キース・アウト
(キースの逸脱)

2010年12月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2010.12.04

教員免許、「基礎」「一般」「専門」の3段階案
中教審


朝日新聞 12月 3日]


 文部科学相の諮問機関、中央教育審議会の特別部会は、教員免許について、大学の学部卒業段階で与える暫定的な資格「基礎免許状」、教員採用後に大学院などで学んだ者に与える修士レベルの「一般免許状」、より高い専門性を身につけた者に与える「専門免許状」の3段階とする制度改革案をまとめた。
 同案は30日の会合で示され、特別部会での議論を経て来月中にも文科相に示される。ただ、「ねじれ国会」で関連法の改正は実現の見通しがたっていない。
 現行制度では、教員免許状は基本的に学部を卒業すれば都道府県教育委員会から与えられる。一方、民主党は大学院での修士号取得を免許付与の条件とすべきだと主張してきた。改革案はこれを尊重しつつ、学生の経済負担増や教員志望者の減少を心配する指摘に配慮したものだ。
 焦点となっている教員免許更新制の廃止も改革案には明記しなかった。(青池学)




 いったい中教審は何を考えているのか。
 なぜ今、改めて免許の差別化を図らなければならないのか。私には全く理解できない。
 
 しかしその前に現在の免許制度について簡単に触れておこう。

 教員免許は小学校免許・中学校免許などいくつかの種類があるが、それぞれが三つの等級に分かれている。
 現行制度では、教員免許状は基本的に学部を卒業すれば都道府県教育委員会から与えられる。
というこの免許が、第一種免許である。同様に大学院修了者には専修免許、短大学士には第二種免許が与えられる。通信教育で最低の単位で取る免許も普通は第二種にあたる。

 私は中学校の専修免許と高校の一種、小学校の二種免許を持っているが、これは専門が義務教育なので中学校免許は専修、高校免許は最低単位でとったものなので専修に書き換えられず一種、小学校免許は通信教育で取得したものなので二種という意味である。
 
 専修免許を持っているからといってそれでいいことは何もない。予算の潤沢な都会では専修免許を持っていると月収で2〜3万円の上乗せといった話もあるが、地方にはそんな余裕はない。

 また
実際に院卒が明らかに優秀で何かを持っているという事実もない。少なくとも院には不登校をなくす知はないし非行を減らす知もない。いじめをなく方法も発達障害の子を問題なく育て上げる英知もまるでないのだ。
 
 そもそも大学院というのは何かを、学ぶ場ではなく研究の場である。そこでは何らかのテーマを持った者たちがそれぞれの専門分野で研究をしているのであって、教師の教育力を高めるというような場ではないだ。
 専修免許というものができた時も首をかしげたが、そんな院卒に政府は特別な思いがあるらしい。
 
大学院を出てくれば優秀な教師になるというのは幻想である。しかし何かをしなければ答申を出せない中教審としては、とりあえず何かを出しておく必要があったのだろう。そんなふうに奇妙な政策は次々と生まれてくる。
 
(追記)
 大学の学部卒業段階で与える暫定的な資格「基礎免許状」、教員採用後に大学院などで学んだ者に与える修士レベルの「一般免許状」、より高い専門性を身につけた者に与える「専門免許状」の3段階とする制度改革案をまとめた。
 財政豊かな東京都あたりでは有給で二年間の休暇を与え大学院で学ぶ制度を用意してくれるかもしれない。しかし地方では無理だろう。勢い「身分は保障する、無休で、学費も自腹で、行くなら大学院に行け」ということになりかねない、と言うか、そうでないと納税者が納得しない。
 その結果、ほとんどの教員は
採用後に大学院などで学ぶことなく、学校は「基礎免許」しか持たない教諭で埋め尽くされるだろう。
保護者から見れば「一般免許」を持たない二流の教員が一気に増えるということである。
 これでは教員の権威も何もない。
 
政府も民主党も
 
もう何でもいい、あとがどうなっても構わない、とにかく変えればそれでいいのだ
 とそんなふうに考えているに違いない。
 
 







2010.12.05

「やらないと呪い」課題プリントに記入
盛岡の中学校教諭


朝日新聞 12月 4日]


 盛岡市の中学校で、英語の女性教諭(35)が課題プリントの表紙に「これをやらなければ呪いがかかりますよ」と書き、生徒に配布していたことが4日わかった。

 校長によると、女性教諭は11月22日、期末試験や高校受験対策用のプリント冊子を作成し、その表紙に「呪いが……」と書いて3年生に配布した。その後、保護者からの指摘を受け、不適切な表現があったとして表紙を取り換えて再配布した。

 校長によると、女性教諭は「課題をやってこない子どもが多く、何とかやらせたい一心だった」などと説明したという。岩手県教委は「市教委の事実報告をもとに処分をするかどうか検討したい」としている。



 これはもう魔女狩りというしかない。
 教師たるもの、以下の言葉を使えば処分の対象とする。
 死・殺す・殺人・呪う・セクハラ・キス・・・etc.etc.
 
 そうした方向が見えてから、保護者は鵜の目鷹の目で教師の瑕疵を探してる。
 
どんなに素晴らしい実践をしていても、たったの一言がその教師の全業績を叩きつぶしてしまうのだ。
 都都逸に「大工(土方)殺すにぁ〜刃物は要らぬぅ〜雨のぉ三日ぁも降ればいい〜」というのがあった。しかし教師を殺すには三日も必要ない。
 気に入らない教師がいたら、その「たった一言」を待てばいいだけなのだ。
 たいへんな時代が来たものだ。

 ところで下の記事はどうだろう。


仰天!小学校「セクハラサイコロ」事件の真相 
       作成、行使の教諭「金八以上」と児童・保護者・卒業生が擁護

                                  [産経新聞 2010.11.6]

