キース・アウト
(キースの逸脱)

2007年10月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 

 

2007.10.03

札幌・小学教頭 600人のわいせつ写真投稿
児童買春容疑で逮捕 1800万円稼ぐ


北海道新聞 10月2日]


 十六歳の少女に現金を渡し、いかがわしい行為をしたとして、札幌中央署は一日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで、札幌市立星置東小教頭細田孝幸容疑者(54)=札幌市手稲区富丘二の四=を逮捕した。細田容疑者は「これまでに約六百人の女性とわいせつ行為をし、その際に写真を撮って雑誌に投稿していた」と供述しており、同署は細田容疑者が長年、少女にわいせつ行為や撮影を繰り返していたとみて余罪を追及している。
 札幌市教委や道教委によると、道内の管理職(教頭以上)の教職員がわいせつ行為で逮捕されたのは初めて。
 調べでは、細田容疑者は九月二十一日午後九時ごろ、札幌市中央区・ススキノの駐車場に止めた乗用車内で、出会い系喫茶で知り合った同市内の無職少女(16)が十八歳未満と知りながら、現金六千円を渡し、胸や下半身を触るなどのいかがわしい行為をした疑い。
 調べに対し、細田容疑者は「少女が十八歳未満と知っていたが、いかがわしい行為をしたか覚えていない」と供述しているという。
 また、少女の話などから細田容疑者はこの少女の裸の写真も撮影しており、同法違反(児童ポルノ製造)容疑でも立件する方針。
 細田容疑者は二○○○年以降、成人向け雑誌社四、五社に、女子高生を中心に約六百人分のわいせつ写真を投稿し、計千八百万円の報酬を得ていたとされる。
 同署は一日、細田容疑者の自宅や星置東小を家宅捜索し、自宅から約二百六十人分の女性のわいせつ写真と、わいせつ画像が入ったとみられるDVD約三百三十枚、撮影用とみられる女子高生の制服を押収した。同署は「少女の写真やビデオを投稿している男がいる」との情報を得て、内偵していた。
 札幌市教委によると、細田容疑者は札幌の大学を卒業後、千葉県内で小学校教諭を務め、一九八六年に札幌市教委に採用された。山鼻小や西野小などを経て、○五年四月に新琴似南小教頭に昇任し、○七年四月から現職に就いていた。




 もともと学校や教員を守る立場から書いているサイトなので、「教師の不祥事」といった記事はほとんど扱ってこなかった。冤罪めいた話ならまだしも、教員の面汚しについて弁明するものいやだった。教師と呼ばれる人が世の中に100万人以上いるからには、どうしても不埒なヤツをゼロにはできないものの、しかし「オマエのせいで、迷惑している」という気持ちは確かにある。彼らのことを口にするのもいやなのだ。
 
 しかし、今回、前例を破ってこれを扱ったのは、
「これまでに約六百人の女性とわいせつ行為をし、その際に写真を撮って雑誌に投稿していた」というその数のものすごさに興味を引かれたからである。

 出会い系喫茶を利用したとはいえ、6年半に600人である。しかもそれを投稿に結びつけていたとなると、このサイドビジネスに費やされた時間はどれほどになるのか? 
いったいどこにそんな時間があったのか・・・と、
 首を傾げていたら別のところに記事があった。
 
「朝は7時前に真っ先に出勤し、遅い時は午後8時に退勤していた」。(2007年10月3日 読売新聞)

 私の地方では教頭が8時に帰れれば早い方である。

教頭職というものは基本的にセブン・イレブン(7時に出勤し、11時に退庁する)であり、人によってはファイブ・ナインであったり、一度帰宅して夕飯を食べてからまた学校に来るといった生活を送っている。
 
土日だって両方を家で過ごすという人は稀だろう。
 一般職だって似たような生活を送っているのだから、教頭が楽をするわけにはいかない。
 
 同じ日本といってもいろいろあるものだ。どこに焦点を当てて学校を叩くかを考えないと、いっぱいいっぱいのところで、教員がバタバタと倒れかねない。
 
 
 



 

 

2007.10.05

教員免許更新制
管理職は対象外、60点未満は不合格


[毎日新聞 10月5日]


 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の教員養成部会は5日、09年度から始まる教員免許更新制について、(1)校長、教頭のほか、主幹教諭や教育委員会の指導主事らを原則として対象としない(2)更新講習を受けた後、修了認定試験で60点以上をとらないと不合格――などとする具体案をまとめた。関係団体の意見を聴いたうえで、年度内の省令化を目指す。

