いじめや不登校などの問題が深刻化する中、教員とは異なる観点で生徒らの相談に応じるスクールカウンセラーへの期待が高まっている。文部科学省の調査研究協力者会議は7月、小学校にも派遣を拡大するよう求め、文科省も来年度から増員する方向で検討に入った。だが、スクールカウンセラーの活用は各県でばらつきがある上、人材不足など課題が多いのも事実。単なる増員ではなく内容の充実が求められている。(川瀬弘至)
同会議の報告書によると、いじめや不登校などの発生件数は小学校より中学校が圧倒的に多い。しかし中学校の暴力行為が平成12年度をピークに減少しているのに対し、小学校は増加傾向にあり、潜在的に多くのいじめが行われている可能性がある。このため同会議は「小学校の教育相談体制の充実を図っていくことが必要」としている。
具体的には、小学校にも生徒指導主事などを置いて相談体制を充実させるほか、これまで中学校を中心に派遣されていたスクールカウンセラーについて、小学校にも派遣を拡大するよう提言した。
スクールカウンセラーの充実は、学校現場からも求められている。
文科省が今春、全国の小中高校の校長を対象に行ったアンケート調査では、スクールカウンセラーについて全体の90%以上が「効果があると感じる」、「生徒らが気軽に悩みを打ち明ける存在」、「相談体制の中核的な役割」と肯定的な意見を持ち、「必ずしも有効に活用されていない」などの否定的な意見は5%未満だった。
だが、十分な相談時間が確保されているとはいえず、小学校で派遣されているのは全体の8%しかないのが実情。秋田県では中学校でも26%しか派遣されないなど、各県で活用状況にばらつきがある。派遣も大半は週1回以下で、「週2、3回は必要」と求める校長らの声とは大きくかけ離れている。
こうした実情をふまえて、文科省では来年度予算でスクールカウンセラーを増員したい考えだ。しかし、それだけでは解決できない問題も少なくない。スクールカウンセラーは非常勤で、不安定な身分などから人材不足が懸念される。相談能力の資質の向上をどう図るかも課題の一つという。
文科省では「スクールカウンセラーの上に指導役のスーパーバイザーを新設するなど、内容面の充実も図りたい」としている。
◇
■人材不足…身分の安定が必要
スクールカウンセラーが受ける相談内容は多種多様だ。児童生徒だけでなく、教員や保護者からの相談も少なくない。
「中でも女子中学生は人間関係が微妙で、ちょっとしたことで仲間外れにされることもある。複雑な相談内容を扱うには一定の技量が必要だ」
岐阜県臨床心理士会の宮本正一代表理事(岐阜大教授)は指摘する。
だが、スクールカウンセラーは非常勤の上、1週の勤務時間が原則8〜12時間と制限されているため、「長く続けていこうという人が少ない。とくに地方は人材不足だ」。
小学校にも派遣を拡大することには「いじめや不登校は小学校時代からの積み重ねであることが多く、早い段階から相談体制を整えることが必要」とする一方
、「スクールカウンセラーを教育委員会の常勤職員にするなど、身分の安定が必要」と求めている。
「カウンセラー」は英語であって日本語の訳はない。辞書で調べると「カウンセリングを職業とする人」とあり、しかたないので引き続き「カウンセリング」を調べると「仕事や生活の悩みについて相談を受け,助言すること」(デイリーコンサイス国語辞典)となる。ただし大学での私の師匠筋だと「カウンセラーの日本語訳は『人格者』だ」といった言い方になる。職業としてのカウンセラーより時には「村の古老」の方がよほど役に立つと言う意味らしい。
さて、各校の学校長に聞けばスクールカウンセラーについて全体の90%以上が「効果があると感じる」、「生徒らが気軽に悩みを打ち明ける存在」、「相談体制の中核的な役割」と肯定的な意見を持ち、「必ずしも有効に活用されていない」などの否定的な意見は5%未満だった。となるのは当たり前で、大切な税金を使って行われているカウンセラー事業に否定的な発言をすれば、体制内批判だと受け取られかねないし、うっかり「必ずしも有効に活用されていない」などと言えば「有効に活用するのはお前の仕事だろう」とツッ込まれかねないから肯定的な発言をするだけで、これでいいと思っているわけではない。
「週2、3回は必要」と求める校長らの声というのも遠慮がちな発言であって、本当は毎日常勤で来てくれればそれに越したことはない。ただし、実際にカウンセラーがいたところで、困難を抱える児童・生徒がきちんとカウンセリングルームへ通ってくれるという保証はないし、通常は保健室よりさらに居心地のよい保健室といった感じの溜まり場になってしまうくらいがオチだ。また、何もなければカウンセラーは日長一日、自分の部屋で暇をかこって過ごすだけになってしまう。
校長が本当に欲しいのはカウンセラーよりも生きのいい教員なのである。何もなければチームティーチングとして使っておき、一朝何かあれば教室からはずしてカウンセリングルームに行ってもらえばいい。
授業を荒らす子がいればそのこと一緒に出て行けばいい。
カウンセリングルームにしか登校できない子がいればそこで勉強をみてくれればいいし、
学校にも来れなければ訪問授業を展開すればいい。
