キース・アウト (キースの逸脱) 2009年 6月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
2009.06.07
保護者7割「公表望む」全国学力テスト学校別結果
市区教育委は9割近く反対
[産経新聞 6月7日]
小学6年と中学3年を対象に文部科学省が実施している「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)の学校別結果について、保護者の67・3%が公表すべきだと考えていることが5日、政府の規制改革会議で報告された調査結果で分かった。一方、市区教育委員会は86・7%が公表すべきではないと回答、「過度の競争」を懸念して学校の自主的公表以外を認めない文科省の方針を支持しており、保護者と行政側との意識ギャップが浮き彫りになった。
保護者が学校別成績の公表を求める理由は「学力向上は学校(教員)の責務だから」が56・8%で最も多く、ほかに「学校選択のための基本情報」「説明責任を果たすために公表は当然」など。公表すべきではないとする回答は10・5%。
都道府県・政令市の教委で公表すべきではないとする回答は65・1%で、市区教委を下回り、大阪府や鳥取県など公表に積極的な知事がいる現状を反映した。
規制改革会議は昨年12月の第3次答申で「多大な公費に見合う情報が国民に公開されていない」と指摘。今回の調査で指摘が裏付けられたとしている。一 方、塩谷立文科相は同日、「公表した場合の弊害を保護者がどれだけ理解しているか疑問。学校や教委は説明して理解してもらう必要がある」とコメントした。
アンケートは1〜2月、小中高の保護者2200人と教委を対象に実施。市区教委の回答率は89・3%、都道府県・政令市教委は98・4%だった。
政治に関わる何事かをアンケートによって決めようというのは一種のポピュリズム(大衆迎合主義)である。アンケート結果に従うことが正しいかどうかは分からない。多数決は必ずしも正否を表すものではないのだ。
さて、全国学力テスト学校別結果公表であるが、過度の競争とか学校の序列化だとか、それ自体が問題な訳ではない。そこから生まれる教育内容の変更が問題なのだ。
学校はすでに多すぎるほどのものを背負い込んでいる。世界と比べても遠足だの社会見学だの、修学旅行だの・・・運動会、音楽会、文化祭、交通安全教室に避難訓練、観劇教室、音楽鑑賞会など、こんなに多くの特別活動を行っている学校はないだろう。そもそも家庭科や道徳、図工や音楽、総合的な学習の時間などが揃っている国というのはどれくらいあるだろうか? 世界の国々で部活動・クラブ活動のような運動・芸術サークルを学校が運営している国がどれくらいあるだろう?
日本の学校は子どもに良いと言われるもののほとんどを背負い込んでしまった。その上何かを入れるとすれば、それは別の何かを押し出すゼロ・サム・ゲームである。
悪名高い「ゆとり教育」がその例だ。
「ゆとり」を取り入れれば「授業時数」が弾き出されるのは自明だった。時数の削減は、仕事を十全にやり遂げたいと願う私たちには受け入れがたいものだったが、「これ以上の知識は十分だ。これからのその中は『知識』ではなく、考える力こそ大切だ」というマスコミの論調がそのまま国民の意思だと考えたから、受け入れたものだった。まさか後出しジャンケンのように、勉強が大切だと言われるとは思ってもみなかった。
そしてこれからは学力だと言う。
「学力向上は学校(教員)の責務だから」
「学校選択のための基本情報」
「説明責任を果たすために公表は当然」
それらはいずれももっともな気もする。
しかし学力テストの結果公表を要求するなら、人々はその負の結果も受け入れなければならない。
繰り返すが、学校は何かを入れれば何かが弾き出されえるゼロ・サム・ゲームなのだ。学校別のテスト成績が発表されれば当然、平均的競争が始まる。その結果、学校は必然的に授業時数を増やし、その分、特別活動と呼ばれる学校・学年行事が減らされていく(これを行事の精選という)。
しかし遠足だの修学旅行だの文化祭だのは決して単なる思い出づくりの場ではない。それは人間関係・社会関係の実践学習の場、つまり道徳教育の本丸なのである。