 案によると、更新講習の受講対象者は現職の教員、または教員になる可能性があると教育委員会や学校法人が認めた人。文科省や教育委員会から優秀と表彰された教員のほか、校長、教頭、主幹教諭や指導教諭ら「教員を指導する立場にある者」は免除される。

 講習開設者は大学や都道府県・政令指定都市の教育委員会などを想定。筆記試験または模擬授業などを含む実技試験で修了認定し、60点未満は不合格。免許の更新期限を迎える2年前から受講でき、不合格の場合は、この期間内に再受講できる。期間内に合格できなかった場合は、免許が失効する。

 教員免許更新制は、免許を10年に1度更新しなければならず、そのために30時間の講習を受けることが柱。



 数年後の近い未来、教育現場では大変なことが起こっている。

 
現在97万人と言われる小中高の教員のうち、およそ10万人は産休補助などの臨時教員である。基本的に1年契約という不安定さの中で、安月給にもかかわらず正規教員と同じように働いてくれる。

 彼らのおよそ半数は、毎年教員試験を受けながら学校に勤める不採用組で、残りの半数が出戻り組と言っていい人たちである。
 出戻り組のほとんどは、昔、正規雇用であったにもかかわらず家庭の事情で辞めざるを得なかった家庭の主婦たちで、中に非常に優秀な教員がいる。
 今までは、この人たちが、子育てが一段落したところで、職場に戻ってきたのだ。

 私たちの職場は容赦ないから、臨時にもかかわらず正規雇用とまったく同じように働かせる。保護者からみても、正規雇用職員と臨時採用職員とは区別がつかない(正規雇用と臨時採用に差があって、臨時採用職員の方がより働かないとしたら、臨時を当てられた保護者は絶対に許してくれない)。


 
数年後の近未来、まずそのうち、不採用組の臨時教員がいなくなる。
 雇用状況の好転と教職の厳しさのために教員志望が減る。
 それと共に、都会では大量退職に伴う大量採用で、多くが正規職員となって就職していく。
 田舎で不採用続きの臨時教員のうち、多数が諦めて田舎を離れ、試験の楽な都会に流れる。

 一方、子育ての終わった主婦教員もいなくなる。
 更新講習の受講対象者は現職の教員
 
だから、彼女たちは免許の更新講習を受けられないのだ。

 仮に

 または教員になる可能性があると教育委員会や学校法人が認めた人
 
の枠に入るにしても、家庭が忙しくて職を辞した人が、30時間の講習に耐えられるわけがない。
 しかもそれが自費となると、子を産む年代の女性にとっては大変な負担である。彼女たちは免許を失効する。

 
数年後の近未来、教員の誰かが産休に入ったとき、あるいは心の病で休職したとき、代わりに入ってくれる臨時教員はほとんどいない。

(養護教諭や音楽科教員など特殊な職種では、現在でも臨時教員を探すのは容易ではないのだ。免許更新制が始まった後では、対象者はまず見つからないだろう)


 さて、どうする?

 
先生がいないのだ。

 見ものである。

 




 

 

2007.10.11

うつ・そううつ、小4─中1で有病率4%
北大調査、対策急務


[徳島新聞 10月9日]



 小学四年−中学一年の一般児童・生徒七百三十八人に、医師が面接して診断した北海道大研究チームの調査で、うつ病とそううつ病の有病率が計4・2%に上ったことが八日、分かった。これまで質問紙を郵送する方式では例があるが、医師が面接する大規模な疫学調査は国内初という。

 有病率は、中学一年(総数百二十二人)に限ると10・7%に上った。研究チームの伝田健三・北大大学院准教授(精神医学)は「これほど高いとは驚きだ。これまで子供のうつは見過ごされてきたが、自殺との関係も深く、対策を真剣に考えていく必要がある」としている。

 調査は今年四−九月に北海道内の小学四年から中学一年までの児童、生徒計七百三十八人(男子三百八十二人、女子三百五十六人)を対象に実施。調査への協力が得られた小学校八校、中学校二校にそれぞれ四−六人の精神科医が出向き問診、小児・思春期用の基準などに基づき診断した。

 それによると、軽症のものも含めうつ病と診断されたのは全体の3・1%、そううつ病が1・1%。

 学年別にみると、小学四年で1・6%、同五年2・1%、同六年4・2%と学年が上がるほど割合が高くなった。

 就寝・起床時間や一日のうちに外で遊ぶ時間、テレビ視聴時間、ゲームをする時間、朝食を取るかどうか、など生活スタイルについても尋ねたが、分析の結果、関連はみられなかった。