暴力事件で警察に行くのも彼でいいだろうし、
出張で誰かが抜けたときに授業の穴埋めをするのも彼に任せればいい。
そんな、なんでもやらせられるという意味でのスーパーティーチャーが2〜3人いれば、それだけで学校の状況は格段によくなるはずである。
カウンセラーの日本語訳は「人格者」である。そんな先生は学校にはいくらでも転がっている。彼らを学級担任からはずし、フリーランスを与えることこそ学校改革の決め手であり、資格はあるものの学校にはド素人のスクールカウンセラーなど、本当はいらないのである。
調査は今年3月31日を基準日にして、児童が教室内で勝手に行動し、集団教育という学校の機能が2〜3週間以上成立していない状況を学級崩壊とした。学年別では6年が25学級と最も多く、4年が24学級、2年が21学級と続いた。担任教諭の経験年数は31年以上が30人と最も多く、26〜30年が26人だった。
一方、学級崩壊の予防措置として、校内で組織的に対応できる体制づくりをしていたり、ティームティーチング(複数教員指導)や担任以外の教員が授業を行っている学校が90%以上あった。県教委は「問題を教師一人で抱え込むのではなく、学校ぐるみで動こうとする意識が高まった」とみている。【鷲頭彰子】
問題点が二つある
ひとつは
担任教諭の経験年数は31年以上が30人と最も多く、26〜30年が26人だった。
これを読むと、経験年数が多いほど学級経営で苦労するように見える。そこから「古い教育法が通用しなくなった」とか「厳しい指導に児童が反発するようになった」とかいった結論を導き出すのは間違いである。
「2007年から始まる団塊世代の大量退職」という話を聞いたことがあると思うが、そもそも経験年数31年以上という世代の教員が圧倒的に多いのである。学級崩壊がどの世代の教員にも満遍なく起こるとしたら、必然的に人数も多くなる。
ただし、逆に言えば「学級崩壊がどの世代の教員にも満遍なく起こる」という可能性自体が、気を滅入らせる。教師の熟練が通用しないのだ。そしてそれが通用しないとしたら、私たちは何を頼りにこの事態を乗り越えていけばいいのか・・・。
第2に
県教委は「問題を教師一人で抱え込むのではなく、学校ぐるみで動こうとする意識が高まった」とみている。
統計に当たって調べたわけではないが、人口からみるかぎり埼玉県は予算の潤沢な地方自治体だと思われる。
ティームティーチング(複数教員指導)や担任以外の教員が授業を行っている
それができるためにはティームティーチング担当教員や授業に行ける担任以外の教員が学校に配置されている必要がある。
私の前任校のように、担任以外の教員は教頭だい、といった学校ではどう転んでもまねのできるとではない。
逆に言えば、教員の増派を行うだけで、
校内で組織的に対応できる体制づくり
はできるのだし、増員がなければいくら意識が高まっても打つ手は限られてくるのである。
教育改革の決定打は、結局のところこれだけである。
約40年ぶりに行われた学力テストは、小学6年、中学3年の233万人余りが受けた。国語と算数・数学の2教科で、基礎的な知識と応用力を試す問題が出た。
文部科学省が公表するのは都道府県段階の正答率。詳しい結果は市町村教委や各学校に届けられ、それぞれの判断で成績を公表できる。扱いによっては、学校の序列化につながる心配がぬぐえない。
学力テストの問題点をあらわにしたのが東京都足立区での不正だった。昨年行った区独自のテストで、ある小学校が特別支援学級にも通う児童の答案を集計から抜き取っていた。別の小学校では、校長らが試験中に答案を指さして、児童に間違いを気付かせていた。学校の成績を上げるための不正である。
足立区では学校ごとの成績を公開している。区全体で学校を選ぶことができる制度になっているため、テストの結果は重大な意味を持つ。
人気のある中学は定員を超える入学希望者があり、抽選を行う。一方、希望者が定員の半分にも届かない学校もある。より多くの生徒を集めるために、点数アップが学校の目標になる。いったん評価が低くなると、逆転は難しい。
子どもや親にとって、学校が選べるのはいい面もある。一方、教育に熱心で経済的に余裕がある家庭が人気校に集中し、不人気校が困難な家庭環境の子どもを抱え込みがちという指摘もある。学校間競争の"先進地"の実情を見ると、教育格差が広がる危うさがうかがえる。
長野県内でも一部で私立中学を目指す小学生が増えつつあり、学校選択制も広がっている。義務教育での競争や選択に無縁ではいられない。
政府の教育再生会議は、生徒や保護者が学校を選択して、人気の高い学校には予算を多く配分する「教育バウチャー(利用券)制度」の検討を始めている。第三者による学校評価制度も課題だ。学校を競わせることで、教育の改善につなげるとの狙いである。
そこに学力テストが選択の材料として使われれば、足立区のような不正が繰り返される心配がある。それでは質の向上どころではない。
学校や保護者が、まずは冷静にテスト結果を受け止めたい。その上で、指導にどうつなげるか、国や教育委員会の姿勢が問われる。
趣旨の分からない文である。
何に反対し、何に賛成しているのだろうか? そして何を提案しているのか?
