キース・アウト![]() 2011年1月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
「生きていればさらに不孝をすることになりそうです…先に行って100年でも1000年でも家族を待ちます」。 友人らからいじめに遭った大邱(テグ)の中学生は、「ママ、パパ、愛してる!!!」で終わる遺書を残し命を絶った。ラジオ線を首に巻いて引っ張られ、落ちているごみを拾って食べろという暴力に苦しめられながらも中学生は両親や教師に助けを乞うことができなかった。報復が恐ろしかったの だ。 青少年暴力予防財団によると、小中高生の57%が暴力にあってもだれにも言わず、62%は暴力を見ても知らないふりする(2010 年・3560人を調査)。加害学生の63%はいじめる理由として「いたずら・理由はない」を挙げた。韓国の学生は経済協力開発機構(OECD)加盟国で学業達成度1〜4位と最上位圏だ。これに対し国際教育到達度評価学会(IEA)が2009年に行った世界の中学2年生調査では、他人と混じり合って生きる 「社会的相互作用力」が36カ国中で最下位だった。勉強はうまくするが社会性は底だ。 校内暴力が起きる度に国中が沸きかえったが変わっていない。中央日報は教師18万人が会員となる韓国最大の教員団体韓国教総、学校を愛する父兄の会などとともに「ストップ!校内暴力−三輪汎国民運動」を掲げる。学校・家庭・社会の3つの車輪が有機的にハーモニーを構成して校内暴力を追放しようという意味だ。いつ、どこででも校内暴力を見れば「ストップ!」と叫ぶ人格教育など多様な代案も提示する。 韓国の教育にとやかく言うつもりはない。よそ様の話だ。 しかし内容を見ると 勉強はうまくするが社会性は底だ。 校内暴力が起きる度に国中が沸きかえったが変わっていない。 これは20年ほど前の日本の状況とそっくりである。 そうした教育の反省に立って様々な努力が行われたはずなのに、今や打倒韓国、打倒フィンランドの声は鳴りやまない。 教育は(特に東アジアの国々では)余裕とゆとりの中で行っているのではない。学力に力を入れれば道徳が失われ道徳に力を入れれば学力が失われる、そうしたゼロサムゲームの中にある。 世論も政府も100:100を求めるために、常にどちらかがゼロに近づいてしまう。 常に声高に叫ばれる方が100に近づき、他方が失われて行くわけだ。 その結果教育は、右に左にと揺れ続ける。 韓国も中国も道徳が崩壊したと考えて日本の教育を目指し、日本は学力が崩壊したと言って韓国や中国を目指す。 道徳も学力も80:80を目指そう、それで我慢しようという機運はどこにもない。ただ子どもを振り回して結局はダメにしてしまう。 すべての国があまりにも愚かだ。 昨年は酒に酔った新成人が式典進行を妨げて逮捕される事態になった静岡県富士市は、飲酒している新成人の入場を禁止する厳しい態度で臨んだ。 準備したアルコール検知器は使わなかったが、酒を飲んでいるとして2人の入場を拒否した。式典は大きな混乱なく終了した。 成人式に出席できなかった男性(20)は、取材に対し、飲酒者が出席できないことを知らずに式典前にビールを飲んだという。男性は「騒ぐかどうか は大人の自覚があるかどうかで、飲酒の有無は関係ない。信頼されていないようで悲しい」と言い残し、一人で会場を後にした。市社会教育課の本多良治課長は 「問題なく式典が終わり、やれやれという感じ」とほっとした様子だった。 葬式であろうが結婚式であろうが、入学式であろうが卒業式であろうが、はたまた入社式あろうが戦没者追悼式であろうが、そして成人式であろうが、およそ「式」と名のつくものに出席しようとする者が直前にビールを飲むなどありえない。 大人の自覚があるかどうかで、飲酒の有無は関係ない わけがない。 公私の式典前に飲酒をするのはまったく大人の自覚のない行為だ。 それをなにが、 信頼されていないようで悲しい だ。 読売新聞はこんなガキに心を寄せてどうする。 読売に限らず、マスコミは政府地方公共団体、あるいは学校を叩くためなら何にでも同情する。 注意欠陥多動性障害(ADHD)やアスペルガー症候群(AS)などの発達障害に苦しむ大人が増えている。障害のために仕事に支障をきたし、ひきこもってしまう人も少なくない。発達障害者支援法の成立から7年。