 埼玉県入間市の市立扇小学校で、6年生の担任教諭(59)が「キス」「ハグ」「ハナクソ」などと記入したサイコロを「セクハラサイコロ」と命名して児童に振らせていた問題は、10月末の発覚から新聞各紙やテレビで大きく報道され、ワイドショーのコメンテーターたちも一様にまゆをひそめた。確かにサラリーマンなら“クビ”にさえなりかねないほどの大問題だが、実はこの教諭、こうした行為にもかかわらず、「金八先生」並みに児童や保護者の信頼が厚いのだ。教諭の復帰を祈って、児童らは千羽鶴を折り、保護者らは署名活動を行い、卒業生らはネットで教諭の「真の姿」を訴えている。(安岡一成)


仰天の「セクハラサイコロ」

 10月26日昼、テレビが報じたニュースはあまりに衝撃的だった。小学校教諭が「キス」「ハグ」などと書き込んだ手製のサイコロを「セクハラサイコロ」と 名付け、忘れ物をしたり、騒いだりした児童に対し、このサイコロを振らせて出た目に書かれていることを実行させていたというのだ。

 サイコロは男子用が1種類、女子用が2種類。男子用は「キス」「ハナクソ」「くつのにおい」「ハゲうつし」「顔ケツタッチ」「許す、よかったね」。女子用の一つは「恋人指切り」「ハグ」「肩組み」「頭なでなで」「ツバほっぺ」「許す、よかったね」、もう一つが「ハナクソ」「許す」(他の5面)だった。
 サイコロは以前勤務していた学校で作成したという。初めは男子用しかなかったが、児童たちと一緒にアイデアを出しながら女子用も作ったらしい。

 盗撮や横領から校内での性行為まで、今年も“学校のセンセイ”の不祥事の話題は事欠かない。「またあきれた教師が現れた、世も末だ」−。世間の受け止めはこうだったに違いない。「児童へのサービス精神でやった。実際にはやるふりだけだった」などの釈明も、小6の学習指導要領の範囲をはるかに超えた「セクハラ」という言葉の前には白々しく聞こえた。

 学校側も、報道を受け急遽(きゅうきょ)開いた会見では平謝りするばかりだった。「不快に思う児童がいればやってはいけないことだった。しかも、『セクハラサイコロ』とは名前からして教師として不謹慎だ。こういうことが学校で行われるようなことはあってはならない」とコメントするのが精いっぱいだった。

 卒業生によると、教諭は中学時代に教師を志し、大学は教育学部に進学。現場一徹で、管理職は希望しなかった。以前、昇進を持ちかけた校長から「もっと夢を持とうよ」と諭されたが、「あなたの夢と私の夢は違うみたいですね」と断ったという。

 陸上競技をやっていて、児童には走り方やリレーのバトンの渡し方を指導する一方、自身は全国の市民マラソンに出場しては10キロの距離を50分前後で完走していた記録がネット上に残っている。後述するが、児童たちからはとても慕われていたという。


不可解な発覚の経緯

 同小によると、校長と教頭がこのサイコロの存在を知ったのは10月14日。教諭とは別のクラスの児童の母親が知人男性を連れて、怒った様子で学校を訪れてきた。会議室に通すと、母親は2個のサイコロを校長と教頭、教諭の3人の目の前に突きつけ、説明を求めてきた。何も知らなかった校長と教頭は開いた口がふさがらず、母親の言い分に耳を傾けることしかできなかったという。

 母親は退席するとき、いきなり「もうひとつあるでしょう」と残りのサイコロの提出を要求。ここで校長らは素直に渡してしまい、現物は学校に残っていないという。それにしても今後、教諭の処分問題に発展したときに重要な証拠物となるものを、なぜ言われるままに差し出してしまったのか。教頭は「冷静になってみれば、何であんなことをしたのか分からない」と繰り返すばかりだった。

 3つのサイコロは、後日、このときのやりとりを録音したICレコーダーの音声とともに、テレビで全国放映された。実は、この日より前に教室に保管してあった3つのサイコロのうち、2つがなくなっていたという。誰が持ち出したのか、なぜ母親が持っていたのかは不明だ。


涙の緊急保護者会から署名、折り鶴

 報道後、同小は緊急保護者会を開いた。常識的に考えて、とうてい申し開きのできない不祥事だ。校長も教頭も緊張して臨み、謝罪と経緯の説明を行った。
 学校関係者によると、教諭はこの席で、「私の軽率な行動で子供に不快な思いをさせたこと、保護者の方々にもご心配、ご迷惑をかけたことを深く反省し、おわび申し上げます」と謝罪した。

 これに対し、保護者から出てきた意見は、学校側の予想を大きく裏切るものだった。
「手段はいけないが、先生の指導はよく行き届いている。これからも適切な指導をお願いする」
「うちの子は、先生に厳しくしかられたこともあるが、それで自分が悪かったとわからせてくれたと言っていた」
 こんな言葉の数々に教頭は思わず目頭を熱くしたという。最後にある保護者が「先生がやったことはよくないが、本当にいい先生なんだから」というと大きな拍 手が巻き起こったという。「担任は替わるのか?」との質問に教頭が「卒業までしっかりやらせます」と答えたところ、ほぼ満場一致で教諭の続投を支持したという。

  問題発覚後、学校は児童たちにセクハラサイコロについてどう思うか、児童にアンケートをした。すると、全33人中、2人が「気持ちが悪い、いやだ」と答え、残り31人は「自分が悪いことをしたから仕方がない。サイコロを振らされないようにしたらいい」と答えたそうだ。教頭は「軽率な行動だったことには変わりない。子供たちの感覚もまひしている」と険しい表情を崩さないが、「まひしているものの、大勢の子供は楽しんでいた。子供たちが動揺せずに元の状態に戻ることを願うだけ」と祈るように話した。

 教諭は報道翌日から「体調不良」を理由に学校を休んでいる。ある保護者によると、教諭の寛大な処分を求める署名活動を行ったり、教諭に手紙を書いたりする動きがあるそうだ。また児童たちも教諭が復帰したときに出迎える歌を考えたり、「体調不良」で休んでいる教諭に千羽鶴を作成したりしているという。


