キース・アウト
(キースの逸脱)

2009年 7月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 



2009.07.03

車いす少女の入学仮許可「不服」
町教委、高裁に抗告


朝日新聞 7月2日]


 車いすで生活を送る谷口明花(めいか)さん(12)=奈良県下市(しもいち)町=が、希望した町立下市中学校への進学を拒否された問題で、町と町教育委員会は、仮の入学許可を出すよう義務づけた奈良地裁の決定を不服として、大阪高裁に即時抗告した。1日付。高裁決定が出るまでは地裁決定が有効であるため、町側は2日付で就学通知書を谷口さん側に手渡し、仮入学を認めた。明花さんは3日に初登校する。
 下市町教委の堀光博教育長は「地裁決定には納得できない部分もあり、抗告した。仮入学は認めるが、訴訟はまた別の問題」と話し、高裁で町側の主張を認める逆転決定が出れば入学を取り消す可能性を示唆した。
 明花さんの父親の公務員、正昭さん(51)は「非常に残念。できることなら抗告して欲しくなかった」としたうえで、「明花が一日も早く安心して通えるようにしてほしい」と、早期決着への望みを語った。
 この問題をめぐっては、奈良県の荒井正吾知事が1日の定例会見で、地裁の決定を「大変すばらしい、賛同できる判断」と評価。町教委に明花さんの早期受け入れを求め、講師の派遣などで支援する考えを示していた。
 明花さんは、地元の町立小学校を今春卒業したが、町教委は障害などに見合った設備がないことなどを理由に下市中への入学を拒否。明花さんと両親は4月下旬、町と町教委に入学許可を求めて奈良地裁に提訴。地裁は6月26日、判決が出るまでの措置として、町教委などに仮に入学を認めるよう決定を出した。




 奈良県知事が
地裁の決定を「大変すばらしい、賛同できる判断」と評価
したことに軽いショックを受ける。
県にそこまでの余裕と腹構えがあるとはまったく想像していなかったからだ。奈良というのは想像以上にすごい県なのかもしれない。

 このお子さんは、
自分で車いすを使って少しなら移動できるが、通っていた同町立阿知賀小では介助員2人が付き添い、特別担任の元で学校生活を送った(2009.04.04 読売新聞)という生徒である。この子の就学には、新たに三人の教職員の採用が必要なのだ。
 町は校舎の改築を含め、そういった負担に耐えられないといっているのであり、別にこの子が嫌いなわけはない。
県が経費を負担しようといい、同様のお子さんが何人来ても責任を持って財政的に支援する、と保障すれば喜んで引き受けるはずだ。荒井知事の今後の動向に期待したいところである。


 そうした条件が整った上で、さて、それならば統合教育に賛成かといえば、必ずしもそうではない。障害の重さ・状況にも拠るが、養護学校が適切と判定された子どもが普通学校に来ることに、私は基本的に不賛成なのだ。

 なぜなら第一に、
普通学校にはリハビリのための施設もノウハウもない。リハビリテーションというのは、成長期に行ってこそ価値あるものだろう。その重要時期を、むざむざと普通学校で過ごさせるのはあまりにも惜しい。
 また、心の成長という観点からしても、重い障害をもった子が普通学校の教育を受けるのは、不公平に損だという気がするのである。
 
 考えてみればいい。一人でも障害のある子が学校にいれば、その学校の子どもたちは必ず心豊かに育つ。さまざまな行事や日常の生活を通して、子どもたちは障害のある友だちを応援し、優しい視線を送り、援助の手を差し伸べようとするだろう。今どき障害を理由に友だちをいじめる子などいるはずはない。

 しかし反面、当の障害を持った子どもの方はどうだろう。その子の能力にもよるが、うっかりすると
学校にいるあいだ中、その子は他人の援助や協力を受け続けるだけの子になってしまうのだ。人は「他人の役に立ってこそナンボ」の存在である。助けられるだけの生活は、人間の尊厳に関わる。

