キース・アウト (キースの逸脱) 2009年 3月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
2009.03.06
<中学丸刈り>県弁護士会、人権侵害と廃止勧告
「伝統理由にならぬ」−−鹿児島・奄美
[毎日新聞 3月 6日]
鹿児島県・奄美群島の公立中学校で男子生徒に頭髪の丸刈りを強制する校則は「生徒の人権侵害」だとして、同県弁護士会(松下良成会長)は6日、廃止を求める勧告書を、県教育委員会と群島の11市町村教委に送った。松下会長は「『丸刈りは奄美の伝統、文化、慣習』とする学校もあるが、人権を侵害する理由にはならない」と批判した。
同県奄美市で丸刈り強制反対運動をする保護者から、2月に人権救済の申し立てがあった。県教委によると、丸刈り校則は今年2月現在、群島12市町村の56中学のうち、08年で全廃した瀬戸内町を除く11市町村の37校にある。
勧告書は「丸刈り強制」について「全国的にみても、奄美群島の中学にほぼ限られている」と指摘。「幸福追求権と表現の自由を保障する憲法と、子どもに意見表明権を保障する『子どもの権利条約』、個人の尊厳を重んじる教育基本法のいずれにも抵触する」と断じた。
丸刈り校則を巡っては97年、県弁護士会が徳之島・伊仙町立伊仙中に廃止勧告したが、法的拘束力がなく同校は従わなかった。県弁護士会は「改善されないようなら、教委や校長との対話や、勧告より重い『警告』も検討したい」としている。
県教委義務教育課は「校長が実情に応じて校則を定めており、頭髪を校則で規制することは、一概に人権侵害とは言えない」としている。【福岡静哉、川島紘一】
頑固な保守主義者や伝統主義者を除けば、いまどき丸刈りにしておくメリットはさほどない。教員からすればこれまで「バカヤロー、髪が1cmも長ゲーだろー!」とか言っていた時代から、「髪を染めるな、モヒカンにするな」という時代にシフトするだけで、曲がった道を進もうとする子どもとの戦いが終わるわけでもない。
ただ、たいていの子は年齢より可愛くなってしまう丸刈りでタバコを吸える子は少ないし、繁華街に出入りする子も少ないが、髪を伸ばせばそちらの方の指導が煩雑になるということはあるのかもしれない。しかしそれだって教師の仕事の範疇で、奄美の教師だけが楽をしていいという理由も、奄美の子どもだけが非行文化から隔離されていていいという理由にもならないだろう。
私が気になるのはただひとつである。
「幸福追求権と表現の自由を保障する憲法と、子どもに意見表明権を保障する『子どもの権利条約』、個人の尊厳を重んじる教育基本法のいずれにも抵触する」
というなら、鹿児島県弁護士会は子どもに関するいかなる規制とも戦うのか、ということである。あるいはつい先ごろ文科相から出された、学校への携帯電話の持ち込みを原則禁止する通知に対して、反対の狼煙を上げるのかということだ。
特に携帯電話の持ち込みは鹿児島県の一島嶼に留まらない、全国規模の問題である。この問題については子どもの意見は無視されたし、幸福追求権・表現の自由という点からも問題があるだろう。
丸坊主はダメだが、携帯禁止はかまわないでは、幸福追求権も意見表明権もない、そうは思わないか、鹿児島県弁護士会。
2009.03.07
<山梨・増穂商高>卒業証書を回収
授業料滞納の2人から
[毎日新聞 3月 日]
山梨県立増穂商高(増穂町最勝寺、久津川孝校長)が授業料などを滞納した昨年度と今年度の卒業生2人から、一度手渡した卒業証書を回収していたことが7日、県教委への取材で分かった。久津川校長は「教育的指導の一環。滞納は本人の問題ではないが、高校生になれば家庭の事情も理解しないといけない」と説明している。
