多くの学校現場から廃止反対の声が上がったうえ、デジタル化しての配布を検討したものの新たに著作権費用が発生することや、自治体や学校で印刷すると現在の数倍の費用が全体でかかることが判明、方針を転換した。
英語ノートはイラストを多く使い、あいさつや数の数え方などを遊びやクイズを通して学べる内容。2009年から5、6年の全児童向けに配布されている。小学校英語では教科書はなく、指導力の高い教員も少ないことから、現場では英語ノートが貴重な教材として授業で使われている。
著作権費用については知らなかった。しかし、
自治体や学校で印刷すると現在の数倍の費用が全体でかかることが判明
どう考えても当たり前の話だ。
ほんとうに政府も民主党もマスコミの関係者も、誰一人気づかなかったのだろうか?
それくらい教育はいい加減にあつかわれているのだろうか。
旧に復してよかったとは言え、何となく釈然としない話である。
その程度のものなら小学校英語、それ自体をやめてしまえばいいのに。
2010.09.08
3〜6歳に英語教育
南アの「バイリンガル幼児園」
[朝日新聞 9月 7日]
「グッド・モーニング」。午前10時過ぎ、「朝の会」が始まった。年長の「フォレスト(森)組」。園児25人が四つの班に分かれ、席に着いた。
「フェア・イズ・○○チーム?(○○班のみなさん、どこですか)」。担任の米国人、メロニー先生が呼びかけると、子どもたちから一斉に「アイム・ヒア(ここです)」と元気な返事。メロニー先生は「ハウ・アー・ユー?(ご機嫌いかが)」と、各班をまわり、一人一人と言葉を交わしていく。
次に先生は短い歌を自分で歌って聞かせ、問いかけた。「どんな言葉が聞こえた?」。子供たちは次々に手を挙げ、「sunny」「sunglass」……。10近い単語を挙げていく。先生は「good job(よくできました)」と繰り返した。
この後30分間、次から次へと英語の言葉遊びが続いた。テキストは使わない。単語の書かれた絵を示すほかは、言葉のやりとりだけ。途中でトイレに立つ子ども以外は、みな集中して聴いていた。
担任は、日本人の先生と2人一組。「朝の会」では、英語を話す先生が主導することになっている。子どもたちは日本語を使ってもいいが、この間、ほとんど日本語は聞かれない。先生はほぼ普通のスピードで話すが、記者のさびついた耳では、聞き取れない言葉がたくさんあった。きちんとやりとりできる子どもたちに、舌を巻いた。
園の周りは、サクランボやブドウなど果樹が並ぶ農業地域。そんな場所に同園が開園したのは、2008年4月のこと。昭和町の英会話教室「イングリッシュプラス」が設立した。
10年前、教室に2〜3歳の幼児クラスを設けたところ、保護者から「幼稚園で英語教育を受けさせたい」との声があがった。現在、園のプログラミングマネジャーを務めるメロニー先生と、佐野麻由美副園長(47)が中心になってカリキュラムを検討。8年かけて準備を進め、認可外保育施設として出発した。
保育は年少、年中、年長の3年間(3〜6歳)。市内に住む人のほか、甲府、韮崎、昭和など近隣市町や、遠くは笛吹市から計68人が通う。
娘が年少の小林里恵さん(41)=南アルプス市=は「教えられてではなく、自然に英語が耳に入っている。発音もきれい」と話す。進んで人とコミュニケーションをとるようになったという声も。年長に娘がいる横内広美さん(32)=同市=は「最初は恥ずかしがりだったのが、積極的になった」。
メロニー先生は「欧米の人が2〜4カ国語を操るように、いくつかの言語は同時に学ぶことができます。特にこの年齢では、脳の神経の動きは活発。吸収が速いのです」と話した。
ただし、年少1クラス16人に先生が2人つくなど少人数保育のため、保育料は月約5万円。弟妹には減免があるが、多くの保育施設より高く、保護者にとっては懐が楽ではない。(岩城興)
いい加減にしてもらいたい。
さて、「バイリンガルはプア・リンガル」という言葉があるがご存じだろうか。また「バイリンガルの国に文学は育たない」という言い方もある。
それはそうだろう。たとえば英語を母国語のようにしゃべれる日本人を育てようとしたら、普通の子が「食べる」という単語とその用法を覚えればいいところを、同時に「eat」とその用法というふうに2倍ずつの言葉を習得しなければならない。もちろん生来優秀な子はそれでも困らないが、普通の子や普通以下の子が2倍の単語習得を果たせるわけがない必然的に語彙量の低下が生まれる。
問題は、そうしたリスクを冒しても英語習得は価値あることなのか、ということである。
将来英語圏の国に住むことが確実な子どもはそうしなければならない。将来ネイティブ並みの英語力を武器とする職業に就くことが絶対であるような子どももそうすべきだろう。しかし世の中の大半の子は、そうではない。普通の子どもは普通に、日本国内で英語力を必要としない仕事についている。日本語の語彙を豊かにすることの方が圧倒的に有利な世界で生きていくのだ。
