キース・アウト
(キースの逸脱)

2010年1月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 



2010.01.12

【主張】教員の資質 競争と評価で鍛え上げよ


産経新聞 1月 12日]


 民主党政権により、全国学力テストの縮小など教育政策が立て続けに転換している。十分な検証もされないまま、マニフェスト(政権公約)優先の施策が目立つ。これでは、教育再生が進むとはとても思えない。
 特に危惧(きぐ)されるのが、同党が公約とした教員免許制度見直しだ。文部科学省は、今年度始まったばかりの免許更新制を廃止し、教員養成課程6年制について有識者会議を設置し、近く検討を始める。
 都市部を中心に団塊の世代が大量退職していった影響で、優秀な教員確保、育成に教育委員会は苦慮している。教師の資質向上は学校教育を左右する最重要課題である。結論ありき、で議論を急いではならない。
 学校では保護者の要望が多様化し、教室外の問題も増えている。旧態依然とした指導法は通用しなくなり、マンネリ化した授業に子供たちが飽き、学級崩壊が起きるケースも報告されている。
 免許更新制は、10年ごとに講習を実施し、ダメ教師には免許失効もあり得る制度だ。ベテラン教師も含め自身の指導を見つめ直す機会として有効である。
 6年制は実習を大幅に増やし、大学院教育で教師の社会的地位向上などをねらっている。だが採用前では「お客さま」扱いの域を出ない。優秀な教師を育てるには採用後が肝要で、現場で鍛える態勢充実こそ先決ではないか。
 文科省は来年度予算案で自民党政権時に予算要求した主幹教諭増員を見送った。主幹教諭は校長の学校運営を支え、新人教師らの指導役にもなる。教員世界の横並び意識を変える制度であるが、日本教職員組合(日教組)など一部教職員組合は反対していた。
 民主党の輿石東参院議員会長は出身母体の日教組の新春の集いで、教育が参院選の争点になるとし、「いよいよ日教組の出番だ」などと語ったという。だが日教組は評価や競争を嫌う体質を今でも引きずっている。
 これまでの民主党の教育政策をみると、教員の「負担」などを減らすことに重きが置かれ、厳正に評価し、指導力向上につなげる視点に欠ける。それでは悪平等など教育界の悪弊を絶てない。
 教師の資質向上に重要なことは、評価をためらわず、熱心な教師には待遇面を含め報い、ダメ教師を教壇に立たせない施策を徹底することである。



 小学校についていえば、わずか20年前の教員には生活科はなかった。総合的な学習の時間もなければ小学校英語もなかった。食育・環境教育・福祉教育・エイズ教育・禁煙養育、そういったものもなかった。人権教育や性教育はあったが、それとて始まったばかりのものだった。

 さらに40年さかのぼると、道徳の時間さえなかった。

 田畑の仕事は家庭生活に組み込まれているから、教員が教えることもない。田植えや稲刈りを学校で教える時代が来るなど、だれも思ってもみなかった。プールもないから水泳指導もない。ただ死なないように川で見張っていればよかった。

 旅行学習といえば5年生で県庁素材地への一日旅行と6年生の修学旅行(一泊二日)があるばかり。今日のように1年生から生活科遠足と称して社会見学に出ることもなかった。校外に出る体験学習は異常に増えた。その一つひとつに計画があり、下見があり、渉外がり、書類作成がある。終われば会計整理と報告が残っている。

 教員の仕事はほとんど限界まで増加しているというのに、それに合わせて人員配当が行われるわけでもなかった。

さて、こうした状況で、
都市部を中心に団塊の世代が大量退職していった影響で、優秀な教員確保、育成に教育委員会は苦慮しているなら、おのずと進むべき方向は見えてくるはずだが、産経新聞論説員氏からすると、そうではないらしい。

教員の資質 競争と評価で鍛え上げよ
いかにも無知な話である。

 重すぎる荷物に動けないロバを、激しくムチ打てば何が起こるか、考えてみるといい。

 そしてまた、
 
教師の資質向上に重要なことは、評価をためらわず、熱心な教師には待遇面を含め報い、ダメ教師を教壇に立たせない施策を徹底することである。

 どういう意味だ?
 出世すれば年収が1千万円も2千万円も上がるといえば少しは変わるかもしれない。しかし半端な管理職手当てや地位で教員が動かないことは、東京都の主幹制度をみれば分かることだ(都教委の当初計画では、小中学校は07年までに4551人の主幹を配置することになっていた。しかし希望者が少なく07年度現在で69.3%しか充足することができなかった。ここ数年の受験倍率は1・1倍ほどで、ほぼ全員が合格する)。