県教委と同高によると、2人は卒業に必要な単位を取得していたが、年間11万8800円の授業料の一部と諸経費を滞納していた。卒業証書の回収について、同高は卒業生と保護者の了解を事前に得ていたといい、ホームルームで卒業証書を手渡した後、「同級生の目につかないよう」(同高)に配慮して本人に返却させたという。卒業後に滞納分を納めた昨年度の卒業生には卒業証書を渡した。
県教委が作成した授業料滞納の対応の手引きには、卒業証書の回収について記載はなく、回収は同高のみで「他の県立高校はやっていない」(県教委)という。県教委高校教育課の滝田武彦課長は「方法としてどうかと思う気持ちがないわけでもないが、保護者の了解を得ている。県教委としては学校に判断を任せている」と話した。【小林悠太】
卒業証書を回収が妥当かどうかということは記事には一切ない。しかし記事にすることで、毎日新聞がこれを問題視していることは明らかであろう。
さて、問題のポイントはこれが在校生の滞納ではなく、卒業生の滞納だということだ。いわば食い逃げのように店(学校)を出て行こうとする家族を、学校はどう引きとめることができるのかということである。
卒業証書の回収とはなかなかうまいことを考えた、と私は思う。しかし毎日新聞がこれを問題とすえるなら代案を出さねばならないはずだ。
さて、どうする?
いちいち民事訴訟に持ち込むか詐欺か何かで刑事に訴えるか、それとも払われなかった分については税金で補填するか、いずれにしろ教育という崇高な仕事をしている教師に金の心配までさせるのはやめてもらいたいと、私は思う。
2009.03.10
生活実態調査:非行生徒の実名書かす
愛知の中学
[毎日新聞 3月9日]
愛知県春日井市の市立知多中学校(長江勝美校長)が、生徒の生活実態を把握するために行ったアンケートで、他の生徒の行動まで実名で書かせていたことが分かった。名指しで非行を指摘された生徒の中には「やっていない」と否定する生徒もおり、同校は「不適切な方法だった」と生徒と保護者に謝罪した。
アンケートは08年12月、1、2年生計約320人を対象に無記名で実施した。この中で「やめさせてあげたい友人の行動」を実名で書く項目があり、約10人が喫煙や万引きなどの非行を指摘された。担任の教師が確認したところ、4人が「やっていない」と否定した。
同校の古賀直人教頭は「全員が良くなっていけるような指導に役立てる目的だったが、調査の方法に配慮が欠けていた。反省している」と話している。【花井武人】
記事を読んで懐かしくなった。
「やめさせてあげたい友人の行動」を実名で書く
もう20年も前に廃ったやりくちだ。
当時は勇気あるいは力がないばかりに正義の貫けない児童生徒が、たくさんいた。そうしたサイレント・マジョリティの意見を拾い出し、教師が代わって裁こうというのがこの方法の意図だった。
今だって勇気や力がないばかりに正しいことを訴えられない子どもはいるが、こういう子の人権は守られない仕組みになっている。守られるべきは加害者の人権だけなのだ。
もっとも、その子たちの人権だって本当に守られたかは分からない。
名指しで非行を指摘された生徒の中には「やっていない」と否定する生徒もおり、同校は「不適切な方法だった」と生徒と保護者に謝罪した。
そうだが、
約10人が喫煙や万引きなどの非行を指摘された。担任の教師が確認したところ、4人が「やっていない」と否定した。
というなら10人中6人までがやった事実を認めたわけで、この子たちは教師の指導下にはいる。ということは