卒業生もネットで反論

 報道後、この教諭の教え子を名乗る人たちが、ツイッターやミクシィなどネット上で続々と異論を唱え始めた。そのうち、2人から話を聞くことができた。

「先生は変態エロ教師なんかじゃない。今まで一番好きだった、尊敬する先生がこんなにばかにされていいのか」
 都内の大学に通う男子学生(19)は10月26日の夜、ネットでニュースを見て、すぐにあの先生だと分かったという。いてもたってもいられず、実体験を交えて教諭を擁護する一文をミクシィの日記につづった。すると、「いい先生だったんですね」など驚いたような意見や、「子供たちは被害を受けたと思っていないよ」などと児童の保護者からの反響があったという。

 教諭が男性の担任になったのは小6のとき。児童になじんできた4月のある日、「これ、オイスペって言うんだよ。前から使っている、オレ流の罰ゲームなんだ」といってサイコロを取り出したという。「オイスペ」とは教諭の名前に「スペシャル」をつけ加え、略したものだ。そのころから、目には「ハナクソ」「ハゲ移し」「恋人」などの文言はあったが、児童たちは「面白い先生だ」とおおむね好意的に受け入れたという。しかも、そのころからサイコロの目に書いていることはあくまで「やる振り」で、実際にやることはなかったと証言する。

 クラス児童全員に消しゴムを彫って名前の入ったハンコを作ってくれたり、正月には数字が振ってある点をすべて結ぶと「あけましておめでとう」などの文字が浮き出る年賀状を送ってくれたり、手製のおもちゃを作ってくれたり…。男性には楽しい思い出ばかりが残っているという。

 男性は卒業して中学に進学後、いじめにあったという。自暴自棄になり、警察の世話になり、2年のほぼ1年間、不登校になった。男性の母親は、通っている中学ではなく、この教諭に電話で相談。その夜、教諭は自宅にふらりと現れた。
「お前なら乗り越えられることだよ。そしたら何か見えてくるだろう」
 シンプルだが、とても温かいこんな言葉に男性は救われ、転校した後、立ち直ったという。

 男性は問題発覚後の2日後の早朝、教諭の自宅を訪ね、公園で小一時間話し込んだ。どうしても確かめておきたいことがあったのだ。なぜ、この教諭が「セクハラサイコロ」なるものを作るような“ぶっ飛んだ”先生だったのか。教諭の教育に対するポリシーとは何なのか−。

 教諭はサイコロについて初めは男児にしか振らせていなかったが、男児から「女子用がないのはずるい」と言われ、児童たちと一緒に女子用も作ったこと、男児から「ハグってのも入れよう」と言われ、「ハグってどういう意味なんだ?」と尋ねながら書き込み、最終的に自分で「セクハラサイコロ」と名付けたことなどを明かしたという。
 その上でこう断言したという。「自分とは異なる文化や人種を排除するような人間にはなってほしくない。だからおれは、変人でいながらも好かれるような教師でいないといけない」

 その言葉に安心した男性は、「それにしても大変でしたね」と声をかけると、「大したことねえよ。オレは大丈夫だよ。自分のクラスの児童の保護者に信じてもらえたら、それでいいんだよ」と気丈な声が返ってきたという。
 そんな振る舞いが、男性には心なしか寂しそうに見えたが、教諭は「ありがとう。ほかの教え子たちからも電話をもらっててな。助けられてるんだ」と言って笑顔で別れたという。
 男性も「セクハラサイコロっていうネーミングはダメかもしれない」と苦言を呈する。それでもこの教諭を最後まで擁護したい気持ちは変わらない。

「金八先生みたいな先生はドラマの中だけだと思っていたが、先生に会って本気で驚いた。こんなに子供のことを考えている先生はいないよって」

 それは卒業式で渡された最後の通知票の言葉だ。
「お前は好きなことに関しての集中力はすごいの一言だ。だから、好きなことをガンガンやれ。きっと何か見つかる」
 好きなことには一心不乱で取り組む自身の性格を自覚しかけていた男性は、「本当に自分のことを分かってくれている先生だったんだな」と胸にこみあげるもの 感じたという。現在、男性は大学で物理学を学んでいる。「この言葉を胸に抱いて、好きな数学や物理の勉強に没頭して、今の自分がある」

 小5のときに教諭のクラスだったという女性(21)も教諭の眼力を評価する。 いわゆる優等生タイプだったというこの女性は、「幼いながらに先生にこびる方 法を知っていて、大人にちやほやされていた」と振り返る。しかし、この教諭はそんな女性を決して特別扱いはしなかったという。
「私の性格を見破られた衝撃は大きかった。でも自分のことをちゃんと見てくれているんだという実感が強く、以来、ずっとお慕いしている」と話す。
「セクハラサイコロ」については、この女性は「少なくとも私がお世話になった間は、セクハラとかロリコン趣味とかを感じたことはなかった」と断言した。「若干表現がオーバーで、女子からはブーイングを受けることもあったが、嫌がる子への気配りやフォローも怠っていなかった」と証言する。
「私は先生の言葉や教えを胸に、大人になってきた。なのにこんな事件になってしまって…」と悔しさをにじませた。

 教諭への処分はまもなく県教委が行うことになっている。児童や保護者、卒業生らが抱く思いは、それに影響するのだろうか。

 教諭が復帰したとき、児童とどのような形できずなを深め合うのか。定年間際の教諭と卒業間際の児童たちが、残る時間でいい思い出を残せるのか、学校も保護者も真剣勝負のときかもしれない。


「セクハラサイコロ」の教諭は「超」がつくような優秀な教師だった。だからこんな救われ方もする。
 しかし「普通」の教師では児童生徒・保護者もここまでやってくれるだろうか。

 少しでも余計なことを言った教師は、みんな死ぬ。それでいいのだ。(←おっと、これで私も終わりだ)









2010.12.06

「呪いがかかりますよ」熱心さ勇み足
女性教諭反省


スポーツ報知 12月 5日]


