キース・アウト
(キースの逸脱)

2011年11月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2011.11.09

新人教員の病気退職増 10年前の20倍…精神疾患9割


産経新聞 11月 8日]



 全国の公立学校に勤務する1年目の新人教員のうち、病気を理由に依願退職した人数が平成22年度は101人にのぼり、10年前の20倍に増加した ことが8日、文部科学省が公表した調査結果で分かった。このうち9割は精神疾患を理由としていた。夢をかなえて希望の職に就いても上司や保護者との関係、 子供の指導に悩んで心を痛めて教壇を去っていく教員の姿が浮き彫りとなった。
 地方公務員は民間企業の試用期間にあたる条件付き採用期間を6カ月間設けているが、教員の場合は1年間と長く、文科省はこの間の教員を対象に調査した。
 調査結果によると、22年度に全国の公立学校に採用された教員は2万5743人。全採用数の1・1%に当たる288人が、1年以内に依願退職していた。12年度の依願退職者数は33人で、10年で8・7倍に増加したことになる。
  このうち病気を理由に退職した人数は12年度の5人から年々増加し、19年度の103人をピークに高止まりしている状態。病気のうち精神疾患については 21年度から調査を開始。21年度は86人中83人、22年度は101人中91人で、病気退職者の大半は精神を患ったものだった。
 団塊世代の大量退職に伴う採用増で10年前に比べ、全採用数が2倍以上となっていることを考慮しても多く、文科省の担当者は「仕事の量や保護者対応などイメージとのギャップがあるのだろう。職場での人間関係の希薄さも背景にある」と分析している。

 
 もう学校はほんとうにダメなのかもしれない。
 この就職難の時代、あこがれの教員採用試験に合格して、意気揚々と赴任した学校で一年ももたない。新規採用者の100人にひとりが地獄の就職戦線に戻って行き、その三分の一は心病んでボロボロなのだ。しかもそれを支えるべき文科省は、
仕事の量や保護者対応などイメージとのギャップがあるのだろう。職場での人間関係の希薄さも背景にある」
 つまり教職に現実感のないイメージを持った本人と、それを冷たくあしらった同僚が悪いのだと突き放す。
 これではやっていけない。

 一方、ベテランたちも病む。


管理職の希望降格211人 「健康問題」が半数近く 公立小中高校

産経新聞 11月 8日]



 全国の公立小中高校で、平成22年度に校長や副校長・教頭、主幹教諭など管理職が一般教諭などに自主的に降格する「希望降任制度」を利用したの は、211人に上ったことが8日、文部科学省の調べで分かった。過去最多の前年度より12人減ったが依然高い水準となった。一方、教育委員会から「指導力 不足」と認定された教員は6年連続で減少した。
 希望降任の内訳は、一般教員を指導する立場の「主幹教諭から一般教諭」が103人と最も多く、「教頭から教諭」が64人、「副校長から教諭」が22人と続き、「校長から教諭」も7人いた。
 理由としては、「健康問題」が47%と半数近くを占め、「職務上の問題」が32%、「家庭の事情」が20%となった。文科省は「多忙な上に責任も重いことから『耐えられない』と感じる管理職も少なからずいる」としている。



ほんとうにやっていられない。
これでいいのだろうか。







2011.11.20

「復興教育」文科省が計画 非常時の判断力育てる


朝日新聞 11月20日]



