キース・アウト
(キースの逸脱)

2009年 8月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 



2009.08.03

「カナヅチ」増加 水泳授業二極化
スクールに通わせるか否か


産経新聞 8月3日]


 小、中学校で学校の授業だけでは泳げない子が増えているという。以前のように臨海学校へ行く学校は少なくなり、「ゆとり教育」の中で授業時間数が限られ水泳の授業も減るなどさまざまな要因がありそう。泳げない先生の増加や無理に泳がせないといった指導の問題もあり、子供の運動能力に影を落とす。一方、幼児期から民間のスイミングスクールに通う子は増え、子供たちの水泳にも二極化傾向が強まっている。

 
 東京都内の小学生の母親はプールの授業を見学して首をひねった。「水をかけっこして遊んでいるだけ。泳ぎ方をぜんぜん教えていない。私が小学生のころは目標を決めて無理やり泳がされた」。なかなか泳げるようにならない子供を民間のスイミングスクールに通わせようか悩むという。

 スイミングスクールの指導者は「学校では確かに泳げない子が増えている。以前より水泳の授業が少なく、水泳をうまく教えられる先生が減っていると聞く。プールの事故などを懸念し、水泳指導を嫌がる傾向もあるよう」という。

 都内の小学校で平泳ぎができない子の割合などを調べたところうまく泳げない子が増えたという。

 また、ある中学校では1年生で3分の1近く、女子では半数が泳げなかった。

 文部科学省によると、確かに平均すると水泳の授業は減ったという。

 「ゆとり教育」が批判された平成10年改定の学習指導要領で、小学校の体育の授業は例えば4年生で年間105時間だったのが90時間になった。水泳の授業も減り、夏休み中の水泳教室を除き、1学期終わりごろと2学期初めに行われる水泳は平均で12時間あったのが、10時間程度になったという。学力だけでなく、子供の運動能力低下も懸念されており、新しい学習指導要領では体育の授業時間はもとに戻る。

 一方、教師の指導にも課題があるようだ。

 小学校低学年ではまず水に対する恐怖心を取り除き、水に親しむため、水の掛け合いや水中鬼ごっこなど「遊び」から始め、4年生から息継ぎなどコンビネーションを含めた水泳の指導が本格化する。

 だが近年は「遊び」が重視されすぎ、無理に泳法を教えず、「泳げなければ泳がないでいい」など間違ったとらえ方をされているケースがあるという。

 また泳げない教師の問題もある。教員採用では小学校教員に水泳の実技試験を行う教委が多いが、団塊の世代の大量退職による採用数増で受験者数が増え、実技試験を行う時間がとれず、自己申告だけで済ます教委もあるという。

 学校の水泳の授業は学年単位でやることが多いが、学級数の減少で指導できる教員がそろわないなど、水泳の授業がやりにくくなっている状況もあるようだ。

 学校によっては水泳の級を細かく分け、水に親しむことから始め泳げる楽しさを実感できる工夫に取り組む。また地域の水泳連盟の指導者に応援を求め水泳教室を開くなどしている。

 一方でスイミングスクールの人気は高い。「ベネッセ教育研究開発センター」の調査では、塾や習い事で「通信教育」や「楽器」などとともに多く、幼稚園では2割、小中学生では1割がスイミングスクールに通っていた。

 文科省では「水泳だけでなく子供たちの体育、運動能力向上は課題。家庭もまきこみ、地域のスポーツ団体などとの連携も工夫して取り組んでほしい」(教科調査官)という。





 教員の意欲を潰すことへの、マスコミ各社の情熱は何に由来するのだろう? 学力向上が最大の使命ということで、全力を投入しているとき、水泳指導はどうなっていると詰め寄られても真面目な意欲を失うだけだ。