 これとは別に、高機能自閉症などの「高機能広汎性発達障害」や、注意欠陥多動性障害(ADHD)が疑われたケースが2・6%あったが、日常生活や発達歴に関する情報がないため明確な診断には至らなかった。

 うつ病やそううつ病と診断された児童、生徒の親らには、症状に応じて医療機関の受診を勧めるなどしたという。

 調査結果は十二、十三両日、徳島市内の県郷土文化会館で開かれる日本精神科診断学会と、三十日から盛岡市で開かれる日本児童青年精神医学会で発表する。

 薬より安心感を

 児童精神科医の石川憲彦さんの話 今回の調査データは、学校などの子供社会に不自然なストレスがかかっている現状への警鐘として位置付けられるが、一方で、診断された子供や親の不安をあおる懸念もある。子供のうつ病は症状の重さに非常に幅があり、うつ病と診断されたからといって、すぐに投薬が必要なわけではない点に注意が必要だ。いらいらなどの症状がある子供には、まず安心感と休養を与え、症状を生んでいる原因を周囲が協力して取り除いてやることが何より大切だ。

 《うつ病・そううつ病》うつ病には、症状が五つ以上あり2週間以上続く典型的な「大うつ病性障害」や、比較的軽症の「小うつ病性障害」、軽症だが1年以上症状が続く慢性の「気分変調性障害」がある。そううつ病は双極性障害とも呼ばれ、うつ病期とそう病期を繰り返す。成人のうつ病に関しては、厚生労働省研究班の2004−06年度の報告書によると、約4100人の地域住民が対象となった面接調査で、約2%が過去1年に大うつ病性障害を経験していたとのデータがある。




 LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動症候群)・アスペルガー症候群など、いわゆる広汎性発達障害が知れ渡って10年ほどである。それまでこうした障害は知られていなかったから広汎性発達障害の子がいると、親はしつけが悪いと非難され、学級担任は指導力のなさを指摘され、両者ともに二重に苦しめられたものだった。

 その後、障害の概念が広まり、教員にも研修が繰り返されるようになると、学校の対応も飛躍的に高まり、親も教員も無意味な非難に苦しめられることは少なくなった。
 そして何より、
子ども自身に適切な指導がなされるようになった
 特別支援教育はまだまだ緒についたばかりだが、10年前とはまったく異なる状況が生まれたのである。
 
 さて、ウツである。
 
 DSM-IV(アメリカ精神医学会精神障害の診断基準と統計の手引き、第4版)の診断基準では
「抑うつ気分」と「興味・喜びの喪失」が二大特長である。

「抑うつ気分」とは、気分の落ち込みや、何をしても晴れない気分、空虚感・悲しみといったものである。「興味・喜びの喪失」とは、それまで楽しめていたことにも楽しみを見いだせず、感情が麻痺した状態を言う。そう表現し、中学校の1年生に10%、およそ3〜4人いると考えると、ある種の子どもたちの姿が浮かんでくるだろう。

 彼らはほの暗い洞穴から出てきたような表情で精彩なく日々を送っている。喜びや悲しみの表情に薄く、仲間からも孤立していく。そしてしばしば学校にも来られない。

 社会も学校もその原因を教師や学級に求めるから、医療に診てもらいましょうとは口が裂けても言えない。問題をすり替えて責任回避しようとしていると疑われれば、保護者との関係は決定的に崩れ、すべての指導が不能になるからである。したがって担任は単独で(あるいは「学校」という名の、精神医学の素人集団の支援を受け)、死ぬほどの苦労をしながら、何とかその子を元に戻そうと努力する・・・。
 
 その努力を厭うのではない。
 
一介の教員がどう努力しようとも、素人のできることには限界があるということだ。その間、当該の児童・生徒は実質的に捨て置かれる。そこに最大の問題がある。
 
 有病率は、中学一年(総数百二十二人)に限ると10・7%
 というこの記事が、児童・生徒を医療に近づける契機となるなら至福である。しかし
そうならないとしたら、
 子どもたちは相変わらず、素人の無駄な努力の上で、ひたすら留め置かれるだけだ。



 
追記
 いらいらなどの症状がある子供には、まず安心感と休養を与え、症状を生んでいる原因を周囲が協力して取り除いてやることが何より大切だ。
 
 それは理解できる。
 しかし多くの子どもたちにとって、イライイラの第一原因は人間関係である。そして第2の原因が学習。
 

 人間関係と学習、学校からこの二つを取り除くと何が残るだろう? そしてその二つを取り除くことは、子どもの将来の幸せにどうつながっていくことなのだろう?
 