 文部科学省は東日本大震災の経験を未来に生かす「復興教育」に取り組む方針を固めた。非常時にも自ら判断し行動できる「生き抜く力」を育むこと、地域の絆を強めることが柱で、復興に貢献できる人材を育てるキャリア教育も行う。近く省内にタスクフォースを設置。再来年度から実施する教育振興基本計画のメーンテーマとする方針だ。
 震災後に文科省が設けた有識者会議では被災地の教訓が話し合われた。一人ひとりが迷わず高台に逃げる「津波てんでんこ」の教えをもとに防災教育に取り組んでいた学校は、助かった子が多かった。生徒らの逃げる姿を見て住民も逃げ、防災教育が地域全体の被害減少につながった例も。住民の絆が強い地域ほど学校の避難所運営がスムーズだったとの指摘もあった。
 そこで文科省は「困難を生き抜く力」や「絆づくり」を復興教育の柱に据えることにした。学習指導要領で掲げている「生きる力」にも通じる考え方だ。
 岩手県教委が来年度から取り組む「いわての復興教育プログラム」や宮城県教委が打ち出した「志教育」は、震災体験に学びプラスに変える教育や、ふるさと復興を担う人材育成が柱だ。文科省はまずこうした被災地の未来志向の教育を財政支援し、他の各地でも地域の実情に合った防災教育を支援していく方針だ。
 幹部7人からなる中川正春文科相直属のタスクフォースを22日にも設置。「地域コミュニティーとの協働」を掲げ、実践的な防災マニュアルづくり▽ボランティアによる放課後学習支援▽復興教育に取り組む大学やPTA、NPO法人への活動費支給を進める。こうしたソフト事業に第3次補正予算と来年度概算要求で計約128億円を計上し、復興教育への取り組みを促す。(花野雄太)



 すばらしいことである。
 3・11は不幸なことだったが、不幸を不幸のままにしておいてはいけない。それでは死者に申し訳ない。「復興教育」は、これからの私たちの使命である
・・・と私は思う。

 しかし同時にこうも思うのだ。
 
 これだけ学力問題が言われ全国で必死に取り組んでいる時に、なんの「復興教育」だ。
 そんなことやっている暇があるなら、英語や数学に時間を使え!

 
 私は復興教育に賛成だから言わないが、
 常に学力を最大の問題としてきたマスコミや“専門家”たち、
 誰か一人ぐらいは、そんなふうに叫ばないものか。
 
 





2011.11.23

教師を怒り狂わせて動画を撮影、SNSで共有〜“サイバー餌付け”日本でも懸念


Impress Watch 11月22日]


 株式会社シマンテックは22日、子供のインターネット利用実態などを世界規模で調査している「ノートンオンラインファミリーレポート」の最新版を発表した。


 動画撮影可能な携帯電話とSNSの普及を受け、子供たちの間で行われているという“サイバー餌付け”と呼ばれる教師いじめや、親に内緒で行っている秘密のオンラインショッピングなどの動向を報告している。

 調査は今年3月、調査会社のStrategyOneがオンラインで実施した。対象国は、日本、米国、英国、中国、オーストラリアなどを含む24カ国。昨年の調査では14カ国だったが、アジアや新興国を中心に拡大した。回答者は、保護者2956人、8〜17歳の子供4553人、8〜17歳の生徒の教師 2379人。今回、新たに教師を調査対象にしたのが特徴だという。日本はこのうち、保護者512人、子供200人、教師100人。

● スマホやSNSが普及すれば、やがて日本でも“サイバー餌付け”が

 シマンテックのロジャー・ヨーダー氏(コンシューママーケティング部執行役員部長)によると、サイバー餌付けとは、子供たちが教師に嫌がらせをすること でわざと怒らせ、その様子の動画を携帯電話で撮影、SNSに投稿して教師や学校に恥をかかせる行為のこと。米国が発祥だという。単に怒らせるというレベル ではなく、教師が怒り狂う態度を見せるまで嫌がらせをして、そのワナに食いついたところで動画を撮影するのが“餌付け”と呼ばれるゆえんだ。

 今回のレポートによると、自分自身または同僚がサイバー餌付けの餌食になったと回答した教師は21%で、5人に1人の割合に上ることがわかった。

 教師にとってSNSが、生徒とコミニュケーションをとったり、オンラインでの安全について話し合う機会をもたらすなどプラスの面がある一方で、課題があることも示している。SNSで生徒と友達になっていると回答した教師は34%いたが、その一方で教師の67%は、SNSで生徒と友達になることでリスクに さらされると考えているとの結果も出ている。

