しい教員には増額する一方、休職や研修中であれば対象外とする方向。残業自体も増えているため、実態に合わせた調整額全体の引き上げも検討している。

 同省は、次期通常国会への関連法案提出を目指している。ただ、調整額アップに財務省が難色を示すのは必至で、来年度予算編成などでも焦点の1つとなりそうだ。

 教員の場合、勤務時間かどうか区別することが適当ではないとの考えから、残業手当は支払われていない。その代わり、給料月額の4%相当を教職調整額として支給することが法律で定められている。

 休職中でも、学校に遅くまで残って仕事をしていても一律で、勤務実態が反映されない仕組みになっているため見直しが課題になっていた。

 同省は、職務の忙しさなど負担に応じて支給率を定める方針。ただ、忙しさの判断は主観に左右されるだけでなく、支給率を事細かに設定すれば、学校の管理職らの負担にもなりかねない。そこで、同省は各学校が作っている「校務分掌組織表」などの中から、特に負担が重い業務を選び、それを担当する教員の支給率を上げる方針だ。

 現行の支給率4%は、40年前の教員勤務実態調査に基づいており、当時の教員の残業時間は平均月8時間程度だった。しかし、平成18年度の調査では約40時間との結果が出ており、教員の負担は増えているという。


教職調整手当ては、働かなくても一律にもらえるということですこぶる評判の悪いものである。世間の人々にはヤミ給与のようにしか見えないらしい。

一方、教員からみるとこれはむしろ「ヤミ減俸」で、「一律に4%やるから残業手当は我慢しろ」と言った性質のもの。これまた評判が悪い。

両者意見が一致しているのだから、ぜひとも止めてもらいたい

現行の支給率4%は、40年前の教員勤務実態調査に基づいており、当時の教員の残業時間は平均月8時間程度だった。しかし、平成18年度の調査では約40時間との結果が出ており、教員の負担は増えているという。

つまりきちんと計算をしてスライドさせていれば調整手当ては5倍の20%、給与水準に合わせれば85000円ほど(44歳)になっていたはずである。

さらに、これはあくまで平均だから、月に60時間〜80時間働く教員の手当ては120000円〜170000円ほどにもなったはず。これではあっという間に管理職の給与を超えてしまうから管理職手当てもまた見直さねばならないが、教員の意欲を支えていくにはしかたないだろう。

給与を減らし、教員評価や免許の更新制で叩いて働かせても、内容は伴ってこないはずだ。







 

 

2007.06.19

親の理不尽な要求、抗議に学校苦慮
…読売調査


読売新聞 6月18日]


 子供の通う学校に理不尽な要求や抗議を行う親に、全国の公立小中学校や教育委員会が苦慮している実態が、読売新聞の調査で明らかになった。

 ◆18教委、クレーム対策
 調査に応じた67の主要都市の教委のうち、40教委がこうした親の実例を把握し、18教委はクレームに対応するための専門職員の配置や教員研修といった対策を実施していた。政府の教育再生会議も第2次報告で、専門家チームを設ける必要性を指摘しており、親のクレーム対処が教育現場の大きな課題となっている。

 調査対象は、全国の道府県庁所在地と政令市、東京23区の計73市区の教育委員会。公立小中学校における親のクレームについて尋ねたところ、67教委から回答があり、40教委が身勝手な要求や問題行動に「苦慮している」と回答した。

 具体例の中では、「自宅で掃除をさせていないから、学校でもさせないでほしい」「(子供同士で小さなトラブルになった)相手の子を転校させるか、登校させないようにしてほしい」など、我が子かわいさから理不尽な要求に至るケースが目立った。

 また、勉強の進み具合が遅れている中学生に小学生の問題を解かせたところ、「子供が精神的に傷ついた」と抗議したり、子供が起こした自転車事故なのに、「学校の指導が悪い」と主張したりする例もあった。

 親が学校現場を飛び越して、教育委員会や文部科学省に、メールや電話で苦情を持ち込むことも多く、ある教委では、抗議の電話が6時間に及んだという。暴力団とのつながりをほのめかし、圧力をかけようとするケースもあった。