 

 

2007.10.15

財政審議会が文科省の要求批判

[産経新聞 10月12日]



 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は12日に会合を開き、平成20年度予算編成に向けた具体的な審議を始めた。この日は文教・科学技術関係予算と地方財政の在り方などを議論。委員からは、地域間で税収の偏りが大きい地方法人2税の見直しを求める声が上がったほか、政府の削減方針とは逆に文部科学省が公立小中学校教職員の大幅増員を求めていることに対し、「歳出増を招いて財政規律が緩んでしまう」などと懸念する声が相次いだ。

 会合後に記者会見した西室泰三会長は、個人的意見と述べた上で文科省の増員要求について、「なぜこのようなものが出てきたのか、あっけにとられている」と懸念を表明した。財務省も「増員より働き方の効率化が先決」との姿勢で、年末の予算編成に向け激しい攻防が展開されそうだ。

 財務省が問題視しているのは、公立小中学校で教務のリーダーとなる主幹教諭や事務職員らを、20年度から3年間で新たに2万1362人増員するという文科省の計画だ。初年度は7121人の増員を見込む。

 文科省は計画に基づいて、20年度予算概算要求に国と地方で分担する人件費など総額504億円を盛り込み、3年間で1512億円を要求した。さらに残業手当の支給額引き上げなど4年間で同2400億円を盛り込んだ。その結果、教職員に国が払う給与など「義務教育費国庫負担金」の20年度要求額は、対前年度比1・8%増の1兆6957億円に膨らんだ。

 文科省側の主張の根拠は「子どもと向き合う時間の拡充」と「教員の適切な処遇」の2つで、そのために増員が必要と説く。だが、財務省は、少子化で児童・生徒が急減しても、教員や国と地方の教育費はそれほど減らないうえ、教員の給与水準は公務員(一般行政職)の平均に比べて高い点などを指摘。教務以外に忙殺される教員の働き方の改善などを行い、増員で問題を対処するのでなく、教育の質を高めるべきだと反論している。

 計画通りの増員を実現するには、公立学校の教職員数削減方針を盛り込んだ行政改革推進法の改正も必要となる。しかし、文科省は「主幹教諭の配置は学校教育法でも定められている」と主張し、行革法の改正なども求めて一歩も引かない構えだ。

 政府・与党内に格差是正の声は大きくなり、「公務員優遇」とも映る文科省の計画に追い風は吹かない。ただ、20年度予算編成の重点分野に「教育再生」が盛り込まれたことで、文科省も文教族議員らをバックに強気の姿勢を変えていない。緊縮予算のたがのゆるみを指摘される中で、他省庁も動向を注視している。



 私もなぜこのようなものが出てきたのか、あっけにとられている
 ただし、文部科学省に対してではない。財務省の言い方に対してである。

 
文科省側の主張の根拠は「子どもと向き合う時間の拡充」と「教員の適切な処遇」の2つで、そのために増員が必要と説く。
 の
「子どもと向き合う時間の拡充」の意味を、政府も社会の人々もまったく分かっていないのかもしれない。

 それは例えば、クラスで暴れる子を、私たちはクラスから引きずり出し、じっくり話をしたいということなのだ。
 あるいは不良行為を働いた子と、何時間でもしっかり付き合いたいということだ。さらにまた、
 勉強のわからなくなった子たちを一人ひとり見てあげたいのだ。

 
もちろん今だってそうしている。
「子どもが学校に行きたくないと言っている」と電話があれば、担任はすぐに家庭に向かい、家でじっくり話を聞く。
 教室で子ども同士が殴り合いをしていれば、とりあえず引き離して両者から話を聞き、和解の道をさぐる。
 そんなのは当たり前だ。
 
しかしその間、他の子どもたちはどうしているのだろう? 政府や世間の人々は知っているのだろうか?
 授業中何かの問題が発生し、担任がその対応にあたらなければならないときは、
他の児童生徒はクラスで自習をしているのだ。