 盛岡市の市立中学校で、30代の女性教諭が英語の課題に「これをやらなければ呪いがかかりますよ」と書いて、3年生約140人に配布していたことが4日、分かった。
 学校によると、教諭は11月22日に、十数枚の紙をつづった課題を作成し、3年生全員に配布。その表紙に呪いの言葉を書いていたという。保護者から学校に連絡があり発覚。課題を回収し、表紙を取り換えたものを配り直した。古い課題はシュレッダーにかけ廃棄したという。教諭は「課題をやらせたくて書いてしまった」と反省しており、同校校長も「言葉が適切ではなかった」と話している。
 とはいえ、呪いと書かれたのは、表紙の一番下で、文字も小さく目立たなかった。「気付いた生徒は、ほとんどいなかったのでは」(校長)という。ショックを受けた生徒は多くなかったようだ。保護者からの連絡も1件だけ。保護者会は開かれず、その後の学校行事も、予定通り行われた。地元紙の報道で、 問題が大きくなった側面がある。
 校長によると、学級崩壊した小学校から進学し、授業態度に問題がある生徒が多い現在の3年生を、この教諭が熱心な指導で、水準学力レベルに引き上げたという。今回は、やや教諭の勇み足だったが、言葉だけをとらえ、何が何でも“告発”する風潮が続けば、教育現場の熱意に水が差されるおそれもあるといえそうだ。


 私は朝日・読売をはじめとする5大新聞が一流紙でスポーツ新聞などは二流だと思っていた。
 しかしここに深くこうべを垂れ、陳謝しなければならない。一流と二流を取り違えていた。本当に申し訳ない。

 さて、昨日も朝日新聞の記事で扱ったこの事件、
 保護者からの連絡も1件だけ
となれば朝日のニュースソースも自ずと知れるというものだが、

タレ込みをそのまま記事にする朝日と違って、問題の教師の人物も調査し記事にするとはなかなかの見識である。

日本のマスメディアの良識はスポーツ紙にこそあったのかもしれない。


 言葉だけをとらえ、何が何でも“告発”する風潮が続けば、教育現場の熱意に水が差されるおそれもあるといえそうだ。
 スポーツ報知、良く言った。またくその通りだ。
 ジャーナリズムとはこうでなくてはいけない。これでこそ世論を動かす器だ。


*ついでに言うが、この程度のこと「今回は、やや教諭の勇み足」とも、私は思わない。
 勉強なんて本来楽しいものではないのだ。少しぐらい楽しまなくては。
 冗談のひとつも出ない授業なんて面白くもない。
 
 ショックを受けた生徒は多くなかったようだ。
 
この程度でショックを受けているようなら「名探偵コナン」だって見ることはんだろう。そんな子ばかりが育ったらどうする。









2010.12.07

明子さんの学校生活の詳細な記憶が明らかに
群馬・桐生小6年自殺


朝日新聞 12月 5日]


 群馬県桐生市立小学校6年の上村明子さん(当時12)が自殺した問題で、明子さんの学校生活の詳細な記録が明らかになった。勉強や運動にまじめに取り組む一方で、級友となじめず悩んでいたことを担任教諭らは書き留めていた。2日の市議会教育民生委員協議会で示された。
 明子さんは4年生の10月に転入。11、12月は欠席が月1〜2日だったが、翌年1月は欠席が14日に急増。欠席の連絡はあったりなかったりで、ない日 はこちら(学校)から連絡してもつながらないことがあった。欠席の日は2学年下の妹もともに欠席することがほとんどで、両親は不在のことが多かったとい う。家を訪問した教諭は、子どもだけでいることが多かった。(明子さんは)妹の面倒を見ているようだと感じた。
 「学校に行くといやなことを言われるから行きたくない」。2月末に明子さんから訴えがあり、担任は明子さんが学級で乱暴な言葉を言われていたことを初めて知る。言ったとされる児童たちに指導すると、その後の欠席は減った。4年生3学期の欠席は27日だった。
 5年生には生活が夜型なので、朝気分が悪いことが多い。朝食をとらないで来ることがあった。また、友達とかかわれないと悩み、7月にカウンセラーに相談 していた。2学期の運動会後からは欠席・遅刻が目立つように。11月にカウンセラーが家に迎えに行ったところ、明子さんは「保健委員会で仲間はずれにされ た」と悩んでいたという。教諭は保健委員を集めて話し合った。
 翌年3月に開かれた6年生を送る会ではアーチを持つ役になり、喜んでいたが、当日は母親に怒られて登校できなかった。事務主任が電話で「今からおいで」と話し、間に合った。5年生の欠席は18日だった。
 6年生になると欠席が減る。おとなしいが、休み時間は特別支援学級の子の面倒を見ることが多かった、など積極的な面を見せた。5月、妹とけんかをして学 校に遅れ、事務主任が迎えに行った。担任との電話で、「学校を休んで、家にいるのはいやだ。勉強も遅れる」と話していたという。
 明子さんは学業にまじめに取り組んでいた。授業をしっかり受けている、机やロッカーはいつもきれいに整頓されていたと担任は観察していた。
 運動も得意だった。8月のプール検定では平泳ぎ50メートルなど3種目を泳ぐことができ、担任のところへうれしそうに報告に来た。運動会の練習でソーラン節やマーチングの練習に力を入れ、教諭が「上手だね」と声をかけるとうれしそうだったという。
 10月1日、担任が健康診断の手伝いを募集すると、明子さんはすぐに挙手し進んで引き受けてくれたという。9月28日の席替え後から1人で給食を食べるようになっており、その後休みがちになった。
 2日欠席した後の10月21日、校外学習で明子さんは出かけるのをいやがった。教諭が明子さんに声をかけるうち、クラスの子に「2日間休んでいたのに何 でこういう時に来るのか」と言われていやだったと明かした。帰宅後に父親が学校に電話し、明子さんがつらい思いをしたことなどを相談。「子どものことで親 が出ていくのはどうかと思う」とも話した。
 翌22日は欠席。家族と連絡がつかず、担任が夜に家庭訪問をしたが留守のようだったという。給食時の配列を変えたことを伝えられないまま、明子さんは翌23日に命を絶った。



 これは極めて稀有な例である。
 これまでも深刻なイジメや「イジメ=自殺事件」と呼ばれるようないくつもの事件があったが、学校やクラスの様子、家庭の様子までもが公開の場に持ち出され、マスコミがここまで追い続けるということはなかったのではないか。
 