さて、現在の政府の最大のテーマは財政再建である。これだけ借金が多くなるとにっちもさっちも行かないのであって「聖域なき構造改革」は何が何でも達成されなければならない最大のテーマである。
それを教育の分野で考えたとき、もっとも問題となるのは公教育の効率の悪さであろう。児童生徒数1000人の学校でも10人の学校でも、等並みに最低1個の体育館とプールと校舎が必要、というのは一般的には考えにくいところである。同じく1000人規模であろうと10人の学校であろうと、同額の給与を必要とする校長と教頭と事務官と養護教諭が配置されるというのも、財政面から考えれば納得のいかないところである。四人合わせれば給与だけでも年間3000万は下らない。
これを統廃合し、学校数を現在の80%程度に減らせば、それだけで浮き上がってくる税金は莫大なものである。その分を国庫補助から引き上げれば、国の財政再建にどれだけ寄与できるかは計り知れない。
ただし、学校ひとつを潰すというのは容易ではない面がある。特に日本の初等中等教育というのは、本来、庶民の自発的な支援によって支えられてきた部分があり、日本全国の小学校多くは、明治初年に地元民が身銭を切って校舎を建て教師を雇って支えてきたという経緯があるのだ。現在統廃合の対象となっているのは、ここ20年余りの間に必要に迫られてつくった学校ではなく、むしろそうした庶民の力によってつくられた伝統校ばかりなので、創立130年といった学校を廃校にするためには、それなりの大義名分が必要だ。
そこで導入されるのが「学校の選択制」である。
生徒や保護者が学校を選択して、人気の高い学校には予算を多く配分する「教育バウチャー(利用券)制度」
これが行われるとなると、児童・生徒数の少ない学校の教育条件はどんどん悪くなる。「人気」というのは人数の問題だから、人数の少ない学校は最初から予算配当が少ない。最初から予算が少ないという悪条件を避けて児童・生徒が大規模校へ流れると、移動は加速度的にスピードを増して、結局、最終的に学校は潰れる。
すべては政府の思う壺である。
子どもや親にとって、学校が選べるのはいい面もある。
本当にそうだろうか?
東京の都心部のように数百メートルの間隔で学校が密集する地域なら、ひとつ学校がつぶれても隣の学校までわずか1〜2kmである。しかし信濃毎日新聞記者氏の長野県で学校が潰れたらどういうことがおきるのか、氏は考えたことがあるのだろうか?
さらにまた、教育バウチャー制度が完全実施された後は学校の職員の一人として、私たちは児童生徒・保護者に対して、こういう言い方で対応できることになる。
「バウチャーを持ちながらこの学校にいるということは、結局、この学校の方針を支持し、この学校のやり方に従うってことですよね(嫌ならいつでも、バウチャーを持って他の学校へお行きなさい)」
安倍晋三首相は教育再生を政権の最重要課題に掲げており、同省の教育再生関連予算は安倍政権の目玉予算にもなる。行政改革推進法で教員の定数減を求められている中で、7月の参院選で敗北して求心力を失いつつある安倍首相が、教員増を盛り込む教育予算を実現できるかが注目される。
同省は新年度予算の概算要求で、「子どもと向き合う時間の拡充および教員の適切な処遇」として、義務教育費国庫負担金のほか、非常勤講師の配置(77億円)や事務作業の外部委託(205億円)の新規事業も盛り込む。義務教育費国庫負担金の内訳は▽主幹教諭や事務職員の配置(167億円)▽メリハリある教員給与体系の実現(89億円)などとしている。
約7100人の増員計画は、主幹教諭(約3600人)▽習熟度別少人数指導の充実(約1900人)▽事務負担の軽減(485人)▽栄養教諭(約150人)などとなっている。文科省によると、小中学校の教員数は現在、約70万人。
伊吹文明文科相はこれまで、記者会見などで「教師が多忙であることは(国会の)各公聴会、参考人の話でも出ている。これをどう緩和してあげるかだ」などと教職員の待遇改善の必要性を強調していた。【高山純二】
してくれることに文句を言ってもしかたないが・・・。
2万1千人といえばたいそうな人数に思えるが、割合にして3%。職員の数が33人というかなり大きな学校に一人配当される計算である。しかも初年度の約7100人の増員計画は、主幹教諭(約3600人)▽習熟度別少人数指導の充実(約1900人)▽事務負担の軽減(485人)▽栄養教諭(約150人)などをみると、事務負担の軽減の485人が学級通信を書いたり通知表を書いたり、はたまた欠席連絡やら連絡ノートに保護者向けの返信をしてくれるはずもなく、おそらくこれは事務職員の配当されていない学校の事務として雇われていくだけである(もっともそれで教頭先生の仕事が軽減されるのは悪いことではないが・・・)。
また栄養職員は「食育」という学校教育ではまったく新しい領域のために配当される職員で、教員の多忙にとんでもない拍車を駆けようとする「食育」の負担を多少軽減するに過ぎない。各都道府県あたりおよそ3人である。その3人が配当されなかった学校では、時に一般職の教員にこの「食育」を新たにかぶせられていく。
さて、主管(約3600人)だ。
これは東京都ではさっぱりうまく行っていないのに管理職の末端を担うものとして、政府が大いに期待している職である。改正学校教育法では「主管を置くことができる」とされているものだが、予算づけするからには本気で設置しようというのだろう。一般職にとっては気を使う人間がさらに増えて鬱陶しいようなものだが、しかしこれをTT(チームティーチング)の教員として使えばメリットも少なくない。
実際のところ、私たちが本気でほしがっているのは、TTにでも少人数にも、はたまた生徒指導にも使える「余分な教員」なのだからだ。