 親からの継続的なクレームに対応するため、教師が部活動の指導やテストの採点作業の時間を奪われたり、精神的なストレスを抱えたりすることも多く、「教育活動に支障を来している」との声が出ている。

 今回の調査に対し、「事例を公表することで当事者が再びクレームをつけてくる恐れがある」との理由から回答を避けた教委もある。

 一方、18教委では、クレームを想定した対策を実施。「管理職と教務主任を対象に研修を実施」(佐賀市)、「教委に親対応の専門職員を置いている」(奈良市)、「目に余る時は警察と連携する」(名古屋市)といった取り組みのほか、問題行動を起こす親を精神的にサポートする必要があるとして、「臨床心理士と協力して対応する」(東京都江東区)という教委もある。また、東京都港区では今月から、クレームに対し、学校が弁護士に相談できる制度をスタートさせた。

 教育再生会議も今月1日に公表した第2次報告の中で、精神科医や警察官OBなどが学校と保護者の意思疎通を手助けする「学校問題解決支援チーム(仮称)」を各教委に設置するよう提言している。




 いわゆるモンスター・ペアレンツの問題はここ数年の間に急浮上してきたものである。昔もうるさい親はいたが、それとはタイプが異なる。

 第一に、彼らは自身の要求が理不尽ないしは不正義なものだとはまったく感じていない。
「自宅で掃除をさせていないから、学校でもさせないでほしい」
「(子供同士で小さなトラブルになった)相手の子を転校させるか、登校させないようにしてほしい」

などはその典型で、自分は正しい要求をしているのだから、対応はそちらが行えと突っぱねて引くことがない。
彼らはしばしば、「何月何日まで書面で回答せよ」と要求するが、自らの要求を書面に残すことはない。

もうひとつの特徴は、
 親が学校現場を飛び越して、教育委員会や文部科学省に、メールや電話で苦情を持ち込む
ということである。

 かつては担任から学年主任、それでだめなら教務主任、教頭、校長と、苦情や相談は階層を下から上へと昇り、その間にさまざまな意見や話を聞いているうちに抗議のエネルギーは和らぎ、穏やかな話で終えることができた。もちろんその間、学校も引き取るべきものを引き取った。

 しかし
今はいきなり行政のトップに話を持ち込むことにより、保護者は行政を通じてしか学校と話をしなくなった。つまり学校との直接対話自体が行われなくなってしまったのである。
 まさにインターネット時代の申し子のような親たちである。直接人間どうしが向き合う対話は苦手なのだ。
 
 名前を名乗っての抗議や電話ならまだしも、これが匿名の電子メールだとさらに厄介なことになる。

 かつて行政への要求が匿名の手紙や電話で寄せられた時代は、それが匿名であるがゆえに返事を書かずにすんだ。
しかし電子メールでは匿名のままのやり取りができるため、返事を出さないとそのこと自体が不誠実な証拠として、後に係争の現場に持ち出されかねない。したがってどんな場合にも返事は書かなければならないし、言質をとられないためには非常に神経質で慎重な推敲が必要になる。行政は今、この匿名メールへの対応でてんてこ舞いなのである。

 教育再生会議も今月1日に公表した第2次報告の中で、精神科医や警察官OBなどが学校と保護者の意思疎通を手助けする「学校問題解決支援チーム(仮称)」を各教委に設置するよう提言している。

 ご苦労なことだ。
 こうした問題は、教員の数を2割〜5割増やすだけでほとんど解決できる問題である。いや、そもそも問題自体が発生しにくくなる。
 それをできるだけ少ない支出で済まそうとするから、問題は解決しないし余計な出費にはなるなど、踏んだり蹴ったりの結果となる。私たちにしても、同じことを精神科医や警察OBに説明し直すのは面倒なばかりでなく、誤解を招くもとにもなりかねない。

 「教育のど素人たち」(再生会議のメンバー:この言い方は中央教育審議会座長の梶田叡一氏)はろくなことを考えない。
 






 