 学校はギリギリまでイジメを認めず、マスコミも独自取材で相当なところまで調べているはずなのに手の内を見せない。ただ
「いじめる子がいた、それに苦しむ子がいた、担任も学校も気がついていたのに放置した、その結果ひとりの子ども自殺した」といった平板な言い回しで、事件全体が良くも悪しくも人間的な様相を見せないまま終わる。それがこれまでの姿だったと思う。
 
 それは結局、突き詰めていく加害も被害も含め児童個々の言動や性格、家庭のあり方や生育暦にいつか踏み込んでしまうからだ。そんなことはとても公にできない。だから学校は最初から事実を抱いて心中するつもりで事件に対処するし、マスコミは教委や学校の追及に終始することでこのデリケートな問題を回避してきたのである。

 教員たちは、事件のあった学校の校長だった、当時の教頭だった、同じ学校の職員だったという十字架を背負って、しかし細かなことを一切語らないまま世の中から消える。マスコミもプライバシーの侵害だといった難しい問題に足を踏み入れず、型通りの憤り文を書いてあとは時の流れに任せる、それが今日のやり方だった。
 しかしこの桐生事件は違う。次々と事件の全体像が見えてくるのだ。
 
 まず、崩壊に近い学級の状態が明らかにされた。
 そして今回は市議会という公の場で、
 
欠席の日は2学年下の妹もともに欠席することがほとんどで、両親は不在のことが多かったという。家を訪問した教諭は、子どもだけでいることが多かった。(明子さんは)妹の面倒を見ているようだと感じた。
 5年生には生活が夜型なので、朝気分が悪いことが多い。朝食をとらないで来ることがあった。

 といった被害者(いじめがあった学校が認めたから被害者でいいだろう)の家庭のあり方まで出てきたのだ。また、
 
 担任は明子さんが学級で乱暴な言葉を言われていたことを初めて知る。言ったとされる児童たちに指導すると、その後の欠席は減った。
 勉強や運動にまじめに取り組む一方で、級友となじめず悩んでいたことを担任教諭らは書き留めていた。

 
 と担任がそれなりにがんばっている姿も見受けられる。
 そればかりではない、
 
当日は母親に怒られて登校できなかった。事務主任が電話で「今からおいで」と話し、間に合った。
 11月にカウンセラーが家に迎えに行ったところ

 と、事務の先生も学校カウンセラーも、それこそ学校が総出で明子さんを支えようとしている様子が分かる。
 しかしそれでも、この子の死に向かう流れは止められなかった。
 
 こうしたさまざまな“真実”が出てきた背景には、
これまでのように何もかも闇に葬っていたのでは何の解決にもならない、何もかもテーブルの上に乗せその上で皆で考え、再発の予防に役立てようという判断がどこかにあったのかもしれない。いずれにしろ何もかも学校に任せず、教育委員会の何もとに発表した桐生市教委の態度には感心させられるものがある。
 
 記事は報告書を要約にしたものに過ぎないが、私には実に良く分かる。
 荒れたクラスの中で孤立感を深める少女、やることなすことが裏目に出てどんどん一人ぼっちになっていく。それを教師は支えきれない。
 カウンセラーが入り事務主任も問題を共有し、多くの人々が関わるのだが、それでも事態の打開は容易ではなかった。
 こんなとき、家庭が大いなる後ろ盾になってくれればいいのだが、両親は忙しく、悲しい思いで帰ってもすぐに訴えられる人はそこにはいない。
 もちろん親が悪いというわけではない。そんな家庭は世の中にいくらでもあるのだ。
 
 
 結果論から言えば、もちろん学校にやれることは山ほどあった。
 これほど社会状況の悪くなった現在、最終的に子どもを救うのは学校の仕事だ。本来は親の仕事だとういう言い方もあるが、すべての親にそれを望むのは不可能というものだろう。だとしたらあとに残るのは教師しかいない。
 
 私たちはプロとして、どんな環境にいるどんな子どもでも私たちは救うことができるし、私たちしかする人はいない。しかしそのためには、私たちが余にも手薄なのも事実だ。
 
 明子さんが休んだ日、丸一日あるいは何日でも、担任が家に通って何時間でも話をすればよかった。そうすれば絶対にこの子は救われた。しかしそれにもかかわらず、担任は家に通って何時間も話をすることをしなかった。それはなぜか。
 簡単である。
その時間、彼女は学校で授業をしていたのだ。
 
 せめて1教室に担任が1・5人いたらこうはならなかっただろう。そう思わざるを得ないのはそういうときである。
 






2010.12.08

【OECD学習到達度調査】ゆとり教育の影響色濃く
「授業時間確保を」


産経新聞 12月 7日]


  国際学習到達度調査(PISA)では、読解力も数学・科学の応用力も世界トップクラスには達していない日本の教育の実情が浮き彫りになった。調査対象に なった15歳は小学3年から「ゆとり教育」を受け、授業時間が減らされてきた世代。脱ゆとり教育路線が始まっているが、道はまだ半ばだ。専門家からは 「もっと授業時間の確保を」「より難しい本を読むべきだ」との声が上がった。
 「日本の順位が『上の中』で停滞している。勉強の習慣がない、努力を好まない、という子供たちの生活環境の問題だ」
 数学の専門家で東海大教育開発研究所の秋山仁所長は、今回の結果をこう分析する。ゆとり教育では、授業時間を減らして「総合学習」の時間が導入された。秋山所長は「総合学習の時間を有効に活用できなかった」と話す。
 「もっと数学や理科が活用されることから興味を抱かせていくことが大切。『最近の円高で、企業は大変』とか『スーパーの円高還元セール』というニュースを耳にして、どういうことなのか興味を持たせ、自分の頭で考えていけば思考能力も高まったはずだ」
 「マンガ数学入門」の著書がある埼玉大経済学部の岡部恒治教授は「子供たちが自分で考える機会をつくるためにも、授業時間の確保は欠かせない」と話し、ゆとり教育での授業時間“削減”が原因と分析する。
 ゆとり教育は数年前から実質的に路線転換が図られ、教育現場では授業時間は増やされ始めた。小学校では平成23年度から正式に脱ゆとり教育の新学習指導要領が施行される。
 しかし、単純に授業時間を増やすだけでは、学力は向上しないという意見もある。理科教育に詳しい東大名誉教授で高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)の兵頭俊夫特別教授は「学校で基礎問題をしっかりと解ける力を身につけていけば、応用問題にも対応できる。基礎の大切さが見直されるべきだ」と話す。
 PISAで併せて行われたアンケートでは、日本の子供たちは以前より読書の習慣が身に付いているという結果も出たが、国語作文教育研究所の宮川俊彦所長は「世界のトップレベルを目指すなら、読む本の内容も問われる。自分の好きな分野だけを読むのではなく、難解な古文や古今東西のさまざまな作品を読むことが必要」と注文を付けている。