「余分な教員」がいれば、例えばそれを保健室登校する児童生徒の指導にあてればいい(現在は養護教諭が対応をしながら、校内の教諭がかわるがわる訪れて、最低限の学習の面倒を見ている)。
小学校なら学年に一人、中学校なら各教科に一人ずつ「余分な教員」がいれば、日ごろはTTとして学習指導に当たり、授業妨害をする子がいればその子と一緒に教室を出て個別指導をするといった使い方ができる。
一朝、生徒指導的な問題(イジメだの非行だの盗難だの)が発生したら、「余分な教員」に授業を任せ、担任は一人ひとりを呼び出して事実確認やら指導をすればいい。現在のように何時間も自習にして、その間に事情聴取するなどといった馬鹿げたことをしなくてすむ。
教員を多忙から救うというのはそういうことである。
そのためには、最低で20%(最低の最低である)の増員が不可欠である。しかるに増員はわずか2万1千人。しかも大部分は教室の教員を救うのではなく、管理や事務や新たな仕事のための増員となると、まったく焼け石に水である。
財政再建は至上命題である。それは分かる。
だとしたら政府にできることはただ一つである。それは国民に向けてこう説明し、納得させることだ。
「財政再建は至上命題です。そのために教育の質は大いに落ちますが、我慢してもらいたい。以上」
03と04年度に2年生を対象に「英語2」で習熟度別授業を試みた。普通科2クラスの計約80人を上位二つと下位一つの3グループに分け、下位グループは、きめ細かな指導をするため20人前後の少人数とした。
全国模試の平均偏差値でみると、03年度は上位、下位とも大きな変化はなかった。04年度は7、11、1月の3回受け、上位が「48.7→48.0→47.7」、下位が「46.1→44.5→45.6」と推移し、やはり目立った伸びはみられなかった。
生徒へのアンケートでは、下位グループに「発言や質問がしやすかった」「内容が理解しやすかった」などと習熟度別に肯定的な答えが目立った。報告した教諭は「教師を増やした割には効果が見られなかった。同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われるようだ」と話す。
これが科学である。
「習熟度別授業」を英語の教科に導入したが、いずれのグループも成績の伸びはみられなかった。
生徒へのアンケートでは、下位グループに「発言や質問がしやすかった」「内容が理解しやすかった」などと習熟度別に肯定的な答えが目立った。
これが習熟度別授業のデメリットとメリットである。
あとはコスト・パフォーマンスの問題であり、下位グループの肯定的な評価を支えるために教員ひとりを配置したこと価値を問うだけだ。
言うまでもなく成績を上げるためだとしたらもったいない話である。英語が分からない子どもたちがそれでも気持ちよく学習し、非行にも走らない、そのための教員配当だと考えれば、安上がりともいえる。
さらにまた、配当された教員を少人数授業対応と使うのではなく、チームティーチング担当として使ったらどうなるか、それも研究のステージに乗せてみたい。なぜなら、仮に週4時間の英語に少人数担当の教員を当てるとすると、この教員の持ち時間は4時間でしかない。しかしTT(チームティーチング)で活用すると(2クラスで同じ時間に英語が重ならないと仮定して)最大8時間に伸びるからである。どちらの方が有利かは一概に言えないだろう。
小学校のレベルでいうと、少人数学習は算数では有効なのに国語ではまったく成果が見えないことが経験的に知られている。しかしそれでもなお、作文指導の際には威力を発揮する。通常、1時間の授業内にすべての作文に目を通し手を入れるということはできないからだ。
いずれにしろ、少人数授業にすれば学力が上がるというのは、学力低下は教師の指導力低下が原因というのと同じくらい、愚かなことではある。
「少人数の徹底指導」「プロサッカーチームの出前授業」……。塾やサッカースクールも顔負けのコピーが並ぶ。
できるだけ多くの児童生徒をひきつけたい。そんな学校の叫びが聞こえる。どこも特色を打ち出そうと必死だ。
多くの自治体が、好きな学校を希望できる学校選択制を取り入れる今、公立学校はどこも同じ、では済まないらしい。だから差別化に走る。
選択制をいち早く導入した東京都品川区。ある校長によると、品川区内の小中学校への異動は「しな流し」と呼ばれ、恐れられているという。他校と常に競争を強いられるストレスは、「島流し」にも等しい残酷刑だというのだ。
最大の弊害は学区の崩壊だろう。港区の教員は「選択制になってから、地域とのつながりが薄れた」と嘆いた。
東京23区のうち、選択制を導入する自治体は19区。子どもの笑顔が並ぶ、鮮やかな学校パンフレットを見ながら思う。公立はみんな一緒、似たり寄ったりではなぜ、いけないのだろう。【山本紀子】
いまさら何をといった話だ。
学校選択制度が地域社会を破壊するというのは、最初から織り込み済みではなかったのか。その上で、選択の幅が広がるのはよいことだと言ってきたのではないか。まさか「そこまで考えてはいなかった」というのではないだろう。
マスコミはとにかく「ああ言えばこう言う」ダダッ子である。
あれほど学校の選択制が素晴しいかのように報道しておきながら、いざそれが始まると知らぬ顔で反対してみせる・・・。
同会議の報告書によると、いじめや不登校などの発生件数は小学校より中学校が圧倒的に多い。しかし中学校の暴力行為が平成12年度をピークに減少しているのに対し、小学校は増加傾向にあり、潜在的に多くのいじめが行われている可能性がある。このため同会議は「小学校の教育相談体制の充実を図っていくことが必要」としている。