 金と地位をチラつかせば教師も踊ると、そこまで見下されると、誠実な仕事をしているはずの私たちもやってられない。
 教員の不祥事がなくならないと断言できるのは、そうした状況があるからだ。







 



2010.01.16

京都府内の10教委「全校参加」
抽出方式に変更の全国学力テスト


京都新聞 1月16日]


 小学6年と中学3年の全員を対象とする方式から抽出方式に変わる2010年の文部科学省の全国学力テストについて、京都府内の全24市町・連合の教育委員会のうち10教委が、抽出校以外も含めた「全校参加」の方針であることが、京都新聞社の調べで15日分かった。
 10教委は長岡京市、綾部市、宮津市、京丹後市、京丹波町、大山崎町、井手町、伊根町、与謝野町、相楽東部広域連合。対象エリアの公立小中学校は計120校(15日現在)。
 抽出方式テストは、文科省が全国の小中学校の約30%を選び、4月20日に国語と算数・数学について行う。選外の学校も希望すれば参加できるが、採点や結果分析は自己実施となる。
 全校参加する方針の10教委は「指導改善を図るためには全体的な学力の把握が引き続き必要」「小さな自治体内で、テストを受ける子、受けない子の差を作りたくない」などと理由を挙げている。
 ほかの14教委の内訳は「抽出校と一部の希望校のみ参加」が3(宇治市、城陽市、向日市)、「抽出校のみ参加」が6(福知山市、八幡市、京田辺市、久御山町、宇治田原町、精華町)。「未定」の5教委(京都市、舞鶴市、亀岡市、南丹市、木津川市)も近日中に方針を決定する。



 平成22年度全国学力学習状況調査の実施要綱によると、
抽出調査の対象となった学校以外の学校については,学校の設置管理者の希望により,抽出調査と同一の問題の提供を受け,調査を利用すること(以下「希望利用」という。)ができることとする。(5.調査の方式の2)
となっている。

 学校の設置管理者というのは市町村立学校にとっては市町村そのものにあたるから、教委が学校の意向をきかずに自由に決めることができる。したがって、
京都府内の全24市町・連合の教育委員会のうち10教委が、抽出校以外も含めた「全校参加」の方針というのは間違ったやり方ではない。ただしそれは法令上の問題であって、現実の問題として正しいかどうかは別である。

 一般に人は教育という仕事を舐めている。相手は小中学校のガキ、こちらは立派な大人、教えることといったら2×3だの漢字の「人」だの、あまりにも楽な仕事をしていると思っているのかも知れない。

 しかし年端もいかない30名あまりの、勉強より遊ぶことの方が大好きな子どもを、毎時間45〜50分、毎日5〜6時間も机に向かわせて置くことは至難である。そのためにどれほどの準備をしなければならないか人は知らない。学校行事、例えば社会見学ひとつをとっても、計画の立案、渉外、下見、計画案の提出、実施、終われば会計と、たいへんな時間とエネルギーをかけている。
 すでに教員の仕事は満杯なのだ。何かを入れれば別の何かがはみ出てしまう。そこに全国学力学習状況調査がかぶさる。

 抽出校はいい。採点と分析の全てを国がしてくれる。しかしそれ以外の
希望もしないのに「希望利用」を強制された学校は、膨大な採点と分析を、教師の努力と時間で行わなければならないのである。

 事業仕分けで悉皆テストの60億円は、抽出式に代えることで36億円に圧縮することができたという。しかし差額の24億円のうちの何%かは、業者に変わって教員が働稼ぎ出す数億円ということになる。
 民主党はそれに気づかなかったのだろうか?

