キース・アウト
(キースの逸脱)

2010年3月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 



2010.03.07

新任女性教諭の自殺、公務災害と逆転裁決


読売新聞 3月 5日]


 2006年に自殺した東京・新宿区の区立小学校の新任女性教諭(当時23歳)について、地方公務員災害補償基金東京都支部審査会が、公務災害を不認定とした同支部の決定を取り消し、公務災害を認める逆転裁決をしていたことがわかった。

 両親と代理人の弁護士が5日、記者会見して明らかにした。裁決は2月10日付で、公務災害としての認定が確定する。弁護士によると、教員の自殺が公務災害に認められるのは極めて異例という。

 裁決書などによると、女性教諭は、06年4月に新任で新宿区内の区立小に赴任し、2年生の学級担任になった。前任との引き継ぎは30分程度で、保護者か らは、経験の少なさや、宿題の出し方について不満を訴えられていたという。抑うつ状態だと診断された2日後の5月31日、自宅で自殺を図り、翌日死亡し た。

 08年9月の同支部の決定は、学校側の支援体制について「不十分だったとまでは認められない」としていた。これに対し、審査会は「大幅な人事異動があり、教員間で問題意識を共有できる環境ではなかった」と指摘。「着任早々から授業の進行がままならない状況を余儀なくされ、混迷の度合いを深めていった」 と判断した。

 保護者の不満についても「一般的に保護者が求める内容」としていた同支部の決定に対し、審査会は「度重なる意見、要望への対応に迫られ、強度の精神的ストレスとなった」と結論づけた。

 教諭の父親(57)は「他の先生や校長との信頼関係があれば、こういうことにはならなかった。特に、新任教諭に配慮する体制をつくってほしい」と話した。




 大切な娘さんを亡くされた父親の気持ちとしては分からないではないが、学校の体制を問うことを目的とした(と父親は言っている)この裁判、原告の勝訴となったが学校は変わらないだろう。

他の先生や校長との信頼関係があれば、こういうことにはならなかった。特に、新任教諭に配慮する体制をつくってほしい

 そうであるために必要なのは学校側の心がけやシステムではない。新任教諭のことも考えて見てやれるだけの余裕である。


 かつて学級王国という言葉があったように、特に小学校ではクラスは閉じられている。新任教諭が授業をしている時間、他の教諭も授業しているのだ。

 実際、亡くなった新任教諭の指導教官も1学年の担任であって、新任教諭が授業準備をしている時間に指導教官も授業準備をしていた。新任教諭が家庭とコミュニケーションに腐心している時間、指導教官も親との対話に時間を裂いていたのだ。

 授業を持たない校長や教頭は何をしていたのか。

 この時期に学校が提出する書類の数は尋常ではない。その全てを教頭が用意して校長が決済する。校長は校長でさまざまな会合の初回に出席を重ねていて、とても学校どころではない。それが4月5月の学校の状況なのだ。

 せめて問題の発生が6月か7月まで遅れていればまだ可能性があったかもしれない。しかし4月5月ではまったく可能性はなかったろう。

 現在の初任研者研修制度ができてからおよそ10年になる。
最初の数年は初任者二人につき一人の割合で専任の指導教官がついた。初任者が研修に出るときも、その人が代わりに授業を行うことで継続的な学級指導ができた。

 その後、予算の不足から専任の指導教官ははずされ、現役の教員が指導をかねることになって初任者の負担だけが残された。

 新任教師支援の体制づくりは、学校ではなく、国および都道府県教委に対して行わなければならない。
学校はもはや完全に人員不足の状況で、冷たいようだが他の教師の様子に心を配るだけの余裕はまったくないのだ。



* 実は私自にも苦い経験がある。それは、若く有能な一人の教員を、まったく支えることなくダメにしてしまったという経験である。
その、教員歴4年目の若い女性教師は、私のいた学校に赴任したその年の5月半ばに、突然学校を休み始めたかと思ったらそれきり学校に来なくなってしまった。うつ病による療養休暇に入ったとのことだった。
私たちからすれば、あっという間のできごとだった。クラスがおかしいと気づき始めていた同僚も数名いたが、私自身はまったく気がつかなかった。
結局、療養休暇を3年取った挙句、その教員は一度も校門をくぐることなく退職してしまった。3年間、学校のある市に足を踏み入れようとするたびに体がすくみ、まったく動けないとのことだった。
学校というのは、そういうところなのだ。






 