行政の取り組みは遅れがちだが、障害を持つ人たちが自助努力で立ち向かう動きも出てきた。(戸谷 真美) ■ミス重なり辞職 「イージーミスが多すぎる。君に営業はできない」。都内に住む20代の男性は昨年夏、上司にこう指摘され、しばらくして会社を辞めた。 旅行会社の営業マン。まじめで人当たりもいいが、段取りや整理が下手。細かい連絡を忘れてしまう。添乗員として随行した先で、用意する弁当の数が変更になったのに業者への連絡を忘れてしまい、トラブルになったこともあった。 まだ、きちんとした診断は出ていない。再就職への意欲もあるが、「サービス業はもう無理だと思う」という。 発達障害は従来、子供のものとされてきた。だが近年、ひきこもりや鬱病、子供への虐待などの2次障害が表れ、初めて受診する大人の患者が多い。 計31万部のベストセラー『発達障害に気づかない大人たち』シリーズ(祥伝社新書)の著者、心療内科医で福島学院大の星野仁彦(よしひこ)教授は「私のクリニックに来る患者さんは2次障害が深刻な状態。復帰するのは容易ではない」と話す。 星野教授の調査では、外来を受診した成人のADHDとASの患者130人のうち、2次障害がない人はわずか13人。専門医が少ないため、発達障害を見抜けず、2次障害だけの治療を受けた結果、再発、長期化する傾向にある。 冒頭の男性のようなケースでも、「まずは自分で発達障害を認識し、診断を受ける。そのうえで長所と短所を把握し、サポートしてくれる人を見つけることが大切」と星野教授は言う。 ■できることから 発達障害者同士の自助グループも生まれている。自らもADHDとASの混合型という冠地情(かんち・じょう)さん(39)が主宰する「イイトコサガシ」は、22都道府県で160回以上のワークショップを行った。 6〜8人のグループで、2人が5分間、テーマに沿った会話をし、残りの人はその会話の良かった点だけを指摘する。時間を区切って相手の話に集中するので、しぐさや口調の変化にも気づきやすく、独りよがりな会話を避けられる。聞く側は良い点だけを探すため、思いやりや共感を伴ったコミュニケーションの力 を磨ける。冠地さんは「発達障害の人は自己肯定感に乏しい。批判や助言はそれに追い打ちをかけ、トラブルになることもある」と話す。 相手の長所を探し、自分の良い所に気づくのはコミュニケーションの基本だ。冠地さんは「発達障害はもはや社会現象。でもできることから始めてほしい」と話している。 ■行政の支援、手探り段階 成人の発達障害に対する行政の取り組みは緒(しょ)に就いたばかりだ。厚生労働省によると、全都道府県とほぼ全ての政令市に発達障害者支援センターが設置され、ハローワークなどと連携した就労支援などが行われているが、「症状や障害の程度は千差万別で、具体的にどんなサポートをしたらいいか開発を行っている段階」という。 また、ADHDに対して欧米で効果を上げている中枢神経刺激薬、メチルフェニデートによる薬物療法も昨年11月、18歳未満で投与を受けていた人のみ継続使用が可能になったが、大人への初回投与は認められていない。 増えたのは大人の発達障害ではなく、発達障害に対する理解と自助グループなどの支援の仕組みである。 発達障害の人たちは昔からいたし、そのためのさまざまな苦しみがあったはずだ。しかしそれらは理解されず、一部は何とか社会に順応し、別の一部は捨てられていた。そして社会にはそうした「捨てられた人々を吸収するシステム」も存在した。 フーテンの寅さんは周囲の絶大な援助によって社会の片隅に居場所を見つけたし、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんや「のだめカンタービレ」の野田恵は趣味や超絶的なピアノの才能によってしっかとした社会的基盤を築いた。しかし何の才能もなく周囲の理解も得られなかった者の一部はキレやすい人間として爪弾きにされ、事実数々の暴力事件を起こしては社会から弾き出された。しかしそんな彼らを受け入れてくれる組織もあったのだ。 発達障害を持つ人が学齢期にある場合の支援体制はだいぶ整ってきた。しかし不登校・ひきこもりと同じように、学齢期を過ぎた人たちの支援はほとんどないに等しい状況が長く続いている。 暴力が徹底的に排除され、発達障害の理解も進んだ現在は、そうした理解の上に立って、初めて新たな仕組みづくりが急がれているのだ。 