具体的には、小学校にも生徒指導主事などを置いて相談体制を充実させるほか、これまで中学校を中心に派遣されていたスクールカウンセラーについて、小学校にも派遣を拡大するよう提言した。
スクールカウンセラーの充実は、学校現場からも求められている。
文科省が今春、全国の小中高校の校長を対象に行ったアンケート調査では、スクールカウンセラーについて全体の90%以上が「効果があると感じる」、「生徒らが気軽に悩みを打ち明ける存在」、「相談体制の中核的な役割」と肯定的な意見を持ち、「必ずしも有効に活用されていない」などの否定的な意見は5%未満だった。
だが、十分な相談時間が確保されているとはいえず、小学校で派遣されているのは全体の8%しかないのが実情。秋田県では中学校でも26%しか派遣されないなど、各県で活用状況にばらつきがある。派遣も大半は週1回以下で、「週2、3回は必要」と求める校長らの声とは大きくかけ離れている。
こうした実情をふまえて、文科省では来年度予算でスクールカウンセラーを増員したい考えだ。しかし、それだけでは解決できない問題も少なくない。スクールカウンセラーは非常勤で、不安定な身分などから人材不足が懸念される。相談能力の資質の向上をどう図るかも課題の一つという。
文科省では「スクールカウンセラーの上に指導役のスーパーバイザーを新設するなど、内容面の充実も図りたい」としている。
◇
■人材不足…身分の安定が必要
スクールカウンセラーが受ける相談内容は多種多様だ。児童生徒だけでなく、教員や保護者からの相談も少なくない。
「中でも女子中学生は人間関係が微妙で、ちょっとしたことで仲間外れにされることもある。複雑な相談内容を扱うには一定の技量が必要だ」
岐阜県臨床心理士会の宮本正一代表理事(岐阜大教授)は指摘する。
だが、スクールカウンセラーは非常勤の上、1週の勤務時間が原則8〜12時間と制限されているため、「長く続けていこうという人が少ない。とくに地方は人材不足だ」。
小学校にも派遣を拡大することには「いじめや不登校は小学校時代からの積み重ねであることが多く、早い段階から相談体制を整えることが必要」とする一方
、「スクールカウンセラーを教育委員会の常勤職員にするなど、身分の安定が必要」と求めている。
「カウンセラー」は英語であって日本語の訳はない。辞書で調べると「カウンセリングを職業とする人」とあり、しかたないので引き続き「カウンセリング」を調べると「仕事や生活の悩みについて相談を受け,助言すること」(デイリーコンサイス国語辞典)となる。ただし大学での私の師匠筋だと「カウンセラーの日本語訳は『人格者』だ」といった言い方になる。職業としてのカウンセラーより時には「村の古老」の方がよほど役に立つと言う意味らしい。
さて、各校の学校長に聞けばスクールカウンセラーについて全体の90%以上が「効果があると感じる」、「生徒らが気軽に悩みを打ち明ける存在」、「相談体制の中核的な役割」と肯定的な意見を持ち、「必ずしも有効に活用されていない」などの否定的な意見は5%未満だった。となるのは当たり前で、大切な税金を使って行われているカウンセラー事業に否定的な発言をすれば、体制内批判だと受け取られかねないし、うっかり「必ずしも有効に活用されていない」などと言えば「有効に活用するのはお前の仕事だろう」とツッ込まれかねないから肯定的な発言をするだけで、これでいいと思っているわけではない。
「週2、3回は必要」と求める校長らの声というのも遠慮がちな発言であって、本当は毎日常勤で来てくれればそれに越したことはない。ただし、実際にカウンセラーがいたところで、困難を抱える児童・生徒がきちんとカウンセリングルームへ通ってくれるという保証はないし、通常は保健室よりさらに居心地のよい保健室といった感じの溜まり場になってしまうくらいがオチだ。また、何もなければカウンセラーは日長一日、自分の部屋で暇をかこって過ごすだけになってしまう。
校長が本当に欲しいのはカウンセラーよりも生きのいい教員なのである。何もなければチームティーチングとして使っておき、一朝何かあれば教室からはずしてカウンセリングルームに行ってもらえばいい。
授業を荒らす子がいればそのこと一緒に出て行けばいい。
カウンセリングルームにしか登校できない子がいればそこで勉強をみてくれればいいし、
学校にも来れなければ訪問授業を展開すればいい。
暴力事件で警察に行くのも彼でいいだろうし、
出張で誰かが抜けたときに授業の穴埋めをするのも彼に任せればいい。
そんな、なんでもやらせられるという意味でのスーパーティーチャーが2〜3人いれば、それだけで学校の状況は格段によくなるはずである。
カウンセラーの日本語訳は「人格者」である。そんな先生は学校にはいくらでも転がっている。彼らを学級担任からはずし、フリーランスを与えることこそ学校改革の決め手であり、資格はあるものの学校にはド素人のスクールカウンセラーなど、本当はいらないのである。
* 学校にはしばしばさまざまな資格所有者や主事が配置される。記事中にある小学校にも生徒指導主事などを置いて相談体制を充実させるもそうであるが、この場合、別に生徒指導の専門家が増員されるわけではなく、校内いる教員を「生徒指導主事」に任命することが「生徒指導主事を置く」の意味である。当該の教員は従来どおり学級担任や教科担任をしながら、生徒指導という重い仕事を引き受けることになる。 「司書教諭を置く」「栄養教員を置く」「特別支援コーディネーターを置く」はすべて同じで、現職の教員に資格を取らせ、その上で「全国の学校に配置した」という実績をつくっているに過ぎない。当該の教員の負担が増えるだけである。 もちろん行政からは「これらの教員の負担を減らせ」「本当に減らしたか」という調査は繰り返し来るが、学校にそんな余裕はないから、適当にごまかして返事をしているだけである。 こうした実情をふまえて、文科省では来年度予算でスクールカウンセラーを増員したい考えだ。 簡便なスクールカウンセラーの資格を用意した上で、小額の予算を現職教員の研修費に使って資格所有者を増やし、それで「すべての学校にスクールカウンセラーを配置した」ということにならないよう、心から願う。 |