 もちろん一日に3時間も4時間も自習にするわけにいかないから、問題を抱えた児童生徒への指導も中途半端に切り上げる。クラスの授業も中途半端なまま終わる。
 これでは心の教育も学力向上もあったものではない。

 学年に一人ないし二人の「手の空いた教員」がいて日常的にチーム・ティーチング入っていてくれれば、担任は安心して「先生、授業を頼む。私はこの子とじっくり話をしなければならない」と言ってクラスを後にできる。必要なら1日3時間でも4時間でも話していられる。それが教育というものだ(学力世界一のフィンランドは児童一人当たりの教員数がべらぼうに多いから、そういうことも可能である)。

 
そのためには、およそ50万人(現在の50%)の増員が必要である。ただし日本の教員は非常に優秀であるから(というのも、日本の場合、教育はまだまだ一生を捧げるにふさわしい仕事と思われているからである)、最小に見積もって20万人でもなんとかできるかもしれない。
 それでも文部科学省の要求の10倍である。

 財務省の言うとおり、
 これを増員で問題を対処するのでなく、教育の質を高めるべきだ
 とするなら、教室と教室外に同時に身を置く術(例えばハーマイオニー・グレンジャーが用いた方法)を、全国の教員に教えなければならないだろう。


ところで、
財務省は
教務以外に忙殺される教員の働き方の改善などを行い、と言っているが、もしかしたら「教務」の意味も知らないのかもしれない。

 教務とは学校における教育上の事務一切のことである。名簿をつくったりテストをつくったり、運動会や文化祭の計画を立てたりといったすべてのことが入る。そうである以上、
教務以外に忙殺される教員の働き方の改善などを行いとなると、結局、授業や生徒指導における働き方を改善するしかないのだが、しかし授業時数も生徒指導案件も増える一方で減るということはない。

 
これを増員で問題を対処するのでなく、教育の質を高めるべきだとなると、結局、教員を叩いて、問題解決を図るしかなくなる。
 しかし、普通の教師を叩けば、こうした目標は達成されるものだろうか?

 ここにひとつの記事がある。

夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩〔朝日新聞 10月09日〕

 東京都新宿区立小学校の新任の女性教諭(当時23)が昨年6月、自ら命を絶った。念願がかなって教壇に立ち、わずか2カ月後に、なぜ死に至ったのか。両親や学校関係者に取材すると、校内での支援が十分とはいえないなか、仕事に追われ、保護者の苦情に悩んでいた姿が見えてくる。

 母(55)がメモ帳に書かれた遺書を見つけたのは、死去から2カ月たった昨年8月のことだ。「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」。「無責任じゃない。責任を果たそうとしたから倒れたのに」と父(55)。やりきれない思いがこみあげた。

 高校時代から教師を目指した娘が小学2年生の担任としてスタートを切ったのは、その年の春。

 この学校は各学年1学級だけで同学年に他に担任がおらず、授業の進め方の直接の手本がなかった。しかも、前年度10人いた教員のうち5人が異動していた。「家庭の事情など本人の希望などを尊重した」と区教委は言うが、「校長の経営方針に反対して異動を希望した教員も多かった」と学校関係者。「新学期のうえに教職員が入れ替わったせいで、ゆとりがなかった」と関係者は語る。

 娘がまず提出を求められたのは食育指導計画、公開授業指導案、キャリアプラン……。離れて住んでいた父は娘と電話で話していて「追いまくられてると感じた」。午前1時過ぎまで授業準備でパソコンに向かい、そのままソファで眠る日が続く姿を姉が見ていた。

 娘は姉や祖母に「保護者からクレームが来ちゃった」と話してもいた。

 区教委によると、ある保護者が4月中旬以降、連絡帳で次々苦情を寄せた。「子どものけんかで授業がつぶれているが心配」「下校時間が守られていない」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」。校長がこれを知ったのは5月下旬だった。「ご両親が連絡帳の文面を見たらショックを受けるかもと区教委から言われた」と父。

 他の保護者たちも校長室を訪ね、「子どもがもめても注意しない。前の担任なら注意した」などと訴えていたという。

 娘は5月26日に友人と会ったとき、「ふがいない」「やってもやっても追いつかない」と漏らした。その翌日、自宅で自殺を図ったが、未遂となった。

 母が急いで精神科を受診させたところ、抑うつ状態と診断された。魂の抜け殻のようで声が出ない。娘は言った。「ひどい」。しばらくして「あたし」。

 自宅の風呂場で自殺を図ったのは、その2日後の夜だった。翌6月1日朝、病院で亡くなった。

 「大学時代、小学校で先生の補助をし、笑顔の絶えなかった娘が、どうして……」。両親は写真に問い続けた。

 団塊の世代の退職を受け、各地で新人が次々採用されるなか、埼玉や静岡などで自殺が起きていたことも改めて知った。

 亡くなって5カ月後の10月下旬、地方公務員災害補償基金東京都支部に対し、公務上災害の認定を申請した。「声を上げないとさらに亡くなる人が出てしまうかもと思うと、いてもたってもいられなかった」と母は話す。