 それが本当かどうかは分からないが、泳げない子どもが増えたのが確かなら、その原因の中心はもちろん授業時数の減少だ。週4時間の体育が3時間に減れば、当然練習量も4分の3、子どもの成長も4分の3になる。それはゆとり教育の前提だった。
 10年前、いわゆる
ゆとり教育カリキュラムの発表直前まで、勉強はもう十分だ、子どもを学校に縛るな、子どもを家庭に帰せと叫び続けたのはマスコミであって、私たちではない。


団塊の世代の大量退職による採用数増で受験者数が増え、実技試験を行う時間がとれず、自己申告だけで済ます教委もあるという

 それも、私たちの責任ではないし、そもそも水泳実技の免除は実技試験の時間の問題ではなかった。
 限界まで落ちてしまった教員採用試験の競争率を、少しでも高めようとした都会の教委の苦肉の策、しかもここ2〜3年のことである。
 
教職がもっと社会から支持され、楽しく魅力あるものだったらこんな譲歩をしなくてもよかったはずだ。

 加えて言えば、私が子どものころなど、教員はこぞって泳げなかった。「川なら泳いだことがあるが、プールでは・・・」といった人ばかりだったが、それでも人は何も言わなかった。今は何かひとつが欠けても、 一方、教師の指導にも課題があるようだと全国紙で問題にされる。教職はなかなか
人に勧められない仕事である。


 さて、子どもの泳力が伸びないことには、もうひとつ大きな理由がある。それは児童の安全対策だ。
 私はかつて中学校の水泳部の顧問をやったことがある関係で、水泳指導が好きでもあり得意でもある。その私がこの時期もっともストレスを感じるのは、3クラスの学年で、プールに入って指導できる教員が一人しかいないという点だ。
 他の二人は何をしているかというと怠けているわけではない。プールの周りをぐるぐる歩いて誰か沈んでいないか、危険なことをしている児童はいないか監視しているのである。
 ばかげたことだが、それがきまりなのだ。
 実はそれでもまだましで、数年前までは一人も水へ入ってはいけない、職員全員で監視せよといった通達が上から下りていた。それでは指導ができないと、教員が泣いてすがって今の態勢になったのである。
 学級数の減少で指導できる教員がそろわない
 などといった悠長な段階ではない。例え全員が水泳指導のプロでも、実際に水に入って教えられるのはひとりなのだ。
 子どもの安全対策が最優先である以上、泳法指導などやっている余裕がない。


  学校によっては水泳の級を細かく分け、水に親しむことから始め泳げる楽しさを実感できる工夫に取り組む。また地域の水泳連盟の指導者に応援を求め水泳教室を開くなどしている。
 
 私はそうした学校の様子を見て見たい。
 
その細かく分けた水泳の級に対して、何人の先生がついて指導しているのか。
 担任以外にいったい何人の先生が学年配当されているのか、安全対策はどうなっているのか、
 水泳連盟の指導者に来ていただくにしても、その予算措置はどうなっているのか。

それを聞いてみたい。

 私たちだって子どもを育て、鍛えたいのだ。







 



2009.08.07

学級崩壊:大幅減、53校62学級−−県教育局08年度調査
/埼玉


毎日新聞 8月7日]


 ◇担任補佐の配置、奏功
 県教育局は6日、08年度に県内の公立小学校で「学級崩壊」が起きたのは53校の62学級だったと発表した。前年度より27校、27学級減り、現行の調査方法になった02年度以降最少だった。
 県内の国立を除く全公立小学校820校1万2762学級を対象に調査。児童が勝手な行動をして、授業が成立しないような状況が2〜3週間以上継続した場合を「学級がうまく機能しない状況」としてまとめた。
 大幅減の理由について県生徒指導課は、兆候があった段階で担任を補佐する非常勤講師を予防的に配置したケースが前年度の3倍の42件あったことを挙げている。
 一方、学級崩壊が10カ月以上継続している深刻なケースは11件。松居和教育委員長は「子供にとって10カ月は非常に長い。放置しているのは大人の責任で、必要な対策を講じるべきだ」と話している。【西田真季子】