県教委は06年度の県内全公立小学校821校の「学級崩壊」の実態を発表した。91校の107学級で、児童が教諭の指示に従わないため授業が成立していなかった。前年度より6校5学級減少したものの、依然深刻な状況が続いている。
2007.08.10
学級崩壊:公立小学校、深刻な状況続く 06年度も107学級 /埼玉
[毎日新聞 8月9日]
調査は今年3月31日を基準日にして、児童が教室内で勝手に行動し、集団教育という学校の機能が2〜3週間以上成立していない状況を学級崩壊とした。学年別では6年が25学級と最も多く、4年が24学級、2年が21学級と続いた。担任教諭の経験年数は31年以上が30人と最も多く、26〜30年が26人だった。
一方、学級崩壊の予防措置として、校内で組織的に対応できる体制づくりをしていたり、ティームティーチング(複数教員指導)や担任以外の教員が授業を行っている学校が90%以上あった。県教委は「問題を教師一人で抱え込むのではなく、学校ぐるみで動こうとする意識が高まった」とみている。【鷲頭彰子】
問題点が二つある
ひとつは
担任教諭の経験年数は31年以上が30人と最も多く、26〜30年が26人だった。
これを読むと、経験年数が多いほど学級経営で苦労するように見える。そこから「古い教育法が通用しなくなった」とか「厳しい指導に児童が反発するようになった」とかいった結論を導き出すのは間違いである。
「2007年から始まる団塊世代の大量退職」という話を聞いたことがあると思うが、そもそも経験年数31年以上という世代の教員が圧倒的に多いのである。学級崩壊がどの世代の教員にも満遍なく起こるとしたら、必然的に人数も多くなる。
ただし、逆に言えば「学級崩壊がどの世代の教員にも満遍なく起こる」という可能性自体が、気を滅入らせる。教師の熟練が通用しないのだ。そしてそれが通用しないとしたら、私たちは何を頼りにこの事態を乗り越えていけばいいのか・・・。
第2に
県教委は「問題を教師一人で抱え込むのではなく、学校ぐるみで動こうとする意識が高まった」とみている。
統計に当たって調べたわけではないが、人口からみるかぎり埼玉県は予算の潤沢な地方自治体だと思われる。
ティームティーチング(複数教員指導)や担任以外の教員が授業を行っている
それができるためにはティームティーチング担当教員や授業に行ける担任以外の教員が学校に配置されている必要がある。
私の前任校のように、担任以外の教員は教頭だい、といった学校ではどう転んでもまねのできるとではない。
逆に言えば、教員の増派を行うだけで、
校内で組織的に対応できる体制づくり
はできるのだし、増員がなければいくら意識が高まっても打つ手は限られてくるのである。
教育改革の決定打は、結局のところこれだけである。
信州の短い夏休みは間もなく終わる。新学期が始まると、9月には全国学力テストの結果が公表される。その結果をどう受け止めて、指導に生かすか。点数競争に陥らない対応を考えたい。
2007.08.17
学力テスト 格差広げる競争は困る
[信濃毎日新聞 8月16日]
約40年ぶりに行われた学力テストは、小学6年、中学3年の233万人余りが受けた。国語と算数・数学の2教科で、基礎的な知識と応用力を試す問題が出た。
文部科学省が公表するのは都道府県段階の正答率。詳しい結果は市町村教委や各学校に届けられ、それぞれの判断で成績を公表できる。扱いによっては、学校の序列化につながる心配がぬぐえない。
学力テストの問題点をあらわにしたのが東京都足立区での不正だった。昨年行った区独自のテストで、ある小学校が特別支援学級にも通う児童の答案を集計から抜き取っていた。別の小学校では、校長らが試験中に答案を指さして、児童に間違いを気付かせていた。学校の成績を上げるための不正である。
足立区では学校ごとの成績を公開している。区全体で学校を選ぶことができる制度になっているため、テストの結果は重大な意味を持つ。
人気のある中学は定員を超える入学希望者があり、抽選を行う。一方、希望者が定員の半分にも届かない学校もある。より多くの生徒を集めるために、点数アップが学校の目標になる。いったん評価が低くなると、逆転は難しい。
子どもや親にとって、学校が選べるのはいい面もある。一方、教育に熱心で経済的に余裕がある家庭が人気校に集中し、不人気校が困難な家庭環境の子どもを抱え込みがちという指摘もある。学校間競争の"先進地"の実情を見ると、教育格差が広がる危うさがうかがえる。
長野県内でも一部で私立中学を目指す小学生が増えつつあり、学校選択制も広がっている。義務教育での競争や選択に無縁ではいられない。
政府の教育再生会議は、生徒や保護者が学校を選択して、人気の高い学校には予算を多く配分する「教育バウチャー(利用券)制度」の検討を始めている。第三者による学校評価制度も課題だ。学校を競わせることで、教育の改善につなげるとの狙いである。
そこに学力テストが選択の材料として使われれば、足立区のような不正が繰り返される心配がある。それでは質の向上どころではない。
学校や保護者が、まずは冷静にテスト結果を受け止めたい。その上で、指導にどうつなげるか、国や教育委員会の姿勢が問われる。
趣旨の分からない文である。
何に反対し、何に賛成しているのだろうか? そして何を提案しているのか?
