キース・アウト
(キースの逸脱)

2008年12月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 



2008.12.01

高校寮に喫煙室
設置容疑で愛知の私立高校を家宅捜索


朝日新聞 12月 1日]


 愛知県新城市の私立黄柳野(つげの)高校(辻田一成校長、生徒数231人)が、生徒寮に「喫煙室」を設けていたことがわかった。県警は同県青少年保護育成条例違反(喫煙場所の提供)容疑で同校を家宅捜索して灰皿などを押収した。学校側から詳しく事情を聴いたうえ、学校関係者を書類送検する方針。

 同校は不登校生徒を支援するとして95年4月に開校した全寮制高校。辻田校長によると、開校時から喫煙する生徒が目立ち、07年1月には女子寮のトイレで喫煙が原因と見られるぼやが発生した。

 同校は人家から離れた山中にあり、学校側は「山に隠れて喫煙されれば山火事になる」と対策を検討。ただ、生徒は買い物や通院で外出した際にたばこを買ったり、保護者に送ってもらったりしており、職員内でも「癖になっていて指導しきれず、保護者も容認している」と黙認する声が上がっていた。

 このため、07年4月に「火災予防や分煙・禁煙のため」として、敷地内にある男子寮4棟の空き部屋各1室を「禁煙指導室」と名付けて事実上の喫煙室にした。女子はたばこのにおいを嫌う生徒が多く、寮の外にバケツを置いて「喫煙場所」としていた。

 同校は併せて、同室など決められた場所以外で喫煙した場合は謹慎処分にするなどとする罰則を設けていた。寮の職員が喫煙している生徒を調べ、学校が用意した月1回の禁煙カウンセリングを受けるよう指導していた。

 辻田校長は「隠れて喫煙されるより、きちんと指導できる場があった方がよいと考え、教育的に模索した結果だった。条例違反と言われればその通りで申し訳ない」と話しており、同室を閉鎖するという。09年度は喫煙者の入学を断る方針。

 同校内では今年9月に集団暴行事件があり、11月に生徒5人が書類送検された。この際にたばこのにおいがする生徒が県警に事情を聴かれ、「寮に喫煙室がある」と説明していたという。


 正義はしばしば人に過酷だ。

 黄柳野高校は不登校児童生徒、高校中退生の最後の希望として1995年につくられた全寮制の私立高校である。「市民立の学校をつくろう」という呼びかけに応えて、全国から寄付を集めようやく開設にこぎつけた。しかしその経営が困難だろうことは当初から予想されたし、実際そうとうに難しかったらしいことは、黄楊野高校のサイトからも知れる。そうした困難を抱えながらも、13年がんばてきたのだ。

 さて、常習の喫煙者となってしまった子どもの禁煙指導をどうすればよいのか、学校にはもう決め手がまったくないといったら世間の人はびっくりするだろうか。先生が諦めてどうする、と怒りだすだろうか。それとも学校の怠慢だとあきれ返るのだろうか。

 しかし実際、煙草をやめさせる決定的な方法は何もない(そんな方法があれば、世の中の喫煙者は班部にかになっているだろう)。
 ようやくたどり着いた方法の一つが、喫煙室をつくることである。喫煙者を教師の管理下に置くことによって、よりコントロールし易くしようというのだ。

 そこから先、黄楊野高校が何をしようとしたか私には分からない。しかし私は、通常の方法で禁煙指導ができなければ異常な方法で行うしかないと思う。

 警察の手が入り、新聞記事になったことでこの喫煙室は閉鎖された。そして高校が新たに設けた対応策は、
入学前(小学校や中学校)から生活習慣となっている喫煙については特効薬がなく、指導困難な課題でありますが、今後も指導内容については検討、研究を重ね粘り強く指導していきたいと考えています。
同時に、今後の入学生については「喫煙者の入学はお断りする」ことを再度徹底したいと考えております。
というものである。

喫煙室をなくすことで、誰が幸せになったのだろう?





 



2008.12.06

<石原都知事>携帯持ち込み
「親が判断すること」


毎日新聞 12月 5日]


 東京都の石原慎太郎知事は5日の定例会見で、大阪府教委が小中学校への携帯電話持ち込みを原則禁止したことについて「子供の情操教育からしつけにかかわることだし、本当は親が判断することだと思う」と述べた。都教委は10月、学校への携帯電話持ち込みの原則禁止を呼びかける通知を出している。石原知事は「親が買って与える物だから、親がいかんと思ったら買わなきゃいい。与えなきゃいい。使用の制限もしたらいい」と述べた。


 政治家というものは多忙を極めているから、世間のことが分からないのだろう。
「親が買って与える物だから、親がいかんと思ったら買わなきゃいい。与えなきゃいい。使用の制限もしたらいい」
 その親の判断に任せたから今日の状況がある、ということを知事は知らない。

 子どもに携帯を買ってやる親の多くは、「携帯がいかん」などとは思っていないし、特に小学生の子どもの多くは、親の事情によって携帯を持たされているのだ。
 
 現代の親は塾やお稽古事の送り迎えに、学校の前でじっと待っているなどということはとてもできない。どこに遊びに行った分からない子の帰りを気長に待つこともできないし、そうした子をきちんと帰ってくるようにしつけることもできない。そんなとき、携帯はひじょうに便利な道具である。だから持たせる。
 小学校の低学年の子どもなんて、ほんとうはメールなどという面倒なことはまったく好きではないし、電話で話すくらいなら直接会って話したほうがよほど良いと思っている。
 
 「結局は親だ」というのは正論のように見えるが、実際任せられない親はいくらでもいる。かつては地域社会がそれを是正したが、いまや組織的に対応できるのは学校しかなくなってしまった。
 その学校を叩くことに非常に熱心なのが、東京都と大阪府なのである。

 
 




 



2008.12.09

子供の携帯電話持ち込み/松沢知事が一律規制に異論


神奈川新聞 12月 8日]


 松沢成文知事は八日の会見で、大阪府の橋下徹知事が公立小中学校への携帯電話の持ち込み禁止を求めていることについて、一律の規制に異論を唱えた。

 松沢知事は携帯電話の持ち込みについて「各学校、教育委員会が判断すべきだ」としながらも、携帯電話の衛星利用測位システム(GPS)機能を取り上げ、「親が子供の安全情報を知るための有効な手段ともなっている」と述べた。

 また、問題となっている授業中のメールについても触れ、「子供が学校に入るときに携帯電話を集めてしまうなど学校の努力で防ぐことができる」という見解を示した。


「親が子供の安全情報を知るための有効な手段ともなっている」

だから何なんだ?
子どもが心配な親は携帯を持たせろという話なのか? それとも県が責任を持ってGPSのみの端末を貸与するとでもいうのか?
 