 日本に限ってみると、SNSで生徒と友達になっていると回答した教師は6%にとどまった。ヨーダー氏は、日本の教育現場が保守的であることや、SNS自体がまだそれほど普及していないことが理由とみているが、今後、ソーシャル化が進むと、日本の子供たちにもこのような行動が出てくるのではないかと予測する。

 実際のところ、インターネット利用時間が長い子供ほど、好ましくない行動を経験する割合が高くなるという強い相関関係があるという。とりわけ、SNSを使うようになると、好ましくない行動をする割合が2倍に増えるとの結果も出ているとした。

 日本の子供におけるSNSやスマートフォンの利用は、海外に比べて低いレベルだというが、今後スマートフォンが普及し、スマートフォンを持つ子供が増えると予想されている。より多くの子供がより多くの時間をインターネットで過ごすことになれば、日本の子供にもサイバー餌付けがまん延してくるのも時間の問題ではないかと懸念を示している。

(以下、略)



 こうしたことが日本に蔓延してもさほど問題にならないだろう。
 
 日本の場合、基本的に子どもは教育の被害者であり、保護者も免責されている。
 
 “サイバー餌付け”が広がっても、

 それはきちんとしたコンピュータ教育をしてこなかった学校の怠慢のせいで、そのために教師が酷い目にあうのは自業自得なのだ。
 そもそも多少のいたずらで慌てふためくような“レベルの低い人間”が教員をやっていること自体が問題だ
・・・と、それで終わりである。
 
 西欧、特にアメリカには「子どもの中には悪魔性があり、放っておくとどんどん悪くなってしまう」という発想がある。
 それに対して日本では「三歳までは神のうち」というように、子どもを無垢のもの、美しいものと考える。
 そんな無垢で美しい者が進んで悪いことをするはずがないと無意識のうちに信じ込んでいる。
 
 もちろん子どもは悪魔ではない。しかしときには何も考えず、まったく無垢なまま、信じられないほど残酷なことができる。



 このいたずらをしかけ、撮影し、ネットに上げた子どもたちの、悪魔のような笑い顔がありありと目にうかぶようだ。
 






2011.11.27

先生の不祥事防止手引き、現場に不信感 長崎県
県教委が配布した不祥事防止の手引き


朝日新聞 11月26日]