 いや、そんなことがあるはずはない。

 英知ある国会議員たちは知っていたのだ。
抽出式にしても各県教委を煽って競争に駆り立てれば、必ず悉皆テストに近い実施率を達成できることを。

 教員は残業手当のつかない職である。この人たちをいくら働かせても政府の懐は痛まない。

 「英語ノート」の予算を減らしてWebからダウンロードさせ、教員に冊子を作らせればタダ配布ができる。これも民主党のアイデアだ。

 地元からの強い要望で困っている八ッ場ダムにしても、これを教員につくらせたらうまく行くのではないか(タダだから)・・・そんなことを考える人まで出てくるかもしれない。







 



2010.01.18

【解答乱麻】東京都教育委員・高坂節三 
「小1プロブレム」解決へ


産経新聞 1月18日]


 東京都教育委員会が小学1年生の学校生活の適応状況について行った調査の結果、授業中に騒いだり歩き回ったり担任の先生の指示通りに行動をしない、いわゆる「小1プロブレム」の実態が明らかになった。

 調査は、都内の全公立小学校を対象に校長及び教諭(各1人)からの質問紙調査で、その結果、4校に1校の割合で「小1プロブレム」が発生していること、発生時期が4月と答えた比率が全体の約60%近くに及んでおり、しかも1年たっても問題が解決されなかったケースが約60%もあったのである。

 桜の咲き誇る4月、希望と期待に胸を膨らませて保護者と手をつないで校門をくぐる1年生を待ち受けている小学校の4校に1校でかかる問題が発生していることは、驚きであり、とりわけ1年たってもこの問題が解決されない事実こそ真剣に取り上げられなければならないと思われる。

 こうした問題が起こることに対してさまざまな理由が考えられる。ある意味では、生まれてはじめて社会生活を経験するため、ある程度不安を抱えて校門をくぐる児童がいても不思議ではない。学校に上がる前にしつけができていない、兄弟も少なく遊ぶ相手もいない、甘やかされて育ったために我慢ができず自己中心的になっている、などなど。ちょっと考えるだけでもいくつかの理由があげられるが、社会が悪い、親が悪い、先生が悪いと他人のせいにしても問題は解決するわけではない。

 学校側の対応に関する調査結果では、不適応が発生した学級の児童数を調べてみると、(1)1学級31人以上の学級(全体の30%強を占める)の発生率が高く(2)担任の教職経験年数では、採用20年以上、特に30年以上の教員(全体の25%強)の学級の発生率が高いことが分かった。

 不適応状況解決のため実施した対応策では、(1)ほかの教諭が学級に入り協力的な指導を行った(2)管理職が学級に入り協力的な指導を行った(3)教育委員会による人的措置を受けて対応した−が上位にあがっている。

 不適応状況の発生の予防に効果的と思われる対応策としては、(1)補助指導員の配置(2)1学級の人数の縮小(3)保護者の協力体制の確立(4)担任の指導力向上にかかわる研修などが挙げられている。「小1プロブレム」の解決は、何にも増して対応すべき問題である。

 調査結果を踏まえ、学校側としてはこの問題を優先課題として1年生学級には特別に教員を加配するか、退職した有能な教員に応援を頼むかなどを考える必要があり、教育委員会もこうした方向で努力を惜しまないつもりである。保護者、地域の方々もこの問題を取り上げ協力いただきたいということは論を俟(ま)たない。

 中学1年生に関する調査も同時に行われた。入学前に「不安があった」「少しあった」と答えた生徒数が全体の約80%にも上った。理由として学校の成績を気にする生徒の数が多いのは理解できるが、中学校卒業後の進路を、入学前から心配している生徒の数が意外に多いことについても考えるべき問題があるように思われる。



 東京都の年代別教員数は小学校の場合、20代24・2%、30代22・7%、40代21・3%、50代31・8%である(平成21年度 東京都公立学校統計調査報告書)。したがって小1プロブレムを抱えるクラスが平均的に現れるとすると、50代が最も多くなるのは必然といえる。むろん「ベテランでも抑えきれない」ということには問題はあるが、ことさら担任がトシだと教育が困難だという方向に引っ張ると、事実を見失うことになる。

 それにしてもこの高坂という人の分析はお粗末だ。
 不適応状況解決のため実施した対応策では、
(1)ほかの教諭が学級に入り協力的な指導を行った
(2)管理職が学級に入り協力的な指導を行った
(3)教育委員会による人的措置を受けて対応した
 −が上位にあがっている。