 

2007.06.20

「先生の指導役」新ポストを設置
都教育庁、来年度にも


朝日新聞 6月19日]


 東京都教育庁は、公立学校で主幹職を補佐し、教諭の指導役になる新たな職を来年度にも設ける方針を固めた。「主任教諭」の名称にする方向で、ピラミッド化を進めて役割分担や指示系統を明確にし、指導力向上を図るという。新たな職の設置が可能になる学校教育法改正案が参院で審議中だが、先取りする形になる。
 同庁によると現在、都内の公立学校では教員は校長、副校長、主幹、教諭の4段階に分かれている。このうち全体の約85%を占める教諭を「主任教諭」と「教諭」に分けて5段階にし、主任教諭は給与を上げる。10年目程度の中堅層が対象で、若手の指導役として中堅層の過半数を採用する方針だ。
 団塊世代の退職期を迎えて指導役の教員の不足が見込まれることが背景にある。女性の管理職が少なく、多くの女性教員に指導的立場にたってもらう目的もあるという。
 このほか、校長のなかでも進学重点校や困難校など改革が必要な学校では、給与の高い「統括校長」も新設する。
 今後教育委員会の承認を得た上で、都の学校管理運営規則を改定する。区市町村にも規則改定を求める。8月には都人事委員会に給与制度改定を要望し、来年4月からの任用を目指す。
 教員の階層をめぐっては、政府の教育再生会議が「公立教員給与は評価を踏まえた体系にする」と第2次報告を首相に提出。「副校長、主幹教諭、指導教諭の三つの職を新設できる」とした学校教育法改正案が衆院で可決され、国が制度改正に動き出している。
 ただ、都は03年度、全国に先駆けて主幹を新設したが、負担が重く必要数の6割しか配置できていない実態もある。新ポスト導入に現場の教員からは「管理強化を進めるものだ」「教諭の分断化を図っている」と反対する声があがっている。同庁は「指導力向上が目的で管理強化ではない」としている。


 ご存知のとおり、東京都は全国で最も予算が潤沢な自治体である。そこが
 このうち全体の約85%を占める教諭を「主任教諭」と「教諭」に分けて5段階にし、主任教諭は給与を上げる。
 といったところで、他の自治体がまねできるはずもない。その
東京都ですら、主幹教諭の給与は年額で25万円程度しか増えていないと聞いた。25万円と引き換えにセブン・イレブン(勤務が朝7時から深夜11時に及ぶ)と言われる生活を引き受けるはずもない。
 都は03年度、全国に先駆けて主幹を新設したが、負担が重く必要数の6割しか配置できていない実態もある。
 と言うのも頷ける話である。
 
 教員と言うのは出世や金では動かない人たちである。もちろん明治大正の時代のように、村の村長と警察署長と学校長が同じ給料を貰っていたというような高給が保証されるなら別だろうが、校長になったところで年収1000万円に程遠く、権威も権力もないくせに責任だけある、この世界で、予算も増やさずにわずかな収入増と出世で釣ろうとしてもムリである。

 教育という高貴な仕事に誇りを持っている人々に、金や出世の話をするのは冒涜である。しかし世間がそのように扱うなら、教員もやがて金のために働くようになるしかない。
 下世話な言い方をすれば「やってられない」からである。
 
 





 

 

2007.06.24

教育3法改正 教える意欲がそがれる

信濃毎日新聞 6月23日]


 教える立場にある人は「あこがれを強く持つ必要がある」。教育学者の斎藤孝さんが、著書「教育力」(岩波新書)に書いている。

 何かを価値あるものと認め、目指し、心ひかれるからこそ努力する意欲がわく。教育の基本は学ぶ意欲をかき立てることである。教える者があこがれの気持ちを失っている場合には、人はついてこない、と斎藤さんは指摘する。