 今日、養護学校判定でありながら普通学校に通っている児童生徒の多くは、
養護学校へ行けば「使える」子たちである。人の役に立ち、人を助ける事のできる子たちなのだ。その能力を十分に伸ばせないのは、あまりにも損失と言える。

 私が親だったら迷わず養護学校を選ぶ。しかしそれでもなお普通学校を選択しなければならないとしたら、そこには相応の理由がなければならないだろう。

 
なぜそれほどに養護学校に行かせたくないのかこれに関するニュースを見ながら、いつも思うのはそのことである。





 



2009.07.04

<青少年白書>ニート2万人増の64万人に
高年齢化の傾向


毎日新聞 7月3日]


 小渕優子少子化担当相は3日午前の閣議で09年版青少年白書を報告した。仕事も職業訓練もしていない若者(ニート)が、08年は前年比2万人増の64万人となった。中学、高校時代に不登校だったり中退した人がニートになる傾向が強いことも判明した。白書は「さまざまな支援が必要とされているにもかかわらず(現在の支援が)ニート状態からの脱却に必ずしもつながっていない」と施策見直しの必要性に言及した。

 ニートの年齢別内訳は、15〜24歳(低年齢層)が26万人、25〜34歳(高年齢層)が38万人。総数は02年以降、62万〜64万人で推移しているが、低年齢層は02年比で3万人減ったのに対し高年齢層は3万人増え、いったんニートとなった人が社会復帰できず高年齢化している現状がうかがえる。

 今回は不登校や中退した人の調査を初めて実施。今年2〜3月、04年度に高校を中退した人1595人(回答168人)と、中学で不登校だった人480人(同109人)を対象とした。現在ニート状態にある人は高校中退者の20.8%(同年代平均5.9%)、中学不登校者の16.5%(同2.3%)と、いずれも同年代平均を大きく上回った。

 白書は「学校段階でのつまずきが、ニートへつながっている」と分析している。【横田愛】




 ニートという言葉は青少年問題として取り上げられるようになってきた概念であるため、統計上は34歳までを扱う。したがって35歳になると自動的に統計から消えるだけで、35歳を機に全員が働きに出ているわけではない。つまり就労もせず社会的教育も受けていない人口は64万人で済んでいるわけではない。
 
 さて、
 白書は「学校段階でのつまずきが、ニートへつながっている」と分析している。
 学校段階で躓いたからニートになり易くなるのか、学校段階で躓く資質とニートになる資質が同じものなのかは議論が別れるところだと思う。これについては深刻に考えなければならないだろう

また、
 現在ニート状態にある人は高校中退者の20.8%(同年代平均5.9%)、中学不登校者の16.5%(同2.3%)と、いずれも同年代平均を大きく上回った。
という事実を人がどんなふうに考えるのか、それも吟味しておく必要がある。


 ただ、全体として思うことはひとつだけである。
 
100人中16.5人もがニートとなり、35歳になり40歳になっても70歳・80歳の両親に寄生する、そうした可能性のある不登校をどうして放置できるのか、そうなる可能性の高い不登校初期を「エネルギーが溜まるまでゆっくり休ませる」などと言ってなぜ無為に過ごせるのかということである。

 急げ、慌てろ、有効な手を打て、それ以前に、不登校ならない全ての手を打っておけということである。





 



2009.07.08

教員、弁護士らが保護者のクレーム研究する会設立


朝日新聞 7月6日]