ところで、記事にある営業マン、 「イージーミスが多すぎる。君に営業はできない」 段取りや整理が下手。細かい連絡を忘れてしまう そうした性質(たち)なら旅行会社の営業は勤まらない。それは仕方のないことだし、企業と本人の双方にとって不幸だ。しかし まずは自分で発達障害を認識し、診断を受ける。そのうえで長所と短所を把握し、サポートしてくれる人を見つけること ができれば、うまく行く場合も少なくない。 先の営業マンなら、もっと向いた仕事があったはずだ。私はそう思う。 ヘレン・ケラーは「障害は不便だが、不幸ではない」(原文は“Being a disabled person is inconvenient, but it doesn't mean that I'm not happy.”《障害者であることは不都合です、しかし、それは私が幸せでないことを意味しません》、または“Disabilities may be inconvenient, but they are not misfortunes.” 《障害は不都合である場合がある、しかし彼らは不幸でありません》)と言った。 私たちにはやるべきたくさんのことが残っているのだ。 *なお、 メチルフェニデートによる薬物療法も昨年11月、18歳未満で投与を受けていた人のみ継続使用が可能になったが、大人への初回投与は認められていない。 記事は何となく厚生省の無理解や頑迷をにおわせているが、このことには特別の理由がある。 そこまで報道しないのは意図的な偏向と思うがどうか。 広島県福山市の県立高校で、男性教諭(53)が、禁煙の校内でたばこを吸ったことを、男子生徒から学校側に告げられたのに腹を立て、生徒に剪定(せんてい)ばさみを突き付けるなどしたことが分かった。 教諭は1週間後に依願退職した。 高校によると、2011年10月4日、「教諭が校舎内でたばこを吸っている」と生徒から指摘を受けた校長が教諭を注意。その直後、教諭は校内で4人の男子生徒に「誰が言いつけたのか」などと言い、はさみを突き付けたり、振りかざしたりした。 生徒からの訴えで、校長らが教諭から事情を聞いたところ、喫煙やはさみを生徒に向けたことを認めたという。学校側は生徒に謝罪し、教諭は同月11日に退職した。 校長は取材に対し「生徒に恐怖感を与える、あってはならない行為」と話している。 世の中、とてもありそうにないことは滅多になく、普通は起こらないものである。それが原則だ。 したがって上のような記事を目にしたとき、思い浮かべなければならない可能性は次の三つだ。 @ とんでもない教員がとんでもないことをした可能性。 A 事実はそうでないのに、とんでもない記事が書かれた可能性。 B すべて事実なのだが不十分で必要な情報が隠された、もしくは書き損ねた可能性。 しかし一般に、ステータスの高い人たちや知識人、社会に責任をもつマスメディアはウソをついたり表現しそこなったりすることはないから、この場合、答えは@しかない。 つまりあいかわらず「教員なんてロクなものじゃない」「とんでもない人たちが教育に携わっている」ということである。 しかしどうだろう? とりあえず私は、なぜ上の教員が殺人未遂もしくは暴行罪にならなかったのか理解できない。街中で同じことをすれば絶対に警察に捕まる。 はさみを突き付けたり、振りかざしたりした。 のだから。警察に通報しなかったことが学校の特殊性だとしたら、それこそ大問題であろう。学校は治外法権の場ではない。 しかも 教諭は1週間後に依願退職した。 とか。 そんなことがまかり通るなら世の中何でもアリだ。飲酒の翌日のアルコール検知で酒気帯び運転→懲戒免職という時代に、生徒に刃物を向けて依願退職はないだろう。どう考えてもこのケースは懲戒免職でなくてはならない。百歩譲っても、病院送りの上、分限免職である。 さらに言えば、そもそもこんな教諭が53歳まで無事に勤めてこられたこと自体がなぞだ。こんな人格で30年間も教員を続けられたのはなぜか。 考えれば考えるほど分からなくなる。したがってこの記事から読み取れる可能性は、 A 事実はそうでないのに、とんでもない記事が書かれた可能性。 B すべて事実なのだが不十分で必要な情報が隠された、もしくは書き損ねた可能性。 のどちらかである。 日本はまだまだ法治国家なのだから、こんなことが起こるはずがない。 そして起こるはずのないことは普通は起こらない。 