 長崎県教委が配った不祥事防止の手引きに、現場の先生たちが不信感を募らせている。事細かな自己診断や決意表明を求める内容に、違和感が募るようだ。「できることはすべてやるしかない」と理解を求める県教委。教え子たちの信頼を守りたい思いは同じはずだが、かえって現場に疲弊をもたらしかねないと教育の専門家は懸念する。
■高校の50代「子ども扱い」
 教職員の不祥事が昨年あった県内のある学校では16日、手引きが届いてすぐに定例の職員会議をもった。放課後1時間の会議のうち45分が不祥事対策だった。
 「冊子は常に見えるところに置いて、自問自答してほしい」と校長が求め、教職員それぞれが手引きに決意を書き込んだ。「たった1人の不祥事で全信頼が失われることを再認識した」「もう2度と子どもたちの涙を見たくない」
 昨年の不祥事後、「飲酒を伴う打ち上げは、休日の前に行った」「児童が不快な感情を抱く身体的な接触は行わなかった」など20項目のチェックリストを学校独自に作成。月1度の自己点検を教職員にこれまでも求めてきた。校長は「教諭には子どもたちの夢を実現する責任がある。不祥事で夢を壊すことがあってはならない」という。
 「不祥事が起これば仕事がやりにくくなる」(40代男性高校教諭)と、学校の信頼回復を望む気持ちは現場も同じだが、この手引きには疑問の声も少なくない。50代男性の高校教諭は「子ども扱いしている。次に不祥事が起きた時に『これだけやったのに』と弁解の材料に使うのが目に見えている」と突き放す。
 別の40代の男性高校教諭は「冊子を出されればその瞬間は真剣に考える。でも、プライベートになればお互いの目も届かない。じゃあ何をするか。難しい」と、悩ましさを口にした。
 子を持つ親の受け止めはさまざまだ。中学と高校の子を持つ40代の母親は「教職員以前に、成人として守るべきことしか書かれていない」と批判。小学6年の子を持つ40代の母親は「当たり前のことを、もう一度自覚する機会にしてほしい」と前向きに取った。
■長崎県教委「できることやる」
 昨年度、県教委による教職員の懲戒処分は13件21人と、異例の多さだった。女児の裸体を撮影して小学校教諭が実刑判決を受けたほか、飲酒運転撲滅運動を担当していた中学教諭が酒気帯び運転で逮捕された。
 県教委も再発防止に取り組んだ。飲酒運転やセクハラ防止といった目標を学校ごとにつくり、順守を呼びかけ合う服務規律月間を開催。教職員同士、声をかけあって不祥事の芽を摘み取る一連の活動が奏功したのか、今年度になって目立った不祥事はない。
 渡辺敏則県教育長は「当然のことを当然と改めて感じることが不祥事防止につながる」と冊子の狙いを説明。「決定的な対策がない以上、できることは何でもやって防止しなければならない」と強調した。(河合達郎、渡辺洋介)
■「原因分析なく混乱招くだけ」教育評論家の尾木直樹・法政大教授の話
 不祥事をしない決意を書かせるなんて、県教委が県民に対して「教員はこんなにバカですよ」と、言っているようなもの。無神経で教員を幼稚に扱っている。なぜ不祥事を起こすのかという原因分析も、具体的な防止策もない手引きを配布して何の意味があるのか。やればやるほど現場を混乱させる。ただでさえ忙しい先生たちを疲れさせてはいけない。
〈長崎県教委の不祥事防止手引き〉 A5判33ページで、今月半ばに教職員ら1万4千人に配布した。費用は85万円。わいせつ行為や飲酒運転は絶対しない、させないと説く内容。家族など大切な人にあてて「絶対不祥事を起こさない」という決意を記す欄を設けた。「児童生徒に対して、誤解を招くような身体への接触を行うことはない」など60項目の質問に3段階で答える自己評価欄も作った。




 尾木ママという人はその場その場でコロコロと意見を変えるので信用ならないが、今回は(朝日新聞だからかもしれないが)良いことを言った。
不祥事をしない決意を書かせるなんて、県教委が県民に対して「教員はこんなにバカですよ」と、言っているようなもの。無神経で教員を幼稚に扱っている。
やればやるほど現場を混乱させる。ただでさえ忙しい先生たちを疲れさせてはいけない。

 その通りだと思う。
 幼小中高で先生と呼ばれる者たちが100万人もいるのだから、中には変な奴もいる、それは組織を維持する上でのコストであってゼロにはできない。そのゼロではない部分は厳罰を処するからそれで我慢しろ
ではだめなのか。
 不祥事があるたびに全員で反省していてはらちが明かない。
 
 中学と高校の子を持つ40代の母親は「教職員以前に、成人として守るべきことしか書かれていない」と批判。
 これは“冊子”のことではないだろう。
教員は人間として半人前だと言っているのだ。

 まさに、
「教員はこんなにバカですよ」と、言っているようなもの。なのである。
 
 私たちは理解できないでいる。
 こんなにバカにされる私たちに、なぜあれほどの高い道徳性が求められるのか?