 経済協力開発機構(OECD)の「生徒の国際学習到達度調査(PISA)」において、日本の順位が、文章やグラフの内容を読み取る読解力で8位と前回の15位から大幅回復。数学的応用力と科学的応用力も順位を1つずつ上げてそれぞれ9位と5位となった。

 高木義明文部科学大臣も大はしゃぎで、
「読解力を中心に前回より学力向上していて、よかった」と述べ、
「今回こういうデータが出たが、追いつけ、追い越せで努力すれば、(トップクラスを)達成できる」と今後に期待感を示した。
 結果は、授業時間の充実など、国の脱ゆとり教育路線の成果も表れた形で、文科省は得点下位層の改善など課題を認めつつも、「学力は改善傾向にある」と分析した。
(産経新聞)

 日本の順位が急落して「PISAショック」と呼ばれた2003年のPISA受験生はいわゆる「ゆとり教育指導要領」(2002年)の洗礼をたった1年間だけ受けた子どもたちである。教師自身がまだ、総合的な学習の時間使い方を手探りで進めていた時代の子どもたちだ。
 PISA2006の受験生たちも「ゆとり教育」の申し子ではない。ところが、
 
今回2009年のPISA受験生は全員が小学校3年生からどっぷり総合的な学習の時間に使ってきた子たちである。

 PISA2003のときはゆとり教育前の生徒が受験生だったにも関わらず、学力低下の原因は「ゆとり教育」のせいだと言われた。そして今回、
ゆとり教育にどっぷり漬かった子たちが受験生だったにも関わらず、成績が上がったのはまだ始まってもいない「脱ゆとり教育」(小学校の本格実施は平成23年以より、中学校は平成24年より実施)のおかげだという。どう考えてもおかしな話ではないか。

 私はイチャモンをつけているのではない。たとえば産経新聞が例に示した2003年の数学の問題を見ているがいい。
 さいころの展開図から立方体を思い浮かべ、頭の中で回転させながら裏表の数字の位置関係を確認する問題である。

 言うまでもなくこのタイプの問題は、山ほどの類似問題を消化して解決可能にすることもできる。しかし基本的にはさいころと遊ぶ時間を設け、体の感覚として覚えていくべきものなのだ。
 
この問題に限って言えば、おそらく捻り鉢巻で勉強している受験生よりも、不埒にも金を賭けてチンチロリンをやっている不良少年の方が強いはずだ。かけ算九九や計算問題といったいわゆる基礎学習をいくら深めても、このタイプの問題ができるようにはならない。そのことは記事の中の秋山所長や岡部教授が強く主張していることと重なる。
 つまりPISAのテストは「総合的な学習の時間」的な学習がもっとも有効な分野なのだ。

 ところがいわゆる「脱ゆとり教育」では、そんな価値ある「総合的な学習の時間」が三分の二に削られてしまう。産経新聞はそのことを知っているのか。

 ゆとり教育や総合的な学習にどっぷり漬かった子どもたちが好成績を挙げたなら、この方向をさらに推し進めようとするのが科学的な態度だと思う。しかしそんな科学的知見より集団的熱狂の方を優先して教育行政の舵を取る。
 日本はこれでほんとうに間違った方向へ進んでしまうに違いない。


* 私は学力向上に意味がないといっているのではない。それが面倒だとも言わない。ただそのために行事精選などといって特別活動(儀式や児童生徒会、運動会、遠足など)の時間が削減されることが嫌なのだ。
一般には理解が行き届いていないが、児童会や生徒会、遠足や修学旅行、運動会やクラスマッチ、文化祭などは、子どもたちを遊ばせたり息抜きをさせたりするために断っているわけではない。
 その中で私たちは、体験的に道徳教育をしているのである。日本人を日本人の育てているのはまさにこの時間であって、きちんと並ぶから始まって、協力し合う、弱い人を助ける等はすべてここから生まれてくる。
 
 もうすでに子どもも教師も限界で働いている。何かに力を入れるということは別の部分で力を抜くことと同じなのだ。日本は今、道徳を捨てて学力世界一への道を歩き始めてしまった。
 








2010.12.14

尖閣ビデオ流出の「逮捕者」の所属部署は?
期末試験で誤って出題


産経新聞 12月14日]


  奈良県生駒市の市立大瀬中学校(酒見宗良校長)で11〜12月に実施された3年生の社会科の期末試験で、「尖閣諸島のビデオ流出事件で逮捕された人物が所属していた機関はどこか」との誤った設問が出題されていたことが13日、学校関係者への取材でわかった。この問題の解答には「海上保安庁」が用意されていた。学校側は事実誤認による出題ミスを認めているが、この設問は時事問題を問うため出題されていた。
 沖縄県・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐる映像流出問題は、流出を認めた神戸海上保安部の海上保安官が国家公務員法(守秘義務)違反容疑で東京地検と警視庁の事情聴取を受け、年内にも刑事処分が決まる予定だが、逮捕は見送られていた。
 期末試験後の今月中旬、外部からの指摘で学校側が調査したところ、出題ミスが確認された。この設問については削除し、点数配分などについては再検討するといい、保護者に対しては学校長名で文書を配布し、事情を説明するという。
 同校の阪本英雄教頭は「生徒に誤った認識を与え、大変申し訳なかった。今後は設問を管理職でもチェックし、再発防止に万全を期したい」としている。