メロニー先生は「欧米の人が2〜4カ国語を操るように、いくつかの言語は同時に学ぶことができます。特にこの年齢では、脳の神経の動きは活発。吸収が速いのです」と話した。
欧米の人のすべてが2〜3ヶ国語を操るとは思わないが、それでも日本人より外国語に強いのは確かだろう。しかし欧米人が自由に操るのは日本語でも韓国語でもズールー語(南アフリカ)でもスワヒリ語(ケニア、タンザニア)でもなく、英語やフランス語やデンマーク語といったヨーロッパの言語だろう。なぜなら、それらは言語的に近似で習得しやすいだけでなく、とにかく日常で必要とされ使われるからである。
たとえばフィンランド人には英語の堪能な人が多いが、狭いヨーロッパで商取引をしようとしたら、どうしても英語やフランス語・スペイン語といったいずれかの言語を習得しなければならない。人口の少ないフィンランドでは、国内だけを市場にしていたら経済が成り立たないのである。
フィンランドはまた、日本でいう『日曜洋画劇場』のような外国映画の放送の大部分が葺き替えなし(字幕スーパー)である。子ども向けの映画でさえも、ディズニークラスの映画でない限りフィンランド語に直されることはない。書籍も「ハリーポッター・シリーズ」ならば翻訳本も出るが、発行部数の少ない書物は原語まま書店に並ぶ。
困るのは大学レベルの専門書であって、これらが翻訳されることはまずない。したがって少なくとも英語がかなりできないと大学生活を送れないのである。
理由は簡単で、とにかく人口が少ないため、吹き替えや翻訳をするとペイしない。日本ではまず考えられないことである。
日本人の英語力を高めるということが最優先なら、政府は洋画劇場やDVDの吹き替えにも積極的に規制を加えていくべきだ。翻訳本を減らして書店のせめて3分の1の書棚は英語の原書が並ぶようにすべきだろう。「ハリー・ポッター」シリーズのような人気の本は、むしろ翻訳しない方が日本人の英語力を高める上では好都合だろう。それで経済成長に支障があったとしても、日本人の英語の上達を考えれば仕方がない。
家庭にあっても(毎月5万円もの保育料を払っても子どもをバイリンガルにしたいというのなら)すべてを英語漬けにしておかないと子どもはあっという間に「モノリンガル」に戻ってしまう。せめて書籍雑誌の半分は英語、楽しいテレビ番組のほとんどが英語といったフィンランド並みの家にしておくことが大切だろう。
そのくらい英語は重要らしいのだから。
2010.09.16
教員働きぶり、保護者は教委より高評価
文科省調査
[朝日新聞 9月14日]
保護者は、教育委員会や教員自身が思っているよりもずっと、教員の働きぶりを評価している――。文部科学省が教員や保護者、教育委員会などを対象に行った初の大規模アンケートで、そんな結果が出たことがわかった。
アンケートは幼稚園・小中学校・高校の教員、保護者、教育学部などの学生ら計約4万3千人と、全国の教育委員会、教職課程がある864大学を対象に、今年4〜8月に実施。教員の仕事ぶりや教員養成の今後の課題などを尋ねた。13日までにその速報値がまとまった。
その結果、教員の働きぶりについては(1)「子どもへの愛情や責任感がとてもある」は保護者44%、教委18%(2)「コミュニケーション能力がとても ある」は同じく25%、3%(3)「子どもを理解する力がとてもある」は23%、4%。(2)(3)のように保護者の評価が低い項目でも教委との隔たりは 大きかった。
教員の「自己評価」は大半の項目で教委と保護者の中間に位置しており、保護者の評価の高さが際だった。
文科省幹部は「保護者が我が子の通う学校の先生を意識して回答したのに対し、教委は地域の学校総体の評価をしたことにより、温度差が出たのではないか」と話す。
アンケートでは自公政権下の2009年度に導入された「教員免許更新制」についても質問。教員の54%、校長の61%が、この制度は児童生徒への質の高い教育の提供に「まったく」または「あまり」効果がないと答えた。
民主党が掲げる教員養成課程(現行4年)の延長については、「現行の4年は短い」と答えた割合は低く、最も高かった保護者でも9%。学生は66%が「教科や生徒指導などの専門性が高まる」と期待する一方、85%が「経済的な負担が大きくなる」と不安を訴えた。
アンケート結果は、教員養成制度の抜本改革を議論している中央教育審議会(文科相の諮問機関)に提供される。(青池学)
なぜこんな言い方しかできないのか。
幼稚園・小中学校・高校の教員、保護者、教育学部などの学生ら計約4万3千人と、全国の教育委員会、教職課程がある864大学