親が子どもに携帯を持たせたがるのに、知事がお墨付きを与えてどうするのだ。

「子供が学校に入るときに携帯電話を集めてしまうなど学校の努力で防ぐことができる」

 そりゃできる。
 ただし、その代わり、もういじめ指導はしなくていいとか、学力向上などということは言わないとか、食育は親に任せるとか、生徒指導はしなくていいとか、何かひとつぐらい外してほしいものだ。
 親が手を抜く分「学校が努力する」というのはもう敵わない。親がしなくなった躾けのし直しだけで、もう学校は手一杯なのだ。
 
 政治家は票を集めるためなら、できもしないことも平気で口にする。


 (ちなみに、生徒の携帯を取り上げるというのがいかに大変なことかは、やってみたものでないとわからない。携帯は子どもの秘密とプライバシーの塊なのだ。それを奪われるくらいなら舌をかんで死んでしまいそうな子はいくらでもいる)






 



2008.12.10

「勉強楽しい」日本最下位…好成績とギャップ
中2のTV視聴は最長


産経新聞 12月10日]


 小中学生の理数系の成績は国際調査で5位以内と優秀だが、「勉強は楽しい」は最下位レベル−。10日付で発表された「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS2007)で、こんなアンバランスな結果が出た。03年の前回より改善傾向はみられたが、特に中2でギャップが顕著。識者らは「授業方法に問題がある」と指摘し、子供の体験や発見を重視した指導が必要としている。

 算数・数学で「勉強が楽しいか」という問いに「強くそう思う」と回答したのは小4で34%で、36カ国・地域中32位。中2ではわずか9%で、48カ国・地域中46位と低迷した。「そう思う」を合わせた肯定的な回答は小4で7割に達するが、中2では4割にまで落ち込む。

 「数学を勉強すると日常生活に役立つ」に「そう思う」とした中2は71%(国際平均90%)で47位。それでも03年よりは8ポイント向上していた。

 算数・数学教育に詳しい筑波大の坪田耕三教授は、好成績とのギャップについて、「日本の子供たちは公式の丸暗記より『なぜ』を大切にした面白い勉強があることに気付いているのに、授業が対応できていないことが『楽しくない』理由では」と推測。「ただ解説するだけでなく、子供とやりとりし、発見を生かす授業が必要だ」と話す。

 理科では、「勉強が楽しいか」の問いに小4の57%が「強くそう思う」と答え、国際平均の59%と同水準。ところが、中2では18%に落ち込み、国際平均の46%と大きな差が出た。

 総合学習でビオトープ作りなど理科教育に力を入れる東京都新宿区立戸塚第二小の川越秋広校長は「楽しさ」の低下について「自然事象に触れるといった体験不足が原因」と指摘。「中学校では“黒板理科”になりがちで、外の世界とのつながりが切れてしまう。新しい学習指導要領で内容が増えるのはいいが、小中連携で理科イベントを行うなど、子供たちに理科の楽しさを伝える工夫が必要だ」と話している。

     ◇

 TIMSSでは、学校外での時間の過ごし方も調査。日本の中2はテレビ視聴時間が1日2・5時間で、参加国・地域中で最も長く、小4も2・0時間で、シンガポールに次ぐ2位だった。

 対照的に「家の仕事をする」は小4が0・8時間で最も短く、中2も0・6時間でアルジェリアに次いで2番目に短かった。



 とにかく学校を悪く言っていれば仕事になるという、現在のマスコミの典型的な記事である。
 
 ここに引用された数字はすべて正しいものである。しかしその扱いは恣意と悪意に満ちている。
 たとえば、
 小中学生の理数系の成績は国際調査で5位以内と優秀だが、「勉強は楽しい」は最下位レベル−。
 うそではない。しかし
「授業方法に問題がある」かどうかは別だ。

 確かに算数4位の日本の小学生のうち「算数は楽しい」と答えた児童は下から5番 数学5位の中学生は下から3番である。同じく小学生理科は成績4位で楽しさ中位、理科成績3位の中学生は「楽しい」も下から3番と芳しいものではない。
 しかし私は、体験的に
成績の良い国は授業なんか少しも楽しくないと思っていることを知っているのだ。

 確かめてみよう。
 小学校算数、1位は香港、2位はシンガポール、3位が台湾、4位が日本で、5位はカザフスタンである。それぞれ

「楽しい」と答えた児童は、香港が34位(36か国中)、シンガポール20位、台湾は最下位、日本32位

カザフスタンだけが成績が良くて9位(しかしこういうときは、統計にウソのある場合が多い)。

 以下、中学校数学についても見てみる(国名の前が成績、カッコ内が「楽しい」と答えた児童生徒の順位)、
 1位台湾(40位/49カ国中)、2位韓国(47位)、3位シンガポール(21位)、4位香港(40位)、5位日本(46位)

 小学校理科、
 1位シンガポール(19位/36カ国)、2位台湾(22位)、3位香港(30位)、4位日本(18位)、5位ロシア(26位)
 中学校理科、
 1位シンガポール(17位/29カ国中)、2位台湾(28位)、3位日本(27位)、4位韓国(29位)、5位イングランド(23位)
 
 ちなみに、
 算数が楽しくてしょうがないコロンビア(1位)は成績は31位(36か国中)
 数学大好きのアルジェリア(1位)が成績40位(49か国中)
 小学校の理科大好きはやはりコロンビアで成績は30位(36か国中)
 中学校理科大好きはチュニジアで成績35位(49か国中)となっている。
 
 
つまり基本的に「成績」と「楽しさ」は両立できないのだ。

 それを、
 「日本の子供たちは公式の丸暗記より『なぜ』を大切にした面白い勉強があることに気付いているのに、授業が対応できていないことが『楽しくない』理由では」
 なんとむなしい分析だろう。
 

 
TIMSSでは、学校外での時間の過ごし方も調査。日本の中2はテレビ視聴時間が1日2・5時間で、参加国・地域中で最も長く、小4も2・0時間で、シンガポールに次ぐ2位だった。

 確かにそうだ。ただ、
日本の小学生よりもテレビを見ているシンガポールの小学生は、算数・理科ともに日本より成績がよく、理科にいたっては世界1位なのである。

 シンガポールは中学生も数学3位、理科1位と好成績で、テレビも2・2時間しか見ていないが、インターネットとコンピュータゲームで4・1時間も遊んでいる(日本は合わせて1・6時間)。
 
 とにかく日本を悪くいい、学校を叩いていれば稼ぎになる、その意味では世界最悪のマスコミなのかもしれない。
 
*もうこれ以上分析をする必要もないと思うが、もし日本の子どもをもっと「家の仕事をする」子どもにしたかったら、よく仕事をする国に倣えばいいだけのことである。
 中学生が2時間以上「家の仕事をする」国、コロンビア、ボツワナ、エルサルバドル・・・・。
 