愛知県教育委員会が県柔道連盟へ委託し、中学、高校の体育教員を対象に2年に1度開いている柔道の指導者講習(計6日)で、30年近く、受講者全員に段位(黒帯)が授与されていたことがわかった。 柔道の総本山・講道館(東京都)によると、黒帯の取得には「平均でも2年程度かかる」というが、愛知の場合は短期間の上、審査も一般の昇段試験と違って試合の勝敗を考慮していない。関係者からはこうした段位認定のあり方を疑問視する声が出ており、講道館でも実態を調査する方針だ。 ◇ 同県教委によると、体育指導の質の向上を目的に1984年頃から、柔道経験がほとんどない「白帯」の体育教員を集めて講習を実施。 1年目は受け身などの基礎、柔道の歴史・理念、安全管理を学ぶ「指導者養成講習」(2日間)、その1年後に実戦や審判などを経験する「段位認定講習」(4日間)という内容で、毎回30人程度が受講している。 これまで全受講者が段位審査で“合格”し、黒帯を取得していることに、県柔道連盟は「柔道ではほぼ初心者だが、体育教員としての運動能力はあり、6日間で全員が初段程度のレベルに達している。講習内容も十分で段位認定に問題はない」と説明。県教委も問題はないとの考えで、「段位はあった方が、無いよりは充実した指導ができる」として、学習指導要領の改定で柔道などの「武道」が必修化される新年度は受講者枠を44人に増やす方針だ。 苦労して黒帯を取る人がたくさんいる中で、わずか6日間での黒帯となると非難ごうごうで、ツイッター上などではメチャクチャにいわれている。 ・ ふざけるな!こっちは黒帯とるためにどれだけ汗水流したことか。 ・ 白帯の柔道指導の体育教官も怖いが、6日速成で黒帯になった柔道指導の体育教官も怖い気がする。 ・ そら年平均4人も死ぬわ。 ・ こんな連中に教えられる子どもたちがかわいそう。 ・ いいかげんだ。授業で死者出てからじゃ大変では? ・ ブラックベルトが安いよ。 ・ こんなインチキ教師なんかに柔道を教わったら生徒は殺されてしまいますね ・ 全員超人か ・ 開き直ってんじゃないわよ!それなら俺にも黒帯よこせ! ・ 悪夢だ。けが人や死人が出るはずだよ ・ これほど、恐ろしい指導者は、おらんなぁ…サイアクやなぁ。 ・ なんちゃって黒帯か。 ・ これで事故が起きたら愛知県教委は全員責任取れるのか?馬鹿じゃないの? ・ 素人に6日の速習しただけで後頭部を強打する可能性の高い格闘技の指導権限を与えるなんて狂ってるとしか思えない。 ここにでは二つの問題がある。 ひとつは「柔道ではほぼ初心者」であるような教員が実際にいて、学校で柔道を教えているという問題。 もうひとつはわずか6日間で黒帯を与えてしまうという問題。 この二つを混同すると全体が見えなくなる。 とりあえず前者についてだが、私はまず、 柔道経験がほとんどない「白帯」の体育教員 というのがうまく想像できない。 体育の教員と言えば日体大を始めとする体育大学・学部の出身者か教育学部の体育学科の出身者ということになる(通信教育で取れる免許ではない)。体育大学・学部の出身で柔道経験がほとんどない「白帯」の体育教員ということはまずない。柔道剣道を必修としていない体育大学・学部はないからだ。もちろん必修だからといって全員が黒帯をとったわけではないので白帯もたくさんいる。しかし彼らは「柔道経験のほとんどない」教員ではない。 考えられるのは教育学部の体育学科。 教育学部だから指導要領に合わせてカリキュラムから武道を落とした時期があったのかもしれない。特に愛知県は愛知教育大の牙城だから、愛教大のカリキュラムから落ちていれば県内に『柔道経験がほとんどない「白帯」の体育教員』がたくさんいる可能性もないわけではない。 しかし実際のところはどうなのだろう? もし、ほんとうにそうした教師がいるとしたら、たった6日間とはいえこうした講習はぜひ受けてもらわなければならない。 先のツイッターのつぶやきをもじって言えば、 6日速成で黒帯になった柔道指導の体育教師よりも、それすらしない白帯の柔道指導の体育教師の方が何十倍も怖ろしいのだ。 1年目は受け身などの基礎、柔道の歴史・理念、安全管理を学ぶ「指導者養成講習」(2日間)、その1年後に実戦や審判などを経験する「段位認定講習」(4日間) すばらしいじゃないか。 さて、後者の「わずか6日間で黒帯を与えてしまうという問題」 これも「柔道ではほぼ初心者」の程度によるだろう。 