 まあその通りだが、言い換えれば
(1)担任以外に教員を入れる
(2)担任以外の教員を入れる
(3)担任以外の教員を入れる、
である。要するに
小1プロブレムの根本的解決は、「担任以外に1人」入れるだけで済む話なのだ。

 しかしそれなのになぜそこから、
(2)1学級の人数の縮小(3)保護者の協力体制の確立(4)担任の指導力向上
 などという余計な話が出てくるのか。不可思議というしかない。

 それでも一応は納得することにして、さて次はどうなるかと思うと

 調査結果を踏まえ、学校側としてはこの問題を優先課題として1年生学級には特別に教員を加配するか、退職した有能な教員に応援を頼むかなどを考える必要があり、教育委員会もこうした方向で努力を惜しまないつもりである。
 なんだやっぱり人を入れるという話ではないか。保護者の協力の仕方も、指導力向上の概念もなんら示されていない。教育委員とはその程度のものなのかもしれないが。
 
 ただしもちろん人を増やせばいいという方向自体は間違ったものではない。
 小1プロブレムというのは集団の問題ではなく、学校に適応できない個人が何人かいて、その子たちに全体が振り回される現象なのだ。
 だとしたらパニックに陥ったりうろつき始めたりした児童を教室から出し、いったん落ち着かせてからクラスに戻せばいい。

 担任がひとりで経営しているクラスだと子どもは外に出せない(昔の子どもと違って、廊下で静かに待っているなどできないし、また学習の場から追い出すことは許されないとの体罰規定もある)。しかし
もうひとり教員がいればその子を任せ、あるいは逆に担任がその子を連れて外に出し、指導と教育を行えばいいだけ
なのである。残った教員はもちろん残った児童の授業を進める。
 

 ところで、
 学校側としては〜特別に教員を加配するか、退職した有能な教員に応援を頼むかなどを考える必要があり〜。
 

 私の地方ではひとり数百万円もかかる教員を何人も加配できるような学校予算など、まったくない。5千円の金さえ必死に探している状況だ。

 東京都恐るべし。東京の場合、学校レベルでそれができるのだ。

 この点にからすれば、それだけの豊かな資金を学校に配当した高坂氏たち東京都教育委員会が高く評価されるのはよく分かる。

 実にすばらしく、うらやましいことではある。


 今後の運営に期待したい。
 






 



2010.01.23

「将来に不安...」妻と長男殺害の67歳逮捕


読売新聞 1月20日]


 20日午前2時25分頃、愛知県知立(ちりゅう)市の知立幹部交番に、「妻と息子を殺した」と男が自首した。安城署員らが同市堀切の男の自宅マンションを調べたところ、男女2人の遺体を発見、男を殺人容疑で緊急逮捕した。

 発表によると、逮捕されたのは無職中村豊容疑者(67)。中村容疑者は19日午前7時50分頃、自宅で妻の宮子さん(63)と長男隆さん(38)の首をビニールひもで絞め、殺害した疑い。

 中村容疑者は「借金があって生活が苦しかった。長男は引きこもりの状態で、それが原因で妻も精神的に病んでおり、将来に不安を感じてやった」などと供述しているという。

 中村容疑者は妻と長男、会社員の長女(36)の4人暮らし。長女が出勤した後、犯行に及んだとみられる。犯行後、長女に連絡し、長女らに付き添われて自首した。




 危機管理というのは最悪事態を想定してそれに備えるものである。
 不登校・引きこもりといっても大部分は普通の生活に戻る。
 曲りなりにもといった感じで生きて行く人もいる。
 しかしそうならない場合もある。

 そして最悪のケースがここにある。

 犯行後、長女に連絡し、長女らに付き添われて自首した。

 このとき二人はどんな思いで警察までの道を歩いたのだろう。
 
 別の新聞によると、

 長男は子供のころから引きこもり状態で就職したことがなく、妻も長年うつ状態だった。(毎日新聞)

 夫婦は38年にわたって子育てをしていたのだ。通常の2倍を軽く越える。
 妹が結婚せずに家にいたのもそのことと無関係でないのかもしれない。
 その妹は、今後どのように生きていくのだろう。