2010.03.08

だめな高校は退場してもらう
橋下知事の改革始動



朝日新聞 3月 8日]


 だめな高校は公立、私立とも退場してもらう――。大阪府の橋下徹知事の高校改革が今春、本格的に始まる。公私間の授業料格差を無くすため、府の私立助成を大幅に拡充。公私で生徒の獲得を競わせる。また、芸術やスポーツなどの分野で成果を上げた公立に助成金を約束するなど、公立同士の競争も後押しする。知事がこだわる「競争原理」は、大阪の教育の質を向上させられるのか。
     ◇
 「公立と私立が競争できるような条件をつくるため、府のお金を投入します。私立の皆さんには、公立の受験生を奪うんだという意気込みで戦ってもらいたい」。2月1日に大阪市内で開かれた「大阪私学保護者の集い」で、橋下知事が声を張り上げた。
 2009年度の府内の高校授業料は公立の年間14万4千円に対し、私立は同平均約55万円。4月から鳩山政権によって公立の授業料が無償化される。橋下知事はこれに併せて、府内在住の私立高校生について、年収350万円未満の世帯を無償化できるよう府独自に助成する。11年度には、府内の私立高校生の半分をカバーするとみられる年収680万円程度の世帯にまで助成を広げる方針だ。
 公立と私立の授業料の差が縮まれば、生徒や保護者が家庭の経済事情にかかわらず、自由に学校を選べるようになる。そうなれば、進路の判断基準は純粋に良い学校かどうかだ。各高校が生徒獲得競争を勝ち抜くために魅力ある学校づくりに励めば、教育の質の向上につながる――。橋下知事はそう考えている。
 金蘭会高校(大阪市北区)の藤林富郎校長は「30人学級でのきめ細かい指導や、日本文化の素晴らしさを伝える華道や茶道の授業などで個性を打ち出す」と述べ、公立との競争に前向きだ。
 助成拡充の一方で、橋下知事は記者会見や議会で「競争を重視する制度の中では、経営的に成り立たない学校は倒れても仕方ない」と、クギを刺す。
 府私学・大学課によると、09年度の府内の私立高校の生徒数を10年前と比べると、全94校のうち15校で生徒数が半減している。ある女子高校の校長は「女子校の多くは満足に生徒を集められていない。危機感をもって経費を削減し、進学実績を伸ばすなどして競争に打ち勝つしかない」と話す。
 公私の高校のあり方を変えることは、橋下知事の宿願だった。大阪府では1980年代以降、府教育委員会と私立高校側が協議し、公立と私立の入学者の比率をほぼ7対3に決めてきた。橋下知事は就任1年目の08年、この取り決めを「カルテルのようなもの」と批判し、生徒が公立でも私立でも行きたい高校を自由に選べるようにするべきだと主張してきた。
     ◇
 橋下知事は、人気のない公立高校の「撤退ルール」を策定する意向も示している。2月、報道各社とのインタビューで「募集定員の何割を下回れば公立は撤退、と決めておかねばならない。良い学校が残ればよい」と述べた。
 大阪府公立中学校長会が5日に発表した今春卒業予定の中学3年の進路希望調査結果によると、定員割れした公立高校が前年同期より13校多い21校に達した。中西正人・府教育長は14年度までは少子化がいったん底を打ち、高校の入学者数の増加が見込まれるとして、「(深刻な定員割れなどの)問題が顕在化してくるのはそれ以降」との見方を示している。
 その一方で、橋下知事は10年度当初予算案に、公立高校同士に競争を促す制度を盛り込んだ。
 有名大学への進学実績で府内トップ級とされる北野、大手前など府立10校を「進学指導特色校」に指定。手厚く支援するため、各校をオンラインで結ぶ進路支援システムの構築などに1億637万円を計上した。
 橋下知事は「頑張る学校は新たに特色校の指定に挑戦でき、そうでない学校は指定から外れる。そのような競争のシステムが必要だ」と強調し、特色校を入れ替え制にするよう府教委に求めている。
 芸術やスポーツの分野でも競わせる。コンクールや全国大会などでめざましい成果を上げた府立高校の専門学科を支援する予算に3千万円を計上した。
 府南部の府立高校校長は「全国1位など、脚光を浴びる生徒はごく一部。(学力的に)しんどい生徒を底上げすることが大阪全体の活性化につながるはずなのに、そういう努力をした高校が評価される仕組みになっていない」と指摘する。
 知的障害のある生徒とない生徒が同じ教室で学ぶコースを設置している府立高校の校長は「勉強やスポーツ、芸術などの一面的な競争では得られない取り組みも必要だ」。別の校長は「公立は地域とのつながりが強い。地域の子どもをしっかり育てることが公立の成果なんだと分かってもらえるよう地道にPRしていきたい」と話す。(左古将規)
     ◇