 お前たちはバカだから、孔子や釈迦のような高い徳を身につけなければならないと言われても、応えようがない。
 もうアホらしくてやってられないから、酒でも飲んでドライブに行くか・・・と
 






2011.11.30

瑞浪中2自殺訴訟、いじめ行為認めず


中日新聞 11月30日]


 岐阜県瑞浪市で2006年、いじめを苦に自殺した市立瑞浪中学校2年の女子生徒=当時(14)=の両親が、いじめたとされる同級生4人と保護者に計約5600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、岐阜地裁は30日、原告側の請求を棄却した。
 判決で鈴木正弘裁判長は「遺書の記載を含む原告の主張を考慮しても、被告生徒らによるいじめ行為の存在を積極的に推認させる事実はない」と指摘した。
  訴状などによると、女子生徒は06年10月23日、学校から帰宅直後に自室で自殺。室内に残された便箋1枚の遺書には、バスケットボール部の同級生女子4 人の名前とともに、「本当に迷惑ばかりかけてしまったね、これでお荷物が減るからね」「何もかもがんばる事に疲れました」と書かれていた。
 原告側は、4人が継続的に「うざい、きもい、くさい」などと、言葉の暴力を浴びせたり、練習中に嫌がらせをしたりしたと指摘。遺書は、自らを死に追いやった加害者を告発したものだと主張していた。
 被告側は、本人尋問で4人全員が「いじめはなかった」と証言。「遺書には具体的ないじめ行為についての言及がなく、憎しみや恨み言の類いも一切述べられていない」とし、いじめの証拠にならないと主張し、争っていた。




 私には非常に印象深い事件である。
 この「瑞浪市いじめ自殺」と呼ばれる事件はニュースになった時点でかなり異様なものだった。

 第一に、葬儀の夜、家を訪れた校長・学年主任(教務主任?)と遺族の会話がビデオカメラで隠し撮りされており、それがテレビ・ニュースに流れたこと。
 第二にそのVTRで校長が言を左右にしているにもかかわらず、学年主任が「はい、いじめがありました。いじめが原因です。私が確認しました」と鮮やかに証言している点である。

 隠し撮りはともかく、校長が目の前にいるにも関わらず、それを飛び越えて学年主任が学校の立場を明らかにするというのは極めて異例だった。

 また、「私が確認した」という非常に曖昧な言い方も気になった。実際にいじめの現場にいてそれを確認したというなら、その時の指導はどうだったのか、それが問題となろう。そうではなく、加害の子あるいは周辺の子からいじめの事実を聞き取ったというなら、それは「確認」ではない。まだやらなければならないことが山ほどある。

 さらに「いじめがあった」ことと「そのために自殺した」こととは必ずしも繋がらない。もちろんそうである可能性もあるが未知の原因がある可能性だってある。複合的な原因で自殺するひとも多い。それをたちどころに「私は確認した」と言える自信の強さはどこから来るのか、私は当時、ほんとうに驚きながらニュースの画面を見ていた。
 

 遺書はのちにさまざまな経路から外に漏れた。
 
皆さんへ、今誰かが私の手紙を見ている時、
きっと私は死んでいるでしょう。
この忙しい時に、御迷惑をおかけします。
今まで、私を愛し、育ててくれた家族。ありがとう。
じいやん、がんばって、早く良くなってね。
 部活のみなさん、特に○○○○、○○○○、
 ○○○○、○○○○ 本当に迷惑ばかりかけ
 てしまったね。これで、お荷物が減るからね、
 もう、なにもかも、がんばる事に
 疲れました。
 それでは、さようなら


 裁判で問われたのは第一に「いじめの有無」であり、第二に「いじめと自殺の因果関係」である。
 しかし裁判所は、第一の段階に差し掛かる以前のところでこれを蹴ってしまった。

「いじめの有無」も判断しない。なぜなら、
「同級生らによるいじめの存在を積極的に推認させる事実はない」
 からだ。
いじめがなかったとは言わない、しかし「いじめと認定するに十分な事実は見つからなかったというのである。
  
 私は判決としては妥当だと思う。少なくとも遺書はさまざまな読み取りを可能にし、いじめを強く示唆しているとは言えない。また学校が行ったアンケートにも具体的ないじめの様子は出てこなかった。
 司法の場で、これ以上のものを引き出すのは難しいだろう。
 