 教育現場に過度な要求をする保護者が増える中、大阪大大学院の小野田正利教授(教育制度学)は、独立行政法人日本学術振興会の補助金を受けて、「新学校保護者関係研究会」を発足させた。通称は「新イチャモン科研」。教員や弁護士、臨床心理士らが参加し、保護者対応のマニュアルづくりなどに取り組むとともに、保護者と学校の関係を考えるシンポジウムなどを開く。
 小野田教授らは06年4月、前身の「学校保護者関係研究会」をつくった。分析中心だった研究会のあり方を見直し、「イチャモン」ともいえる保護者のクレームへの対処方法や保護者との良好な関係づくりなど実践的な研究にも乗り出す。今年度から4カ年、文科省系の振興会から総額3360万円の研究補助金を受ける。
 メンバーは29人。新たに、『となりのクレーマー』などの著書がある関根眞一さんを招いた。関根さんは元百貨店のお客様相談室長で、著書で苦情を寄せた顧客への誠意ある対応の大切さを説いた。関根さんは「学校の先生には相手から学ぶべきものはないというプライドが強いのではないか。このために親と激しく衝突してしまう。それを改善してもらうのがぼくの役目です」と話す。
 メンバーは「保護者、国際比較、危機対応」「教育委員会、学校、教員」「心理、医学」「福祉、法律、子ども」の4班に分かれて研究。保護者対応のマニュアルづくりや学校現場での研修方法の模索▽過度な要求やクレームを言う保護者に対処する専門チームを設けた自治体の成果や課題の調査▽解決困難なトラブルを分類し、初期段階での対応のあり方の検討――などに取り組む。
 8月にも、小学校や幼稚園の教諭らを対象に研修を大阪府内で開き、保護者との関係改善や学校、園の危機管理について助言する予定だ。
 小野田教授は「親の注文を、はなからクレームととらえず、くみ取れるものを吸収する姿勢が大切。研究会では親と学校の良好な関係をどう築くか、多面的に考えていきたい」と話す。
 初会合は6月13日、大阪大であった。関根さんは、行政、病院、教育、流通など八つの領域で、約5千人から聞き取ったクレームをまとめた「日本苦情白書」を、今月出版することを報告。白書の一部を披露した。
 「近年、自分の職場では苦情が増えていると思うか」の問いに、「思う」は全産業の平均39.7%に対して、教育は53.7%。原因を聞く質問では、「こちらの配慮不足」は全産業50.3%に対し、教育31.2%で、「相手の勘違い」は全産業23.1%、教育で30%だった。調査から、教育関係者が、「責任は相手にある」と考える傾向が強いことが分かったという。(市原研吾)




 学校がモンスター・ペアレントと呼ばれるような強硬なクレーマーにさらされる理由はいくつかあると思う。

 その一つは、
二つの神話、昔ながらの「学校の教師はすべてを投げ捨てて子どもに尽くすべきだ」という神話と、ここ10年余り言われるようになった「日本の教育システムはすでに崩壊している」という神話である。

 政府がはっきりと教育再生を旗印にしている以上、公教育の死は間違いない。だとしたら瀕死の教育からわが子を救おうとなれば、それは他に先んじて要求を突きつけるしかない、そう考える親の気持ちは理解できないものではないだろう。黙っているばかりに負の部分を押し付けられては適わないのだ。

 第二に、学校はこれまでも無定見に保護者の要求に応え続けてきたという伝統がある。
「となりのクレーマー」は私も読んだが、デパートのお客様係だったら最後に踏ん張る土俵がある。クレーマーの要求に屈して金を払うことはないということだ。これは市役所なども同じで、要求の行き着くところは金という場合が少なくなく、そこを踏み越すと約束をしても反故にせざるを得ないことは確実だからそこで踏ん張る。

 ところが学校はそうではない。宿題をもっと減らしてしかも成績は上げろとか、五分五分の喧嘩なのにいじめだから何とかしろというのは、必ずしも金に行き着く問題ではない。教師の努力で何とかなる(かも知れない)問題なのだ。したがってどうしても引き受けざるを得ない。さらに、教員には残業手当も振り替え休業もないから無限に時間をつかい、たいへんな努力をして時には達成してしまう。
クレーマーからすれば「ホラ見ろ、やればできるじゃないか」ということになる。言えば通るのだ。

 第三に、ここ十年あまりのことであるが、
親が子どもを人質にとるようになったこと。「そういうことならとても子どもは学校に出せないので、明日から休ませます」と言われれば、教師はたいていのことに応えようとしてしまう。子どもを愛しているからだ。しかしそのことが一部の保護者を増長させる。