 いやはや、なんともしんどい話である。
 マスコミが、
「世界は教員のわずかなミスも許さない」という強烈なメッセージを学校に送るようになって久しい。しかしそれが学校の期末テストの設問にまで及ぶとは、私も迂闊だった。この程度のことを天下の五大新聞があつかうこともないと思っていた、が私も目が曇ったものだ。

 忙しい中で丁寧なテストづくりをしようとするとかえって失敗する。そんなことは分かっているのだが、生徒たちのことを考えるとどうしてもおざなりにすることはできない。ついつい限界まで引っ張ってドジをする。
 
 そんな私の耳、に悪魔の声が聞こえてくるのだ。

「だからこんな野心的な問題を出すのはダメだとオレは言ったのだ。何が尖閣列島だ。何が北朝鮮問題だ。
 普通に衆議院の定数は?とか、科学技術について統括する役所は何省?とかやっていればミスなど出ないのに、なまじ時事問題に触れて生徒の社会意識を高めようとするからダメなのだ。そんな歴史的評価も定まらないような湯気の出ている問題など考えず、明治以来の確定した、しっかりした内容だけをあつかっていればこんなふうに全国紙で叩かれることもない。

 オマエたちは常に『生徒のため』と余計なことを考えてつまらないところに手を出すから失敗する。
 そして『今後は設問を管理職でもチェックし、再発防止に万全を期したい』と教頭もいい加減なことを言わざるを得なくなる。管理職なんて基本的には二人しかいないのだから、(技術家庭科を別にカウントして)10教科、どうやってチェックできるのだ? とりあえずオマエが管理職になったとして、社会科のオマエに英語の出題ミスなんて発見できるのか? そもそも正答だってわからないだろう。呆れたものだぜ。

 こんなアホなことはせず、どこかの問題集からカンガン切り張りしておけば間違いもない。ホラ、次回からそうしておけ。
 どうせ忙しいオマエたちでは完璧なテスト問題なんてできるはずもないのだから」

 

 かくして学校は最小の、手堅い、何の面白みもない学習とテストに、自らを縮めていくのだ。







2010.12.15

来年度35人学級見送り、人件費抑制を優先…政府方針


読売新聞 12月14日]


 政府は13日、2011年度予算に向けて文部科学省が要望していた「小学1、2年の35人学級」の実現を見送る方針を固めた。
 民主党は先の参院選公約で「少人数学級の推進」を掲げたが、教職員人件費の拡大に歯止めをかけることを優先する。
 政府の「評価会議」(議長=玄葉国家戦略相)は11年度予算編成に先立つ「政策コンテスト」で、35人学級について、A〜Dの4段階評価で上から 2番目のB判定を下していた。しかし、その後の政府内の調整で、35人学級の実現に必要な教職員の定数増(6300人増)をいったん認めれば、将来にわたり人件費が膨らむ要因となり、文教・科学振興費を減らしにくくなるとの見方が強まった。
 35人学級を巡っては、文科省が「きめ細かい教育指導につながる」などの理由で、11年度から8年間で小・中学校を対象に段階的に実施するよう求めている。一方、財務省は「少人数化と学力向上の因果関係は必ずしもない」として40人学級の維持を主張している。
 ただ、政府は現行の1、2年の40人学級維持に必要な教職員人件費(2000億円程度)については全額認めた上で、一定の増額も行う方向だ。




ま、いいでしょ。

財務省は「少人数化と学力向上の因果関係は必ずしもない」として40人学級の維持を主張しているそうだが、政府は10年ほど前、
「それが21世紀を担う子どもたちの『生きる力』育成に繋がるかどうか因果関係は必ずしもない」にもかかわらず「総合的な学習の時間」を創設し、

「厳しい受験体制や管理教育と不登校や非行増加の因果関係は必ずしもない」にも関わらずゆとり教育を推進した。

 そうかと思ったら最近に至り、

「ゆとり教育と学力の国際比較の因果関係は必ずしもない」にもかかわらず「脱ゆとり教育」とかを始める。

「免許更新制と教員の指導力向上の因果関係は必ずしもない」にも関わらず、免許更新制を始める。


 もっとも「小学1、2年の35人学級」の要望の主たる理由が、「学力向上」だと考えた時点で政府・民主党の想像力の欠如、蒙昧は明らかだ。現場の苦しさが全く分かっていない。

 
私はこの人たちの子や孫が、魑魅魍魎跋扈する40人学級の小学校1年生に投げ入れられればいいと、本気で思う。








2010.12.25

精神疾患 後を絶たぬ休職「意識改革が必要」


産経新聞 12月24日]


 教職員の精神疾患の原因と考えられる学校現場の負担を減らすように、文部科学省は平成16年度から、自治体の教委に通知を出してきた。約80%の都道府県や政令市でも通知を受けて業務軽減策を講じているが、それでも精神疾患で休職する教職員は後を絶たない。
 「少しぐらい業務軽減しても教員の忙しさは変わらない。子供と向き合う時間もない」。学校現場の校長からは、こんな声が聞かれる。授業の準備や生徒指導だけではなく、保護者への対応も大きな“負担”になっているという。
 文科省は小中学校の35人学級などで教員増を図って対策を講じている。だが、財政難で国の対策もなかなか進まないのが実情だ。
 「教職員が忙しいから」という単純な構図に対する疑問の声もある。文科省の調査では、対策が未実施でも、休職が減っている自治体があることも判明している。
  教員の経験もある政策研究大学院大学の戸田忠雄客員教授は「忙しいのは民間企業も同じ。授業と子供や親への対応。それ以外は、なるべく簡素化するべきだ が、精神疾患を減らすのに大事なことは、保護者と向き合うことも教職員の給料に含まれていると意識改革することだろう」と話す。