その子たちには改心や更正の契機が与えられる
ということだ。
正直言って、私は目の前の児童生徒の人権にあまり興味のないところがある。私の関心はもっぱらその子の将来の人権にあるのであって、苦労せずとも平和に世の中を渡っていけるような人間を育てたい。そうである以上、子ども時代の犯罪や非行はぜひとも是正しておきたいのだ。
子どもの犯罪は守られてはならない。それは将来のその子の人権を破壊することなのだから。
2009.03.22
日本の教員11時間勤務
フィンランドの倍近く
[共同通信 3月22日]
小中学校教員の1日の平均勤務時間(休憩を除く)は11時間6分で、国際学力調査で高い学力を示すフィンランドの6時間16分より5時間近く長いことが22日、国民教育文化総合研究所の調査で分かった。
研究所は「フィンランドは学習指導が主だが、日本は文書整理や部活、学校行事の準備に追われている」とみている。
調査は昨年1−5月に実施、両国の計約1100人の教員が回答した。日本はフィンランドより20分早い午前7時36分に学校に到着。学校を出るのは約4時間遅い午後7時2分だった。
主な業務のうち、両国の差が際立ったのは1カ月当たりの文書作成。日本が22・8回なのに対し、フィンランドが5・7回だった。授業の準備など自宅での1週間の「持ち帰り残業」時間は、両国とも約6時間と同じだった。
一方で連休で取得した夏季休暇は5・7日。63・2日のフィンランドの10分の1以下で、平日の睡眠時間は1時間20分短い6時間23分との結果も出た。
教員の文書作成をめぐっては、文部科学省は年間28件だった公立学校対象の全国調査を、2008年度から21件に削減、現場の負担軽減を図っている。
「フィンランドは学習指導が主だが、日本は文書整理や部活、学校行事の準備に追われている」
こんな言い方をしたら身も蓋もない。大切なのは中身だ。
まず文書整理だが、整理される文書には、大雑把に三種類のものがある。
一つは児童生徒の記録。
二つ目は年間28件だった公立学校対象の全国調査をと書かれるような市教委や県教委・文科省を通して、都道府県議会・国会に提示される報告書類。21件に減らしたそうだが、臨時のものを含めると相当な量になる。
しかし不必要なものではないだろう。議会や国会は納税者の立場からすべてを質問できる場である。その意味ではこうした調査は説明責任を果たすために文書とも言える。
三番目が各種計画書で、これが最も多い。
何の計画書かというと、
各教科の教育計画、児童・生徒会計画、人権教育・図書館教育・健康教育・食育、安全教育・視聴覚教育・情報教育・福祉教育・環境教育、遠足・修学旅行・社会見学・総合的な学習の時間・クラブ活動・部活動、清掃指導、始業式終業式の計画、発表活動の計画その他諸々。
子どもの集団性・社会性など道徳的資質を育てるための計画が繰り返し繰り返しつくられ、実施されているのである。
その意味で、
「フィンランドは学習指導が主だが、日本は文書整理や部活、学校行事の準備に追われている」
は、
「フィンランドは学習指導が主だが、日本は国民への説明責任を果たすことや道徳教育に追われている」
というべきである。それが5時間超の秘密だ。
ヨーロッパにはキリスト教という道徳の軸がある。日本は学校がその肩代わりをしている。
しかし、その呪縛もまもなく解かれるだろう。
国も社会も、「道徳教育は『心のノート』でやれ、それで十分だ、あとは学力だけでいい」というのだから。
2009.03.23
【主張】道徳教育
心のノートで公徳心養え
[産経新聞 3月23日]