 いじめ・不登校・校内暴力・学級崩壊など、いわゆる学校問題解決の決め手がここにある。要するにクラスに二人以上の教師がいればいいのだ。

 学級崩壊はある日とつぜん起こるわけではない。そこには必ず予兆がある。
 授業中、余計なおしゃべりをしている子がいる、立ち歩く子がいる。授業開始のチャイムがなっても児童が揃わない、教室内にものが散乱する・・・担任はその一つひとつに丁寧な指導を加えたいのだ。しかし
“その子”と真剣に対峙するということは、他の子がほったらかしにされることとはまったくのイコールなのだ。

 なぜなら児童はほぼ一日中クラスの一員として学校にい続け、担任はそのクラスとともに生活しているからである。
 
問題を起こした子を外に連れ出してじっくり話そうとすれば、その間、教室を見てくれる人はだれもいない。教室を優先してその子の問題を放置すれば、子どもは責任を取ることもなくどんどん悪くなってしまう。


 大幅減の理由について県生徒指導課は、兆候があった段階で担任を補佐する非常勤講師を予防的に配置したケースが前年度の3倍の42件あったことを挙げている。

 この分析は正しいと思う。何か事件があった際、担任はクラスを非常勤講師に任せ、丸1日でもその子と話し続ければいいのだから。それが丁寧な指導というものである。

 私は首を掛けて断言してもいい。
教員の数を今の2倍にすれば、いわゆる学校問題を10年以内に、半減どころか限りなくゼロに近づけてみせる

「子供にとって10カ月は非常に長い。放置しているのは大人の責任で、必要な対策を講じるべきだ」

松居和教育委員長、
必要な対策というのはそういうことだ。放置しているのは県と県教委、もしくは日本政府だと思うが、大人の責任やいかに。






 



2009.08.20

こころの病気で受診、84%の中学校に

読売新聞 8月20日]


 東京学芸大と製薬企業の日本イーライリリー社が首都圏の公立中学校に行ったアンケート調査で、「精神医療の専門機関を受診する生徒がいる」と回答した中学校が84%に上った。
 調査は、昨年12月から今年6月にかけ、東京都西部、埼玉県南部、神奈川県北部の47市町村の公立中学校507校に郵送、無記名で実施。163校(32%)から有効回答を得た。回答記入者の93%が養護教諭だった。
 それによると、「こころの健康に問題を持つ生徒がいる」と回答したのは99%。「精神医療の専門機関を受診する生徒がいる」のは84%で、そうした生徒が「増えている」のは53%に上った。最近増えた生徒の特徴として、64%が「自分に自信が持てない」を挙げた。不登校が増えた学校は48%だった。
 回答者の47%が、過去3年間に自殺の悩みを相談されていた。
 一方、「こころの病気」を学ぶ授業を行う学校は30%にとどまり、52%は一度も実施していなかった。ただし、授業の必要性を83%が認識していた。取り上げたい疾患としては「薬物依存症」(64%)、「うつ病」(62%)などが挙げられたが、「どう教えたらよいかわからない」という意見も多かった。
 調査に当たった同大教育学部准教授の松田修さんは「こころの病気を学ぶ授業の実践的なプログラムを作っていく必要がある」と話す。





 精神医療の専門機関を受信する生徒が増えたのは、医療の敷居が低くなったのと、私たち教員の側に専門機関に関する知識が増えたためである。医療にかけるべき児童生徒は昔もいたが、小児科が積極的に心の問題をあつかったり「思春期外来」といった便利な場所がなかった時代は、一気に「精神科」という高い壁を登らなければならなかった。それに比べれば、今はずっと気軽に必要な支援を受けられるようになった。それはいいことである。