 学校の先生には相手から学ぶべきものはないというプライドが強いのではないか。このために親と激しく衝突してしまう。
 そうではない。もはや教職は最も卑屈な職業の一つである。この人はおそらくご自分が子どもだったころの、高圧的な教員の姿が忘れられないのだろう。今の教師はなんとかクレームをかわしながら、日々の教育に専念できるよう、周辺に気を配る戦々恐々の人々なのだ。

 さてそれにしても今後どうクレーマーから身を守るか。
 これに関して、学校の最もまずい点は、クレーマー問題で先進的な民間から、基本的なことをまったく学ぼうとしないことである。

 具体的に言えば、
クレームという極めてデリケートな問題に対して、デパートのように専門のお客様係を置かず、教師が片手間に対応していることである。

 教師は世間知らずだ、民間から学べ、の掛け声は高いが、教育委員会自体「危険回避にはコストがかかる」という民間の知恵を、絶対に受け入れようとしない。金を使わず教員の力量アップだけで乗り切ろうというやり方は、常に失敗する。

 総額3360万円
どぶに捨てるようなものだ。





 



2009.07.18

長野の教諭、懲戒免職 飲酒翌朝に酒気帯び運転摘発


信濃毎日新聞 7月17日]


 県教委は16日、酒気帯び運転で摘発されたとして、長野市北部中学校の坪井香陽(かよ)教諭(39)を懲戒免職処分にした。

 酒を飲んだ翌朝、財布をなくしたことに気付き、遺失物届を出すため交番を車で訪ねた際、呼気からアルコールが検出された。同教諭は「二日酔いの認識はな かったが、大変申し訳ない」と話しているといい、県教委は「検出されたアルコール濃度は高く、自覚を欠いていた」としている。

 県教委によると、坪井教諭は4月10日午後6時半ごろから約5時間、同市内の居酒屋で友人と飲酒し、焼酎の水割りを7〜8杯飲んだ。11日午前0時ごろ、近くの自宅に徒歩で帰宅。午前6時半ごろ起床し、7時半ごろに訪れた交番で警察官が酒のにおいに気付き、検査で呼気1リットル当たり0・3ミリグラム のアルコールが検出されたという。

 県教委の処分では6月、酒気帯び運転を理由に懲戒免職となった松本教育事務所の男性職員の申し立てを受け、県人事委員会が飲酒後9時間経過していたこと を考慮、停職6カ月に修正した。山口利幸教育長は16日、人事委の修正判断について「それをもって飲酒運転に対する原則的な判断を変えるつもりはない」と 述べた。

 県教委は同日、5月の高校総体中信大会で部活動の道具を運ぶため乗用車で中信地方の一般道を運転中、制限速度を30キロ超過し、摘発された中信の県立高校の男性常勤講師(31)を戒告処分とした。




 ビール5・6本ではまったく酔えないという酒豪もいれば、奈良漬一切れで足元のふらつく下戸もいる。酒の世界とはまったく不思議なものだ。
 さて、
 財布をなくしたことに気付き、遺失物届を出すため交番を車で訪ねた
 というのだから、よほど自信があったというか、まったく酔っている意識がなかったのだろう。そうでなければ判断力ゼロの泥酔状態だったとしか考えようがない。おそらく前者だ。
 こうなると
呼気1リットル当たり0・3ミリグラムのアルコールにどのような意味があるのか疑問になるが、個人のアルコール耐性を云々していたらルールづくりはできないから、これについてはいたしかたないだろう。

 しかし、
6時間半の睡眠をはさんで飲酒から8時間後の酒気帯び運転の処分が懲戒免職というのは、やはり過酷ではないか
 
 いや、他の公務員だって同じだし民間企業でも懲戒解雇の対象となるはずだ、というのはひとつの論理である。
 しかし一般公務員は役所をクビになっても企業の事務職につくことはできるし、警察官や自衛隊員にも経験を生かした仕事の場は用意されている。セールスマンは懲戒解雇になってもセールスマンだし、工場労働者は別の工場で働くことができる。医師も弁護士も看護師も保育士も、酒気帯び運転を理由に免許を剥奪されることはない。
 しかし
公立学校の教員は懲戒免職と同時に教員免許を失う(*)のだ。二度と同様の仕事につくことはできない。
 