 しかし司法以外の場では別の決着がついている。
 
バスケット部の四人の女の子の名前はネット上に曝され、一部は顔写真まで流されているからだ。もうこの子たちは普通の生活はできないだろう
 
 事実は事実として厳しく吟味されなければならない。誰が何をし、何と言い、どう振舞ったか。そのことによって次の瞬間に何が起こり、そこで改めて誰が何をし、何と言ってどう振舞ったか。

 こうした調査はどこかで闇の部分に入り込むが、少なくともその直前までは調べつくさなければならないはずだ。
 それを愚かしい学年主任が一言で片付けてしまい、後の調査を複雑にしてしまった。あのとき学校はこう言えばよかったのだ。
「調査中です、一緒に調べましょう、記憶の曖昧にならないうちにお互いの持っているものを出し合いましょう」
 そう言って誠実に対応すれば、これほどにはこじれなかったはずなのだ。
 
 
【参考】
     瑞浪いじめ自殺:岐阜地裁で30日判決…因果関係が争点に
                              毎日新聞 2011年11月29日

 いじめをほのめかす遺書を残して06年10月、自殺した岐阜県瑞浪(みずなみ)市立瑞浪中2年の女子生徒(当時14歳)の両親が、遺書に名前の あった当時の同級生4人と保護者に約5700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、岐阜地裁で言い渡される。被告側は「いじめをしたことはない」と 主張しており、▽いじめの有無▽いじめと自殺の因果関係−−が争点となっている。

 訴状によると、女子生徒は06年5月ごろから、同じ部活動の同級生4人に「ウザイ、キモイ」と言われるなどのいじめを継続的に受けたとされる。誕生日だった同年10月23日、「部活のみなさん、特に、(4人の名前)、本当に迷惑ばかりかけてしまったね。これで、お荷物が減るからね。もう、何もかも がんばる事に疲れました」などと記した遺書を残して自宅で首つり自殺をした。学校は全校生徒対象の無記名アンケートを実施。結果などから、いじめの存在と 自殺との因果関係を認めた。

 原告側がいじめの根拠としている遺書やアンケート結果などをどう評価するかが判決の焦点。被告側はアンケートについて「無記名で、いじめの具体的な例示もなく、信用性は低い」と主張。遺書については「部活だけでなく生活全般での疲労や挫折が自殺の原因。4人の名前は迷惑をかけて申し訳ないという謝罪の気持ちで記した」と主張している。【三上剛輝】


 ◇「刑事罰を」…遺族が嘆願書
 「私の心はあの日死んだ」
 自殺した女子生徒の父親(49)は朝起きるたびに「また一日長く生き延びてしまった」と鏡をみて悔やむ。いるはずのない娘を町中で探したこともたびたび。誕生日でもあった命日には必ずバースデーケーキを買って祝っている。
 娘の自殺後、「自殺を止められなかったと悔やむだけじゃ、娘の命が無駄になる」と考え、いじめで自殺した子どもの遺族と会ったり、いじめに詳しい識者と面談していじめの構造を調べた。「近ごろのいじめはゲーム感覚で死ぬまでエスカレートする。人間関係の希薄化で止める人もいない。『社会的殺人』として刑事罰を科すべきだ」。09年10月に文部科学相宛てに法制化の嘆願書を提出した。
 警察官を目指し、人の悪口を言わない娘だったが、4人に対しては「あいつら、殺してやりたい」と乱暴な言葉を口にしたことがあった。自宅の壁を殴ってへこませたこともあった。しかし謝罪に来た被告の一人は10年3月の提訴後、「(謝罪は)遺族に無理やり言わされた」と態度を翻した。「原因がいじめでなくてなんなのか」
 娘の死から5年。「どんな判決でも、どちらかが控訴する。まだ闘いは続く」。そんな気持ちで判決に臨む。【三上剛輝】