さて、現在の政府の最大のテーマは財政再建である。これだけ借金が多くなるとにっちもさっちも行かないのであって「聖域なき構造改革」は何が何でも達成されなければならない最大のテーマである。
それを教育の分野で考えたとき、もっとも問題となるのは公教育の効率の悪さであろう。児童生徒数1000人の学校でも10人の学校でも、等並みに最低1個の体育館とプールと校舎が必要、というのは一般的には考えにくいところである。同じく1000人規模であろうと10人の学校であろうと、同額の給与を必要とする校長と教頭と事務官と養護教諭が配置されるというのも、財政面から考えれば納得のいかないところである。四人合わせれば給与だけでも年間3000万は下らない。
これを統廃合し、学校数を現在の80%程度に減らせば、それだけで浮き上がってくる税金は莫大なものである。その分を国庫補助から引き上げれば、国の財政再建にどれだけ寄与できるかは計り知れない。
ただし、学校ひとつを潰すというのは容易ではない面がある。特に日本の初等中等教育というのは、本来、庶民の自発的な支援によって支えられてきた部分があり、日本全国の小学校多くは、明治初年に地元民が身銭を切って校舎を建て教師を雇って支えてきたという経緯があるのだ。現在統廃合の対象となっているのは、ここ20年余りの間に必要に迫られてつくった学校ではなく、むしろそうした庶民の力によってつくられた伝統校ばかりなので、創立130年といった学校を廃校にするためには、それなりの大義名分が必要だ。
そこで導入されるのが「学校の選択制」である。
生徒や保護者が学校を選択して、人気の高い学校には予算を多く配分する「教育バウチャー(利用券)制度」
これが行われるとなると、児童・生徒数の少ない学校の教育条件はどんどん悪くなる。「人気」というのは人数の問題だから、人数の少ない学校は最初から予算配当が少ない。最初から予算が少ないという悪条件を避けて児童・生徒が大規模校へ流れると、移動は加速度的にスピードを増して、結局、最終的に学校は潰れる。
すべては政府の思う壺である。
子どもや親にとって、学校が選べるのはいい面もある。
本当にそうだろうか?
東京の都心部のように数百メートルの間隔で学校が密集する地域なら、ひとつ学校がつぶれても隣の学校までわずか1〜2kmである。しかし信濃毎日新聞記者氏の長野県で学校が潰れたらどういうことがおきるのか、氏は考えたことがあるのだろうか?
さらにまた、教育バウチャー制度が完全実施された後は学校の職員の一人として、私たちは児童生徒・保護者に対して、こういう言い方で対応できることになる。
「バウチャーを持ちながらこの学校にいるということは、結局、この学校の方針を支持し、この学校のやり方に従うってことですよね(嫌ならいつでも、バウチャーを持って他の学校へお行きなさい)」
文部科学省は22日、来年度から3年間で小中学校の教職員を約2万1000人増員する人事計画などをまとめ、概算要求する方針を固めた。教職員の待遇改善が狙いで、初年度は管理職を補佐する主幹教諭の配置など計約7100人を要求する。この計画に伴い、教職員の人件費にあたる「義務教育費国庫負担金」は対前年度比298億円増の1兆6957億円を要求する。23日の予算省議で正式決定する。
2007.08.24
文科省:概算要求方針固める 3年で小中教員2万1千人増
[毎日新聞 8月23日]
安倍晋三首相は教育再生を政権の最重要課題に掲げており、同省の教育再生関連予算は安倍政権の目玉予算にもなる。行政改革推進法で教員の定数減を求められている中で、7月の参院選で敗北して求心力を失いつつある安倍首相が、教員増を盛り込む教育予算を実現できるかが注目される。
同省は新年度予算の概算要求で、「子どもと向き合う時間の拡充および教員の適切な処遇」として、義務教育費国庫負担金のほか、非常勤講師の配置(77億円)や事務作業の外部委託(205億円)の新規事業も盛り込む。義務教育費国庫負担金の内訳は▽主幹教諭や事務職員の配置(167億円)▽メリハリある教員給与体系の実現(89億円)などとしている。
約7100人の増員計画は、主幹教諭(約3600人)▽習熟度別少人数指導の充実(約1900人)▽事務負担の軽減(485人)▽栄養教諭(約150人)などとなっている。文科省によると、小中学校の教員数は現在、約70万人。
伊吹文明文科相はこれまで、記者会見などで「教師が多忙であることは(国会の)各公聴会、参考人の話でも出ている。これをどう緩和してあげるかだ」などと教職員の待遇改善の必要性を強調していた。【高山純二】
してくれることに文句を言ってもしかたないが・・・。
2万1千人といえばたいそうな人数に思えるが、割合にして3%。職員の数が33人というかなり大きな学校に一人配当される計算である。しかも初年度の約7100人の増員計画は、主幹教諭(約3600人)▽習熟度別少人数指導の充実(約1900人)▽事務負担の軽減(485人)▽栄養教諭(約150人)などをみると、事務負担の軽減の485人が学級通信を書いたり通知表を書いたり、はたまた欠席連絡やら連絡ノートに保護者向けの返信をしてくれるはずもなく、おそらくこれは事務職員の配当されていない学校の事務として雇われていくだけである(もっともそれで教頭先生の仕事が軽減されるのは悪いことではないが・・・)。
また栄養職員は「食育」という学校教育ではまったく新しい領域のために配当される職員で、教員の多忙にとんでもない拍車を駆けようとする「食育」の負担を多少軽減するに過ぎない。各都道府県あたりおよそ3人である。その3人が配当されなかった学校では、時に一般職の教員にこの「食育」を新たにかぶせられていく。
さて、主管(約3600人)だ。
これは東京都ではさっぱりうまく行っていないのに管理職の末端を担うものとして、政府が大いに期待している職である。改正学校教育法では「主管を置くことができる」とされているものだが、予算づけするからには本気で設置しようというのだろう。一般職にとっては気を使う人間がさらに増えて鬱陶しいようなものだが、しかしこれをTT(チームティーチング)の教員として使えばメリットも少なくない。