 私は何も、殺人を犯した者や放火をした者、児童買春や飲んだ勢いでの飲酒運転を行った者まで救おうというのではない。時間をたっぷり取って休んだ者の酒気帯び運転が一人の職を奪うのに妥当なのかと疑問に思うだけのことだ。
 
 いや、そうではないのかもしれない。私が感じているのはそういうことではないのかもしれない。

 (日本の公教育は滅びたのだから)
教育再生が必要だといった政府・マスコミの掛け声、日本の教師はダメだから繰り返し勉強させなければならないという教員免許更新制、とにかく学力は世界一でなければならないといった世の中の流れ、それらとともにどんな小さな不正も許さないといった厳罰主義、そうしたものに押し込められ、教師が児童生徒を見るよりも外に目を向け戦々恐々と日々を過ごすことが、教育現場に何のプラスにもならないと恐れているのだ。
 
 現在、マスコミに取り上げられる飲酒運転の状況を調べると、その94%が公務員である。自治体職員が43%、教員が22%、警察・消防がそれぞれ10%ほど。民間人はわずか4%に過ぎない。これだけ大量の公務員が飲酒運転をしているとなれば公務員に対する不信感は高まるが、いうまでもなく、この数字自体に作為がある。
 
 

第十条  免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、その免許状はその効力を失う。
一  第五条第一項第三号、第四号又は第七号に該当するに至つたとき。
二  公立学校の教員であつて懲戒免職の処分を受けたとき。
三  公立学校の教員(地方公務員法 (昭和二十五年法律第二百六十一号)第二十九条の二第一項 各号に掲げる者に該当する者を除く。)であつて同法第二十八条第一項第一号 又は第三号 に該当するとして分限免職の処分を受けたとき。
2  前項の規定により免許状が失効した者は、速やかに、その免許状を免許管理者に返納しなければならない。


 



 



2009.07.27

学校のいじめ隠し防止、子供の自殺を第三者が調査へ


読売新聞 7月27日]


 文部科学省は、児童・生徒の自殺に対し、学校が原因などを調べる背景調査の方法の「指針」を策定する方針を決めた。

 学校側が調査を十分に行わない事例や、いじめが原因であることを把握していたにもかかわらず「原因不明」と報告する「いじめ隠し」が発覚するなど、学校や教育委員会任せの調査には限界があると判断した。学校に詳細な原因調査を実施させることで再発防止につなげる狙いがある。

 文科省は30日に精神科医、臨床心理士、大学教授、現役教員などをメンバーとする「児童生徒の自殺予防に向けた取組に関する検討会」(仮称)を同省内に設置。指針策定に向けた検討を開始し、来年度中に全国の小中高校に指針を示す予定だ。

 指針は「調査の意義」と「具体的な方法論」の2本立てとする。「調査の意義」には、若者の自殺の実態を正確に把握することが、自殺の予防につながることを明記する。方法論は、学校による調査だけでなく弁護士や医師など第三者による調査の有効性を指摘し、人選の方法も盛り込む方向だ。

 北海道滝川市で2005年9月に小学6年女児が自殺し、市教委はいじめを訴える遺書を隠したまま、原因不明の場合などに相当する「その他」と報告。文科省の指示を受けた再調査でいじめが原因と認めた。また、文科省の07年度の「問題行動調査」によると、同省が把握した同年度の自殺者数は158人で、55・7%にあたる88人が「原因不明」と報告された。



分かりにくい文章である。
いじめが原因であることを把握していたにもかかわらず「原因不明」と報告する「いじめ隠し」が発覚するなど、学校や教育委員会任せの調査には限界があると判断した。
となればそれに続く文は、当然
そこで教育委員会や学校からは独立した組織をつくり・・・
となるはずだが、
学校に詳細な原因調査を実施させることで再発防止につなげる