 いま、長引く不登校・引きこもりと直面している人はもう一度立ち上がろう。

 始まったばかりの不登校や引きこもりに戸惑っている人は、支援の手を捜して果てしなく走り回ろう。
 
 そして教師は、手元にいる不登校の子ともう一度真剣に向き合おう。
 クラスを繰り返し繰り返し見直し、ひとりでも学校にこられなくなる子がないよう、もう一度見つめなおそう。ひとりで対処しようとせず、大勢の手を借りよう。

 子どもとその家族の全生涯がかかっているのだから。

 この記事はそういうことを私たちに訴える。







 



2010.01.27

教員免許更新講習 受講者9割「よい」


参詣新聞 1月26日]


 昨年4月に導入された教員免許更新制で、大学で受けた講習の内容や最新知識を得た成果などについて「よい」と評価する教員が9割を超えることが25日、文部科学省のまとめで分かった。更新制を含む教員免許制度は、抜本改革に向けた調査と検討が今春から行われる予定で、民主党幹部からは更新制の廃止も明言されている。しかし、文科省や大学関係者らが「予想以上」とする受講者の評価の高さは、今後の議論にも影響を与えそうだ。

 受講後に教員が必ず提出する「事後評価」を集計したもので、25日の中央教育審議会の教員養成部会に提出された。高評価を受けて部会では、「せっかくいい制度を構築したのだから、変更するにしても徐々にやってほしい」(角田元良聖徳大学大学院教授)、「議論した上で変えるならいいが、政権交代が理由でころころ変わるのは困る」(岩瀬正司・全日本中学校長会長)などの意見が出された。

 教員免許更新制は、教員が10年ごとに「必修」と「選択」科目で計30時間以上の講習を大学などで受けるもの。認定試験で不合格となれば、2年以内に再試験で合格しない限り、教員免許が失効する。

 評価は昨年12月までの報告分が集計され、人数は必修で延べ5万7027人、選択で延べ14万4049人。「内容・方法」「最新知識・技能修得の成果」「運営面」の3項目で評価が行われ、4段階のうち「よい」「だいたいよい」とした評価は3項目合計で必修90・8%、選択93・8%に上った。

 特に選択は内容で57・7%、知識修得の成果で56・4%が「よい」とされるなど、評価が高かった。

 また、昨年12月時点での受講者数は、今年度末までの受講対象者の約8割にあたる約7万1千人だった。

 文科省は「大学側の努力が評価された」としつつ、「更新制という制度自体に対しては、別な評価が出るかもしれない」と慎重な見方も示している。

 民主党はマニフェストで教員養成課程の6年制への移行を明記。更新制についてはマニフェストで触れていないが、輿石東参院議員会長が昨年9月、平成23年度にも廃止する意向を表明した。また、民主党を支持する日教組も、更新制廃止を強く主張している。

 横須賀薫宮城教育大名誉教授の話「教育委員会が行う行政研修への不満が多い教員にとって、更新講習は大学でアカデミズムに触れる喜びがあるのではないか」



 まさかあのアンケートが、こんな使い方をされるとは誰も思っていなかった。
 アンケートは大学の自己評価のために使われるものであって、こちらの更新講習の是非を問うものではなかったはずだ。

 思えばもう、向こう十年は受けない講習である。無理にケンカすることもなかろうと思い、良い方に丸をした。
 同じ公務員のやることだからと無碍に低い点数をやる気にもなれなかった。
 そして何より、せっかくの金と時間を費やして受けた講習を「まるでダメ」だとは評価したくはなかった。
 本当は金を払ってまで受けるほどの講習とも思わなかったが、拒否することもできなかった。

 アンケートは無記名で書いたが、回収は「テストの解答用紙」と重ねてだった。「これでは無記名何もあったものではない」と思ったが、もともと真面目に書いたものではない。良い方につけておけば文句を言われることもないだろうとタカをくくったのがまずかった。

「教育委員会が行う行政研修への不満が多い教員にとって、更新講習は大学でアカデミズムに触れる喜びがあるのではないか」

 冗談ではない。
 教師を馬鹿にするのも大概にして欲しい。現場を知らない大学教授の造った講座など、
金を払ってまで受けるほどのものではなかった。

 受講者の思いやりに甘える尾もいい加減にしなさい。