実際のところ、私たちが本気でほしがっているのは、TTにでも少人数にも、はたまた生徒指導にも使える「余分な教員」なのだからだ。
「余分な教員」がいれば、例えばそれを保健室登校する児童生徒の指導にあてればいい(現在は養護教諭が対応をしながら、校内の教諭がかわるがわる訪れて、最低限の学習の面倒を見ている)。
小学校なら学年に一人、中学校なら各教科に一人ずつ「余分な教員」がいれば、日ごろはTTとして学習指導に当たり、授業妨害をする子がいればその子と一緒に教室を出て個別指導をするといった使い方ができる。
一朝、生徒指導的な問題(イジメだの非行だの盗難だの)が発生したら、「余分な教員」に授業を任せ、担任は一人ひとりを呼び出して事実確認やら指導をすればいい。現在のように何時間も自習にして、その間に事情聴取するなどといった馬鹿げたことをしなくてすむ。
教員を多忙から救うというのはそういうことである。
そのためには、最低で20%(最低の最低である)の増員が不可欠である。しかるに増員はわずか2万1千人。しかも大部分は教室の教員を救うのではなく、管理や事務や新たな仕事のための増員となると、まったく焼け石に水である。
財政再建は至上命題である。それは分かる。
だとしたら政府にできることはただ一つである。それは国民に向けてこう説明し、納得させることだ。
「財政再建は至上命題です。そのために教育の質は大いに落ちますが、我慢してもらいたい。以上」
理解の度合いに応じて生徒をグループ分けする「習熟度別授業」を英語の教科に導入したが、いずれのグループも成績の伸びはみられなかった――。卒業生のほぼ全員が大学に進学するという和歌山県立高校の教諭が、全教などが主催する教研集会でこんな報告をした。
2007.08.28
習熟度分けても英語成績伸びず
和歌山の県立高校
[朝日新聞 8月27日]
03と04年度に2年生を対象に「英語2」で習熟度別授業を試みた。普通科2クラスの計約80人を上位二つと下位一つの3グループに分け、下位グループは、きめ細かな指導をするため20人前後の少人数とした。
全国模試の平均偏差値でみると、03年度は上位、下位とも大きな変化はなかった。04年度は7、11、1月の3回受け、上位が「48.7→48.0→47.7」、下位が「46.1→44.5→45.6」と推移し、やはり目立った伸びはみられなかった。
生徒へのアンケートでは、下位グループに「発言や質問がしやすかった」「内容が理解しやすかった」などと習熟度別に肯定的な答えが目立った。報告した教諭は「教師を増やした割には効果が見られなかった。同じレベルが集まると生徒は安心してしまい、成績の引き上げ効果が失われるようだ」と話す。
これが科学である。
「習熟度別授業」を英語の教科に導入したが、いずれのグループも成績の伸びはみられなかった。
生徒へのアンケートでは、下位グループに「発言や質問がしやすかった」「内容が理解しやすかった」などと習熟度別に肯定的な答えが目立った。
これが習熟度別授業のデメリットとメリットである。
あとはコスト・パフォーマンスの問題であり、下位グループの肯定的な評価を支えるために教員ひとりを配置したこと価値を問うだけだ。
言うまでもなく成績を上げるためだとしたらもったいない話である。英語が分からない子どもたちがそれでも気持ちよく学習し、非行にも走らない、そのための教員配当だと考えれば、安上がりともいえる。
さらにまた、配当された教員を少人数授業対応と使うのではなく、チームティーチング担当として使ったらどうなるか、それも研究のステージに乗せてみたい。なぜなら、仮に週4時間の英語に少人数担当の教員を当てるとすると、この教員の持ち時間は4時間でしかない。しかしTT(チームティーチング)で活用すると(2クラスで同じ時間に英語が重ならないと仮定して)最大8時間に伸びるからである。どちらの方が有利かは一概に言えないだろう。
小学校のレベルでいうと、少人数学習は算数では有効なのに国語ではまったく成果が見えないことが経験的に知られている。しかしそれでもなお、作文指導の際には威力を発揮する。通常、1時間の授業内にすべての作文に目を通し手を入れるということはできないからだ。
いずれにしろ、少人数授業にすれば学力が上がるというのは、学力低下は教師の指導力低下が原因というのと同じくらい、愚かなことではある。
「どうぞお持ちください」。学校を取材で訪れると、カラー版の学校案内をよくもらう。
2007.08.29
記者ノート:学校選択制の弊害
[毎日新聞 8月27日]
「少人数の徹底指導」「プロサッカーチームの出前授業」……。塾やサッカースクールも顔負けのコピーが並ぶ。
できるだけ多くの児童生徒をひきつけたい。そんな学校の叫びが聞こえる。どこも特色を打ち出そうと必死だ。
多くの自治体が、好きな学校を希望できる学校選択制を取り入れる今、公立学校はどこも同じ、では済まないらしい。だから差別化に走る。
選択制をいち早く導入した東京都品川区。ある校長によると、品川区内の小中学校への異動は「しな流し」と呼ばれ、恐れられているという。他校と常に競争を強いられるストレスは、「島流し」にも等しい残酷刑だというのだ。
最大の弊害は学区の崩壊だろう。港区の教員は「選択制になってから、地域とのつながりが薄れた」と嘆いた。
東京23区のうち、選択制を導入する自治体は19区。子どもの笑顔が並ぶ、鮮やかな学校パンフレットを見ながら思う。公立はみんな一緒、似たり寄ったりではなぜ、いけないのだろう。【山本紀子】
いまさら何をといった話だ。
学校選択制度が地域社会を破壊するというのは、最初から織り込み済みではなかったのか。その上で、選択の幅が広がるのはよいことだと言ってきたのではないか。まさか「そこまで考えてはいなかった」というのではないだろう。
マスコミはとにかく「ああ言えばこう言う」ダダッ子である。
あれほど学校の選択制が素晴しいかのように報道しておきながら、いざそれが始まると知らぬ顔で反対してみせる・・・。