新年度から小中学校で新しい学習指導要領が先行実施され、道徳教育の充実が図られる。徳育は学力向上とともに公教育再生の要である。学校現場は指導法を工夫して取り組んでもらいたい。
文部科学省は全小中学生に配布している道徳の副教材「心のノート」を改訂した。新指導要領を踏まえた一斉改訂だ。
心のノートは、神戸の児童連続殺傷事件などをきっかけに、平成14年度から使われている。命の大切さなどの教育の重要性が指摘され、日常生活の場面を題材に考える内容だ。
改訂版では「きまりを守る」といった規範意識や公共心の育成など、新指導要領で重視される項目が増えて充実した。また若者の勤労意欲低下など最近の課題にも対応し、「働くことのよさ」をテーマにしたページも加わった。
日常のあいさつ、助け合いの大切さなどの心のノートでも取り上げられている徳目は、以前は家庭や地域の中で当たり前に教えられ、はぐくまれてきた。
だが家庭のしつけがきちんと行われず、幼児期から集団生活に慣れない子供たちが増え、学校の道徳教育の重要性は増している。
一方で、道徳教育は教師によって指導の差が大きい。一部教職員組合は心のノートを「使わない」ことを組合活動の成果とするあきれた例さえあった。
学校現場には道徳教育を「押しつけ」などと嫌う風潮があるが、公徳心や正義などを毅然(きぜん)として教える教育が必要なときである。
最近の意識調査で、子供の勉学意欲低下や将来を悲観的にみる若者など気になる結果が目立つ。東京都教育委員会のアンケートでは中高生は自分自身を好意的にとらえておらず、自尊感情が低いとの結果が出た。都教委が「自分が嫌いでは学習意欲もわいてこない」と懸念するのはもっともだ。
都教委では、例えば失敗や間違いも大切な経験であることを教えるなど、子供が自信を持てるような指導に取り組むという。
また大阪府教委は、独自の授業「志(こころざし)学」を府立高校に導入するなど、小中学校を含めて「将来について考える機会を設ける」という。
道徳以外でも、自虐的な歴史教育など子供たちの誇りや夢をつぶすような授業がまだみられる。子供たちの意欲や活力を引き出す指導をしてほしい。
文科省の推進するキャンペーンの中に「キャリア・スタート・ウィーク」というものがある。
これは「中学校において5日間以上の職場体験を行う学習活動」を推進しようという試みで、一部の学校ではまじめに取り組んでいる。
連続5日というところがなかなかミソで、三日目で疲れ果て、4日目をいやいや出かけると、5日目に仕事の本当のすばらしさがわかってくる、そんな感じなのである。
私の知る近隣の中学校でもこれをやっているのだが、この試みの第一の成果は意外にも「親への感謝」。もちろん「働くことの大変さ」や「金を稼ぐことのつらさ」もあるが、「仕事の喜び」「人々の温かさ」を上げる生徒も少なくない。
道徳教育というのは、本来このように行われるものなのだ。
さて、「心のノート」だが、それほど悪いものではない。使い方によってはなかなかのものであるが、キャリア・スタート・ウィークのような試みをやめて、いくら丁寧に「心のノート」をやっても、道徳性など絶対に身につかない。
今回の教育改革はまさにその方向へ進んでいるのであり、新指導要領遵守の結果、
教科の授業時間を増やしたぶん各種行事は簡略化され、児童会・生徒会のような集団性を鍛える活動、権威を重んじる儀式的な活動、遠足・強歩大会といった鍛錬的な活動は根こそ削られてしまった。連続5日間のキャリア・スタート・ウィークも3日間に減らされて子どもたちはウンザリしただけで職場から戻ってくる。
そしてそれらの体験的活動の変わりに、「心のノート」で道徳心を育てようとするのだ。