文科省はすでに学力中心主義のために道徳教育が衰退することを懸念して、「道徳」の時間の授業内容を充実するように求め、道徳の教科化も図ろうとしたが、教室でじっと座って行う道徳をいくら充実させても、特別活動の削減によって失われる経験は補いようがない。
全国学力テストによる学校間競争は水面下ですでに始まっている(各市町村教委は平均点の低い学校に圧力を加え、高い学校にも更なる点数の上積みを求めている)。それが学校別結果公表となると平均点向上の圧力はさらに強まるだろう。その結果、道徳教育は大きく衰退する。それは自明のことだ。
アンケートに「公表すべき」と答えた7割の保護者はその苦い杯を飲み干す意思があるのだろうか。
道徳教育はもういい、それは家庭が責任をもって担おう。その代わり学校は学力向上こそ本務と考え、責任を持って行え、というならそれもいいが。
2009.06.21
「学校裏サイト」監視、民間任せの自治体相次ぐ…教師多忙で
[産経新聞 6月20日]
同級生への誹謗(ひぼう)中傷など「ネットいじめ」の温床になる学校裏サイト。その監視を民間業者に委託する自治体が相次いでいる。
東京都、北海道、三重県、札幌市、宇都宮市、北九州市、東京都江東区の7自治体で、教師が多忙で裏サイトの監視やサイト管理会社との折衝に費やす時間を割けないためだ。ただ、識者には教師自体がネットを見守る力をつけ、指導していくことが大事と指摘する意見もあり、教育現場で論議を呼びそうだ。
学校裏サイトの監視委託は、2007年頃から一部の私立中高で始まったという。東京都は6月初め、入札を行い、都内のIT関連企業が初年度分として約1900万円で落札した。今月中にも都下の公立小中高約2200校を対象に監視活動に入る。
江東区では独自予算を組み、この4月から先行実施している。予算は年347万円。全区立の中学(22校)の学校裏サイトが対象で、都内のIT関連企業「ガイアックス」に委託した。同社は福岡県に置く監視センターで毎日、裏サイトへの書き込みを監視している。
同区によると、4月だけでも、「死ね」「きもいし!チビデブ」などの悪質な書き込み48件を発見。同社はそのほとんどについて、サイト運営会社に削除要請し、すでに消されたという。見つかったものは区教委に報告される仕組みで、同区立中の男性教諭(49)は「監視してもらえれば、こちらはデータを基に、生徒指導に専念できるから助かる」と委託を歓迎する。
このほか、札幌市で5月から、市立約320校を対象に委託業者による監視が始まった。他の4自治体も秋頃までに相次いで業者委託に乗り出す。都内の区教委の担当者によると、昨年頃から「監視を請け負いたい」と業者からの売り込みが絶えないという。
「サイトをかぎ回っている」。学校裏サイトで悪口の書き込みをされた生徒の相談を受け、サイト管理会社に削除依頼をした横浜市の市立中学の教諭は昨年、同じサイト上でこんな中傷をされた。悪質な書き込みから生徒を守ろうとする教諭まで中傷の標的になることを示したこの問題は、学校関係者に衝撃を与えた。「学校だけでは対処できない現状がある」(江東区教委)との危機感が、業者委託が相次ぐ背景にあるようだ。
一方、業者委託に否定的な自治体もある。石川県教委は4月から、金沢市内の県教育センターにパソコンと携帯を2台ずつ設置。教員8人を含む対策チームで監視活動を始めた。同県教委は「民間に比べると、技術や効率で劣るかもしれないが、『先生が見ている』と生徒に感じてもらうのが大切。民間に丸投げはできない」と話す。
元群馬大教授で、ネット時代の教育を考えるNPO法人・青少年メディア研究協会理事長の下田博次さん(66)も、「ネットの書き込みは子供たちの本音。教師自身がネットを見守る力を伸ばし、子供たちを指導していくべきだ」と指摘している。
◆学校裏サイト◆
在校生らが運営するインターネット掲示板。本来は情報交換のために使われているが、匿名で級友の悪口を言い合ったり、特定の個人を中傷したり、いじめに直結することが問題になっている。文部科学省の調査によると、学校裏サイトなどを使った「ネットいじめ」は2007年度、全国で5899件(前年度比2割増)確認された。
現代のマスコミ人は「ペンは剣よりも強し」という言葉を知らないのかもしれない。
「思想や言論が人に与える影響は、武力よりも強い力を持っている」
そのペンも扱いを誤れば邪剣だ。
さて、上の記事を読んで人は何を考えるだろう?