 今春、2人は都公立小学校長会に手紙を出した。その一節にはこう書かれていた。

 「若い先生方への心と身体へのサポート体制を学校全体として作り上げていただきたい。そして若い先生方に、いつまでも夢を追い続けていただきたいとの一念です」


 初任で何の経験もない中で、さらに支えもないとなると確かに苦しかったろうとは思う。
 しかしベテラン教師なら難なくやり遂げたかというとそうではない。新任教師に比べれば遥かに有利だが、ベテランはベテランで家族を抱え、家庭を経営しなければならない。毎晩11時〜12時まで学校にいるというわけには行かないのだ。忙しさは新任教師と大差ない。


 教員の質など向上を待ってはいられない。そもそも数年前までの採用試験の、20倍〜30倍といった競争率を潜り抜けてきた以上の質の高い教員を、2〜3倍の競争率で獲得する方法も分からない。

 今必要なのは、質よりも量である。






 

 

2007.10.22

小中学校の教員、給食費未払い35人
東京・府中


[朝日新聞 10月20日]



 東京都府中市の市立小中学校で、教員35人が給食費を2〜5カ月間支払わず、市教育委員会が督促状を出していたことが分かった。未納の総額は約47万9000円。督促期限を過ぎても支払わず、校長の指示でようやく納めた教員もいた。市は昨年度も、給食費が未納だった129人の教員に督促状を出している。

 市教委によると、未払いがあったのは4〜7月の1学期分と9月分の給食費。教員は小学校で月3950円、中学校で同4300円を口座からの自動引き落としか現金の振り込みで月末に支払うことになっている。市教委が8月時点で確認したところ、35人が口座の残高不足などで2カ月以上未払いだったことが分かり、督促状を送った。うち3人はその後も未払いを続け、今月になって校長の指示などを受けてようやく払ったという。

 最長の5カ月間滞納した50代の男性中学教諭は「忙しくて銀行にいく時間がなかった」などと説明。35人の中には、昨年度も督促を受けた教員がいるという。

 市教委学務保健課の田中陽子課長は「PTAと学校、市教委が児童生徒の給食費の未納対策に取り組むなか、教員の未納は残念。保護者に対して申し訳ない」と話している。



 それはもちろん教員が給食費未払いというのは嘆かわしい話だが、
「忙しくて銀行にいく時間がなかった」と聞いて、「先生たちは大変だなあ」という話にならないほど、社会はゆとりを失ったのかもしれない。
 こんなことで天下の朝日新聞に載り、教員が給食費を誤魔化す卑劣なヤツだと思われたらたまらない。

 私たちは昼休みにちょっと銀行へというわけにはいかないのだ。
 形式上は労働基準法に準拠する「昼休み」はあるものの、実際にはその時間、私たちは配膳下膳そして食事そのものへの指導をしているのだ。休んでいる者などいない。

 しかしだからと言って給食費未払いはマズイだろう。

 さて、先生たちよ、空き時間に児童生徒の日記に返事を書くなどといった余計なことをせず、万引きした生徒の指導に当てたりもせず、きちんきちんと銀行に行ってきてくださいな。児童生徒からの集金を銀行に納めに行く時間があるなら、その暇に自分の口座を埋めに行きなさい、ということだ。
 それが無理なら、
子どもを自習にして、給食費を払いにいきなさい!








 

 

2007.10.25

【学力テスト】40年でどう変わった?