この記事は24日文科省から発表された次のような調査結果を前提としている。

 平成21年度中に精神疾患を理由に休職した公立学校の教職員が、過去最多の5458人となったことが文部科学省の調査で分かった。前年度から58人増えており、増加は17年連続。病気休職全体に占める割合も63・3%で過去最高となった。
 文部科学省は「生徒指導も複雑になっているうえ、学校に対する保護者の要望も多様化しており、教職員の負担が大きくなっていることが精神疾患増加の一因」と分析している。(「17年連続で精神疾患の休職が増加 過去最高を更新」 産経新聞2010.12.24
18:13)

 もう毎年恒例となってしまい、いまさら新たに何を書き加えればいいかわからない。

 一口に5千人というが幼小中高の教員は全国で97万人、ざっと100万人いる。したがってざっと計算すると200人にひとりの割合で、教員は仕事ができないほど心を病んでいるのである。しかし休むところまで行かずとも、かなり危険な状況で現場にとどまっている教員も少なくない(ハインリッヒの法則を援用すれば、5458人の精神疾患による休職者の背後には29倍の軽い精神疾患があり、その背景には300倍の異常が存在することになる)。
 国家や社会にとって教員はいつでも取り換え可能な消耗品だから倒れてしまった教員については興味ないかもしれないが、
今にも倒れそうな教員が現場に踏み留まって今日も子どもたちに教育活動を行っているということに恐れはないのだろうか?
 そしてこの問題に抜本的な取り組みをしようという気持ちは全くないのだろうか?


 ところで私は昨夜(というか今朝未明 2010年12月25日、0:11:42)『精神疾患 後を絶たぬ休職「意識改革が必要」』と題するこの記事に目を留め、ハードディスクに保存しておいた。
 ところが今朝、記事のリンク先を確認しようと思って『精神疾患 後を絶たぬ休職「意識改革が必要」』で検索したところ、検索ワードはそのままで、出てきた記事は『精神疾患 後を絶たぬ休職、対策には大胆な発想必要』(産経新聞2010.12.24 19:04 )という非常によく似た別の記事だったのである(したがって上に引用した記事は、今は存在しない)。

 同じ12月24日19:04の記事であるが、戸田忠雄客員教授のことあたりから、大きく変わって来る。
 ただ、文科省の調査では負担軽減策が未実施でも、休職が減っている自治体もある。政策研究大学院大学の戸田忠雄客員教授は「忙しいのは民間企業も同じ。教師の本来の仕事は、授業と子供、親への対応のはずだ」と話す。
  自治体では教職員へのカウンセリングなども行っているが、それでも精神疾患が増え続ける現実をみれば、対策の効果は残念ながら、ないのではないか。来年度から小中学校の35人学級を実施し、教員増を図って対策を講じるというが、これも根本的な解決につながるとは到底思えない。対策には、採用する教職員の資質の問題から見直すといった大胆な発想が求められているのではないか。(菅原慎太郎)


 私が夜中に保存した記事では
 保護者と向き合うことも教職員の給料に含まれていると意識改革することだろう
 要するに給料もらっているんだから二の四の言わず働け、といった論調だったものが、
 
対策には、採用する教職員の資質の問題から見直すといった大胆な発想が求められる
 と行政の問題にシフトしているのである。

 いったい一晩の間になにが違ってきたのか?
  同じ12月24日19:04に書かれたA・B二本の記事があって、一旦Aを出し、夜中にBに差し替えたということだろうか?

 そしてまた、
 
採用する教員の見直しというのも、訳が分からない。病気にならない人間を採用しろということか。
 産経新聞はこれで何らかの建設的な意見を述べたつもりなのだろうか。


精神疾患 後を絶たぬ休職、対策には大胆な発想必要  2010.12.24 19:04
 
 教職員の精神疾患の大きな原因は、学校現場での業務過多と考えられているという。文部科学省は平成16年度から自治体の教委に通知を出し、これを受けて、 都道府県と政令市の約80%が業務軽減策を講じてきた。ところが、学校現場の校長からは「少しぐらい業務軽減しても教員の忙しさは変わらない」といった声が聞かれる。授業の準備や生徒指導だけではなく、「保護者への対応も大きな負担」と“直訴”する教職員もいるという。
 ただ、文科省の調査では負担軽減策が未実施でも、休職が減っている自治体もある。政策研究大学院大学の戸田忠雄客員教授は「忙しいのは民間企業も同じ。教師の本来の仕事は、授業と子供、親への対応のはずだ」と話す。
  自治体では教職員へのカウンセリングなども行っているが、それでも精神疾患が増え続ける現実をみれば、対策の効果は残念ながら、ないのではないか。来年度から小中学校の35人学級を実施し、教員増を図って対策を講じるというが、これも根本的な解決につながるとは到底思えない。対策には、採用する教職員の資質の問題から見直すといった大胆な発想が求められているのではないか。(菅原慎太郎)





17年連続で精神疾患の休職が増加 過去最高を更新  2010.12.24 18:13

 平成21年度中に精神疾患を理由に休職した公立学校の教職員が、過去最多の5458人となったことが文部科学省の調査で分かった。前年度から58人増えており、増加は17年連続。病気休職全体に占める割合も63・3%で過去最高となった。
記事本文の続き 文部科学省は「生徒指導も複雑になっているうえ、学校に対する保護者の要望も多様化しており、教職員の負担が大きくなっていることが精神疾患増加の一因」と分析している。
 文科省は全国の公立小中学校、高校などの教職員約92万人を対象に、21年度中の病気休職や懲戒処分の状況を調査した。
 精神疾患を理由とする休職者は4年度以降、増え続けており、同年度の人数(1111人)と比較すると5倍近くになっている。年代別では50代以上が多く38・8%を占め、次いで40代が35・3%、30代が19・2%、20代が6・7%だった。
 ほかの病気も含めた病気休職者全体も、前年度比49人増の8627人で過去最高を更新した。
 このほか、文科省の調査で、21年度に不祥事で懲戒処分を受けた教職員は943人で前年度より116人減ったことも分かった。
 このうち体罰による処分が10人増えて150人。ほかには交通事故が378人、わいせつ行為が138人、公費の不正受給などが25人、国旗掲揚や国歌斉唱をめぐる問題行動が24人などだったが、いずれも前年度よりも減少した。