 いまの学校で何かにあこがれ、学ぶ意欲を持ち続けていられる先生がどれくらいいるだろうか。

 「教育改革といってさまざまなことが変わろうとしているけれど、じっくり考える時間も心のゆとりもない」。ある小学校教諭の言葉だ。

 忙しさに加え、保護者との対応、職場での人間関係などに疲れ果てる教員も増えている。2005年度にうつ病などの精神性疾患で休職した公立校の教員は約4200人に上った。過去最多である。この10年で約3倍になった。

 こんな状況下で、さらに学校や教員の負担を増す教育関連3法が改正された。学校に新たな管理職を置ける。教員免許を10年ごとの更新制にする。文部科学相が教育委員会に是正を求める権限を持つ。

 いずれも内容が生煮えなまま決まった。運用面での検討を十分に重ねる必要がある。

 免許更新制は09年度から始まる。講習の詳しい内容も評価基準もこれからだ。対象者は毎年10万人余に上り、手続きは大変になる。約30時間の講習で、本当に教員の質の向上になるのか、疑問符がつく。

 学校教育法の改正では、学校に副校長や主幹などを置けるようになる。校長を補佐したり、他の教員への指導ができるポストだ。ただ、管理職が増えても教員の数が増えるわけではない。安易にポストを増やすと、教員が子どもに向き合う時間を奪う結果になりかねない。

 最も大きな問題は、お金も人も増やさず、現場の頑張りだけを期待する“改革”になっていることだ。

 3法の審議で教育予算の増額を求める声が与野党から相次いだ。しかし安倍政権初の「骨太の方針」では「効率化を徹底しながら、真に必要な予算は財源を確保する」とあいまいな表現にとどめた。

 行政改革の名のもとに、政府は教員定数を減らし、評価に基づいて給与に差を付ける方針だ。授業時間の増加、小学校での英語必修化なども検討課題とされている。

 教員の負担を増し、国の管理を強めるだけでは、教員の意欲をそぐ結果になる心配が大きい。これでは、教育はよくならない。



 いまの学校で何かにあこがれ、学ぶ意欲を持ち続けていられる先生がどれくらいいるだろうか。
 
ほんの20年前と比べても、私たちの生活は大きく変わった。

 20年前の教員はコンピュータなどできなくてもよかった。教える必要もなかった。
 ケータイとの戦いもテレビゲームとの戦いもなかった。
 総合的な学習という極めて個性を尊び(ということは教科書に頼らず独自に開発しなければならないということだが)膨大な準備の時間を必要とする時間もなかった。

 多くの保護者は、たいてい敵ではなかった。
 学校で子どもが悲しい想いをすることをやはり切ながったが、それでも学校を訴えることなど考えなかった。そんなことで事を荒立てるのは恥ずかしいことだった。


 80年代、私が最初に買った教職グッズのひとつは根性棒だった。実際に使いはしなかったが、それでも平手で生徒を殴ることは平気だった。
 暴力は、いい悪いは別として、少なくとも短期的な抑止力としては効果があった。

 暴力は人の心を荒ませるというが、だとしたら私たちの世代の人間の心は荒みきっており、今の子どもたちこそ心豊かに暮らしているはずだが、どう見ても豊かに見えないのは何故だろう?

 小学校の帰りの会で、私など年がら年中名前を上げられ、ヤレ掃除をしなかっただの、いやなことを言ったのだの突き上げられていたが、それを「教師主導のイジメ」などと言ってマスコミに訴えるような親はいなかった。それは親としてしてはならないことだったし、そのようにして私たちは鍛えられてきたのだ。

 しかし今はそれらすべてが禁じられ、私たちは言葉のみで教育することを強いられている。
 それで教育力が下がるのは当たり前なのだ。

 最も大きな問題は、お金も人も増やさず、現場の頑張りだけを期待する“改革”になっていることだ。

現今の教育問題の大半は、教員を2割増やすだけで絶対に解決できる。

しかし、教員は減らしこそすれ、絶対に増やしはしないという。その上で、社会の期待にこたえられない教員には「やめていただく」という。

もうこれは、ほんとうに「やってられない」世界である。