[産経新聞 10月24日]



 今回の全国学力テストの成績を昭和30年代の大規模調査と比べると、40年間で都道府県格差が縮小し中位層が厚くなっていることが読み取れる。東北地方の躍進が目立つ一方、近畿地方は軒並み低下するなど順位的には変動が目立った。また、当時との同一問題で、「学力上昇」の傾向がでた。学習塾が学力を支えているとの指摘もあり継続した検証が必要だ。
 青森中央学院大の竹中司郎准教授が集計した36〜40年度の平均得点(沖縄県は返還前のため実施せず)と、産経新聞で換算した今回の成績を比較すると、国語、算数・数学の2教科合計成績が全国平均を5%以上上回った「上位層」は、かつては小中で11〜14都府県あったが、今回は3〜4県に減少。5%以上下回った「下位層」も13〜16県から2〜3道府県に減った。その分「中位層」は増加した。
 都道府県別では、かつては下位層を独占していた東北地方の上昇傾向が目立った。39〜43位だった秋田県は今回1〜3位に急伸。青森、山形の両県も大幅に順位を上げた。
 竹中氏は「東北の好成績は戦後、教員の指導が平均化された結果だ。ただ、問題はやさしく、通塾しない農村部の子供にも解きやすかった側面はあるだろう。得点分布が小さく、今後は順位が大幅に変動する可能性もある」と話している。
 一方、福井、富山の両県はトップ5を維持したが、上位層の常連だった大阪府はワースト3に転落。沖縄県が小中とも正答率が低く、北海道は低迷した。
 文部科学省は、これら道府県で正答率が低い理由は「分からない」としている。だが、沖縄県の場合、小学校では「円の面積」などに正答率が低いほか、記述式で無解答率が高かった。中学では家庭学習時間が少なかったり、宿題を出している学校の割合が低く、「基礎基本の定着と家庭学習の習慣化が弱い」(文科省)としている。
 一方、同一問題の前回との比較では、「魚をやく」(小6)の書き取りの正答率は33.8%(抽出)から70.9%に37.1ポイント、「おもしろみがハンゲンした」(中3)も26.9%から67.2%へ40.3ポイントも上昇した。数学でも、中3の連立方程式も53.4%から72.7%に上がった。




 結局、どんなに抑制しても学力テストの成績はこういう使われ方をする。
 沖縄・北海道は落ち着きを失い、大阪の危機感は極限まで高まるだろう。福井・富山だって手を抜かない。ますます気を吐くだけだ。
 さて、心の教育はどうする?

 もう、どこの都道府県の学校も、この流れから逃れることはできない。

 清掃を週5回から3回に減らし、できるだけ散らかさずに日々の生活を送ろう。その空いた時間をドリルに当てればよい、というのはひとつの考え方だ。

 運動会や音楽会といった巨大行事は縮小の方向に進むしかない。今でも運動会では組み体操といったきつく苦しい、子どもを鍛えようとする種目を堅持している学校があるが、それはやめる方向で考えたほうが良い。体育の時間はただでも増えやすいのだ。

 音楽といった情操の問題も、基本的に学力向上に寄与しない。

 修学旅行、臨海学校といったものもそろそろ限界である。泊を伴う行事はどうしても準備の時間がかかる。
今の子どもはそうした活動を通して役割分担だの協力だの人間関係を学ぶのだが、そうしたことは年35時間ほどの道徳の時間を充実させることで、経験としてではなく、教科書を通じて学べばよいことである。

 今回の教育改革は、根本的に日本の教育の在り方を変えてしまうだろう。






 

 

2007.10.25

【学力テスト】いまどきの小学生は優等生?

[産経新聞 10月24日]



 朝食は毎日欠かさず、学校が楽しい。算数も運動も好き−。全国学力テストでは、受験した小6、中3の児童、生徒全員に日ごろの学習態度や生活習慣を質問した。最も回答が多かった選択肢の内容を抽出して、今時の“平均的小学生像”を探ると、データ上は意外にも“優等生”が多い結果となった。学校に提出するから良く答えたのだろうか。それともまじめな子供が増えたのか。いじめや非行、不登校など子供たちを取り巻く問題は多いだけに、国が求める“理想の子供像”にも見えてくる。
 毎日、午前6時半〜7時ごろに起床する。学校に行く前、朝食は毎日食べる。家族も一緒だ。
 1時間後に家を出発して登校する。学校で友達に会うのは楽しい。好きな授業もあるし、楽しみな活動もある。
 国語は、どちらかと言えば好きだし授業も分かるが、授業中に司会をすることはあまりない。算数も好きだし、授業も分かる。新しい問題を解く意欲もある。
 放課後になると、外に出て遊んだり運動をして体を動かす。もともとスポーツは好きだし得意だ。1〜2時間はする。ただ、家族が同伴することはあまりない。悪さをしても、家族や先生以外の大人から注意されたことはあまりない。携帯電話は持っていない。
 家に帰ると、家族と一緒に夕食を食べるが、テレビを見ながらの「ながら食事」だ。ただ、学校での出来事は話す。手伝いも時々はする。テレビやゲームの時間制限のルールを家で決めているわけではない。テレビやビデオの視聴時間は2時間台で、テレビゲームやインターネットをするのは1時間足らずだ。 
 学習塾には通っていないが勉強はする。あらかじめ勉強時間を自分で決めることはあまりないが1〜2時間はする。宿題はきちんとするが、予習・復習はあまりしない。興味のある事柄を調べることもあまりない。
 読書は好き。とはいえ10〜30分ぐらいだ。学校に持って行くものを確かめる。午後10時台には床に入る。就寝時刻は毎日変わらない。