体育大で半年の授業を受けた程度だとやはり「ほぼ初心者」だが、しかし体育大だ。普通の初心者とはレベルが違う。こういう連中が半年週1時間の授業を受け、4日間の集中講義を受ければ「全員が初段」くらい軽くクリアできるのではないか。 こういう人たちは実力があるのだから段位などなくてもいいようなものだが、 「段位はあった方が、無いよりは充実した指導ができる」 箔(はく)はけっこう役に立つのだ。黒帯の先生だというだけで生徒は多少は素直になれる。そして素直に聞く分、安全な授業にもなるだろう。 いずれにしろ 6日間で全員が初段程度のレベルに達している。講習内容も十分で段位認定に問題はない というならそれでいいような気がするがどうか。 *それより問題なのはすぐに命にかかわる競技を、後先考えずに学校教育に導入する政府のやり方だ。いくら受け身を教えたって投げる方が下手くそだとケガをする。 現場はハラハラしながら指導をし、一朝事故があれば責任を問われるのは現場だ。 「6日間で黒帯」問題を機に、この際、柔道はやめるというわけにはいかないだろうか。 【参考】 学校での重大事故が後を絶たない柔道の指導について、東海3県の中学体育教員から不安の声が上がっている。 競技・指導とも未経験という教員が多く、指導手引や講習の充実に加え、「外部講師に補佐してほしい」との要望もある。新年度から中学1、2年の体育で柔道などの武道が必修化される。多くの教員は「礼儀の習得や自己鍛錬になる」と必修化のメリットを認めており、教育現場は、いかに安全を確保するかに腐心している。 「今のままで教えるのは本当に怖い」。名古屋市中川区の中学校の女性教員(31)は、大学の教職課程でも柔道着に袖を通したことがない。同年代には柔道未経験の教員がたくさんいるといい、度々、不安を打ち明け合う。 この女性教員が勤務する学校は新年度、学生時代から習ってきたという剣道を選択するものの、いつ転勤で柔道選択校に行くか分からない。「『大学で少しは経験があるだろう』で済まさず、指導者としての講習の機会をもっと設けてほしい」と訴える。 津市立中学の男性教員(26)も競技経験はなく、「生徒のけがが心配」と話す。大卒後に4年間の指導経験はあっても、「教員・警官OBなど経験豊富な外部講師が指導補佐に付いてほしい」というのが本音だ。 昨夏に市立高校の柔道部で死亡事故が起きた名古屋市は、中学の授業で後方に倒れて頭を打つ可能性がある足技を行わない方針を独自に決めている。しかし、学習指導要領は中学1年で足技を教えるとしており、全体でこうした対応を取る自治体はまだ例外的だ。 そんな中、現場からは「1年生は受け身だけ教える」「投げ技は座ったままの体勢から始める」など安全策に工夫を凝らそうとする様子もうかがえる。 ただ、必修化そのものを否定する声はほとんどない。三重県尾鷲市立中学の男性教員(52)は「他のスポーツ以上に礼儀作法を学べる。自分を鍛えるためにも経験してほしい」、岐阜市立中学の男性教員(38)も「受け身を習得すれば、日常のけがの防止にもつながる」と意義を強調する。 競技・指導とも未経験が、大会に出たことがない、教えたことがないということなら問題は少ないだろう。現行指導要領には17の種目が挙げられているが、ダンスから水泳、剣道、サッカーに至るまで、すべての競技で大会に出て指導経験もあるなど、人間業ではない。 しかし「柔道着に袖を通したことがない」となると、別である。とにかく生徒が死ぬ競技だからだ。 「今のままで教えるのは本当に怖い」 というのは確かに実感だろう。 「受け身を習得すれば、日常のけがの防止にもつながる」というのは半分は本当だが、投げる方が下手では受け身も万能ではない。 必修化そのものを否定する声はほとんどない 武道の必修化はさておき、柔道だけを外すことはできなかったのか。 教員がこういう状況(柔道着にそでをっとおしたこともない体育教師がいる)を承知で、政府は柔道を承知したのか、 いったい何人が死ねば思いなおしてくれるのだろう。 受験シーズンの到来である。多くの受験生は最後の追い込みに必死だろう。 だが、最近は推薦入試が増えて、高校3年生でありながら、合格が決まった秋から、入学式がある春まで、勉強に関係ない時間を過ごす生徒が多いらしい。推薦入試だけではない。面接と論文で能力と人格を見て入学を許可するとされるAO入試というのもある。