 
 ついでに毎日新聞の記事も載せておく


学力国際調査:低下歯止め 「ゆとり教育」評価で二分

 
07年に実施された国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)で、日本の小中学生の平均点は前回以上となり、意欲も上向きつつあるとの結果が出た。テストを受けたのは、学力低下の元凶とされた「ゆとり教育」で学んだ子どもたち。授業時間も学習内容も増やす新学習指導要領への移行が来年度から始まるが、「ゆとりでも学力低下に歯止め」との結果が出たのはなぜなのか。

 元文相の有馬朗人・日本科学技術振興財団会長は「『脱詰め込み』のもと、着実に学力がはぐくまれていることがわかった」と強調する。前回03年の結果などから学力低下が指摘され、「脱ゆとり」の指導要領への改定につながったが、有馬さんは「日本の学力はずっとトップレベルで、下がったとの認識自体が間違いだ」。これまでの順位低下は、参加国の増加が原因と見ているという。

 6位から3位に上がった中2理科については「総合学習導入で授業が減ったが、相当の底力がある。教員の努力や国による理科支援員の派遣も、下支えになった」と評価する。

 ただ、勉強への意欲は特に中学生で低い。「知識を教えすぎるので、面白さより苦痛が先にたつのかもしれない。成績上位の台湾や韓国でも同じ傾向がある」と分析した。

 一方、「分数ができない大学生」の共著がある西村和雄・京大経済研究所教授は「1、2位グループの点数とは大きな開きがあり、世界トップクラスとはいえない。成績低下は30年近く続いたゆとり教育が原因だ」と厳しい見方をする。

 勉強の意欲が高まらないのは、学力評価におけるペーパーテストの比重を低めたことが原因とみる。「89年改定の指導要領は、学習への態度や関心を評価に加える『新学力観』を導入したが、これをやめるべきだ」

 そのうえで「トップに返り咲くには、総合学習をやめ、大学入試の科目も見直して総合的な改革をしない限り難しい。ただ今後は授業時間も増えるので、これ以上下がることはないだろう」と結論づけた。【山本紀子】



1、2位グループの点数とは大きな開きがあり、
 1位、2位グループというのがそもそも分からない。
 まさか1位と2位の2者を合わせてグループと言っているのでもあるまい。

 さらに日本の上の国との間に点数の大きな開きがあるとも思えないのだが、プロが見ると、88と86と84の間にはまったく違った差が見えるのかもしれない。

 
そのうえで「トップに返り咲くには
 そうだ、この人は本気で学力世界一にしか興味がないのだ。
 そして日本全体が本気で学校から道徳的なものを削り、学力一本に収斂していこうとしている。日本は本当に恐ろしい決断を、いとも簡単にしてしまった。








 



2008.12.11

消える部活、学校側都合で毎年200も休廃部…都内公立中


読売新聞 12月11日]


東京都内の公立中学校約640校で行われている部活動のうち、運動部を中心に毎年200部以上が、顧問の教諭の異動など学校側の事情が理由で休部や廃部していることが、都教育委員会の初めての調査でわかった。

 生徒の意思にかかわらず、部活動が休廃部に追い込まれていることになる。都教委は「非常に深刻な事態」と憂慮しており、校外指導員の活用など対策の検討に乗り出した。

 都教委は、部活動の状況を把握するため、2006年度から全公立中を対象(中高一貫校などを除く)に調査を開始。その結果、06年度220部、07年度222部、08年度は220部が、「学校側の事情」で休廃部していることが判明した。この間、復活する部もあり、部活の総数は8376〜8463で推移している。生徒が途中で転部を余儀なくされたり、部活動そのものをやめたりするケースがあるという。

 内訳は調べていないが、ソフトボールや柔道、バドミントンなどの運動系や、文化系の吹奏楽部などが休廃部したとみられる。

 ◆顧問を引き受けたがらない教諭が増加◆

 部活の顧問は、各教諭が学生時代の運動歴などをもとに、各校長に、どの部を担当したいか志願して決まる。都中学校体育連盟によると、競技人口が少ないソフトボールや、練習中の事故が心配される柔道部は、指導者のなり手が少ないという。週末の試合の引率などを負担に感じ、顧問を引き受けたがらない教諭が、若手を中心に増えていることも、一因とみられている。

 都中体連会長も務める、練馬区立中村中の足立和明校長は「指導者が少ないスポーツでは、後任の顧問がみつかりにくい」と指摘する。同中では05年度、教諭の異動により、ソフトボール部と柔道部が廃部になった。足立校長は「異動は教科で決まる。校長が『ソフトボールを指導できる教諭を』と要望しても、かなわないケースが多い」という。

 短・長距離走、幅跳びなど、異なる種目を行う陸上部も、指導者が少ない部活動の一つだ。瑞穂町立瑞穂第二中は今年4月、顧問教諭の異動で廃部になっていた陸上部を3年ぶりに復活させた。体育科教諭と、陸上の指導技術を持つ大学院生の外部指導員を確保した。

 神成真一校長は「2人体制ならば、教員が異動しても、廃部せずに済む」という。




 新聞記者というのはどうしてこんないい加減な記事が書けるのだろう。

 
その結果、06年度220部、07年度222部、08年度は220部が、「学校側の事情」で休廃部していることが判明した。
 大変なことだ。しかし
この間、復活する部もあり、部活の総数は8376〜8463で推移している。
 ということは、

廃部する部が200ほどあれば復活したり新設したりする部も同じくらいあるということではないか

 そうでなければある一定の幅で部活の数が推移するはずはない。
 この記事は「増える部活、学校側都合で毎年200もの部活が新設または復活……都内公立中」でもよかったはずだ。


 その2、
 日本中学校体育連盟によると、運動部系の加盟生徒数は今年度は233万9491人。03年度以降の5年間で10万人以上減ったことになる。都教委は「部活動は中学校生活の重要な場所で、うまくいかないことで不登校になることもある。維持・存続に力を尽くしたい」と話している。

 平成20年度の中学校生徒数はおよそ374万8千人である。5年前の平成15年は359万2千人、この
5年間に15万6千人も減ったことになる。

 生徒数が15万人以上も減ったというのに運動系の加盟生徒が
5年間で10万人程度しか減らなかったということは、かなり善戦したということではないか。もしかしたら割合としては、人数は増えているのかもしれない。
 