 私たち教員にからすれば、まあ、こんなものだろう、ということになる。
 学校で友達に会うのは楽しい。好きな授業もあるし、楽しみな活動もある。
 放課後になると、外に出て遊んだり運動をして体を動かす。もともとスポーツは好きだし得意だ。

 まあ、当然だろう。

 
テレビやビデオの視聴時間は2時間台で、テレビゲームやインターネットをするのは1時間足らずだ。
 計算してみればいい。両方合わせて3時間ほどだ。これにわずかな勉強と、食事と風呂・は磨きを入れればおよそ6時間。家に着くのが4時30分だとしても、もう10時30分になってしまう。どんなにがんばっても生活時間には驚くほどのタイムロスがあるから、ぼーっとした時間まで含めると、よくこれで10時台に寝られると感心するくらいだ。
 
 しかしところで、
家に帰ってからの6時間半のうち、なんと3時間をテレビやゲームに費やしても「優等生」というのは、産経新聞もなかなかのんきなものである。


 




 

 

2007.10.31

<中教審>「ゆとり」検証ないまま
「総合学習」大幅削減へ


[毎日新聞 10月24日]



 中央教育審議会教育課程部会が30日大筋で了承した次期学習指導要領の「中間まとめ」は、ゆとり教育の象徴的な存在である「総合的な学習の時間」(総合学習)の大幅削減を小中学校ともに認めた。教育行政は十分な検証もないまま、ゆとり教育の実質的な見直しに大きくかじを切った形となった。

 現行指導要領で総合学習が完全実施されて5年。今回、小学校6年間で430時間から280時間に削減し、中学校でも210〜335時間が190時間に減らされた。

 03年度と05年度に行われた文部科学省の教育課程実施状況調査(学力テスト)では連続して学力向上の傾向を示した。このため総合学習の大幅削減について中教審の委員には「学校現場でようやくシステムが整い、動き出したところだ」と慎重論もあった。

 24日に公表された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)では、基礎的な知識を活用する力に課題があると指摘された。中間まとめは、この「活用力」をはぐくむというゆとり教育の理念「生きる力」を残す一方、主要教科の増加時間分で活用力を指導する考えを示している。総合学習が学校現場でうまく機能しなかったとの反省から生み出された策だ。

 しかし、授業時間を総合学習から各教科に移すだけでは、活用力の向上につながる保証はない。中教審委員には「詰め込み教育に戻ることは目に見えている」と懸念する声さえある。文科省は過去の安易な教育に戻らないよう、指導方法などを具体的に例示していく必要がある。【高山純二】


 教育行政は十分な検証もないまま、

 問題はすべてここにある。
 学校教育はすでに教育問題ではなく政治問題となってしまった。
児童・生徒がどんな状況にあるか、何が必要で何が不必要か、学校に何ができて何ができないのか、そうした一切を検証せず、一部のマスコミの情報に踊らされてありもしない現実の上に教育改革を積み重ねていく。

 前回、ゆとり教育が強調された際も、「毎日4時間〜5時間という家庭学習に苦しめられ、塾通いに疲れきっている小学生」が強調されたが、そんな子どもは全国に1%もいなかった。現実の小学生は、そして中高生もほとんど勉強していなかった。
学力は学校の授業が守っていたのに、そこに時数削減が重なったからひとたまりもない。

 今回も「地に落ちた日本の学力」などと派手な言葉がマスコミをにぎわせたが、実際に世界第2位が5位に落ちた程度(中2数学)、今回の学力テストではむしろ成績は上がっていることが証明されている。
 詰め込み教育に戻ることは目に見えている
もちろん目に見えている。しかしそれはここ数年、マスコミが本気で方向付けてきたことだったはずだ。