 さて、問題は
「心の病気」を学ぶ授業である。

 社会的な問題を教育の現場から解決しようという方向は悪いものではない。しかし、人権教育から環境教育、福祉教育や消費者教育、マルチメディア教育、エイズ教育、企業家教育やキャリア教育、そうしたさ
まざまな教育を背負わされた学校が、学力はどうなった、数学や国語は、教員の質はどうなっている、と問われたのが今日の学力問題である。私たちにしてみれば不意を衝かれたようなものだ。

 今まさにそうした冠教育を扱う特別活動の時間などを減らし、算数や国語の授業時数を増やそうとしているとき、
 「こころの病気を学ぶ授業の実践的なプログラムを作っていく必要がある」
 などと言われると、私たちはどこまで振り回されたら普通のきちんとした教育ができるようになるのか、不安とともにひどい徒労感に包まれるようになる。
 
 薬物やうつ病の学習は必要なことだ。しかし例えば薬物は、一面で快感や多幸感をもたらす「主観的には優れてすばらしいもの」である。そうした危険な側面をかわしながら本来の目標を達成するというのは容易なことでない。性教育も然り、エイズ教育も然り、人権教育ですら危険な側面は常に内包する。1〜2時間の授業で軽く扱って終わりと言うわけには行かないのだ。
 
 日本は民主主義の国であり、われわれは公僕である。
 賽(さい)はそちら側にある。
 
 そうした社会の問題を学校教育で解決しようとせず、学校を国語や数学を中心とする学問の場とするか、
 はたまた学校を人間教育の場と考え、多少の学力は犠牲にするか、
 それとも現在のようにどれも中途半端ながら何とかやっていく道を選び続けるのか
 それはマスメディアがつくる世論にかかっている。
 
 しかしくれぐれも、あれも欲しいこれも欲しい、全部ちょうだい、ひとつも手放したくないと駄々っ子のように言って、すべてを失うことがなきように。
 





 



2009.08.27

員養成6年制教員養成6年制に、民主が方針
12年度導入、免許更新制は廃止


共同通信 8月27日]


 民主党は27日、衆院選で政権を獲得した場合、教員免許取得に必要な大学の4年制養成課程を、2012年度から大学院2年も義務化して6年制に延長する方針を固めた。教員の指導力向上が目的。今年4月に始まった教員免許更新制度は「教育現場の負担が大きく、効果が不透明」として新制度導入に合わせ廃止する。免許取得前1年間の教育実習も義務付ける。

 6年制の受け皿となる「教職大学院」は09年度現在、全国に24校しかない。民主党は、11年度までに都道府県ごとに設置した後、12年度から新制度に移行させる考え。政権獲得後1年をかけて(1)カリキュラムの策定(2)教授陣の選考(3)教育実習受け入れ校の確保―などの準備を進める。

 教員免許更新制は「教育再生」を掲げた安倍内閣が「不適格教員」排除を念頭に導入を決めた。教員免許を有効期間10年の更新制とし、更新前に30時間以上の講習を義務付けた。しかし講習時間確保を求められ、教育現場の負担が大きいなど問題点が指摘されている。

 民主党は現職教員の質の向上策として、免許取得後8年以上の現場経験を積み、「教科指導」「生活・進路指導」「学校経営」の各分野で高い能力を持つと認定された教員には「専門免許状」を与える制度も新設する方針。将来的には、校長や教頭などの管理職となるには学校経営の専門免許状取得を条件とする方向だ。

 民主党は、政府の無駄遣いを精査する「事業仕分け」の結果を7月に公表し「講習の効果が不透明で教員の質の向上は図れない」として免許更新制廃止を主張していた。



 
 自民も民主も、票を取るためなら平気で国を売り飛ばす。他の政党も同じかもしれない。
 4年制養成課程を、2012年度から大学院2年も義務化して6年制に延長する
 こんなことをしたら教員の質は限りなく低下してしまう。なぜそのことに気がつかないのか。いや、気づきながらも政権のために敢えて行うのだ。
 6年かけた優秀な人材だけを教師にします、そう言えば票は集まるという目論見なのだろう。しかし、違う。

 大学院卒が教員採用の条件となっているフィンランドは、そもそもの教師の社会的地位が高いからこそ、6年の歳月に耐えるのだ。
 
社会的地位も低く給与も高くない、おまけに異常な長時間労働と社会的非難にさらされる日本の教員になるために、敢えて6年の時間と金をかけようという学生が、どれくらいいるのか?
 