 その3(さらにウソは続く)、
 指導者が少ないスポーツでは、後任の顧問がみつかりにくい
 と書いている内容の小見出しは
◆ 顧問を引き受けたがらない教諭が増加◆

 あたかも教員が怠けるから子どもに被害が及ぶような書きかたは、悪意以外の何者でもない
だろう。

部活が潰れる理由はさまざまである。

  • 金管バンド部がつぶれる理由のひとつは、明らかに指導者不足だ。こればかりは経験のない者が顧問をするわけにはいかない。
  • 昨今の情勢から、野球やサッカーに生徒が異常な集中をみせ、他の部活が存続できないケースも多い。バスケットボール部は最低5人、バレー部は最低6人いなければ試合に出られない。その最低数も割ってしまうと、部活の存続はむしろ気の毒である。
  • バドミントン部がつぶれる最大の理由は、練習場所の不足だろう。男女バスケット、男女バレーボール部がると、体育館はそれだけでもういっぱいになってしまう。その上、剣道部・柔道部・卓球部……となると、空間的に不可能になってしまう。


 もっとも特定の部活について、顧問を引き受けたがらない教員がいるのは事実である。

 
練習中の事故が心配される柔道部は、指導者のなり手が少ないという。当たり前だ。
 私の友人は体操部の顧問に決まったとき、これで人生が終わるように思ったという。
ラジオ体操くらいしかできない人間が、大車輪だの、2回転降りなどを平気でしたがる部員を指導するのだ。震えないほうがおかしい。明日生徒が一人死んだら、顧問の教員生命はその日のうちに終わる。
 もちろんそうならないように勉強はするが、曲がりなりにもコーチらしくなるまで、生徒が練習を待ってくれるはずもない。
 
 では危険を伴わない部活ならいいかというと、そうもならない。
 私自身は水泳部の顧問をしたことがある。しかし「先生、見ていて」と言われてバタフライの泳ぎを見せられ、「どうだった?」と聞かれても、何も答えることがない、そんな顧問にどういう意味があるのか。
 泳げない自分がいくら書物から学んだとしても(実際、「書物」もほとんどないのだが)、有効なアドバイスなどできるはずがないのだ。バスケットボールや美術部なら私の能力の範囲にあったが、それらの部にはすでに顧問がいた。ひとつの部に3人も4人も顧問をつける余裕は、学校にはないない。

 サッカー部、野球部、卓球部、いずれもポピュラーな部だが、どれを当てられてもやったことのない者には、脅威だ。最初の数年はロクでもない顧問のままいるしかないのだ。
 
 本当にやらせたいのなら、それぞれの競技の経験者を優先的に採用試験で合格させ、さらに、山ほど体育館をつくらなければならない。
 


 教師の負担の大きさは別の問題、それもかなり深刻な問題である。
 
「教員勤務実態調査」(東京大学)によれば、中学校教師の平日の部活指導時間は26分、休日は2時間3分である。なんだその程度かということになりそうな数字であるが、数字が詐欺である。
 部活指導の総時間を、部活に出ていない教員も含めて割ってしまうから、こういうことになるのだ。
 それをしないと、

 運動部部活顧問の平日の指導時間は3時間4分、
 休日の指導時間は4時間9分にのぼり、
 その計だけでも月40時間以上の超過勤務
である。
 言っておくが、彼は普段、教科や道徳の授業もし、総合的な学習の時間のやりくりや学校行事・学年行事の采配をし、生徒指導もし、そのための超過勤務を別に行っているのだ。
 
 私は現在小学校の教員なので部活はないが、中学校でもっとも熱心に行った時代は、学校に行かない日が年間12日だけであった(そのうち年末年始が6日)。
 
 もう学校で国民体育を支える時代はとうに終わっている。学校にあれもこれもと持込んで、うまくいかないと「教員の質」「教員の自覚」の問題にして終わらせるのはやめていただきたい。

 



 




 



2008.12.13

〈新・学歴社会〉学校選択制 曲がり角


朝日新聞 12月12日]


■ある市は―生徒数の格差深刻に…廃止へ
 7対167。
 前橋市立第二中学校の女子バスケットボール部は、秋の新人戦でこんなスコアで負けてしまった。部員は5人。ギリギリの人数しかいない。
 これではどうにもならないと、7人しかいないバレーボール部と合同練習を始めた。苦肉の策で、バスケット、バレーの双方の部員が一体になり、どちらの試合にも出られるようにした。
 そもそも、学校の生徒数が減っている。同中の今年の新入生は1クラス分の34人。学区内には55人の子どもがいて、本来なら2クラスできるはずだったが、よその中学に進む生徒が多く出た。
 こんなことになった理由は「学校選択制」にある。
 公立校でも、地元の校区から離れ、行きたい学校を志望できる制度だ。学校によっては、受け入れきれずに抽選になるところもある。
 規制緩和や公立不信が広がるなか、子どもや保護者に「選ぶ権利」を与える。「選ばれる」立場になった学校側は、より良い運営に努力するようになるだろう――。そんな考えのもとで広がった。06年の調査では、小学校で14・2%、中学校で13・9%の自治体が導入している。
 しかし、人気、不人気が露骨に表れる、残酷な制度でもある。
 前橋市では制度導入から5年がたち、学校間の格差が大きくなった。中学では、学校によって生徒数に150〜600人程度の開きが出ている。
 第二中の場合、比較的近い場所に別の大規模な中学がある。部活動などが活発で、学区内の生徒が流れているという。
 鹿沼初男校長は「小規模を生かした良さはあるが、それにも限界がある」。一度生徒が減り始めると、マイナスの目でみられがちで、不人気に拍車がかかる。「良いイメージに変えるのは難しい」
 こんななか、同市は9月、選択制を10年度の新入生限りで廃止する方針を決めた。
 「ここまで差が開くとは思わなかった。クラス替えができることが学校の適正規模の最低条件だ」という市教委は、学校の「統廃合」も今年度から進める。小中合わせて66校のうち10校をなくす計画で、第二中も統合される方向だ。4校を一気に2校にする地域もある。
 保護者には「行政は選択制を実験のように持ち込み、統廃合の根拠作りに使ったんじゃないか」と疑う声も出ている。

■「ある区は」―選択肢減らしても抽選校続出
 02年に全小中学校で学校選択制を導入した東京都江東区も見直しを決めた。これまでは区内全域、どこでも行きたい学校を志願できるようにしていたが、電車やバスで通学する小学生も出てきて、地域のつながりが薄れたことを心配する声が強くなっていたという。
 来年度から、小学校では、歩いて通学できる範囲の学校しか志願できないようにした。また、人気校ではこれまで、地元学区内の子どもの数に一定数をプラスした定員を用意していたが、中学も含めてそれをやめることにした。
 これだと、学区外から志願しても、その学区内で私立校などに流れた「空き人数」程度の枠しかない。
 しかし――。ふたを開けると、「学校を選ぶ」動きは止まらず、来年度の入学者受け入れで抽選になる予定の学校が大幅に増えた。小学校は昨年は43校中9校だったのが今年は20校に。中学校では昨年は全22校中7校だったのが21校に。中学校で抽選にならないのは、今年7人しか新入生がいない学校だけだった。
 一度「選べる」となると、保護者の気持ちは止まらない。進学内容、施設の充実度、校庭の広さ、部活動の活発さ、友だちとの関係……。選択肢が減っても、その中で「より良い」学校を選びたいと心が動く。
 例えば、部活が盛んで校舎が改築されたばかりの深川第三中。来年度の学区内の入学予定者数だけで225人いるが、さらに、他学区から320人の希望申請が出た。
 抽選は12月11日にあり、学区内の辞退者が出た数だけ順に繰り上がる。「行けるか行けないか」は、最終的には、私立希望者の行き先が定まる2月末ごろまで確定しないという。