およそ一年前(2009年1月19日)私はブログの方に次のように書いた。

 以前、国連難民高等弁務官の緒方貞子さんについて調べていた娘が、
「どうしてこの人、こんな大学から国連に行けたのだろう?」
と呟いたことがあります。気になって覗き込むと、緒方さんは聖心女子大の出身です。
「ここ、偏差値、相当に低いよ」
 ああ、なるほどな、と思いました。

 今の子どもたちには、偏差値とは関わりなく行かねばならない大学とか、偏差値以外の規準によって成り立っている学校というものが分からないのかもしれません。

 聖心女子大について言えば、卒業生には皇后である美智子妃を筆頭に、緒方貞子、曽野綾子、藤野真紀子、山谷えり子といったそうそうたるメンバーが並びますが、この人たちは偏差値によって聖心を選んだわけではありません。
 同じように、学習院大学という大学も、皇族の通う学校ですから、下々の者にはなんとなく煙たく、そうでない人には行くべき学校でした。
 総理大臣の麻生太郎は高校生の頃、「東大に行きたい」と言ったら、父親から「東大は、貧しい人が官僚になるために行く学校だ。お前みたいな(金持ちの)ヤツが、目指す学校ではない」と叱られたそうです。貧しい人の可能性を狭めてはいけないといった意味です(あの国語力で合格できたかどうか、ということは別問題です)。

 他にも、開業医や教員になりたい場合は地元の国立大学が最優先だとか、ジャーナリストだったら○○大学だとか、さまざまな基準やブランドがあったはずです。それが、共通一次→センター試験によって、偏差値という価値に一元化し、全国の大部分の大学が序列化されてしまいました。

 小中学校に関して、文科省は来年度「特色ある学校づくり」に取り組む学校には優先的に予算をつける計画を進めています。しかし他方で、全国学力学習状況調査で価値の一元化を図れば、「特色ある学校づくり」などひとたまりもありません。

 今後の趨勢、注意してみていきましょう。


 時代の趨勢はひたすら価値の一元化へと向かっているらしい。
 
 ある女子高校の校長は「女子校の多くは満足に生徒を集められていない。危機感をもって経費を削減し、進学実績を伸ばすなどして競争に打ち勝つしかない」
 
 ムリだろう。女子だけの英才教育というもの自体が考えにくい。
 学力勝負で勝ちたいと思ったら日本人の半数である男子を除外しては話にならない。

 かくして女子高という極めて個性的な学校は消えていかざるをえない。

 
 知的障害のある生徒とない生徒が同じ教室で学ぶコースを設置している府立高校
 これもムリだ。知的障害のある子を校内に置いてどう受験戦争に勝ち抜こうというのか(その子ひとりのために、あっという間に平均点が1点以上さげられてしまうこともある)。
 こうして、価値ある教育のかたちが棄てられていく。
 
 有名大学への進学実績で府内トップ級とされる北野、大手前など府立10校を(中略)手厚く支援するため(中略)1億637万円を計上した。
 コンクールや全国大会などでめざましい成果を上げた府立高校の専門学科を支援する予算に3千万円を計上した。


 逆だろう。
うまく行かない学校にこそ予算をつけ、職員を増やして成績を向上させるべきではないか(イギリスはそうしている)。「よい学校」に予算をつけるということは持てる者はさらに持つ子とができるというナマの資本主義そのものだ。そして「だめな学校」は拍車がかかったようにさらに「だめ」になっていく。
 
 学業成績やスポーツ・芸術優秀な学校は「いい学校」、それができない学校は「だめな学校」と定義されれるなら大半の学校は「だめな学校」ということになる。なぜなら大半の子どもは勉強にもスポーツにも天分はないのだ。ほとんどは私と同じような「普通以下」の人間たちである。そうした人たちはどう生きて行けばいいのか。
 
 橋下知事のやり方は大阪府の学校を一色のものにしてしまう。同様にOECDのPISAは世界を一色に変え、ドイツの半日学校、フランスの頑固な成果主義(その学年の履修内容をきちんと定着させないと進級させない)などもみな踏み潰されてしまうに違いない。

 世界が単一の価値で計られるようになる。