問題の一つは、教師自体がネットを見守る力をつけ、指導していくことが大事であるにもかかわらず、民間に丸投げしていることだ。
さらにそのための費用が、初年度分として約1900万円にもなるという。
それが第2の問題点である。
子ども相手にいい給料をもらって、それで面倒な仕事は民間に丸投げする。教師なんてろくなものではない。そう思われても仕方ないだろう。
さて、一方石川県では
金沢市内の県教育センターにパソコンと携帯を2台ずつ設置。教員8人を含む対策チームで監視活動を始めた。
という。
民間に比べると、技術や効率で劣るかもしれない状況で、深刻なネットいじめが見過ごされないかと心配でもあるし、『先生が見ている』と生徒に感じてもらうのが大切といっても、まさか石川県が全学校数8校で、その学校代表者が集まっているわけではないだろう、たった8人の「先生」なら大半の生徒にとって、どこの誰かわからないような「先生」であるはずだ。それでもなお、生徒は『先生が見ている』と感じて、行動にブレーキをかけるだろうという石川県教委の読みはさっぱり理解できない。
さて、私は「学校裏サイト」の監視というのがどんなものか良く分からないのだが、それは教師自身がネットを見守る力を伸ばしてあたれば、簡単にできるものなのだろうか?
プロのIT関連企業が1900万円で請け負う仕事、教育センターが8人がかりで取り組む仕事を一介の教員に任せられても、まったく自信がない。
メディアの人々はしばしば忘れてしまうが、私たちは昼間授業をし、夕方からは会議をしたり教材づくりや教室づくりをし、教材研究をし、その他の仕事をしたりしてているのだ。
2009.06.21
姿勢の乱れどう直す? 体幹の使い方
親の意識改革も必要
[読売新聞 6月8日]
■バランスボールで
背中がぐにゃり。頭がだらり…。いつの時代も指摘されてきたにもかかわらず、姿勢の乱れた子供は減らない。それどころか、いっそう目立つようになった。原因は子供を取り巻く環境の変化にもあるようだ。現代っ子の姿勢の乱れ事情を探った。(津川綾子)
◆遊びが変化
横浜市の 主婦(37)は昨年春ごろから、小学6年の長男(11)の姿勢の悪さが気になりだした。背中を丸め、あごを突き出すような格好で勉強している。くたくたに 疲れたことを「あごを出す」と表現するが、まさにそのもの。主婦は「成長期に姿勢が悪いと、将来的に影響があるのでは」と心配する。
子供向けの個人トレーニングを行う「すくすくトレーニング」(東京都港区)では、5〜15歳の子供が月に30人ほど、母親らに付き添われて姿勢を整えるエクササイズを受けている。
背筋がぐにゃりと曲がるのは、姿勢を保つための体の軸となる「体幹」部分の筋肉がうまく働かないため。現代っ子がうまく「体幹」を使えない原因について、子供のトレーニングを担当する頼(らい)幹二郎主任トレーナーはある点に気付いた。遊びの変化だった。
「体幹は足元が不安定な場所で体のバランスを保つときに働く。昔は木に登ったり、高い塀を伝い歩いたりといった“危険な遊び”を通じて、自然に体 幹が鍛えられた。ところが、今は危険な遊びは親に禁じられ、代わりにじっと背中を丸め、ゲームで遊ぶ機会が増えた。この影響は大きい」と指摘する。「すく すく−」では、いわゆる“危険な遊び”に代わり、バランスボールで遊びながらできるトレーニングを勧めている。
また、意外にも最近流行の「運動系の習い事」をしていても、筋肉の発達が偏ったり、運動後に適切なストレッチを怠ったりすると、姿勢の乱れを招くことがあるという。冒頭の横浜の小学生は水泳選手で、足の筋肉を鍛えることで姿勢が改善されたという。
◆大人にも原因