■「先進地は」―保護者の6割「続けてほしい」
 中学で導入して4年たった東京都練馬区は、検証の委員会を設置した。教員への選択式のアンケートでは、約65%が「うわさや風評で学校が選ばれるようになった」と答えた。学校選択制の肝とも言える「学校の競い合いで教育の質が向上した」という項目を肯定した教員は、わずか1・5%だった。
 一方、00年に都市部で初めて選択制を導入した品川区は「区民に支持されている」という。今年2月のアンケートでは、保護者の5割が制度に満足し、6割が継続を望んだ。「選択制で、まず校長の意識が変わった」「成果や評価を意識し、子どもたちが力をつけているかをしっかり確認するようになった」。これが同区教委の分析だ。
 富田祥子学務課長は「課題のある学校があれば、予算も人もつけて支援している。ただ漠然と『制度を導入すれば活性化するだろう』と考えて導入したのでは、うまくはいかないだろう」という。
 立場によって、大きく異なる評価や見方。制度の行く先は見通せない。
 全国の導入例を見てきた専修大の嶺井正也教授(教育政策学)は「先生の努力とは関係ないところで学校が選ばれることが少なくない」と指摘する。施設が新しい、制服がいい、駅に近い……。「人気」のもとは様々だ。坂の上にあるというだけで避けられている学校もあるという。
 「人気に格差が出ることは選択制を始めるときから予想されたが、思った以上に大きかった」。年を追うごとに増えてきた制度導入の動きも「今後弱まるのではないか」とみる。(平岡妙子)




 学校選択制の主犯は行政であり、共犯者はマスコミである。
 これだけ市町村合併が繰り返され伝統ある小さな町村が消えていく中で、ひとり学校だけが不経済を続けていいはずがない、行政の人間でなくても、そう考える人は多いだろう。
街のど真ん中に1haもの土地を占有し、毎年億単位の税金を消費する学校、それを減らせればとんでもない額の税金を必要なところに回せる……行政のそうした欲望は身勝手なものとはいえない。
 それを援護したのが、「自由」と聞けば何でも支持したがるマスコミである。
 
 
子どもや保護者に「選ぶ権利」を与える。「選ばれる」立場になった学校側は、より良い運営に努力するようになるだろう
 マスコミが盛んに流した学校選択制の趣旨だが、当の学校職員からまず「?」が出た。

 彼らはもともと頑張っているのだ。それを
給料が増えるわけでも特別手当が出るわけでもなく、休暇が取れるわけでもない、つまり何のメリットもないのに、なぜ自分たちが児童・生徒数増加のために努力しなければならないのか、それが彼らには分からなかった。それどころか40人の定員ギリギリでアップアップしている担任にしてみれば、児童生徒数の減少は願ったり叶ったりなのだ。それでやっとキメの細かな指導ができる・・・。
 
 また保護者が、学校運営といった抽象的な概念から学校を選ぶだろうという発想自体が、最初からまやかしだった。少し親の気持ちになっただけでも分かるだろう。
 現実の保護者・児童生徒が選択の基準とした、
 
部活動などが活発
 施設が新しい、制服がいい、駅に近い校地が広い、

 などは、選択理由としてはむしろ当然だ。より良い運営といった理念のために、わが子を人身御供に出す親は少ないし、現実として、教育の機会均等を最大の価値と考える日本の公立学校で、飛び抜けてユニークな学校運営などそうはないのだ。

 しかしいずれにしろ学校選択制は急速に広まり、今、止まろうとしている。 

 
年を追うごとに増えてきた制度導入の動きも「今後弱まるのではないか」
 私もそう思う。

 
市教委は、学校の「統廃合」も今年度から進める。小中合わせて66校のうち10校をなくす計画で、第二中も統合される方向だ。4校を一気に2校にする地域もある。
 したがって、これ以上の統廃合はもう必要ない。
 逆に、いつまでも選択制を続けて、毎年、ギリギリまで児童生徒数が確定しない状態は、行政にとって大きな負担と感じられるようになってくる(*)。

 選択制を実験のように持ち込み、統廃合の根拠作りにするという当初の目的は達成された。
 もうこれで十分だ。
 
 


* 児童生徒数が決まらないと、都道府県教委や国から来る教員の数が確定しない。ギリギリまで推定値で教員数を出していくのだが、これを読み誤ると実に恐ろしいことになる。

 例えばA中学校の3年生が50人いるとして、その隣に同じく3年生が50人のB中学校があったとしよう。1クラスは40人定員だから、両校とも2クラスずつの学校ということになる。そこでいきなりB中からA中に10人の生徒が流れたとする。

 A中学校の生徒は50人から60人に増えただけだから2クラスのまま、しかしB中学校は50人から40人に減ってしまい、規定からすると1クラス減らさなければならない。
 クラスの減ること自体はさほど問題はないが、そのためにすでに配当された教員一人が宙に浮いてしまうのだ(3月の時点で、本人に落ち度がないのに、いまさら内定取り消しとはいかない)。

 浮いた教師が一人いれば運営は飛躍的に楽になり、学校としてはのどから手が出るほど欲しい存在だが、一人500万円も600万円もする教員をただ自由に置いておくほど都道府県教委は豊かではない。結局その費用は「読み誤った」市町村に押し付けられ、校長以下が処分される。

 その意味で、学校選択制は市町村にとっても早くやめたい制度である。











 



2008.12.17

教育再生 道徳教育拡充に踏み出せ


産経新聞 12月17日]