と、これほど大規模なアンケートだととんでもなく高額な税金が使われたはずなのに、
保護者が我が子の通う学校の先生を意識して回答したのに対し、教委は地域の学校総体の評価を したことにより、温度差が出たのではないか――つまり、少なくとも保護者に関するアンケートは意味がなかったというとんでもなくお粗末な分析結果、それ が中央教育審議会に出て行くというのはなんとも呆れたものだ。
実施者自身が無意味と判定するようなアンケートは、事業仕分けか何かで、さっさと切り捨てていただきたい。
普通に考えれば、毎日子どもを通して教員と接している保護者の方が、入学式や卒業式のときくらいしか学校に来ない教育委員よりはるかに教師を知っているはずだ。しかしとにかく「現在の教員には問題がある」という結果が欲しい文科省としては認められない、ということなのだろう。
もっとも『子どもへの愛情や責任感がとてもある』は保護者44%というのは相当良い数字で、もしかしたら「とてもある」と(記事には出ていない)「ある」を足せば90%を越えるかもしれない(「ある」は「とてもある」よりずっと多いのが普通だ)。
ともあれ、教委や文科省に比べると教員はけっこう自信をもっていて、保護者はものすごく高く評価しているということだから、素直に喜んでおこう。
(それにしても、教委の評価(1)「子どもへの愛情や責任感がとてもある」18%、(2)「コミュニケーション能力がとてもある」3%、(3)「子どもを 理解する力がとてもある」が4%と、ここまで信じていないのに、教員の総入れ替えとかいった思い切った施策を行わないのは、もう怠慢というほかはないだろう)
2010.09.17
「宿題出さんと殺すぞ」=高校教諭、
教室で生徒に−岡山
[時事通信 9月17日]
同校や県教委によると、教諭は10日午後、担当する2年生のクラスで、授業終了後に教室でホームルームを開き、夏休み中の宿題が未提出だった生徒に提出するよう指導した。
その中で男子生徒に「宿題を出さなければ殺す」という発言をしたという。教諭はこの後の14日も、廊下で会った男子生徒に宿題の提出を促した。男子生徒は15日に欠席し、16日から登校した。
男子生徒の保護者が同日、同校を訪れ分かった。教諭は同校の調査に対し、感情的になったと説明し「配慮に欠け、教員としてあってはならない言動をした」と話しているという。
岡山県真庭市内の県立高校は四つ(勝山高等学校、落合高等学校、久世高等学校、蒜山高等学校)。早いところでは8月26日、遅いところでも9月1日には授業が始まっている。
教諭は10日午後、担当する2年生のクラスで、授業終了後に教室でホームルームを開き、夏休み中の宿題が未提出だった生徒に提出するよう指導した。
休みが明けて10日もたつというのに、宿題を出さない奴がいる。
14日(2週間)たっても出さない奴がいる。それだけでも信じられないのに、
「宿題を出さんと殺すぞ」という言葉には敏感に反応し、声をかけられただけで震えて不登校になってしまう。
不登校は何とか一日で済んだものの、今度は怒った保護者が抗議に訪れる。
そしてなぜか学校が謝る。
そsの程度のことが全国ニュースになる。
信じられないことがこれだけ続くとニュースの信ぴょう性自体が怪しくなるというものだ。
しかし記事を信じるところから始めるとすると、これは典型的な相殺法だと言える。
宿題をやらなかった生徒の罪と教師の「殺すぞ」が一部相殺され、相殺され切らなかった「殺すぞ」の悪が残されて、学校と教師はマスコミにさらされる。
私は、これこそ「あってはならない」ことと思う。
「(夏休み中の)宿題を出さんと殺すぞ」が「命や人権にかかわる発言で教員としてあってはならない。まことに申し訳ない」ことなら、公共放送を使って毎日垂れ流されているサスペンス・ドラマやスパイ映画の「死ね」だの「殺せ」だのはすべて止めてもらわなければならない。
教室で使われた「殺すぞ」は最大で40名ほどの生徒を傷つけるかもしれないが、視聴率10%のサスペンス・ドラマは1300万人もの人間を傷つけるのだ。なぜこれが問題にならないのか。
教師は子どもに影響を与える職業だというが、今やテレビの影響力は教師の影響の比ではない。
しかしメディアの「殺すぞ」は罰せられないが、教員の「殺すぞ」は罰せられる。
さて、そこでだ。
ここから教師たちは自らの言葉に神経質になって注意を払うようになるか、
それとも何としても宿題を出させようとする努力を怠ってほどほどのところで妥協するようになるのか。
おそらく答えは五分五分である。
そして五分五分であるということは半数の生徒が、宿題も出さず、学力もつかないまま高校を卒業することになる(あるいは中退に追い込まれる)ということだ。
最終的な被害者は常に子どもである。
いやな世の中だ。