ソビエト型社会主義は、ロシアにおいて70年に及ぶ壮大な実験の結果、何千万人もの人々を殺し、歴史と文化に傷をつけ、国家をぼろぼろにして終了した。
日本の道徳教育も、今まさに壮大な実験、元に戻れない実験に取り掛かった。
2009.03.26
<家庭科テスト>まつり縫い、
中3で半分以上できず
[毎日新聞 3月25日]
文部科学省国立教育政策研究所は25日、中学3年を対象にした技術・家庭科テスト(特定課題調査)の結果を公表した。実技テストでは、9割がのこぎりで木材を適切に切断できたが、ほつれたズボンのすそなどを縫うまつり縫いは半分以下しかできなかった。食生活などについて知識を尋ねる問題では、一部で課題も浮かんだ。
調査は07年10〜11月、無作為抽出した全国497校の約1万6000人を対象に実施。技術・家庭科の全国規模のテストは41年ぶり、実技テストは初めて。
木材を指定された線に沿って2種類ののこぎりで切るテストには約3000人が挑戦し、誤差が2ミリ以内におさまるなど適切に切った生徒は92〜93%だった。まつり縫いには別の約3000人が挑戦し、適切に縫うことができたのは46%だった。大根のいちょう切りには約1000人が挑戦。厚さ5ミリ以下という指定通りに切ることができた生徒は77%だったが、輪切りにしてから4等分した生徒が半数を超え、同研究所は「先に縦4等分するのが望ましい。効率的で安全な切り方を考えさせる指導が必要」とした。
キャベツ、ブロッコリー、ピーマン、トマトから緑黄色野菜でないものを選ぶ問題で、正解のキャベツを選んだ生徒は28%で、58%はトマトを選んだ。クーリングオフ制度について「契約を結んだ後でも期間内であれば解約可能」と正しい説明を選んだ生徒は61%。「通信販売で契約した場合に取り消すことができる」と誤答した生徒が16%いた。【加藤隆寛】
中学校では教科の並び順を、国語・社会・数学・理科・英語・音楽・美術・保健体育・技術家庭科の順にすることが多い。
これを私は、国語を右上に置き、社・数・理と下に下ろして英語を一番下に置き、音・美・体・技と馬蹄形に上げるレイアウトのデザインとして考えたことがある。
それは生活の必要度の配列なのだ。
「必要」という観点から考えると、まず国語、続いて技術家庭科、以下、社会、保健体育、数学、美術、理科、音楽となり、英語が一番必要ない。
根拠のある話ではないが、私はけっこう気に入っている。そしてその意味で、普通の子にとっては英語ができることよりも技術家庭科のできるほうがずっと重要だと、私は思っている。
ただしだからといって、この記事の趣旨に私は賛同しない。
すべてが国語・数学中心の学力増強へと動き始めた中で今ごろ家庭科の学力不足を言うのは、教師いじめとしか言いようのない仕打ちだからだ。
学校が要求されるものに悪いものはひとつもない。しかしそのすべてを引き受けてしまったら学校は立ち行かなくなってしまう。
「子どもは苦しめられては行けない」・・・もちろんそうだ。
「子どもは高い学力を身につけられなければならない」・・・それももちろんだ。
しかしふたつの正義に同時に応えようとすると、
「子どもは一切苦しむことなく、高い学力を身に付けてもらう権利がある。それを行うのは教師だ」ということになる。それが本当に可能なのだろうか?
子どもは高い道徳心をつけてもらわなくてはならない。そして学力は世界一でなければならない。そして外国に殆ど例をみない家庭科においても、高い能力をつけてもらう権利をもっている。しかも何の苦しみもなく、手に入れられなければならない。
学校が今立たされているのは、そうした場である。
2009.03.27
部活より侍ジャパン?