詳細にやらせようが大雑把であろうが、自殺の直接の責任者かもしれない学校に調査させれば責任逃れの行動に出る可能性はいくらでもあるだろう。

 最近の文科省のやることはいつもこうだ。結局金がないから、学校を叩いて何とかしようという発想しか残らない。
かつての大本営と同じである。

 第二次世界大戦のひとつの反省は、勝てない戦争は絶対に避けなければならないということである(もちろん勝てるならやっていいというわけではない)。教育改革という日本を根本から変える大改革は、十分な財源があってもなお成功の覚束ないものである。それを担当者(教員)の意識改革と努力だけで乗り切ろうというのだからこの国は反省がない。

 方法論は、学校による調査だけでなく弁護士や医師など第三者による調査の有効性を指摘し、人選の方法も盛り込む方向だ。
 そうだ、本来はこうでなくてはいけない。
しかし人選の方法は盛り込んでも、弁護士や医師などの高給取りを確保するだけの財源を示さない以上、これはただ言っただけの政府のアリバイ作りである。






 



2009.07.28

教育費無償化論議に“注文” 文科省次官


朝日新聞 7月27日]


 麻生首相が「幼児教育の無償化」を表明した自民党、「高校無償化」を強調する民主党――。総選挙を前に各党が教育政策を競い合っているが、文部科学省の坂田東一(とういち)事務次官は23日の定例記者会見で、「財源について大きな方向性がしっかり出てこないと簡単に実現できる問題ではない」と慎重な姿勢をみせた。その上で「政治のリーダーシップでそういう問題の方向付けをしていただければありがたい」と述べた。
 高校の教育費負担軽減については、文科省の有識者懇談会も、低所得層の授業料減免や新たな修学支援を提言している。坂田次官は民主党の「高校無償化」について「大事な項目と思うが、やはり財源の問題がある」「どのように対応するか、少し注意深い議論が必要だ」と述べた。
 教育施策をめぐっては、民主党は23日に発表した09年版の政策集で、教育への公財政支出が国内総生産(GDP)比3.4%と先進国で最低レベルとなっているのを、平均レベルの5%を目標に引き上げることを明記した。
 文科省はかつて、同様の数値目標を教育振興基本計画に盛り込もうとしたが、財務省の反対で断念した経緯がある。会見でこの「5%」について問われた坂田次官は「やはり比率が上がるというのは、それだけお金がかかるということ。財源問題をしっかり議論していただきたい」と述べた。




 教育政策というのは教育問題ではない。優れて政治問題だ。
 教育の現状がどうなっているか、子どもの将来はどうあるべきか、子どもにとって何が重要で何が必要かといったことは、どうでもいい。問題は、
その教育政策が票につながるか、内閣支持率につながるかどうかということだ。

 「幼児教育の無償化」「高校無償化」も悪かろうはずがない。しかし
それだけの金があるならもっと緊急な問題はいくらでもある
 1クラス40人もの児童・生徒を抱えさせ、それで世界一の学力を目指すとか高い道徳性を身につけさせるとか。総合的な学習だとか、福祉教育だとか、環境教育やらキャリア教育やら次々と課題を重ねてなおかつ、指導力を高めるために自費で免許更新の講習を受けろとか。

 今、現場は深刻な人手不足で悲鳴を上げている。女性が多く1時間の超過勤務さえままならず帰宅しなければならない職員が多数いる中で、超過勤務平均32時間というのは異常な事態だ。もう少し時間があれば(ということは人手があればという意味だ)、もっと丁寧で親切な教育ができるはずだと臍をかむ教員がいるかと思えば、一方で「やってられない」とばかりにすべてを投げ出してしまう職員もいる(それが不祥事のなくならない最大の理由だ)。
 そうした現状を横に置いて、金持ちのご子息まで無償化する教育政策とは何だ。

 教育への公財政支出が国内総生産(GDP)比3.4%と先進国で最低レベルとなっているのを、平均レベルの5%を目標に引き上げる
 
 もちろんそこがスタートだ。しかしたとえ実現したとしても、増加分が「幼児教育の無償化」「高校無償化」だのといったムダ遣いに消費されるとしたら何の意味もない。
 
 
もしかしたらこの国は、取り返しがつかないところまで落ちないと何も理解しないのかもしれない。