「姿勢を厳しく注意する人がいなくなったから」と指摘するのは、早稲田大学で「姿勢と健康」の講義を持つ「虎ノ門カイロプラクティック院」(同)の碓田(うすだ)拓磨院長。碓田院長は「小学校や中学校に姿勢教育を取り入れてもらいたい」と平成17年、正しい姿勢を指導できる人材を育てる「姿勢教育塾」(甲木寿人塾長)を開校。これまで歯科医師や理学療法士、主婦など100人以上に姿勢の大切さを説いた。
塾が勧める体操のひとつが猫背を直す体操のキャットレッチ。背中側で手のひらを上に向けて組み、肩甲骨を中央に寄せるように肩を後ろに引く。そして、息を細かく吐きながらゆっくり頭を後ろに倒し、そのまま3つ数える。受講した都内の区立小学校の養護教諭(34)は「だるいといって保健室に来る子の肩を触ると、凝っていることが多い。そんな子にはキャットレッチを一緒にやって教えている」と話す。
この教諭は「注意すべき親が家を不在にする共働き家庭の子も姿勢が崩れる傾向がある」と、親の存在が重要であることを指摘。「最近の子供は…」と子供に注意する前に親の意識改革が必要だ。
◇
■筋肉への負担や呼吸乱れるケースも
なぜ姿勢がよくなければいけないのか。「虎ノ門カイロプラクティック院」 の碓田拓磨院長によると、悪い姿勢は背骨の変形を招いたり、筋肉に負担がかかったりして肩こりになる。また、胸郭が狭まるので呼吸が浅くなり、ひどい場合 は息苦しささえ感じるという。勉強や食事など日常の作業は前屈みになる姿勢が多いため、猫背の姿勢が楽に感じるようになる。丸めたポスターを伸ばしてもすぐに元に戻るように、意識してもすぐ猫背に戻ってしまうのはこのためという。日常生活で正しい姿勢をとる工夫として、椅子(いす)に座るときはやや前かがみに座面の角いっぱいにまでお尻をひき入れ、背中を伸ばすといい。
学校というシステムが「個性を殺してしまう」「みんな同じように育ててしまう」と非難された時代があった。今から20年ほど前のことだ。以後、個性教育が叫ばれ、主として人権を守る立場から「厳しすぎる指導」が回避されるようになって、学校は未完成の子どもを上級学校に上げ、そして社会に出すようになった。口で注意し、辛抱強く指導しても直らないものは、個性としてそのまま送り出すしかないのだ。
姿勢のことにしても、かつての教師はどうしても姿勢の悪い児童については背中に物差しを入れ、それでも直らないとなると容赦なくお尻を叩いたりした。それは目の前の子どもの人権も大切だが、姿勢の悪いまま大人になってしまう将来のその子の人権も守らねばならないと考えたからである。しかし今、大切にされるのは目の前の子どもの人権だけである。将来その子がどうなるかについては、あたかも教師は責任を取らなくてもいいかのようである。
ただし、だからといって世の親が何もしないわけではない。事実、
子供向けの個人トレーニングを行う「すくすくトレーニング」(東京都港区)では、5〜15歳の子供が月に30人ほど、母親らに付き添われて姿勢を整えるエクササイズを受けている
1回(60分)コースに7000円(「すくすくトレーニング」l)を払えることもすごいが、それ以前に、姿勢のためだけに子どもをレッスン会場に連れて行くというだけでも、普通の親とは熱意が違う。
さらに、姿勢教育塾となると1コース(4回:30時間)で10万円だ(http://siseijuku.com/)。
金と熱意と余剰時間のある親の家に生まれた子とそうでない子とでは、将来はまったく違ったものになってしまう。しかしそれでも学校によって同質の人間に育てられてしまうよりは、ましなのかもしれない。
そういった意味で、さまざまなことを考えさせられる記事である。