 政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)が第2次報告で、豊かな情操や道徳心の育成につながる題材を教科書に増やすよう提言する。道徳、情操教育の充実は、学力向上とともに公教育再生のカギである。提言を教科書づくりにぜひとも反映させてほしい。
 道徳教育の充実は中央教育審議会などで過去に何度も議論されながら、教育現場にはなかなか反映されない。小中学校で週1時間ある道徳の授業は生徒指導や別の教科に流用されてきた。一部教職員組合の反対で道徳の授業が行われていない学校さえあった。
 いじめ問題や少年非行の低年齢化など公教育の危機の中で、規範意識や公共心をはぐくむ教育の充実は欠かせない。再生懇談会の前身の教育再生会議は昨年、徳育の教科化を提言した。形骸(けいがい)化した道徳教育の現状を変えるねらいがあったからだ。
 道徳教育に対しては「価値観の押しつけ」といった反対が根強い。教科化すれば、教科書がつくられ、教材が充実し、指導法の研究が進むことが期待できるが、新しい学習指導要領では教科化は見送られた。
 文部科学省は、教科化を含め道徳教育充実策を引き続き検討するとしたが、決め手を欠いている。教科化についてはその後、真剣に議論されておらず残念だ。
 再生懇談会は2次報告で教科書を質量とも充実させることを打ち出し、学力面では国語、理科などでページ数倍増を提案する。
 教育基本法改正をふまえ、国語や音楽などの教科書に日本の伝統文化や自然に関する記述を増やすことも提言する。道徳の授業だけでなく各教科を通じて道徳教育充実を図ることは有効だ。
 小学生の国語の教科書をみても、ゆとり教育で教科書は極めて薄い。かつては教えられていた偉人伝や古典などが消えている。
 親から子へ語り継がれてきた文化や人物の歴史を知ることは、国やふるさと、自分の生き方を自然に考えるきっかけになるはずだ。授業が待ち遠しくなるような教科書で子供たちの心をとらえる授業をしてほしい。
 再生懇談会の報告は5月の1次報告以来だ。学力、生徒指導両面で私学人気は高まり、公立復活、公教育再生というにはまだ課題が多い。首相の主導で積極的な提言が今後も期待される。




 道徳とは何か。
 少なくとも学校教育における「道徳」には明確な定義がある。学習指導要領に書かれている「目標」が、それである。
 

新学習指導要領(小学校)
 道徳教育の目標は,第1章総則の第1の2に示すところにより,学校の教育活動全体を通じて,道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする。
 道徳の時間においては,以上の道徳教育の目標に基づき,各教科,特別活動及び総合的な学習の時間における道徳教育と密接な関連を図りながら,計画的,発展的な指導によってこれを補充,深化,統合し,
道徳的価値の自覚を深め,道徳的実践力を育成するものとする。


新学習指導要領(中学校)
 道徳教育の目標は,第1章総則の第1の2に示すところにより,学校の教育活動全体を通じて,道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする。
 道徳の時間においては,以上の道徳教育の目標に基づき,各教科,特別活動及び総合的な学習の時間における道徳教育と密接な関連を図りながら,計画的,発展的な指導によってこれを補充,深化,統合し,
道徳的価値及び人間としての生き方についての自覚を深め,道徳的実践力を育成するものとする。
 
 違うのは一箇所、中学校指導要領には小学校の「道徳的価値の自覚を深め」の間に、「及び人間としての生き方についての」が入るだけだ。
 
 注目すべきは
 
「学校の教育活動全体を通じて〜道徳性を養うこと」「各教科,特別活動及び総合的な学習の時間における道徳教育と密接な関連を図りながら,〜これを補充,深化,統合し」という部分である」
 
 私は声を大にして百万遍も叫びたい。
 道徳の授業だけでなく各教科を通じて道徳教育充実を図ることは有効だ。
などという暢気な話ではないのだ。

教員は学校の全教育課程を通じて道徳教育を行っている。

 道徳の学習というのは単に良いお話を読んで「さあ、みんなでがんばりましょう」と言って済む問題ではない。人間の生活の場で出会うさまざまな種類とバリエーションの問題に、どううまく対処していくか、それを学ぶには膨大な経験の蓄積が必要なのだ。

 学校はそれを修学旅行や社会見学、清掃活動や奉仕活動、委員会活動や当番活動を行いながら、勉強させていく。人間が共通の仕事をすればそこには必ずトラブルが生まれる。そのトラブルを解決しながら、人間同士の係わり合いはどうあるべきか、社会を円滑に運営するにはどうしたらよいのかを獲得していくのである。
 
道徳の教科書を充実させ、教材を豊かにすることが道徳教育の決め手
 などといった甘いものではない。

 私たちはこの仕事をかなりうまくやってきた。
いじめ問題や少年非行の低年齢化などは、学校教育の責任ではない。「叱らない」「無理させない」「躾けない」という『三無運動』の中で育ってきた千種万別の子どもたちを相手に、この程度で抑えているのはむしろ勝利である。しかし、そうした価値に誰も気がつかない。

 今や政府も国民も、学校に期待する最大のものは学力向上だという。世界数十カ国の上位5位以内にいても、1位でなければ日本の教育の崩壊を示しているに過ぎない、日本の子どもは何が何でも世界一でなくてはいけないということらしい。

 そのために授業時間を増やし、総合的な学習の時間を減らし、道徳教育の本体である、特別活動(学校・学年行事、委員会活動)も極限まで減らされていく。小学校の運動会や中学の文化祭の準備時間はどんどん切り詰められ、子どもたちが友だちとぶつかり合いながら協働していく場はほとんどなくなっていく。そうして
実践的道徳教育をほとんど潰したところで、週1時間の「道徳の授業」を充実させ、良いお話を聞いて済ませようという
 恐ろしいことだ。しかし後戻りはできない。
 
 私は、ユダヤの陰謀だとかフリーメーソンの世界支配だといった戯言は信じない。しかし、こうも合理的な道徳教育潰しが進行していく様子をみると、あるいはそんなこともあるのかもしれないと思ったりもする。
 







 



2008.12.19

県立高校内の携帯使用禁止、中学は持ち込み禁止へ 埼玉


朝日新聞 12月18日]


 埼玉県教育局は、県立高校の校内での携帯電話の使用を原則として禁止する方針を決めた。来年1月に県内の全小中高校に配る「ネットいじめ等対応マニュアル」に盛り込む。県立中学では校内への持ち込みを原則禁止する。
 7月に文部科学省が各都道府県教委に出した、校内での携帯電話の取り扱いのルールの明確化を求める通知を受けた措置。埼玉県教育局の「ネットいじめ等対応マニュアル」は携帯電話使用のルールやネットいじめへの対策をまとめたもので、各校に対し校則などに原則禁止を明記するよう求める。
 中学生の保護者から、防犯などの理由で携帯電話を持たせたいとの意見があった場合は、登校後に預かり、下校前に返すなどの対応をとる。
 市町村立小中高校には「県の方針を参考に携帯電話に関するルールの明確化を求める」としている。私立校に対しては、要望があったらマニュアルを配るという。
 教育局が7月、公立中高を対象に行った調査では、96%の中学校が校内での携帯電話の所持や使用を認めておらず、71%の高校が所持は認めて使用は制限していた。こうした制限を校則などで規定しているのは中学44%、高校57%だったという。



なぜ校則レベルではいけないのだろう? 
県立高校もピンからキリまで多種多様、別に県全体で縛ることもないと思うが。

 節度をもって携帯利用している高校生には失礼だし、
分別も埒もなく使用している高校では教師と生徒の激しいバトルが始まるに違いない。県もさらに踏み込んで「校内で携帯電話を使用したものは退学」といった規約でもつくってくれればいいが。そこまではできないだろう。
 だとしたらカッコいいことを言って負担を学校に押し付けるだけのことだ。

