キース・アウト (キースの逸脱) 2010年2月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
2010.02.01
【教育】学力テスト 抽出率にばらつき
対象外でも自主参加可能
[産経新聞 2月 1日]
全員対象から抽出方式になる全国学力テスト。抽出率は32%(小学校25%、中学校44%)だが、抽出対象外の学校も自主参加(希望利用)ができ、富山県のように全校が参加予定の自治体もある。
抽出率は、都道府県別で東京(17・3%)など10%台がある一方、高知(57・6%)のように50%以上もあり差がある。統計処理上、母数にあたる学校数が多い所は抽出率が下がるほか、統計精度を上げるため昨年の学力テスト結果を参考に学力のばらつきが大きい都道府県はサンプル数を多くしたためだという。
抽出対象外の学校も自主的に参加することができ、問題用紙は文部科学省から配布される。ただ採点などは学校に任される。
各教育委員会は希望利用校をまとめているが、富山は15市町村の全公立小中学校が参加予定。東京はこれまでに市区町村の8割弱、学校数で半数ほどが参加予定で増える可能性があるという。また鳥取のように抽出から漏れた学校の採点や集計などの費用を県が負担する例もある。
ああ統計学ではこう考えるのかと驚かされる話である。
悉皆テストを中止して30%の抽出と聞いたときには、市内の学校数に0・3をかけ、ああこのくらいの数の学校かなと思ったがそうではなかった。蓋を開ければ最大の高知県(57・7%)から最低の愛知県(14・9%)まで大きな差がある。
この差について産経新聞は、
統計精度を上げるため昨年の学力テスト結果を参考に学力のばらつきが大きい都道府県はサンプル数を多くした
と説明する。
つまりばらつき(標準偏差という)の小さな地域だと、どの学校の成績でも地域を代表できるが、ばらつきの大きな地域の場合、選んだ学校によってはとんでもない好成績だったり思わぬ低学力だったりということが起こりうる。だからたくさんの学校を抽出しなければならないのだ。
別な見方をすれば、学校によるばらつきの少ない、つまり教育の機会均等を保障しているような都府県は学力テストの負担が少なく、機会均等を保障できなかった都府県には負担がかかる、という極めて公平なやり方ともいえる。
一義的には。
しかしここからが問題だ。それは
抽出対象外の学校も自主的に参加することができ、問題用紙は文部科学省から配布される。ただ採点などは学校に任される。
というところに由来する。
各教育委員会は希望利用校をまとめているが、富山は15市町村の全公立小中学校が参加予定。東京はこれまでに市区町村の8割弱、学校数で半数ほどが参加予定で増える可能性があるという。
希望参加とは言え、希望できるのは学校設置者(普通の公立学校の場合は市町村)だけである。各校の教員が賛成しようがしまいが、市町村教委が希望すれば実施できる。そしてその場合、採点と分析は各校の教職員が行わなければならないのである。
高知県のような抽出率の高い県だと半数以上の学校の採点と分析は国の予算でやってもらえる。しかし愛知県のように極めてばらつきの小さなきちんとした教育を行っている県は、85%もの学校が教員の労力で行わなければならない。
それでは懲罰と同じではないか。
がんばった者が苦労し、そうでないものが楽をできる。
日本は教育現場をそうした不公平なものに変えようとしている。
始まりは統計学上のものだとしても結果がこうだともうやっていられない。
苦労して苦労を呼び込むなら、最初からしない方がよいと考える教員がますます増えていく。
2010.02.05
メリット理解されず?
11教職大学院定員割れ
[読売新聞 2月 5日]
文部科学省は5日、全国の教職大学院24校のうちで、2009年度の入学者が定員割れしたと発表した。
うち6校は2年連続で、1、2年あわせた在学者数が収容定員の半分という大学院もあった。同省は近く、各校に改善を求める。
発表によると、定員割れだったのは、北海道教育大、群馬大、愛知教育大、兵庫教育大、鳴門教育大、福岡教育大、宮崎大の国立大7校と、聖徳大、帝京大、早稲田大、常葉学園大の私立大4校。
このうち北教大、愛教大、兵教大、鳴教大、早大、常葉大の6校は2年連続。常葉大は1、2年の収容定員計40人に対して在学者数は計20人と半分で、愛教大も100人の定員で56人しか在学していなかった。定員割れが多い理由について、同省は「制度新設2年目でメリットが十分理解されていないため」としている。
用語解説《読売新聞 2007年12月20日(木) 全国 朝刊 》
-----------------------------------------------------------------教職大学院とは
法科大学院などと同じ専門職大学院で、修業年限は標準2年。来春、19大学で誕生する。研究中心の従来型大学院に対し、教員経験者などの実務家を4割以上配し、実習重視で指導方法や学校経営といった実践的内容を学ぶ。学校内でのリーダー養成など、現職教員の研修の場としても活用する。
どこでもロスせず教員となり、定年まで勤めたとすると大卒は勤続38年で定年を迎える。一方、大学院または教職大学院を終了して定年まで勤めると勤続36年での定年となる。
遅れて教員になった人が失う給与は、「就職して最初の2年分」ではない。教職37年目と38年目の給与がないのだ。
その額ざっと1600万円程度になろうか。当然、退職金にも差は出るし、大学院に通うための授業料等も計算に入れなければならない。たいした根拠はないものの総額2000万円として、それが大学院へ行くことによって失われる金額である。
定員割れが多い理由について、同省は「制度新設2年目でメリットが十分理解されていないため」としている。
2000万円の損失に見合う、あるいはそれを凌駕する「メリット」とは何なのだろう?
同じ6年制でも、医学部は違う。
なぜなら医者になりさえすれば高い報酬とステータスが約束されているからだ。
しかし教職が6年の歳月と2000万円のもの投資をしてまで獲得しなければならないほど価値がある仕事とは、到底思えない。
平成10年に3011人だった教員の中途退職者は平成19年には4258人にもなった。
そのうち2333人は40歳以上の教員である。その歳で退職して何ができるというのか。しかしそれでも辞めざるをえなかった何らかの理由があるのだ。教職がいかに厳しい職業となり果てたか、それだけでも分かろうというものである。
その仕事に、2000万円の損失を受け入れても就こうという者が極めて少ないのは、当たり前の話だろう。何の不思議もない
聞けば東京都は、採用に教職大学院修了者の特別枠を設けたという。それが大学院へ行くメリットだそうな。
何か根本的な思い違いがあるに違いない。
賢い者は教員にはならない時代がもうそこまで来ている(すでに来ている?)。