推薦もAOも本格的な受験勉強をしないで合格を得る点は同じだ。 15歳から18歳までは、人生で最も記憶力の充実している時期だ。好奇心も知的興味も尽きない年ごろだ。そのとき、推薦、AOで入学が決まる多くの生徒は、アルバイトや旅行、趣味への打ちこみに精を出すという。 推薦、AOだけではない。大学付属高校からの進学も同じである。エスカレーターだから、特別な受験勉強をしなくても大学に進める。となるとやはり勉強に身は入らない。 推薦、AO、付属の高校生がみな勉強していないなどというつもりはさらさらない。しっかり勉強している生徒も少なくないだろう。だが、入試がなければ多くの生徒は苦労してまで勉強しようとは思わない。それが人情だ。生徒が悪いのではない。そういう制度を作った大人が悪いのである。 小学校から大学までエスカレーターという学校もある。生まれてから一度も入試を経験しないで社会人になれる。 入試というのは、ある意味で試練である。勉強し、受験し、発表を見て、子供たちは成長していく。合格してもしなくても、受験の経験は精神を強くする。 少子化時代。私立学校は早くから優秀な生徒を囲い込みたいだろう。そのため、推薦、AO、付属という形で、生徒を確保しようとする。しかし、その結果、優秀な子供たちが本当に優秀な人材に育っていくのだろうか。 そこで提案だが、大学を受験するには、フランスが行っているような、バカロレア(大学入学資格検定試験)を例外なく実施してはどうだろう。バカロレアに合格しなければ、付属であろうと大学には行けず、推薦やAOの資格もとれないようにするのである。学力低下にも歯止めがかかるだろう。ドラスチックな改革を 行わないと、この国の子供たちの学力はどんどん低下していってしまう。 東大が秋入学を検討しているそうだが、学力の裾野を維持しないと、日本に未来はない。(編集委員 大野敏明) 馬鹿(ロレア)も休み休み言ってほしい。これは典型的なマッチ・ポンプ記事だ。 推薦、AO、付属の高校生がみな勉強していないなどというつもりはさらさらない。(中略)だが、入試がなければ多くの生徒は苦労してまで勉強しようとは思わない。 推薦入学の生徒は推薦さえるための、AO入試の生徒はAOのための、そして付属校出身者はその付属校に入るための学習を皆、経てきたはずだ。大学入学試験だけがすべてではない。それが諸制度創設の意義だったはずだ。 生徒が悪いのではない。そういう制度を作った大人が悪いのである。 もし推薦制度やAO入試が悪いとしたら、その悪い制度をつくった大人の第一は、 「多様な入学方法によらなければ多様な人材は集まらない」とか 「受験学力しか身についていないひ弱なエリートばかり集めてどうする」 とか言い続けたマス・メディアの人々、つまり大野委員の先輩たちなのだ。 大学も高校もほんとうはこんな面倒くさいことはさっぱり好きではなかった。試験一発の方がよほど分かりやすく簡単だった。推薦だAOだといった複雑な入試制度のおかげで、事務処理も時間も爆発的に浪費されることになったのだ。 そんな労苦を無理やり呑まされたのも、結局は“世論”に動かされてのこと。 まさかその“世論”に対してマスコミは一切責任がないとは言わないだろう。 この件について文句があるなら、まず懺悔か自己批判して始めてほしい。 さらに推薦やAOに不満があるなら、ただ「推薦制度やAO入試はただちに廃止せよ、付属高校からの進学も一般入試を通せ」と言えばいいのに、なぜここに大学入学資格検定試験が出てくるのだ? この上さらに学校関係者を忙しくさせて何をしようというのだ(まさか忙しくすればするほど学校に問題が起こって記事ネタが発生する、なんて考えていないだろうな)。 しかもおまけに、バカロレアだ、バカロレア! フランスじゃないか 。 フランスがいかほどのものか。 何が悲しうて、PISA(OECD国際学力比較)で格下のフランス(読解力22位、数学的リテラシー22位、科学的リテラシー27位、日本は順に8位、9位、5位)の真似をしなければならないのか。 大学にしたってARWU(上海交通大学の大学ランキング)で日本は100位以内に5大学も入れているのだ(フランスは3大学)。 こんなアホなマスコミに踊らされるから、この国の子供たちの学力はどんどん低下していってしまう。 まったく、考えられないくらいアホな話だ。 |