顧問教諭が「顧問」せず
京都・亀岡市立中
[産経新聞 3月26日]
京都府亀岡市の市立東輝中学校で、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦が行われた24日、教職員約10人がテレビ中継に夢中になり、一部のクラブ活動に顧問教諭が付き添っていなかったことが26日、わかった。
部活指導に関する明確な規定はないが、付き添いが原則とされ、校長(56)は「普段頑張ってくれているので大目に見た」と釈明。市教委は「気持ちは分かるが、好ましいことではない」とし、同校に事実確認した。
同校によると、24日は終業式が行われ、授業は午前中に終了。職員会議を経て、会議室にあるテレビの前に教諭ら10人前後が集まり、午後1時のクラブ活動開始時刻を過ぎても観戦を続けた。部活動の顧問の教諭もおり、たまに様子をのぞいては観戦に戻っていたという。
校長も時折観戦に加わっており、「入れ替わり立ち替わりの状態だったので、部活をやっているのは知っていたが見逃した」と釈明している。
最初にテレビをつけた教員も一緒に見ていた教員も、何となく見逃した校長もテレビの合間に部活の様子を見ていた顧問も、そしておそらくこの事件を親に話した生徒もそれをマスコミに流したその親も、
誰もこんな結果を予想してはいなかったろう。
部活の最中にテレビを見ていた顧問を本気でかばおうとも思わないが、終業式が終わったホッとした雰囲気の中でノンビリとテレビを見ていた教員が全国ニュースで非難されるというのも何か気の毒な気もする。何ともゆとりのない世の中になったものだ。
そもそも私たちには、部活の最中は絶対に付き添わなくてはならないという気持ちが薄かったのかもしれない。
部活指導に関する明確な規定はないが、付き添いが原則、それくらいは思っていたが、原則を守っていたら部活なんかできない。
しかしそうした気の緩みが、結局生徒や親やマスコミに付け入るスキを与えてしまったのだから反省はしなくてはならないだろう。
明確な規定はないが、ではなく、「部活中は必ず付き添うこと」とはっきりと決めてしまうべきなのだ。
そうなるとWBCどころか、職員会議だって研究会だって学年会の最中だって部活はできなくなる。ましてや顧問が出張の最中の部活など論外だろう。
かくして、部活は週2回程度の気楽なスポーツクラブに変身する。
それでいいのだ。顧問が付き添わない部活はこのましくないのだから。
2009.03.29
中1が担任「流産させる会」
…給食にミョウバン、いす細工
[読売新聞 3月28日]
愛知県半田市の市立中学校で、1年生の男子生徒11人が、担任で妊娠中の女性教諭を「流産させる会」をつくり、この女性教諭の給食に異物を混ぜるなど悪質な嫌がらせを繰り返していたことが28日、わかった。
同市教育委員会によると、嫌がらせを受けたのは30歳代の女性教諭で、当時は妊娠5か月〜6か月。11人の生徒は席替えに対する不満や、部活動で注意されたことの腹いせに、1月末頃から、チョークの粉などを女性教諭の車に付けたり、いすの背もたれのネジを緩めて転倒させようとしたりするなどしていた。
2月4日には、殺菌や食品添加物などに使われるミョウバンを、理科の実験の際に持ち帰り、教諭の給食のミートソースに混入。女性教諭は気付かずに食べたが異常はなかった。嫌がらせを見かねた生徒たちが、別の教諭に知らせて発覚。同校は同月下旬、関与した生徒と保護者を呼んで注意した。生徒は反省の態度を示しているという。女性教諭は4月から産休に入る予定。
流産なんかしたものならこの女性教諭、産休を取りやめ翌年も担任のまま留まるかもしれない、そういうことは思い浮かばなかったのだろうか。嫌な担任なら一刻も早く産育休に入ってもらい、3年くらい子育てに専念してもらえば会わずに済むと、普通ならそんなふうに考えそうなものだが、この子たち、本当に頭の悪い連中だ。しかも11人もいながら一人も止めに入らないというのも、呆れた馬鹿どもと言うしかない。
私たちがつきあっている子どもたちの一部は、こういう子たちなのだ。
「純真な子どもをそこまで追い込んだ担任の罪」などというたわ言は聞きたくない。
この子たちのやったことと相殺されていいようなあくどい席替えも陰湿な指導もないはずだ。
教員であるということは、もはや常に首や命を常に賭けている事と同じなのだと、肝に銘じておく必要があるだろう。
ところで刑法第29章(堕胎の罪)には以下のような規定がある。
(不同意堕胎)
第215条 女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、6月以上7年以下の懲役に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。
(不同意堕胎致死傷)
第216条 前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
被害者が他の人間だったらこの子たちの行為は立派な犯罪だったろうし、関与した生徒と保護者を呼んで注意したでは済まなかったろう。
しかし教員であるばかりに、被害を負わされても泣き寝入りしなければならない。
本当に口惜しいことである。
もはや教員は日本国民ですらない下層民なのかもしれない。