 さらに
 
中学生の保護者から、防犯などの理由で携帯電話を持たせたいとの意見があった場合は、登校後に預かり、下校前に返すなどの対応をとる。
と、なんとも物分りのいいことだが、子どもから携帯を取り上げる苦労などと言うものはまったく頭に浮かばないらしい。
度し難い想像力の欠如である。

 携帯は、子どもにとって秘密の宝庫だ。そんなものを容易に手放すはずがない。
「オレは、センコーに渡したのにあいつは渡さなかった」だの、
「センコーに中身見られた」だの
「壊された」だの、
「勝手に使われた」だの、
 片っ端イチャモンをつけられ、挙句の果てに
「緊急の連絡を取れなかった、どう始末をつけてくれる」と凄まれたり・・・・。

 どうせ禁止するなら、現在の中学校がやっているように
「全面禁止」にすればよいのに、なぜわざわざお墨付きで敷居を低くしてしまうのか。

 こんな例外をつくれば「不良になってやる」「勉強サボってやる」などと脅された親たちが、いっせいに「防犯などの理由で携帯電話を持たせたい」と言い出すに決まっている。

 いずれにしろ県のお偉方はとんでもないお節介をしてくれたものである。これで子どもたちは親と喧嘩せず、堂々と「学校まで」は携帯を持ってこられる。

 後はセンコーとの勝負だ!


 




 



2008.12.23

<高校新学習指導要領案>英語で授業…「自信ない」教諭も


毎日新聞 12月22日]


 「使えない英語」から「使える英語」へ。22日に公表された高校の新学習指導要領案は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記した。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙い。文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明する。だが教諭の英語力や生徒の理解度はばらつきが大きい上、大学入試は従来通りとみられ、現場からは効果を疑問視する声も出ている。【三木陽介、平川哲也、高橋咲子】

 ◇理解度に差、疑問の声

 「文科省は現場を分かっていない」。千葉県の県立高の英語教諭は苦笑する。学校によっては、アルファベットのbとdが区別できない生徒もおり、「英語で授業なんて無理」。

 大阪府の府立高の男性教諭も「苦手意識を持った生徒が、ますます英語から離れてしまう可能性がある」と危惧(きぐ)する。進学校でも「難関大学の長文問題は行間を読まないと分からない。結局、日本語で説明する必要があるので時間のロスになるかも」(福岡県の英語教諭)と困惑する。

 どんな授業が想定されるのか。文科省は「授業を始めるよ」「○ページを開けて」「いい発音だね」といったやり取りは英語で、と説明するが、本格的に英語で授業をしようとすれば教員の英語力も問われる。千葉県の教諭は「それぐらいなら今もやっている」と話すが、別の英語教諭は「全部英語でやるのは正直自信がない。研修をさせられるんでしょうか」と不安げだ。

 大学入試の変革を求める声も少なくない。群馬県の県立高の英語教諭は「リスニング(聞き取り)の問題の配点がもっと高くならない限り、現場には浸透しない」と言い切る。大学入試センター試験の英語の配点は、筆記200点に対し50点。この教諭は「進学校では生徒に最短コースを歩かせたいのが本音。今の入試がある限り、授業のやり方は変わらないと思う」と話す。

 生徒からも「リスニング対策なら英会話のCDで十分。日本語で教えてくれた方が分かりやすい」(大阪府の高3男子)、「英語は楽しいので賛成だけど、受験のための授業とは別にしてほしい」(福岡市の高1女子)という要望が出ている。

 文科省教育課程課は「今後、新要領に対応した入試のあり方は別途検討されていくことになると思う」と話している。

 ◇解説 思考力も知識も…現場混乱?

 文部科学省が22日公表した高校の新学習指導要領案は、思考力や表現力の養成を重視したことに加え、過去の改定で削られた要素が復活するなど、教える内容のレベルも上がった。すべて消化することは容易ではない。

 今回の改定には、経済協力開発機構(OECD)が実施する国際学習到達度調査(PISA)の結果が大きく影響している。06年調査では数学的活用力が03年の6位から10位に後退。覚えた知識を取り出す力はあっても、セオリーに当てはまらないひねった問題は苦手という現実を突きつけられた。

 だが、PISAを意識し、「思考力を育てる」と言っても、難易度は極めて高い。PISAで求められる学力観と、これまで取り組んできた学力観には大きな隔たりがある。大学受験という現実を前にして、現場からは「知識を根気よく積み重ねることもおろそかにはできない」という声も当然上がるだろう。

 全体で見れば、覚えるべき事柄の量は従来とさほど変わらず、増えている部分もある。大学受験のあり方を見直す議論も表立っては始まっていない。どう優先順位をつけて教えていけばよいのか、教員の戸惑いも広がりかねない。

 新要領を絵に描いた餅にしないためには、文科省が目指す学力の質をさらに明確化するなどし、現場の十分な理解を得て進めることが必要だ。【加藤隆寛】



 私は教員で、教員といえば世間知らずである。だから社会の状況がさっぱり分かっていないのかもしれないが、普通の日本人は英語がしゃべれないことで、どれほど困っているのだろう?
 田舎町の専業主婦や商店街のおっちゃんたちは、英語をしゃべれるようになったらどれくらい幸せになれるのだろう? わが地方都市のサラリーマン諸氏は、英語のできないことでどれだけ不利益を被っているのだろう? もしかしたら都会の人たちは英語ができないことで日々苦労するような事情があるのかもしれない。しかしみんながみんな、英語ができないと大変なのだろうか? 私には想像がつかない。

 私は生涯に2度、英語で話しかけたいという誘惑に駆られ、3〜4回、外国人から英語で話しかけられ、うろたえたことはあった。しかしだからといって何百時間もかけて英語を学びなおそうという気にはならない。

外国人とはほとんど接触しないから英語は必要ない
のだ。
 同じように、摩擦係数が何のかベンゼン環がどんなものだったのか、微分や積分が何だったのかみんな忘れてしまったが、まったく困っていない。そうしたものとほとんど接触しないから、必要ないのだ。
 
 国連の首脳演説も母国語でいいし、ノーベル賞の授賞式だって日本語がまかり通る時代だ(と、私は聞いた)。だからおそらく英語がしゃべれることは人生の必須条件ではないと思う。それにもかかわらず、高校の英語の授業をすべて英語で行うといった過酷を受忍して、日本人は何を達成しようというのだろう?
 そもそもすべての授業を英語で行うなどというかとが可能なのだろうか?