同じ6年でも地位と収入の保証される医学部とは違うのだ。

 親にしても2年も余計に学費を出して生活の面倒を見るとしたら、それだけの見返りがなければならない。すこしでもまともな子だったら、教師になるために6年も学校に行かせろとは言わないはずだ。

 従って
教員養成学部の競争率は極限まで下がる。そしてその分、教員志望の質は低下して行くに違いない。


 民主党のやり方には、他にもたくさんの落とし穴がある。
 例えば
 免許取得前1年間の教育実習も義務付ける
 しかしそうなると実習生受け入れ校の教員は、自身の児童生徒の指導と同時に実習生の指導も通年で見ることになる。もちろん実習生専門の教員を増やせばいいのだが、そんなことはすまい。結局、教師の忙しさは倍増し、皺寄せは児童生徒の元に訪れる。

さらに、
今年4月に始まった教員免許更新制度は「教育現場の負担が大きく、効果が不透明」として新制度導入に合わせ廃止する。
 今年までに更新講習を終えた10万人あまりの教員は、二度と政府を信じないだろう。今日まで費やした時間と気苦労は忘れても(こういう徒労には慣れている)、自腹を切った講習費用のことは忘れない。政府の言う通りにするとロクなことはないと身にしみるだろう。

 それにしても、
 各分野で高い能力を持つと認定された教員には「専門免許状」を与える制度も新設する
 将来的には、校長や教頭などの管理職となるには学校経営の専門免許状取得を条件とする

とは。
 民主党は教育界のことをまったく分かっていない。

 
今や安い管理職手当で教頭・校長になって苦労するのはバカらしい時代なのだ。
 東京では教頭の不足が深刻化し、昇任試験受験を強制された教諭が自殺したり、出世の階段であるはずの主幹制度が未だに充足しないでいたりするの。
 鳴り物入りでスタートしたスーパー・ティーチャーも、今は誰も知らない。
 出世で教員を釣ろうとしても、背を向けるだけ、こうして教員はますます意欲を失っていく・・・。

 どこかに
教育改革を行わないことを政策とする政党はないのだろうか?






 



2009.08.29

社会科テスト 「支持政党は?」中学校で出題

読売新聞 8月29日]


 大分市の公立中学校が、夏休み終了後の26日に実施した社会科のテストで、生徒に支持政党と理由を答えさせる問題を出題していたことが分かった。

 学校側は「子供の思想、信条を聞き出すような問いで、問題があった」としている。

 学校によると、テストは、時事問題に関する夏休みの研究課題について、どのくらい理解しているかを問うためで、1、2年生の約240人が受けた。

 問題は社会科の男性教諭(37)が作成。設問の中に、30日投開票の衆院選に関連して「もしあなたに選挙権があったなら、どの政党を支持しようと思いま すか。その理由も答えてください」との項目を設けた。大半の生徒が個別の政党名を挙げて回答した。採点の対象にはしていなかったという。

 男性教諭は学校側の調査に「衆院選が間近に迫っているため子供たちの関心も高いと思って出した。配慮すべきだった」と釈明しているという。



 就職試験なら思想・信条を問うてはいけないのも分かるが、学校で聞いてならないとなると、道徳教育もできなくなる。

 そもそも中学生の政治的信条というのも、私には理解できない。

 社会科としては最高によい問題だと思うが・・・・・・なんとも寛容というもののない世の中だ。