 これについて、産経新聞は明確な回答を示している。

【学習指導要領】“オール・イングリッシュ”の授業可能? 「語学力格差」不安視も  〔産経新聞 2008.12.22〕

 22日に公表された新しい高校学習指導要領案。英語は教員が英語で指導することが盛り込まれた。全国の高校で、“オール・イングリッシュ”の英語授業は可能なのか。すでに先行実施されている英語教育の重点校「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」(SELHi)からは「生徒は十分順応できた」との声もあがる半面、英語教員の「語学力格差」を心配する声も出ている。
 「『案ずるより生むがやすし』。それほど高いハードルではなかった」。平成18年度にSELHiに指定され、英語の授業を原則英語だけで行う大阪府立寝屋川高校の秦寿孝校長は、こう手応えを語る。
 寝屋川高校では、文法事項の解説など一部の時間以外は英語で授業を行っているが、「こちらの懸念が無用なくらい、生徒たちの順応力は高かった」(秦校長)。3年目を迎え、模擬試験の英語の成績が全国平均を大きく上回るなどの成果も出ているという。
 ただ、英語での授業が指導要領に盛り込まれた後に、こうした成功例ばかりが出てくるとはかぎらない。
 府教育委員会高等学校課は「かたくなに日本語で教えてきた先生方は『ついに来たか…』と思っているかもしれない」と懸念する。
 元公立高校教員で、現場教職員らの相談に応じる団体「教師駆け込み寺・大阪」を主宰する下橋邦彦さん(69)も「英語教員の中の語学力の差は意外に大きい」と指摘する。「学生時代から英語のサークルに打ち込み教員になる人もいれば、どうしてもテープに頼って授業をしてしまう人もいる。『英語授業力』を段階的に上げ、徐々に定着させるようにしなければ、現場が混乱してしまうのではないか。英語が苦手な生徒にとって、ちんぷんかんぷんな授業にならないかも心配だ」と話していた。

 調べると
寝屋川高校の入試偏差値は67である。
 模擬試験の英語の成績が全国平均を大きく上回るなどの成果も出ている
 偏差値67の学校は、本来、全国平均と点数を競うような学校ではないと思う。

 私の住む田舎には偏差値67を越える学校はひとつもない。トップエリート校の一部の生徒が67を越えているだけだ。
 この人たちにオール・イングリッシュが
それほど高いハードルではなかったとしても、他の生徒達も大丈夫だと考えるのはまったく現実感を欠いている。

『英語授業力』を段階的に上げ、徐々に定着させるようにしなければ、現場が混乱してしまうのではないか。英語が苦手な生徒にとって、ちんぷんかんぷんな授業にならないかも心配だ。

 逆に言えば、
教師が「英語授業力」を上げれば、英語の苦手な生徒でもオール・イングリッシュで分かるようになるという、その自信はどこから来るのだろう?

 私は文科省の役人の見識を疑うとともに、マス・メディアの人々の見識も疑う。

 かつて安倍元総理は総合的な学習の時間について「理念は正しかったが、現場の教師が理解できなかった」と語った。
 数年の後、英会話の堪能な数%の高校生と英語のちんぷんかんぷんな大量の高校生とが生まれるだろう。
 
その時になって「理念は正しかったが、現場教師が『英語授業力』の向上に努力しなかった」といわないで済むよう、今から万全の政策を打つべきである。

「英語教員の中の語学力の差は意外に大きい」
 その差を解消する方法は簡単だ。日本人教師を排し、すべて英語圏の外国人教師にしてしまえば否が応でもオール・イングリッシュの完璧な授業になるはずである。
 
 





 



2008.12.27

「心病む先生」15年連続増
昨年度の休職 過去最多4995人


読売新聞 12月26日]


 2007年度にうつ病などの心の病で休職した公立学校の教員は、前年度より320人増えて過去最悪の4995人にのぼることが25日、文部科学省のまとめで分かった。
 心の病による休職者はこれで15年連続の増加。教員の間にじわじわと広がる心の病に、文科省は危機感を募らせている。
 文科省が公立の小中高校の教員91万6000人余りを対象に調べたところ、昨年度中に病気で休職したのは、全教員の0・88%にあたる8069人だった。このうち、心の病が原因だったのは4995人。病気休職中の教員の6割を占めた。心の病の教員は、調査項目に加わった1979年度は664人だった。ここ2年間は伸び率が鈍化しているが、94年度以降は毎年、数百人単位で増加している。
 こうした傾向について、文科省は、〈1〉部活動の指導や報告書の作成に追われて多忙〈2〉教員の立場が昔ほど強くなくなった〈3〉同僚との人間関係の希薄さ――などが原因と分析。同省が今年10月、外部に委託してまとめた報告で、「気持ちがしずむ」などのうつ病の症状を訴える教員の割合は一般企業の2・5倍だった。
 一方、わいせつ行為や飲酒運転などで懲戒処分となった教員は、1万2887人だった。北海道で今年1月に起きた時限ストによる処分者1万1899人を除くと988人で、7年ぶりに1000人を下回った。わいせつ行為で懲戒処分などを受けた教員は164人(前年度比26人減)。教え子や卒業生が被害者だったケースが45%を占めた。



 総務省は25日、2007年度中に懲戒処分を受けた地方公務員は2万326人(前年度比1万2735人増)だったと発表した。2万人超は1984年度以来で、北海道教職員組合の時限ストライキ参加者約1万2500人への戒告などで大幅増となった。休職などの分限処分は過去最多の2万2686人(同840人増)で、処分理由は精神疾患など「心身の故障」が97%を占めた。




私は昨年12月「キース・アウト」12月号で、次のように書いた。
「心の病を含む休職者や処分者の人数を記した記事を取り上げることも、このサイトの年中行事となった。子どもの心の傷とトラウマに関する記事は繰り返し書かれるが、教員の心の傷は年に1回、文科省が毎年行っている教職員の懲戒処分に関する調査の際に振り返られるだけである。」
 今年も状況に変化はない。

昨年度中に病気で休職したのは、全教員の0・88%にあたる8069人だった。
もう少しで1%、100人に1人が休職する時代が来るだろう。しかもグラフを見れば分かるとおり、休職者の増加はすべて精神疾患によるものなのだ。

 
 同省が今年10月、外部に委託してまとめた報告で、「気持ちがしずむ」などのうつ病の症状を訴える教員の割合は一般企業の2・5倍だった。

 教職がいかに困難な仕事かをうかがわせる数字である。しかしそうした窮状に、社会も政府も反応しようとしない。
 おそらく、もっとたくさんの犠牲が必要なのだ。
 
 そして私は昨年の記載をそのまま写す。

「もっと多くの教員が倒れなければならない。もっと多くが入院しなければならない。
 もっと多くの教員が処分され、自殺し、この世界から去っていかなければならない。
 それ以外に学校の窮状を社会に知らせる方法はもうないのだから………」